Cabaret BAHIA

熊本市上通りと並木坂の境から坊主通りに入った、 昔の旅籠を改装したカバレ「BAHIA」をご紹介 します。 熊本市上通町10-6-2F phone (096)323-8061

September 22, 2018

銀の画鋲 続編 舞台の下手(しもて)第14章 最終章

手紙








「カトリーヌからブリクセン氏への手紙」

私が思い出したことで、全ての謎が解けました。
少しずつ思い出し、母さんの日記を読んだ時に全てを思い出しました。それをここに記すことにします。

まず、「囁き森」から聞える私の母さんの歌は、アンジェと同一人物であった母さんの祈りの歌です。貴方は気づいていらっしゃったと思っています。
そして私はガブリエル氏の娘で、チャーリーは私の3歳上の兄です。兄のチャーリーは凶暴な天才でした。そして私は千里眼です。魔女として裁かれるべきは母さんではなく私でした。それもご存知ですよね。
母さんの祈りの歌は死期の迫ったガブリエル氏、そう、私の父さんに向けての歌でした。愛し合いながらも添い遂げられなかった父さんに向けての歌でした。
家事室でうっとりと歌声に聞き入る父さんの姿を見ても、私はまだ思い出しませんでした。あの時の父さんの横顔は美しくて、じっと見つめることができなかったほどです。

母さんは語りかけていたのです。郷愁と愛を。父さんに。
この手紙が貴方のもとに届いたときには私は、どこにも存在しません。「囁き森」にあの黒猫リュシアンと供に居ます。やらなければならないことがあるのです。

「囁き森」は記憶の結晶の森なのです。私はまだ入ったことがないけど、分かるのです。馬のヒズメの結晶、星の結晶、月の雫、涙、笑顔、怒り、憎しみ、慈しみ、この世の全ての木々の結晶、そして葉脈、雨、吹き渡る風の結晶、過ぎていくはずの時の結晶。貴方の忘れられない、ツグミが嫌いなお方の髪や指先の結晶。大好きだった人の癖も、声も体温も結晶となって美しく輝いています。

もうこの世に存在しない人たちの様々な記憶、それらが全て愛という形に昇華され「囁き森」の中に在ります。殊に、悲しみの結晶ほど美しいものはないのです。

私が父さんへ「囁き森への招待状」を送ったのは、ただただ母さんと会わせてあげたかったからです。父さんが病に冒されることは私には見えていました。大陸からこの島に来るときのことです。その手紙は当時から父さんの秘書をやっていたマダム・ガートルードに託しました。

最初にお屋敷に行ったとき、彼女に見張られている気がしていました。私はとても違和感をかんじていましたが、全てを思い出した今、マダム・ガートルードには感謝しています。見張っているのではなくて、私のことを知っていらして見守って下さっていたのです。
どうかカトリーヌから感謝をと、お伝えください。
それから、庭師のアイザックさんはガードルードさんのことお好きです。これもきちんとお伝えください。とても無垢なお気持ちでお好きだということを。
それからフォンテーヌブローにも、元気でとお伝えください。カトリーヌは貴女のことが好きだったということも。
どうぞお伝えください。

ブリクセン様、貴方の寡黙さと思慮深さに感謝しています。
知らないふりをしていてくださってありがとう。
さようなら。   

               

                  カトリーヌ・イリヤ





「カトリーヌからピエールへ託された手紙」



ピエール、私がいなくなってからこの手紙をワルツさんに読んであげてね。
貴方はすでに知っているけどあえて言います。
ワルツさんは字が読めない人なの。どうかゆっくり読んであげて。

ワルツさん、私は大変なことを長い間忘れていました。お屋敷であった奇妙な出来事が私の記憶をよみがえらせてしまったの。それに長い間、封印していた母さんの日記を読んで、全ての謎が解けたのです。

私はガブリエル氏の娘です。早くに亡くなったチャーリーは私の3才上の兄さん。兄さんは、素晴らしい能力をもっていたけど、一方で暴力的だった。私につらくあたり私を殴っていたの。それを知った母さんは父であったガブリエル氏のいない時に私だけを連れて家を出たのです。行き先も告げずに。

母さんの日記に書いてあったけれど、私も奇妙な子でした。そう、私こそが魔女の烙印をおされるべきだった。予見をしていたのは私だったの。母は私を守るために目立たない場所で私を育てる必要があったのです。救貧院で働いたのもそのためだった。
あの場所は生きていくのに精一杯の子供たちが沢山いて、その中に私がいても目立たないと思ったのでしょう。もともと子供は変なことを言い出すものだから。

ある日、私は兄のチャーリーの死を予見し、母は自分の息子の死に対して涙を流していた。私は悲しくなかった。その時のことは、はっきりと思い出すことが出来る。
チャーリーは長くは生きられない、いいえ、生きてはいけない人だった。自分でも抑制できない狂気をもっていたから。

ガブリエル氏に向けての囁き森への招待状は、私がガードルートさんに頼んでチャーリーの部屋に置いてもらったもの。いずれこの「月の光に照らされた島」に私と母さんが移り住むのは予見していたし、囁き森の存在も7歳の私には分かっていた。囁き森がどんなものか、そこで何が起こっているのかも知っていた。なぜなら、アンジェこそが母さんだったから。もちろん、母さんは何も言わない。でも、私は母さんから生まれ、忌まわしい能力をもっていたから、ありありとその風景も見えていた。
思い出したのは、最近のことだけどね。

私が、父さんのガブリエル氏に「囁き森への招待状」を残したのは、ただたんに母さんに会わせてあげたかったから。
父さんは母さんを、母さんは父さんを愛していたから。ただ、父さんは私を恐れているふしがあったの。私の能力を知っていたし、兄さんのチャーリーは狂人めいていたから。
父さんは父さんで大変な苦しみを長いこと味わっていたのです。
私が、それらのことを忘れていたのは全ては母さんの祈りが「囁き森」に届いていたから。マダム・ガードルートだけは、私と母さんの居場所も知っていて、何かあるごとに救貧院に会いに来てくれていたのよ。籠一杯の林檎やパンをもって会いに来てくれていた。
それも最近思い出したこと。

母さんの祈りは歌だった。ワルツさんと私が囁き森の入り口で聞いたあの歌だった。
あの時、私は全てを思い出したの。
「囁き森」は記憶と祈りの結晶世界なんだよ、ワルツさん。
島に残されている伝説とは大違いの素晴らしい世界。ただ、「囁き森」に入ると記憶と祈りに絡めとられて、体が存在できなくなる。母さんだけが生きた人間としてあの森を出られたのは、どうしてなのか全く母さんにもわからないって日記に書いてあった。
母さんとアンジェの声だとワルツさんは歌を聞いて言ったけれど、どうしてアンジエだった母さんが生きたままの姿であの森から帰って来れたのか、私はわかるような気がする。
そして大陸の牢屋で死んだ母さんは、アンジェとして囁き森に再び戻されたの。「囁き森」の恩寵を受けるに価する人だったから。

そして、私とワルツさんとルルを会わせる目的は、ワルツさんの哀しみの記憶を結晶世界からワルツさんの体に戻すためだった。
ワルツさんの慟哭に近い深い哀しみは囁き森に今あります。
でも、そのままの形ではない。完全に愛という形に昇華されているのよ。だからこそ、受け取ってちょうだい。

「囁き森」が私を呼んでいる。リュシアンが私を呼ぶの。私もルルに会いたい。だってルルは私の片割れだから。私はずっとこの時を待っていたの。それに、私はワルツさんを幸せにしなきゃならない。それは私にしかできない。
ワルツさんはアンジェだった母さんを、命がけでかばってくれたんですもの。10年ぶりに囁き森から帰ってきたアンジェだった母さんは島の人から忌み嫌われて、絶望した母さんは夜の海に入った。その時、助けてくれたのはワルツさんだった。そして言ってくれた。
「生きろ。生きるんだ。負けるな。負けてたまるか。こんちきしょう、だ」
母さんの日記でそれを私は知って、私は泣いた。温かい涙が後から後からあふれてきたよ、ワルツさん。ありがとう。全てのことをありがとう。

もう、私、行かなくちゃならない。
キッチンとキャビネットの中身や置き場所なんかはピエールに言ってあります。
なんでもピエールに頼ってかまわないのよ。だって、ワルツさんは爺さんなんだから。

次の満月の夜、きっと、窓が凍るくらい寒い夜。
ピエールと一緒に暖炉の前にいてちょうだい。「囁き森」から、ワルツさんへの
届け物をワルツさんに届けます。必ず感じるはずです。

カトリーヌは幸せでした。ワルツさん、ありがとう。そして、さようなら。

                  
                                  孤児のカトリーヌより




「エピローグ}

冬になる少し前に稲穂は命を結ぶ
冬になる少し前の風はわたしを連れてこない
歩いても歩いても届くことのないあの場所から
いくどとなく流した涙が対岸を結んだあの場所から
わたしは二度と戻らない
    
引き裂かれた遠い空 その雷鳴
あなたはしあわせにしていますか
左に少しかしいだ私の首に
雨があたり雪がそよぎ、風が撫で,
いつか、その鎖骨からひとつの花が咲くようにと
祈ることをやめなかったあなたは
しあわせにしていますか



「FIN」
               

R,Tへ              

智佳子サガン
     
      2018 9 22        

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September 20, 2018

10月のライブスケジュールです。どうぞご覧ください。

ピアノ





10月6日(土)
オープンステージ

ホストピアニスト 智佳子サガン
ホストボーカリスト  錦戸里佳

一曲ワンコインです。
譜面をお持ちください。ジャンルは問いません。
キーもエニーキーで引きます。

スタート 19時半より
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10月12日(金
村上明子ライブ
ピアノ 智佳子サガン

スタート 19時15分より
MC 2000円
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10月13日(土)
西野勲 ニューカントリー

スタート 20時半より
MC 1000円
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10月19日(金)
豊田隆博ソロピアノ

スタート 20時半より
MC 2000円
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10月20日(土)
「ONCE UPON A TIME」
宮里コウゾウ(VO、GT)
渡辺ケンタロウ(GT)
渡久山ヒロシ(PF)

MC 2000円  スタート20時より
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10月21日(日)
「旅姿八人衆」
企画 Dr、Joe
熊本の男性ボーカリスト4人と女性ボーカリスト4人が満を持して歌います。。
ソロありディオありの秋の夜長。
八人が未来に向けて競演します。
名付けて 「旅姿八人衆」

19時よりスタート  MC2000円 ワンドリンク込
ピアニストに園田智子さんを迎えて
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10月25日(木)
高杉稔ライブ
ピアニスト  智佳子サガン
ゲスト     甲斐裕美子

20時スタート
MC 2000円
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10月26日(金)
RAIN DOG
丸尾将生(VO,GT)
森崎俊 (GT)

20時スタート
MC2500円
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10月28日(日)
大須賀秀樹コンサート

20時よりスタート
MC 3000円
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10月30日(火)
ブリザド ブラジル
鮫島直美(VO)
ぺぺ伊藤(GT)

20時スタート
MC3000円



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September 14, 2018

銀の画鋲 続編 舞台の下手(しもて)13章

カトリーヌ mono




      舞台の下手(しもて)第13章





イロンデイル氏の葬儀が行われる教会の中には深い喪失感とともに安らぎと呼べものがあった。
永い間、人の手によって触られ続けた木の手すりのぬめりのある艶と冷たさ、整然と並べられた燭台の橙色の温かさ。牧師様が唱える聖書の言葉の音節。
それは、冬の木立と肩を並べる忘却の、その静観に似ていて、参列者をそれぞれの沈黙で覆った。

この日の葬儀に異議を口にしたドクターリヒテルの顔の上にも、その恩寵と呼ぶべきものが降りていた。あくまでも穏やかな顔で彼は祭壇を眺めていた。
ガートルード・サリヴァンは襟のつまった黒の喪服に身を包み、黒のレースで顔を覆っていた。しかし、彼女の深い悲しみは一糸まとわぬ姿でそこに在り、ウイリアム・ブリクセン氏もまた同様であった。彼はどこにも焦点が合っていない目で何処かの一点を見つめていた。

ガブリエル氏は、祭壇の前に置かれた柩の中で私とジェーンが集めてきた花に囲まれて眠っていた。花の名はコテ・ジャルダンだと庭師のアイザックじいさんから教えてもらった。
コテ・ジャルダンは煎じれば毒薬になり、切花のうちはジャスミンに似た香りを放つ伝説上の草花で、アイザック・コワレが青年期を過ごした大陸の最北の土地にはこの花にまつわる様々な妖精伝説とも呼べるものが残されているという。コテ・ジャルダンの花冠のティアラをつけた妖精を見たものは不老不死を授かり、この花びらが人間の涙で濡れると、たちまち空は真っ黒な雲に覆われ稲妻の光に森が焼かれるとか。
まあ、モノは使いようだということだなとアイザック・コワレは筋違いのことを自分の手柄のように誇らしげに言い、ジェーンさんはそうだわねと微笑んだ。

コテ・ジャルダンとは舞台の下手という意味だ。

−波乱の人生を生きた彼にふさわしい花ですね−ブリクセン氏はそう言った。
「月の光に照らされた島」でのショーを舞台の下手でガブリエル氏は見ることになるのだろう。上演途中で登場人物から外された彼の席は舞台の下手に用意された。さしずめショーの語り部はウイリアム・ブリクセン氏ということだろうか。
いや、この私、カトリーヌ・イリヤになるはずだ。

ムッシュワルツとイワン夫妻は祭壇から六番目の席に並んで腰掛け、三人とも同様に目を閉じている。私の席からは、ムッシュワルツの横顔がはっきりと見えた。鼻梁の高い、顔のわりには大きめの鼻。白くなった睫毛に伸び放題の白いヒゲ。グレイの髪が少し長すぎる。
今夜、少し切ってあげるよと、私が言うと、じいさんは寒いから春がくるまではこのままがいいと言うだろう。

「カトリーヌ、もうすぐだね」
私の耳元でルルの声がした。始めて聞くあの黒猫の言葉として。
(ルル、そうね。もうすぐだわね)
私は心の中でルルに答えた。

            


その日の夕食は、静かなものだった。ある時間が食卓に宿ったまま、ワルツさんとピエールと私は、宿ったそれを眺めながら食事をした。
食事が終わるとワルツさんは小さく伸びをして、椅子からゆっくり立ち上がりウオッカの瓶を持ってよろよろと寝室に向かった。
「おやすみ、ワルツさん」
私とピエールは同時に言い、ワルツさんは背中を見せながら左手をぶらぶら振った。

凍った窓ガラスに暖炉の灯りが映っていた。
「ねえ、カトリーヌ、もう僕に隠さないで」
私は無言でピエールをじっと見た。

「君には僕の正体が分かっていた。そうでしょ。カトリーヌ」
「ええ、わかっていたわよ。貴方がなぜここに住まなければならないか、その理由まで、分かっていたわよ。」
「それに貴方も私と同じだっていう事までもね」
「貴方は私を引き止めるためにここに来た。それに私は貴方を知っている。だって同じ救貧院で育ったのだもの。」
ピエールは短いため息をつき、伸びきった髪を手でくしゃくしゃにして、それから恋を失った若者のように下を向いた。

ピエールは私より少し遅れて救貧院に入って来た。私よりも1つ年上のピエールは私よりも痩せていて背丈は私の肩くらいまでしかなかった。
彼は一人ぼっちで道端で生活していたところを保護され、救貧院に連れて来られた。
その頃の名前はダニエル。姓はわからない。そして半年もすると里親に引き取られていった。

そのダニエルの父親となる人は働き者だった。なぜって、私の頬を撫でてくれた時にその手の平は厚ぼったく指はふしくれだっていたから。
里親に両手をひかれ、救貧院を出て行くダニエルの後姿を見送りながら私の母さんが、ダニエルはきっと幸せになるって嬉しそうに言っていた。私がそのことを思い出したのは、彼の目をじっと見たときだった。本屋に初めて訪れたマダムガードルートとブリュクセン氏にリュシアンと母さんのことを話していた時だ。

人の目の奥に潜むものは、隠せない。目に宿るものがある者は幸いだとは聖書には書いていないけれど、私はそう思う。目に宿るもの。それはその人の影だ。そして隠された希望だ。
ピエールの瞳には、ダニエルだった時と同じ希望が見えた。

「僕は人の心が読めるんだ」
ピエールは勇気がある。肩が少し震えていた。搾り出すようなピエールの声。
「いいの、わかっているから」
「そして、カトリーヌ、君には予見する力がある」
私は答えるかわりに、暖炉に無言で薪をくべた。

止めても無駄よ、と私はピエールに言った。
わかっているとピエールは答えた。
凍った窓ガラスに暖炉の灯りが映っていた。

ピエールの里親はピエールを自分の子供のように可愛がり、育ててくれたそうだ。だけど、ピエールを引き取って5年も経たないうちに二人とも流行り病でこの世を去った。再び、孤児になったピエールは大陸を転々としてパリでコランに会い、この本屋の事を知り、その頃、ミルクの配達人だった私の事も知ったのだという。
コランの話を聞いている時、何故か私が救貧院のカトリーヌだと分かり、私の運命が見通せたのだという。
まるで、目の前で繰り広げられる紙芝居のようにみえた、とピエールは低い声で言った。

「君の母さんは、僕にとても優しかった」
「そして、君も僕にとても優しかった」
だから、僕は君達のことは一生忘れないぞって、救貧院を出て行くとき心に誓ったんだ。

私は泣きたくなった。
嬉しくて、嬉しくて泣きたくなった。
でも、そのかわりに、心からのありがとうを、胸の中で言った。
「それは僕のせりふだよ、カトリーヌ」
「それから、リュシアンによろしく言ってくれ」
とピエールは肩をすくめた。

私の友達、黒猫リュシアン。
黒い森のその奥にある「囁き森」に消えた美しい黒猫。
私は長い間、彼を探し求めていた。大きな隔たりを感じながら彼の姿を探し続けた。
でももうすぐ会える。
私の目にも希望が宿っているに違いない。


    14章は来週続く  FINです

   智佳子サガン  










bahia1958 at 15:47|PermalinkComments(0)

September 06, 2018

銀の画鋲 続編 舞台の下手(しもて)第12章

pina



    舞台の下手(しもて)第12章



ガブリエル氏の葬儀のための準備は、マダムガードルードの指示通りに進められた。

私とジェーンが言いつかったのは、柩を埋めるための花を集めてくること。
あいにくこの季節、この島には咲くべき花がとても少ない。屋敷の庭にも花はほとんどない。
神聖さを感じさせる白い薔薇など島中どこを探してもないだろう。

−花びらがついている植物なら草花でも野の花でもいいのです。旦那様が寂しくないようにたくさんのお花を飾ってあげたいのです−
マダムからフードのついた厚手のマントを着せられた私たちは大きな花籠をふたつ持って屋敷を出た。

「カトリーヌ、綺麗なお花を集めたら、旦那様が喜んでくださるわよね。きっと」ジェーンは、きりりとした声と澄んだ表情で前を向き、私に言った。
「まず島の人たちの家を訪ねてみましょう。わけを話せばきっと譲ってくださいます」
「どこかのお家に咲いている花があればいいんだけど。でも、カトリーヌと一緒ならなんとかなりそうな気がするわ」ジェーン・フォンテーヌブローは、隣の私の手を取った。

最初に扉を叩いたのは仕立て屋のミゲルの家だった。ミゲル・ウスカスは肉屋の奥さんのジョバンナからお屋敷の訃報を聞いていたらしい。柩に入れる花を探している事を伝えたが、庭に花はひとつも咲いていないということを気の毒そうな顔で答えた。次に錠前やのホルヘ・タリエルの扉を叩いた。庭に1本のユリに似た花が咲いていると言ってタリエル家の娘さんが摘み取ってくれたが、その巨大な山百合はあまりに毒々しい赤の花びらと汚物に似た黄色の花弁を持っていて、ジェーン・フォンテーヌブローはあからさまに嫌な顔をして、タリエル家の娘さんの気分をそこねた。
「このお花は柩の中にいれられないわ。まるで地獄に咲く花みたい」

陽が傾き始めていた。
一年に1度、10月の最後の日の日没前に不意に訪れる一瞬の青い薄闇がじきにこの島に訪れる。「月の光に照らされた島」にしかない現象だ。秋から冬にかけての青い薄闇の美しさはどんな詩人や画家でも表現できないであろうと言われている。
「青の時間をお屋敷の外で過ごす羽目になりそうね、カトリーヌ」私は黙ってなにも答えなかった。
「どうしたの。カトリーヌ、そんな浮かない顔をして」

−ジェーン、私にはもうあんまり時間がないのです−思わずそう言いかけて、そのことは私を驚かせた。私は下唇をかんでまた口をつぐむ。
「野生の花でも、案外旦那様は喜んでくださるかもしれないわ、カトリーヌ」ジェーンは口がどんどん重くなってきた私を気遣っている。

青い闇のはじまりは、寄る辺ない天の落し子だ。足元にすり寄って青い目をして私をジェーンさんを見上げるが、すぐにそれにも飽きるにちがいなく、島の奥へと触手を伸ばす。そのうち、青い闇の中に不意にすっぽりと落とされるであろう私たち。
瞳も髪も爪も、そして息さえも深い青に染まると、槍の形をした蒼白な悲しみが体の芯を貫く。

私から奪われたもの全てと、私がこの手で奪い取ったもの。
私は身構え、薄闇に目をじっとこらした。
「カトリーヌ、島の人たちからもらったお花と草花でやっとこれだけ。とても足りない。旦那さまの柩をこれじゃ埋めれない」
雑貨商を営むマリエス家から借りてきたランプの灯を見つめながら、ジェーンは独り言のように呟いた。
「黒い森にはもっと草花があるかもしれない、カトリーヌ行ってみよう」
曇りのないジェーン・フォンテーヌブローの横顔。私はこの人のことをとても好きだったことに気づいた。
「カトリーヌ、そのかわりと言っちゃあなんだけど、ずっと手を握っていてくれないかしら。そしたら、私、どんな怪物に会っても平気よ」
「ジェーン、黒い森には怪物などいません。ただ、足元に気を付けないと転んでしまいます」
ジェーンは自分が持っていたランプを私に差し出し、肩をすくめて少し笑った。

夜、この時間に黒い森に足を踏み入れるのは初めてのこと。
誰かに後ろから押されているように、自分のからだを軽く感じた。両の踵に馬車の車輪がついている。まるで、そうだった。黒い森での目的を忘れるほどに。
どれだけ奥に分けいったのだろう。ある時、足がすくんで、私たちは一歩も前へ進めなくなった。

「変だわ、カトリーヌ。私たち、まるでここに連れてこられたみたい」
私は新呼吸をした。ここから囁き森の入口が見える。乾いた風がジェーンの柔らかい耳たぶをリリリと響かせた。
「何か言ってよ、カトリーヌ。黙っていると怖いじゃないの」
黙ったまま私は足元をランプの光でグルリと照らした。息を呑んだジェーンは、私の手から手をはずし小さな歓声を上げた。
麦の穂に似た白い花冠をつけた見知らぬ花が私たちの足元に群生していた。首をかすかに傾げたような花冠。腕のように花冠に絡まる細い蔦。大陸で見たことのある大道芸の踊り子の立ち姿を思い出した。
「なんて、可愛らしい」
「待って、ジェーン、触らないで」
この花を私は夢で見た。毒があるから気をつけてというだれかの声で私は目を覚ましたことがある。その声は自分だとピエール・デュデュは言っていたが。
「カトリーヌ、いい香りがするわよ。ほら」
気がつくとジェーン・フォンテーヌブローは花を手折り、自分の鼻先に近づけてうっとりとした表情を浮かべていた。私はとっさにジェーンの手から花を奪い、足元に捨てた。
「カトリーヌ、どうしたの?そんなに怒って」
「怒ってなどいません。もし、毒の花だったらと思っただけです」
「毒の花なんかじゃないわよ。」
「どうして、あなたにわかるのですか」
「さっき、きれいな柄の蝶蝶がお花に止まっていたわよ」
ジェーンは屈託のない笑顔を私に見せた。


翌朝。
綺麗な朝。
海の方角から吹いてくる風と天から降ってくる光は冬の匂いを身にまとい銀色に光っていた。窓を叩く冬の細い指先を見てムッシュワルツは目を細めながら、毛玉の浮いたグレイのカーディガンの襟元をかきあわせた。今夜から寒くなりそうだ。
葬儀が終わったあとで、ピエールに暖炉にくべる薪を用意するように頼まなければならない。ピエールは柩を教会に運ぶため一足先にお屋敷に出かけていた。
知りたがりでお喋りのピエール・デュデュ。でも彼はコランの言ったとおりムッシュワルツを助けてくれるだろう。

「じいさん、結晶世界って知ってる?」  
私の問いかけにワルツさんは、欠伸を途中でやめた。
「ああ、聞いたことはあるが」
充血した目をこすりながら、ワルツさんはミルクカップに手を伸ばした。
「あのね、囁き森って結晶世界なんだよ」
「囁き森が?」
「そう」
「どうしてお前がそんなことを」
ムッシュワルツの言葉を私はさえぎった。
「じいさん、私、実はずっと前から知ってたのに、忘れていたんだ」
−忘れないと生きていけないから、忘れていたの−
そう言いかけた時、本屋の扉がぎいっと大きな音を立てた。私ではなくムッシュワルツがその音に驚き、椅子から立ち上がった。訪問者はウイリアム・ブリクセン氏だった。彼は少し照れたような顔でムッシュワルツに昨日はどうもと軽く頭を下げた。
「カトリーヌに話があって伺いました。突然もうしわけありません。」
ブリクセン氏は大切な友人を亡くしたばかりだ。目元に深い影を宿している。

「私はもうじき教会に行かなくてはなりません」私は答えた。
ムッシュワルツは関心なさそうに欠伸をまた噛み殺している。
「では、マドモアゼル。教会までご一緒しませんか」

ムッシュワルツを残して私はブリクセン氏と本屋をあとにした。
空は青い。最果ての、遥かな青さだ。私とブリクセン氏は並んだまま空をしばらく眺めていた。
「カトリーヌ、」
「はい。」
「僕があなたに預けたチャーリーに届いたという囁き森からの招待状を返していただきたいのです」
ブリクセン氏の私を見る眼差しに私に対する恐れと、気遣いが見て取れた。

−大丈夫です、傷ついたりしません、誰も傷つけたりしません−
その言葉の代わりに私はスカートのポケットから一枚の紙切れを無言で出し、一言付け加えた。
「これは、私が旦那様あてに書いたものです」

朽ちた葉っぱ色の風が私とブリクセン氏の間にそっととどまっては、流れていくブリクセン氏は、うなずき少し微笑み、さあ、歩きましょう、カトリーヌと言って私の腕を取った。そして、まだ謎は残されていると、誰にともなく言った。



      来週第13章へとつづく
      智佳子サガン

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September 01, 2018

銀の画鋲 続編 舞台の下手(しもて)第10章 第11章

カトリーヌ color



         
      舞台の下手(しもて)
        第10章



この年の夏については殊更なにも書く事はない。

風がめくっていく夏のページは白い。うたかたの夢に膿んだ虫さながら日々は過ぎ、私はいつものように一週間のうち三回イロンデイルの屋敷に仕事に出かけ、ムッシュワルツはのんびりと本屋で過ごし、ピエール・デュデュは本屋の家計を助けるために週に二度アイザックじいさんの庭仕事の助手をはじめた。
ガブリエル氏の容態は小康状態を保っていた。奥様は相も変わらずガブリエル氏の後をいそいそとついて回いる。変化があったとすれば、家事室に聴こえてくる歌声がある日を境にぴたりと止んだことぐらいだ。だけど、謎を解く糸を何本も私はうっすらこの指に絡ませていた。

          

        第11章

ガブリエル・B・イロンデイル氏が天に召された。      

秋の風が島に吹き渡り、手が届きそうなほどの青い空の下で。イロンデイル氏が亡くなったのは、その美しい季節の中でも一番美しい日だとこの島で言われる10月最後の日だった。
前日の夜に突然胸の痛みをを訴えそのまま意識を失くし、翌朝、息を引き取ったのだった。イロンデイル氏を看取ったのはマダムガートルードとブリクセン氏とドクターリヒテル。奥様のメリンダ・イロンデイルはその前々日から従兄弟の結婚式に主席するためにカーラ・グリーンをお供に大陸へ渡っていた。帰りは10日後だとマダムガートルードがブリクセン氏に話していた。
奥様に知らせる手立てがないまま、ガブリエル氏の葬儀は翌日に行われるという。

「カトリーヌ、しばらく貴方にお願いする仕事が増えますが、気丈にこなしてくれますか」
ガートルード・サリヴァンの目の奥底に隠れている悲しみ。声は、重く軋んで部屋の中の冷たい空気を震わせた。
「はい、そのつもりです。なんでも申し付けてください」
メイドのジェーン・フォンテーヌブローは泣きはらした目をしていたが、マダムガートルードが改めて私に言った言葉に背筋をピンと伸ばして、私にも申し付けください、と小さな声で言った。

「カトリーヌ、ジェーン、ありがとう」
ガートルード・サリヴァンは柩を安置してある客間を振り返り、深いため息のような深呼吸を何度か繰り返し、私とジェーンに向き直った。
「奥様がお留守なので、私たち3人で旦那様のお支度をしなければなりません。旦那様の背広とシャツとネクタイをわたくしが選んできますからあなたたちは、旦那様がいらっしゃる寝室で待っていてください」
「それから、ピエールとムッシュアイザックに柩を寝室に運んでくれるように伝えてください。カトリーヌ」

庭に出ると、私の顔を見て、ピエール・デュデュとアイザック・コワレが帽子をとって胸に抱いた。
「カトリーヌ、旦那さまは苦しまなかった。」庭師のアイザックはその沈痛な面持ちとは裏腹な大きなしゃがれ声で私にそう言った。
「うん、アイザックじいさんがそう言うのならきっとそうだわ」
なぜかピエールの顔が見れなくて、私は下を向いたままそう答えた。

ガブリエル氏の最後の支度は無言で始まった。
ガートルード・サリヴァンは床にひざまづき、旦那様の顔に自分の顔をぐっと近づけて、
旦那様のまだらに伸びたヒゲを小さなハサミで切り揃えた。私とジェーンは旦那様の寝巻きを脱がせなければならない。ジェーン・フォンテーヌブローの指は震えながら、旦那様の胸元のボタンを外し始めた。私は旦那様の腰をつかまえて寝巻きのズボンを脱がせにかかった。旦那様の体はまだ柔らかい。まるで眠っている人のよう。

マダムガートルードの選んだシャツは前みごろに小さなピンタックが施された小さめの襟の木綿の真っ白のシャツに微かに光沢のある黒の背広だった。それに深い灰色に深紅のバラの刺繍がなされたネクタイ。それは威厳のある風貌のガブリエル氏に似つかわしい装いだった。最後にガブリエル氏が肌身離さず身につけていた懐中時計が彼の右手のすぐそばに、本を読むときに愛用していた縁取りのない小さなメガネが左の胸ポケ
ットに添えられた。
気がつくとブリクセン氏がジェーンの隣に立っていて、マダムガートルードの背中に自身の影を映していた。
「マダムガートルード、牧師様がいらっしゃいました」
「わかりました。」
ガートルード・サリヴァンはガブリエル氏の左右の手の指を祈りの手に組み直し終えると、自分の手でそれを包み、顔を故人の胸の上に伏せ、しばらくの間、動かなかった。

ピエールから訃報をきいたムッシュワルツと肉屋のイワン・オルコットがお屋敷に駆けつけたのはその日の午後の遅い時間。ブリクセン氏が出迎えるとムッシュワルツは静かな面持ちで頭を深々と下げた。この屋敷と関わりがあったのはこの島では、ドクターリヒテルとイワン・オルコットとムッシュワルツ、そして教会の牧師さんだけだった。だから、参列者はお屋敷で働いている私たち6人と客人のブリクセン氏をいれて10人。
島の住人が何人か参列するにしても20人には満たないだろう。

そのことに懸念を抱くものは誰もいなかったが、奥様が留守中に葬儀を済ませるということに対して、ドクターリヒテルがマダムガートルードに異議を柔らかく口にした。
「先生のおっしゃりたいことはよくわかりますが、奥様がお帰りになるのは10日後なのです。その日まで、旦那様をあのままにしておくことの方がお可哀想です」
マダムガートルードは、いつものように決然とした口調で言った。
というよりも言い放ったという感じだった。
「ある薬があるのです。ご遺体が傷まないようにするための薬で、それを使えば2週間は変化がないと言われています」
「私がこんなことを申し上げるのは筋ちがいだと思います、しかし、奥様が帰られた時にマダム、あなたは何と奥様におっしゃるつもりですか」
眼鏡の奥の目をしばたたかせながら、ドクターリヒテルはムッシュワルツの方に視線を泳がせた。

「ムッシュワルツとブリクセン様はどう思われますか」
ブリクセン氏は、ドクターリヒテルに改めて向き直った。
「奥方の不在の今、この屋敷で起こったすべてのことに対しての決定権はマダムガートルードに託されていますし、僕はマダムの意見に賛成です」
「なぜなら、もし、僕が故人のガブリエル氏だとしたら、自らの屍を長い時間そのままに放置されたくはないからです。それに、彼は自分の命の時間について知っていました。じゅうぶんな覚悟もあったはずです。」
「自然な形で土に還りたい、そう願うのが当たり前のことではないでしょうか」
ブリクセン氏は今度は首をひねって、ムッシュワルツを見た。

「わしは意見をのべるような立場でもないし、実際ここのご主人とは親しくなかった」
ワルツじいさんは困り果てたような顔をしている。
「じゃが、ここで一番年を食ってるのはわしです。その立場でだったら言えますが」
「ええ、ムッシュワルツ、どうぞぜひ」
ガートルード・サリヴァンが背筋を伸ばしてムッシュワルツに答えをうながした。
「正直、くだらないことですな」
「ほう?くだらない?」
ブリクセン氏は場違いな、愉快でたまらないといったような声をあげて笑い、ドクターリヒテルはその様子を咎めるような目付きで眺めた。ゆっくりとムッシュワルツが顔を上げて、瞬きを繰り返した。
「不在の奥様の心証をきづかうことも、故人の意思をきづかうことも、おおいにくだらない、わしはそう思いますが」
正しいと思うことをワルツじいさんは大きな声では言わない。申し訳なさそうな顔で決まり悪そうに、言う。いつもそうだ。
ガートルード・サリヴァンの顔が何故か和らいだ。頬はゆるまなかったが目がかすかに
笑ったように私には見えた。誉れ高い石像の目が緩んだ瞬間だった。
「決まりです」
「私の思い通りにさせていただきます」
どこかあっけらかんとしたものを含むガートルード・サリヴァンの口調にドクターリヒテルは首を振りながら黙って客間から出ていった。
「いやはや、まったく、ムッシュワルツ」
ブリクセン氏は自分の巻き毛を右手で掻きながらワルツじいさんに歩みよった。
「あなたときたら、とんでもない方ですね」
「いや、これは非難していっているのではありませんよ」
ムッシュワルツは悲しそうな顔でブリクセン氏を見ると、自分の隣にぼんやりと
立っている肉屋のイワンさんにこう言った。
「帰ろうかの、ムッシュ」




   第12章来週へとつづく   

   智佳子サガン




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August 23, 2018

銀の画鋲 続編 舞台の下手(しもて)第9章

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     舞台の下手(しもて)
       第9章






ムッシュワルツは本屋に戻ったあと、とても眠いと言い、それから丸一日半、眠り続けている。私はお屋敷に仕事を休む旨とその訳を記した手紙をピエールに持っていってもらった。マダムガートルードあての手紙だった。

私はワルツじいさんの小さな寝室で彼の様子を見ながら過ごしていた。ワルツじいさんの寝息は細くて不規則だけど、私を安心させるには十分だった。二日目の朝、ブリクセン氏とマダムガートルードが本屋にやって来た。都合のいいことにピエールは留守だった。ドクターリヒテルのところへ私の代わりに行ってもらっていたから。
ブリクセン氏は初めて訪れた朽ちかけた本屋の本棚の本を眺め、マダムガートルードは私にムッシュワルツの様子を尋ねた。まだ眠ったままだと私が答えると彼女は顔を曇らせた。

「今日は先日、私の部屋でお話したことについてまだはっきりお聞きしていないことがあるので、突然でしたがマダムガートルードとここに出向きました。」
「ムッシュワルツが気になるほど眠り続けているとマダムから聞きましたが、なにかが起こったのではありませんか」

「はい」私は顔がこわばるのが自分でわかった。
ガートルード・サリヴァンはブリクセン氏に向かって首を微かに振った。

私は囁き森の入り口まで行った理由をくわしく話すことはあえて避けた。奥の本棚の本の位置をピエールが勝手に変えてしまったことは、今直面している問題とは何ら関係のないことだと思ったからだ。私は家事室に聞こえてくる歌は間違いなく囁き森から聞こえてくる歌であること、その言葉の意味、そして、その歌が私の母さんとアンジェの声で歌われているとワルツさんが言ったこと、それらを自分の言葉で正確に伝えるように努めた。ことに歌の言語の意味においては、慎重にその言葉のニュアンスまでつたえなければならなかった。

「カトリーヌ、大変聞きにくいのですが」
「あなたのお母さんはもうすでに亡くなってしまっているのですか」
ブリクセン氏は乾いた声でそう言ったが、その後、自分の言葉を訂正した。
「いえ、亡くなってしまったと決めつけてはいけませんが」
私は鼻の奥が痛くなったから、息を深く吸うことが上手くできなくて、喉もとにとどまった言葉を声にするのに時間がかかった。
「話したくないのなら、カトリーヌ話さなくてもいいのです」
ガートルード・サリヴァンのいつもの厳しい声。この人は私のことを全て知っていると確信したのはこの時だった。
「いいえ。ちゃんとお話するつもりでいましたから」
「母さんもあの歌に関係している、いいえ、それどころかあの歌を母さんが歌っているとムッシュワルツは言いました」
「あの人が断言したのです。間違いではありません」

「私の母さんは大陸の牢屋で自分で自分の命を断ちました」私の声の震えは、やがて止んだ。ブリクセン氏の目がキラリと光ったからだ。

「大陸の救貧院で働きながら母さんは私を大切に育ててくれました。この島に来たのは私が七歳の時です。島の高台にあるイングラム学院の下働きとして、そこの教師であった牧師さんと奥さんに私たちは買われました。母さんの望みは私に十分な教育を受けさせることだったので、母さんは自分が一生懸命働けば、私が他の子
供と机を並べて勉強することを許される日が来ると信じていました。母さんは必死で働きました。母さんを手つだって私も働きました。朝食の準備から始まって、学院と教会の掃除、そして洗濯やら、細々した仕事を数えるとふたり分の両手両足の指の数では足りないほどでした。それでも私と母さんはしあわせでした。私たちはいつも一緒だったからです。」

「ある日、母さんは湖で溺れる男の子の姿を予見しました。この母さんの力を幼かった私は普通の事だと思っていました。だから、母さんが私に言ったとおりのことを島の人に知らせに走ったのです。母さんは私が知らせに行くのを止めなかったし、カトリーヌ、急ぎなさい、と言いました。男の子は助かりました。母さんの予見した場所に予見した通りの状態でその子はいて、でも助かったのです。私が大声を出して走っていく姿を見た島の人たちが男の子を助けてくれました。しばらくすると、島の人たちが失せ物や行方不明者の居場所を尋ねにくるようになり、そのことで母さんは牧師さんとその奥さんの怒りをかい、魔女の烙印を押され、母さんは大陸の牢屋に連れていかれました。そして私が10歳になる年の春に母さんは死にました。それが9年前のことです」

言葉はよどみなく、私自身の耳にも届いた。自分の声がまるで他人の声
のように聞こえてくる。だけど、私の話が一息終わるのを待って椅子からゆっくり立ち上がり窓際にそっと近づいたガートルード・サリヴァンの横顔を見たとき、私の体の芯が震えだしたのが自分でもわかった。

「母さんは病死だと聞きましたが、それは嘘です」
「どうして嘘だとわかるのですか」
この声の主は時に地を這う。審判を下す裁判官さながら冷たさに満ちたブリクセン氏の声。

「私が母さんの娘だからです」声の震えを、足元から這い上がってくる怒りが凌駕した。
「その答えはそのまま解釈していいのですね。それとも、なにか他の意味があるのですか。たとえばカトリーヌ、あなたもあなたのお母さんと同様、予見する力がある、違いますか?」

「ブリクセン様、母親の死について子供にその真実がわかるのは当たり前のことです」
ガートルード・サリヴァンの声は固く本屋に響いた。
「なるほど。」
「カトリーヌ母娘は深い絆で結ばれていたから、尚更だとあなたは、マダムガートルード、おっしゃりたいのですね」
「そのとおりです」

ブリクセン氏はお決まりのくしゃみを止めるために鼻の頭をつまみはじめると、今度はさっきまで話していた話題に興味を失ったかのような目で私を眺めた。

「では、2年前にこの本屋から姿を消した黒猫とアンジェがムッシュワルツにいい残こした黒猫はなにか繋がりがあるか否か、カトリーヌ、あなたの意見を聞かせてほしいのですが」
「今の時点で、私にはなにもわかりません。ただ、リュシアンは、これがその黒猫の名前なのですが、とても奇妙な猫でした」
「話していただけますか」ブリクセン氏の目が再び光った。

リュシアンは物事を善悪ではなく、自分のルールに従って黒猫として生きていた。弱いものがもともと持ち合わせる身体の芯にある脆弱さをリュシアンは愛し、弱いものが瞬時にして立ち上がる時の骨の軋む音をリュシアンは好んだ。
そして生きるための生なましい醜さに、リュシアンはより心を動かされた。世界中の人間が束になってもかなわないほどの冷たさもスリルもリュシアンの、彼のセンスにはかなわない。冷酷で非情。だけど、残忍ではなかった。
また、一方でロマンチスト極まりなく、言語と星空を心から愛した。リュシアンは本屋にある本の位置を正確に把握していて、ムッシュワルツのかわりにその場所にお客を案内した。また、私が本を読んでいる傍らでリュシアンは、文体の、ある部分でうっとりとして喉を鳴らし、美しい悲劇の結末に至ってはその眼差しに悲しみをいっぱい湛えた。
クリスマスも過ぎた頃、満天の星空の下、あるひとつの星に向かって消え入りそうな声で鳴くリュシアンを見て、ムッシュワルツは目を伏せた・
六角形の中の青白い光を放つリゲル。リュシアンにとって特別な星。
途方に暮れた旅人みたいな顔をしてムッシュワルツは私にそう言った。

途中、ピエール・デュデュが帰ってきたが私はあえて話をやめなかった。謎に包まれたリュシアンとムッシュワルツと私に起きた出来事は幸せなことばかりじゃないし誇れるほどのことではないけれど、聞く人を嫌な気持ちにさせる話ではないと私は思っていたからだ。リュシアンもムッシュワルツもきっと許してくれるだろう。私は話をしながら時々ピエールを見た。彼は精悍な表情で、彼も私をじっと見つめていた。

「最後にもうひとつ、あなたに聞きたいことがあります」
ブリクセン氏はゆっくりと私が立っている本棚の近くまでやってきた。
「意味不明のあの歌の言語があなたには理解できたと、カトリーヌ、あなたは言いましたが、それはどうしてなのか私に説明していただきたいのですが」

「どうしてわかったのか、私にも説明できません。」
「カトリーヌ、あの歌の言語は長いあいだ言語学を研究している僕でさえ、聞いた覚えがないものです。今は絶えてしまった大陸の少数民族の言葉なのではないか、と僕は推測していました」
腕を組み右手を自分の口元に当ててブリクセン氏は私の目をじっと見ている。
「私はスラブの訛りが混ざっている大陸の北の言語ではないかと思っていました」
「でも、違いました。どこの民族の言葉でもないのです」

「あの歌は言葉ではないのです」
「言葉ではない?」
「はい、言葉ではなく、あえて言うなら風景と呼べるものかもしれません」
「風景?」
「どのような風景なのですか」
「何かの腕に抱かれている誰かが見ている風景のような気がします」



その夜、私はムッシュワルツにあてたとても長い手紙を書いた。何かあった時のために書き残しておかなければならない、私の罪について。私の秘密について。
そして、さよならと、さよならを告げる理由を。




    
   第10章
   来週へとつづく    

   智佳子サガン












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August 16, 2018

銀の画鋲 続編 舞台の下手(しもて)第8章

Milk









目を覚まして身体を起こした。鳥のさえずりと、階下でのピエールの声が聞こえる。昨日、屋敷から帰ると私は熱っぽい体を屋根裏部屋のこのベッドに横たえた。どうやらそのまま眠ってしまったらしい。体を伸ばし、窓から流れてくる空気を胸いっぱいに吸い込むと、なにか頭の中身までが変わってしまったような新しい感覚に満たされた。このまま「月に照らされた島」の端から端まで一気に駆け抜けれそうな気さえした。

私は子供の頃からよく高熱を出しては、母さんを心配させたが、その高熱が下がると過剰に元気に振る舞い、妙なことを言い出しては母さんを困らせていたという。母さんの日記の最初の部分にたどたどしい字でそんなことを書いてあった。

私の手元に残された母さんの日記。母さんの死を知らされた日を境に私はそれを開いていない。恐ろしい気がして今まで一度も。
その日記は机の引き出しの奥に閉まってある。あとで読んでみなければならない。私はそんなことを考えながら階段を音を立てて降りていった。

「おはよう、ピエール・デュデュ」ピエールは床を箒で履いていたが、私を見るとぱっと顔を輝かせた。
「カトリーヌ、もう熱は下がったのですか」
「うん、もう平気よ、すっかり」
「たくさん眠ったから」
違和感を感じながら私は本屋の中を見回した。なにかが違う。

「ああ、カトリーヌ。気づきましたか。」
「本の位置を替えたの?」
本屋の一番奥に位置する本棚の背表紙の位置が変わっている。
「そうです。昨日、カトリーヌをムッシュワルツがお迎えに行かれていた間に僕がかえたんです。」
「本の種類ごとに並べ替えたのです。見やすくなったし本を探すのに手間をとらないですみます」胸がざわざわしてきた。
「じいさんはどこに行ったの」
「さっき、ちょっとぶらっとしてくるって言われて出て行かれました」
私は本屋の扉を押して外に飛び出した。今、ムッシュワルツの行くところはあそこしかない。黒い森の奥に分けいった囁き森の入口だ。どうか、囁き森には近づかないで、じいさん。私はわき目もふらずに走った。途中で島の人たちが私に声をかけたが、私は見向きもしないで走った。

−この本棚の本の位置はもうずっとこのままだ。ヨハンの時からな。この本棚の本だけは位置を変えてはいけないという教えが代々この本屋にはあるらしい。この本棚の背表紙の名前だけはわしは覚えておる。さしずめ、わしが本屋の店主たる証とはこれくらいのものだ−

ムッシュワルツは私が本屋に住み始めた頃、私にそう言った。リュシアンがまだ本屋にいた頃のこと。その本棚にある本はとても古く威厳のある背表紙をそれぞれにもっていて、私はこの本棚の本にはまだ手も触れられないでいた。

ムッシュワルツはリュシアンを探しているにちがいない。リュシアンに尋ねるために。奥の本棚の本の位置をもとにもどすために。それを完璧に覚えているのはリュシアンだけだから。字の読めないムッシュワルツは位置でその名前を覚えていた。字で覚えていたのではない。だから位置が変わると、その名前がわからなくなってしまうのだ。
いや、違う。じいさんは、そんな理由でリュシアンを探したりしない。
私は強くかぶりを振った。

黒い森に入ると視界が急に狭くなった。奥に進んでいくごとに闇の色が変化していくのがわかる。木漏れ日が入る隙間もないほど、木々の枝は幾重にも重なり闇を深いものにしている。ブーツのつま先に当たって私を立ち止まらせるものの感触はひどく柔らかい。それは生き物の死骸。飢えて死んだリスや狐の死骸。動かななった骸たち。

ワルツじいさんを呼ぶ私の声が木霊となって返ってくる。湿り気を帯びた木霊は腐臭がしそうで私の足を何度もすくませたが、私は前に進む足を止めなかった。ムッシュワルツの声が聞こえてくる。リュシアンを呼んでいるワルツじいさんの声。

「じいさん」
私は安堵のあまり地面に膝を付き、それからムッシュワルツを強い視線でとらえた。
じいさんは私の瞳から視線を外し、囁き森の入口に目をこらした。
「カトリーヌ、ピエールに腹をたてているだろうが」
「そんなことより、そんなことより。それよりじいさんのことが心配だった」
ふむと唸ると、ワルツさんは私に視線を戻した。
「わしは今日ほど、リュシアンがいないことを思い知った日はない」
「うん」私は胸になにかがつかえたような痛みを覚えた。
馴染みのある痛み。私にまとわりつきなかなか離れようとしてくれないかなしみ。
「リュシアンに会いたくてたまらなくなったんじゃ」
「うん」
「カトリーヌ、リュシアンは間違いなくこの囁き森にいる。」
「いや、囁き森のなかで死んでいるかもしれん」
私は声が出なくなっていた。うん、ワルツじいさんと優しい声で答えたかったのに、声がでなかった。
なぜなら、あのお屋敷の家事室に聞こえてくる歌が聞こえてきたからだ。ムッシュワルツは私に目配せをして、膝をついたままの私にゆっくり近づき私の身体を抱きしめた。そして私の耳元でこう囁いた。
この歌声の主はお前の母さんとアンジェだ、と。

その歌の意味が私の身体を貫いた。ワルツじいさんは小刻みに身体を震わせながらも私の背をしっかりつかまえてはなさなかった。
 


        第9章  来週につづく   

                       智佳子サガン









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August 12, 2018

9月のライブスケジュールです。未定のものアップしました

この世の果て A











9月1日(土)

「BAHIA オープンステージ」
 
ホストボーカリスト 錦戸里佳
ホストピアニスト  智佳子サガン

譜面をお持ちください
Any key ok です

20時半スタート  MC1000円

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9月7日(金)
「ピアノと歌」
せつえりこ(Vo)
豊田隆博(PF


20時半スタート MC2500円

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9月9日(日)
「アラベスク」
智佳子サガン(pf)

16時スタート  MC2000円

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9月14日(金)
「ピアノとサックス」
中田由美(pf)
堤 智登    (Sax)

20時スタート MC2500円

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9月15日(土)
「ニューカントリー]
西野勲(Vo、gt)

20時半スタート MC1000円

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9月22日(土)
「高杉稔ライブ]

ゲスト  甲斐裕美子
ピアノ  智佳子サガン

20時スタート  MC2000円

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9月23日(日)

「ボサノヴァ」
中村善郎(Vo. Gt)
長岡敬二郎「pa」

19時スタート  MC3500円

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9月29日(土)
「LE COLLAGE」

マダム容子(Vo)
智佳子サガン(PF)
ドラム 有田正博

20時半スタート  MC2500円

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August 09, 2018

銀の画鋲 続編 舞台の下手(しもて)第7章

オフェリアの影の一座



銀の画鋲 続編 舞台の下手(しもて)

          第7章

「チャーリーがいなくなった当初は「囁き森への招待状」は単なる言葉遊びだとガブリエルシは解釈したそうです。」
「その招待状とチャーリーの死を結びつけなかった。
なぜなら、チャーリーの部屋に残されていた意味不明の言葉の書付けは、夥しい数でしたから。その中のたんなるひとつだとガブリエルが思っても、不思議なことではありません。しかし、メリンダと再婚してまもない頃、「囁き森」についての噂を彼は耳にしたのです」
ワルツさんが身を乗り出した。私も思わず身体を起こした。

−囁き森は「月に照らされた島」にある。招かれざる客に対してこの森は審判を下す。
     囁き森が自ら招待状を送る場合はそれにあらず。−

「ほう?招かれざる客に審判を下す、のですな」
「はい」
「島の人たちの囁き森に対する畏怖の念は想像を超えるものがありますが。たぶん、私がよそ者だからでしょうな、そこには、近づかなければいいことです。少なくとも昨日までは、わしはそう思っていましたが」
ムッシュワルツの言葉にブリクセン氏は深く頷いた。そして、ズボンのポケットからハンカチを引っ張り出して、鼻を5回かんだ。

「ムッシュワルツ、33年前に失踪したアンジェという少女が囁き森から10年後に帰ってきた話を先ほどカトリーヌから聞きましたが、そのアンジェについての質問を少ししてよろしいですか」
「いいですとも」
「アンジェは空白の10年間のことを何ひとつ覚えてなかったということですが、囁き森にどうして入ったのか、その理由について彼女は何か言いましたか」
ムッシュワルツは目を閉じた。白い睫毛が震えている。
ブリクセン氏は辛抱強く待っている。急かす気持ちを抑えて私もワルツの白い睫毛を長いこと見つめていた。

「なにせ、23年前のことなのでぼんやりとしか覚えていないことも多いのですが」
ワルツじいさんはバツの悪そうな顔でやっと私を振り返った。ワルツの顔から目を離さず身じろぎもせずにブリクセン氏は次の言葉を待っている。

「わしは今まで恐ろしい偶然があったことすら気づかずにいました」
「偶然とおっしゃいましたね?」
「そうです。たった今思い出したことがあります」

アンジェがこの島を出ていった日のこと。アンジェを港まで見送りに行ったヨハンじいさんがワルツに告げた言葉。
−ワルツ、お前にアンジエからの伝言だ。黒猫のことをしきりに言っていた。黒猫がもたらすものがあるとしたら、かけがえの無いものか、おぞましいものかそれはお前しだいだと−

「ムッシュワルツ、今あなたは黒猫とおっしゃいましたね」
「はい」
「黒猫についてのアンジェのあなたへの言葉になにか思い当たることがあるのですね」
「そうです」

「奇妙な黒猫と私は一緒に暮らしていました。ですが2年ほど前にその黒猫は不意にいなくなったのです」
「カトリーヌも知っているのですか」
ブリクセン氏は首をひねって私を見た。
「はい。私がムッシュワルツの本屋で暮らし始めてひと月もたたない頃、その黒猫は姿を消したのです」


私とワルツさんとブリクセン氏の前に差し出された謎解きのゲーム。
まだ、明らかになっていない六つのパズルのピースの繋がり。
家事室に聞こえてくる歌声。
その歌声に魅せられているガブリエル氏。
ガブリエル氏の息子チャーリーの死とチャーリーが残した「囁き森への招待状」。
「囁き森」についての大陸での噂。
33年前に行方不明になったアンジェ。
そして私の胸に突き刺さった、アンジェがワルツさんに残した黒猫についての言葉。
−黒猫がワルツさんにもたらすもの−

黒猫、黒猫リュシアン、私の大切な黒猫。
2年前の冬、クリスマスが過ぎた頃、黒猫リュシアンは姿を消した。
その翌朝、空は雪を降らせるのを忘れてしまっていた。
見上げると藍色の空が私も両方の目に飛び込んできた。
そこが何処なのか、私は一瞬分からなくなって
母さん、母さん、と私は呼んでみた。
それから、「ルル」と呼んでみた。
ニワトコの木の枝から雪のかたまりがガサっと落ちた。
まさかと思い、振り返るが、リュシアンも母さんもいない。

負けるもんか、私は思った。負けてたまるか。

私はリュシアンが居なくなった日の翌日から次の冬が訪れるまで毎日「黒い森」に出かけた。そこに行けばリュシアンの消息の手がかりが見つかる気がしたから。だけどそこに黒猫の影はなかったのだ。囁き森の入口までも何度か足を運んだが、手がかりになるものは何もなかった。

リュシアンが消えた夜から今日までずっと、その不在の寂しさは本屋の床にごろんと転がっていた。ワルツじいさんの寂しさと私の寂しさがふたつ。ごろんとふたつ。
ふたつの寂しさを私は眺め、あるいは本屋の隅っこに押しやり、時折、私はこの両手でしっかり抱きしめた。じいさんはというと日がな一日それをぼんやりとした目で眺めていた。手を触れることもしないで抱きしめることもしないで、じいさんはただ見ていただけだった。なのに、私はムッシュワルツにそのことについて一度もまともに話しかけたことはなかった。私は恐れていたから。怖くてたまらなかったから。

「カトリーヌ、もうリュシアンは居ないんだ。2度とここに帰ってくることはない」
ムッシュワルツが私に向かって告げるであろうこの言葉をこの耳で聞くことがなにより私は怖かった。

「囁き森」と黒猫。
アンジェが囁き森に入ったきっかけが黒猫だったとしても、それはリュシアンのことではない。33年の月日の開きがある。
だけど。その可能性は本当にゼロなのだろうか。
「囁き森へアンジェを誘い込んだのが黒猫だとしても仮にそうだとしてもどうしてそれをヨハンではなく、このわしに言い置く必要があったんじゃろうか」
ムッシュワルツのこの問い掛けにブリクセン氏と私はもちろん答えられなかった。

私とムッシュワルツがブリクセン氏の部屋を出るとき、彼は言語学者の端くれだと自分の素性を初めて明かしたが、端くれってどういう事かと私が尋ねるとその道の専門家の傲慢さと専門外のことについての無礼が我慢ならないから、自分は端くれがちょうどいいと訳のわからないようなわかるようなことを言ってムッシュワルツを和ませた。
「今日お話したすべてのことは、明らかにひとつの線でつながっていますが、今の時点ではわからないことが多すぎます。変化が起きるとしたらガブリエル氏です。僕はしばらくの間、彼を見守っていることにします」

チャーリーが書き残した囁き森からの招待状はブリクセン氏から私が預かっていた。
今は私のスカートの左のポケットにいれてある。



    第8章 来週につづく       智佳子サガン



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August 02, 2018

8月のライブスケジュールです。おそくなりました。

   8月2日(木)
   上奥舞子(Vo)
   ペペ伊藤(Gt)

   20時スタート  MC2500円

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   8月5日(日)
   RAIN  DOG(ジプシーギター)

   森崎俊(Gt)
丸尾将生(Vo,Gt)

20時スタート  MC2500円

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  8月10日(金)
  穴井千恵子(Vo)
岸川厚子(Vo)
  智佳子サガン(Pf)

20時スタート  MC1500円

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  8月11日(土)
Solamond 8/11/Sat.@Bahia
フラメンコギターとピアノ サックスのユニット

  20時半スタート  MC2500円

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  8月17日(金)
鮫島直美(Vo)
豊田隆博(Pf)

  20時半スタート  MC3000円

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  8月18日(土)
  「ニューカントリー」
  西野勲(Vo.Pf)

20時半スタート   MC1000円

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  8月24日(金)
高杉稔(Vo)
  ゲスト 甲斐裕美子(Vo)
  智佳子サガン(Pf)

  20時スタート    MC2000円

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8月26日(日)
 SAHIAピアノ弾き語り  

 7時半スタート     MC1500円

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  銀の画鋲 続編 舞台の下手(しもて)
  連載中です。
 
                   智佳子サガン





   
  



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bahia1958 at 17:29|PermalinkComments(0)