3年前にフェイスブックに書いた文章の転載

 中山理「算数再入門」(中公新書)を読んでいる。
 いくつかのビンをつかった,ビンの大きさの測り方の話が面白い。
1) Aのビンに水をいっぱいにして,それをBのビンに移す。Aの水が全部Bに入って,まだBに余裕があればB>A。Aの水がBに入りきらなければA>B←直接比較
2) Aのビンに入った水をCのビンに移し,次にBのビンに入った水を,空のCのビンに移す。「こっちのビンはここまで,こっちのビンはここまだ水が入った。だからこっちのビンの方が大きい。←間接比較
3) 最後に2つのビンより小さいコップを使う。「こっちのビンには5杯入った。こっちのビンには6パイ入った。だからこっちのビンの方が大きい。←任意単位による比較。
 実験?に付き合った中山先生の娘さんが利発な子で話がほいほい進むなあと思った。あんまり頭が良くない子は,「測りがないから比較なんかできない」と,考えることを放棄して怒り出したりするんだろうなあとも思った。
 そして,これは弁護士の事件処理にも似ているなあと思った。弁護士が「貴方のお話について,それを裏付ける証拠がありますか」と聞くと,依頼者は,それを目撃した人とか契約書とかの直接証拠のことだと勝手に思い込んで,「そのときはこんなことになるとは思わなかったから」とか,直接証拠が入手できない理由を一生懸命話し始める。直接証拠がない理由をいくら聞いても仕方がないので話を遮ると怒り出す。でも,よくよく聞いてみれば,消費貸借契約書がなくても,お金を貸した日に銀行からお金をおろしているとか,借主がその時期に不動産を買っているとか,お金を貸したことを匂わすような事実は出てくるものだ。
 相談者供述と矛盾しない書証がある場合に、その書証から相談者供述の内容を客観的に立証できるか、という話(この書証でなにが立証できるか、なにが分かるかという話)も、なかなか通じない人がいる。といか、裁判官ですら、事件と全く関係ないはずの話をほじくりだして、「だからこいつの供述は信用できない」って言ったりする(「井垣敏生のキ○ガ,いや、クレイジー判決」参照)
 事実を立証する手段は一種類だけではない。賢い人だと,中山先生の娘さんのように,いろいろ自分で考えてくれるんだが,大卒の担当者とだけ話をすればよい企業法務と異なり,全員が全員そういうわけにもいかないのが街弁の世界である(お年寄りの依頼者とかはとくに。)。このあたりをどうやって聞き出すのかが弁護士の腕であり,裁判官には想像もつかないであろうところなのだ。



KAGEYAMA_140120