4大スポーツ選手列伝

MLB、NFL、NBA、NHLの4大スポーツの選手のエピソードを紹介していこうと思います

2011年12月

お知らせ 年末年始のお休みについて

いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。

3月から始めた当ブログですが、気が付けば記事数も500に迫り、多くのお客様に見ていただくようになりました。

そんな矢先ですが、勝手ながら28日のロイの記事で当ブログも御用納めということで、年末年始はお休みさせていただき、1月4日から更新を再開させていただきます。

こんなくだらないブログがここまで続いたのはひとえに皆様のおかげです。

来年もどうかよろしくお願いします。それではよいお年を

ブランドン・ロイ ~ニューヒーローの落日~

0896シアトルで生まれ、ハイスクールで輝かしい成績を残したロイは、アーリーエントリーでも指名されるだけのポテンシャルを持っていたが、ワシントン大学に進学した。

しかし勉強が苦手で、NCAAの基準を満たす成績をなかなか残せず、レストランで時給11ドルのアルバイトをやらされるなどして、1年目シーズンの後半にようやくチームに合流した。

大学ではカンファレンスMVPを受賞するなど活躍し、2006年に全体6位でミネソタ・ティンバーウルブルズが指名。直後にポートランド・トレイルブレイザーズにトレードされ、入団した。

1年目から先発し、平均16.8得点、4.4リバウンド、4.0アシスト、1.2スティールを記録し、新人王を受賞したものの、チームはわずか30勝に終わった。

オフにチーム改革に着手したブレイザーズは、新リーダーにロイを指名。平均19.1得点、4.7リバウンド、5.8アシスト、1.1スティールでオールスターに選出され、期待に応えた。

クレバーで高い身体能力を持ち、コンボガードやスイングマンとしてもプレーでき、ハンドリングとパスにも非凡なセンスを発揮。さらにクラッチでブザービーターを数多く沈め、逆転勝利を演出するなど、オールマイティーな選手であったが、ひざに故障を抱え、しばしば欠場した。

08952008-2009シーズン開幕前にはひざを手術。平均22.6得点を記録してキャリアハイを迎え、チーム記録の1試合10スティールを記録するなど、自己最高のシーズンを送った。

ロイの大活躍に引っ張られたチームは54勝と躍進し、6年ぶりのプレーオフに進出。誰もが若きチームリーダーの将来に期待した。

しかし、ひざの故障は年々深刻化し、2009-2010シーズン終了間際にも故障して手術を行った。

2010-2011シーズンはその影響もあって成績が低下し、出場機会も減少。1月に再び手術を行った。

しかし、両膝の軟骨はほとんどなくなってしまい、もうロイは限界に来ていたらしい。

ロックアウトでシーズン開幕が遅れるなか、ロイはtwitterで引退を表明。4年総額6800万ドルの契約が残っており、支払いや復帰の可能性について議論を呼んでいる。

今シーズンのブレイザーズは開幕から負けが込んでいる。ロイ抜きではたしてブレイザーズはやっていけるのか、心配である。

ショーン・エリオット ~Memorial day Miracle~

0894アリゾナで生まれ、バスケットと学業で才能を発揮したエリオットは、奨学金を得てアリゾナ大学に進学した。

1986年には世界選手権で金メダルを獲得。1988年には同大初のNCAAトーナメントファイナル4進出に貢献。1989年にはウッデン賞を受賞し、大学の得点記録を塗り替えるなど輝かしい功績を残し、1989年に全体3位でサンアントニオ・スパーズに入団した。

1年目から先発し、平均10.0得点、3.7リバウンドを記録。オールルーキーセカンドに選ばれた。

1992-1993シーズンには平均17.2得点、4.6リバウンド、3.8アシスト、1.0スティールを記録。オールスターに初選出された。

翌シーズンデトロイト・ピストンズにトレードされたものの、シーズン終了後にトレードで再びスパーズに戻った。

1995-1996シーズンにはキャリアハイの平均20.0得点を記録し、2回目のオールスターに選出。デビッド・ロビンソンとともにスパーズのスコアラーとして活躍した。

1998-1999シーズンはプレーオフに進出。ダラス・マーベリックスとのカンファレンスファイナル第2戦、ラスト9秒で逆転のスリーポイントを沈め、劇的勝利に貢献した。

0893この日が戦没将兵追悼記念日(メモリアルデー)だったことから、このシュートは"メモリアルデイ・ミラクル"と呼ばれる。

そのまま余勢を駆ってチームはファイナルを制覇。ABA所属チームとして初の優勝を達成したものの、エリオットの身に病魔が迫っていた。

シーズン終了後に腎臓病と診断され、引退の危機に瀕したが、兄からの腎臓移植を受け、翌シーズン途中に復帰。腎臓病からカムバックした最初の選手となった。

しかしポテンシャルを落とした感は否めず、2001-2002シーズンを持って現役を引退。解説者となった。

アリゾナ大とスパーズの黄金時代を作った選手であり、両チームで背番号32は永久欠番となっている。

ちなみに夫人は日系人で、しばしば日本を訪れているという。

ブライオン・ラッセル ~Last Shot~

0892カリフォルニア大学ロングビーチ校でプレーし、1993年にドラフト2巡目でユタ・ジャズに入団したラッセルは、1年目からPFとして48試合に先発し、平均5.0得点、2.7リバウンド、1.0スティールを記録した。

高い身体能力と巧みなディフェンスが持ち味で、当時のジャズにフィットしていたが、どういうわけかなかなかスターターに完全定着できず、キャリア初期はスターターとシックスマンを行き来した。

しかし、プレーオフでは抜群のポテンシャルを発揮し、どのシーズンでも必ずスターターとして起用された。

1996-1997シーズンには平均10.8得点、4.1リバウンド、1.6スティールの好成績を残し、ファイナルに進出。しかし、ジョーダン率いるシカゴ・ブルズに敗れ、チャンピオンリング獲得はならなかった。

雪辱に燃える翌シーズン、スターターの座は失ったもののシックスマンとして全試合に出場。ファイナルでは平均34.9分のプレイタイムで平均11.0得点、4.7リバウンドを記録。ファイナルで再びブルズと相対した。

ラッセルはジョーダンとマッチアップを組み、ジョーダンを止めるべく奮闘。しかしジャズの旗色は悪く、2勝3敗で第6戦を迎えた。

86-85とジャズリードで迎えた終盤、ペイントエリアに切り込んでくるジョーダンをラッセルはマーク。ジョーダンに必死で食らいつくラッセルだったが、クロスオーバーで振り切られて転倒。あわてて立ち上がり、マークに戻った時にはもうジョーダンの手をボールは離れていた。

0891この"Last Shot"と呼ばれる伝説のシュートがラスト5.7秒で決まり、ジャズは敗戦。雪辱はならなかった。

この時ジョーダンがラッセルを押したとジャズファンは信じているが、ラッセルは後に"どっちにしろ決められていた"と述懐している。

その後ラッセルは先発の座を確かなものにしたが、成績は下降線をたどり、2002-2003シーズンにワシントン・ウィザーズに移籍。奇しくもジョーダンとチームメイトとなった。

シーズン終了後にロサンゼルス・レイカーズに移籍。さらに翌シーズンにはデンバー・ナゲッツに移籍し、2005-2006シーズンを持って現役を引退した。

1998年のファイナルはジョーダンにも印象深かったようで、2009年にジョーダンが殿堂入りした際、スピーチでラッセルについて言及。同年記念の1on1を行っている。

@light45j様フォロー記念特集

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@light45j様がフォローしてくださいましたので、今日から3日間特集を組みます。

リクエストにお応えしてNBA選手を取り上げますので、お楽しみに。
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