2018年11月19日

勧興公民館 地域学講座

本日は南里さんと一緒に、佐賀市勧興公民館の地域学講座の講師をしてきました。

地域の方々を中心に大勢の方々が参加されていて、ビックリしました!

今日は、幕末のパリ万博に参加した佐賀藩の方から、野中元右衛門、深川長右衛門、小出千之助さんを中心にお話して来ました。

この方々、勧興公民館区と何かしらの関わりのある方々なのですが、150年以上前にパリ、アメリカ、上海などに渡られ、活躍された方々なのです。
南里邸に展示していたパネルも出張展示させていただきましたし、全パネルを収めたパネル集は、持参分完売しました!!

私たちの話は、ほかでは聞けない話が多く、皆様に楽しんでいただけたようです。

講座が終わって、私たちはカップ麺をいただきながら、あれこれ、こんな事ができれば良いわね〜と楽しく反省会をしてきました!!

南里邸での企画展、やって良かった!!と思っている私たちは、明治維新150年にふさわしいことで、こんなことがあったらいいな〜と、あれこれ思いつくままにおしゃべり三昧。
そのなかから、チョイス。

『幕末維新期に活躍された人々への感謝とお礼の足跡巡り』
コースは
‘蘚臘樟菊質(佐賀城本丸)出発→鍋島直正も眠る鍋島家春日御墓所(佐賀市大和町)→初代佐賀県令鎌田景弼顕彰碑(佐賀市大和町)→づ腟鼠κ莉蝓丙寛貉垓睥町来迎寺)→ス焼新平の墓所(佐賀市本行寺)→λ詼のパリ万博で客死した野中元右衛門墓所及び顕彰碑(佐賀市善定寺)→大隈重信墓所(佐賀市龍泰寺)→┷寛貳猶儚悗料直出千之助墓所(佐賀市川副町多聞院)→佐野常民生誕地(佐賀市川副町)→大木喬任生誕地(佐賀市水ケ江南水公民館)→出発地に戻る

全て佐賀市内で完結する凄いコースではありませんか!

実現するためには如何すればいいのだろう…
主婦の経験に基づく知恵では、考えが浮かびません・・・







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2018年11月18日

冬支度

やっと、冬支度。
コタツを出しました。

コタツに入ると動けなくなってしまうので、出すのをためらうのだけれど、コタツの心地よさは一番!

今年の冬の寒さは厳しいのでしょうか・・・
寒い冬はどうも苦手です・・・

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2018年11月17日

「さが学のすすめ」

今日は明後日11月19日に佐賀市勧興公民館で開催される「さが学のすすめ〜私たちの幕末佐賀明治維新150年〜」の打ち合わせでした。

佐賀市は小学校の校区毎に公民館があり、それぞれの公民館では地域に密着した事業が行われているようです。
私自身は佐賀市民ではないので詳しい事はわかりませんが・・・

明後日は、市民レベルの企画展を8ヶ月間も南里邸で開いてきた、南里さんと私末岡が講師をするのです。
どんな事になるのやら・・・

対象は校区一般住人となっています。
時間は10時からです。

参加者の皆様に、出来るだけ楽しんでいただきたいので、スクリーンに映し出す写真等々、今からチョイスします・・・







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2018年11月16日

有田の工房見学

本日は有田へ行ってきました!!
深川製磁本店企画の『皇室御用達の工房』見学ツアーに参加してきたのです。
御用品の製作責任者のご案内で、器作りの秘話を聞きながら、工房と参考館を見学する事ができました。

工房の見学は、一つ一つの器がたくさんの手作業の工程を経て出来上がるのを見せていただきました。
各部署では、熟練の職人さんたちの神業を見せていただきました。

何十年もの経験に基づき、お仕事をされているとのことで、現在最高齢の職人さんは75歳だそうです。

明治27年創業の工房のたたずまいも素敵でした。

cup1cup2また、先日、アンティークのお店で私が手に入れた、ロンドンから里帰りしてきたカップ&ソーサーの写真を見ていただいたところ、富士に流水の深川のマークが輸出品専用のマークで、明治の終わり頃から、遅くとも大正初めの製品とのことでした。
当時のヨーロッパのカップは、厚手のものが多く、日本の技術ではこれほどまで薄く出来ると、採算を度外視して西洋の人々が驚くようなものを作っていたのだそうです。
また、当時の絵の具は鉛を含み、現在は鉛の含有は禁止されているので、現在作られている黄色い製品とは色合いが違うようです。

ちなみに、このカップ、65グラムです。
持った感じがとっても軽いです。
卵殻手(らんかくで)という、これよりも薄いカップも、当時の日本ではつくられていたそうですが、現在の技術では無理なようです。

cup3参考までに日ごろ私が愛用している伊万里焼のカップは、145グラムでした。






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2018年11月15日

三重津海軍所跡

今日もとっても良いお天気の佐賀でした!!

我が家の干し柿、例年カビに悩まされていたのに、今年はよい具合に出来上がっています。
でも・・・、ついつい手が伸び、もう半分くらい食べてしまいました・・・。
柿はまだ生っているので、もう少し作ろうかしら・・・。

さて、今日は世界遺産となっている三重津海軍所跡に行ってきました。
遺跡は地中にあり、発掘後埋め戻されていますので、地表に残っているものは何も無く、見えない世界遺産とも言われています。
でも、ここには、日本の国力を上げるために、佐賀藩が造った三重津海軍所があったのです。

三重津海軍所跡について、くわしくはこちらをご覧下さい。


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2018年11月14日

初代佐賀県令鎌田景弼

本日のサガテレビの番組「かちかちプレス」の中での明治維新150年に関するシリーズで、初代佐賀県令鎌田景弼について紹介をしました。

番組では佐賀県が明治7年の「佐賀の役」により処分され一旦は無くなった佐賀県が明治16年に復県して、初代の県令(知事)として熊本県士族の鎌田景弼が任命された事。
鎌田景弼は判事の出身で、人の話をよく聞くことができ、是は是、非は非として私情を挟まず、公正な県政に尽力したこと。
佐賀県の基礎となる県庁や学校、河川の改修、道路の建設などのインフラを整備したこと。

特に、これからは道路の整備が必要であると、地図に定規で直線を引き、佐賀市構口から神埼橋までの真っ直ぐな国道を造ったこと。

また、激務の合間を縫って、自ら名付けた「楊柳亭」で英気を養い、ここで佐賀県の将来像を描いていただろうこと。
在職5年余りで病気により在職のまま亡くなられた鎌田景弼さんの顕彰碑は、佐賀市大和町に建てられており、今も佐賀県の行く末を見守っている。

というような内容でした。

3分程度の番組なのですが、このロケは朝から夕方まで丸一日を費やして行われました。
さすが県知事だけあって、痕跡は多岐にわたり、あちらこちらにあるのです。
4キロ以上もある真っ直ぐな国道をどう映し出すか、カメラマンさんも随分苦労されていました。
県庁前での撮影は午後5時を過ぎていたので、ライトアップされていました。

顕彰碑の周りは、今度の土曜日に、ウォーキングの会の方々が立ち寄られるとのことで、とってもきれいにお掃除されていました!

前日は雨だったのに、お天気もよくて、鎌田景弼さんが応援してくださったのでしょう!

それにしても、いつもしどろもどろの話を、テレビの記者さんたちが、わかりやすくまとめてくださっていて、感謝するばかりです。






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2018年11月13日

佐賀県の歴史

一昨日は、明治維新150年記念佐賀バルーンミュージアム企画展「幕末明治の大写真展」での南里邸研修でした。

いろいろと面白い写真があって、楽しむことが出来ました。

でも・・・「明治期の佐賀県」を文字で紹介しているパネル、間違ってますよ・・・。
パネルでは「明治7(1874)年の廃藩置県により佐賀藩は佐賀県となった。佐賀県は長崎県との県境が幾度となく変更になっていたが、明治16(1883)年の長崎県からの独立によって県の境界が定まることとなる。」とあります。

佐賀県の成立は大まかに言うと
1871年(明治4年)旧7月14日 - 廃藩置県により当時の藩がそのまま県となり、佐賀県(第1次)・蓮池県・小城県・鹿島県・唐津県・厳原県となる。以後、統廃合を繰り返し、同年11月には今の佐賀県のほぼ全域と長崎県の一部を含めた伊万里県となる。
1872年旧5月29日 - 伊万里県が佐賀県(第2次)に改称。
1874年(明治7年) - 佐賀の乱
1876年(明治9年) - 佐賀の乱への懲罰として、佐賀県が消滅(長崎県等へ編入)
1883年(明治16年) 5月9日 - 復県運動の末、現在の県域と一致する、最終的な佐賀県(第3次)が成立(佐賀県復県)
なのです・・・。

ご興味のある方はウィキペディアでお確かめください。

消滅していた時代の佐賀県は長崎県佐賀郡・・・となっています。

今の佐賀県の誕生は明治16年で、初代県令(知事)は鎌田景弼なのです。





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2018年11月12日

大豆・・・

今日は久々に雨の佐賀でした。
夕方には雨が上がりましたが、寒くなってきました。

地域の区長さんがやってきて、来月のお祭りでは我が家が施主とのこと・・・
あらあら・・・出欠を取ったり準備をしたりしなくてはなりません。

久々に区長さんと我が家の周りの田んぼを見ながら立ち話。
我が地区は今年は大豆が凶作とのこと。
私も例年ならば佐賀の空にバルーンが飛ぶ頃は、大豆は枯れていたような気がしていたけれど、今年は家の周りの大豆はまだ青々として枝豆状態。枯れる気配がないので変だな〜と思っていました。
気象の影響かと思ったのだけれど、区長さんが言われるには、他の地区では、収穫できているところもあるので、種を蒔く時期が数日遅かったせいだろうとのこと。
今年は大豆の収益は見込めないと頭を抱えておられました。

農業は大変だな〜とつくづく思った次第です。




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2018年11月11日

「アバンセ」の明治維新150年関連講座

本日は、佐賀県立男女共同参画センター「アバンセ」の明治維新150年関連講座で「激動の時代を生きた 佐賀に縁ある女たち」と題して、お話をして来ました。

男女共同参画云々といわれ、南里邸の二人は、正直なところ、「エ〜ッ!!私たちでいいの??」と思ってしまったのでありますが、やってみてよかったです!!

中身的には、足掛け8ヶ月、南里邸でご来館の皆様に話していた事+αです。

アバンセでは最初30人の定員で参加者を募集されていたのですが、希望者が多くて、結局、定員を当初の2倍の60人にして準備をしてくださいました。
私たちは人集めに苦労することなく、会場いっぱいの人に南里邸で紹介していた7人の女性、鐘ヶ江録子、日下部米鶴、クーデンホーフ光子、江木欣々、石井筆子、黒田チカ、大橋リュフについて話す事ができました。

言いそびれたことは沢山ありますが、まあ、よしとしましょう・・・。

秋晴れのよいお天気に、2時間もの講座を受講することを選んだ皆様は、日ごろから歴史や男女共同参画の理念に関心を持たれている方だと思います。
中学生くらいのお嬢さんと共に参加された方が2組もあり、大変嬉しく思いました。

佐賀出身の初の女性理学士で理学博士となられた黒田チカさんが学ばれた女子高等師範(現お茶の水大学)では、黒田チカ博士の自然科学研究への貢献と業績を讃えると共に、若手女性研究者の活躍を願って、「黒田チカ賞」を設立されています。まだ、佐賀出身の受賞者はいらっしゃらないとの事を、先日の黒田チカ没後50年の集まりで知りましたが、黒田チカ賞を受賞するために佐賀の若い方々が発奮してくださればいいな〜と思う次第です。








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2018年11月10日

初代佐賀県令 鎌田景弼

明治16年に現在の佐賀県をスタートし、初代県令(知事)としてやって来た鎌田景弼さんは、何でもハイカラ化される世相の中で、常に着物で県知事として執務をしていたそうです。

私が知る鎌田景弼さんの縁者は、世の中が急速にIT化される中で「ボクは最後のアナログ人間になる」と宣言していた事を思い出し、血は争えぬと笑ってしまいました・・・。

そのことを、本人に伝えたら、そんな事を言った事はすっかり忘れていたみたいでした・・・。

鎌田景弼さんのことを知れば知るほど、もっと知りたいと思うようになります。








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2018年11月09日

構口(かまえくち)から神埼橋まで

本日は佐賀市の構口(かまえくち)から、神埼橋まで車で走りました。
この道路、初代佐賀県令の鎌田景弼氏が造った道路です。

地図に定規でまっすぐな線を引いて造ったと言われるこの道路、交通量が多く、今では拡幅され、バイパスとの合流点などふくらみがあったりしますが、ほんとに真っ直ぐな道路である事を実感できるのです!!
距離は約4.5キロメートルあります。

鎌田景弼は、今の佐賀県がスタートした明治16(1883)年に県令(県知事)として赴任してきて、21(1888)年、現職中に亡くなっています。
当時は車などない時代だから、道路を往来していたのは人と馬かな・・・?

そんな中で、将来を見越し、佐賀の発展のためには道路の建設が必要であると地図に定規を当てて真っ直ぐに線を引き、道路を計画した鎌田景弼の先見の明には驚きます。

ところで日本で一番初めに走った自動車のことが知りたいと思ってwebで検索すると、1898年1月に、フランスからの車が築地-上野の間で試運転されたのが最初とされると知りました。
なんと、鎌田景弼が亡くなって10年後です・・・。

一事が万事、景弼さんは先の先まで見越して、県政に尽力されたのだと思います。
だから、県民にとても慕われた知事だったのです。

でも、今ではそのことを知る人はほとんどないと思います・・・。

多くの佐賀県民が今も利用しているこの道路の歴史を知れば、佐賀の歴史に興味を持つ人も増えるのではないでしょうか。



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2018年11月08日

黒田チカ没後50年 黒田チカを語る会

本日は南里邸の二人は、「黒田チカ没後50年記念 黒田チカを語る会」にお誘いを受け、行ってきました。

今日11月8日はチカさんの命日で、佐賀科学技術史フォーラム代表の堀勇治先生が本日の会合を準備してくださったのです。
チカさんのお墓のある佐賀市の大運寺の本堂に椅子を並べた会場に、40人ほどが集まりました。
男女共同参画社会とからめた話を10分程度して欲しいと事前に依頼がありました。それは、南里邸で幕末維新博にからめて「佐賀に縁ある女たち」展を開催していたからなのです・・・

ところで、男女共同参画社会とは何ぞや?
男性も女性も、意欲に応じて、あらゆる分野で活躍できる社会の事だと、改めて知りました。

黒田チカさんは、紫根やベニバナなどの生物色素の構造を解明した理学博士です。
女性で最初に帝国大学生となった人でもあります。

そもそも、日本の大学は、旧制高校を卒業した男子学生のための学校でした。
大正2年に東北帝国大学が初めて女性に門戸を開き、独自に女性の受験を認めました。
この入学試験のさなか、文部省は「女性を帝国大学に入学せしめる事は前例なき事にて、頗る重大なること」と事情説明を求める書簡を大学に送ったのですが、大学はかまわずに、黒田チカ、牧田らく、丹下ウメの3人を合格者を入学させました。

女子学生に対する軋轢は強く、特に同級生の男子学生等は「女子と合同では学科の程度が自然低くなる惧れがある。また、男女学生の合同研究には生理上体質上の障害が多いので、女子の帝大入学は時期尚早」と、彼女たちを排斥した事が新聞記事にも載っています・・・。

それでもめげずに、学業に邁進し、立派な功績を残されたのです。

本日を機にそんな事も知りました。

そして、チカさんと同じく有機化学の専門家で佐賀大学に勤務する堀勇治先生が、尊敬するチカさんのことを徹底的に調べながら、学生たちを引き連れ墓参し、40年もの間、命日には会を開いてこられた事を知りました。
「墓前に立つと、『すべての物に親しみをもって向かえば、必ずものが教えてくれ、道は開ける』とのチカさんの座右の銘が、新しい響きとなってよみがえってくる」と堀先生は言われています。

今日は堀先生のお人柄に感銘を受けた一日でもありました!
また、南里邸では無意識のうちに男女共同参画社会の先駆けの佐賀に縁ある女性たちの事を紹介してきたのだと、あらためて知った次第です・・・

写真は、黒田チカさんが眠るお墓と大運寺の四季桜です。
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2018年11月07日

直彬さんの事

本日のサガテレビの「かちかちプレス」での、明治維新シリーズは、私が肥前鹿島藩の最後の殿様、鍋島直彬(なべしまなおよし)について紹介しました。今でも鹿島の人たちから「直彬(ちょくひん)さん」と、親しみを込めて呼ばれているお殿様です。

20年ほど前、沖縄の人から、「佐賀と沖縄は深い関係にあります。初代の県令(県知事)は佐賀の鍋島直彬でした」と聞かされました。
沖縄県が出来たのは廃藩置県の8年後の明治12年。初代の県令が、どうして佐賀からなのかとても気になりました・・・。
鍋島のことなら、鍋島家の博物館である徴古館へ行けば全てわかると思って訪ねてみると「徴古館では本藩のことしか分かりません。」とのことで、鹿島に行って調べはじめました。

当時、インターネットで簡単に調べられる時代ではありませんでした。我が家はアナログ回線でインターネットに繋がっていたけれど、通信代を気にしながら、夜な夜なパソコンに向かっても、わずかな情報しか取れない時代でした。

そんな中で、鹿島に行って、いろいろな出会いがあって、調べる事の楽しさを知りました。

佐賀は狭いところなので、どこかで誰かが繋がります。
20041103 053tegami直彬さんの信頼の厚かった、山口登さんのご子孫と知り合い、家に伝わる直彬さんの書や手紙などを見せていただきました。これらの品々は、今は鹿島の図書館に収蔵されています。

また、山口登さんは大隈重信の最初の妻美登さんの再婚先の家系と繋がっていて驚きました!!








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2018年11月06日

初代佐賀県令鎌田景弼の仕事

本日も、とってもよいお天気の佐賀でした。
今日は、南里邸企画展にご協力いただいた諸所へお礼とご報告に行ってきました。

佐賀県立博物館、佐賀城本丸歴史館などでは、企画展等々を見ながら、研修です。

私が知っている限り、佐賀城の鯱の門前の天守台には、協和館が建っていました。
協和館は和風の建物だったと記憶しています。

が、洋風の建物が建っている写真があり、よくよく説明を見ると、佐賀県佐賀地方測候所です。明治23年、樺山知事のときに建てられたようです。

この辺りのことを調べてみると、
明治17年に県令鎌田景弼が佐賀測候所を設立し、同年9月1日から観測を開始したが12月の九州地方暴風で観測機器が破損し、廃止された。
明治20年に、国は測候所の位置を佐賀市に指定し、明治23年8月1日佐嘉城天守閣跡に「佐賀県立佐賀2等測候所」を設置。
その後、昭和13年4月菊に佐賀市赤松町10番地(現、佐賀市城内2−8−14)へ移転。
となっていました。
明治17年に設立された佐賀測候所の位置は何処なのだろう・・・

一方、協和館は明治維新以降の公共建築として最初に建てられもので、初代佐賀県知事が明治19年に松原二丁目に公会堂式の大衆も使える建物として建設されたもので、社交場としても利用されたことから、佐賀の鹿鳴館と呼ばれていた。
明治27年に佐賀市が佐賀県から買収し、佐賀市庁舎として利用されることになったが、その後は佐賀県及び佐賀市有を繰り返しながら、昭和32年に、建物は佐賀城天守台に移築され、集会施設として利用されていた。
平成16年佐賀城本丸歴史館の開館に伴い解体された。
とのこと。

私が覚えている協和館は、佐賀城天守台に建っていた頃で、お城だと思っていました・・・。
大学生の頃は、コンパで利用した記憶ありです。

それにしても、佐賀県が長崎県から分離した明治16年に、初代県令(知事)として赴任した鎌田景弼の仕事、多岐にわたって、大変だったことでしょう・・・

ちなみに今日のランチ、佐賀城前のレストラン、佐賀レトロ館でした。
佐賀レトロ館の建物の歴史は
明治20年 警察部庁舎として現在の県庁本館付近に建築 。
昭和11年に警察本部の建て替えに伴い現在地へ移設 。
その後、佐賀県蚕糸取締所、佐賀地方経済調査庁、視聴覚ライブラリーなどとして活用 。
平成21年「さがレトロ館」として活用開始。

これまた、鎌田知事の時代の建物でした!!

今日は鎌田景弼さんを身近に感じる一日でした!!





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2018年11月05日

平林伊平の洋食器

今日もよく晴れた佐賀でした。
朝晩は冷えるのですが、日中は暑い程です。
蚊も飛んでおります・・・。

先日送られてきた、佐賀医学史研究会報 119号(2018年11月1日)に平林伊平のことがありました。

明治期の日本からの輸出陶磁器の研究を続けられている近藤裕美さんより、明治2年、日本で一番早く洋食器を作ったのは、有田の平林伊平だということを教えていただいていたので、とても興味深く読みました。

先日、徴古館で鍋島家で使われていた、平林伊平作の洋食器セットを見ました。
とても素敵なセットでした。

徴古館の収蔵品はwebでも見ることが出来ます。
こちらです。

洋食器の皿は底が平ではなくてはならないし、ロクロで成型するので楕円形の皿を作るのはとても大変だった等、色々なことを教えていただいていたので、この食器セットが更に美しく、いとおしく思えました。

医学史研究会報には、平林伊平の佐賀での人脈的つながりなどを垣間見ることが出来ました。



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2018年11月04日

佐賀の祭り

よいお天気が続いている佐賀です。

インターナショナルバルーンフェスタは今日が最終日。
今年は大会期間中、遠くにバルーンが飛んでいるのを見ることが出来ました。
去年は我が家の方にたくさん飛んできたので、居ながらにして楽しもうと思っていたのに残念でした・・・

唐津くんちも今日で終わりです。
唐津くんちは、唐津神社の秋季例大祭で、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

この祭りで、私が一番印象に残っているのは、昭和天皇が病床に伏されていた1988年、地域の祭りも自粛され、学校の運動会開催の合図の花火も自粛されるような中で、例年通り敢行されたことです。
当時、私は関東にいたのですが、唐津の人々の、この祭りへの思いの深さを知りました。

佐賀にUターンした年に初めて唐津くんちを見たときは感動ものでした!

昨日、テレビの中継で見て改めて感動しました。

でも・・・この祭り、曳山を引く成人女性はいません・・・
女性は、巨大な魚、アラの姿煮をはじめとするくんち料理でお客様をもてなし、大忙しなのです・・・

そのお料理がいかなるものか、「唐津くんち」、「料理」でググって見てください!



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2018年11月03日

南里邸の研修 骨董市

「佐賀城下 秋の骨董市」を見て回るのも、南里邸の研修でした。

富永源六の皿もありました。
実用的な食器で、装飾性は感じませんでしたが、一目で源六焼だとわかる柄でした。

源六焼とした湯さましもありましたが、なんだか分厚くて、形も悪く、裏には源六の窯印がありましたが、そんなものを作っていたのだろうか?

松原神社の境内にある灯篭、素材はイタリアの大理石ではないかと思うのですが、気付く人は少ない事でしょう。

江戸時代を中心に調べてきた南里さんと幕末から明治の始めを調べてきた私とでは、気付く事が違い、二人で一緒に見て回ると、2倍楽しめます!!


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2018年11月02日

『佐賀城下秋の骨董市』

本日は『佐賀城下秋の骨董市』へ行ってきました。

お目当ては、ロンドンから買い付けてこられた明治期に輸出された有田焼のカップ&ソーサー。

とっても薄くて、軽いのです。
この軽さ、手に取らなくてはわかりません。

これから、明治期に欧米に輸出されていた有田焼のお話をするときに、聞いていただく方々に手にとって軽さを実感していただきたいと思い、買ってしまいました・・・

しかし、話す機会はあるのだろうか・・・



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2018年11月01日

蔵春亭の壷

45141906_1766874363435262_8087163598616395776_n45096512_1766874403435258_7743288674149728256_nP1120554昨夕のサガテレビ、「シリーズ明治維新150年」で、有田焼の海外輸出に功績を残す久富与平さんのことを、私が紹介しました。

ちょうどロケの前日に、有田の『骨陶&アンティーク椋露地』さんが、久富家の屋号である蔵春亭の銘のある壷を、ヨーロッパから買って来られていたことを知り、見せてもらいました。

この壷の耳、間違いなく蔵春亭だと直ぐにわかりました!
それは、今年の夏、九州陶磁文化館での、「蔵春亭と肥碟山」の展覧会に出ていた安政2年の蔵春亭の壷の耳に瓜二つなのです。
大きさは椋露地さんのものが、かなり大きいです。

また先日、九州陶磁文化館での国際学芸員サミットの折、オランダのライデン博物館の学芸員の方が、ライデン博物館にある有田焼の壷として画像で見せてくださったものにもよく似ています。
ライデンのものは年代的にもっと古いものとのことでしたので、今後の調査がとっても楽しみです。


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2018年10月31日

南里邸の鎌田景弼研修

本日は南里邸の打ち合わせ。
11月11日(日)にアバンセ(佐賀県立男女共同参画センター)で、明治維新150年関連講座「激動の時代を生きた 佐賀に縁ある女たち」が開催され、南里邸の二人が講師をします。
くわしくは、こちらをご覧ください。

で、どういう風に話した方がよいだろうかとの相談です。

一通り案が決まったところで、雑談というか、歴史談義。

昨夜、私が高校の時の同級生に連絡したところ、彼の縁者である初代佐賀県知事、鎌田景弼(かまたかげすけ)の話で、盛り上がったことを話しました。

で、急遽、鎌田景弼の碑を見に行く事に決定。
碑は、佐賀市大和町梅野の宝塔山親正寺にあることは判っていたので、直ぐに出かけました・・・
思い立ったら直ぐ行動が、南里邸の特徴です・・・

P1120910P1120916P1120919南里邸の二人とも、初めてのところでしたが、川沿いの交通量の多い道路の脇の山側の斜面にある碑にたどり着くことが出来ました。

大きな石碑にびっしりと碑文が書いてあるのですが、判読不能・・・

初代佐賀県知事として在任中に亡くなった鎌田景弼さんに、佐賀の発展を見守って欲しいとの願いを込めて、眼下に川上峡、嘉瀬川、佐賀平野が広がるところに碑が建てられたのではないかと、勝手に想像してきました。

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