0597身長180センチの小兵ながらボストン大学で得点記録を塗り替えたデイナ・バロスは、1989年に全体16位でシアトル・スーパーソニックスに入団した。

 

入団当初はPGでゲーリー・ペイトンの控えだったが、たぐいまれなディフェンスとハンドリング、スリーポイントの技術を見出され、SGにコンバート。1991-1992シーズンにはリーグ最高の3P成功率.446を記録している。

 

ここまでは地味な控え選手にすぎなかったバロスだったが、1993-1994シーズンにシャーロット・ホーネッツを経てからフィラデルフィア・76ersにトレードで移籍するとスターターの座をつかみ、平均13.3得点、5.2アシスト、1.3スティールを記録。ターンオーバーが多く粗さが残ったが、飛躍のシーズンとなった。

 

しかしバロスの成長はとどまるところを知らず、1994-1995シーズンには平均20.6得点、7.5アシスト、3.3リバウンド、1.8スティールを記録。オールスターに選出されるとともに、MIPを受賞した。

 

さらにこのシーズンからNBA記録となる89試合連続スリーポイントゴールがスタートした。

 

0598シーズン終了後にFAでボストン・セルティックスに移籍。若手の指導役としてチームに貢献する一方で成績を落とし、1999-2000シーズン終了後にユタ・ジャズ、ゴールデンステート・ウォリアーズとの四角トレードでダラス・マーベリックスにトレード。しかしマブスではプレーすることなくデトロイト・ピストンズへトレード。

 

ピストンズではますます成績を落とし、出場機会も減少。2002年にウェーバーにかけられたが引き取り手はなかった。

 

その後2年の浪人を経て2003-2004シーズンにセルティックスと契約。1試合出場して現役を引退した。

 

引退後は実業家となり、2006年からはノースウェスタン大学のコーチに就任。さらに解説者も務めるなど、多方面で活躍している。