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韓国食堂閉店の裏であった、あたらしい潮流についてひとくさり。

 

新大久保の、いや全国の“自家製マッコリ”シーンに転機をあたえたのは「はるばん」だと思う。同店は「2年間税務署に通いつめ」て、御上ががんじがらめにしている酒造の制約をすべてクリア、そしてお墨付きで自家製マッコリを出しはじめました。“自家製マッコリ”は保存流通のため熱を加えることはなく、当然「生」。なので、はるばんが出しはじめたものは「生マッコリ」と呼ばれ、メディアで取り上げられ、日の光を浴びた“自家製マッコリ”となりました。ここから現在の「生マッコリ」「地マッコリ」の流行へとつながっていきます。

 

そんなはるばんに始まる動きもあり、現在新宿ー新大久保界隈では、生もそうでないのも、かなりの種類のマッコリを飲むことができます。中には「霧の華」のように日本の酒蔵で作られた、本来はにごり酒やどぶろくと呼ばれるはずの酒が、生マッコリとして流通しています(これは批判的な意味ではなく、この日本の蔵も巻き込んだマッコリブームに関しては後日調べられればと。この霧の華は甘みが少ないので、僕はかなり好き)。

 

それで、そんな“地生マッコリ”ブームが、“自家製マッコリ”にとどめをさしたかと言えば、そんなことはないと思う。少なくとも僕が知るかぎり2008年以降新宿ー新大久保界隈で“自家製マッコリ”を出していたのは韓国食堂しかなかったし、店でそれを飲む人も、そんなにいなかったと思うので。とはいえ、マッコリブームの裏で、新宿ー新大久保最後の“自家製マッコリ”が飲める店が無くなったのは、とても象徴的です。

 

僕の“初体験の相手”だった韓国食堂がなくなったのは本当にさみしい。そういう取り戻せない思い出は、一番美化されるからかも知れませんが、ここの“自家製マッコリ”が一番美味しかった。このブログを続けていく中で、あの店のオモニにいつか話を聞ければと考えています。