2018年10月21日

南里邸のフィナーレ!!

3月17日より足掛け8ヶ月開催してきた南里邸の企画展
「世界を見ていた佐賀の人」、「佐賀に縁ある女たち」は本日閉幕です。

始まったときは寒くて、火鉢に炭を入れ、暖を取っていました。
梅雨の時期、大雨特別警報が出たときは、南里邸の裏の川が氾濫しそうでしたが、南里邸は無事でした。
夏は酷暑が延々と続き、たたきの土間で外よりは2℃ほどは低いといわれても、外は40度近くになれば、南里邸は38℃。エアコンのない南里邸は大変でした。
また、大きな台風が次々と来て、中庭の松がゆさゆさ揺れて屋根瓦に触れるのを恐々見る日もありました。
昨日の南里邸講演会には、70人もの方が来てくださり、南里邸は、満員でした。

そして、秋晴れの本日、閉幕です。

昨日の講演会の講師、共栄大学教授の内藤徹雄先生とノンフィクション作家の柳原三佳さん親子、佐賀藩の英学の祖の小出千之助さんの縁者が、本日も南里邸を訪ねて来てくださいました。
南里邸で皆様をお迎えしてきた南里早智子さんと私末岡暁美で記念撮影。
みんな良い顔です!!
P1120739


bakumatusaga at 21:50|PermalinkComments(0)

2018年10月20日

大盛況「佐賀縁の人々を偲ぶ講演会」

本日14時より、南里邸では「佐賀縁の人々を偲ぶ講演会」が開催されました。

お客様が来て下さるか、とても心配でしたが、開演30分前くらいから、ぞろぞろとおいでいただきました。
結局70人ほどの参加者で、南里邸は満員になり、大盛況でした!!

小出千之助と佐野鼎の話、クーデンホーフ光子とその二男リヒャルトとEUの話、今までに聞いたこともない、大変興味深いお話が続き、参加者の皆様も喜んでくださったようで、主催者としては大変嬉しい事でした!!

夜は交流会。和気藹々の中に大変意義のある交流会が出来ました。

中味に就いてはまた後程・・・

南里邸の企画展、明日は最終日です。
あと一日頑張ります!!

bakumatusaga at 22:44|PermalinkComments(0)

2018年10月19日

電信電話の発展に尽した佐賀藩!!

本日の佐賀新聞の朝刊の「佐賀維新新聞」は明治7−8年。
トップ記事は「電信国際会議に石井氏出席」。1875年(明治8年)6月にロシアのセントピータースブルグで開催された「万国電信会議」に旧佐賀藩出身の石井忠亮(いしいただあきら)が出席し、欧米各国の電信事情も視察し、政府が進める国内電信網を充実させる必要性を再認識したとありました。

解説には、明治3年には、デンマークの大北電信会社が、新政府の許可を受け、上海長崎間とウラジオストク長崎間に海底ケーブルを開通させたが、政府はその事情を詳しく確認できていなかった事も書かれています。
そして、今後ますます、各国の電信競争は激しさを増すと予想され、世界の電信発展に乗り遅れないよう、石井忠亮をはじめとする工部省の働きに期待したいと結んであります。

これは、今のことではなく、150年近く前の出来事だということに驚きます。

その後、明治9年のフィラデルフィア博覧会ではベルの電話機が発表され、日本はそれを2台買ってきて、佐賀藩の精錬方出身の田中久重等が国産の電話機を開発。
石井忠亮は、1880年には電信局長に就任し、1883(明治15)年、上海に出張した際、現地の電話交換局を視察し、民間でも電話が普及している実情に驚き、帰国後、国家としての電話事業創設を建議し、その必要性を強く訴えたけれど、紆余曲折あって、石井忠亮が工部省を離れ和歌山県知事となっていた1890年、国営電話事業が開始され、東京横浜で電話が一般にも使用できるようになったと私は認識しています。

その前に、長崎に海底ケーブルで来ていた世界の情報を、東京に運ぶために、電信柱を建て、電信線を架設し、明治6年に長崎東京間を電信で結んだのは、工部省電信頭の石丸安世。石丸安世も旧佐賀藩士。その難工事を成功に導いた出来事の一つに、8代深川栄左衛門が有田焼の技法で磁器碍子の製造を成功させたことがあります。

近代日本の情報インフラ発展のために貢献した佐賀藩の人々のこと、もっともっと知るべきだと私は強く思うのであります。

明治3年に発行された福沢諭吉の『西洋事情』の挿絵、150年前のものだととても信じられません・・・


bakumatusaga at 21:01|PermalinkComments(0)

2018年10月18日

『明治期の有田焼の海外進出』は無事終了

本日の肥前通仙亭の「おもしろ学講座」、『明治期の有田焼の海外進出』は無事に終了し、ホッとしているところです。

このテーマでまとまったお話をするのは初めてで、とても心配でしたが、受講生の皆さんは、初めて聞く話が多かったようで、興味深く聞いてくださいました。

含珠焼の紹介をしたところ、受講生の皆さんで武雄の図書館を見学されたときに、樋口治実さんの御子孫が武雄市に寄贈された含珠焼の実物をご覧になられていたそうで、とても喜ばれました。

それに、明治期に日本から海外に輸出されたカップ&ソーサーの近藤裕美さんのコレクションを紹介し、その一部が、昨日から有田で開催されている「お茶を召しませ」という企画で展示されている話をしたところ、来月は有田への研修旅行が計画され、お茶を召しませもコースに入っているとのこと。

それに、肥前通仙亭は、日本に煎茶を広めた売茶翁を紹介する施設です。売茶翁の絵を江戸末期の絵師、伊藤若冲が描いています。この伊藤若冲の絵のコレクターとして、アメリカのジョープライス氏が有名です。
通仙亭の方は、伊藤若冲つながりで、ジョープライス氏ともお会いされた事があるそうで、プライスコレクションの事をお話したら、とても驚かれました。

ジョープライス氏は、日本の文化、美術にも造詣の深い建築家のフランクロイドライト氏とかかわりが深く、ここには佐賀出身の執行弘道がかかわっています。
執行弘道は起立工商会社のニューヨーク支店にお勤めでした。
グチャグチャに繋がっていくのですが、何と面白いのだろうとまたまた興味がわいてきます。



bakumatusaga at 22:47|PermalinkComments(2)

2018年10月17日

明日の準備

明日の準備に追われています・・・

「明治の有田焼の海外進出」についてまとめてお話しするのは初めてなのです。
断片的にはよく話をしているのですが、順序だててうまく話せるだろうか・・・

それに、海外で大事にされてきた有田焼の輸出品のことをお話したいのだけど、その魅力を伝えられるだろうか・・・

心配は尽きないけれどやるしかない・・・

bakumatusaga at 21:26|PermalinkComments(0)

2018年10月16日

講演会の準備

今日は南里邸休館日です。

たまった仕事を片付けようと思うのだけれど、なかなか先へ進めず苦戦しています・・・
でも、やるしかない・・・

20日の南里邸の講演会の準備は、会場作り、資料作りも終え、当日を迎えるばかりとなりました。

が、しかし、18日に肥前通仙亭で私が『明治期の有田焼の海外進出』について、はなさねばならないのです。
明後日ではないですか・・・

何とか頑張ります。


bakumatusaga at 21:39|PermalinkComments(0)

2018年10月15日

式見の森家

本日も南里邸は開催日です。
わざわざ足を運んでくださるお客様といろいろお話できる事が、とっても楽しいです。

昨日、長崎の式見にルーツを持つ方がお見えになりました。
ネットで、ご自分の先祖の森家について調べていたところ、このブログがヒットしたそうです。

実は夫の先祖が式見の出身で、私は以前に一度だけ、そのお墓を訪ねた事があります。
どうも、その方のご先祖も一緒の墓地に眠っておられるようです。
どこかで繋がっているかもしれない・・・

家で夫にその話をしたところ、夫は親戚に違いないと何の確証もなく言っております・・・。

式見のお墓の事、最近、すっかり忘れていました・・・

資料、見直してみようと思います。

bakumatusaga at 20:49|PermalinkComments(0)

2018年10月14日

南里邸と明治期の焼物・・・

本日は南里邸開館日。
朝一番に来てくださった方は、武雄の松尾さんでした。
含珠焼(がんじゅやき)と呼ばれる、明治時代につくられていた佐賀の焼物があり、その製作者の樋口治実については、100年以上前のアメリカの雑誌に写真入で詳しい記事があります。
この記事を見つけられた、ロサンゼルスの近藤裕美さんから、ぜひご子孫にこの記事を渡して欲しいと10年ほど前に記事のコピーをお預かりし、縁者探しを始めましたが、今は途絶えている含珠焼のことは全くわからず、難航しました。
それが、地元の新聞にあった松尾さんの投稿で、糸口が解け、ご子孫がわかり、記事をお渡しする事ができました。松尾さんとは、お電話で2度ほどお話し、手紙のやり取りをしたことはありますが、実際にお会いするのは今日が初めてでした。

ちょうど手元にあった、近藤裕美さん著書の『近代 横浜の輸出陶磁器』を松尾さんにお見せする事ができました。

また、今日一番最後のお客様はイギリスからのご夫妻でした。この方々にも、『近代 横浜の輸出陶磁器』をお見せしたところ大変喜んでいただけました。

明治時代の日本から輸出陶磁器のカップ&ソーサーには、甲冑姿の武者絵をはじめ、ゴテゴテした人物画などが描かれたりしているのですが、光を通すほどに薄い磁器です。
卵の殻のように薄く、しかも丈夫な物を「卵殻手」で、西欧人から「エッグシェル」とよばれ、とても珍重されたそうです。
近藤裕美さんのコレクションのカップ&ソーサーの写真を見ながらとても喜んでおられました。

今日もいろいろと楽しい南里邸でした!


bakumatusaga at 20:09|PermalinkComments(0)

2018年10月13日

唱歌の会の皆様

P1120734本日の南里邸には、みやき町の唱歌の会の皆様がお出でになりました。
女性ばかりのグループで、とっても楽しそうに歌われていました。

「小さい秋見つけた」も歌われ、再練習。
「いいですか、最初はメゾピアノですよ!それから、クレッシェンド、デクレッシェンドのところ、よく楽譜を見て歌いましょう!」と、ご指導され、更に素敵な合唱となり、聞きほれてしまいました。

文化祭で発表されるのだそうです。

いいな〜

bakumatusaga at 21:12|PermalinkComments(0)

2018年10月12日

藤山種広と板ガラスの製法

藤山種広は板ガラスの製造にも成功したとのことです。

で、副島ガラスさんに、板ガラスの製法についてお尋ねしました。
板ガラスはロール状になったガラスを切り開いて平らにしたのだそうです。

そうか・・・。ガラス作りの工房で、管の先に飴のように溶けたガラスをくっつけ、吹いてコップを作っているのを見たことがあります。
吹きガラスでは、板ガラスは出来ないのですね!

また、水銀の上に流し込んで板ガラスをつくる方法もあるとのことです。

とっても身近なガラスなのに、私はその製法を何にも知らないことに大いに驚いてしまいました・・・。

昨日は、神埼にある藤山種広のお墓にも行きました。
この人は不慮の事故で、48歳で亡くなっています。

近代日本の発展を支えた技術者の一人として、覚えておかなくてはならない人だと思いました。
28938318_550297628675599_1531999282_o








bakumatusaga at 22:32|PermalinkComments(0)

2018年10月11日

縁の下の力持ち、金赤ガラス

本日は藤山種広について認識を深めた一日でした。

幕末のパリ万博に佐賀藩から佐野常民の従者として派遣された藤山文一は、後に藤山種広と名乗り、明治6年のウィーン万博には伝習生として参加しています。

彼がヨーロッパから学んできたものは、活字製法、活字紙製法、硝子製法、鉛筆製法です。

この中で、現在、佐賀でお話しが聞けそうなのは硝子についてでしょうか。

本日は佐賀藩精錬方の流れを組む、副島ガラスさんにいろいろとお尋ねしました。

ガラスの製造の中でも、藤山種広が日本で初めて成功したのは赤ガラスと板ガラスです。
色ガラスの中で一番難しいのが赤ガラスで、赤ガラスには銅赤ガラス、セレン赤ガラス、金赤ガラスがあるそうです。
中でも、透明度の高い金赤ガラスは、現在でも製法が難しいとのこと。
ガラスの原料に単に金を混ぜれば赤が発色するのではなくて、金にいろいろと細工をして、難しい温度調節をして透明度の高い金赤ガラスをつくるのだそうです。

金赤ガラスの何故必要だったのか・・・
その用途の一つは船の舷灯です。
航海法では、夜間に航行中の船は衝突防止のために、右舷に緑灯、左舷に紅灯をつけることが義務付けられています。航海法は世界共通です。
日本にはそれ以前につくられていた、銅赤ガラスというのがあるのですが、これは暗赤色で、十分に光が届かないのです。
そのため、より光を通す金赤ガラスが必要だったのです。

成程・・・。舷灯は船の重要なパーツの一つ。これから世界を相手に貿易をしていこうとするときに造船は不可欠。明治政府は舷灯も国産で船を造りたかったのだと思います。

では、緑灯は?副島ガラスさんによれば、緑色のガラスの製造は比較的簡単だそうです。

ガラスは建築資材か工芸品としか考えが及ばない私にとっては、なかなかイメージできないのですが、金赤ガラスの製造が近代日本の発展の下支えになったことは間違いないようです。





bakumatusaga at 21:48|PermalinkComments(0)

2018年10月10日

佐賀城本丸歴史資料館と徴古館研修

今日は南里邸の休館日なので、研修日。
佐賀城本丸歴史資料館と徴古館へ行ってきました。

お目当ては、10月20日に南里邸で開催する「佐賀縁の人々を偲ぶ講演会」でテーマとする小出千之助さん縁の品物の展示です。

佐賀城本丸には、幕府の遣米使節の時に撮った写真とパリ万博関連の品々などがありました。
徴古館には、遣米使節の際持ち帰った鉱物のサンプルや名刺類など多々ありました。

これらの事は、20日に南里邸にお見えになる小出千之助に興味を持つ方々にお知らせし、是非見ていただき、千之助さんを身近に感じていただきたいと思います。

徴古館では、平林伊兵衛作の洋食器セットが展示されていました。明治2年、長崎にいた医師の注文で作ったものだそうです。
楕円形の皿などもありました。
これはどうやってつくったのかしら・・・
明治2年には楕円の皿をつくる技術があったのだろうか・・・
白磁の楕円皿を輸入して絵付けしたものだろうか・・・

含珠焼の花瓶も展示されていました。

これらの焼物については、来週通仙亭で、明治期の輸出陶磁器のお話しするときに紹介したいと思います。

今日もあれこれ頭がいっぱいで、大変です・・・
でも、研修は楽しいものです!!


bakumatusaga at 21:21|PermalinkComments(2)

2018年10月09日

『明治期の有田焼の海外進出』

本日はとってもよいお天気で、暑かった・・・

来週、肥前通仙亭で、『明治期の有田焼の海外進出』の話をすることになっているので、その資料をつくっています。

江戸時代の古伊万里と呼ばれる有田の焼物は、佐賀では美術館や博物館、資料館などで度々目にすることは出来ますし、テレビの番組でも「いい仕事してますね〜」と感嘆される美術品を見ることが出来ます。

でも、明治期に海外に輸出された焼物は、国内にはほとんど残っていないし、最近では里帰り品として少し目にする機会も増えましたが、なかなか見ることはできません。


国際社会にデビューしたばかりの日本にとって、世界の人々に日本という国をどうアピールするかは重要な課題でした。
短時間のうちに、西洋人の好みを学び取り、日本の伝統工芸と融合させ、新しい作品を生み出していった明治の人々のエネルギーを感じる事ができるのが明治期の輸出陶磁器だと思います。

そんな事をうまく伝えるにはどうしたらいいんだろうか・・・

悩みながら、頑張っております・・・



bakumatusaga at 20:29|PermalinkComments(0)

2018年10月08日

蓮池談義

今日も南里邸は充実しておりました!!

佐賀市内からお見えになられた方は、このブログの愛読者で、蓮池出身の方でしたので、蓮池談義で盛り上がりました。

蓮池鍋島家の菩提寺である宗眼寺の裏の道は、ヤコ(野狐)が出ると言われていたので、あの辺りは走って逃げるように通っていた話など、私の幼い頃と同じで、とても懐かしく思いました。
ヤコは人を化かす恐ろしい妖怪だと教えられていました。
周りに、ヤコに騙されたという話がいっぱいあったような気がします。

それに蓮池言葉。
おかずの事は蓮池藩では「せー」といいます。佐賀藩では「しゃー」
蝿のことは蓮池藩は「へー」。佐賀藩は「ひゃー」。
貝のことは蓮池藩は「けー」。佐賀藩は「きゃー」。
蓮池藩の言葉の最も基本になる特徴は、四文字下りと言われます。
アイウエオの内で一文字目がア、四文字目がエですから。

今はすっかり寂しくなった蓮池の賑やかりしころの話は、とても楽しいものでした。


bakumatusaga at 23:12|PermalinkComments(0)

2018年10月07日

南里邸講演会のお知らせ

本日の産経新聞の九州・沖縄版に南里邸のことが紹介されました。
10月20日(土)の研究者等による講演会とは、佐賀縁の人々を偲ぶ講演会のことで、

柳原三佳氏(ノンフィクション作家 万延元年遣米使節子孫の会 佐野鼎親族)による「小出千之助と佐野鼎〜幕末、遣米使節として2人が見た世界と英語教育にかけた思い〜 」と、

内藤徹雄氏(共栄大学名誉教授 佐野鼎研究会世話人)による 「EU統合思想の提唱者クーデンホーフと、その母光子」です。

講演は14:00からで、入場は無料です。
ご興味ある方は是非南里邸へお越しください。
記事については産経新聞電子版をご覧ください。
こちらです。


bakumatusaga at 21:58|PermalinkComments(0)

2018年10月06日

パソコンの代替わり

コンレイという名の台風25号、朝鮮半島南部を通っていったのに、九州北部は強い風が吹き荒れました。

今回の台風の進路では、南から西の風に要注意。
我が家は昨日の朝から、南側は全部雨戸で厳重警戒。

夜中には凄い風の音で目が覚め、なかなか眠れませんでした。

午後にやっと風が収まり、幸い被害はなくすみましたが、年々強大化する台風に先々が心配です・・・

さて、今使っているパソコンはもうすぐ8年目となります・・・。
酷使に耐え、よく頑張ってくれているのですが、そろそろ代替わりをさせようと思い、新しいパソコンを手に入れました!
あれこれどうしたものかと悩みながら、あちこち触っています。
慣れるまで大変で、完全な代替わりまでは今しばらくかかりそうです・・・

bakumatusaga at 22:49|PermalinkComments(0)

2018年10月05日

武雄研修

本日の南里邸は武雄研修でした!
いつもはバイパスを通って、スーッと通り抜ける事が多い武雄なのですが、本日は旧道を通り、細い道をあちこちを通って来ました。

武雄税務署の場所も初めて知りました。でも、先月武雄市新庁舎に移転したばかりで、閉鎖された建物の横を通りました。

夫の祖父は昭和の始めのころ、武雄税務署に勤務していたと聞いていましたが、初めて場所を確認できました。
義父は武雄小学校に入学。担任は新宮先生だったそうです。家族は甘いものが大好きで、お菓子屋の山里屋さんと懇意にしていたと聞いていました。
その周辺を車で散策して来ました。
祖父は、その後沖縄宮古島の税務署長在職中に、宮古島で亡くなっています。

武雄市立図書館では肥前の陶磁器に関する資料を読み、肥前の焼物は近代日本の歴史の中で果たした役割は大きいと再認識して来ました。美術工芸品としての側面だけではないのです。

しかし、本日の、武雄研修の大目的は、昇幹夫先生の講演です。
笑いすぎて涙が出るほど面白かった〜!!

昇先生、講演の冒頭で、肥前さが幕末維新博の紹介をされました。その中で一番詳しく説明してくださったのは南里邸のことで、ビックリでした!!

あとちょっとの会期ですが、南里邸のおばさんたち、頑張ります!!



bakumatusaga at 22:26|PermalinkComments(0)

2018年10月04日

気になる八代深川栄左衛門

昨日はとってもよいお天気だったのに、今日は一転雨・・・
台風25号が近づいています。

被害が少ない事を願うのみです。

気になる家系の系図を見ているのですが、昔の人はいくつも名前を持っていて不明な事が多く、家を継ぐための縁組が複雑に絡まっていて、すっきりとまとまりません。

気になる人は、有田の八代深川栄左衛門さん。

この人の周辺を探っていくと、いろいろな事が見えてくるような気がします。

深川栄左衛門の碑を書いているのは大隈重信です。
P1000949
大きな石に「深川君之碑」と書かれています。大隈重信は、自筆の文字を残していない事で有名な人なのですが、深川栄左衛門には特別の思いがあったに違いないと思います。









bakumatusaga at 21:43|PermalinkComments(0)

2018年10月03日

小出千之助さんのこと

我が家の晩白柚、今年は2個生っていて、とても楽しみにしていたのに、落ちていました・・・
先日の台風24号の風の影響です。
枝から折れていました・・・

晩白柚は人の頭くらいに大きくなる、巨大な柑橘類で、皮はザボン漬けに利用されます。

まだ青いけれど、もったいないからザボン漬けをつくってみる事にしました。
2個で、鍋いっぱい・・・
おいしく出来るとよいのですが・・・

今夕はサガテレビで小出千之助さんが紹介されました。

万延元年(1860年)に幕府の遣米使節としてアメリカへ、慶応3年(1867年)に佐賀藩の派遣団の通訳としてパリ万博に参加した方です。

明治元年(1868年)に、落馬事故が元で亡くなられました。37歳でした。
「比類なき抜群の者」と期待されていた千之助さんの早すぎる死はとても残念です。





bakumatusaga at 21:17|PermalinkComments(0)

2018年10月02日

『詳説 幕末維新記念館』

今朝の新聞で、幕末秘話などを詳しく載せた小冊子『詳説 幕末維新記念館』が、制作され、幕末維新記念館で配布されている事を知りました。

デジタル映像だけでは頭に入っていかない世代の私も、そんなのが欲しいと思っていました!!

きっとお客様から要望があったものと思います。

今度行ったときに、いただいてこようと思います。



bakumatusaga at 21:37|PermalinkComments(0)