2012年02月10日

勧耕台

琉球王国時代、中国との関係は深く、王が即位すると、中国から冊封使がやってきたそうです。
冊封使たちを接待した識名園には、海が一切見えない展望台があります。ここへ冊封使たちを案内して、琉球国が広い国であるとアピールしたそうです。
尚育王の冊封のためにやってきた林鴻年は、よく耕されている田畑を見て、王が心から人々を励ましている事を称えたそうです。この展望台には「勧耕台」の碑が建っています。
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2012年02月09日

那覇市福州園

本日午前中、那覇市にある福州園へ行ってみました。
福州園は、琉球と中国福州との歴史的なかかわりから、中国語の通訳達がいた久米村に20年ほど前に建てられた約8000平米の庭園です。
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那覇市の中心部にあるのですが、一歩足を踏み入れるとそこはまるで中国でした・・・

吟行会でやってこられた那覇市の女性のグループの方達にご一緒させていただき、とても幸運でした。
一つ一つのものを見ても、季語や故事と結びつけて、お話をしてくださるので、とても楽しく散策できました。

鯉と龍の彫り物のある柱を見て「これは『こいのぼり』の由来を意味していて、鯉がう〜んと頑張って滝を登れば龍になるという話しを表しています」と教えていただき、勉強になりました。
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彼女たちに佐賀から来た事や、佐賀と沖縄について調べている事を伝えると「初代県令が鍋島だということは知っていたけれど、鍋島は佐賀だったとは知らなかった」とのことでした。

午後は旧知の人々にあい、夜は島唄のライブを楽しみながら夕食。
那覇を満喫しています。

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2012年02月08日

うるま市、普天間を訪ねて

今日は那覇からバスに80分乗り、うるま市へ行って来ました。
15年前に、私に佐賀と沖縄のつながりを教えてくださった佐次田さんを訪ねてきたのです。
佐次田さんから教えていただいた事を、更に調べているうちにいろいろな事が分かってきて、とても面白い経験をさせていただきました。
今日は息子さんもご一緒にいろいろな話ができ、楽しかったです。
普天間基地に食い込んで建つ佐喜真美術館まで送っていただきました。

佐喜真美術館ではケーテ・コルヴィッツの絵と丸木位里・丸木俊夫妻の「沖縄戦の図」をゆっくりと見ることができま、また佐喜真道夫館長からいろいろお話を聞かせていただきました。

沖縄戦の図を見ながら、沖縄は死者の世界も現実の世界の中に生きていて、基地がいらないと言っているのは死者も一緒に言っているのですよ・・・とのこと。
昨日は死者の正月で、お墓参りをし、墓の前でご馳走を広げ一緒にお祝いすることを聞いたばかりでしたので、何か納得できました。

初めて佐喜真美術館を訪ねたのも15年前でした。
美術館ができて間もない頃で、庭には数字のかかれた小石が小高く積まれていました。
それは、沖縄戦の死者の数だと聞き、時間とともに山が崩れていくことも作品のうちだと聞いていました。
今日見ると、小山はなくなり平坦になっていました。

写真の奥に見えるのは佐喜真家のご先祖たちの亀甲墓です。
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2012年02月07日

「ジュウルクニチー」

昨日沖縄の方にお電話をしたところ、「明日はあちらの方達の正月で忙しくしています」とのことで、どこの国の方達の正月だろうかと思っていましたら、今日は旧暦の1月16日で「ジュウルクニチー」といって、グソー(後生)の正月なのだそうです。

今日は午前中、世界遺産に登録されている識名園という琉球王国最大の別邸に行って来ました。識名園そのものも面白かったのですが、識名園の周りは墓地があり、今日はお参りの人たちの車が沢山止まっていました。

帰りは国際通りを散策し楽しんできました。

お天気は時折雨が降り、風が強く、防寒着が役に立ちました。


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2012年02月06日

おもろそうし

今、那覇に居ます。
今日は最高気温24度だそうで、とても暖かく、汗ばむ位です。

今夜は、首里公民館で開かれている安仁屋先生の「おもろそうし」を読む会の見学をしてきました。

今夜は「ざん(ジュゴン)」や「亀」がでてくるおもろを読まれていました。
ジュゴンや亀を沢山獲って刺身にしていたみたいです・・・いつ頃のことでしょうか・・・

また、「筑紫ちゃら」という名刀をよんだおもろも紹介されていました。

読み方はとても難しいのですが、楽しかったです。

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2012年02月05日

思い込み・・・

今日は親戚の法事でお坊さんのお話を聞く機会がありました。

六曜の「友引」の日は葬式が避けられるけれども、元々「共引(きょういん)」と云うのだそうです。
元々中国で争いごとやギャンブルの占いに使われていたのが六曜だそうです。
勝ち負けがあり、引き分けが「供引」。六曜は日本には鎌倉時代に伝来し、第2次世界大戦後爆発的に流行った根拠のない迷信であるとのことでした。

漠然と、ズーッと昔から言われているものだと思っていたので、意外に新しい迷信と知りびっくりしました。

思い込みはよくないですね・・・

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2012年02月04日

上海の日本商店

上海で初めて開かれた日本の商店の事が気になって気になってしょうがないです。

いろいろ読み返しながら、佐嘉商会上海支店=三松号=田代屋のような気がしてなりません。



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2012年02月03日

「税」

今日もとても寒く、車にツララが下がっていました・・・
ここ、九州佐賀では、めったにないことです。

1903(明治36)年の新聞を見ていたら、「蓄犬税」が東京府で犬を飼っている者に賦課することになったという記事がありました。
記事によれば、税がかかっても犬を飼うものが2種類あり、1つは猟犬、もう1つは番犬。もとより猟犬は贅沢であるから税をかけるのは当然で、番犬を飼う必要があるのは金満家であるので、税がかかっても酷ではない。・・・・との論調でした。

このころ、日露戦争の戦費調達に政府は大変だった頃です。
煙草が専売制になったのもこのころ。

ほかに、どんな税が考えられたのでしょうか・・・

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2012年02月02日

雪・・・

今朝はとても寒く、雪が降り、あっという間にあたり一面真っ白になってしまいました。
でも、ひどく降ったのは30分程度で、しばらくして雪はとけてしまいました。

小城の手漉き和紙の本を読んでいると、「和紙には春漉と寒漉があり春漉は水が暖かいため紙質もやわらかく張りがないので、少し安価に売りさばかれた。しかし、厳寒期の寒製の紙質はかたく上質で、高値であった」とありました。

こんな寒い日は、紙を漉く人にとって、とても忙しかったのですね。



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2012年02月01日

佐賀の和紙

本日は『小城の手漉和紙』という本を頂きました。

佐賀市で紙を扱う、原田株式会社の社長であった故原田秀雄氏が1984(昭和59)年に発行された本で、和紙に印刷された和綴じの本です。
和紙の原料となる、黒皮楮、白皮楮の標本や、各種和紙の標本が貼り付けてある、凝ったつくりです。

和紙関係の年表も入っています。それによれば、日本で初めて洋紙が製造されたのは1874(明治7)年の事で、郵便切手用紙が和紙から洋紙に変わったそうです。

興味深い内容が沢山書かれています。

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2012年01月31日

明治期の輸出焼物

今日は明治期の焼物の話で盛り上がりました。

明治期の焼物については、一般にはあまり語られる事はありません。
本日、お話した方のおじい様は、松風嘉定という、焼物で明治期に活躍された方です。

松風嘉定の家は、京都清水坂にあり、現在、国の登録文化財となっています。

おじい様の家に行くと、大理石の洋式トイレがずらりと並んでいて、それは見事だったとのこと。

今日お話した方は昭和初期の生まれですが、おじい様の会社は碍子や陶歯を作られていたことしか知らなかったそうです。それが、インターネットを始められたことで、すばらしい芸術品をもつくリ、輸出されていた事を知り、驚かれていました。

またゆっくりと、お話ししたいです。

松風嘉定のことについては『近代輸出陶磁器に魅せられて』をご覧ください。

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2012年01月30日

大家族・・・

本日は親戚の初七日のお参りに行ってきました。
親戚は、いまどき珍しい4世代同居の大家族。

小さな子どもたちの言動を見ていて、大正生まれの曽祖父母の影響を受けていると感じました。
時には曽祖父母は親から聞いた話を曾孫に話してやるのでしょうし、家の中で明治、大正、昭和、平成のいろいろな価値観を、自然に学んでいるようでした。




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2012年01月29日

正しく伝わらない・・・

先日、「佐賀錦と大隈重信」と題して、佐賀市立図書館でお話をしてきたのですが、そのことに関する新聞記事を見てびっくり・・・

記事では、私が「大隈重信の最初の妻美登が、重信の姉に鹿島錦を教えたことがきっかけとなり、重信が鹿島錦を援助したことや、明治43年の日英博覧会に佐賀錦の名で出品するなど、振興に尽力したことを紹介した。」となっていて驚きました・・・。

私は、この説はどう考えても無理があり、フィクションであると説明したつもりですが、記事では逆になってしまった事で、レジュメの書き方が悪かったと、非常に反省しています・・・。

たぶん、会場で聞いてくださった方には、きちんと伝わっていると思うのですが・・・



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2012年01月28日

多忙・・・

今日も寒い一日でした・・・

資料をあれこれ見ていると、間違いがあることに気づき、間違いを証明しなければと思ってしまい、次から次へとやるべきことが出てきてしまいました。

そういう作業はとても大変です。
体はひとつしかないのに・・・

そろそろ次の新聞記事についても考えなくてはいけないし、ぬくぬくとコタツに入りながらも忙しい・・・



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2012年01月27日

春はまだ・・・

寒い毎日が続いています。

豪雪の災害に見舞われた雪国の様子が報道されています。
佐賀の平野部では、年に1〜2度積雪がありますが、10センチも積もることはまずありませんので、雪国の生活は想像もできません。

佐賀は明日は今日よりは暖かいようです。
春が来るのが待ち遠しいです。


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2012年01月26日

金立

今日はとても寒い一日でしたがよく晴れていました。
金立山の中腹から、佐賀市内を眺望すると、随分建物が増えたように思えました。
また、遠くに雲仙普賢岳も見えました。

この山の一帯には古代の遺跡が沢山在りますし、『葉隠』の史跡も在ります。
春になれば、白もくれんや色とりどりの花で山が覆われます。

その頃に散策したいですね・・・



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2012年01月25日

長崎街道シンポジウムin佐賀

今週の土曜日に、長崎街道シンポジウムが佐賀市で開催されます。

長崎街道は小倉から長崎まで続く道で、佐賀を貫いています。

江戸時代、唯一海外に開いていた長崎に伝わった文物はこの道を通って運ばれたようで、街道筋にはいろいろな話が残っていたりします。

今回の佐賀市でのシンポジウムには、「勤王の志士たちの密室案内」があるようです。
慶長五年(1600)佐賀藩初代藩主、鍋島勝茂公によって建立された願正寺というお寺に、志士たちが集まった部屋があるのです。
そこには、副島種臣の書も掛かっています。

そして、佐賀の財閥であった伊丹家の豪華な仏壇がここに納められているので、それも見ることができるようです。

佐賀にいても、なかなか見る機会のないものです。

詳しくはこちらへどうぞ

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2012年01月24日

前途多難・・・

佐賀近代史研究会の年表作り、私の担当は大正10年。
まだ、取り掛かれずにいます・・・

少しやってみようと思い、今日はやり方を教わりました。

大正元年の新聞を見ながら説明を受けたのですが、随分と見やすいのです・・・
数えてみると7段組でした。

私の担当のところは11段組。

情報量が格段と増えているようです。
文字は小さいし、よく見えず、前途多難・・・


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2012年01月23日

郷土研究講座

廃藩置県となり、藩が廃止されると、藩船は不要となり、払い下げられたようです。
佐賀では、伊丹弥太郎、深川嘉一郎、田上徳十郎らが藩船を買い、事業を始めたようです。
それは、三菱の岩崎弥太郎と同じような経緯を辿ったとのこと。

伊丹、深川、田上は大きく発展したようですが、大正の戦後恐慌、昭和の恐慌で潰れてしまいました・・・。

恐慌以前の佐賀には、随分と産業があったことを、先週の郷土研究講座で学びました。

次回の郷土研究講座は2月18日、佐賀県立図書館で東定宣昌九州大学名誉教授による「明治期における佐賀県の石炭鉱業〜新聞と史料と石炭〜」です。

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2012年01月22日

反省する事ばかり・・・

本日は佐賀市立図書館で「佐賀錦と大隈重信〜佐賀錦を織る女性たち」と題してお話をしてきました。

といっても、私は、佐賀錦や大隈重信について詳しくはないので、この間いろいろと調べる中で佐賀錦に出会ったことなどを話してきました。

佐賀錦の歴史について、いろいろ調べようとしたのですが、はっきりしないと書かれていて、分かりません・・・

しかし、佐賀錦という名称が使われるようになったのは、1910(明治43)年の日英博覧会からのようですが、江戸時代末期に肥前鹿島で織られていた鹿島錦が元になっているとの説が一番説得力があるようです。
それ以降、歴代鹿島藩主の夫人たちが工夫を重ね、鍋島直彬の藹子(あいこ)夫人が完成をさせたそうです。

私の調べでは、大隈重信の先妻美登さんが、佐賀錦を広めるに一役かったという説はフィクションである可能性が非常に高いです。

そんな事をあれこれはなしてきました・・・

毎回の事ながら、反省する事ばかりです・・・

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