4大スポーツ選手列伝

MLB、NFL、NBA、NHLの4大スポーツの選手のエピソードを紹介していこうと思います

GB

レジー・ホワイト "The Minister of Defense"

0774テネシー大学で活躍し、同校のサックの通算記録を塗り替えたホワイトは、1984年にUSFLのメンフィス・ショウボーツに入団した。

ショウボーツでの2年間で36試合すべてに先発し、通算23.5サックを記録。1985年のUSFL崩壊後、分配ドラフト1順目でフィラデルフィア・イーグルスに入団した。

1年目からDEとして12試合に先発して13.0サックを記録。195センチ、136キロの巨体を活かしたパスラッシュは驚異であった。

続く1986年はDTとしても起用され、18.0サックを記録。その後数知れず選出されるプロボウルとオールプロに初選出された。

しかし1987年にLDEに完全定着するとさらに成績を伸ばし、リーグトップで歴代3位となる21.0サックを記録。最優秀守備選手に選ばれた。

イーグルスディフェンスチームのリーダー格で、頼もしい姿から"The Minister of Defense(防衛長官)"と呼ばれた。

0773翌シーズンもリーグ最多の18.0サックを記録。その後も毎シーズン2ケタのサックを記録し続けた。

1989年の労使協定の争議では選手会の中心として活躍。FA制度を導入させる一方でロックアウトを回避し、手腕を見せた。

そのFA制度を利用して1993年にグリーンベイ・パッカーズに移籍。パッカーズでもすぐにチームリーダーとなり、以前ほどではないがサックを量産し続けた。

1996年には8.5サックながらチームのスーパーボウル制覇に貢献し、チャンピオンリングを獲得した。

1998年には16.0サックの好成績で最優秀守備選手を受賞。久々にオールプロにも選ばれたが、同年限りで一旦現役を引退した。

1999年シーズンは全休し、2000年にカロライナ・パンサーズで現役復帰。16試合にフル出場して5.5サックを記録し、同年限りで本当に現役を引退した。

NFL通算198.0サックは歴代2位。USFLの分を合わせた221.5サックはプロフットボール記録である。

現役中からしばしばプロレスの試合に出場していたが、引退後は神学に傾倒し、ヘブライ語を学ぶなど熱心に活動していたが、2004年に心臓発作で世を去った。43歳であった。

背番号92はテネシー大、イーグルス、パッカーズのすべてで永久欠番であり、故郷のテネシーとグリーンベイにはそれぞれ"レジー・ホワイト通り"がある。

2006年にプロフットボール殿堂入り。NFL75周年記念チームにも選ばれている。

ブレット・ファーヴ ~鉄人~

0721フットボールのコーチである父のもとに生まれ、父がコーチを務めるハイスクールに進み、QBのほかにもRB、OL、S、K、Pなど多くのポジションでプレーしたファーヴだったが、本職のQBはと言うと、優秀なRBがいたため、ほとんどパスを投げる機会はなかった。

唯一奨学金のオファーをくれたサザンミシシッピ大学に進学。大学側はDBとしての活躍を期待していたが、ファーヴはあくまでQBにこだわり、7番手のQBとしてカレッジのキャリアをスタートさせた。

2年目の第3試合後半、二日酔いで練習中に吐いたにもかかわらず出場し、2TDを記録。以後先発に定着した。

4年時、1990年7月14日に交通事故に遭い、小腸を75センチも切除する大けがを負ったが、6週間後に復帰。アラバマ大学相手に勝利を挙げた。

1991年にドラフト2巡目でアトランタ・ファルコンズに入団したものの、ジェリー・グランビルHCに嫌われ、"飛行機事故でもない限り先発は無理"とまで言った。

当の本人も夜遊びばかりで素行が悪く、シーズン終了後にトレードでグリーンベイ・パッカーズに移籍した。

パッカーズでもさほど期待はされていなかったが、正QBドン・マコウスキーの故障で第3戦途中から出場。最初はブーイングが飛んだが、15試合で3227ヤード、18TDパスを投げ、レーティング85.3を記録し、歓声に変えた。

0722このシーズンから連続先発記録をスタートさせ、鉄人への道を歩み始めた。

コントロールを両立させた凄まじいまでの強肩、ディフェンダーをかわすクイックネス、サックを恐れない強心臓、どこを切っても超一流、非の打ちどころがないスーパーQBであった。

1995年には4413ヤード、38TDを投げてMVPを受賞。この年から3年連続でMVPを受賞した。これはファーヴが唯一の記録である。

1996年には第31回スーパーボウルを制し、実に31年ぶりにビンス・ロンバルディ・トロフィーをグリーンベイに取り戻した。

その後も復活した名門パッカーズのスーパースターとしてパスを投げまくり、2006年には400TDパスを達成。2007年にはダン・マリーノを抜いてNFL歴代トップとなる421TDパスを記録した。

しかし、歳とともに引退を口にするようになり、2002-2003シーズンのプレーオフでファルコンズに大敗して以来、引退は現実味を帯びてきた。

2005年には自己最低のレーティング70.9に終わり、チームはファーヴの先発定着以来初の負け越し。このシーズンは何とか思いとどまったものの、2007年シーズンに惜しいところでスーパーボウル進出を逃し、ついに引退を表明した。

しかし、キャンプイン直前に急きょ引退を撤回し、復帰を表明。すでにパッカーズはアーロン・ロジャースの育成を進めており、不要となったファーヴは8月にトレードでニューヨーク・ジェッツに移籍した。

しかし、新天地でファーヴは波に乗ることができず、9勝7敗と不本意な成績に終わり、2度目の引退を表明した。

復帰はないとのことだったが、8月にこれを撤回し、ミネソタ・ヴァイキングスと契約した。

移籍1年目は好調で、カンファレンスファイナルまで進出したが、翌シーズンは相次ぐ故障がファーヴを襲い、14週目でついに欠場。連続先発は297試合で止まった。

シーズン終了後に3度目の引退を表明。しかし、複数の球団が獲得を狙っているとの情報もあり、復帰も大いにあり得る状況である。

一フットボールファンとして、あらゆるパスの記録を持つファーヴのプレイはもっと見たい。ぜひ復帰してほしいものである。

リン・ディッキー ~Monday Night Star~

0695カンザス州立大学で通算6208ヤードを投げ、ビッグエイトカンファレンスのトップQBとして君臨していたディッキーは、1971年にドラフト3巡目でヒューストン・オイラーズに入団した。

 

オイラーズではもっぱら控えQBで、4年間に10先発して2勝、レーティング43.2という成績しか残せなかった。

 

1976年にトレードでグリーンベイ・パッカーズに移籍すると1年目から先発に定着し、1465ヤード、7TDを投げて46敗を記録した。

 

1977年は27敗、続く1979年は故障で5試合の出場に終わるなど、弱小パッカーズにあって苦しみ続けたが、ストライキで12試合の開催となった1982年シーズン、1790ヤード、12TDを投げて531分けという成績でプレーオフに進出。

 

ファーストラウンドのセントルイス・カージナルス戦では286ヤード、4TDを投げる活躍を見せ、41-16で圧勝。ディッキーにとってプレーオフでの初勝利であった。

 

続くダラス・カウボーイズ戦では274ヤード、1TDを記録したものの3INTを喫し、26-37で敗れた。

 

06961982年シーズンも見事であったが、1983年にはさらに成績を伸ばし、リーグトップの4458ヤード、32TDを投げる大活躍を見せたが、88敗で地区2位に終わり、惜しくもプレーオフ進出は逃した。

 

しかし世間のパッカーズとディッキーへの注目は高く、第7週のマンデーナイト、ワシントンレッドスキンズ戦はマンデーナイト史上最高の視聴率を記録している。

 

1985年に現役を引退。現在はカンザスでレストランを経営する傍ら、解説者としても活動している。

 

1996年には大学時代に所属したビッグ8カンファレンスがビッグ12カンファレンスに拡張され、その際にビッグ8カンファレンスのオールタイムチームに選ばれている。

 

1982年の4458パッシングヤードはブレット・ファーブすらしのぐ球団記録である。ファーブ以前のパッカーズにもこんな素晴らしいQBがいたのだ。

ヤン・ステナルド ~ Flying Norwegian~

0564かつてキッカーはパンターと同じようにストレートタイプが主流だったが、現在はサッカータイプに完全にとってかわられている。

 

最初期のサッカータイプキッカー、ステナルドだが、その経歴は異色である。もともとノルウェーのスキージャンプ選手だったのだ。

 

奨学金を得てモンタナ州立大学に留学し、2年生時に野球のコーチにたまたまキック力を見出され、フットボールのコーチに紹介されてフットボールを始めた。

 

サッカータイプのキッカーとして頭角を現し、1965年には当時のNCAA記録となる59ヤードのFGを決めている。

 

1967年にドラフト外でAFLのカンザスシティ・チーフスに入団。1年目からリーグ最多の21本のFGを決めた。

 

当時キッカーのFG成功率は平均50%前後であったが、ステナルドのFG成功率は19681969年とも70%を超え、リーグトップの数字を叩き出している。

 

1969年にチームは第4回スーパーボウルを制覇。チャンピオンリングを手にした。

 

その後も長きにわたって正確無比のキックでNFLを盛り上げ、1980年にはグリーンベイ・パッカーズに移籍。

 

0563パッカーズで1981年には自己最高のFG成功率91.7%を記録。ミネソタ・ヴァイキングスに移籍した1984年にも87%を記録し、6回目のプロボウルに選ばれた。

 

1985年に現役を引退。19年の9キャリアはAFL出身者としては最長。379FGは歴代9位の大記録である。

 

1991年にプロフットボールの殿堂入り。キッカー専任の選手としては現在でも唯一の快挙である。

 

キッカーの歴史を変えた偉大な男はAFLオールタイムチーム、NFL75周年記念チームにも選出されており、背番号3はチーフスの永久欠番である。

アントニオ・フリーマン ~He did what?~

0480バージニア工科大学で活躍したアントニオ・フリーマンは、1995年にドラフト3順目でグリーンベイ・パッカーズに入団した。

 

1年目はリターナーとして起用され、パスレシーブはわずか8回にとどまったが、翌シーズンに先発WRに定着。抜群の身体能力を生かしてファーブの弾丸のようなパスを捕りまくり、56レシーブで933ヤード、9TDを記録した。

 

翌シーズンにはさらに成績を伸ばし、81レシーブで1243ヤード、12TDを記録。チームのスーパーボウル進出に大きく貢献。

 

さらにニューイングランド・ペイトリオッツとのスーパーボウルではスーパーボウル記録となる81ヤードの超ロングTDパスを受け、チームに30年ぶりの栄冠をもたらした。

 

キャリアハイは続く1998年で、84レシーブでリーグ最多の1424ヤード、14TDを記録。プロボウルとオールプロに選出された。

 

そして2000年のマンデーナイトフットボール、ミネソタ・ヴァイキングス戦ではキャリアのハイライトと言えるスーパープレーを見せる。

 

20-20で試合はオーバータイムに突入。ファーブが投じたロングパスはヴァイキングスディフェンスのもとへ飛んでいったが、ディフェンダーはこれを落球。こぼれ球はダイビングキャッチを試みたフリーマンの肩に当たった。

 

パスインコンプリートと思われたが、肩に当たったボールをフリーマンは絶妙のハンドリングでそのままキャッチ。立ち上がってエンドゾーンへ一直線に突っ走り、そのまま観客席に飛び込んだ。パッカーズ勝利の瞬間であった。

 

0479あまりに衝撃的な幕切れに、アナウンサーは”He did what?(やつは何をした?)”と叫んだ。ファーブの難しいパスを捕り続けたフリーマンの真骨頂であった。

 

その後、マイク・シャナハンHCと確執を作り、2002年にフィラデルフィア・イーグルスに移籍。しかし先発は1試合にとどまり、1シーズン限りでパッカーズに復帰した。

 

しかし、パッカーズでも活躍はできず、シーズン終了後にカット。マイアミドルフィンズと契約したものの、すぐにカットされ、しばらく表舞台から姿を消した。

 

2007年に三度パッカーズと契約。しかしすぐにカットされ、そのまま現役を引退した。現在は解説者を務めている。

 

パッカーズ在籍8年で6651ヤード、57TDをレシーブ。彼がいなければ今のファーブはいなかったかもしれない。

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