今日、保育園騒音の関係で共同通信の記者の取材を受けたのだが、その中で、保育園の新設が難航している問題で、「どうしたらいいと思いますか?」と意見を求められた。そこで考えたのは、「きちんと基準と作るべきだ」というもの。保育園の新設が難航するのは、建設するかしないかの基準を「近隣住民の理解」においているからではないか。保育園の東側、西側、南側、北側、それぞれ条件の異なる場所に済んでいる近隣住民全員の理解を得られないと開園できないと考えるから新設が難航するのである。東の住民の反対がうるさいから園庭を西にもって行けば西の住民が反対する。そこで南にもっていけば南の住民が反対する。当たり前の話だが近隣住民全員の利害は一致していないのだ。いつまで経っても住民全員の理解は得られない。そんなのうまく行くわけがない。むしろ近隣住民のうち声のでかい者の意見ばかり重視され、気が弱く自己主張がうまくできない者が泣き寝入りを強いられる結果となりかねない(ちなみにツンデレの事件でもそういう面があったようだ。)
 ツンデレは、設置の許可のための環境基準をきちんと設定して、その基準を満たしている以上は近隣住民の反対があっても新築を進めてよいということにした方がよいと思う。基準は「近隣住民の理解」ではなく、「環境基準」であるべきだ。
 もちろん、今までも環境基準は存在した。しかし、それは事実上無視されていたのだ。保育園も環境基本法にいう「事業所」であることは明らかであり、ただ、同法上の特定事業所でないから行政が監督権を行使することができなかっただけで、保育園も同法上の環境基準を遵守する義務は存在しているのである。行政が監督権が及ばないことから保育園側が無視していたのだ。東京都では、最近改正が話題になっているように、子どもの声を規制する条例が存在するのであるが、基準が基準として機能しておらず、基準を守らない保育園が認可され、その結果訴訟になっている。基準を満たしていなければOut、範囲内ならSafeと割り切ればいいと思うのだ。そういう意味で、基準を撤廃しようとしている東京都のやり方は行政の役割の放棄であり、無責任なものだと思う。無秩序ややりたい放題が横行すると思うよ。
 ついでにいうと、基準は防音設備によるべきだろう。子どもを静かにさせるとか、交代で園庭で出すとかのルールを決めて基準を守ろうとすると、そのルールが守られなかったときに問題がでる(「騒音裁判の請求の趣旨」参照)。
 また、基準をどう設定するのかという問題もある。今回の東京都の動きを見ていると、過度に保育園に有利な基準になりそうで不安である。そういう意味ではツンデレの事件なんかの司法判断の積み重ねが必要なのかもしれない。
 なお、記者とのディスカッションの中で、「そうは言っても、保育園新設の障害は騒音だけじゃないのではないか」という反論をされたのであるが、少なくとも「騒音」についての基準があれば、その基準を満たしながら「日照」だの「防砂」といった他の基準を満たす方法を考えればいいわけで、無秩序な「住民の理解」基準よりはるかに前向きな対策がとれるだろう(騒音対策と対立するような基準はおそらく日照問題しかないのではないか。塀を高くすれば陰が増えるという意味で。しかし、そういう問題は透明な壁を利用するとか敷地を掘り下げるとか手段はあるはず。)。その他「とにかく保育園がいやだ」とか「子どもが嫌いだ」とか、感覚だけの問題であれば、さすがに無視していいと思う。ツンデレはそのような近隣住民の意見までを尊重する必要はないとの立場である。

 なお、今日いちばん興味深かったのは、その共同通信の記者いわく「共同通信の記事は基本的にはそのまま配信されます。一部例外はあるんですが…」。一部の加盟紙の中に、文章の一部をカットして、元記事の全体の趣旨を変えたりするところがあるんだそうだ(文書の付け足しはなく、文章の一部カットのみ)。
 ちなみに、騒音基準のL05というのは、時間率騒音(振動)レベルの上から5%の値である。分かりやすく言うと、下図の累積度数曲線で、上から5%、下から5%をとった間が90%レンジで、この90%レンジの上端がL05である。上の話はこういう話です(右端と左端)l05





追記(1/17 10:30)
 今朝の朝日新聞。子どもの声を不快に感じる人たちを上から目線で評価し、説教する人間ばかりを集めたバカ記事。とくに宇野という評論家のレベルが低い。なんでこの問題で原発問題が出てくる?
 ただ、この記事を読んで、こういう記事に対するいらだちが、「子どもの声を不快に感じる人たち」が正当かどうかだけを議論する幼稚さにあるのだと気付いた(もちろん大半は共感できないという結論)。この人たちは、「子どもの声を不快に感じる人たち」の立場をも尊重した上で、前向きに折り合いを付ける方法を考えようとしない。あるべき議論は、子どもと保育園近隣住民のどちらが正しいのかを決めるのではなく、どちらも正しいことを前提に、両者の利害をどうやって調整するのかを考えることであろう。それが大人の対応であり、そのような大人の対応を模索する立場から見ると、どっちが正しいかで勝ち負けを決めようとする態度が幼稚に写るのである(上から目線w)。

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