女医の歴史南里邸内部学習会

2018年08月05日

女医と大隈重信

今日も各地でいろいろとイベントが開かれているようですが、とにかく暑くてたまらない佐賀です・・・。

さて、女医の誕生の歴史を私は『吉岡弥生伝』で知りました。

明治18年、日本の第一号の公許の女医となったのは荻野吟子です。
東京の私立の医学校好寿医院に特別に入学を許され、明治15年3月にここを卒業した荻野吟子は、医術開業試験の願書を東京府庁に出そうとしても、「女子受験の前例がない」ということで願書を受け付けてもらえなかったそうです。
明治17年1月に実施された医師免許規則の大改正があったときも女子の受験については考慮されませんでした。明治17年4月、荻野吟子は豪商高島嘉右衛門の紹介状を持って衛生局長の長与専斎を訪問し、女医を認めてもらい、同年6月、女子の受験が認められるようになったそうです。

長年の努力が実を結び、荻野吟子が医者になったのは35歳のときで、医者を志して以降15年の歳月が経っていました。

吉岡荒太、弥生夫妻が1900(明治33)年に創設した東京女医学校の初めての卒業式では、「手術をして平気で血を流すような女が増えたら国が滅びてしまう」と言う来賓たちの祝辞で会場が混乱したそうです。
最後に登壇した女子教育に理解の深い大隈重信が「十年ないし十五年の歳月をもって、事実に現れきたる成績の如何によって、女医が適当なる者か、不適当なる者かという結果がわかるんであるんである」と女医亡国論を論破し、卒業式が無事治まったというエピソードがあります。

こんな話、もっと知っていただかなくては・・・

bakumatusaga at 21:58│Comments(0)

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