季刊『バレエの本』1996年夏号No.16<名作バレエとバレリーナたち>で、編集部からのご依頼で『ライモンダ』について寄稿させていただいた。当時は記憶に頼り内容に不備があったので、ここで改めさせていただく。

 まず現時点で日本における全幕初演と思われるのが(プログラムおよびデータベースによる)1968年のオーストラリア・エリザベス劇場バレエ団(現オーストラリア・バレエの通称)来日公演で、ヌレエフ版(1965年)を上演。これより5年前、フォンテーン&ヌレエフの来日公演では、すでにこのバレエの名場面が紹介されている。

 私が最初にこの作品を見たのは、1976年の第1回世界バレエ・フェスティバルのガラである。プリセツカヤが目の覚めるような真っ青なチュチュで第3幕のヴァリエーションを踊ったのを見て、このようなバレエがあるのかと興味を引かれた。この時十八番の『瀕死の白鳥』ももちろん踊られている。

 このバレエは、当時は日本ではほとんど上演される機会がなかったので、ソ連のメロディアの全曲版LPを購入して、とにかく音楽を聴きながらバレエのシーンを想像するという日々が続いた。

 その後、197910月牧阿佐美バレエ団が英国のテリー・ウエストモーランド版を日本初演。私が見たのは1986年の再々演だったが、とにかく舞台美術(ボブ・リングウッド)、特に第2幕サラセンの場の美術が素晴らしくドラマとしての一貫性も徹底、当時の精鋭ソリストを揃えた舞台にも感銘を受けた。

 1980年にはキエフ・バレエの制作を見る。主演はタチヤナ・タヤキナとワレリー・コフトゥンの看板カップルだった。

 1988年には、ボリショイ・バレエがグリゴローヴィチ版を携えて来演。主役以上にアブデルラクマンを演じたゲディミナス・タランダの快演に人気が集まった。

  その後はしばらくパリ在住だったので、オペラ座のヌレエフ版の洗礼を受けた。

 最初は、ホームステイ先のお宅で拝見したヌレエフ版のビデオであった。198312月にテレビ中継されたもので、これについては、拙著『パリ・オペラ座へようこそ』にも書いたが、主役はポントワとヌレエフ。驚くことに伯爵夫人にイヴェット・ショヴィレが‥。80年代のパリではこんなに凄いことが起こっていたのかとただただ驚嘆。伝説のルグリとイレールの「ベルベル」ペアの第1幕の競演、「僕を見て見て!」と言わんばかりの圧倒的なパナデロスを踊って拍手を独占したパトリック・デュポン、後ろで踊っていても一目で分かるシルヴィ・ギエム‥。まだまだ書き尽くせないほど世界最強のキャストが勢揃いした舞台であった。

 実演で印象深いものは枚挙にいとまがないが、ライモンダでは初演キャストだったエリザベット・プラテルがやはり貫禄。男性陣では、ジャン=ルグリとアブデラム=イレールの「一騎打ち」が圧巻だった。ヌレエフ版の見どころは、第2幕にアブデラムのソロが2つもあることだ。

  日本バレエ協会の『ライモンダ』公演を見ながら、故薄井憲二先生のことがまた思い出された。先生は、恐らく1968年のオーストラリア・バレエの来演をご覧になっていただろう。そのお話も伺っておきたかった。

 先生はこのバレエをこよなく愛され、2011年、ミラノ・スカラ座でヴィハレフ版が上演された際、「ぜひ見に行きなさい」と勧めてくださったのも先生だった。この舞台で、プティパの原典版に触れることができ、後で『ライモンダ』と同時期に見たパリ・オペラ座のドリーブ、ミンクス曲の『泉』の新制作について意見を交換し合ったのも懐かしい。

 ご療養中にお見舞いに伺った際も、貴重な映像を鑑賞しながら古典バレエの原典版についてお話ししていただいたのが昨日のことのように思い出される。

 (3月11日プティパ生誕200年の記念日に日本バレエ協会『ライモンダ』※を見て。1898年1月マリインスキー劇場初演から120年、1968年の本邦初演から50年)

      アブドゥルラクマンの名称について3通りの表記があるとのこと。

オリジナル資料:アブドゥルラクマン

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  1898年初演のキャスト:абдеррахманъ (アブデラフマン)

  (資料:2011年ミラノ・スカラ座公演プログラム)

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  ロシア・バレエ事典: абдерахман  (アブデラフマン)


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牧 阿佐美(新国立劇場バレエ団・芸術監督)
世界文化社
2009-05-19