「女性は妊娠、出産はもちろん、出産後、幼子に乳を与え、衣服を着せ、寒い暑い、昼夜の注意心配、他人の知らないところに苦労が多く、身体もそのために痩せ衰えるほどのしだいなので、父親はその苦労を分かち、たとえ家事以外の仕事があっても、事情の許すかぎりは時間を割いて幼子の養育に助力し、しばしの間でも妻を休ませるべきである。世間や人目をはばかってわざと妻のことを気に掛けない、またあるいは、心中では気にしていても、表面上は冷たい態度を装う者がいる。つまらぬ行いである。夫が妻の辛い苦労を知らんふりして、安閑としているのは倫理的に罪なことで、恥ずかしいというだけではなく、その表面をとりつくろうところなどは、勇気のない馬鹿者というべきである。」
これは福沢諭吉の「新女大学」の一節を拙訳したものである。福沢の人間平等の考えはけっして頭のみから出たものではない。心で言葉を述べている。そうでないと、こういう率直な、具体的な言葉は書けない。いや、福沢が子育てを女性の専従にし、戸外で働くのを男性に限って発想しているのは、やはり時代的な限界だという人もいるだろうか。しかし、そういう角度からばかり見ていては、福沢の偉いところを感じることはできまい。敬愛すべき先人の心で書かれた文章を我々も素直な心で読みたいものである。
これは福沢諭吉の「新女大学」の一節を拙訳したものである。福沢の人間平等の考えはけっして頭のみから出たものではない。心で言葉を述べている。そうでないと、こういう率直な、具体的な言葉は書けない。いや、福沢が子育てを女性の専従にし、戸外で働くのを男性に限って発想しているのは、やはり時代的な限界だという人もいるだろうか。しかし、そういう角度からばかり見ていては、福沢の偉いところを感じることはできまい。敬愛すべき先人の心で書かれた文章を我々も素直な心で読みたいものである。
