4大スポーツ選手列伝

MLB、NFL、NBA、NHLの4大スポーツの選手のエピソードを紹介していこうと思います

PG/SG

ピート・マラビッチ ~Pistol Pete~

0952元プロ選手で後に大学のコーチに転じた父のもとに生まれたマラビッチは、少年時代から圧倒的なバスケットセンスを持ち、父親とのマンツーマンでハンドリングやフェイント、シュートといった武器を磨いていった。

ハイスクールで圧倒的な得点力を発揮し、父親がHCを務めるルイジアナ州立大学に進学。ここでマラビッチは伝説を残すことになる。

殺人的な得点力でNCAAを支配し、通算3667得点、平均44.2得点という途方もない成績を記録。どちらも現在に至るまでNCAA記録である。

さらに恐ろしいことに当時のNCAAではまだスリーポイントシュートが採用されておらず、スリーポイントがあった場合を仮定するとマラビッチの平均得点は57得点にまで跳ね上がるという。

サイドからシュートを打つさまが拳銃のようだったことから"Pistol Pete"と呼ばれ、1970年にはネイスミス賞を受賞。同年全体3位でアトランタ・ホークスに入団。ABAのカロライナ・クーガーズからもオファーがあったという。

190万ドルという当時としては破格の契約を結んだものの、ホークスにはすでにスコアラーのルー・ハドソンがおり、派手なプレースタイルのマラビッチはチームにフィットしないのではないかと言われた。

しかし、ふたを開けてみるとハドソンとのコンビネーションが見事にはまり、平均23.2得点、4.4アシストの好成績でオールルーキーに選出。ハドソンとそろって2000得点を記録するという快挙を達成した。

2年目には成績を落としたものの、3年目には持ち直し、1973-1974シーズンにはボブ・マカドゥーに次ぐ平均27.7得点をマーク。オールスターに選出された。

シーズンオフにニューオーリンズ・ジャズが誕生。チームの目玉としてルイジアナに縁があるマラビッチに白羽の矢が立ち、2人の選手と5のドラフト指名権とトレードでマラビッチはジャズに移籍した。

0951移籍1年目は不調に苦しみ、キャリア最低のFG成功率41.9%と不振を極めたものの、その後は復調し、1976-1977シーズンには平均31.1得点で得点王を獲得。これはガードの選手としては最高記録であった。

しかし、1977-1978シーズンに両膝を故障して以降はスピードが衰え、おまけにバクテリア感染も併発。欠場が目立つようになったものの、平均27得点を挙げてチーム初のプレーオフ進出に大きく貢献した。

その後は出場機会を減らし、それに伴って成績も陰りが見え始め、チームが移転してユタ・ジャズになった1979-1980シーズン途中にボストン・セルティックスにトレード。同年限りで現役を引退した。

引退後は失意のどん底に陥り、ヨガ、ヒンドゥー教、UFO、菜食主義、など怪しげなものに没頭するようになり、最終的にはクリスチャンとなった。

"NAB選手ではなくクリスチャンとして名を残したい"と語っていたが、1987年に殿堂入り。1988年にバスケットの試合中に先天性の心臓病からくる心臓発作に襲われ、40歳の若さで世を去った。

1996年にはNBA50周年記念チームに選出されたが、マラビッチは当時唯一故人となっている人物であった。

その独創的できらびやかなプレーは多くの人に強烈な印象を残し、ジャズは言うに及ばず、直接の関係はないニューオーリンズ・ホーネッツもマラビッチの背番号7を永久欠番としている。

ロン・ハーパー ~Mr. Back to back~

0873マイアミ大学でプレーし、1986年に全体6位でクリーブランド・キャバリアーズに入団したハーパーは、1年目から平均22.9得点、4.8アシスト、2.5スティールを記録し、新人王投票で2位につけた。

さらに同僚のホットロッド・ウィリアムズ、ブラット・ドゥティーとともにオールルーキーに選ばれる快挙を達成。3人そろって大いに名を売った。

シュートの精度が低いものの、身長198センチと当時のガードにしては大きく、タフで身体能力の高い選手で、ディフェンスにも長けたいやらしい存在であった。

しかし、ひざの故障から身体能力が落ち、1989-1990シーズン途中にロサンゼルス・クリッパーズに放出された。

クリッパーズでは故障を抱えながらもチームの中心として活躍し、チームレコードとなる平均2.0スティールを記録。しかし、ジョーダンの突然の引退で代わりのSGを探していたシカゴ・ブルズの目にとまり、1993-1994シーズン終了後にFAでブルズに移籍した。

ブルズではPGでも起用され、復帰したジョーダン、親友のスコッティ・ピッペンに次ぐ3番目のスコアラーとして活躍。

ちなみにピッペンはチームの冷遇に耐えかねてハーパーのいるクリッパーズへの移籍を画策したことがあったが、ハーパーはクリッパーズの環境の悪さを伝えて踏みとどまらせている。

0874ブルズではスリーピートに大きく貢献。ファッションセンスと子煩悩でも有名で、コート内外で信頼の厚い人気者であった。

その後フィル・ジャクソンHCのロサンゼルス・レイカーズ移籍に伴いレイカーズに移籍。トライアングルオフェンスに対応できる選手が若いレイカーズに一人欲しい、というのがジャクソンのねらいであった。

これは見事にはまり、ハーパーは主にPGとして巧みなディフェンスを披露してチームを支え、移籍1年目から2連覇を達成。5つ目のリングを手に現役を引退した。

異なるチームで連覇を達成したのは、ハーパー以外にはデニス・ロッドマンとロバート・オーリーだけである。

引退後はデトロイト・ピストンズのコーチを数年勤め、現在は家族とともに静かに暮らしている。

0359 アンファニー・ハーダウェイ ~Penny~

0755幼いころに両親が離婚し、ハーダウェイを引き取った母親は歌手になるために実家を離れ、祖母のもとで育った。

祖母はハーダウェイを溺愛し、ハーダウェイを可愛いがなまった"Puitty"と呼び、これがいつしかペニーになった。

ハイスクール時代はジョージア州ナンバーワンのバスケットプレイヤーで、メンフィス大学に進学したが、学業成績が悪かったため、1年時はNCAAの規定で試合に出場できなかったうえ、強盗に足を撃たれる災難に遭った。

その後試合出場が許されると一気に主力選手に成長し、学生選抜チームの一員としてドリームチームと練習試合を行った際には、マジックジョンソンに"鏡を見ているよう"と絶賛された。

1993年に全体3位でゴールデンステート・ウォリアーズが指名したが、すぐに全体1位のクリス・ウェバーとの交換でオーランド・マジックに移籍した。

最初はSGだったが、チームのベテラン、スコット・スカイルズからPGの技術を学び、シーズン途中にはスカイルズからポジションを奪い取った。

同年平均16.0得点、5.4リバウンド、6.6アシスト、2.3スティールを記録。オールスターのルーキーチャンレンジではMVPを受賞したが、新人王は惜しくもウェバーにさらわれた

続く1994-1995シーズンには平均20.9得点、4.4リバウンド、7.2アシスト、1.7スティールを記録し、オールスターとオールNBAに選出。シャキール・オニールとともにチームをけん引し、マジックは同年チームレコードの57勝を記録した。

プレーオフでもジョーダン不在のシカゴ・ブルズをカンファレンスファイナルで撃破。チーム史上初のファイナルに進出したが、こちらはヒューストン・ロケッツに敗れてリング獲得はならなかった。

0756翌シーズン開幕前にオニールが故障したが、ハーダウェイの活躍でチームは好調を維持し、60勝22敗の好成績を残したが、カンファレンスファイナルでジョーダン復帰後のブルズに敗れた。

その後オニールはロサンゼルス・レイカーズに移籍したため、チームリーダーとして活躍。1996年にはドリームチームⅢに選出され、金メダルを獲得したが、翌シーズンは故障でわずか19試合の出場に終わった。

ロックアウトで短縮シーズンとなった翌1998-1999シーズン、マジックは33勝17敗を記録したもの、プレーオフでは早々と姿を消し、ハーダウェイはトレードを志願。フェニックス・サンズへトレードされた。

サンズにはPGのジェイソン・キッドがいたため、ハーダウェイはSGでプレー。このコンビの期待は大きく、"Back Court 2000"と呼ばれたが、ハーダウェイは故障がちなうえ、キッドもすぐに放出され、期待にこたえたとは言い難い。

高齢もあってチームの構想から外れ、2003-2004シーズン途中にニューヨーク・ニックスにトレード・しかし、ニックスでもほとんど活躍できず、2005-2006シーズンに解雇された。

その後2007-2008シーズンにマイアミ・ヒートと契約。10年ぶりにオニールと再会したが、ここでも結果を残せず、解雇されてしまい、現在にいたる。

流石に復帰はないだろうが、もしかしたら、と思わせてくれる存在ではある。

スティーブ・カー ~ベイルートから来た男~

0704イスラム研究者の父の元、ベイルートに生まれ、中東の国を転々とし、エジプトの高校でバスケットを始めたカーはメキメキと頭角を現し、アリゾナ大学に入学した。

しかし、その矢先にアメリカン大学ベイルート校の学長を務めていた父がイスラム過激派に暗殺され、失意にくれた。

しかし、イスラム教徒の友人に励まされて立ち直り、1986年には世界選手権に出場。金メダルを獲得した。

これ以降カーはイスラム教徒に特別な感情を持っており、同時多発テロの際にも"善良なイスラム教徒と一部のテロリストは区別すべき"と発言している。

ショーン・エリオット、トム・トルベルト、MLBで活躍するケニー・ロフトンらとともにNCAAトーナメントにも出場し、1988年にドラフト2巡目でフェニックス・サンズに入団した。

身体能力に乏しく、ルーキーイヤーには出場機会が少なかったものの、シーズン終了後に
クリーブランド・キャバリアーズトレードされるとシックスマンとして重宝されるようになり、リーグ最高のスリーポイント成功率50.7%を記録した。

1992-1993シーズン途中にオーランド・マジックにトレード。シーズン終了後にシカゴ・ブルズに移籍した。

入団当初はジョーダン不在だったため、プレーオフに進出しても勝ち切れなかったが、1995-1996シーズンにジョーダンが復帰。72勝10敗の圧倒的成績でファイナルまで突き進み、ファイナルでもシアトル・スーパーソニックスを粉砕。チャンピオンリングを手にした。

ここぞという場面で炸裂するシュートの技術はNBAナンバーワンで、ジョーダンとカーの二人がペイントエリアに居る状態でフリースローが与えられたら、ジョーダンではなくカーがフリースローに臨むほどであった。

翌1996-1997シーズンもスリーポイントコンテストで優勝するなどシュートにさえを見せ、チームも圧倒的成績でプレーオフに進出。3勝2敗で迎えたユタ・ジャズとのファイナル第6戦ではラスト3秒でジョーダンからパスを受けてシュートを沈め、優勝を決定づけた。

0703翌シーズンもブルズはファイナルを制し、スリーピートを達成。カーは控えガードとして大きく貢献した。

シーズン終了後にサンアントニオ・スパーズにトレード。44試合の出場に終わったもののファイナルを制し、4年連続でリングを獲得した。

2001-2002シーズンにポートランド・トレイルブレイザーズに移籍したが、1年でスパーズに復帰。2002-2003シーズンのカンファレンスファイナル、ダラス・マーべリックス戦ではスリーポイントを4回試みすべて成功させ、シュートの王者は健在であるというところを見せつけた。

同年5つ目のリングを手にし、それを花道に現役を引退。その後は解説者を務め、2007年からサンズのGM兼社長に就任。2010年6月を持って引退した。

1994-1995シーズンのスリーポイント成功率52.3%、通算成功率45.4%はいずれもNBAレコードである。

デイナ・バロス ~飛躍~

0597身長180センチの小兵ながらボストン大学で得点記録を塗り替えたデイナ・バロスは、1989年に全体16位でシアトル・スーパーソニックスに入団した。

 

入団当初はPGでゲーリー・ペイトンの控えだったが、たぐいまれなディフェンスとハンドリング、スリーポイントの技術を見出され、SGにコンバート。1991-1992シーズンにはリーグ最高の3P成功率.446を記録している。

 

ここまでは地味な控え選手にすぎなかったバロスだったが、1993-1994シーズンにシャーロット・ホーネッツを経てからフィラデルフィア・76ersにトレードで移籍するとスターターの座をつかみ、平均13.3得点、5.2アシスト、1.3スティールを記録。ターンオーバーが多く粗さが残ったが、飛躍のシーズンとなった。

 

しかしバロスの成長はとどまるところを知らず、1994-1995シーズンには平均20.6得点、7.5アシスト、3.3リバウンド、1.8スティールを記録。オールスターに選出されるとともに、MIPを受賞した。

 

さらにこのシーズンからNBA記録となる89試合連続スリーポイントゴールがスタートした。

 

0598シーズン終了後にFAでボストン・セルティックスに移籍。若手の指導役としてチームに貢献する一方で成績を落とし、1999-2000シーズン終了後にユタ・ジャズ、ゴールデンステート・ウォリアーズとの四角トレードでダラス・マーベリックスにトレード。しかしマブスではプレーすることなくデトロイト・ピストンズへトレード。

 

ピストンズではますます成績を落とし、出場機会も減少。2002年にウェーバーにかけられたが引き取り手はなかった。

 

その後2年の浪人を経て2003-2004シーズンにセルティックスと契約。1試合出場して現役を引退した。

 

引退後は実業家となり、2006年からはノースウェスタン大学のコーチに就任。さらに解説者も務めるなど、多方面で活躍している。

記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
プロフィール

ballgamer

当ブログについてご意見、感想、苦情、あるいはリクエストなどございましたら、コメント欄までよろしくお願いいたします
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ