佐賀城本丸歴史資料館と徴古館研修藤山種広と板ガラスの製法

2018年10月11日

縁の下の力持ち、金赤ガラス

本日は藤山種広について認識を深めた一日でした。

幕末のパリ万博に佐賀藩から佐野常民の従者として派遣された藤山文一は、後に藤山種広と名乗り、明治6年のウィーン万博には伝習生として参加しています。

彼がヨーロッパから学んできたものは、活字製法、活字紙製法、硝子製法、鉛筆製法です。

この中で、現在、佐賀でお話しが聞けそうなのは硝子についてでしょうか。

本日は佐賀藩精錬方の流れを組む、副島ガラスさんにいろいろとお尋ねしました。

ガラスの製造の中でも、藤山種広が日本で初めて成功したのは赤ガラスと板ガラスです。
色ガラスの中で一番難しいのが赤ガラスで、赤ガラスには銅赤ガラス、セレン赤ガラス、金赤ガラスがあるそうです。
中でも、透明度の高い金赤ガラスは、現在でも製法が難しいとのこと。
ガラスの原料に単に金を混ぜれば赤が発色するのではなくて、金にいろいろと細工をして、難しい温度調節をして透明度の高い金赤ガラスをつくるのだそうです。

金赤ガラスの何故必要だったのか・・・
その用途の一つは船の舷灯です。
航海法では、夜間に航行中の船は衝突防止のために、右舷に緑灯、左舷に紅灯をつけることが義務付けられています。航海法は世界共通です。
日本にはそれ以前につくられていた、銅赤ガラスというのがあるのですが、これは暗赤色で、十分に光が届かないのです。
そのため、より光を通す金赤ガラスが必要だったのです。

成程・・・。舷灯は船の重要なパーツの一つ。これから世界を相手に貿易をしていこうとするときに造船は不可欠。明治政府は舷灯も国産で船を造りたかったのだと思います。

では、緑灯は?副島ガラスさんによれば、緑色のガラスの製造は比較的簡単だそうです。

ガラスは建築資材か工芸品としか考えが及ばない私にとっては、なかなかイメージできないのですが、金赤ガラスの製造が近代日本の発展の下支えになったことは間違いないようです。





bakumatusaga at 21:48│Comments(0)

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