2009年06月19日

脳死

臓器移植法が衆議院を通過しました。
4案あった中のA案が通りました。


A案の内容
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脳死の位置づけ :一般的に人の死
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提供条件     :本人が拒否していなければ家族の同意で可能
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提供可能年齢  :制限なし
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親族優先提供  :意思表示しておくことができる
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このニュースを知ったすぐは、
これで救われる命が増えるだろうと
喜ばしい気持ちになりました。
でもすぐ後に、でも当事者にしたら
複雑だろうなって思いました。

それは
助かりたい(あるいは助けたい)
=誰かの死を望むことと繋がるから。

関係のない立場だから
『あぁ、よかったね』
だけでしたが、そんなに単純じゃない。


私は独身で、子どももいない。
子どものいる友人の言葉で
印象に残っているのがある。

『テレビに出ている子って可愛いけど
 やっぱり自分の子が一番よ。
 別格なの。』


この『自分の子が一番可愛い』という感情。
これは生物として当然。
これがないと無防備な子どもは育たない。
すぐに見捨てられてしまって命を落とす。

子孫を残すという宿命を果たすために
遺伝子レベルで『自分の子が一番』
という感情をプログラムされているんだと思う。


だから例えば自分の子に病が見つかり
それが臓器移植でしか助からないと分かったら
やはり何としてでも手術を受けさせたいと思うだろう。
自分の子どもが手術によってこの先苦しむことなく
また命の心配なく生きられるのなら。
だから早く臓器提供をと願うと思う。


生物としての本能では『助けたい』
と言う感情は正常。

でも、人間としての理性が働く。

助けたい=人の死を待つことになる

すごく苦しいと思う。
助けたいけど、それは
人の死を願う行為に繋がるから。
それでも自分の子を助けたい。



***********************

一方、今朝の番組で
脳死の子を育てる両親が
取材を受けていました。
脳死ですから眠ったまま。
こちらからの働きかけには
反応しません。

でも、髪の毛や爪は伸びるし
身長ももちろん伸びる。
身体も温かい。
意思表示や意思疎通ができないだけ。


今の法案が成立すれば
この子は法律上『死んでいる』と
位置づけられます。
そう、臓器提供可能者になるのです。

親にしたらたまったもんではないと思う。
確実に成長している我が子を
死んだことにするなんて。
身体が温かい我が子を
死んでいると思えと言うのか と。

『身体が大きくなってきて
 今のバギーじゃ小さいから
 大きなサイズのものを注文しようとしてた。』

と話されていました。

また、『これで、臓器提供のプレッシャーが
本当のものになるのかと思うと
言葉がありません。』とも。


そう、この法案は
脳死の状態にある子どもを持つ親に対して
無言のプレッシャーとなるものでもあります。

臓器提供を待つ患者ばかりに焦点をあてがちですが
こうして脳死の状態にある子どもを持つ
親のことも同時に考える必要があるのではと思います。





***********************

でも、そうした人ばかりでも
ないのではないかとも思います。
我が子が脳死と診断されたら
『誰かの身体で生き続けられるのなら』と
臓器提供に同意する家族も
出てくるでしょう。




それに

今は、脳死=人の死ではない
呼吸もしているし、身体も温かいのに
死んでいると思う方が無理

という価値観が常識の世の中です。
これはそう考えている人が大多数だから。

じゃあ、10年後、20年後はどうでしょう。

脳死=臓器を提供「できる」
提供できるならしたい。
という価値観が生まれているかもしれない。
もしくはその価値観が常識となっているかもしれない。
脳死=人の死という考え方に対して
違和感・抵抗感なく対応しているかもしれない。


今は色んな価値観が混じり合い
衝突しあい葛藤する時期だと思う。


色んな意見があると思います。
色んな考え方があると思います。

大事なのは1人1人が
脳死・臓器移植について
しっかりした考えを持つことだと思います。




************************

脳死=臓器提供が可能
なのであって
脳死=臓器提供が義務
ではないのです。

頭では分かっていても
『臓器を求めている患者がいるのに
 死とは認めず生かし続ける』
ということに対して責める気持ちが
全くないと言い切れますか。


しっかりした考えを持つことができたら
相手の考えも尊重できるようになると思う。
脳死ではあるけれど、死んでいるとは考えられない
という考え方の人に対して
『いいと思うよ』と心から思える社会。
そういう考え方もありだよね。
と普通に受け入れられる社会。
色んな考え方を受容できる社会になればと思う。
そうすれば『無言のプレッシャー』
を感じる親もいなくなると思う。




最後に

脳死は他人事ではありません。
明日、事故に遭い脳死状態になるかもしれません。
家族が、恋人は脳死状態になるかもしれません。
そうなった時慌てることなく
自分の信条に従って対処できるよう
今から脳死について考えておくことこそが
私たちに求められていることだと思います。




ballet3812 at 19:15│Comments(11)TrackBack(0)ニュース 

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この記事へのコメント

1. Posted by panda   2009年06月19日 23:59
私は10年以上前から臓器移植提供意思表示カードを
財布に入れて肌身離さず持っています。
やはり「脳死の際に…」ではなく「心停止の際に」に○をつけました。
その時は母が「脳死では嫌だ」と言ったからでした。

今回この法案が可決されたのをきっかけに夫と話をしました。
夫は「やはり脳死では嫌だし、心停止だって納得できるかわからない」と言っていました。
ただ、話の中で、自分たちの子どもや家族、自分たちが移植が必要になったら…という話になると
提供してもらいたい気持ちが大きいよね、とも。

どちらの側にしても同じように重たい命なんですよね。
「死」は、本人よりも家族がそれを受け入れられるかどうかが最大の課題。
納得の出来ない想いが双方に残らないように
たくさんの人たちがこの機会に悩めたらいいなと思います。
2. Posted by ロンサム   2009年06月20日 00:02
人の魂は「脳」にあるのか
それとも「心臓」にあるのか


大切な人が脳死状態になった経験がある
人間としては、正直複雑な話です
3. Posted by ブルーなビッグママ   2009年06月20日 08:41
正直な話、自分が脳死になったら人の役にたちたい。でも夫が脳死になったら、一日でも長く一緒にいたいと思うかもしれない。
私も、このお子さんが脳死状態の方のテレビを観ました。重度の障がいを持っているお子さんを世話している親と、変わらないように見えました。でも障がい児の親御さんは「自分が逝った後この子はどうなるのだろうと心配です。いっそ一緒に逝きたい」とポツリと言いました。
夫が脳死になったら、私がもう十分と思ったら、私がもう介護できない事態が起こったら、私はサインするのでしょうか・・・。
ちょうどレンタルで借りてきた漫画「ブラックジャックによろしく」は移植についてでした。腎臓移植で家族がバラバラになる話でした。移植でもらった臓器を翌日になって「返したいから取り出してくれ」と言い出す患者も出てきます。もらうほうも手放しで嬉しいわけではないんだと初めて考えました。
4. Posted by 杏麗流   2009年06月20日 23:07
今年の初め、世間をにぎわした
女性のことを思い出しました。

彼女は20歳の時に交通事故に遭い、
ずっと植物状態でした。
(脳死状態ではない)
そのまま17年。
詳しくは
http://www.lachirico.com/2009/02/11/italy-19/

生きているって何なのだろう。
谷村新司の
♪ああ生きてるとは 燃えながら暮らすこと
という歌詞を思い出しました。

生きるのではなく
生かされているだけの状態になった時
そして
その状態がある程度続き好転の見込みがない時
私は生かされているより
誰かと共に生きたいと思います。
5. Posted by ゆるさく   2009年06月21日 17:51
私の個人的な思いはもし自分がそうなったら、機械によって生かされるのは嫌だと言うことです。
私の父が良く私のそう言ってたので同じ様な考えになったのかも.....。
そしてそれはオットにも言っています。

でもオットがそうなったら....?と問われたら即答は難しいです。
でも、もし機械でしか生きられないのであれば、誰かの中で生きていて欲しいと思います。

勿論他の人達にそう言う考えを押し付ける気なんてさらさらないです。
まだ持っては居ないですが先日「ドナーカードが欲しいね」とオットと話していた所です。


オットの親族(伯父)にもう機械でしか生きられない人が居ます。
お見舞いに行ったことがありますが、見てるだけで辛いとオッとは言ってました。
どう見ても不憫なのです。
それは生きているのではなく、生かされていると言った表現そのものでした。

でもそれでも近親者からしたらかけがえのない存在ですものね。

私の周りの障害児を持つお母さん方は「どうか自分たちより先に逝って欲しい」と言う方が多いようです。
それもまた一つの正しい意見なのでしょう。


誰もがそれぞれの意見を尊重出来る世の中になると良いですね。
6. Posted by ぴっぴ   2009年06月22日 11:35
◆pandaさん
お返事遅くなって申し訳ありません。
ドナーカードを持たれているのですね。
私の知り合いにはまだいないので貴重なお話です。
どうしても死というものに対して考えないようにしている自分がいます。
だからドナーカードについても先送りしている状態です。

>「死」は、本人よりも家族がそれを受け入れられるかどうか
本当にその通りだと思います。
まだ温かい家族を自分の意思で機械を外して冷たくする。
そのことを受け入れられるかどうかなのだろうと思います。
私も、自分の家族や大切な人がそうなった時
受け入れられるか自信がありません。
この課題はまだ私自身結論が出ていないことでもあります。
自分だけじゃなくて周りの人とのことなのでしっかり話をして
もし自分がそういう状況になった時に慌てないようにしたいと思います。
コメントありがとうございました。




7. Posted by ぴっぴ   2009年06月22日 11:35
◆ロンサムさん
お返事が遅くなって申し訳ありません。
日本は特にこれという統一された強い信仰がないとはいえ
仏教が土台になっているのも、この脳死や魂という問題に対して
複雑な感情を持つことになっているのではないかと思います。
それがいいとか悪いというのではなくそういう民族なのだと思います。

私も、今の段階で、もしこの問題に対して結論が出たとしても、
自分の家族等が脳死になり当事者になった時
きっと、再びものすごく悩むことになるのだろうと思います。
コメントありがとうございました。



8. Posted by ぴっぴ   2009年06月22日 11:36
◆ブルーなビッグママさん
お返事が遅くなって申し訳ありません。
pandaさんもコメントしてくれていますが、
本人よりも残される人がその死を受け入れられるかどうか
というのも今回の課題なのではないかと思いました。
私自身がもし、脳死状態になったら臓器移植して欲しいか…。
正直まだ結論が出ません。
ブルーなビッグママさんもテレビご覧になったのですね。
私はあの取材を見て、やっと現実的に
『臓器を提供できる側』の立場を知ることが出来たように思います。
そして、今回ブルーなビッグママさんのコメントを読んで、
今度は臓器提供を受けた側というのにも気付くことができました。
確かに『命をもらう』という形になるのでその重さは計り知れないと思いました。

死に対してここまで真剣に向き合ったことがなかったのだと
今回のことで気付くことができました。
死に対して目をそむけるのではなくてしっかりと考える時なのだと感じました。
コメントありがとうございました。



9. Posted by ぴっぴ   2009年06月22日 11:36
◆杏麗流さん
お返事が遅くなって申し訳ありません。

>生きるのではなく、生かされている状態
杏麗流さんのコメントを読んでハッとしました。
私自身が脳死状態になった時になお生かされることを望むか…。
まだ答えはでません。
でも、自分ではなく家族が脳死状態になった時
きっと『生かしたい』と思うと思います。
例え目が開かなくても身体が温かいというだけでいいと思うと思います。
きっと子どもの頃からそうした考えの中で過ごしてきたというのが大きいと思います。
もしかしたらこの先、『脳死状態になった時には移植する』
という考えが主流になった場合、そのときは私の考え方も変わっているのかもしれません。
まだまだ、結論が出るまでには時間がかかるとは思いますが
こうしてきちんと死について考えること自体に意味があるんだと思いました。
コメントありがとうございました。



10. Posted by ぴっぴ   2009年06月22日 11:38
◆ゆるさくさん
お返事が遅くなって申し訳ありません。

もう既に生きているうちからきちんと意思表示を
されているゆるさくさん、偉いと思います。
それは、これまでに死に対してちゃんと向き合ったということですから。
私は、死から目をそむけてきたのだと気付きました。
どうしてもそのことを考えたくなかったのですね。
けれど、この法案が成立したら、土壇場になった時困るのは
残された人なんだと思いました。
例えば、自分が脳死状態になった時ドナーカードを持っていたら
家族に対してひとつの道しるべのようなものになるのではと思いました。
持っていなかったら、やはり残された家族は悩むと思うのです。
機械さえついていればとりあえず生かすことができる…と。
その一方で機械がないと生きられないという状況をいつまで続けるのだとも。
それが、私が自分の意思をドナーカードという形で残すことで
『臓器提供もひとつの方法だ。ぴっぴが望むなら』と
家族を多く悩ませずに済むのかもしれないとも感じました。
でもまだそこまできちんと考えが至ってないのですけど…。

続きます。


11. Posted by ぴっぴ   2009年06月22日 11:38
◆ゆるさくさん
続きです。

ひとりひとりが死に対して真っ直ぐ向き合うことで
自分や家族を考える機会にもなるだろうし
他人の意見も尊重できるようになるのではと感じました。
コメントありがとうございました。


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