2016年05月29日

紅梅漬

本日は雨の佐賀でした・・・

雨の合間に梅の実をもいで、紅梅漬に挑戦です。
紅梅漬は、どうも佐賀特有の漬物であるとはじめて知りました・・・

青梅を割り、種を取り除いて砂糖に漬け、紫蘇で赤く染めた、カリカリとした甘酸っぱい漬物です。

小さいころに砂糖をまぶした甘い梅を食べたことはありますが、現在の紅梅漬とはちょっと違っていた記憶があります。

どなたかが考え出された漬物でしょうが、紅梅漬はとっても美味しいのです。

うまく出来上がるとよいのですが・・・

ところで、今年は庭仕事や諸々の家事(?)に精を出していて、例年ならこの時期は庭はジャングル化の入り口で目を背けたくなる時期ですが、今年の庭は人を癒す力を維持してくれています。

しかし・・・その分資料整理等々怠っていたので、大変な状況になりつつあることに気付いてしまいました・・・

両立はとっても難しい・・・




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2016年05月28日

如蘭塾

昨日、携帯電話を変えました。
慣れるまで大変です・・・

今日は武雄の「よみがえる如蘭塾」展へ行ってきました。

如蘭塾は、第二次世界大戦中の昭和17(1942)年、財団法人日満育英会が、戦火が中国に広がる中で、満州(現在の中国東北部)の若い女性たちを給費留学生として迎え入れる場として、広大な土地(約5万坪)に塾舎・寄宿舎・迎賓館・運動場等を整えて発足したそうです。

建物は、フランクロイドライトの弟子遠藤新の設計で、注目されています。

気になって仕方のない施設です。





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2016年05月27日

マムシの話

昨日の話、マムシの事がでて来ました。
マムシは毒蛇として恐れられているのですが、薬にもなり、捕まえると皮を裂いて串刺しにして乾燥させていた。
マムシの皮は化膿した傷や吹き出物に貼り付けると、よく治るとの。

私も「とっこしろ」というあせもの親分みたいな物ができたとき、小さくきったマムシの皮を貼り付けられた覚えがあります。

他に、マムシ酒を作るために一升瓶に入れられた生きているマムシの鮮明な記憶もあります。

最近はそんなことが出来る人も見ません・・・

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2016年05月26日

昔話・・・

本日は70代、80代の方達と、話が弾みました。

エネルギーを石炭に頼っていた頃、炭坑はとても景気が良くて、学校での弁当の時間、炭坑マンの子どもたちのおかずはとてもご馳走だったそうです。

地中深く降りていくトロッコが上がって来るときはみんな真っ黒だったそうです。
大変な仕事の坑夫さんたちは、賃金もよかったそうです。

杵島炭坑をご存知の方が、スーパーマーケットの「ニコー」はニ坑の入り口だったことや、学校行事で坑夫さん慰問に行ったことなど教えて下さいました。

砥川にも炭坑があったけれど、小さな炭坑で、早くに閉山したそうです。

食べ物の話などでも盛り上がりました。

私にとっては両親や祖父母から聞いていた話や、おぼろげながら覚えている話などがでて来ておもしろく聞かせていただきました。


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2016年05月25日

娯楽・・・

先日の町歩きで、佐賀市与賀町にあった「喜楽座」跡周辺を歩きました。
喜楽座は芝居小屋で、現在の浄土寺の一角にあったようです。

娯楽が少なかった時代、芝居小屋は大人気だったようです。

我家から徒歩15分程の所、蓮池の八坂神社の鳥居の横にも芝居小屋(?)がありました。
劇場とか映画館とか呼ばれていました。

私の記憶にあるのは昭和30年代ですが、祖母のお供で大蛇がでてきた安珍清姫を見たことがあります。
怖ろしかったので覚えています。
父と一緒に、映画「次郎物語」も見に行きました。
次郎物語の作者下村湖人は地元の出身だったからかもしれませんが、劇場の周りに長蛇の列が出来ていました。

父が若いころは、劇場で青年団で演劇をしていたとか聞いていました。

今はそんな娯楽の場所はありませんし、街中に人も見えません・・・



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2016年05月24日

地縁

今日は近所の方のお葬式でした。

私が住む地域は、古くからの住宅と新しい住宅が混在している地域です。
地域には墓地があり、古くからの家のお墓の殆どはここにあります。

近所づきあいはお墓に入ってからも続きます。

古くから付き合いのある家々は何だかホッとするところがあります。

お墓の問題はいまや社会問題となっていますし、この地域も段々変っていくのでしょうが、地縁が続いていくことは、私は好きです。




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2016年05月23日

石造物の耐震性

先日の佐賀市内の待ち歩きの最中、倒れた石燈篭を何ヶ所も見ました。
4月の地震で倒れたのか、それ以前に倒れていたのかは分かりませんが、石燈篭は石を積み上げただけの構造であることが良く分かります。

過去の地震で、鳥居や燈篭が倒れたでしょうに、石造物の耐震性を強化する技術はどう進歩しているのだろうかと、ふと興味を持ちました・・・

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2016年05月22日

暑い一日・・・

暑い暑い一日でした・・・

木陰で草取りをしていたら、近所の友人が寄ってくれました。
共同での稲の種まきの帰りだったそうです。

仕事の休日は農作業で、皆さん大変そうです。



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2016年05月21日

近代史研究会町歩き

P1100949本日は、佐賀近代史研究会の町歩きでした。

与賀神社、浄土寺、善定寺などを巡って来ました。

与賀神社を一周すると、裏のほうにはこの辺りの開発時に、行き場を失ったであろう神々が集まっていました。
庚申、中央などは佐賀ではよく見るのですが、幸神というのを私はここではじめてみました。
P1100954

お墓にびっしりとかかれた碑文、何が書かれているのでしょう・・・
昔は拓本をとって解明されていたのでしょうが、デジカメで画像を取って、文字を起してみたいと思います。

暑くはあったのですが、カーッと陽に照らされることもなく、楽しい町歩きでした。

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2016年05月20日

佐賀の交通アクセス

今日も暑い佐賀でした・・・

夕方より急遽長崎まで往復して来ました。
佐賀は高速道路までのアクセスが悪い・・・
急いでいるときは余計にそう思います。

佐賀の交通網、もうちょっとよくなって欲しいです。

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2016年05月19日

アカミミガメ

今朝庭にでた際、石を踏んだと思ったら、なんとアカミミガメでした・・・
甲羅は20センチはありそうでした。
踏まれてもびくともしないふてぶてしさ・・・

我家の周辺、大繁殖しています。

堀岸で大挙して甲羅干しをし、人気を感じるとドボドボドボドボッと、水の中に入っていきます。

何をしに庭に来ていたのでしょうか・・・

アカミミガメは外来種で、旧来の生態系に悪影響を与えているみたいです。

今朝はこっちがびっくりして逃げて来ました・・・



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2016年05月18日

佐賀平野

肌寒い朝でしたが、日中は30度を越え、暑い佐賀でした。

我家の周辺でも、麦刈りが始まりました。
佐賀平野が賑やかな季節を迎えています。

といっても、年々賑やかさに陰りが見えるのは気のせいでしょうか・・・

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2016年05月17日

庭仕事・・・

今日はよいお天気となりました。
ちょっと出かけたいと思っていたのですが、庭の邪魔者、笹竹、葛、藤と格闘していたら大汗をかき、出かけるのは延期です。

木の剪定や伐採もしたいのだけれど、その後の処理が大変で躊躇してしまいます。

木々が燃料だった時代の写真を見ると、木々がすっきりしているような気がします。燃料として大いに利用価値があったのだと思います。

持て余している庭ではありますが、それなりに癒され楽しんでいます。



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2016年05月16日

「おばやき」

夕方になって雨が上がった佐賀ですが、肌寒い一日でした。
気温の変動が激しく、体調も狂いがちです。

一度風邪を引くと、いつまでもすっきりとせず、長引くようで困ったものです。

今夜は、皮クジラと野菜を一緒に煮ていただきました。
塩漬けされたクジラの皮のことを、我家では「おばやき」と呼んでいて、冷蔵庫のない時代、いつも戸棚に入っていた気がします。
竹の子、フキ、ジャガイモ、玉ねぎ、何の野菜にもよくあいました。

最近では見かけることが少なかったのですが、今日はスーパーに並んでいたので、なつかしくて買ってきました。

なつかしい味がしました。

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2016年05月15日

雨・・・

雨になってしまった佐賀です・・・
庭仕事はいったん中断です。
明日も雨との事。

晩白柚の花が咲いています。昨年は収穫できたのは1個のみ。
今年はどうでしょうか・・・

様々な色や形のサツキツツジも咲いています。

見るだけだったら、結構楽しい庭なのですが、維持するのは大変です・・・

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2016年05月14日

佐賀の女子教育

今日は暑い佐賀でした・・・

午前中は庭仕事に精を出し、午後からは佐賀城本丸歴史館へ行って来ました。

横尾文子氏の「佐賀の女子教育のあけぼのー大隈重信・中島ヤス・内田清一」を聞きたかったからです。
中島ヤスは旭学園、佐賀女子短大、佐賀女子高の創設者です。

内田清一は佐賀清和高等学校の校主。

いろいろ勉強になりました。

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2016年05月13日

庭仕事

今日もお天気がよい佐賀でした。

このところ、お天気がよければズーッと庭仕事です。
頑張っても頑張っても庭木や草の成長に追いつきません・・・

カラスに笑われながら頑張ってます・・・



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2016年05月12日

含珠焼

夕食の準備をしていたら、NHK佐賀の「ニュースただいま佐賀」のコーナー「佐賀やきもの巡り」で含珠焼についての放送があっていました。

途中からしか見れなくて、とても残念でしたが、徴古館にある美しい含珠焼の壷や、含珠焼の技術を再現された嬉野の冠窯の前田英明氏の紹介もありました。

精巧な蛍焼の含珠焼は、百年以上も前の武雄で焼かれたものですが、現在の技術をしても再現が難しいのです。

昨年、冠窯を訪ねました。前田さんが再誕された含珠焼、とっても素敵でした。
冠窯のサイトをご覧ください。こちらです。

また、明治時代に含珠焼の特許をとった樋口治實さんの御子孫の方々が、ご自分たちの手元に残る含珠焼の作品を武雄に寄贈されました。
詳しくはこちらの新聞記事をご覧ください。

この新聞の写真では、透明部分の美しさが良く分からないのですが、昨秋、武雄図書館に展示されていたのを見ましたが、とても素敵でした。

本日の放送のことは、徴古館のfacebookにありました。こちらです。

含珠焼を知る人が増えると嬉しいです。

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2016年05月11日

学制変更の頃の話

昨日のブログを見てくれた、昭和10年1月生まれの叔母が連絡をしてきました。
叔母は佐賀高校の出身で、叔母が学んでいた頃の佐賀高校は、前進である三つの学校、佐賀中学が西高舎、成美女学校は南校舎、佐賀高等女学校が東校舎と呼ばれていたそうです。
叔母は1年生のときは南校舎で、理科の実験室は、小さな橋をわたった西高舎にあったとの事です。

叔母がいうには、小学校のときは女学校へ進学するものと思っていたけれど、学制が変わり、中学に行くことになった。しかし、叔母が入った中学には、英語の専任教師はおらず、高校に入ったら、他の中学からきた同級生たちと大きな学力差があり、とても苦労したとの事でした。

いろいろ大変だったのですね・・・

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2016年05月10日

ゆめさが大学で「大隈重信と江副廉蔵」

本日は「ゆめさが大学」でお話しをしてきました。
テーマは佐賀の人物ということで「大隈重信と江副廉蔵」です。

大隈重信については専門的に調べておられる方は多くいらっしゃるし、書物も沢山でていますので、興味のある方はそれらを読んでいただくこととし、今日は大隈重信と関係の深い学校について、少しばかり紹介させて頂きました。

NHKの朝ドラで、大隈重信が日本女子大学の設立にも、非常に尽力したことが放映されたのを見ていた方も多く興味を抱いていただいたようです。
朝ドラに出て来た大隈の妻は綾子さんですが、実はもう一人妻がいたこと。その人は江副の娘で美登といい、大隈が明治政府の要人として中央へ出て行くときに、離縁をし、佐賀に残り新しい家庭に恵まれたこと。
そういう重信、美登夫妻の選択は、当時にあっては珍しかったと思うし、大隈の女性を一人の人間として大事にする意識の表れではないか、私は思っていることもお話しました。

また、美登の弟、江副廉蔵についても、その経歴、活躍などをお話ししました。江副家の御子孫の方々が「江副会」に集まり、先祖を知ろうとされ、無縁仏となろうとしていたお墓が復活したことなどもご紹介してきました。

大隈重信が佐賀で関わった学校として成美女学校があることなどをお話ししたら、成美女学校の受講者の中に卒業生の方が居られました。
成美女学校は、佐賀高校に合併され、佐賀高校は佐賀西、佐賀北、佐賀東に分かれて今日に至っています。

もっともっと話したいことが一杯なのですが、2時間お話しさせて頂きました。

bakumatusaga at 17:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)