多少の問題を残しながらも年内の業務を終え、やっとひと息。
隣のリビングからは娘の笑い声が聞こえる。
一人じゃない平和な大晦日だ。
2019年も今日で終わり。
52年間生きた中でも今年は色んなことが起こり印象的な年になりました。
ここにその2019年の総括として振り返りながら備忘録風に。
2月
アルバム『Blue coffee』完全再現ライブに参加。
馬場さんのアルバムはどれも好きだけど、このアルバムは別格。
馬場さんのやりたい事だけじゃなく、なおかつ売れ筋でわかりやすい。
名曲も数々あり、今でも一番好きなアルバムだ。
自分の好きなアーティストの、自分の最も好きなアルバムをライブで聴ける。
感動したとか、最高とかともちろん言いたいけれど、それを超えて幸せを感じた。
ファン冥利に尽きると言うか、大好きな曲達に抱かれ包まれ至福の時間を過ごせた。
3月
もうすぐ四月となる29日に父が救急車で搬送され入院。
診断の結果、脳梗塞と心筋梗塞の併発で手の施しようがないとの事。
医師からは『会わせたい人がいたら、なるべく急いで。』と言われ弟と共に愕然とした。
人気のない病院に弟と二人きり。会話もなく暗い廊下が永遠に続いているような錯覚をしたのを今も覚えてる。
79歳。内田裕也さんと同い年だったのか。と、ふと思い出した。
5月
父が入院して一ヶ月が経過。
良いのか悪いのかわからないけど、悪いなりに安定していて父は頑張っていた。
最初は娘には報告だけと決めていたけど、お見舞いに来たいか来たくないかは娘が判断すべきだろうと思い8年ぶりに娘に連絡。
喜んでお見舞いには来てくれたけれど、娘はいつの間にか障害者手帳を持つ人になっていて愕然とした。
前回、会ったのは確か娘が高校生の時で、娘も私も何を話せば良いかわからなかった。
でも、8年ぶりの再会を父のお見舞いで果たす事ができて、話すこともできた。
会話に困ることもなく、たくさん話す事があった。
ある日、娘が父に手紙と絵を書いて、お見舞いに来た。
普段、私や弟がお見舞いに行っても無表情が多く反応も薄かった。
でも、この時ばかりは、目を見開いて精一杯の感情表現をしてくれた。
娘にお見舞いに来てもらって良かったな。と言う気持ちと、父が元気なうちに娘と会すべきだったな。
良かったなと言う想いと反省が渦巻き、複雑な心境になった。
ある人が言った「娘との再会は、じっちゃんの置き土産だね。」と。
弟はちょっと違うだろうと言うけれど、私は確かにそうかもと思った。
6月
父が入院中だったけど、そんな中『落書きとマスターピース』に参加。
セットリストが良かったのも、もちろんあるけれど、父の事、娘の事があり今までとは違った響きがあってひたすら感動。
やっぱり馬場さんのライブは心の友だ。
オープニングの映像、『男たちへ 女たちへ』、『勝利の風』はもう最高過ぎた。
7月
頑張ってくれていた父が25日に他界。最後は東京から駆け付けるも見送る事ができなかった。
それはちょっと後悔しているけれど、あのままの状態で生き続けるのは父も辛かったと思う。
これで、良かったと思いたい。
母の時に続き、2回目の喪主。多分、これが最後の喪主。
家族葬で送り、ひっそりとした葬儀。
娘が入院中にお見舞いで書いた手紙と絵を棺の中にいれる際、娘は泣いてた姿が目に焼き付いている。
9月
台風15号が千葉県を直撃し、うちも被災。
幸いにして、停電はなかったけどプレハブが倒壊し、後片付け大変だった。
初めて、自然災害の怖さに直面し、命の危険を感じた。
10月
ブライトンの奇跡以来、ラグビーの大ファンになった私。
ワールドカップにはスタジアムに行って参加したいと思っていたけど、父の事もあり完全に出遅れた。
でも、テレビ観戦やPVでも充分楽しめた。
稲垣選手の初トライ。感動しました。
11月
新国立競技場を眺めながら、『落書きとマスターピース2』に参加。
父の他界と、娘との交流復活で、またまた響き方が違っていて深い感動がありました。
長く聴き続ける事、長く愛し続ける事にはそれなり意味があるし、だからこそ響く事もある。
そう感じたライブだった。
12月
21日に最後のスターウォーズを鑑賞。
終始、涙。涙。特にレイア姫が映るだけで目頭がやばくなる。
最後まで見れた満足感とこれで終わりと言うロス感。複雑な心境に。
本国のアメリカでは、いろいろ賛否があるけれど、私は良かったと思う。
40年以上、世界で愛されたスターウォーズを終わらせる。
そんなプレッシャーのかかる仕事を、JJは代打で引き受けた。
あの物語をとてもうまく着地させたと思う。
誰が監督しても文句は出るよ。ルーカスがやったとしても。
今年は今日で終わる。
今年は父の他界や連続台風の被災で、例年よりも「ありがとう」と沢山言った気がします。
お礼を言うという事は、たくさんお世話になった証。
それは支えてもらった証とも言える。
父が他界したけれど、支えられているし、一人じゃないと実感した年でもありました。
後、大きな出会いもありました。
別れがあれば、出会いもある。よく言われる事だけど本当にそうだなと。
別れや出会いを通じて、世界が違って見えてきて、全てを大事にしたい。守りたいと思っています。
来年も向かい風は吹く。
でも、いつまでもそれに立ち向かう冒険者でありたい。
今年は本当にお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
皆様、良いお年を。
隣のリビングからは娘の笑い声が聞こえる。
一人じゃない平和な大晦日だ。
2019年も今日で終わり。
52年間生きた中でも今年は色んなことが起こり印象的な年になりました。
ここにその2019年の総括として振り返りながら備忘録風に。
2月
アルバム『Blue coffee』完全再現ライブに参加。
馬場さんのアルバムはどれも好きだけど、このアルバムは別格。
馬場さんのやりたい事だけじゃなく、なおかつ売れ筋でわかりやすい。
名曲も数々あり、今でも一番好きなアルバムだ。
自分の好きなアーティストの、自分の最も好きなアルバムをライブで聴ける。
感動したとか、最高とかともちろん言いたいけれど、それを超えて幸せを感じた。
ファン冥利に尽きると言うか、大好きな曲達に抱かれ包まれ至福の時間を過ごせた。
3月
もうすぐ四月となる29日に父が救急車で搬送され入院。
診断の結果、脳梗塞と心筋梗塞の併発で手の施しようがないとの事。
医師からは『会わせたい人がいたら、なるべく急いで。』と言われ弟と共に愕然とした。
人気のない病院に弟と二人きり。会話もなく暗い廊下が永遠に続いているような錯覚をしたのを今も覚えてる。
79歳。内田裕也さんと同い年だったのか。と、ふと思い出した。
5月
父が入院して一ヶ月が経過。
良いのか悪いのかわからないけど、悪いなりに安定していて父は頑張っていた。
最初は娘には報告だけと決めていたけど、お見舞いに来たいか来たくないかは娘が判断すべきだろうと思い8年ぶりに娘に連絡。
喜んでお見舞いには来てくれたけれど、娘はいつの間にか障害者手帳を持つ人になっていて愕然とした。
前回、会ったのは確か娘が高校生の時で、娘も私も何を話せば良いかわからなかった。
でも、8年ぶりの再会を父のお見舞いで果たす事ができて、話すこともできた。
会話に困ることもなく、たくさん話す事があった。
ある日、娘が父に手紙と絵を書いて、お見舞いに来た。
普段、私や弟がお見舞いに行っても無表情が多く反応も薄かった。
でも、この時ばかりは、目を見開いて精一杯の感情表現をしてくれた。
娘にお見舞いに来てもらって良かったな。と言う気持ちと、父が元気なうちに娘と会すべきだったな。
良かったなと言う想いと反省が渦巻き、複雑な心境になった。
ある人が言った「娘との再会は、じっちゃんの置き土産だね。」と。
弟はちょっと違うだろうと言うけれど、私は確かにそうかもと思った。
6月
父が入院中だったけど、そんな中『落書きとマスターピース』に参加。
セットリストが良かったのも、もちろんあるけれど、父の事、娘の事があり今までとは違った響きがあってひたすら感動。
やっぱり馬場さんのライブは心の友だ。
オープニングの映像、『男たちへ 女たちへ』、『勝利の風』はもう最高過ぎた。
7月
頑張ってくれていた父が25日に他界。最後は東京から駆け付けるも見送る事ができなかった。
それはちょっと後悔しているけれど、あのままの状態で生き続けるのは父も辛かったと思う。
これで、良かったと思いたい。
母の時に続き、2回目の喪主。多分、これが最後の喪主。
家族葬で送り、ひっそりとした葬儀。
娘が入院中にお見舞いで書いた手紙と絵を棺の中にいれる際、娘は泣いてた姿が目に焼き付いている。
9月
台風15号が千葉県を直撃し、うちも被災。
幸いにして、停電はなかったけどプレハブが倒壊し、後片付け大変だった。
初めて、自然災害の怖さに直面し、命の危険を感じた。
10月
ブライトンの奇跡以来、ラグビーの大ファンになった私。
ワールドカップにはスタジアムに行って参加したいと思っていたけど、父の事もあり完全に出遅れた。
でも、テレビ観戦やPVでも充分楽しめた。
稲垣選手の初トライ。感動しました。
11月
新国立競技場を眺めながら、『落書きとマスターピース2』に参加。
父の他界と、娘との交流復活で、またまた響き方が違っていて深い感動がありました。
長く聴き続ける事、長く愛し続ける事にはそれなり意味があるし、だからこそ響く事もある。
そう感じたライブだった。
12月
21日に最後のスターウォーズを鑑賞。
終始、涙。涙。特にレイア姫が映るだけで目頭がやばくなる。
最後まで見れた満足感とこれで終わりと言うロス感。複雑な心境に。
本国のアメリカでは、いろいろ賛否があるけれど、私は良かったと思う。
40年以上、世界で愛されたスターウォーズを終わらせる。
そんなプレッシャーのかかる仕事を、JJは代打で引き受けた。
あの物語をとてもうまく着地させたと思う。
誰が監督しても文句は出るよ。ルーカスがやったとしても。
今年は今日で終わる。
今年は父の他界や連続台風の被災で、例年よりも「ありがとう」と沢山言った気がします。
お礼を言うという事は、たくさんお世話になった証。
それは支えてもらった証とも言える。
父が他界したけれど、支えられているし、一人じゃないと実感した年でもありました。
後、大きな出会いもありました。
別れがあれば、出会いもある。よく言われる事だけど本当にそうだなと。
別れや出会いを通じて、世界が違って見えてきて、全てを大事にしたい。守りたいと思っています。
来年も向かい風は吹く。
でも、いつまでもそれに立ち向かう冒険者でありたい。
今年は本当にお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
皆様、良いお年を。