4大スポーツ選手列伝

MLB、NFL、NBA、NHLの4大スポーツの選手のエピソードを紹介していこうと思います

2011年04月

ボブ・ダンドリッジ ~ノーフォークの優勝請負人~

ダンドリッジの大学で活躍は素晴らしいものだった。4年時にはなんと平均32.0得点、17.0リバウンドを稼いだのだから凄まじい。

 

0222ただ惜しむらくは、その大学というのが無名校のノーフォーク州立大学だったことである。活躍の割に知名度に乏しく、1969年のドラフトでミルウォーキー・バックスに指名されたものの、4巡目という下位指名であった。

 

しかも、この年のバックスは全体1位でカリーム・アブドゥル・ジャバーを指名した。おそらくダンドリッジに注目する人間は誰一人いなかったにちがいない。

 

しかし、バックスのスカウトはいい買い物をした。ジャバーもそうだが、ダンドリッジもすごかった。

 

ダンドリッジは1年目から81試合に出場し、平均13.2得点、7.2リバウンドを記録。新人王はジャバーに譲ったが、堂々のオールルーキーファーストに選出された。

 

しかし、翌1970-1971シーズンに今度はオスカー・ロバートソンがバックスに加入。またしても影が薄くなったが、ダンドリッジはめげなかった。前年よりさらに成績を伸ばし、平均18.4得点、8.0リバウンドを記録。

 

プレーオフでも14試合で平均19.2得点、9.6リバウンドと大暴れし、チームのファイアンル制覇に大きく貢献した。

 

その後も二人の影に隠れがちになりながらも、安定感と抜群のディフェンスでチームを支え続け、1973年にはオールスターに初選出。1975-1976シーズンには平均21.6得点を挙げている。

 

1977年、FAでワシントン・ブレッツに移籍。ブレッツでも安定して活躍し、1年目からプレーオフに進出。順調に勝ち進み、シアトル・スーパーソニックスとのファイナルに進出。

 

0221ファイナルは激戦に次ぐ激戦で、7戦目までもつれ込んだが、ソニックスの猛攻を食い止め、チーム初のファイナル制覇を果たした。

 

ダンドリッジはシリーズを通して活躍し、MVPこそ逃したものの、平均23.1得点を荒稼ぎした。

 

その後は出場機会が減っていき、1981年にバックスに復帰も、同年限りで引退した。現在はノーフォークでバスケットボールのクリニックを開いている。

 

ダンドリッジはスター選手の陰に隠れ続けた地味な選手かもしれない。しかし、紛れもなく70年代最高のFWの一人である。

ジェレミー・ローニック ~傷だらけのアメリカ人~





roenickblackhawksアマチュア時代から素晴らしいホッケー選手として知られ、試合数の3倍のポイントを稼ぎ、オリンピックに出場し、グレツキーと朝食をともにしたこともあるというローニックは、1988年、全体8位でシカゴ・ブラックホークスに入団した。



 



1年目から20試合に出場。開幕早々乱闘で前歯を叩き折られるというトラブルもあったが、9ゴール、18アシストを記録した。



 



1989-1990シーズンからフルに出場し、26ゴール、66ポイントを記録。若くしてホークスに無くてはならない貴重な戦力となった。



 



その後もハードヒットと乱闘、何よりシュート技術を武器に活躍し、1990-1991シーズンに41ゴール、34ポイントを記録し、オールスターに選出。さらに1991-1992シーズンに53ゴール、103ポイントを記録。プレーオフでも18試合で22ポイントを稼ぎ、チームのファイナル進出に大きく貢献した。



 



その後2年続けて107ポイントを記録し、3年連続100ポイントの快挙を達成した。



 



1996-1997シーズン開幕前にフェニックス・コヨーテズにトレード。コヨーテズでも持ち味大いに発揮し、ハードヒットを連発して観客を沸かせた。



 



2001-2002シーズンにFAでフィラデルフィア・フライヤーズにFA移籍。大いに活躍したが、2004年、ローニックを悲劇が襲う。



 



2004212日のニューヨークレンジャーズ戦でパックを顔面にもろに受け、あごを骨折。脳震盪がひどく、引退まで考えたという。



 



しかし、驚異の回復を見せてプレーオフには復帰。18試合で13ポイントを稼ぎ、復活をアピールした。



 



ロックアウトが明けた2005-2006シーズンはサラリーキャップのあおりでロサンゼルス・キングスにトレード。



 



キングスでは58試合で22ポイントとルーキーイヤー以来の成績になってしまい、シーズン終了後にFAに。カナダでのプレーを望んだがかなわず、コヨーテズに復帰。



 



0268コヨーテズでもわずか28ポイントに終わり、再びFAに。引退も考えたが、サンノゼ・シャークスと契約した。



 



シャークスでは69試合で33ポイントとそこそこの成績を残し、コヨーテズから通算500ゴールも決めた。



 



20092月には700アシストを達成。アメリカ人としては6番目の快挙であった。



 



シーズン終了後に引退。引退後はひょうきんなキャラクターを生かし、解説者やタレントとして人気を集めている。



 



2010年にアメリカホッケーの殿堂入り。通算500ゴールはアメリカ人では他に2人しかいない大記録である。


リード・ラーソン ~攻撃は最大の防御~

ミネアポリスで生まれ育ち、ミネソタ大学で活躍したラーソンは、1976年に22位でデトロイト・レッドウィングスに指名された。

 

02261年大学で過ごし、1976-1977シーズン終盤にレッドウィングスに加入。14試合でプレーし、ホッケー世界選手権アメリカ代表にも選出された。

 

2年目の1977-1978シーズンに早くも才能を開花させ、タフさと必殺のスラップショットを武器に19ゴール、60ポイントを記録。オールスターに選出され、カルダー賞の投票でも2位につけた。

 

その後も攻撃的ディフェンスマンとして活躍し、1980-1981シーズンには自己最高の27ゴールを記録。オールスターに選出され、1982-1983シーズンにも自己最高の74ポイントを記録した。

 

1985-1986シーズン途中にボストン・ブルーインズにトレードで移籍。1986-1987シーズンにはアメリカ人初の200ゴールを達成した。

 

その後はチームを転々とし、1988-1989シーズンだけでエドモントン・オイラーズ、ニューヨーク・アイランダーズ、ミネソタ・ノーススターズと3回も移籍を経験。さらに1989-1990シーズンにはバッファロー・セイバーズに移籍するも、1試合の出場に終わった。

 

0227その後はイタリアに渡り、HCアッゲレで2年プレーし、ディフェンスマンでありながら試合数の1.5倍ものポイントを稼いだ。

 

1994年にはローラーホッケーのリーグでプレーし、1994-1995シーズンには故郷ミネソタのIHLミネソタ・ムースに入団。9試合プレーして引退した。現在は保険関連のビジネスに携わっている。

 

ぼろぼろになるまで戦い続けた偉大なディフェンスマン、ラーソン。1996年にアメリカホッケーの殿堂入りを果たしている。

マルティン・ストラカ ~チェコの渡り鳥~

0265チェコの国内リーグで活躍し、1992年に全体19位でピッツバーグ・ペンギンズに指名されたストラカ。

 

後にペンギンズの中心選手になるのだが、そこまでには長い道のりがあった。

 

ルーキーイヤーの1992-1993シーズンはIHLでもプレーし、1993-1994NHLに完全定着。84試合で30ゴール、64ポイントを記録した。

 

しかし、翌シーズン途中にオタワ・セネターズに移籍。さらにロックアウトでシーズンが短縮されたため、チェコに戻ってプレーした。

 

更に続く1995-1996シーズン途中にニューヨーク・アイランダーズにトレード。さらにウェーバーでフロリダ・パンサーズに移籍し、シーズン終了後にFAでペンギンズに復帰した。

 

ペンギンズでは移籍1年目こそ75試合で42ポイントに終わったものの、長野五輪にチェコ代表として出場。見事金メダルを獲得した。

 

1998-1999シーズンに80試合で35ゴール、83ポイントを記録。オールスターに選出された。

 

0266その後もペンギンズに腰を落ち着け、重要な得点源として活躍し、2000-2001シーズンには自己最高の27ゴール、95ポイントを記録。プレーオフでも11試合で12ポイントを稼いだ。

 

しかし、2003-2004シーズン途中にロサンゼルス・キングスに移籍。さらにシーズン終了後にはニューヨーク・レンジャーズにFAで移籍した。

 

アイランダーズでも2年連続で70ポイントを記録するなど活躍したが、2006-2007シーズンに引退を考えた。しかし、慰留されてもう1年プレーしたが、65試合で41ポイントしか稼げず、シーズン終了後にFAに。

 

その後はチェコに帰国し、現在もチェコの国内リーグで活躍している。

 

NHLだけで移籍すること実に6回。渡り鳥のようにチェコから現れ、チェコに去って行ったストラカ。しかし、まだ旅は終わっていないのかもしれない。

マイク・バートラム ~100万ドルの職人芸~

フットボールにはLS(ロングスナッパー)というポジションがある。 キックプレーやショットガンなどで長い距離のスナップをセンターの代わりにやるポジションである。

 

0215地味だが実に難しいポジションである。7ヤード後ろにいる選手の体の中心めがけ、綺麗な回転をかけてボールの縫い目が上に来るようにして素早く投げなければならない。

 

しかも失敗は許されない。QBはサックされようがパスをINTされようが簡単にはクビにならないが、LSがファンブルをしようものなら即日解雇もあり得る。

 

マイク・バートラムは過酷なLS稼業を11年も続けた偉大な男である。全盛期には100万ドル近い年俸を稼いでいた。

 

高校時代はQBだったが、マーシャル大学でTEに転向。オールアメリカンセカンドに選ばれるなど活躍した。この頃、たまたまコーチにLSを教わったことが彼の人生を変えた。

 

1993年にドラフト外でカンザスシティ・チーフスにTEとして入団するものの、3試合の出場でレシーブなしに終わり、チームをカットされた。

 

1995年にグリーンベイ・パッカーズに入団するものの、ここでも5試合に出ただけでカットされた。

 

1996年にニューイングランド・ペイトリオッツに入団。LSとして16試合にフル出場し、TEとしても初レシーブで初TDを決め、やっと安住の地を得た。

 

1997年は9試合の出場に終わったものの、以後フル出場を続けた。

 


02162000
年にフィラデルフィア・イーグルスに移籍。相変わらず正確無比の素晴らしいLSとして活躍し、2003年には契約ボーナス込みで年俸936200ドルを稼いだ。

 

2005年には相方のK、デビット・エイカーズの故障で急きょ代りのKに抜擢され、2回キックオフを蹴った。

 

さらにLSとしてプロボウルに初選出。超満員のアロハ・スタジアムでロングスナップを投げる姿は人生のハイライトと言えた。

 

2006年のコルツ戦後、首の痛みを訴え、診察の結果脊椎がずれていることがわかり、残り試合を欠場。そのまま引退した。

 

現在はフラッグフットの普及活動や、母校マーシャル大で有望なLSを集めてキャンプを催して後進の育成に努めている。

 

職人の集まりのNFLだが、LSはその中でも最も職人的なポジションである。ロングスナップで100万ドルを稼ぐ男。QBに負けず格好いいと私は思う。

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