2016年09月29日

幕末佐賀藩医者一覧を見て疑問・・・

佐賀県女医第1号の諸石トキの父親について、トキの二男緒方弘之氏は著書の中で、江口幽斉という現在の北方町で医業を営んでいたと書かれています。
で、江口幽斉について、冊子「城下の医史跡めぐり(2)」(平成24年12月2日)に掲載されている「医業免札姓名簿および犬山家文書による幕末佐賀藩医者一覧」には見当たりません。
江口姓の医者は江口秋英、江口文友、江口道順、江口安道の4人がいます。
このうち、免札年嘉永6(1853)年の江口安道は若狭殿家来となっています。
江口梅亭は1838年に村田家に仕える侍医の家に生まれるとあるので、この家系の人でしょう。
トキさんはどの人に繋がるのでしょう?

しかし、この幕末佐賀藩医者一覧を見て、私は不思議に思いました…
ここに記載されている医者数は何百とあるのに(あとで数えてみます))、産科、婦人科医はたった12人です…
何だか腑に落ちません…


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2016年09月28日

佐賀県の女医第一号

佐賀県の女医第1号の緒方(諸石)トキさんの写真、見つかりました!!

今朝、校医の線から紐解いて、あちこちお電話をし、縁者の方に行き当たることが出来ました。
しどろもどろでお電話をし、写真をお持ちかどうかお聞きした所「ありますよ」とのこと。見せていただけるかどうか尋ねたら、「今日は居りますよ」とのお返事で、大雨が降りしきる中、1時間半くらい運転し、行ってきました!!
新たな事も分かり、先日提出した原稿、若干変更しなくてはなりません。

それにしても、私が緒方トキ女医について調べ始めたのは、今月の20日です。
10日もせずして、様々なことが分かってくるなんて奇跡のような気がします。

近代史に残る方たちの事を調べていると様々な困難にぶつかります。
私のような素人は、先の先の先まで読むことが出来ないので、思わぬトラブルにぶつかり凹むこともしばしばあります。
知らず知らずのうちに、人の心を傷つけてしまい、申し訳ないことをしたと反省するときもあります。

でも、こんな風に次々と分かってくる事実は、何らかの形で社会に還元せねばと思っています。

今回は、来年刊行予定の「佐賀医人伝」に紹介させていただこうと思っています。


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2016年09月27日

知らない世界

昨日から遊びに来た友人と真夜中までいっぱい話し、今日も観光しながら話の続き…。まだまだ話し足りないけれど、昼食を一緒にした後、友人一家は帰って行きました。

昨日は夕食後、佐賀県庁展望室で、夜の佐賀の町の全景を見て、プロジェクションマッピングを楽しみました。
今日は、昼間の佐賀の風景を、県庁展望室から楽しんでもらいました。友人は今、四方を山に囲まれた山梨県に住んでいるので、広〜い空に感激してくれました。
佐賀城本丸にも案内しましたら、外からはあまり広くは見えないけれど、中が広々としていると、驚いていました。

友人は山も海も得意。海外の山に行くには、現地の資料をかき集め、言葉の勉強をするところから、準備期間として2年間くらい要するそうです。
それでも危険とは隣り合わせ。
アラスカで狼に遭遇し、危機一髪で逃げ延びはしたものの、足を骨折したり、パラオの海で大波を受け、背骨を圧迫骨折したり…良くぞ生き延びたと感心する人です。
知らない世界ことを聞かせてもらうのはとても楽しい!!

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2016年09月26日

旧友との再会

ほぼ十年ぶりに会った友人と話に夢中の、一日でした・・・

30年前、子育てで助け合ってきた仲です。

いくら話しても話し足りない・・・

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2016年09月25日

日本のハワイ移民

昨日の佐賀近代史研究会例会で、「満州国支配についての一考察」の講話を聴きました。
戦前、満州国はどういうところだと紹介されていたか、戦後満州国を見るとどうなのか、佐賀県からの満蒙移民についてはどうだったかを教えていただきました。
講師の会員は、できるだけ資料を集めるために、大変苦労されたようです。
個人情報保護に抵触するということで、資料はあっても開示してもらえないことが多かったそうです。

でも、丹念に調べてくださった話しを聞かせていただき、とても有意義な講話でした。

話を聞きながら、私の頭の中では、移民の問題とぶつかりました。
明治以降、急速に増える人口を養っていくことが出来ず、政府を挙げて外国への移民が行われています。

ハワイに於ける日本人移民の始まりは、1868(明治元)年です。この時の移民は「元年者(がんねんもの)」と呼ばれ、今も御子孫たちがハワイにはたくさん居られるとのことです。

そもそも、ハワイにおける移民は、急増するサトウキビ畑や製糖工場で働く労働者を確保するため、1830年頃より始められました。

1860年(万延元年)、日本の幕府の遣米使節団がハワイに寄港した際、カメハメハ4世は労働者供給を請願する親書を信託したのですが、日本は明治維新へと向かう混迷期にあり、積極的な対応がなされず、カメハメハ5世が、在日ハワイ領事として横浜に滞在していたユージン・ヴァン・リードに日本人労働者の招致について、日本政府と交渉するよう指示し、ヴァン・リードは徳川幕府と交渉し、出稼ぎ300人分の渡航印章の下附を受けたそうです。

しかし、その後日本側政府が明治政府へと入れ替わり、明治政府はハワイ王国が条約未済国であることを理由に、徳川幕府との交渉内容を全て無効化しました。
しかし、すでに渡航準備を終えていたので、1868年(明治元年)、サイオト号で153名の日本人を無許可でホノルルへ送り出され、この人たちのことを元年者と呼ばれました。

詳しいいきさつは、インターネットで検索すればたくさん出てきます。
ハワイへの移民が公式に許可されるようになったのは、1885年(明治18年)1月、日布移民条約が結ばれてからです。1884年、最初の移民600人の公募に対し、28,000人の応募があり、946名が東京市号に乗り込み、ハワイへと渡ったそうです。

ハワイでは、日本の仏教の布教活動も行われています。
私が先日調べた佐賀出身の医学博士大橋(吉原)リュフも、浄土宗の留学生としてハワイに渡り、ホノルルで英語の勉強をしていました。
そういえば、私の高校時代の先生にもハワイ生まれの方がいました。実家はお寺でした。

それからちょっと面白いことがあります。
ハワイには「SUEOKA'S」というストアがあるそうなのです。
わが夫の姓、末岡は元々山口県にルーツを持つ姓らしいです。夫の祖父が末岡姓を継ぐために養子に出されたそうで、夫の家ではあまり愛着のない姓だったみたいです。
本家の従兄がハワイで「SUEOKA'S」を見つけ、写真のTシャツをお土産に買ってきてくれました。家と関係があるかどうかは分かりませんが、私は興味津々です。
ご興味のある方は、ネットでSUEOKA'Sを探すと出てきますので、ご覧ください。P1110248P1110251

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2016年09月24日

諸石トキについて補足

1885年(明治17年)以降、「医術開業試験」の名称となった医師の開業試験は、その合格のため「前期3年、後期7年」と言われるほどの難関であった。そのため、受験のため、多くの受験予備校が生まれ、そのうちのいくつかの予備校が後の私立医学専門学校・私立医科大学に発展した。

最も多くの学生を集め、医術開業試験の合格者を輩出したのが、1876年(明治9年)に設立された済生学舎である。済生学舎は入学にあたり、学歴・性別・年齢を一切問わなかった。このため、女子については唯一の医学修学機関であった。
済生学舎は、1903年(明治36年)に廃校するまで、医術開業試験合格者総数約2万人の半数以上は済生学舎出身者である。済生学舎の廃校後、関係者が在校生の救済のため創設したのが、後の日本医科大学に発展する日本医学校である。

佐賀県で医術開業試験を受けての女医第1号諸石トキは、明治19年(1886)2月4日、杵島郡北方村字杉の岳生れ。北方村・橋本村組合立新高等小学校に通学し、一日も欠席する事なく成績は首位。卒業後医学を志し、独学の進路を経て日本医学校を出て、明治40年(1907)9月2日より6日まで佐賀県会議事堂において執行された医術開業試験後期試験に、佐賀県では初めての女性の受検者として臨んだ。明治41年5月27日を以って後期学説試験合格證書を付与、同年11月登録。杵島郡橘村上野で医院を開業していたが、杵島郡若木村附防で開業していた緒方鶴太に嫁し、その後は、産婦人科医として名声を博した。

彼女が医者を志したときには、女子が学べる唯一の医学修学機関であった済生学舎がなくなり、独学で医学を学び、開業試験受験の為に日本医学校で学んだと思われます。

「佐賀医人伝」にも取り上げてもらうことになりました。
あと、顔写真が見つかれば良いのですが…


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2016年09月23日

鹿島散策

今日はまた、ゾクゾクすることの連続で、楽しい一日でした!
昨夕、牟田豊さんの玄孫さんより、牟田豊の戸籍を追って鹿島に行くと連絡があり、玄孫御夫妻のルーツめぐりに、鹿島に住む友人とご一緒させて頂き、4人で歩き回りました。

牟田豊という人は、幕末の1866(慶応2)年6月に長崎で何礼之塾に入門し英語を学んだ人です。そして、1868(明治元)年に佐賀藩の大木丸で上海へ行き、佐賀藩経営の商店、「三松号」開設に従事しています。
江副廉蔵は明治二年に上海へ行き「三松洋行」で貿易に従事しているのですが、多分同一のお店で、後の田代屋のことだと思います。
廉蔵さんは1866(慶応2)に長崎でフルベッキに英語を学んでいます。
何礼之の英語の先生はフルベッキです。

その後、牟田豊は1872(明治5)年に、佐賀鹿島藩主であった鍋島直彬の米国視察に通訳として同行しています。

で、牟田豊の戸籍上の鹿島の住所は、八本木村87番地でした…。

鹿島市役所で、この住所が現在の何処に当たるかお尋ねした所、大村方の若宮神社の当たりとのことでした。

若宮神社の隣は脇本陣の犬塚家の屋敷です…。
この犬塚家には、江副廉蔵の姉の美登が、大隈重信と離縁後嫁いでいます…。

牟田豊も江副廉蔵も明治になって活躍の舞台が佐賀を離れ、海外、東京ですので、佐賀ではあまり知られていません。

今日、犬塚屋敷の近辺を「この辺あった牟田家をご存知ありませんか?」と訪ね歩いたのですが、知る人はいませんでした…

でも、私たち4人は牟田豊、江副廉蔵、犬塚美登、鍋島直彬が繋がってしまい、ゾクゾクしてしまいました…

また続きの散策をしなければ…

また、鹿島浜の酒蔵通りの人たちが、ここには大隈重信の妻であった美登さんが嫁いでこられたとの事実がわかり、美登さんの写真も出てきて、佐賀の大隈記念館に展示されていると、誇らしげに語って下さいました。

知ってますとも!!


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2016年09月22日

諸石トキ調査

一昨日から調べ始めた諸石トキについて、インターネットでもいろいろ情報を頂き、今朝程佐賀県立図書館で、佐賀新聞、若木百年史、北方町史など見てきました。

生没年月日も分かったし、出身小学校、配偶者、息子、活躍の状況なども分かりました。これは、いま少し頑張って、『佐賀医人伝』1ページ分にまとめたいと思います。

庭のジャングルはしばし我慢するしかない…

今日はお彼岸の中日。亡き両親がお墓の中で、ご先祖たちに「屋敷の管理の出来ない娘を今しばらく大目に見てやってください…」と謝ってくれているような気がします…


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2016年09月21日

北方村の医者

気になって仕方が無いので、諸石トキの手がかりを求めて、県立図書館へ行ってきました。
あいにく、明治期の佐賀新聞の電子閲覧は、先客が居られたので、今日は断念・・・

郷土資料室で、『北方尋常高等小学校編北方村誌』を眺めて来ました。

諸石姓は北方村には在るようです。
緒方は見かけませんでした。

また、明治42年には北方村に6人の開業医、7人の助産婦がいましたが、昭和5年には開業医1人、助産婦1人となっていました。一覧表になっていて、名前は不明です。

何か手がかりが見つかるといいのですが・・・

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2016年09月20日

佐賀の女医第一号 諸石トキ

北部九州は、台風16号の影響をあまり受けることなく、過ぎました。

テレビのニュースで、各地の土砂崩れや浸水などの様子を見て驚いています。被害を受けた皆様にお見舞い申し上げます。

今日は、女医について調べてみました。

医師は明治期においていち早く社会に認知された女性の専門職の一つで職業としての定着率は非常に高く,活動期間も長い。
明治政府は明治17(1884)年,国の医療制度を整える過程で、女性に医術開業試験受験を許可し男性と同様の資格を与えることを認めた。
女医第一号は明治18(1885)年に医術開業試験に合格した荻野吟子です。
前期と後期に合格せねばならない医術開業試験は、その合格のため「前期3年、後期7年」と言われるほどの難関であったそうです。

佐賀の医学史に女医が出てくるのは何時からなんだろうか?と思い調べてみたところ、

緒方トキ(諸石) 明治19(1865)年生、本籍地佐賀、日本医学校出身、明治41(1908)年.11月、 佐賀県杵島郡とあるのを見つけました。

佐賀近代史研究会編の『佐賀近代史年表 下』で確認したところ、1907(明治40)年9月2日から6日まで、佐賀県会議事堂で医術開業試験が実施され、北方村の諸石トキが女性で初めて受験とありました。
そして、1908(明治41)年6月に、医術開業試験に諸石トキ子合格とありました!

佐賀の女医第一号、22歳で合格した諸石トキとはどのような人なのでしょう?
調べてみたいです。


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2016年09月19日

台風接近

またもや台風が九州に近づいています・・・

被害が無いと良いのですが・・・

先日、佐賀県庁前通りで、銀杏がたくさん落ちているのを見ました。
もうそんな季節なのですね・・・

お盆を過ぎれば草の伸びもひと段落すると思っていたのですが、今年は猛暑続きのカンカン照りで、夏に苦戦した草が、このところの雨に喜びズンズン伸びています・・・

たまった仕事が片付いたら、また草取りに終われる毎日が待っているようです。
やれやれ、また暇なしです・・・

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2016年09月18日

筑後川を越えて

今日は時折激しい雨が降る佐賀です。

小雨になった昼前より、ぶどうを求めに出かけました。
お目当てはシャインマスカット。
種はないし皮まで食べれる優れもの。

贈答品が欲しくて産地まで行ったのですが、この夏の異常な暑さの為、ぶどうが早く終わってしまったそうです。
何とか見繕っていただきました。

私の車はナビはないのですが、あちこち走り回っているので、佐賀県内でしたらたいていのところは効率的に目的地に着くことが出来ます。

今日行ったのは筑後川を超えた福岡県。
下調べもせずに走り始めたので、結構迷いましたが、沿道の神社やお墓が気になってしようがありません・・・

次回、歴史散策をメインに行って見たいと思います。


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2016年09月17日

パソコンに感謝!

最近、愛用のノートパソコンが熱を持つようになり、ちょっと心配で、パソコンショップで診断してもらいました。
結果、埃が溜まっているようです・・・

このパソコンは使い始めて5年になりますが、とっても快調に動いてくれていました。
もう少し頑張って欲しいので、来週お掃除出す事にしました。

最初のパソコンを買ったのは、33年前の事です。当時、軽自動車を買うか、出たばかりの家庭用パソコンを買うか大いに悩みましたが、パソコンを選びました。

人よりちょっとだけ早くからパソコンに親しんだお陰で、様々な体験が出来ています。

パソコンやインターネットがなかったら、こうも楽しく時空を飛び回ることは出来なかったことでしょう。
感謝感謝です。

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2016年09月16日

トラクターバス

busu写真は先日乗ったトラクターバスです。

こんな乗り物で、ゆったりと佐賀平野を眺めながら走るのもいいんじゃないかしら・・・

何事もアイデア次第・・・



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2016年09月15日

青山霊園外人墓地のキヨッソーネ

P1110137写真は青山霊園外人墓地のキヨッソーネのお墓です。
画面左に見えるのはフルベッキのお墓です。

キヨッソーネはイタリア生まれで、銅版画の彫刻技術を学び、1867年のパリ万国博覧会に出品した銅版画は銀賞を受賞。
キヨッソーネが大隈重信の招聘に応じて来日したのは1875年(明治8年)。来日後、大蔵省紙幣局(現・国立印刷局)を指導し、印紙や政府証券の彫刻をはじめとする日本の紙幣・切手印刷の基礎を築いたほか、美術教育にも尽力し、奉職中の16年間に、キヨッソーネが版を彫った郵便切手、印紙、銀行券、証券、国債などは500点を超えるそうです。

彼は最期まで日本に留まり、1898(明治31)年に東京の自宅で逝去、青山霊園に葬られました。独身を通したため、遺言で遺産は召使が分配したそうです。

青山霊園外人墓地 お墓の縁者捜索プロジェクト」というサイトには、ここに眠る方々の詳細な情報があります。


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2016年09月14日

グラント松

今日は時折雨がぱらつく、しのぎ易い佐賀でした。

P1110218
この写真は、一昨日訪ねた東京芝増上寺境内にある「グラント松」です。

アメリカの南北戦争で、北軍を勝利に導いたユリシーズ・S・グラント将軍は、アメリカ合衆国第18代大統領となりました。在任期間は1869年から 1877年までです。

大統領退任後の1879年(明治12年)に、国賓として日本を訪問し、各地を回っています。最初の寄港地は長崎で、グラバーが座長でおもてなしについて計画されたそうです。長崎では諏訪神社の境内に記念の植樹をしました。
グラントはアメリカ合衆国大統領経験者で、訪日を果たした初の人物でもあり、浜離宮で明治天皇と会見し、増上寺で松を植樹しました。これがグラント松なのですが、松というより杉のような感じを受けます。しかし、看板には松とあります。
P1110216

また、増上寺境内には、アメリカのブッシュ大統領が副大統領当時に植樹した「ブッシュ槙」もありました。



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2016年09月13日

青山霊園 フルベッキの墓

やっと我家へたどり着きました。

旅行中はインターネットが使えないところもあり、ブログをうまく更新できませんでしたので、写真を整理しながら更新することにします。

まずは、青山霊園外国人墓地散策です。
P1110136
中央がフルベッキのお墓です。その隣の蔦に覆われているお墓はワグネルです。

お二人とも佐賀にゆかりの深い方です。

私がはじめてここを訪ねたのは、11年前なのですが、その時は、フルベッキのお墓を見つけることが出来ませんでした。
なぜならば、私はまだフルベッキの事を知らずいたのと、こちらの案内板には、ヴァーベックと英語読みで書かれていたからでした。

Guido Fridolin Varbeek
オランダ読みでは、フルベック。
日本では通常フルベッキと呼ばれています。

村瀬寿代さん著の『日本のフルベッキ』によれば、彼女がオランダへ行って確認したフルベッキの出生届けはVarbeekだったそうです。

日本では、日本人が発音しやすいように、Varbeckと書いているのですが、墓石にはVarbeekと書かれています。

日本の近代化に大きな貢献をした人です。

江副廉蔵もフルベッキに学んでいます。江副廉蔵の漢文でかかれた墓碑の中には、武魯?資苦伊となっていました。

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2016年09月11日

栃木県と佐賀

栃木県には、明治の頃の佐賀関係者の足跡が散らばっているようです。
とても広〜い所なので、自分で車を運転して回らない限り、行き着けそうに在りません。

今回はちょっと無理ですが、次回はレンタカーを借りて、回ってみたいものです。



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2016年09月10日

トラクターバス

本日は、那須で遊んでいます。
今日は土曜日で、子ども向けの施設は入園者が多く、楽しいショーがたくさん準備され、とても楽しく過すことができました。

移動に利用したトラクターバスは、佐賀の観光にも利用できるんじゃないかな・・・



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2016年09月09日

外国人墓地の無縁墓・・・

昨日いただいた青山墓地、外国人墓地の資料を見ています。

こちらに眠る方々の多くは、日本の近代化の為に尽くしてくださった方々です。
外国人の方々は戸籍がなく、縁故者の調査が困難で、また、独身で埋葬引受人が友人や同僚で、100年以上の時の経過で、無縁化しているお墓が90基ほど在るそうです。
継承者が分からず無縁化しているお墓は、墓石が倒れたままであったり、樹木が繁って大きな根を張り、墓石を持ち上げ荒れ放題になってしまったり・・・

子孫がわかる方や、縁故ある教会、学校、企業団体に管理されている堡墓は、手入れもされています。

佐賀藩に関わりの大きい方もいらっしゃいます。

「家族の墓を日本に残して帰国した人たちの事を思うと、この墓地を大切にしなければいけないと考えさせられる」と、『青山霊園みちしるべ』の中にあり、詳細な一覧表が在りますので、関心のある方に差し上げようと思います。



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