ペンシルバニア州に生まれ、1952年にブルームズバーグ大学を卒業したデイリーだったが、NBAでのプレー経験はない。

 

10119955年にパンクスタウニー高校のHCとなり、8年で通算11170敗の成績を残した。

 

1963年に名門デューク大学のアシスタントコーチになって結果を残すと、1969年にボストン大学のHCに就任。まずまずの成績を残し、1971年にペンシルバニア大学のHCに就任した。

 

ペン大で本領を発揮し、就任から4年連続でアイビー・リーグ優勝を達成。

 

6年で12538敗の好成績を残し、1978年にフィラデルフア・76ersのアシスタントコーチに就任し、NBAの世界に足を踏み入れた。

 

1981年にクリーブランド・キャバリアーズのHCに就任したものの、開幕41試合で931敗と散々の成績に終わり、解任。

 

その後は解説者を務めていたが、1983-1984シーズンにデトロイト・ピストンズのHCに就任した。

 

ピストンズはNBA最古の歴史を誇りながらそれまで1回も2年続けて勝ち越したことがないという弱小球団だったが、デイリー就任1年目からいきなり4933敗で地区2位とし、プレーオフに進出。

 

凶暴さで知られ、“バッド・ボーイズ”と呼ばれた曲者たちをデイリーは上手くまとめあげ、9年連続で勝ち越してプレーオフに進出。1987-1988シーズンから3年連続でNBAファイナルに進出し、19891990シーズンとファイナル連覇を達成。ピストンズをリーグ屈指の強豪へと育て上げた。

 

1992年にはバルセロナオリンピックアメリカ代表、いわゆる“ドリームチーム”の監督に抜擢。スター中のスターばかり12人をまとめられるのは、荒くれ者揃いのピストンズを操るデイリー以外にないというのが抜擢の理由であった。

 

0120前評判の通り、ドリームチームは圧倒的強さで見事金メダルを獲得。デイリーは大役を無事果たした。

 

1993年からニュージャージー・ネッツのHCに就任・2年でチームをプレーオフに進出できるまでに育て上げたが、1993-1994シーズンを持ってコーチ業をいったん引退。

 

1997年にオーランド・マジックのHCに就任し、チーム立て直しに成功。1998-1999シーズンを持って勇退した。

 

1997年にはNBAの偉大なコーチ10人に選出されている。

 

NBAでは選手経験はないが、ピストンズはファイナルの制覇回数にちなみ、背番号“2”をデイリーの永久欠番としている。

 

200959日、曲者達をまとめ続けた名将デイリーはこの世を去った。78歳であった。