初代佐賀県令鎌田景弼の仕事黒田チカ没後50年 黒田チカを語る会

2018年11月07日

直彬さんの事

本日のサガテレビの「かちかちプレス」での、明治維新シリーズは、私が肥前鹿島藩の最後の殿様、鍋島直彬(なべしまなおよし)について紹介しました。今でも鹿島の人たちから「直彬(ちょくひん)さん」と、親しみを込めて呼ばれているお殿様です。

20年ほど前、沖縄の人から、「佐賀と沖縄は深い関係にあります。初代の県令(県知事)は佐賀の鍋島直彬でした」と聞かされました。
沖縄県が出来たのは廃藩置県の8年後の明治12年。初代の県令が、どうして佐賀からなのかとても気になりました・・・。
鍋島のことなら、鍋島家の博物館である徴古館へ行けば全てわかると思って訪ねてみると「徴古館では本藩のことしか分かりません。」とのことで、鹿島に行って調べはじめました。

当時、インターネットで簡単に調べられる時代ではありませんでした。我が家はアナログ回線でインターネットに繋がっていたけれど、通信代を気にしながら、夜な夜なパソコンに向かっても、わずかな情報しか取れない時代でした。

そんな中で、鹿島に行って、いろいろな出会いがあって、調べる事の楽しさを知りました。

佐賀は狭いところなので、どこかで誰かが繋がります。
20041103 053tegami直彬さんの信頼の厚かった、山口登さんのご子孫と知り合い、家に伝わる直彬さんの書や手紙などを見せていただきました。これらの品々は、今は鹿島の図書館に収蔵されています。

また、山口登さんは大隈重信の最初の妻美登さんの再婚先の家系と繋がっていて驚きました!!








bakumatusaga at 20:32│Comments(2)

この記事へのコメント

1. Posted by ぐりーん   2018年11月08日 21:39
昨日 たまたまsts 見ていました。
直彬さんの話の時、傍の女性は末岡さんではと思いました。
案の定でした。
もっと詳しく知りたいです。
2. Posted by sue   2018年11月10日 09:56
ぐりーんさん
コメントありがとうございます。
直彬さんの事、まとめたものがありますので、そのうちに差し上げますね。

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