0604ジュニア時代はあまり目立つ存在ではなく、1980年にドラフト外でフィラデルフィア・フライヤーズに入団したカーだったが、これがとんでもない掘り出し物であった。

 

1年目から68試合に出場し、22ゴール、45ポイントを記録。シュート成功率は23.6%に及んだ。

 

1982-1983シーズンは怪我で24試合の出場に終わったものの、翌シーズン、カーは突如大化けした。

 

開幕から恐ろしい勢いでゴールを量産し、79試合で54ゴール、93ポイントを記録。オールスターに選出された。

 

ここまではごく普通のスコアラーにすぎない。しかし、翌シーズンからカーは特異性を発揮し始める。

 

55ゴール、93ポイントを稼いだが、パワープレーゴールはリーグ最多の21を記録。そのスピードとシュートは手がつけられず、鎖で手足を縛っても止められないとまで言われた。

 

それだけではとどまらず、翌シーズンは58ゴール、98ポイント、さらにNHL記録の34パワープレーゴールを記録。

 

翌シーズンも最多の26パワープレーゴールを記録。しかし、翌1987-1988シーズンは故障でわずか8試合の出場に終わった。

 

0605しかし、続く1988-1989シーズンに48ゴール、88ポイントを挙げて復活。忍耐とスポーツマンシップを発揮した選手に与えられるビル・マスタートン記念賞を受賞した。

 

しかし、その後もカーに故障が付きまとった。さらに1990-1991シーズン開幕前に妻が出産に耐えられず死去。カーは心身ともにボロボロになった。

 

結局その後は万全の状態でシーズンに臨むことができず、1991-1992シーズンはニューヨーク・レンジャーズ、1992-1993シーズンはハートフォード・ホエーラーズに移籍し、33歳の若さで現役を引退した。

 

通算370ゴールのうちパワープレーゴールはなんと150。不気味な魅力を持った選手であった。

 

引退後はニュージャージーに住み、独立リーグのチームオーナーを務めている。