2006年09月15日

Duke Ellingtonの10CDセット

bc31e676.jpg:エリントンの10枚組みボックスセット
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 PCでブログを更新するようになったのですが、画像のアップ方法がわかりませんでした。そのためだいぶサボってましたが、久々に更新。

 以前のブログ(消去済み)にピアソラの10枚組みセットがお得すぎて罪悪感を覚えた旨を書きました。ほんとに1480円で買えてしまって良いのか、と。このボックスセットもその限りに在りますが、ピアソラのそれ以上にドキュメント作品として、端的に言うと実用的なので、その気持ちを吹っ飛ばすくらいのお得感です。いししっ、すまんねぇ。って感じ。どっちもタワレコにて入手しました。

 はっきり言ってこれすごすぎます。ピアソラも勿論すごい、というか、あっちの方が全体として高水準の楽曲・演奏を聴かれるのですが、ピアソラはモダンタンゴの範疇でクラシックに接近した、というくらいにしかドキュメント性を感じられません。あんまり年代ごとに変わらないわけですよ、いかにもモダンだし。
 ただ、エリントンの作品は、マイナーコードにふつーにメジャーの旋律が乗ってたりして、それでいて他方では今に繋がるポップスも量産しており(「You,You Darlin」)、さらにはどんどん作風がカラフルなものに成っていく。という、まさにポップス創世譚の表現がぴったりだろうと思うのですが、それがまとめて1480円!

 ただパーソネル、その他のクレジットが(楽曲のタイトルを除けば)皆無であり、純粋に(ある意味不純にすら思えるほどの不親切さですが。最初、あまりの理不尽さにぶっ飛びましたよ。なんだこのサックスは、と思っても名前がわからない/笑)音だけの考古学参考の品です。そこら辺お気をつけて。
 Disc1から年代順に収録されているとは思うのですが。

 エリントン楽団黄金期と認識されているだろう40年から42年あたり(確かそれくらいの年代だったと記憶しているんだけど)の演奏も入ってます。「After All」のホッジス、聴けます。代表曲、網羅されてます。

 しかし、『女王組曲』『極東組曲』『マネー・ジャングル』などの録音は入っておりません。いや、入ってなくて良かった、と僕は考えてますが。既に持ってるので(笑)。
 というか、絶対入っちゃいけないと思うんだけど。

2006年07月07日

Steely Dan『Aja』

059a4836.jpg:スティーリー・ダン『エイジャ』
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 ドナルド・フェイゲンのソロについては、以前に三部作として全て取り上げて文字に起こしました。
 このアルバムはそのフェイゲンがコンポジションやシンセ、ボーカルを努めるバンド、スティーリー・ダンの最高傑作と謳われるアルバムです。
 和声進行が複雑化することにより、曲の内に映し出される情景が早々と変化していく。という曲形態の極致(ほんとの極致はむしろ無調に近い音楽なのだろうが)とも言えそうなバンドで、このアルバムでは大曲感のある、スケールの大きな曲が散見されまして、それがこのアルバムの高評につながっているのでしょう。
 と書くと、なんだかつまならないクラシックのような曲ばかりが収められているかのように感じられるやもしれませんが、リズムの分割やポップスとしての構築度、ファニー/ファンキーさを併せ持つのがスティーリー・ダンの特徴でもありますので、ポップスとして普通に聴けます。というか、むしろまだ全然にロックとして聴ける範疇にあり、まあそれがAOR(つまりオシャレ・ロック)たる所以なのですが(笑)。

 ただ、もう、こんな音楽は少し古いというか、なにせノスタルジーを求めた音楽としてAORはその威力を発揮していたわけで、18歳である僕はこの種の音楽を様々な形で小さな頃から聴いていますから、そのノスタルジー喚起力たるや物凄いものです。

 このアルバム所収の「Deacon Blues」という曲は当時シングルとしてもなかなかの人気を誇った曲であるらしく、ちなみにこの曲がアルバム中で一番好きです。スティーリー・ダン、ドナルド・フェイゲンの楽曲というのは、なんというかフックというか、“戻り”の強い曲が多いです。間奏の部分で裏返って、ボーカルが再入する直前でしっかり戻ってくる。この曲はそれを一番綺麗に聴かせている曲であると思います。大胆かつ華麗に。多重構造に聴こえる。いかにもスティーリー・ダン、ドナルド・フェイゲン。という感じでしょうか。

 2曲目の「Aja」は壮大な組曲風味のものです。しかしながら、単純に色々繋げてみました感が否めず、オシャレに仕上がってはいるのですが、良いのですが、スティーリー・ダンっぽくはありません。しかしなんと、あの変態ウェイン・ショーターが間奏でテナーサックスを聴かせてくれます。ドラムはスティーヴ・ガッドらしい。

 全曲について書いてしまいそうなのでここらでやめときますが(粋なロック曲ばっかりなんだよ、ほんと。「Black Cow」とかイカしまくりなんだから。小技効いてるし)、最後にアルバムを一貫して言えることを。まず、演奏が桁違いに優れています。そして、やたらに録音が良い。
 研ぎ澄まされたノスタルジーを、たった18歳の僕が感じてしまうことも問題なのですが、これは恐らく世相でしょう。オジサンじゃない人にピッタリの音楽、なのかもしれませんね、今は。
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1:Black Cow
2:Aja
3:Deacon Blues
4:Peg
5:Home At Last
6:I Got The News
7:Josie


2006年06月09日

Joe Henderson『Page One』

a9dba569.jpg:ジョー・ヘンダーソン『ページ・ワン』
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 久々の投稿です(Steely Dan『Aja』の記事を5月28日に投稿しているはずなんだけど、何故か反映されてなかった。後で書き直して投稿するかも)。

 まずジャケがカッコいい。ジョーヘン自体は全くカッコ良くないんだけど(笑)、レイアウトがカッコ良い。
 さらに、タイトルもカッコ良い。ページ、ときたらワンしかない感じがする。順位としての数字とならば、“2”が努力しない天才の悪ガキ、みたいなイメージが僕にはまとわりついてるんですが(1位が天才で、2位が秀才。という見方も出来ますが)、やっぱ1ページ目の魔力ってのはある、と言いたい。

 で、楽曲は、非常に洗練されていて、全体をみるとしっかり短調の曲が殆どなので、モード派の多かった63年当時の作品としては、儚げであると同時に古臭かったのではないかと思います。ちょっとモードっぽいのもあるんだけども(特にピアノ)。
 ある意味、仕方ないこととも言えます。何故なら、1・2曲目は、この1曲目である哀愁漂う「ブルー・ボッサ」で有名なハード・バッパー、ケニー・ドーハムの作曲です。さらに、ジョーヘンの作曲の4曲のうち2曲は55年と57年に作曲されたものですし、つまりこのアルバムのために書き下ろした曲は2つしかないということになります。ので、そのうち片方がマイナー調であるだけなのに、このアルバム全体では6曲中5曲が儚く古臭いスタイルであることになり、63年という時代を鑑みてもなんだか儚いです。

 僕は、このブログを始めて間もない頃にホレス・シルヴァーの『ソング・フォー・マイ・ファーザー』について書きました。そこでテナーサックス奏者を努めているジョーヘン作曲の「キッカー」についても触れているはずです。僕は「キッカー」のようなハード・バップをもっと聴きたく思いこのアルバムを購入しましたが、その点ではハズレでした。

 しかし、それが少し期待から逸れているからといって、このアルバムが否定される言われは無いです。共産主義者でなくとも、期待から外れたものに価値を見いだすことは出来るはずです(笑)。それも資本主義っちゃ資本主義だもんね。

 ジョーヘンの作曲というのは、多分極端化されたコード強進行と弱進行の関係、と符割によるものだろうと思うのですが(突き進んでる時と停滞している時の差が他のジャズと比べても極端に聴こえるから。他に理由がわからない)、メリハリが効いている曲が多いように思います(その中でピアノがモードっぽかったりして面白いんだけど)。これがマイナー調だと物悲しさが増幅する感じがあるような(別に無いような/笑)。

 4曲目の、55年に書かれたという「リコーダ・ミー(リメンバー・ミー)」はスタンダード曲扱いの有名曲らしいですが、勿論良いけど、そんなマイナー曲群の中で「キッカー」を彷彿とさせる激しく明るい3曲目「ホーム・ストレッチ」は妙な輝きを放っています。でも、まぁ、これもブルースみたいなんだけど(笑)。
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1.Blue Bossa
2.La Mesha
3.Homestretch
4.Recorda-Me(Remember Me)
5.Jinrikisha
6.Out Of The Night

Kenny Dorham,tp
joe Henderson,ts
McCoy Tyner,p
Butch W Arren,b
Pete La Roca,ds


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2006年05月20日

細野晴臣&YMB『はらいそ』

3f477968.jpg:細野晴臣&イエロー・マジック・バンド『はらいそ』
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 3つの方法があると思うんです。
 まず1つは、もうなんだかわからないサウンド、ってのを作って聴き手を混乱させる。次は、異国文化をしっかり見つめて租借する。最後に、妄想する。

 これらは西洋音楽(に付帯する、J-popに於いても強力なアメリカンポップスの引力)から離脱するための方法であり、上のすべての要素によって語られやすい細野晴臣が『はらいそ』を発表したのは1978年。

 まあ、すんげー簡単に言うと、西洋解脱ってことで細野晴臣は東洋のサウンドを取り入れるわけですね。サウンドっつったら、ミックスだけ東洋っぽくしてある、みたいな印象を受けるやも知れませぬが、アクセントの位置がズシッと一拍目に置かれてるだけってわけじゃなくて、すんごく細かくなってます。リズムも東洋路線で、だからまあ結局ロックから離れてしまうんでしょうね、細野晴臣。

 このCD聴いてるとね、細野晴臣の人間超越度合いがすごい伝わってくるんですよ。つってもね、この時代すごい人が多いのも確かなことで(今は機械操作寄りの楽曲が多いから解りにくいだけで、実際は今の方が楽曲は優れているものが多いのでは。という愚見を持ってるんだけど、まあ78年だったら色々いじれたんだろうけど、それでもこのアルバムはほんと良い感じよ。ノスタルジーに行かないのよ。懐メロのはずなのに。)、これね、恥ずかしい言い方をすれば「細野さんは神!」になるんでしょうが(笑)。
 まあ、細野晴臣のボーカルがすごく良い、ってのがこの病的な信仰の一因となっているのは自明でしょうね。ベースがかっこいいってのもあるけど、やっぱ声って一番目立つから。

 あと、歌詞が物凄いですね。70年代邦楽なんて殆ど洋楽ポップスみたいなもんだから、歌詞が音的に傾倒するのはすごくいいです(今は逆だったりしますね、たまに)。問題は、わざと同じ単語を使って(歌詞ってのは、同じ単語を違うフレーズの中に複数はめ込むのは御法度じゃないですか)すごく崩れてる。音楽に間違いなんてない(僕はむしろ「正解だな。かっこいい」って考えるんですが)、ってことを痛感させてくれるそんな「はらいそ」。

 全曲好きです。ってか、すごい有名な曲ばかりですよね、このアルバム。リボルバー!


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2006年05月03日

柴田淳『花吹雪』

7d6fa521.jpg:柴田淳『花吹雪』
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 これ、4月19日発売のしばじゅんニュー・シングルです。初回盤はDVD付きで1400円。
 ビクターにレーベル移動した後の初シングルとなります。

 まあ、軽く告白すると、しばじゅんファンである僕は、柴田淳のCDを買う際にレジの人にアイドルオタクがられないか気になっています。
 無論、女性ミュージシャンのCDを男が買うのに対して、レジ係の方が「うわ〜きもっ。」なんて思うはずが無ければ、もしそうなら下ネタを過剰に嫌う人と同様にその考えは非常に恥ずかしいものではあります。
 ちょっと自己分析をしてみると、僕が勝手に柴田淳をアイドル扱いしているのではないか、という推測も出来ます。「柴田淳は美人だから、しかもジャケットには確実に顔が出てるから、アイドル目的に思われる」というものではないでしょう(僕はそう考えているのですが、それならばもっと美しい人もいるだろうわけで、そのミュージシャンのCDを買う場合に同じような心境になるかというとそれは疑わしい。ので、僕は柴田淳をアイドル扱いし、しかもそれを認めたくないのかもしれない)。
 しかし、今後の柴田淳のCD購入にさしあたって僕がこの手の不安を抱かないファンになることが出来るかというと、それは難しいと思います。これはもうどうしようもない問題であります。

 とはいえ、このシングルは結構売れているらしく、タイアップも強力だったのかもしれませんが(そこらへん全くわかりませんが)、このジャケットの柴田淳が大して綺麗でないことを鑑みると、大概の人は僕のような不安を一切持たないで極普通に買えたのでしょう。

 まあ、ぶっちゃけ、曲が期待してたよりは良くなかったのでDVDについて先に書こうかと思いますが(笑)、画質がすごく悪いように見られます。しばじゅんは物凄く麗しいんだけどね。
 PVなんですが、ちょっとストーリー仕立てになっていて(って、当たり前のことかもしんない)、柴田淳のカメラ目線なんかもございまして、ああこれで喜んでる僕はやはり柴田淳をアイドル扱いしているんだな、と思うくらいにファンサービス豊かです。
 これは御法度かもしれませんが、倖田來未のエロというのはオヤジ受けが良くないように考えられます。ロリコンでないオヤジは、清楚な女性がちょっとした「媚び」を売るのが好きなんではなかろうか、という邪推。なのですが、やはりそれを利用したミュージシャンといえば、アグネス・チャンとか一青窈です。が、ちょっとビンゴすぎる(ビンゴもリーチも、すぎる、ってことはありませんが)くらいに柴田淳はそれだと思うんです、僕は。何がエロいかって、服装に限っては単純に胸が空いてるだけなんですけどね。もしかしたら、髪型が若妻の薫りを漂わせているのかもしれません。まあ、でも、歌いながらカメラ目線をする表情は「媚び」のように感じられました。

 って、楽曲の話無しにここまで書けるなんて全くオタク精神はすごいものだ。と、なんだか居たたまれない気持ちになっているのですが、まあ曲はそんなに良くなかったです。
 収録曲は「花吹雪」も「ひとり芝居」もバラードで、展開の仕方が面白い(まあ、形式は普通に メロA→(変形)→メロB→サビ ですけど。メロBが非常に緩くて、サビもいきなり展開したりしない。これは、いくつか柴田淳の曲の特徴と言えます。緩いし、鬱っぽく聴こえるのはそのためなのでしょうね)んですが、アレンジも良いんですが、期待した程ではなかったです。別に良く出来てると思いますが。まあ、5回しか聴いてませんが。

 あと、楽曲でちょっとアイドル的に思ったのは、ブレスとビブラート後のちょっとしたつまり(しゃっくりみたいなやつ。マイケル・ジャクソンほどじゃないけれど/笑)とです。これは全く持って人によるところでしょうが(過剰であればアイドル的である、というわけでもありませんし)、僕はこれらを「媚び」と判断します。オヤジの方々もそう判断するでしょうね。


bakohame at 01:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!J-pop総合 

2006年05月02日

細野晴臣『コインシデンタル・ミュージック』

be4e204b.jpg:細野晴臣『コインシデンタル・ミュージック』
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 僕は、『フィルハーモニー』を聴いたことがありません。
 YMO関係も全っ然聴いてない、ってのが恐らく的確な表現であり、はっぴぃえんどに至っては一枚も聴いていません(大瀧詠一は少しだけ聴いてます)。

 このCDの一般的な評価は全く知りませんが(後追いで、雑誌も何も読まない、名前や音楽を知ったら適当に中古買う。そんな僕なので/だけど)かなり好きなCDです。人気無いのかもしんないけど。

 この作品は、細野晴臣のCM楽曲集であるらしく、それらはタイトルにある通り「コインシデンタル・ミュージック」の、並びに「コインシデンタル・レコーディング・システム」なるもの利用によるところの、実験的な制作方法によるもの。などと書いてしまうと、なんだかめちゃくちゃSFチックなんですが、要は「コンピューターを用いた上で、様々な拘束条件の中、即興的に音楽を制作していく」ってことだと思います。
 曲を作る、という意識を排他して、例えばモニターで映像を見ながら即興作曲する。しかも、拘束ありで。
 たまに似たような事柄について、「だから何だっていうの?」なんて言う人がいますが、確かにそうですね。「すごいね。で、だから何?」ですよね。

 でも、僕は、このアルバムの制作プロセス自体は別にそれ程に重要性を持たない、と考えます。重要なのは、細野晴臣があんまり考えず(考えるのだが、それは様々な拘束のもとで発揮できないので、結果的にはあんまり考えてない)に生み出したサウンドそれそのものであり、だからこそ「だから何?」という考えは少しズレている(理由は後ほど、多分下の方)。まあ、作成法の面からしても僕は面白く思いますが。

 といってもこのアルバム、即興に対するフォローバックの力が大きいし、第一結構沢山普通に作られた曲もあるみたいだし(制作時間は短かったようだけど)、やっぱCM曲集なんで、各曲まとまっており、小品的にさえ感じられます。玩具みたい。

 様々な条件により思索を排他せざるを得なくなり、それに伴い本来の能力以上のものを作れる。という、超アンビエント(だって、「環境音楽」どころか「環境人間」のステージにまで発展しているんですもの。人間が思考を放棄したとき、それは人間ではないと見なされるでしょうし、人間ではないものは環境であると見なされます。中東では「神(というか、環境、だろうけど)との同一化」を行うためにただひたすら踊りまくって平衡感覚を無くす、という面白いダンスがありますが、これは非常に哲学的です。「コインシデンタル・ミュージック」の作成法はそれに近いように思います)な音楽制作により、「音楽漬けの慢性中毒から開放されて新鮮な気分になれる」と、ライナーには綴られています。が、僕にしてみれば、別に、普通に好きなアルバムです。


2006年04月29日

『サイケ歌舞伎「月食」』

a01d1f17.jpg:『サイケ歌舞伎「月食」オリジナル・キャスト・レコーディング』
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 サブカルここに極まれり! って感じのタイトルですね(笑)。「サイケ」と「歌舞伎」て(笑)。

 作詞は橋本治、作・編曲はホッピー神山によるこのアルバム。これはミュージカル『月食』の音楽を、そのキャストのまま収めたものです。ミュージカル『月食』の設定はインド。

 インドっぽいのフレーズを引用したサイケデリック・ロックというのは結構ありますね。HIPHOPなんかでもサンプリングされているように思います。この『月食』もインドっぽいフレーズが散りばめてありますが、期待するほど多く取り入れられているわけではありません。

 ただ、僕はこのアルバムを、他のどんなインド搾取の音楽よりもインドっぽい、と言いたいです。

 インド音楽の特徴として挙げられるのは、そのメロディー(リフ)だけではなく、構成です。狂うようなダンスミュージックの中に、反復的なブレイク(音のなくなるものまでも)がある。動→静→動が極端で、それが見事に出来ているわけですね――今度インド音楽コンピレーションを買おうと思うので、そこで確かめますが。
 で、ミュージカルというものはその構成との親和性が高い。動→静→動が極端なものが多いわけじゃないですか。
 逆に、ミュージカルを意識すれば自ずとインド音楽みたいな構成になるはずだ。と、邪推しておりますが、いかがでしょうか(笑)。
 だから、これはめちゃくちゃインドっぽいんですよね。部分的にフレーズ入ってるし。

 さらに、サイケの特徴としてのノイズ要素ですが、これがまたかっこいいんだわ。ホッピー神山は自作のノイズ機器を使っているらしいです。
 あと、完全にフリー・ジャズの楽曲もあってですね、これがすごく展開するのでめちゃくちゃすごいわけよ。栄養分多すぎて目眩しそうです。

 なお、僕はホッピー神山目当てでこのアルバムを買ったわけではなく、歌手/女優/元アイドルの伊藤かずえとギタリストの鬼怒無月に惹かれてこれを手にしました。
 「サイケ」っつわれても「歌舞伎」っつわれても、それだけじゃあ興味持てないんですよ。ビーチボーイズも、『ペット・サウンズ』よりも普通に初期の奴のほうが良いと思ってますし。


bakohame at 02:16|PermalinkComments(9)TrackBack(1)clip!その他 

2006年04月26日

Donald Fagen

6b69c154.jpg:ドナルド・フェイゲン『モーフ・ザ・キャット』
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 “モーフ”というのは“化身”という意味で、このアルバム・タイトルは“猫の化身”を表わすようです。多分黒猫じゃないかな。着ぐるみかもしれない。

 有名な『The Nightfly(http://r.pic.to/2m4wt-1-f832.jpg)』と、『Kamakiriad(http://r.pic.to/2m4wt-2-f832.jpg)』、そしてこのアルバム。三枚のソロアルバムがスティーリー・ダンのボーカルであるフェイゲンにはありますが、これは“三部作”として捉えるべきのようです。

 全部渋い。という印象をとりあえず受けています(笑)。が、これは多分ボーカルのせいです。ビブラート殆ど無しで、まあ、クラプトンみたいな。日和った(と言われるかもしれない時点以降も、僕は好きです。クリーム時代も好きですが)後のクラプトンみたいな。
 まあ、ちゃんと出来た曲は過剰なビブラートを必要としませんね。多分、このサウンドならば、過剰な表現は曲を壊します。壊れていい曲とそうでない曲があるんでしょうね。

 全編(三枚ほぼ全曲)ファンクをテイストにしていて(ジャジーとか言われるけど、全然ファンクの範疇だと思っちゃうんだよなぁ。ジャジーなファンクって、結構普通にファンクと呼ばれるんじゃないか。それがファンクのすごいところなんだけど。HipHopなんかもっとすごいけど)、あんまりごちゃごちゃしてない。整理整頓された、無駄の少ない、非常に良いポップスです。

 AORとかフュージョンというのはエレクトロニクスの発展と並行して変化してきたのでしょうが、フェイゲンの『ナイトフライ』が82年であり、これは物凄く音が良く(今のよりも良いかも)、やはりエレクトロニクス最強という感じ。画像のジャケットは非常に素晴らしいですが、Djに扮したフェイゲンの男前度を際立たせているのが、青色のタイトルプリントでしょうね。洗練された、研ぎ澄まされたイメージ。電気と通ずる部分もあるかと思います。

 『カマキリアド』も格好いい。さらに、やはり渋い。ジャケットはまたまたオシャレで、男前。『ナイトフライ』よりも『カマキリアド』を先に入手した僕としては、後者の方が思い入れが強く、こっちのほうが好きです。

 そして、2006年になって発表された『モーフ・ザ・キャット』。これまたクールです。決してアバンギャルドには行かない、しかしグルーヴィーな、整った無駄の無いサウンド。

 若者/中年/壮年・老年(死)が“三部作”のテーマらしいですが、洗練されすぎててつまらないというのも本音です。三枚も同じスタイルで、粋で、渋くて、カッコ良くて... 好きだけれども。
 良いものを受容しすぎて、それに飽きてしまう。すごく贅沢なことです。


bakohame at 23:14|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!ポップス 

2006年04月23日

退行とトラッド(と、「四枚目」)〜Fairport Convention『Liege&Lief』〜

e043326d.jpg:上=フェアポート・コンヴェンション『リージ&リーフ』、下=Jethro Tull『Aqualung』
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 ロックバンドって、四枚目を最高傑作とされる場合が多いように思いませんか?
 一枚目が一番良い、というのはある種当たり前っちゃ当たり前のことですが(制作期間が「生まれてから初めてアルバムを出すまで」だから)、何か四枚目にも集中しているように思いますね。ツェッペリンの『検戮箸。洗脳、だと思いますけど(笑)。

 僕はフェアポート・コンヴェンションの作品はこれしか聴いたことがありませんし、しかも5日前に購入したばかりです。5回しか聴いていません(僕は大抵のCDを5回は聴くんだけど)。これも「四枚目」の作品で、「フェアポート一番の名盤」の冠を持っているアルバムらしいです。しかも、「四曲目」が一番良いんじゃないかと思います(笑)。王盤、松井盤、金本盤、ヤクルト時代のペタジーニ盤、横浜に居たローズ(この人の打率すごくなかったですか? なんで消えちゃったの)盤。
 正統派の四番打者盤(すごくリズミカル/笑)と言って過言ではないだろうこのアルバム、やはり世間で「松井はダメだ。」なんて言ったら嫌な目で見られるわけで(「金本なんてダメだ」などと言おうものなら、ある種の人に殺されるかもしれませんね)、「嫌い」とは言えない強度を持っています。

 ただ、同じく四枚目でかつ名盤とされるジェスロ・タルの『アクアラング』。これは「好きじゃない」です。
 僕はジェスロ・タルをかなり好いていて、全部のアルバムを持っていますが、これが一番ダメなように思います。
 もしかしたら音が非常に悪いことも起因しているのかもしれませんが、僕は4・50年代の音楽も聴いている人間なので、「かなり好き」なジェスロ・タルの作品を「好きじゃない」と感じるに至るほどの効力を持つとは考えられません。ほんとに5回くらいしか聴いていないと思う。
 聴いている途中で辟易してしまって、トラックを変えたりヘッドホンを外したりしてしまうのです(誤解の無いようにことわっておきますが、それは「5回」の回数に含まれないです)。

 でも、それは『リージ&リーフ』の場合もそうでした。途中でうんざりしてしまう。
 そして、このアルバムも「嫌い」ではありませんが、特別に「良い」と思えるアルバムでもありません。が、僕はこのアルバムを「好き」言えます。

 何故『リージ&リーフ』を好きになったのか。答えは簡単で、かなりノスタルジックに感じられたから、です。
 僕には小さい頃によくフェスティバル(「○○祭り」みたいな感じのやつじゃなくて、ロック・フェスティバルでもない)に連れて行ってもらった覚えがあり、その頃のひどく退屈な、嫌気がさすほどの例えばフリーマーケットの建ち並ぶ風景を鮮明に記憶しています。これは今となっては、子供の頃の思い出殆ど全てに言えそうですが、美しい思い出です。
 つまり、ノスタルジー喚起の魅力により好きになれたと考えられます。これに関してはカーペンターズも同等の力を持っているでしょう。

 だから、これを「嫌い」と言う人を、僕は信じられません。「何も感じない」「好きでも嫌いでもない」と言う人はいるかもしれませんが。僕にとってこのアルバムを嫌う人は、「ノスタルジーをすごく嫌う人」であり「物凄く痛いとされている人。もしくは、ノスタルジーに浸れるほど精神年齢が高くない人」、「超・リアル指向の人」です。僕はこういう人が大好きですけど。

 ジェスロ・タルにはノスタルジーを求められないんですね。だから、別に「普通のロックよりちょっと優れているだろうアルバム」である『アクアラング』には魅力が見いだせません。それに、転調が凄い曲って大抵ノスタルジックでなくないですか(なくなくなくない)?

 話は変わって、フェアポート・コンヴェンションは「トラッド・ロック/フォーク」のイコンでもあります。
 ただ、僕は、フェアポート・コンヴェンションの「トラッド」をあまり凄いとは考えません――この発言は相当に痛いだろうなぁ。
 当たり前ですが、一応、音楽の原点は「民族音楽」とされています。「トラッド」ですね。
 民族音楽は和声的に解明できない、あまり数学的に作られていないものが殆どです。というのも常套句ですらある現状ですが、確かにデジタルではない微妙な音が使われています。
 しかし、ギター等の弦楽器はそれをも表現可能です。非常にアナログな音階を使える。全音階使えるんだもん。
 フェアポート・コンヴェンションは民族音楽を下地にアレンジをして、『リージ&リーフ』に7曲も収めています。
 民族音楽を洗練して、演奏する。ということは、音楽のデジタル化のプロセス(→バロック音楽周辺。バッハ)を一歩前の形に留めるだけでいいわけですよね(手順としては)。つまり、音の選択肢を狭めていけばいいわけで、弦楽器は非常にそれに於いて有効な役割を果たします。これがロックにトラッドが多い理由であろうし、一見正反対にすら思えるクラシックとロックの邂逅も、民族音楽をベースにソフィスティケーションしていけば良いだけのようにすら思えます。
民族音楽とクラシック(からのポップ)の関係は、ギターとピアノのようなものだと思います。どちらも発音の構造は全く同じ。広いか狭いかだけですもんね。だから、ピアノに名曲といわれるものが生まれやすい(絞り込みやすい)のだと思います。
 民族音楽が洗練されてポップになる、というプロセスは、中東のポップスと同じものであろうし、僕は『リージ&リーフ』を「なんか中東臭いなぁ」と感じながら聴いています。僕は、これをフェアポート・コンヴェンションの魅力だとは考えていないし(一枚しか聴いてないけど)、すなわちフェアポート・コンヴェンションがトラッドであろうと無かろうと結構どうでもいいわけです。いや、曲は物好く好きですし、民族音楽も好きなんですけども。

 ジェスロ・タルもトラッド・ロックが魅力とされています。が、僕は、ジェスロ・タルに関しては確かにトラッドに於いてすごい、と考えます。
 ジェスロ・タルの一番凄いアルバムは『Stormwatch(邦題:ストーム・ウォッチ〜北海油田の謎)』ですが、これがまたすごい。
 ロックとして聴く分にも転調の華麗さに驚くわけですが、“トラッド3部作”と銘打たれる内の一枚であるこのアルバムには、トラッドのクレジットがありません。当たり前です、ロックなんですから。
 しかし、かなりトラッドに感じる。これは、フレーバー(というかテイスト)をロックに融合させていることを表していて、民族音楽を洗練させるというよりは、近代音楽を退行させる作業を示しています。しかも、それがロックのビートに乗っている。これこそが真のトラッド・ロック(もしくは、全然「トラッド」ではないロック)ではないでしょうか。かなり生真面目に作り込まれたものだと思われます。
 ジェスロ・タルは、『アクアラング』にもライブ版が収録されていますが、バッハのカバー曲「ブーレ」をロックアレンジにして発表しています。しかし、これは完全にフレーズを引用しているだけで、「バッハをアレンジした」というよりは「バッハでアレンジした」に近いように思います。非常に退行的です。

 フェアポート・コンヴェンション『リージ&リーフ』の効果であるノスタルジー喚起。これは、妄想・想像の中で聴き手を子供に退行させてくれます。
 ジェスロ・タルはそれそのものが退行(っつーと、厳密には「幼くなる」みたいな意味になるんだけども。「“プログレッシヴ”・ロック」なのに/笑/ある意味真理かもしれない)です。
 どちらも好きな僕は、小学一年生の時分(の自分)が一番輝いていた、と常々口にしています(笑)。


bakohame at 03:57|PermalinkComments(9)TrackBack(0)clip!ロック | 複数枚

2006年04月19日

Archie Shepp『Attica Blues』

5add6fbe.jpg:アーチー・シェップ『アッティカ・ブルース』
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 アーチー・シェップのアルバムはこれしか持っていないのですが、これはかなりの傑作のはずだと考えます。
 しかし、アーチー・シェップの他楽曲・他アルバム群とこのアルバムを相対的に比べて、正統派ファンが「気持ち良い・好き」と思えるかというと微妙なところでしょう(僕は楽曲の単位であれば他のシェップも聴いている)。
 このアルバム、ひいてはアーチー・シェップは基本的に“ジャズ”として認識されます。が、少なくともこのアルバムはその範疇から脱け出す要素があり、“ジャズ”と呼ぶには広すぎるように感じるし(これが起因してこのアルバムはマニア受けはしなさそう、と考える)、“ブラック・ミュージック”と呼ぶ方が適当(って、もうそれなら何でもありじゃん、って感じだけど)でしょう。

 タイトルに“ブルース”と入っていますが、ブルースの要素はあまり入っていません。というより、少し夢心地(フローティングしているよう)で、大人/夜な雰囲気もありまして、はっきり言ってディズニー的です。全然ディズニーじゃない曲も収録されていますが、しかしディズニー的である曲に強烈なインパクトがあるわけで、印象としてはやはりディズニー的だと思います。

 ボーカル入り(このアルバムの楽曲は殆どにボーカルが入ってます)のジャズというものは、西欧の音と黒人的なリズムがミックスされているわけですが、それがディズニー映画に多用されることから、どうしてもそれをディズニー的に感じとってしまう。ということが僕には多いです。
 さらに言うと、映画『ピノキオ』の「星に願いを」が影響しているのかもしれませんが、ボーカルが男性であれば物凄くディズニー的に感じる。
 そして、このアルバムで一番インパクトの強い楽曲は、男性の歌う「Steam,part 1」「Steam,part 2」です。
 僕の持っている国内盤のライナーでは、半ば黙殺されているかの如く「スティーム パート1・2」について書かれていません。

 ストリングスを豪勢にあしらった「スティーム パート1・2」は、それだけでかなりディズニー的です。しかし、ストリングスはスコアが書かれているんだろうけど、その他がかなりアドリブで構築されているので、リズムが少しズレたりしています(って、これはストリングス入りジャズと相違無いのですが)。
 しかし、さらにジョー・リー・ウィルソンの歌唱がこれまたズレまくることにより、もの凄いグルーヴが生まれます。もわわ〜んとしてます。
 しかも、その歌唱はかなり過剰で、大人/夜を想起しやすいように演じているよう。ムード歌謡や演歌に見られる演技を極端に押し進めた歌唱のように聴かれます。
 このグルーヴは間違いなくジャズから生まれたものではありますが、ストリングスと過剰な演出が多分に含まれていることは非常にディズニー的であります。が、しかし、ここまで物凄い極端なものを聴いたのは後にも先にもこれだけじゃないかと思います。
 これを黙殺してしまう意図がわからないのですが(批判するための要素は沢山あるはずなのに)、ある種のトラウマじみたものがあるのかもしれませんね。なんか凄いの聴いちゃって忘れられない(し、それを批判する歪みというのは物凄いものになってしまうだろう)という。

 また、このアルバムは収録曲の半数に、結構正統派な、今の耳で全然聴けるようなブラック・ミュージック(ファンクすら有る)を持ち、これがディズニーと同居していて、しかも一本のテーマを持つコンセプト・アルバムとして聴かれるというのは、傑作としか言いようがありません。R&Bがコンセプト・アルバム的な志向を体現することは多々ありますが(ジャズでも沢山あるでしょうが)、これはその域に達しているアルバムです。

 ただ、一つだけ異質なトラックがあります。
 最後の楽曲である10曲目、「Quiet Dawn」は、当時7歳であるワヒーダ・マッセイがボーカルを努めています。が、この歌がかなり下手糞で、ある意味サイケ臭いというか(失礼だけど、それに近い印象を受けた)、とりあえず異質です。
 バックの演奏はしっかりしているし、曲もかなり良いと思うんだけど、それが異質になってしまっている。
 彼女、1コーラスはなかなかしっかり歌えますが、この曲は長く激しいので、途中から空気摩擦により喉がしわがれていまったかのように苦しげになっていきます。ロリコン必聴の音源。

 このアルバムには有名曲「Blues For Broter George Jackson」「Good Bye Sweet Pops」なども収録されていますが(tvBGMにも良く使われてる)、上述の3トラックにはインパクトでは勝てません。勝たなくて良いんですけど。

 と、ここまで書いて思ったんですが、ディズニーのミッキーマウスの本来の名前(ニックネームだったかも)を知っていますか?
 「スティームボード・ウィリー」という名です。ミッキーが蒸気機関車を乗り回すシーンは皆の記憶にあると思いますが、そこから来たんですね。
 ディズニー、ミッキー、蒸気機関、スティーム パート1・2。これは多分偶然では無いでしょう。