生まれつき右手の指と右足のつま先がなかったデンプシーだったが、特製の靴を履いてスポーツを楽しんだ。デンプシーの父親は、デンプシーが“できない”という言葉を使うと“他の人と違っていても、やればできる”としかりつけたという。

 

0146父親の言葉を支えにデンプシーは頑張った。パーマー大学時代はキッカーの他にDLまでやったというのだから驚きである。

 

1969年にニューオーリンズ・セインツに入団。当時すでに珍しくなっていたストレートタイプのキッカーで、1年目から40ヤード以上のFGをいくつも成功させ、オールプロとプロボウルに選出された。

 

これだけでも偉大である。キッカーの命であるはずの足に障害を持っていながら、NFL有数のキッカーになったのだから。

 

しかし、デンプシーの本当の偉大さは2年目の1970年に発揮される。

 

当時のセインツは弱かった。現に1970年は2勝しかできなかった。118日のデトロイト・ライオンズ戦がその数少ない勝ち星の1つである。

 

当時のライオンズは強豪で、誰もセインツが勝つとは思っていなかった。しかし、17-161点ビハインドで迎えた第4クォーター。セインツは勝利への一縷の望みを賭けてロングレンジのFGを試みた。その距離なんと63ヤード。

 

0147大歓声の中、デンプシーはいつも通り、先の平たい特別な靴で渾身の力を込めてボールを蹴った。ボールはゴールポストを通り、エンドゾーンに落ちた。NFL記録と、セインツのシーズン2勝目の生まれた瞬間であった。

 

大歓声の中、デンプシーを祝福するためにチームメートが殺到した。その祝福は10分間も続いたという。

 

このFGNFLに与えた影響は計り知れない。ゴールポストの位置がゴールラインからエンドラインに下げられ、デンプシーの靴は反則ではないかと言う議論が起こり、どんな足の形の人間でも靴の形は同じでなくてはならないという“トム・デンプシー・ルール”と呼ばれる規則ができた。

 

そんな騒ぎや批判もなんのその、デンプシーはフィラデルフィア・イーグルスに移籍し、新しい靴でエンドゾーンのポストめがけて蹴り続けた。

 

01451975年にはロサンゼルス・ラムズ、1977年にはヒューストン・オイラーズ、1978年にバッファロー・ビルズと渡り歩き、1979年に引退。

 

晩年になっても飛距離は全く衰えず、通算で50ヤード以上のFG39回中12回も成功させている。

 

ハンデを克服し、不可能を可能にした超人デンプシー。現在は妻とともにルイジアナで静かに暮らしている。