直彬さんの事構口(かまえくち)から神埼橋まで

2018年11月08日

黒田チカ没後50年 黒田チカを語る会

本日は南里邸の二人は、「黒田チカ没後50年記念 黒田チカを語る会」にお誘いを受け、行ってきました。

今日11月8日はチカさんの命日で、佐賀科学技術史フォーラム代表の堀勇治先生が本日の会合を準備してくださったのです。
チカさんのお墓のある佐賀市の大運寺の本堂に椅子を並べた会場に、40人ほどが集まりました。
男女共同参画社会とからめた話を10分程度して欲しいと事前に依頼がありました。それは、南里邸で幕末維新博にからめて「佐賀に縁ある女たち」展を開催していたからなのです・・・

ところで、男女共同参画社会とは何ぞや?
男性も女性も、意欲に応じて、あらゆる分野で活躍できる社会の事だと、改めて知りました。

黒田チカさんは、紫根やベニバナなどの生物色素の構造を解明した理学博士です。
女性で最初に帝国大学生となった人でもあります。

そもそも、日本の大学は、旧制高校を卒業した男子学生のための学校でした。
大正2年に東北帝国大学が初めて女性に門戸を開き、独自に女性の受験を認めました。
この入学試験のさなか、文部省は「女性を帝国大学に入学せしめる事は前例なき事にて、頗る重大なること」と事情説明を求める書簡を大学に送ったのですが、大学はかまわずに、黒田チカ、牧田らく、丹下ウメの3人を合格者を入学させました。

女子学生に対する軋轢は強く、特に同級生の男子学生等は「女子と合同では学科の程度が自然低くなる惧れがある。また、男女学生の合同研究には生理上体質上の障害が多いので、女子の帝大入学は時期尚早」と、彼女たちを排斥した事が新聞記事にも載っています・・・。

それでもめげずに、学業に邁進し、立派な功績を残されたのです。

本日を機にそんな事も知りました。

そして、チカさんと同じく有機化学の専門家で佐賀大学に勤務する堀勇治先生が、尊敬するチカさんのことを徹底的に調べながら、学生たちを引き連れ墓参し、40年もの間、命日には会を開いてこられた事を知りました。
「墓前に立つと、『すべての物に親しみをもって向かえば、必ずものが教えてくれ、道は開ける』とのチカさんの座右の銘が、新しい響きとなってよみがえってくる」と堀先生は言われています。

今日は堀先生のお人柄に感銘を受けた一日でもありました!
また、南里邸では無意識のうちに男女共同参画社会の先駆けの佐賀に縁ある女性たちの事を紹介してきたのだと、あらためて知った次第です・・・

写真は、黒田チカさんが眠るお墓と大運寺の四季桜です。
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bakumatusaga at 21:59│Comments(0)

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