2011年06月

ヴィム・ヴェンダース監督の映画『ピナ』

 

 2009年6月30日に、ピナ・バウシュが亡くなって早2年。ヴィム・ヴェンダース監督の話題の映画『ピナ』が完成したと聞いて、私も公開を待ちわびていた一人ですが、折しもパリ訪問中に見ることが出来ました。パリでは4月6日からいくつもの映画館で上映されていましたが、かつて日本映画を見に通った、シャンゼリゼにほど近い小さな映画館に行くことにしました。

 ピナとパリとの関係は、非常に親密で、197980年のシーズンにテアトル・ド・ラ・ヴィルに初めて招かれて以来、カンパニーは、同劇場に30年以上も連続して毎年のように訪れています。私が住んでいた頃は、毎年ほぼ6月に来演していたので、ピナとヴッパタール舞踊団の公演を見ると、夏のバカンスを迎えられるという、季節風のように親しまれていたのを思い出します。毎年上演される新作に、いつも際立った手法の変化が認められるわけではありませんでしたが、次に舞台でどんな奇跡が起こるのか、常に興味を持たずにはいられない存在でした。

 今回の映画の封切りに合わせ、ダンス専門誌DANSER』が、4月号で『ピナ』の特集を組んだところ、飛ぶように売れ、キオスクを何軒か探しまわった末、ようやく確保できた次第。ピナの根強い人気を物語っています。

 撮影は、200910月と2010年4月に行われ、収められている主要作品は、『春の祭典』に『カフェ・ミュラー』『コンタクトホーフ』『フルムーン』の4本。ダンス・シーンの間に、ダンサー達がそれぞれピナとの思い出を語っていきます。まるで、母親か親しい友人について回想しているかのように‥。特殊な眼鏡をかけて、3Dで見るダンスの迫力は抜群です。まるで目の前で舞台が展開されているような臨場感が味わえるのです。

 そして、劇場のみならず、自然の風景の中で撮影された映像の美しさ。先頃公開された草刈=周防コンビによる『ダンシング・チャップリン』でも、高原の緑の中で撮影された警官のダンスのシーンが清々しく感じられたものでしたが、『ピナ』でも、モノレールが走るヴッパタールの街の風景をバックにしたり、山林や川辺など、屋外の自然の中で撮られた映像は、ダンスと心地よくマッチし、非常に効果的でした。高い丘の上をダンサー達が長い列を成して、通過して行くシーンは特に印象に残っています。

 映画の最後には、ピナの創作中の素顔が見られます。この映画は、ピナの偉大さと、ピナがダンスに託したメッセージを強烈に伝える、素晴らしい追悼の作品となっています。ダンス・ファンはもちろん、ピナのダンスをまだ見たことのない人達にもぜひ見てほしい映画です。パリを離れる前にもう一度見たいと思いましたが、日程の都合がつきませんでした。日本での公開が待ち遠しいです。

ボリショイ・バレエのパリ公演『パリの炎』

 日本でも、ロシア・バレエの人気は高いですが、パリにおいても、とりわけボリショイ、マリインスキー両バレエ団の来演は、その都度センセーショナルな話題を巻き起こしてきました。オペラ座でもシャトレ座でも、もちろんチケットは即完売の大人気。去る5月5日から14日までパリ・オペラ座に客演したボリショイ・バレエの公演も、初日のガラを除けば、恐らく定期会員にならなければほとんどチケットの入手不可能なほど、今シーズン最も人気の高い催しの一つだったようです。

 今回の演目は、アサフィエフ作曲、ラトマンスキー振付『パリの炎』と、ミンクス作曲、プティパ/ゴルスキー/アレクセイ・ファジェーチェフ振付『ドン・キホーテ』の2本立て。日程の都合により、初日の『パリの炎』を鑑賞しました。

 既にオーシポワ&ワシーリエフのペアによる映像がリリースされていて、公演会場であるガルニエのブティックでも、DVDを通して、二人の超人的なテクニックのやりとりが楽しめるようになっていました。

 『パリの炎』は、1932年、ワイノーネンの演出で3幕7場として初演。これまで、ガラ・コンサートやコンクールなどでよく踊られるグラン・パ・ド・ドゥが有名で、その全体像は、なかなか伝わってきませんでしたが、2008年7月、ラトマンスキーが、2幕4場にまとめた改訂版がボリショイ劇場で上演され、脚光を浴びました。

 舞台は、フランス革命期のマルセイユとパリ。プログラムの中で、ラトマンスキーが語っていますが、この演出では、ワイノーネンの振付を一部残しながらも、民衆が主役の革命そのものを描くのではなく、歴史の流れに翻弄された恋人達の運命を浮き彫りにした点が特徴となっています。

 1幕は、1場=マルセイユの村、2場=パリの宮廷。パリを目指して村人達が勢い立つ冒頭から、村娘ジャンヌのマリア・アレクサンドロワ、その恋人フィリップのウラジスラフ・ラントラートフ、ジャンヌの兄ジェロームのデニス・サヴィン、侯爵令嬢アデリーヌのアンナ・レベツカヤら主要登場人物が顔を見せ、『ファランドール』を経て『ラ・マルセイエーズ』に至るまで、さすがボリショイといったエネルギー溢れる踊りで盛り上げます。

 2場では、打って変わって、宮廷バレエ『リナルドとアルミード』を劇中劇として上演。ミレイユ・ド・ポワチエに扮したニーナ・カプツォーワ、アントワーヌ・ミストラルのアルテム・オヴチャレンコらが奥ゆかしく踊りますが、現実離れしたキッチュな印象を与えたのも、演出の狙い通りだったのでしょう。

 2幕は、パリの広場。フランスの地方の踊りが様々踊られるのですが、どことなくロシア風なのも目をつぶりたくなってしまうほど、ダンサーたちの躍動感に圧倒されます。そして、舞踊の最大の見せ場といえば、やはり後半のジャンヌとフィリップの婚約を祝うグラン・パ・ド・ドゥ。全編の中で見ると、ここだけ別世界というか、ラコット版『パキータ』の中の第1幕のパ・ド・トロワを思わせるような独立した完成度が感じられます。アレクサンドロワ、ラントラートフともに、はじけるような勢いで舞台をクライマックスに導いて行きます。けれども、その後舞台は一転。恋人のアデリーヌが、貴族と分かりギロチンにかけられ、呆然とするジェロームの背後から、民衆がじわじわと迫ってきて‥ここでバレエは幕を閉じます。この印象的なラスト・シーンが、振付者の意図を端的に象徴していたように思えます。

 当夜のガルニエは、AROP主催のガラ公演で、中央階段が豪華な花で美しく飾られ、着飾った人達でひときわ輝いていました。やはりボリショイの来演は、特別なイベントの一つとして記憶されるに違いありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヌーヴェル・ダンスの旗手ガロッタとプレルジョカージュのソロ

 

 パリのコンテンポラリー・ダンスのメッカ、テアトル・ド・ラ・ヴィル傘下のモンマルトルの丘の中腹にあるレ・ザベス劇場で、二つの公演を見てきました。

 パリに住んでいた頃は、毎年のように両振付家の作品を見る機会に恵まれました。今度は、二人がそれぞれソロを披露してくれるとは。

 ガロッタは、今年61歳、プレルジョカージュは、54歳。どのようなダンスを見せてくれるのかそれは興味津々でした。

 

1、ジャン=クロード・ガロッタの『ダフニスとクロエ』
  Jean-claude GALLOTTA  :  Faut qu'je danse!    
                                                Daphnis é Chloé
                                                       

 この作品を見たのは、1985年の第4回利賀フェスティヴァルが最初で、その後は、90年のテアトル・ド・ラ・ヴィルでした。82年の仏アヴィニヨン・フェスティヴァルで初演された、ガロッタの活動初期の代表作の一つです。バレエの『ダフニスとクロエ』の音楽は、途中でほんのりと一瞬耳をかすめて聴こえる程度で、後はアンリ・トルグ作曲のピアノ曲で踊られます。登場人物は3人のみ。女性一人、男性二人のパ・ド・トロワ。ダフニスとクロエに、3人目はパンの神なのか誰なのか、はっきりしませんでしたが、抽象的な三角関係を扱った、この辺りの自由な感覚こそ、当時のヌーヴェル・ダンスが目指す世界そのものだったのかもしれません。

 その時は、ガロッタ自身がパンの神(?)に扮して、動物を思わせるキャラクターで異彩を放っていました。 

 初演から約30年後の上演となった今回は、当然ながら世代は代わり、若いダンサーたちの出演。フランチェスカ・ジヴィアニ、ニコラ・ディゲ、セバスチャン・ルディグの三人は、いずれもよく体の利くダンサーたちで、エネルギッシュな踊りには圧倒される思いでした。

 ガロッタのソロ(?)は、この作品のプロローグに登場しました。題して『Faut qu’je danse!(踊らなきゃ!)』。劇場側からの要請に応えて準備されたものらしいですが、実際は、ダンスというより、作品の初演時のエピソードなどを語ってくれるものでした。眼鏡に、黒っぽい普段着の格好のガロッタは、舞台に忽然と現れ、ひょうひょうとした雰囲気に独特の存在感がありました。かつての舞台には、このような軽妙な味わいが、もっと色濃く漂っていたような気がします。

2011年4月29日)

 

2、アンジュラン・プレルジョカージュの『綱渡り芸人』
     Angelin PRELJOCAJ:    Le funambule
 

 これまで40もの作品を創り、名実共に現代フランスを代表する振付家として活躍中のプレルジョカージュ。彼の作品からは、常に何らかの社会へのメッセージが発せられ、かと言って、決して押し付けがましくないので、毎年パリで上演される新作をいつも待ちわびていたものです。

 一番最初の出会いは、90年秋に、シャトレ広場のテアトル・ド・ラ・ヴィルで上演された『アメール アメリカ(苦いアメリカ)』で、大変衝撃的でした。アメリカ大陸への上陸を待ちわびる移民たちの様々な思いを描いた作品で、祖国への郷愁が強く漂っていました。

 そのプレルジョカージュが2009年、52歳にして初めて踊ったソロが『綱渡り芸人』で、2年ぶりの再演でした。ジャン・ジュネが、綱渡りの少年アブダラに寄せた芸論『綱渡り芸人』のテキストをベースに、ジュネのメッセージをプレルジョカージュが声と身体で伝達するというものです。芸術家の孤独や、死と向き合った危険を訴えた、ジュネ自身の激しい芸術観が、そのままプレルジョカージュの生き様と重なり、スリリングで緊張感あふれる1時間15分となっていました。

 白い紙のロールをカーテンやカーペットに変貌させた装置(制作コンスタンス・ギセ)のアイディアが、シンプルながら変化に富んだ空間造りに貢献していました。音楽は、エリオット・ゴデンタール、チャイコフスキー(『白鳥の湖』よりスペインの踊り)、バルカンの民族音楽。

 眼光鋭く、彪のようにしなやかな身のこなし。プレルジョカージュの動きには、全く無駄がなく、若々しく精悍な舞台姿に驚かされました。

 彼の振付作品『受胎告知』に見られたような謎めいた構え、雄弁なアームスの動き、引き締まったアラベスク、牧神のようなポーズ‥次々に移り変わる舞台で見せた、驚くべき集中力の高さには修道僧に通じるものが感じられ、最後まで目が離せませんでした。

 後半、上方から降りてきた照明のバトンに乗って揺れ動くシーンは、本当に死の危険と隣り合わせのような息詰る状況を感じさせ、最もスリリングな瞬間でした。

 後半の公演では、元オペラ座エトワールのウィルフリード・ロモリが

このソロを踊ることになっていましたが、果たしてどのような舞台だったのか気になります。

2011年5月4日)

 

 

 

 

 

パリ・オペラ座バレエ マッツ・エク・プロ

 オペラ座バスティーユが、『ロメオとジュリエット』で、連日満員の活況を呈していれば、オペラ座ガルニエでは、異色のマッツ・エク・プロを併行上演。オペラ座バレエ団の芸域の幅広さを物語るものでしょう。

 幕開きは、『ベルナルダの家』。2008年にレパートリーに入り、今回が再演です。1978年にクルベリ・バレエ団で初演され、92年に、テアトル・ド・ラ・ヴィルで上演された時に見た記憶がありますが、この時は、話題の『カルメン』(しかも、主演はエク夫人のアナ・ラグーナ)との組み合わせでしたので、こちらの強烈な作品世界にすっかり目を奪われてしまったものです。

 スペインの作家ガルシア・ロルカの原作を元に創作され、一家の主を失い8年の喪に服す女性ばかりの家庭の抑圧された世界をテーマとしています。

 今回は、未亡人のベルナルダに、エトワールのジョゼ・マルティネズ(交替はカデール・ベラルビ)が扮したキャスティングの日を鑑賞しました。すらりと伸びた長身のシルエットと冷たい表情の中に、女性的な香りを漂わせたエキセントリックな役作りは、意表を突くものでした。と同時に、マルティネズと言えば、オペラ座が初めてエクの作品をレパートリーに取り入れた93年の『ジゼル』で演じた鮮烈なヒラリオンの演技を思い浮かべてしまいました。ジゼルは、当時のオペラ座の華ピエトラガラ、アルブレヒトは、ル・リッシュ。まだエトワールになる前のマルティネズとル・リッシュの白熱の共演が昨日のことのように思い出されます。そのマルティネズも、今シーズン定年を迎え、7月に自ら振り付けた『天井桟敷の人々』の最終公演(7月15日)でバティストを演じて、オペラ座を去る模様です。

 マルティネズ以下の出演者たちは、皆体当たりの熱演でした。女中を演じたマリ=アニエス・ジロ、姉妹たちのリュドミラ・パリエロ、クレールマリ・オスタ、シャルロット・ランソン、オーレリア・ベレ、アメリー・ラムルー、男のステファン・ビュリヨン。背中の曲がった娘を演じたオスタ、最後に自殺を遂げる末娘のランソンの切ない演技が迫ってきます。バッハのオルガンの響きがひときわ重苦しくのしかかってきた55分でした。

 

『・・・のようなものUne sorte de・・・』

 タイトルからして人を食ったような感じがしますが、いかにもエクらしいブラック・ユーモアとシュール・レアリズムの世界に遊んだ作品でした。まず、刈り上げのニコラ・ル・リッシュが、ワインレッドのロングコートで登場し、ブラウンのスーツ姿のノルウェン・ダニエルと戯れます。つまり女装のル・リッシュと男装のダニエルと、ここからしてちょっと異様。ダニエルが物のように持ち上げられたかと思うと、いきなりトランクに詰め込まれて持ち去られ、次の場面に。舞台に風船が現れ、何かを暗示しながらも、急進的なグレツキの音楽とともに、ダンサー達は畳み掛けるようにメカニックな動きを展開して行きます。そのスピードとエネルギーに溢れた踊りは見応え十分。気がつくと、いつのまにかル・リッシュとダニエルの服装が入れ替わっていて‥。

 とりわけ、永遠の少女の面影を宿したミテキ・クドーとコミックなバンジャマン・ペッシュのペアが印象的でした。そのクドーも、今シーズン定年を迎え、『天井桟敷の人々』のデスデーモナ役が最後になるそうです。これでまた一人個性的なキャラクターをもったダンサーがオペラ座を去って行くと思うと、寂しいものがあります。

 このプログラムには、エクの『ジゼル』や『アパルトマン』ほどの衝撃はなかったとはいえ、オペラ座バレエ団のコンテンポラリーにおける一種の水準を再確認できるよい機会でした。

 

 

 

 

パリ・オペラ座バレエ『ロメオとジュリエット』

ヌレエフ版『ロメオとジュリエット』には、特別の思いがあります。

初めて見たのは、ミラノ・スカラ座バレエ団の1981年のニューヨーク公演で、ヌレエフとフラッチの主演でした。さらにキャピュレット夫人が、フォンテーンという超豪華キャスティング。とりわけヌレエフの神業にただただ感動したこの時の思い出については、93年にヌレエフが亡くなった直後の追悼文(音楽之友社刊『バレエの本』)に書かせていただいたので、ここでは繰り返しません。

その次は、パリ・オペラ座バレエの86年の日本公演で、主演は、ロルモーとギエムでした。

90年代以降、パリに移り住んでからは、DVD化されている“決定版”のルグリ&ルディエールはじめ、名演の数々に接しましたが、詳細については、ここでは省略させていただきます。

今年は、折しも私のヌレエフ体験から30年目。4月にオペラ座ガルニエで『ロメオとジュリエット』が6年ぶりに再演されるというので、運良く前売り券が入手できたシリーズ後半に見に行ってみました。

主役は次の3組でした。

マチュー・ガニオ&レティシア・ピュジョル

クリストフ・デュケンヌ&ミリアム=ウルド・ブラーム

ジョシュア・オファルト&ドロテ・ジルベール

ほとんど一新されたキャストによるもので、コール・ド・バレエのメンバーも若返り、当然、従来の印象とは異なる舞台でしたが、新世代のエトワールやソリストたちの熱演に新たな感動を覚えました。

ガニオとオファルトは、共にロメオ・デビュー。前回代役として控えていたオファルトの役作り全般に一日の長が感じられたような気がしましたが、ガニオのロマンティックな魅力が全開したような演技はこれまた格別のものでした。

例えば、初めてジュリエットと出会った直後に見せた、夢見るように佇む立ち姿。この場面は、ティボルトが迫っているにもかかわらず、ロメオは自己の世界に浸っていて周りが見えないという、しかもかなり長い時間佇んでいるだけという難しい場面なのですが、ガニオのロメオは、瞳をきらきらと輝かせ、立っているだけでオーラを放っていたのです。

続くバルコニーの始まりの部分では、ジュリエットを見つめながら、アラベスクで進んで行くタイミングが絶妙で、会場のバスティーユの全観客の視線が、ロメオ唯一人に注がれているような、ただならぬ空気さえ感じてしまいました。

一方、オファルトの全幕を見る機会はあまりありませんでしたが、素晴らしいノーブルに成長していたことに驚きとうれしさを感じました。まるでルグリを彷彿とさせる爪先に至るまでの全身の滑らかなラインは、まさにオペラ座のノーブルたちの伝統を継承するもの。新しいスターとしてこれからめきめきと頭角を現してくれることでしょう。

ベテラン、デュケンヌのロメオは、本当にこの作品の隅々まで知り尽くしているかのように役にはまっていたような気がします。40歳とは思えない若々しい舞台姿で、ドラマを牽引していました。相手役のジュリエットのウルド=ブラームにとっても、頼もしいパートナーであったことでしょう。彼女のジュリエットは非常に純真で、天使のようなピュアな雰囲気で光り輝いていました。

2005年の昇進試験だったでしょうか。ウルド=ブラームとジルベールは、共に1幕の舞踏会でのソロを踊って、プルミエール・ダンスーズに同時に昇進したのでした。この時、全く対照的な二人の解釈が非常に印象的で、いつか二人のジュリエットを見比べてみたいと思っていたのですが、その願いが思ったより早くかないました。

ジルベールは、既にエトワールとして、『オネーギン』のタチヤーナはじめドラマティックな役柄に次々に挑戦しているだけに、役作りが実に自然で、かつ悲劇的な側面も強調したインパクトの強いジュリエット像を創り上げていました。劇的な表情には、若干かつてのルディエールを思わせるものがありましたが、彼女は、ルディエールとは全く異なる独自の個性を持った堂々たるエトワールに成長しつつあることが実感され、まさにシリーズ掉尾を飾るにふさわしい舞台を披露してくれたと思います。

ピュジョルのジュリエットについて触れるのが最後になってしまいました。無邪気で、子どもっぽい最初の場面から、ロメオに出会ってから恋に燃える大人の女性への変貌を振幅の大きい演技で表現し、ドラマティックな昂揚も十分。ただ、もう少し演技を押さえ気味にしてもよかったと思われる部分もありました。

ほかのソリストでは、今回、エマニュエル・ティボーのマキューシオを見逃したのは返す返す残念でした。この役は、彼くらいの強烈なキャラクターとカリスマ性がないと、ベンヴォーリオやほかのお友達との区別がつかなくなってしまうことがあるので、新人には、なかなか難しい役所といえるかもしれません。

ロメオ役を降りてマキューシオ役に回ったエトワールのマチアス・エイマンは、さすがに達者な踊りを披露してくれました。それからベンヴォーリオとティボルトの二役を演じ分けたヤン・サイズの気品と風格ある舞台姿が一段と光っていました。

キャピュレット夫人に、デルフィーヌ・ムッサンが扮し、気品ある佇まいで舞台に花を添えていたのが心を和ませました。

最後に、ヴェロ・パーンの指揮で、あの有名な前奏曲が開始された途端、オペラ座管弦楽団の清澄な響きに耳を奪われてしまいました。本当にこのオーケストラの響きは、独特の輝きで、観る者(聴く者)を舞台に引き込んでしまう。音楽の上でも、まさに終始マジックの世界が展開されたのでした。

 

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