4大スポーツ選手列伝

MLB、NFL、NBA、NHLの4大スポーツの選手のエピソードを紹介していこうと思います

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ジェイソン・イーラム ~豪脚~

0815子供のころから足腰が強く、ハイスクールではフットボールの他に陸上や水泳でもレターマンだったイーラムは、ハワイ大学でNCAA史上3位の通算397得点、同2位の79FGを達成。1993年にドラフト3順目でデンバー・ブロンコスに入団した。

1年目から35本中26本のFGを成功させ、成功率74.6%を記録。標高の高いデンバーでのプレーとはいえ50ヤード以上のFGも6本中4本成功させており、その飛距離がうかがえる。

1995年の開幕戦、バッファロー・ビルズ戦ではチームレコードの6FGを記録。同年38本中31本のFGを成功させ、プロボウルにも選出された。

1997年にも36本中26本のFGを成功。グリーンベイ・パッカーズとの第37回スーパーボウルではスーパーボウル史上2位の距離となる51ヤードのFGを成功させ、チームの優勝に大きく貢献した。

イーラムの生まれ持った飛距離と正確性は特別であった。1998年の第8週、ジャクソンビル・ジャガーズ戦でそれを証明した。

24-10とブロンコスの一方的リードの第2クォーターであった。FGの機会が与えられ、イーラムは気楽に、しかし思い切りボールを蹴った。その距離実に63ヤード。

少し左サイドに入ったボールは、スライスしながら力強い軌道でゴールを通過した。トム・デンプシーが1970年に特別製の靴で蹴って以来、実に28年ぶりに現れたNFLタイレコードであった。

0816場内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、イーラムは審判から受け取ったボールを手にフィールドをしばし走り回った。このときはいていたスパイクはプロフットボール殿堂に飾られている。

同年もスーパーボウルを制し、プロボウルにも選出。自己最高のシーズンを送った。

その後もブロンコス自慢のスーパーキッカーとして活躍をつづけ、2001年には334連続エキストラポイント成功のNFLレコードを樹立。以後も多くの記録を更新し続けた。

2004年には史上最速で300FGを達成。2005年にはこれまた最速で1500得点を達成。また、連続100ポイントシーズンの記録も継続していた。

2008年にFAでアトランタ・ファルコンズに移籍。ブロンコスで記録した1786得点は1チームの得点としてはNFL記録である。

3年総額1230万ドルというキッカーとしては破格の契約を結び、1年目は31本中29本のFGを成功させ、リーグ6位の129得点を記録した。

しかし翌2009年、ファルコンズがイーラムより5歳若いマット・ブライアントと契約すると出場機会が減り、わずか68得点で連続100得点が15年で途切れ、同年限りで現役を引退した。

通算1983得点は歴代6位、675エキストラポイントは5位、436FGは7位の大記録である。

現役晩年から冒険小説を出版するようになり、現在3冊出版しているそうである。個人的にはぜひ読んでみたい

マット・ストーバー ~Raven Gunner~

0800ダラスのギリシャ系の家に生まれ、ハイスクール時代にはもう53ヤードのFGを蹴ったというストーバーは、ルイジアナ工科大学で活躍し、1990年にドラフト12順目でニューヨーク・ジャイアンツに指名された。

当時から飛距離は際立っており、キックオフでもしばしばボールをゴールポストの上に通したという。

同年チームは第25回スーパーボウルを制したものの、ストーバーはシーズンを通して故障者リストに入っていたため、チャンピオンリングを贈られないという不運に遭った。

シーズン終了後にクリーブランド・ブラウンズに移籍。ブラウンズで正キッカーの座をつかみ、22本中16本のFGを成功させた。

当初はあまり優秀なキッカーとは言えなかったが、1994年に28本中26本のFGを成功させ、リーグトップの成功率92.9%を記録した。

これ以降はキックの精度を増し、チームがボルチモア・レイブンズに名を改めても変わらず活躍を続けた。

2000年にはレイブンズオフェンスが5試合連続TDなしという危機的状況に陥いるなか、ストーバーがリーグトップの35FGを挙げる獅子奮迅の活躍で何とかシーズンを12勝4敗で終え、プレーオフに進出した。

プレーオフでもオークランド・レイダーズとのカンファレンスチャンピオンシップゲームでチーム16点中10点を挙げるなど活躍し、スーパーボウルに進出した。

0799スーパーボウルも34-7で圧勝し、ストーバーは10年前に取り逃したリングを遂に獲得した。奇しくも対戦相手は古巣ジャイアンツであった。

同年プロボウルとオールプロに選出。その後も長らくレイブンズスペシャルチームの核として活躍を続け、2006年には38歳にして30本中28回のFGを成功させ、リーグトップの成功率93.3%を記録した。

2008年シーズン終了後についに解雇され、インディアナポリス・コルツに移籍。コルツでも11本中9本のFGを決め、第44回スーパーボウル進出に大きく貢献。ニューオーリンズ・セインツに敗れはしたものの、1FGを決めた。

ちなみに42歳でのスーパーボウル出場は最年長記録である。

同年限りで現役を引退。422連続トライフォーポイント成功。38試合連続FGはNFL記録。2004得点は歴代4位。通算FG成功率83.7%は歴代8位である。

2011年にレイブンズの殿堂入り。現在は解説者を務めている。

マーク・モズリー ~MVP Kicker~

0669テキサスA&M大学で活躍し、1970年にドラフト14巡目でフィラデルフィア・イーグルスに入団したモズリーは、当時すでに珍しくなっていたストレートタイプのキッカーであった。

 

1年目からFG25本中14本成功。成功率56%とまずまずの成績を記録した。

 

翌シーズンはヒューストン・オイラーズに移籍。移籍1年目は活躍したものの、続く1972年は1試合しか出場できなかった。

 

翌シーズンはワシントン・レッドスキンズに移籍。1年目から正キッカーとなり、FG30本中18回成功。成功率60%を記録した。

 

1976年にはFG34本中リーグ最多の22本成功。ここへきて成長を見せた。

 

1977年にもリーグ最多のFG37回中21回成功。50ヤード以上のロングFG6回中4回成功させた。

 

1年空いて1979年にもリーグ最多のFG33回中25回成功。31歳にしてプロボウルに初選出された。

 

その後しばらくは平凡なシーズンを送ったが、ストライキで9試合にシーズンが短縮された1982年、FG21本中リーグ最高の20本成功。成功率は歴代13位の95.2%に達した。

 

0670チーム総得点190点中実に76点を稼ぎ、スペシャルチームで史上唯一となるシーズンMVPを受賞。マイアミ・ドルフィンズとの第17回スーパーボウルでも2FG3エキストラポイントを記録し、27-17で勝利。チャンピオンリングを手にした。

 

プロボウルとオールプロに選出され、続く1983年にはリーグ最高のFG47本中33本成功。エキストラポイントはいずれもリーグ最高の63本中62本成功させ、リーグトップの161得点を記録した。

 

これ以降唯一のストレーロタイプのキッカーとして活躍を続け、ていたが、1986年シーズン途中にレッドスキンズを解雇され、クリーブランド・ブラウンズに移籍。


ブラウン是ではニューヨーク・ジェッツとのディビショナルプレーオフでダブルオーバータイムに逆転のFGを決めたが、同年限りで現役を引退した。

 

レッドスキンズでの通算1207得点はチームレコードである。

 

モズリー以降NFLのキッカーは1995年にパッカーズでダーク・ボルゴニョーネが2試合プレーした以外、すべてサッカータイプである。


MVPが最高の選手の証なら、モズリーは史上最高のキッカーということになる。少なくとも、名キッカーであることは間違いない。

ヤン・ステナルド ~ Flying Norwegian~

0564かつてキッカーはパンターと同じようにストレートタイプが主流だったが、現在はサッカータイプに完全にとってかわられている。

 

最初期のサッカータイプキッカー、ステナルドだが、その経歴は異色である。もともとノルウェーのスキージャンプ選手だったのだ。

 

奨学金を得てモンタナ州立大学に留学し、2年生時に野球のコーチにたまたまキック力を見出され、フットボールのコーチに紹介されてフットボールを始めた。

 

サッカータイプのキッカーとして頭角を現し、1965年には当時のNCAA記録となる59ヤードのFGを決めている。

 

1967年にドラフト外でAFLのカンザスシティ・チーフスに入団。1年目からリーグ最多の21本のFGを決めた。

 

当時キッカーのFG成功率は平均50%前後であったが、ステナルドのFG成功率は19681969年とも70%を超え、リーグトップの数字を叩き出している。

 

1969年にチームは第4回スーパーボウルを制覇。チャンピオンリングを手にした。

 

その後も長きにわたって正確無比のキックでNFLを盛り上げ、1980年にはグリーンベイ・パッカーズに移籍。

 

0563パッカーズで1981年には自己最高のFG成功率91.7%を記録。ミネソタ・ヴァイキングスに移籍した1984年にも87%を記録し、6回目のプロボウルに選ばれた。

 

1985年に現役を引退。19年の9キャリアはAFL出身者としては最長。379FGは歴代9位の大記録である。

 

1991年にプロフットボールの殿堂入り。キッカー専任の選手としては現在でも唯一の快挙である。

 

キッカーの歴史を変えた偉大な男はAFLオールタイムチーム、NFL75周年記念チームにも選出されており、背番号3はチーフスの永久欠番である。

トニ・フリッチュ ~Wembley Toni~

0566NFLではヨーロッパのサッカー選手をキッカーに転向させて起用する例が少なくない。その走りが今回の主人公、トニ・フリッチュである。

 

オーストリアの牧師の父のもとに生まれ、子供のころからサッカーが好きだったフリッチュは、13歳の時に名門ラピッド・ウィーンの下部組織に入団。19歳でトップチームに昇格し、FWとしてリーグ優勝3回、オーストリアカップ制覇2回を経験した。

 

身長170センチにも満たない小兵ながら、その右足から繰り出される強烈なシュートは見事の一言であった。

 

オーストリア代表としてキャップ9を数え、1965年にサッカーの聖地ウェンブリースタジアムで行われたイングランド戦で2ゴールを決め、3-2での勝利に貢献。イングランド代表が大陸のチームにホームで敗れたのは史上3回目のことであった。

 

この歴史的勝利以降” Wembley Toni”のニックネームが定着。押しも押されぬオーストリアを代表するサッカー選手となった。

 

1971年、キッカー不足に悩むダラス・カウボーイズはサッカー選手をキッカーに転向させる目的でヨーロッパへスタッフを派遣した。

 

スタッフは最初にフリッチュにオファーを出した。フリッチュは英語が全く話せなかったが、この人生をかけた大ばくちに乗り、アメリカンフットボールという未知の競技に転向した。

 

0565要はサッカーで言うところのフリーキックとキックアンドラッシュを延々とやるわけだから、言葉の壁は特に問題にならなかった。

 

1年目は控えだったが、2年目には36本中21本のFGを成功させ、チームのスーパーボウル制覇に大きく貢献。オーストリア人として初めてチャンピオンリングを手にした。

 

1975年にはリーグ最多の22本のFGを決め、同年限りでサンディエゴ・チャージャーズに移籍。さらに翌シーズンにはヒューストン・オイラーズに移籍した。

 

オイラーズで全盛期を迎え、リーグ最高のFG成功率を3回記録。特に1979年には84%を叩き出し、プロボウルとオールプロに選出された。

 

1982年にニューオーリンズ・セインツに移籍し、同年限りで一旦現役を引退した。

 

1984年にUSFLのヒューストン・ギャンブラーズで現役復帰。2年で50本中42本のFGを決め、1985年に本当に現役を引退した。

 

引退後はヒューストンに住み、ラピッド・ウィーンで働いたりしながら悠々自適の生活を送っていたが、2005年に心臓まひで帰らぬ人となった。

 

カウボーイズで記録したプレーオフでの13連続FG成功は、2007年にアダム・ビナティエリに破られるまで長らくNFL記録であった。

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