4大スポーツ選手列伝

MLB、NFL、NBA、NHLの4大スポーツの選手のエピソードを紹介していこうと思います

MEM

ニック・アンダーソン ~Flying Illini~

0879シカゴで生まれ、1986年にはイリノイ州のMr.バスケットボールに選ばれ、イリノイ大学で活躍、NCAAトーナメントに出場したイリノイのスーパースター、アンダーソンは、1989年に全体11位でオーランド・マジックに入団した。

マジックはこのシーズンに新設されたチームで、アンダーソンはチーム史上初のドラフト指名選手となった。

1年目から控えとして積極的に起用され、81試合で平均11.5得点、3.9リバウンドを記録した。

エキスパンションチームの常でマジックは弱小チームだったが、デニス・スコット、シャキール・オニール、クリス・ウェバー、アンファニー・ハーダウェイとドラフトで優秀な選手を続々と指名し、徐々に力をつけていった。

それとともにアンダーソンは地味になっていった感があるが、平均15得点を割り込まないその得点力はチームに不可欠で、インサイドからもアウトサイドからも得点できるオフェンスのキーマンであった。

ドラフトの成功もあってチームは躍進を続け、1994-1995シーズンには早くもファイナルに進出。ヒューストン・ロケッツと激突した。

ホームのオーランド・アリーナで迎えた第1戦、アンダーソンはなんと4本連続でフリースローを外した。普段は成功率7割前後を堅持していたのに、である。

これが効いて試合はオーバータイムにもつれ込み、マジックはホームでの初戦を落とし、そのままスイープで敗退した。

0880ファンはアンダーソンを"Nick the Brick"と呼んで罵り、アンダーソン自身も気に病んで一時は成績を落とした。

特にフリースローは深刻で、1996-1997シーズンには成功率.404という悲惨な数字を残している。

その後持ち直したものの、1999年にサクラメント・キングスにトレード。マジック創設時のメンバーで最後まで残ったのがアンダーソンであった。

1年目は72試合に先発し、そこそこの成績を残したものの、翌シーズンは21試合の出場に終わり、続く2001-2002シーズンはメンフィス・グリズリーズに移籍。しかし成績は悪化する一方で、同年限りで現役を引退した。引退後はマジックのフロントで働いている。

アンダーソンのせいでファイナルに負けたという人もいるが、そもそもアンダーソン抜きでファイナルに進出できたとは思えない。マジックの通算得点記録を持っているのは、オニールでもハーダウェイでもない。ほかならぬアンダーソンなのだ。

エディー・ジョーンズ ~EJ~

0711テンプル大学で活躍し、1994年に全体10位でロサンゼルス・レイカーズに入団したジョーンズは、1年目から58試合に先発し、平均14.0得点、3.9リバウンド、2.0アシスト、2.0スティールを記録。オールスターのルーキーチャンレンジではMVPを獲得し、オールルーキーファーストにも選出された。

背番号は6だったが、続く1995-1996シーズン、ゲイル・グードリッチの永久欠番になったため、ジョーンズは背番号を25に変更。背番号が重いというわけではないだろうが、平均12.8得点、3.3リバウンド、3.5アシスト、1.8スティールと成績を落としてしまった。

翌シーズンに復活し、平均17.2得点、4.1リバウンド、3.4アシスト、2.4スティールを記録。オールスターに選出された。

翌シーズンもオールスターに選出され、さらにオールディフェンスチームセカンドにも選出。攻守にバランスがいい万能選手としてならした。

コービー・ブライアントの兄貴分的存在であったが、1998-1999シーズン途中にトレードでシャーロット・ホーネッツに移籍。ホーネッツに移籍してもレイカーズファンの人気は抜群で、レイカーズ戦ではレイカーズ側スタンドからも声援が飛んだ。

1999-2000シーズンには平均2.7スティールでスティール王を獲得。オールスターとオールNBAサードに選出され、チームはプレーオフ進出を果たした。

0712シーズン終了後にFAとなり、シカゴ・カブスやオーランド・マジックと交渉したが、先にマイアミ・ヒートにトレードされた。

チームは大黒柱のアロンゾ・モーニングが抜けて危機的状況にあったが、ジョーンズは平均17.4得点、4.6リバウンド、2.7アシスト、1.7スティールの活躍を見せ、チームはプレーオフに進出した。

翌シーズンはジョンソンにとって始めてプレーオフを逃したが、翌シーズンから毎年出場。若いヒートをいぶし銀のプレーで引き締めた。

2005-2006シーズンにメンフィス・グリズリーズに5チーム、13人が絡む大型トレードで移籍。75試合先発し、平均11.8得点を記録した。

2007年1月30日にウェーバーとなり、同年ヒートに復帰。さらに翌シーズンはダラス・マーベリックスに移籍した。

2008年10月10日にトレードでインディアナ・ペイサーズに移籍したが、契約がこじれ、ペイサーズではプレーすることなく解雇された。

まだ引退は表明していないが、解説者を務めており、復帰はまずないだろう。

ボー・アウトロー ~Hamburger?~

0685サンアントニオで生まれ、ヒューストン大学でプレーしていたアウトローだったが、ドラフトではどこからも指名されず、CBAに進んだ。

 

シュートは下手だが高い身体能力の持ち主で、リーグ最多の平均3.8ブロックを記録。これがNBAのチームの目にとまり、1993-1994シーズン途中にロサンゼルス・クリッパーズと契約した。

 

37試合で14先発。平均6.9得点、5.7リバウンド、1.0アシスト、1.0スティール、1.0ブロックを記録し、チームのプレーオフ進出に貢献した。

 

アウトローという名前だがプレーに関しては真面目そのもので、ファンの支持を獲得。1996-1997シーズンには平均7.6得点、5.5リバウンド、1.9アシスト、1.1スティール、1.7ブロックを記録した。

 

シーズン終了後にオーランド・マジックに移籍。移籍1年目にキャリアハイを迎え、全試合に出場して平均36分ものプレイタイムを稼ぎ、9.5得点、7.8リバウンド、2.6アシスト、1.3スティール、2.2ブロックの好成績を記録した。

 

当時HCを務めていたチャック・デイリーは、ハードワークを厭わない真面目でタフなアウトローを大変気に入っていたという。

 

1998417日には25得点、13リバウンド、10アシストのトリプルダブルを達成。試合後記者にそのことを指摘されたが、それはハンバーガーの仲間かい?と答えたという逸話がある。

 

0686マジックは地区3位でシーズンを終え、プレーオフに進出。しかし、格下のフィラデルフィア・76ersに敗れてしまった。

 

オフにチームに大粛清の風が吹き荒れ、さらにデイリーが年齢を理由に辞任。経営陣は完全にシーズンを捨ててかかっていた。

 

しかし、アウトローは腐ることなく働き、平均6.0得点、6.4リバウンド、3.0アシスト、1.4スティール、1.8ブロックを記録。焼け野原のようになったチームを必死に引っ張った。

 

その後チームは持ち直したが、アウトローは2001-2002シーズン開幕直後に解雇され、フェニックス・サンズに移籍。さらに翌シーズン終了後にメンフィス・グリズリーズに移籍。1年でサンズに戻り、さらにシーズン終了後にマジックに復帰。そのまま2007-2008シーズンまでプレーして現役を引退した。

 

チームのために必死で戦い続けたアウトロー。心は正義のヒーローのそれである。

ブレビン・ナイト ~小さな勇者~

0581

スタンフォード大学で同大記録となる780アシスト、298スティールを記録したナイトは、1997年に全体16位でクリーブランド・キャバリアーズに入団した。

 

身長180センチと小柄ながら1年目から先発PGの座を獲得。平均9.0得点、8.2アシスト、さらにリーグトップの196スティールを記録し、オールルーキーファーストに選ばれた。

 

一見快調な滑り出しに見えたが、その後はこれと言って目立った活躍をすることはなく、2000-2001シーズン途中にアトランタ・ホークスにトレードされたのを機に移籍を繰り返すようになる。

 

メンフィス・グリズリーズ、フェニックス・サンズ、ワシントン・ウィザーズ、ミルウォーキー・バックスとチームを渡り歩き、2004年にエキスパンションドラフトで、新設のシャーロット・ボブキャッツに移籍。新天地でナイトは再び脚光を浴びることとなる。

 

経験とゲームメイクの能力を買われてチームの司令塔として活躍。ここにきて成績を急上昇させ、平均10.1得点、2.6リバウンドに加え、リーグ2位の9.0アシスト、2.0スティールを記録。地味な中堅から一転、チームの初代スターとなった。

 

05822005-2006シーズンはさらに成績を伸ばし、平均12.6得点、3.2リバウンド、8.8アシスト、2.3スティールを記録。ナイトの重要度は高まるばかりであった。

 

2007-2008シーズンにPG不足に陥っていたロサンゼルス・クリッパーズに移籍。さらに翌シーズンはユタ・ジャズに移籍も、成績は振るわず、同年限りで現役を引退した。

 

ボブキャッツの初代スターは現在メンフィスで解説者を務めている。

ローレンゼン・ライト ~謎の死~

0393メンフィスの近郊で生まれ、メンフィス大学で活躍したライトは、1996年、全体7位でロサンゼルス・クリッパーズに入団した。

 

1年目からスターターとして出場し、平均7.3得点、6.1リバウンドを記録した。

 

1997-1998シーズンにはさらに成績を伸ばし、平均9.0得点、8.8リバウンドを記録。弱小クリッパーズになくてはならない貴重な戦力となった。

 

1999年にアトランタ・ホークスにトレード。当初は環境の変化に戸惑って成績を落としたが、2年目には復帰。自己最高の平均12.4得点、7.5リバウンドを記録した。

 

2001年にメンフィス・グリズリーズにトレード。勝手知ったるメンフィスで水を得た魚のように働き、平均12.0得点、自己最高の9.4リバウンドを記録した。

 

その後もグリズリーズの主力として活躍をつづける傍ら、2003年には大学に戻って正式に卒業するなど人生を満喫していたが、2006年にFAでアトランタ・ホークスに移籍した。

 

03922007-2008シーズン途中にサクラメント・キングスにトレード。さらに2008-2009シーズンにはクリーブランド・キャバリアーズに移籍するものの、出場機会は少なく、そのまま同年限りで引退した。

 

その後は悠々自適の生活を送っていたが、2010年の718日に妻の実家から行方をくらました。

 

家族が警察に届け出て捜査が始められ、728日に近くの林で死体となって発見された。34歳の若さであった。

 

死体はひどく損傷しており、野生動物に襲われた可能性もあったが、銃で撃たれた痕跡が見つかり、殺人と判定された。

 

数年前に麻薬組織と車の売買があったことがわかっており、関係が指摘されているが、真相はわかっていない。

 

名の通ったNBAプレーヤーがなぜ殺されねばならなかったのか。真相の解明が待たれる。

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