ニュージャージーの田舎町に生まれ、二グロリーグでプレーしていたニューカムがロイ・キャンパネラとともにブルックリン・ドジャースと契約したのは1946年のことであった。

 

0141マイナーを経て1949年にメジャーに昇格。MLB初の黒人投手となった。

 

1年目から剛速球を武器に178敗、5完封の成績を残し、ジャッキー・ロビンソン、ラリー・ドビー、そして女房役のキャンパネラとともに黒人選手として初めてオールスターに出場。MLBの歴史に大きな足跡を残した。

 

1950年には19勝で2回目のオールスターに選出。1951年には12勝に終わったものの164三振で奪三振王を獲得するなど活躍したが、翌1952年に朝鮮戦争に従軍するためチームを離脱。


1954年に復帰したものの、ブランクはいかんともしがたく、98敗、防御率4.55に終わったが、翌1955年には205敗、防御率3.06で最高勝率のタイトルを獲得し復活した。

 

ニューカムのキャリアハイは1956年であろう。277敗と言うとてつもない成績を残し、ドジャースのチーム初のワールドシリーズ制覇に大きく貢献。MVPとこの年新設されたサイ・ヤング賞を受賞。またしてもMLBの歴史にその名を刻んだ。

 

しかし、その後はアルコール中毒に陥り成績は悪化。チームがロサンゼルスに移転した1958年には06敗に終わり、シーズン途中にシンシナティ・レッズに移籍。

 

0142レッズでは少し持ち直したものの、1960年シーズン途中にクリーブランド・インディアンスに移籍。インディアンスで成績はますます悪化し、そのままマイナーに落ちてしまった。

 

1962年、ラリー・ドビーとともにNPB中日ドラゴンズと初の外国人選手として契約。投手ではなく、得意のバッティングを生かして外野手としての契約であった。

 

ドラゴンズではそれなりに活躍したものの、日本を馬鹿にしていた節があり、素行も悪かったので、1年限りで退団した。

 

その後はアルコール中毒を克服し、ドジャースのフロントで現在も働いている。

 

素行はともかく、MLBの歴史に輝く大投手であることは間違いない。