2017年01月18日

樹木の伐採

鹿島高校の赤門の周りの樹木の伐採が始まったというニュースを見ました。

赤門と大きな楠木が、昔を偲ぶ、とてもいい雰囲気だったのですが、残念です・・・
でも、このまま放っておくと樹木により赤門が壊れてしまう・・・

植物の成長力、すごいものがあります。

薪が燃料だったころは、剪定された枝も使い道があったのですが、今は剪定くずの処分が大変なので、木を切った後のことも大変です。
躊躇しているうちに、木はどんどん大きくなって・・・
これは、我が家だけではない悩み・・・

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2017年01月17日

明治の銀座

一昨日訪ねた三重津海軍所跡・佐野常民記念館、昨日訪ねた佐賀城本丸歴史観でも、東芝の祖、田中久重のことが話題に上りました。

田中久重は70歳を過ぎて上京し、東京銀座で電信機械を製作する、田中製造所を開くのですが、明治の銀座の地図では、江副廉蔵の江副商店の一軒おいたお隣さんです。

銀座には佐賀の人がたくさん住んでいたようです。


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2017年01月16日

江副杢之進道保

本日は江副廉蔵さんの曾孫さんと一緒に、佐賀散策をしてきました。

まず、徴古館へ行ってきました。
できれば、廉蔵さんのルーツに関わる話があればと思ったのですが、大ヒットでした!!

今佐賀では、幕末の名君といわれる10代藩主鍋島直正の銅像を建設中です。
実は大正時代に、大隈重信を委員長に建設委員会が組織され、鍋島直正銅像が建てられていました。
その銅像の除幕式には、大隈重信も帰郷し参加しています。

銅像の原型を前に関係者が並ぶ写真が大きく引き伸ばされ、展示されていました。
そこには鍋島直正の長女の慈貞院(貢姫)と、その生涯を慈貞院に捧げた兵動綱江が写っているとのこと。
貢姫と兵動綱江に長刀等を教えたのは、直正の信頼する長刀の名手、江副杢之丞。江副杢之進道保のことです・・・
江副杢之進道保は江副廉蔵、大隈重信妻美登の父・・・

写真には大隈重信も一緒に写っています・・・

美登さんのこと、もっと知ってもらうべきだと思いました!!

その写真はこちらをごらんください。

貢姫の写真はこちらです。

江副家のこといろいろと調べれば面白そうです。

ちなみに、そのときの銅像は、第二次世界大戦に伴う金属回収令により供出され、直正公は「出征」したそうです。

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2017年01月15日

クリムトとジャポニズム

本日の「若き日の大隈重信を支えた妻美登ー音楽とお話のひととき」はたくさんの方々にお越しいただきありがとうございました。
美登さんの周辺を探っていくと、明治150年の面白い歴史が見えてくることを、少しばかり紹介できたかな〜と思います。
もっともっと楽しい話が山ほどありますので、いずれまた・・・

さて、本日の会合に、美登さんの弟保さんと廉蔵さんの曾孫さんが朝一番の飛行機で佐賀入りされました。
お二人とも明日は東京に戻られるとのことでしたので、廉蔵さんが教官をしていた三重津海軍所跡(世界遺産)を案内できるのは今日しかないと思い、午前中行ってきました。

海軍所跡に建つ佐野常民記念館の館長さんが対応してくださって、たくさんお話を聞くことができました。
佐野常民記念館も見学し、パリ万博、ウィーン万博に参加した佐野常民の説明を受けました。

これらの万博に日本が参加したことからジャポニズムが始まったという説明の前で、廉蔵さんの曾孫さんが「オーストリアの画家のクリムトはジャポニズムに影響を受けて作品に金箔を使うようになったといわれています」と教えていただきました。
この方はオーストリアと関係の深いお仕事をされています。

面白いお話を聞かせていただくことができ、楽しい一日でした。



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2017年01月14日

幕末のパリ万博

今日の佐賀は、脊振山系には雪が降っているようでしたが、平野部風は冷たいものの、陽の当たるところはそれほど寒さを感じませんでした。

「明治維新150年」、今朝の新聞には幕末のパリ万博のことが載っていました。
1867(慶応3)年のパリ万博には、幕府と薩摩藩と佐賀藩が参加しています。
佐賀藩派遣団はオランダから軍艦を買いつけるという特命を受けての参加でした。

パリの現地で日本人はどのように見られていたのか、当時の新聞などあれば見てみたいものです。


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2017年01月13日

法要

寒い一日でした。
庭には百合の芽がたくさん出ています。テッポウ百合のようですが、花は上向きです。
毎年増え続けているような気がします・・・
踏みつけないようにしなければ・・・

大隈重信は1月10日が命日で、毎年、佐賀市のゆかりの寺龍泰寺では法要が営まれ、先日は96回法要があったと報道されていました。

大隈重信の先妻美登さんは2011年に、縁者の方たちにより100回忌が営まれています。
50回忌を過ぎれば50年毎の回忌法要となるそうですが、100回忌を営んでもらう人はめったにないでしょう。
顔も知らぬ子孫が法要してくれるとは、美登さんはさぞ喜ばれていることだろうと思います。



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2017年01月12日

あめゆ

今日はどんよりとした冬空に、この冬一番の寒さです。

部屋を暖かくして、生姜の効いたあめゆを飲んで、ホッコリとしています。
このあめ湯屋さんは、古くから佐賀市にあるそうで、根強い人気があります。



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2017年01月11日

大隈重信96回忌法要

昨日は大隈重信の命日で、昨日は大隈家の墓所のある佐賀市龍泰寺で96回忌法要があったことを、今朝の新聞に載っていました。
早稲田大学の卒業生ら40人が参加されたそうです。

1867(慶応3)年にパリ万博が開催され、佐賀藩も参加すると決めたとき、派遣団員として、佐野常民、野中元右衛門、深川長右衛門のほかもう一人を選出するというときに、大隈重信、久米邦武、小出千之助の名があがったそうです。
結局、万延元年の遣米使節に参加し、海外を見てきた小出千之助が選出されました。

大隈重信では事務官長である佐野常民の下では満足しないだろうという藩主鍋島直正の思いやりであろうと書かれた本がありました。
大隈重信は文筆をしないし、むしろ、国家多事の際、国内にあって重要な任務に当たってもらいたいとのことだったようです。

このころは美登が妻で、娘の熊子は5歳くらいでしょう。
大隈重信は翌1868(慶応4)年、藩から選ばれて明治新政府の役人として、中央に召しだされています。
そのとき美登はついていかず離婚しています。
ちなみに、江戸時代の武士は10組に1組は離婚していたとのことですから、離婚はそれほど珍しいことではなかったようです。






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2017年01月10日

出会いと別れ

今日は大変お世話になった方の命日です。

出会いは佐賀市道祖元町の道路上・・・
古い町並みに惹かれ、私が写真を撮っているときに道を尋ねて声をかけられたのでした。

道路上で少しばかり言葉を交わしただけなのに、意気投合し、不思議な出会いでした。

この出会いがなければ、大隈重信の妻美登の写真は出てこなかったと思います。
鐘ヶ江晴朝、録子夫妻のことも知らないままでした・・・

青山墓地を一緒に散策したときは、万歩計の数字は2万でした。

ご冥福を祈りながら、数々の思い出を反芻しています。

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2017年01月09日

「大隈重信の妻美登を思ふ」

1月15日(日)午後2時から、佐賀市の大隈記念館で音楽とお話の会があります。
私は「大隈重信の妻美登を思ふ」と題して話をします。
どなたでも参加できます。
関心をお持ちの方、どうぞご参加ください。



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2017年01月08日

大仕事・・・

数日前より、我が家の風呂浄水器が不調・・・
ピーピーとアラーム音が鳴りっぱなし・・・
リセットすると、ゴボゴボと回り始めるけれど、しばらくするとアラーム音の繰り返し。
数日来頭を抱えていた原稿も目処が立ったので、何とかしようと思い立ちました。

リフォームを考えなければならない時期なので、壊れてもかまわないとのつもりで、今日は自分で浄水器をあけて掃除をしてみたところ無事に回りだしました!!

週明けには業者さんに連絡して、根本的な解決に向けて対応する予定ですが、とりあえず窮地を脱してホッとしました。

今年一番の大仕事の成功に気をよくして、原稿もうちょっとがんばります。

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2017年01月07日

遅々として進まず・・・

今日は日がな一日パソコンに向かって原稿を書いていました。
なのに遅々として進まず、まだ未完成・・・

考えるプロセスが大事なのだと自分に言い聞かせ、明日も続きを考えます・・・


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2017年01月06日

南里・・・

佐賀市川副町南里には枝吉神陽につながる枝吉家のお墓があるとお聞きしました。

南里には小出千之助のお墓もあります。

八田江川に面した南里地区は、ちょっと面白いところだったと思います。



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2017年01月05日

明治150年

明治150年にむけ、いろいろなところが動き出しているようです。

今朝の新聞によれば、「明治以降の歩みを次世代に残す」「明治の精神を学ぶ」を基本方針に、若者や女性に活躍の場を与え、外国から貪欲に知識を吸収した精神を現代日本に生かし失われつつある明治の遺産を後世に引き継ぐというのが、国の狙いだそうです。

国は「明治維新150年」でなく「明治150年」。

明治・・・私はワクワクしてしまいます。



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2017年01月04日

築地本願寺と上海の旧西本願寺別院

テレビを見ていたら、築地本願寺を紹介していました。

あれっ?
上海の旧日本人街、虹口でみた旧西本願寺別院の建物と感じが似ています。
2012年5月、上海を訪ねたときの写真と見比べてしまいました。
下の写真です。
P1070137 (1024x768)
webで調べてみると、上海の西本願寺別院はやはり築地本願寺を模した建築物だそうです。
完成は1931年、設計は岡野重久とありました。

築地本願寺は、1617年創建。関東大震災で失われた旧本堂の復旧事業として1931年に起工し、1934年に竣工した。設計者は伊東忠太とありました。

?上海別院の方が早く建てられた?
web情報、鵜呑みにしちゃいけない・・・もう少し調べてみるか・・・

今年もこうして、疑問が増え続けそうです・・・




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2017年01月03日

長崎往復

今朝の佐賀は霧が深く視界が非常に悪かったのですが、車で鹿島、大村経由で長崎へ行って来ました。
慣れた道なのに、何処を走っているのか分からない位でした。鹿島の祐徳稲荷神社が近くなると、道路は渋滞・・・
大村へ向かう道路に入ると渋滞は解消し、霧もいっぺんにはれ、快適なドライブとなりました。

帰りは、高速道路を使う予定が、入り口を逃してしまい、一般道を延々と、諫早、大村、嬉野、武雄を通ってきました。大村湾に沈む夕日がとてもきれいでした。

途中、長崎街道の宿の看板があちこちにあり、次の機会はゆっくりと訪ねてみたいものです・・・




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2017年01月02日

今年のお正月

今年の正月、感じることは道路を走っている車が少ないことです。
混雑はこれからなのかしら・・・

ちょっと不思議に思いました・・・



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2017年01月01日

佐賀県「幕末維新博」

明けましておめでとうございます。

元日の佐賀新聞、一面は明治維新150年に向けた記事。
2018年3月から翌年1月まで、佐賀県が「幕末維新博」を計画されているとのこと。
どんな博覧会になるの、中身はこれから論議されるようですが、どんな博覧会が開かれるのか楽しみです。
 

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2016年12月31日

大晦日

大晦日です。

お墓参りに行って来ました。
どのお墓もお正月バージョンです。

松竹梅に、ユズリハ、ナンテンが主流です。
我家も、庭から調達。つい最近までナンテンの赤い実がきれいだったのに、総て小鳥に啄ばまれていました・・・

たくさん咲いてくれている水仙を加えました。
マンリョウの赤い実を加えて、少し賑やかに・・・

来年も見守っていてくれるよう、先祖にお願いのお墓参りでした・・・

どなた様も、良いお年をお迎え下さい。


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2016年12月30日

餅・・・

親戚のうちを訪ねたら、餅つきの準備真っ最中でした。
庭に簡易竈をつくり、もち米を蒸していました。久々にそんな光景を見ました。

昭和30年代、我家の餅つきは暮れの30日と決まっていました。
親戚3〜4軒で前の日から、大量のもち米を洗い、次々に蒸籠で蒸しあげ、電動の力強い餅つき機に入れ、出てきた餅は、戸板の上で手早く丸め、総勢20人くらいで、子供たちも小さなもちを丸めるのを手伝って、とても賑やかでした。

その頃でも、つく量がだいぶ減ったと言っていたような気がするのですが、今は餅つきそのものを見る機会はほとんどありません・・・

我家は去年までは、お正月用に切り餅を買ってきていたのですが、今年はそれも省略・・・










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