4大スポーツ選手列伝

MLB、NFL、NBA、NHLの4大スポーツの選手のエピソードを紹介していこうと思います

ILB

ハリー・カーソン ~No. You go. Just you.~

0941南カリフォルニア州立大学でプレーしたカーソンは、後にピッツバーグ・スティーラーズで活躍するドニー・シェルや、カンザスシティ・ロイヤルズの一塁手ウィリー・エイキンスらとともに1975年には6完封を記録した。シーズン総失点はわずか29。これはNCAA記録である。

大学記録の117タックル、7サックを記録し、1975年にドラフト4巡目でニューヨーク・ジャイアンツに入団した。

1年目からILBとして7先発し、翌シーズンから先発に完全定着。1978年には3INTを記録するなど活躍し、プロボウルに初選出された。

スピード、パワー、頭脳、リーダーシップを高いレベルで兼ね備え、ディフェンスチームのキャプテンを務め、後に加入したローレンス・テイラー、ブラッド・ヴァン・ピルト、ブライアン・ケリーらとの強力LB陣は"Crunch Bunch "と呼ばれ、その支配力で恐れられた。

毎年プロボウルに選出され続け、ジャイアンツディフェンスの中心であることはゆるぎない事実だったが、ILBの宿命でサックは通算で8.0と少なく、どうも地味なきらいがあった。

しかし、見ている人はちゃんと見ているものだ。1986年、ジャイアンツがスーパーボウルに進出した時のエピソードからそれが見て取れる。

当時のジャイアンツにはカーソンの他にQBフィル・シムズ、控えDEでSTのジョージ・マーチンという3人のキャプテンがいた。

栄えあるスーパーボウルのコイントスに出るキャプテンはおそらくシムズだろうと思い、カーソンは傍観を決め込んでいた。

しかし、ビル・パーセルズHCは"No. You go. Just you.(ここはお前しかない)"と言ってカーソンを送り出した。カーソンが人生で最もうれしかった瞬間だという。

0942奮起したカーソンの活躍もあってジャイアンツはデンバー・ブロンコスを39-20で圧倒。カーソンはチャンピオンリングを獲得した。

興奮したカーソンはテイラーとともにパーセルズにゲーターレードを頭からぶちまけた。1985年シーズンに同僚のジム・バートがやったことのまねで、これがスーパーボウル名物、"ゲーターレード・シャワー"の起こりだという。

その後は怪我と脳震盪に悩まされてフルに出場できなくなり、1988年を持って現役を引退した。

引退後は解説者を務める傍ら、スポーツマネジメントの会社を設立して成功を収めたほか、AFLのチームオーナーも務めている。

2002年にカレッジフットボール殿堂入り。プロフットボール殿堂入りはなかなか果たせずにいたが、2006年にようやく殿堂入り。ついにその名は不朽のものとなった。

テディ・ブルスキ ~Brave heart~

0859ハイスクール時代はDTで、レスリングや砲丸投げでもレターマンだったブルスキは、アリゾナ州立大学でDEに転向。けがに悩まされる大学生活だったが、Div.Ⅰ-Aの最多記録となる通算52.0サックを記録している。

1996年にドラフト3巡目でニューイングランド・ペイトリオッツに入団。LBにコンバートされ、ルーキーイヤーはスペシャルチームでの起用が主だったが、パスラッシュの場面では積極的に起用され、4.0サックを記録した。

1998年から先発に定着。強烈なパスラッシュを武器に台頭し、ディフェンスチームのキャプテンとして活躍。2002年から2003年シーズンにかけて4連続INTTDのNFLレコードを樹立するなど、記録面でも見るところが多い。

2004年には3回目のスーパーボウルを制し、自身初のプロボウルに選出。しかし、好事魔多しといったもので、ブルスキに思いがけず不幸が訪れる。

プロボウルが終わった直後、頭痛と目の違和感を感じたブルスキは病院に運び込まれた。検査の結果、先天性の心臓病から脳出血を起こしていた。

それからのブルスキは杖なしで立つことができなくなり、選手生命はもちろん、命そのものも危険にさらされたが、必死のリハビリで立ち直り、翌シーズンの後半から復帰。いうまでもなくカムバック賞を受賞した。

0860その後もキャプテンとしてチームをけん引し、2009年シーズンを持って現役を引退した。

引退にあたってベリチックHCは、"ブルスキはパーフェクト・プレイヤーだった"とコメントしている。

引退後は解説者を務める傍ら、趣味のサックスを演奏したり、キリマンジャロに登ったりと人生を満喫している。

クリス・スピールマン ~Detroit Tackler~

0857ハイスクール時代から全米にその名をとどろかせ、1983年には最優秀高校アスリートに選ばれたスピールマンは、オハイオ州立大学でもロンバルディ賞を獲得。1988年に全体29位でデトロイト・ライオンズに入団した。

1年目からILBとして全試合に先発し、いきなり153タックルを記録。ライオンズランディフェンスの主役の座を一気につかんだ。

デトロイトを非常に気に入り、弱小ライオンズをプレーオフの常連に育て上げる原動力となり、地区優勝を2回達成。1994年には195タックルを記録した。

チームMVPを2回受賞し、プロボウルにも4回選出。オールプロにも選出され、ファンやチームから絶大の信頼を置かれていたが、1996年にバッファロー・ビルズに移籍した。

ビルズでも力は衰えず、ディフェンスの核として活躍を期待されたが、1997年シーズンに首に深刻な怪我を負った。

0858大手術を受けたものの、回復の見込みは薄く、いったんフットボールを離れたが、1999年に現役復帰を試みた。

クリーブランド・ブラウンズと契約し、プレシーズンゲームに出場したものの、開幕前に解雇され、現役を引退した。

引退後は解説者として人気を集める一方、2005年にAFLのコロンバス・デストロイヤーズのHCに就任。しかし、指導者には向かないようで、2勝15敗の成績を残して1シーズンで退任。解説者に復帰した。

2009年にはカレッジフットボール殿堂入り。近いうちにライオンズの殿堂入りを果たすだろう。

ダット・グェン ~Operation Linebacker~

0559ベトナム戦争の渦中、ホーチミンに住んでいたグェン一家はサイゴン陥落を機にアメリカへ脱出。1975年にアーカンソーの難民収容所でダット・グェンは生まれた。

 

その後テキサスへ移り、高校でILBPとして頭角を現し、多くの大学からオファーを受け、地元のテキサスA&M大学に進学した。

 

同大学で大活躍を見せ、あらゆる賞を総なめにし、1999年にドラフト3巡目でダラス・カウボーイズに入団。NFL初のベトナム人選手となった。

 

1年目はガンナーとして起用され、180センチと小柄ながらハードヒットを連発し、2年目後半からILBのレギュラーを獲得。2INTを記録した。

 

2001年には先発としてフル出場し、NFLILB記録となる113タックルを記録。縦横無尽にフィールドを駆け回るカウボーイズディフェンスの要であった。

 

その後もタックルの記録を自ら更新し、NFLを代表するILBの座を不動のものとしたが、首の故障で2005年は8試合の出場に終わり、2006年シーズン開幕前に引退を表明した。

 

0560わずか7年のキャリアながら、通算516タックルはカウボーイズ歴代10位の記録である。

 

引退後にすぐにカウボーイズのコーチに就任。ベトナム人初のNFLコーチの座もモノにし、2009年まで務めあげた。

 

その後母校A&M大学のLBコーチに就任し、チームの大躍進に貢献。現在まで務めている。

 

2011年のドラフト全体2位、デンバー・ブロンコスのLB、ボン・ミラーを育てたのはほかならぬグェンである。

 

ベトナム人初の選手にしてコーチ、グェン。次に狙うのはベトナム人初のNFLHCの座であろうか。

マイク・シングレタリー ~Samurai Mike~

0455ヒューストンに生まれたシングレタリーはベイラー大学に進学し、1979年、1980年とオールアメリカンを受賞。多くの大学記録を塗り替え、1981年にドラフト2巡目でシカゴ・ベアーズに入団した。

 

1年目の後半から先発の座をつかみ、先発3戦目のカンザスシティ・チーフス戦では10タックル、1FFをマーク。潜在能力の高さを見せつけた。

 

1983年に3.5サック、1INT4FRを記録してプロボウルに初選出。以後引退する1992年まで10年連続で進出され続けた。

 

時に8人もの選手がパスラッシュを仕掛けるベアーズの強力ディフェンス、”46ディフェンスの中核であり、手薄になったバックフィールドを一人守る姿は”Samurai Mike”のニックネームにふさわしいものであった。

 

1985年には161タックル、3.0サック、1INT3FRを記録し、チームも151敗の圧倒的強さで地区優勝。ペイトリオッツとのスーパーボウルではスーパーボウル記録となる2FRを記録し、46-10で圧勝。チャンピオンリングと最優秀守備選手のタイトルを獲得した。

 

その後もベアーズの要として活躍し、1988年にも最優秀守備選手のタイトルを獲得。ウォルター・ペイトンとともにベアーズ黄金時時代の象徴的選手であった。

 

しかし、スーパーボウル制覇後は地区優勝こそ果たすものの、46ディフェンスの弱点であるショートパスを多用するウェストコーストオフェンスを採用するサンフランシスコ・49ersにプレーオフで敗れ続けた。

 

0456シングレタリーはそれでも必死に戦い続けたが、年には勝つことができず、1992年のプロボウルを花道に34歳で現役を引退。179試合の出場はベアーズ史上2位の大記録である。

 

その後2003年にボルチモア・レイブンズのLBコーチに就任。レイ・ルイスを指導するなど、2004年まで務めた。

 

2005年からはかつての宿敵49ersのコーチに就任。2008年からHCを務めたものの、3シーズンで1822敗の成績に終わり、2010年シーズンをもって解任された。

 

2011年からはミネソタ・バイキングスのコーチを務めることになっている。

 

1998年にプロフットボール殿堂入り。1980年のオールディゲートチームにも選ばれている。

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