ツンデレblog

淡路島の弁護士が考えたこと

カテゴリ : お勉強

 現在、国立公文書館で、「平成29年春の特別展 誕生 日本国憲法」という展示会が開かれているようである(5月7日まで)
http://www.archives.go.jp/exhibition/
 ツンデレは行くことはできないが、展示図録は通販が可能だったので購入してみた。
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 内容は、昭和21年1月1日の「新日本建設に関する証書」(人間宣言)とか、西山記者のスクープした毎日新聞とか、松本私案とか、日本国憲法の原本とか、まあ「目で見る憲法」の日本国憲法の誕生版ですな。
 ところで、ツンデレは、これに関連して、4月3日に次のようなツイートをした。


 これについては、その後、フェイスブックの方で少し議論があったので、それを踏まえてもう一度この問題(日本国憲法の正統性)を考えてみる。憲法記念日も近いし。ただし、ケルゼン読むとかシュミット読むとか本格的に勉強したわけではないので、普通の人よりちょっと詳しいくらいの人の思いつきですよ、為念。

 まず、出てきた議論が「日本国憲法の主権者は本当に天皇だったのか?」という疑問。天皇機関説は「戦前も主権者はナシオンであり、ポツダム宣言受諾で日本国は機関設計の変更義務を負ってそれを履行しただけではないのか」ということなんだが、ツンデレは、天皇機関説の詳しい内容をよく知らないんだよね。
 事務所に美濃部博士の本はなかったが、昭和11年に発行された、佐藤丑次郎東北帝国大学教授の「帝国憲法講義(増訂改版)」という書籍があったので、それを見ると、「以上説明シタルガ如ク、帝国憲法上統治ノ主体ハ天皇ニシテ国家ニ非ズ。然ルニ学者或ハ国家ヲ以テ統治ノ主体トナシ、天皇ハ国会ノ最高機関ニシテ国家ニ代リテ統治権ヲ行フモノナリト説キ、又ハ国家ヲ統治ノ主体ト認ムルト同時ニ天皇ヲ以テ統治ノ主体トナシ、従テ統治ノ主体タルニ於テ天皇ト国家ト同一ナリト論ズ。」と書いてある。ナシオンには国民とか国家という意味があるらしいが、国家が主権者って意味がわからん。天皇主権か国民主権かっていうのは、誰が「憲法をつくる権力」の担い手かっていう話のはずなんで、ピントのずれた議論に思える。問いに素直に答えておらず、話をそらしている。ノモスの主権みたいな感じ。長谷川三千子の理性による政治とも似ている。
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 続いて、憲法改正の限界について改正限界説に立つ限り、どのような理屈をこねても、明治憲法からみた日本国憲法の正統性を肯定することはできないだろうなという話。だから、改正無限界説に立つというのも一つの立場かなあと思う。阿部照哉京大名誉教授はそのような見解をとられているようだ。たしか、長尾龍一「憲法問題入門」もそういう立場じゃなかったかな。
 この立場(無限解説)に立つなら、主権者というか、神であった天皇が国民に主権を譲渡したという構成が可能だろう。大政奉還に似てるかな。王権神授説ならぬ、国民主権神授説。これは天皇の権威を認めたうえで国民主権を説明できるので、保守層に受けるかもしれない。

 それから革命が新憲法の正統性の根拠になるかという話
 まず、国際法の本を見たのだが、革命やクーデターを通じて非合法的に政権の交代が行われた場合には、新政権を、その国を正式に代表する政府として承認する政府承認が外国によって行われることがあるという記述があった(杉原高嶺ほか現代国際法講義)。なるほど、新政権、新体制が合法か非合法は、内国法の問題か。そりゃそうか。
 そこで憲法の本を見たのだが、小嶋和司「憲法概観」107頁に、改正限界説の立場からの解説があって、限界説から現行憲法を無効とする見解に対して、「この見解は、実定憲法は、その制定手続と内容とが論理的に整合する場合にのみ効力をもちうるとするものであるが、この前提に不当がある。憲法は、論理上の正統性や合法性によってその効力を承認される場合もあるが、革命軍司令官の一片の布告が現実の憲法典を廃止し、あたらしい憲法を有効ならしめることも多いのであって、現実の憲法典の効力は、それを妥当せしめるべき社会による承認と需要によって決せられる。制定手続と制定物の内容の論理的不整合を根拠として、現行の憲法の効力を否認するのは実定法学の立場ではない。」という記述があった。
 そして、尾吹善人「日本国憲法ー学説と判例ー」には、「憲法改正権に限界があるかどうかという問題は、限界があるとする者も、だいたいにおいて限界突破の改正行為は、それが実効性をもっても、「改正」として元の憲法から効力を受けつぐものではなく、法的連続性のない法律的意味での「革命」と見るべきであるとするにとどまり、裁判所が限界をこえた改正憲法の無効を宣言しうるとする者は、少なくともわが国ではいないから、憲法の本質にかかわるもっぱらアカデミックな問題である。」という記述もあった。
 尾吹先生の解説は、まことにごもっともな話で、仮に、明治憲法に照らして日本国憲法が無効な存在だったとしても、現在、それを確認する機関は存在しない。かつて石原慎太郎が「国会で決議して日本国憲法を停止すればいい」と言っていたことがあるが、現在の国会も、日本国憲法に基づく法律や選挙によって権能を認められた存在であり、自らの権能の根拠を自らが否定することは自己矛盾であり、不可能だろう。かつて、最高裁判所に、「日本国憲法の無効を確認せよ」という訴えが提起されたことがあったのだが、最高裁は、「裁判所の有する司法権は、憲法七六条の規定によるものであるから、裁判所は、右規定を含む憲法全体の効力について裁判する権限を有しない。」と判示して、訴えを却下した(最判昭和55年5月6日判時968号52頁)。あるいは昭和天皇であれば、明治憲法における主権者としてそういうことが可能だったかもしれないが、崩御されてから30年近く経つ。今上天皇も日本国憲法に基づく即位であるから、昭和55年の最判と同じことになるのではなかろうか?なお、日本国憲法の制定に関する昭和天皇の関与については、江橋崇「日本国憲法のお誕生第5回 昭和天皇の日本国憲法」参照。
 つまり、革命だから合法だ、クーデターだから非合法だという話ではなくて、結局、生の実力による統治が実効性を有するときは、それが法的に正統性を有するかどうかは、新しい権力者を裁く主体が存在するかどうかという法的な判断とは全く別のところで決まるということらしい。小嶋説のいう、「社会の承認と需要」も、無効を確認・宣言する機関が実効的なものとして存在しない場合、新憲法は社会によって承認されたとみなされるという意味で、結局は、無効を宣言する機関が実効的なものとして存在するかどうかと同じ判断になるのではなかろうか(なお、これについて調べてるとき、チャウシェスクが、裁判の無効を訴え、「私はルーマニアの大統領だ」と叫びながら処刑されたという話を見つけた。)。
 結局、いくら日本国憲法の無効を叫んだところで、それを実現する手段は、革命やクーデターしかなく、だからこそ保守の人たちは改憲を訴えているということなのだろう(日本国憲法96条に基づく改憲というのは、日本国憲法を認めることにほかならない。)。こうして、日本国憲法改正の是非という問題が、法解釈の問題でなく、政策決定の問題に過ぎないというのであれば、それは国民それぞれが判断すべき問題である。国民の一人として、ツンデレはツンデレなりに意見を持っているが、少なくとも今はブログに書くことは控える。

 
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生前に預金贈与、不公平? 相続巡り最高裁で19日弁論」で解説した最高裁大法廷決定が、12月19日に出た。
最高裁:預貯金は遺産分割の対象 判例変更し高裁差し戻し
http://mainichi.jp/articles/20161219/k00/00e/040/214000c
 亡くなった人の預貯金を親族がどう分け合って相続するかについて、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は19日の決定で、「預貯金は法定相続の割合で機械的に分配されず、話し合いなどで取り分を決められる『遺産分割』の対象となる」との判断を示し、遺産分割の対象外としてきた判例を変更した。一部の相続人が生前に財産を贈与されていた場合に生じていた不平等が解消される。

  うん、まあこれは前も書いたとおり、相続人間の不平等を解消するという見地から仕方ないのかなと思う。忙しかったし、前に書いたこともあって、もう1か月も経つまでなかなかこれについての感想を書く気がおきなかった。
 この決定は、払戻しに相続人全員の同意が必要であるという、法律に反するけど銀行が求めていた対応を追認したものということになる。そのため、これまで、相続人全員の同意が得られない場合に、「共同相続人の一人が被相続人名義の預金口座の取引経過開示請求権を単独で行使することの可否」や「定額郵便貯金は相続によって分割されるか」などで解説していた、相続人が自分の相続した分だけの支払を求めるという手段が失われてしまった。弁護士としては、簡単に勝てる裁判だったし、これができないといちいち調停からやらないといけないことになって解決までの時間がかかりめんどくさくなったなあ。というのが正直な感想である。
 ただ、この決定が出たとき、フェイスブックで、「遺産分割の対象になるって不可分債権になったってことだから、民法428条で相続人は誰でも全額の支払を請求できるのではないか?」という意見が出た。
民法428条
債権の目的がその性質上又は当事者の意思表示によって不可分である場合において、数人の債権者があるときは、各債権者はすべての債権者のために履行を請求し、債務者はすべての債権者のために各債権者に対して履行をすることができる。
 なるほど。
 たしかに、民法は多数当事者の債権を分割可能な可分債権と不可分債権に分けている。今まで、最高裁が預貯金債権を可分債権だと解釈していたのは明らかであるから、これが否定されたってことは、不可分債権になったんだ。民法428条が適用される。というのは分かりやすい理屈である。
 しかし、フェイスブックでまた、これに対してまた異論が出た。この大法廷決定は、相続人一人による行使を認めていないのではないかというのである。これまたごもっとな意見で、大谷剛彦、小貫芳信、山崎敏充、小池裕、木澤克之の補足意見の中に、「従来,預貯金債権は相続開始と同時に当然に各共同相続人に分割され,各共同相続人は,当該債権のうち自己に帰属した分を単独で行使することができるものと解されていたが,多数意見によって遺産分割の対象となるものとされた預貯金債権は,遺産分割までの間,共同相続人全員が共同して行使しなければならないこととなる。」というフレーズがある。
 そうすると、預貯金債権は、民法428条が適用されず、遺産分割までの間、共同相続人全員が共同して行使しなければならないという、今までの民法解釈上存在しなかった性質を持つ多数当事者債権になったということか。そういえば、大法廷決定のどこを見ても、「相続人間の公平」という言葉が出てこないんだよなあ。この大法廷決定は銀行の利益のための決定であると揶揄する向きもあったが、今はそのとおりだと思っている。

 そして昨日、銀行預金に関して、なんだかよく分からない報道があった。
銀行預金口座、10年放置で権利消滅へ…国が強制的に社会生活困難者の支援等に資金活用
http://biz-journal.jp/2017/01/post_17791.html

「休眠預金」を以下の3分野に活用する「民間公益活動を促進するための休眠預金等に係る資金の活用に関する法律」(休眠預金活用法)が、第192回臨時国会で可決され、2016年12月9日に公布された。
 「民間公益活動を促進するための休眠預金等に係る資金の活用に関する法律」の条文はここ(http://www5.cao.go.jp/kyumin_yokin/law/joubun.pdf)にある。どうも、「預金等であって、当該預金等に係る最終異動日等から10年を経過したもの」について、預貯金者の権利が消滅し、預金保険機構の管理下におかれることになるんだそうだ。で、それを特定の政策目的のために使ってしまおうという法律らしい。

 まあ、権利の消滅はいいさ、もともと5年なり10年で消滅時効になるとされていたんだから(自働更新の定期預金はアレだけどさ)。でもね、権利が時効消滅したら、それは普通、反射的に金融機関の利益になると考えるが自然だろ。なんで国がそれをかすめ取っちゃうの?憲法29条の観点からすごく問題がありそうな気がするんだが、銀行様はいいのか?それで。(なお、上記法律は、あと1年で休眠預金になりそうな預貯金があると、金融機関が債権者に、もうすぐ休眠預金になっちゃうよという通知を出すんだそうだ。これは時効の中断事由である債務の承認か時効の援用権喪失事由である時効完成後の債務の承認になるんだろうな。ツンデレが5年で預金が時効にかかる金融機関の経営者だったら、5年経った時点でどんどん消滅時効援用して預金保険機構に金かすめとられないようにするねw)

 で、さらに気になるのは、上の最高裁大法廷決定の影響である。相続人の一部が失踪したりしていて遺産分割協議自体ができない場合、10年なんてあっという間に経っちゃうぞ。失踪の時期と最後の取引の時期次第では、預金が休眠預金になるまでに失踪宣告の効果が生じないことだって普通にあり得るぞ。共有に関する民法252条ただし書のような規定(保存行為は各共有者がすることができる。)が必要じゃないのかなあ。もちろん、大法廷決定がこれを否定すると決まったわけではないけれど。
 相続預金が休眠預金になるまでの間に、各相続人による保存行為としての権利行使ができないとすると、失踪者に特別代理人を選任して遺産分割するしかないのか? なんか迂遠だなあ。銀行様や日本政府様の利益のために権利者に負担かけすぎの気がするけどなあ。裁判所には、是非とも、共同相続人が単独で簡単に相続預金が休眠預金にならなくする方法を認めてもらいたいものである。こういう裁判所が次々と立法しちゃうのって、本当はいやなんだけどね。ツンデレは裁判所信じてないから。



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青柳文雄「日本人の犯罪意識」中公文庫より
 欧米諸国で広く処罰の対象とされてきた男色、反自然的性行為、近親相姦などは今日でも処罰規定がないし、戦後の刑法改正で妻の姦通の処罰の規定も削除された。この種の処罰規定を必要としなかったのは、日本人の食生活、性生活が欧米諸国民の肉食を主とし性欲も強い場合と異なって、放置しても危険はなかったことと、宗教的制約はないにしても日本人の美的感覚なり恥の感覚からある程度の抑制が働き得たからであろう。戦後日本人の食生活が次第に変わって、外国旅行する日本人がセックス・アニマルなどという名前をもらうようになると、国内でも今度はもっと広く処罰するのがよいのか問題になろう。  

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生前に預金贈与、不公平? 相続巡り最高裁で19日弁論
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161016-00000012-asahi-soci
 遺産相続の際、預貯金は、相続人同士で話し合って受け取り分を決める「遺産分割」の対象とならず、生前に財産を受け取った人がいてもその分を差し引かれずに配分される――。その根拠になってきた判例の是非が争われた裁判で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)が19日、当事者双方の意見を聞く弁論を開く。大法廷は判例変更などの際に開かれるため、預貯金は対象にならないとしてきた判例が変更される可能性が高い。
 事案は、「遺産の大半は約4千万円の預金で、1人は生前の故人から5千万円超の贈与を受けていた。」というものらしい。
 これに従って説明をする。問題の規定は民法903条1項である。
共同相続人中に、被相続人から、遺贈を受け、又は婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として贈与を受けた者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与の価額を加えたものを相続財産とみなし、前三条の規定により算定した相続分の中からその遺贈又は贈与の価額を控除した残額をもってその者の相続分とする。
 遺産分割の対象となるのは、被相続人が死亡した時点で残されていた財産に、遺贈を受けた金額、婚姻のための贈与の金額、養子縁組のための贈与の金額、生計の資本として受けた贈与の金額を加えて相続財産とするというわけである。

 上記の事例でいうと、共同相続人AB2人のうち、Aが生前5000万円の贈与を受け取っていたから、遺産の4000万円に贈与5000万円を加え(これを「持ち戻し」という。)、9000万円を法定相続分1/2ずつ分けて、1人当たりの相続分を4500万円とする。そういう規定である。生前贈与を相続分の前払いとみる制度と言ってよい。遺産4000万円はすべてBが取得することになる。生前贈与5000万円自体は直接影響はなく、BがAから生前にもらいすぎた分を引き渡してもらおうとすれば遺留分減殺請求によるほかない。

 ところが、最高裁は、古くから、預貯金のような金銭債権は、遺産分割協議を待つまでもなく、相続開始とともに当然に分割され、各相続人に法定相続分に応じて帰属すると判断していた(最一判昭和29年4月8日民集8巻4号819頁、最三判昭和30年5月31日民集9巻6号793頁)。
 これらの最高裁判例に従うとどうなるかというと、遺産として残された預金債権4000万円がABそれぞれに帰属し、それで終わりということである。Aがもらいすぎた生前贈与分は前述のように遺留分減殺請求ということになる。
 まあ、生前贈与を受けなかった側からすると、どう考えても不平等な感じを受ける結果だからね、判例見直しはそれなりに理由があると思うよ。
 ただ、弁護士業務にはちょっと支障が生じそうではある。前に、「共同相続人の一人が被相続人名義の預金口座の取引経過開示請求権を単独で行使することの可否」「定額郵便貯金は相続によって分割されるか」に書いたことなんだが、「ツンデレは、預金の払い戻しに相続人全員の同意が得られないという場合には、単独で銀行相手に払い戻し請求をすることを勧めている。原告が権利を持っていることは、戸籍謄本や除籍謄本だけで立証できるから、預金の存在が明らかな場合、負けることはまずない。」というこれまでの実務を前提とした取扱いに変更をせまられそうである。
 こないだの自治体の法律相談でも、「亡くなった親の預金をおろしたいが相続人の一人が行方不明という相続があったのだが、これは今の時点で回答することがとても難しい。近々言い渡される最高裁判決の内容次第で回答が全く嘘になってしまう可能性があるからである。
 少なくとも、相続人全員の同意がない場合であっても、条件付きで、預貯金も遺産分割の対象になるというところまでは確実であろうから(問題は、その条件がどのような場合か、である)、現時点で確実なのは、行方不明者について特別代理人を選任してもらい、その者との間で遺産分割調停を成立させることか。


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 日弁連の会員全員に配られる(公財)日弁連交通事故相談センター発行の交通事故相談ニュースNo。37に載っている、横田高人「後遺障害等級認定について」がなかなかいい感じ。
第2 局部の神経症状の後遺障害等級認定について
1 はじめに~12級、14級、非該当の区別
  局部の神経症状については、12級13号に「局部に頑固な神経症状を残すもの」、14級9号に「局部に神経症状を残すもの」とされているのみであり、具体的な区別は、解釈に委ねられている。
  実務上、これらの区別は、以下のようにされていると思われる。
 ⑴ 12級と14級の区別
  実務上、12級は「障害の存在が医学的に証明できるもの」であり、14級は「障害の存在が医学的に説明可能なもの」あるいは「医学的には証明できなくとも自覚症状が単なる故意の誇張でないと医学的に推定されるもの」と区別して認定するという運用がなされていると考えられる。
 ここで「医学的に証明しうる」とは、いわゆる他覚的所見が存在することを意味しているが、この他覚的所見存在するといえるために、どの程度の所見が存在しなければならないかについて議論がある。
  この点、各画像所見が他覚的所見に該当することには争いがないが、各種神経学的検査所見の評価は慎重になされる必要がある。
  一般に、患者の意志と無関係に結果の得られる検査法と、患者の応答や協力が不可欠な検査法では、前者の方が客観性が高く、診断価値が高いと言える。これに対し、圧痛点や頚椎の有痛性可動域制限や知覚検査、筋力検査には、患者の理解と協力が不可欠であり、患者の意志に左右されることから客観性は低いと言われている。
 反射検査についても、病的反射所見は客観性が高いと言えるが、ホフマン反射等の伸長反射は必ずしも病的とはいえないとの指摘や、絶対的なものではなく他の多くの臨床症状及び検査に加えることによってはじめて価値が出るものであるとの指摘がある。
  このように、訴えられている症状に対して、どのような検査所見が、どの程度揃っているかを慎重に評価して、医学的証明あるいは説明の有無を判断していくことが重要である。
 ⑵ 14級と非該当の区別
   「医学的に説明可能」という基準がクリアされるために留意する点は3点ほどあると思われる。
  ①症状の一貫性
   事故当初から症状固定時まで、診断書上で症状が一貫していることが要求されることが多い。
   事故当初に診断書に記載されなかった症状がある場合には、その理由について、合理的に説明をする必要がある。例えば、事故から2週間以上たって症状が発症したとか、初めて通院したとか、という場合に、それまでも痛かったけど、我慢していたという程度の説明では足りないように思われる。
  ②将来においても回復が困難と認められるか否か
   診断書等において、症状が軽減していることが明らかに認められる場合に、事故状況等も勘案した上で、非該当にされるケースも散見される。
  ③常時性
   例えば、「雨の日に痛い」という場合に、常に残存する後遺障害ではないとして、非該当になってしまうケースもある。
 でも、いつも思うんだが、なんでこういうのを裁判官が書けないかなあ。残念ながら、「誰が言ってるか」ばかりにこだわるのが大多数の裁判官なんだよね(もちろん、「誰が言ったか」ばかり気にするのは裁判官ばかりでなく、弁護士にもそんなのが多いんだけどさ。いや、弁護士の場合は、「結論しか気にしない」っていう悪癖もあるかな。どんなめちゃくちゃな理由づけでも、結論が正しいからイイ(・∀・)、みたいなの。「不法原因給付の効果」なんかがそうだな。)。例えば東京地裁の交通部の部総括あたりがこういうこと書いて出版すれば、日本全国の裁判官(とくに判事補に毛の生えたみたいな連中)がこれに従うというのに。
 49期の20周年大会で、東京地裁の交通部にいた同期と、大阪地裁の交通部にいる同期に、「裁判所は14級と12級の違いを気分次第で決めている」と言ったら、東京地裁の方は否定しなかったぞ。大阪の方は、違うとは言ったが、「いろんな事情をみてちゃんと決めてる」としか言わなかった。
 「いろんな事情をみてちゃんと決めてる」なんてのは、基準じゃないんだよ。それらの事情がこういうときは是で、こういうときは非だ、まで言って初めて「基準」なんだよ。
 判断する者に都合がいい総合考慮
 http://blog.livedoor.jp/bakara2012/archives/43276956.html
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