4大スポーツ選手列伝

MLB、NFL、NBA、NHLの4大スポーツの選手のエピソードを紹介していこうと思います

C

ドワイト・スティーブンソン ~Big Wave~

0609アラバマ大学で活躍し、名将ポール・ブライアントをして今までに指導した最高の選手とまで言わしめたスティーブンソンは、1980年にドラフト2巡目でマイアミ・ドルフィンズに入団した。

 

身長188センチとラインマンとしては小さく、入団当初はスペシャルチームでの出場で会ったが、徐々に先発の機会を増やし、ダン・マリーノが入団した1983年に全試合に先発。QBレーティングの新人記録を作ったマリーノを守り切り、プロボウルに出場を果たした。

 

オフェンスチームのキャプテンとしてリーダーシップを発揮し、スティーブンソンを中心としたドルフィンズライン陣は1982年から1987年までサック数をリーグ最少に抑え込んだ。

 

1984年、スティーブンソンに守られたマリーノはパスに関する6つのNFL記録を塗り替え、チームをスーパーボウルに導き、ススティーブンソンはプロボウルとオールプロに選出された。

 

プロボウルに5年連続、オールプロに4年連続で選ばれ、1983年から1985年にかけて地区3連覇を達成。さらに人徳とチャリティーでの功績を認められ、1985年にはウォルター・ペイトン賞を受賞。NFL最高のセンターの座を不動のものとした。

 

0610しかし、1987年に9試合の出場に終わり、プレーオフ進出を逃すと引退を表明。プロボウルを花道に現役を引退した。

 

スティーブンソン亡き後も最小サック数の記録は続き、1990年まで9年連続の最小サックはNFL記録である。

 

引退後もチャリティーに熱心で、2005年にはそれを認められてウォルター・キャンプ賞を受賞している。

 

1998年にプロフットボール殿堂入り。スティーブンソンが守ったマリーノの通算61361パッシングヤードはブレット・ファーブに抜かれるまでNFL記録であった。

 

マリーノをを敵の手から守り続けたスティーブンソン。彼なくしてマリーノの活躍はない。

バレット・ロビンス ~荒くれ者~

0539テキサス・クリスチャン大学で活躍し、1995年にドラフト2巡目でオークランド・レイダーズに入団したロビンズ。

 

2年目の1996年シーズンから先発に定着し、191センチ141キロの巨体を武器に仲間を守った。

 

1999年にQBリッチ・ギャノンがFAで加入。3840ヤード、24TDを投げる活躍はロビンズらライン陣の尽力も大きい。

 

2000年には地区優勝を達成。その後もレイダーズラインのリーダーとして仲間を守り続けた。

 

しかし、ロビンズは麻薬とステロイド、アルコールに心身を蝕まれていた。

 

2002年にはギャノンの大活躍もあってチームはスーパーボウルに出場。しかし、スーパーボウルを前にしてロビンズは突如行方をくらました。

 

捜索の結果そううつ病の症状をきたして精神病院に入っているのを発見された。試合に出場させようとはしたものの、支離滅裂な言動をするため、ロースターからはずされた。

 

0539ラインの要を失ったレイダーズとギャノンはタンパベイ・バッカニアーズに惨敗。ロビンズはプロボウルとオールプロに選出されたものの、後味の悪いシーズンになった。

 

2003年にはそううつ病に加えドーピングの疑惑が明るみに出て9試合の出場に終わり、2004年シーズン開幕前にロビンズは解雇された。

 

その後のロビンズの人生は悲惨を極めている。

 

クリスマスイブにサンフランシスコのホテルでガードマンを殴って逮捕されたのを皮切りに、2005年には殺人未遂の疑いで警官と言い争いになり、拳銃で3発撃たれるという事件を起こしている。

 

その後は刑務所とカウンセリング施設で人生を過ごし、現在は麻薬使用の罪で服役中である。

 

レイダーズの選手は荒くれ者が多い。しかし、刑務所と娑婆を行ったり来たりする選手はこのロビンズくらいである。

ダーモンティ・ドーソン ~要~

0441のちにNFL屈指のセンターとなるドーソンだったが、高校時代は砲丸投げと円盤投げの選手で、フットボールを始めたのは3年時、友人に誘われてからであった。

 

ラインマンとしてすぐに頭角を現し、ケンタッキー大学に進学。1988年に2巡目44位でピッツバーグ・スティーラーズに入団した。

 

スティーラーズには殿堂入りセンターのマイク・ウェブスターがいたため、1年目はウェブスターの控えとして過ごした。

 

ルーキーイヤーの後半から先発の座をつかんだドーソンは、その後10年以上休まずに働き続けた。

 

陽気で責任感のあるドーソンはチームのリーダーとなり、リーグ屈指のセンターへと成長していった。

 

1992年にプロボウルに初選出されると7年連続で選出。1993年から6年連続でオールプロにも選ばれた。

 

1999年にハムストリングを故障し、試合を欠場。連続試合出場は180でストップしたが、これはチーム歴代2位の記録である。

 

04422000年シーズン後半から復帰。しかし、故障と高年俸を嫌った首脳陣の意向で解雇された。

 

他のチームでプレーするという手もあったが、スティーラーズを愛していたドーソンはそれを拒み、そのまま現役を引退した。

 

引退後はケンタッキーに戻って不動産関係の会社を経営している。

 

1990年代のオールディケードチームとスティーラーズのオールタイムチームに名を残すドーソン。殿堂入りも間近である。

ミック・ティンゲルホフ ~鉄壁~

後にNFL史上屈指のセンターとなるティンゲルホフだが、プロ入りまではさほど目立つ存在ではなかった。

 

0236ネブラスカ大学時代は控えの時代が長く、先発となったのは最終学年になってからのことであった。

 

キャプテンとしてネブラスカ大の強力オフェンス陣を守り続けたが、1962年のドラフトではどこからも指名を受けず、結局ドラフト外で創設まもないミネソタ・バイキングスに入団した。

 

これまでは地味で目立たない存在だったティンゲルホフだが、バイキングスで1年目から先発としてフル出場。

 

さらに1964年にはプロボウルとオールプロに初選出。オールプロは5回、プロボウルは6年連続で選出される。

 

ティンゲルホフの成長とともにチームも成長を続け、17年の現役生活で地区優勝10回、スーパーボウル進出4回を数えた。

 

1978年に引退。17年間1度も先発を外れたことはなく、240試合連続先発出場は歴代3位。センターとしては歴代1位の大記録である。

 

0237一度として休まず、仲間たちを守り続けた鉄壁、ミック・ティンゲルホフ。背番号53はバイキングスの永久欠番である。

記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
プロフィール

ballgamer

当ブログについてご意見、感想、苦情、あるいはリクエストなどございましたら、コメント欄までよろしくお願いいたします
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ