4大スポーツ選手列伝

MLB、NFL、NBA、NHLの4大スポーツの選手のエピソードを紹介していこうと思います

MIN

ランディ・モス ~The Freak~

0949ハイスクールではWRの他にもDB、キッカー、パンター、リターナーとしてもプレーし、年連続でチームをウェストバージニア州チャンピオンに導き、バスケットでも州のMVPとオールアメリカンのタイトルを獲得。陸上では100メートル走と200メートル走の州チャンピオン、野球でもセンターとして活躍。輝かしい成績を残したモスであったが、このころから素行不良が目立った。

ノートルダム大学に進学することが決まっていたが、黒人の友人に差別的行動をした白人に暴行を加えて逮捕され、3日間服役。ノートルダム大への進学は立ち消えとなり、フロリダ州立大学に進学した。

転校生扱いとなり練習生としてルーキーシーズンを過ごしたが、このころから圧倒的なスピードを誇り、"The Freak"と呼ばれて恐れられていたが、大麻吸引の罪で再び服役し、マーシャル大学へ転校した。

同大学でジェリー・ライスと並ぶNCAA記録のシーズン28TDを記録。1997年にはDiv.Ⅰ-A記録となる25TDを記録し、最優秀WRに贈られるフレッド・ビレトニコフ賞を受賞した。

本来なら上位指名間違いなしの逸材であったが、輝かしい成績を残す一方で犯罪を繰り返したため敬遠され、1998年に全体21位でミネソタ・バイキングスに入団した。

1年目早々にリーグトップで新人記録となる17TDを記録し、オールプロ、プロボウル、サイ郵趣攻撃選手のタイトルを獲得。いきなりバイキングスオフェンスの中心に上り詰めた。

翌シーズンは審判への暴行と水をかけた罪で罰金を宣告されたが、11TDを記録し、プロボウルに選出。

その後も毎年罰金沙汰の問題を起こし、2002年には職務質問をしようとした警官を無視して車ではねたうえ、大麻を所持していたという容疑で逮捕。どうしようもないほどの問題児ぶりはついに治ることはなかった。

しかしフットボーラーとしては史上最高のWRの一人に数えられる存在で、2002年シーズンにはモスへのパスがパス全体の40%を超えた試合では4勝1敗だったのに対し、そうでない試合は1勝10敗と不振を極めた。

このようにモスに頼り切りの戦術は、"ランディ・ルール"と呼ばれた。

2004年には開幕5試合で8TDと絶好調だったものの、6週目のニューオーリンズ・セインツ戦でハムストリングを痛め、連続パスレシーブの記録が204試合でストップ。シーズン終了後にトレードでオークランド・レイダーズに移籍した。

しかしレイダーズでは目立った成績を残すことができず、2007年シーズン開幕前にニューイングランド・ペイトリオッツに移籍した。

0950相方のWRにウェス・ウェルカー、QBにトム・ブレイディという豪華な布陣で負担が減ったためかペイトリオッツで息を吹き返し、キャリアハイとなる1493ヤード、23TDを獲得。3年ぶりにプロボウルとオールプロに返り咲き、スーパーボウルに出場。リングは獲得できなかったが、オフに3年2700万ドルの契約を勝ち取った。

2009年にはディフェンスチームで急きょ起用され、INTを記録するなど幅広く活躍していたが、契約延長の話がないことに不満を漏らすなど問題児ぶりが再び顔をもたげ始め、2010年シーズン途中にバイキングスにトレード。さらににテネシー・タイタンズにトレードされたが、レシーブ、393ヤードしか獲得できず、2011年8月に引退を表明した。

問題だらけの選手人生だったが、954レシーブ、14858ヤード、153TDはそれぞれ歴代9位、5位、2位の大記録となっている。

ちなみに問題児ではあったがチャリティーには熱心で、子供を試合に招待したり、学校へサイン会に赴いたりと積極的に活動している。

どこか憎めないスーパーWR、モス。現在はNASCARのチームオーナーとしても活躍している。

ステフォン・マーブリー ~Starbury~

0804ニューヨークのブルックリンで生まれ、ハイスクール時代にはケビン・ガーネット、シャリーフ・アブドゥル・ラヒーム、アントワン・ジェイミソンらとともにオールアメリカンに選ばれたマーブリーは、ジョージア工科大学に進学した。

大学では1年プレーしただけでアーリーエントリーし、1996年に全体4位でミルウォーキー・バックスが指名。すぐにミネソタ・ティンバー・ウルブルズにトレードされた。

奇しくもガーネットとチームメイトとなり、1年目から64試合に先発し、平均15.8得点、7.8アシスト、1.0スティールを記録。オールルーキーファーストに選ばれた。

PGだがディフェンスを嫌い、自分勝手なところがあったが、得点力はかなりのものがあった。

1997-1998シーズンも活躍し、チームをプレーオフに導いたが、ガーネットの年俸に嫉妬し、さらにプレーをめぐって首脳陣と対立。トレードを要求し、1998-1999シーズン途中にニュージャージー・ネッツに放出された。

ネッツでも安定して20得点以上を稼ぎ続け、2000-2001シーズンにはキャリアハイとなる平均23.9得点を記録し、オールスターに選出されたが、チームはプレーオフに進出できず、シーズン終了後にジェイソン・キッドとのトレードでフェニックス・サンズに移籍した。

サンズでも2003年にオールスターに選出されるなど活躍したが、チームは相変わらずプレーオフに弱く、2003-2004シーズン途中にニューヨーク・ニックスに移籍した。

地元とあってファンの期待は大きかったが、シューズのプロデュースやタレント活動などの副業に精を出してポテンシャルを落とし、成績は悪化。それにもかかわらず自分のことを最高のPGと言い張るなど、トラブルばかり起こし、2004-2005シーズンにはチームは負け越した。

08032005-2006シーズンはラリー・ブラウンHCが就任したが、マーブリーと衝突し、チームは崩壊。ニックスじゃ地区最下位に沈み、HCはアイザイア・トーマスに後退した。

しかし、翌シーズンはチームケミストリーはさらに悪化し、ニックスはどん底にまで落ち込んだ。

翌シーズンは左足の故障で24試合の出場に終わり、トレードもうわさされたが、2年4200万ドルと言う巨額の契約を結んでいたため、なかなか引き取り手は見つからなかった。

翌2008-2009シーズン、新HCのマイク・ダントーニはマーブリーを一切起用せず、バイアウト交渉を有利に進め、シーズン終盤ににようやくバイアウトに応じさせた。

その後ボストン・セルティックスと契約。ガーネットと再会したものの、往時の輝きは戻らず、シーズン終了後にFAになった。

その後1年は浪人して過ごし、24時間の生活をインターネットで生中継し、引退宣言をしたり、ワセリンを一気飲みするなどの奇行を繰り返して失笑を買った。

その後去就が注目されたが、2010年に中国の山西ドラゴンズと契約。時差ボケが直らないうちに試合に出場し、28分で15得点、4リバウンド、8アシスト、4スティールを記録した。

さらに2010-2011シーズンは陝西キリンズに移籍し、オールスターではMVPを獲得。シーズン終了後に北京ダックスに移籍し、現在に至る。

一見とんでもない悪童に見えるが、ハリケーン・カトリーナの被災者のために熱心に寄付活動を行い、ジャマール・クロフォードが故障した際には涙を流し、プロデュースするシューズ、"Starbury One"は貧しい子ども達のために15ドルという破格値である。自分勝手だが根は良い奴なのだ。

ニックスファンにはマーブリーに恨みがある人も多いだろう。しかし、マーブリーにもこういう一面があるということを知っていてほしい。

ミッチ・バーガー ~Cabadian Kick~

0793カナダで生まれ、ハイスクールではQBとして活躍する半面バスケットでも優秀で、両方でブリティッシュコロンビア代表に選ばれた。

テキサスのテイラー短大でパンターに転向し、その後コロラド大学に移ってプレー。1994年にドラフト6順目でフィラデルフィア・イーグルスに入団した。

イーグルスで5試合に出場し、25回のパントで951ヤードを記録したものの、シーズン途中にカットされた。

その後シンシナティ・ベンガルズ、シカゴ・ベアーズ、インディアナポリス・コルツ、グリーンベイ・パッカーズといずれもプラクティスで渡り歩き、1995年シーズン途中にベアーズのロースターに載ったものの、プレー機会はなかった。

1996年にミネソタ・バイキングスと契約。リーグワーストの2ブロックを喫したものの、88回のパントでリーグ7位の3616ヤードを記録。ようやく安住の地を得た。

193センチの長身と素早いキックが武器で、その後はブロックもなく、飛距離と正確性を兼ね備えた優秀なパンターとして活躍。

試合中にスニッカーズを食べ、飛距離を活かしてキックオフも蹴り、しばしばタッチバックさせた。

1999年には61回のパントで2769ヤードを記録し、リーグ2位の平均45.4ヤードをマーク。プロボウルに選出された。

2002年にセントルイス・ラムズに移籍。72回のパントで3020ヤードを記録し、1997年以来の3000ヤードを達成した。

シーズン終了後に今度はニューオーリンズ・セインツに移籍。2004年にはキャリアハイの85回のパントで3704ヤードを記録。2回目のプロボウルに選出された。

07942006年に腰の故障でシーズン全休し、シーズン終了後にアリゾナ・カージナルスに移籍した。

カージナルスでは5試合の出場に終わり、翌シーズンはピッツバーグ・スティーラーズに移籍。

スティーラーズで復活を果たし、66回のパントで2728ヤードを記録。さらにパンターでありながら5タックルを決めている。普通パンターやキッカーのタックルは大したものではないが、バーガーのそれはかなりのハードヒットである。

同年チームは第43回スーパーボウルに進出し、バーガーも3回のパントで139ヤードを記録。チームは古巣カージナルス相手に27-23で勝利し、チャンピオンリングを獲得した。

翌シーズンはデンバー・ブロンコスに移籍したものの、10試合しか出場できず、パント51回で2142ヤードと今一つだったため、シーズン終了後に解雇され、それ以降プレーしていない。

カナダ人でありながらフットボールを志し、試合中にスニッカーズを食べ、パンターでありながらキックオフを蹴り、ハードヒットをかました愛すべき個性派、バーガー。現在はバンクーバーでレストランとナイトクラブを経営している。

ロバート・スミス ~Dr. Run~

0792ハイスクールではオハイオ州の"Mr.Football"に2回選ばれ、オハイオ州立大学では陸上競技でも活躍したスミスだったが、当時から変わり者であった。

化学や医学に深い関心を持ち、大学に通う傍らメディカルスクールにも通って医者になることを画策したが、フットボールチームの関係者にとがめられ、そのことを公然と批判した。

1993年に全体21位でミネソタ・バイキングスに入団。ルーキーイヤーから10試合に出場し、399ヤードを走って2TDを記録した。

素質は一流だったが故障が多く、欠場してばかりで、かなりの間伸び悩み続けた。

変わり者は相変わらずで、ロッカールームではよく学術雑誌を読んでいたという。

そんなスミスがブレイクしたのは1997年のことで、14試合に先発して1266ヤードを走って6TDを記録。一気にバイキングスオフェンスの主役に上り詰めた。

翌シーズン、ルーキーのランディ・モスがリーグトップの17TDを記録して劇的なデビューを果たすと、スミスも負けじと1187ヤードを走って6TDを記録。さらに28レシーブで291ヤード、2TDを記録してプロボウルに選出された。

1999年は少し成績を落としたものの、2000年にキャリアハイとなる1521ヤードを走って7TD、さらに36レシーブで348ヤード、3TDを記録してチームの地区優勝に大きく貢献。2度目のプロボウルに選出された。

0791シーズン終了後に5年4000万ドルの大型契約を打診されたが、それを蹴って突如現役を引退。表舞台から姿を消した。

28歳の若さで引退したにもかかわらず、通算6818ラッシングヤードはチームレコードである。

チームとの不和や健康問題、医者になる夢を追うためといったさまざまな憶測が流れたが、スミス自身が口を閉ざしたため、真相は謎であったが、2004年に著書を出版し、真相について触れた。

社会がスポーツ選手を持ち上げすぎることにうんざりしたというのが真相らしい。最後まで変わった男であった。

その後は解説者として活動する傍ら、アマチュアの天文学者としても活動し、かなりの実績をあげているという。

ゴールライン目前で確実に働く選手で、1TD当たりのラッシングヤード27.2ヤードはNFL最高レコードである。

ジョン・ランドル ~Farve Killer~

0784テキサスの郵便局長の子供に生まれたランドルは、Div.ⅡのテキサスA&I大学で活躍した。

兄のエルビンもNFLのLBで、当時兄の所属していたタンパベイ・バッカニアーズのトライアウトを受けたものの、身長185センチとDLにしては小柄だったことから契約に至らなかった。

結局1年浪人し、1990年に23歳でミネソタ・バイキングスと契約。先発こそないが1年目から全試合に出場し、1.0サックを記録した。

翌シーズンはLDEとして8試合に先発し、9.5サックを記録。活躍の足がかりをつかんだ。

1992年からRDTの定位置をつかみ、11.5サックを記録。1993年には12.5サックでオールプロとプロボウルに選出。その後6年連続で選出された。

同地区のグリーンベイ・パッカーズに所属するブレット・ファーブはライバルで、ファーブ相手に並々ならぬ執念を燃やし、現に多くのサックをファーブに食らわせた。

この対決は有名で、このようなCMも作られたほどであった。



1997年にはリーグトップの15.5サックを記録。小柄ながらも広い守備範囲と俊敏さを武器にバイキングスディフェンスの最前線を張り続けた。

しかし、1999年にDEにコンバートされるとプロボウルとオールプロの選から漏れ、2000年には8.0サックと8年ぶりに2ケタサックを逃した。

シーズン終了後にシアトル・シーホークスに移籍。慣れ親しんだDTに戻ると復調し、11.0サックでプロボウルに返り咲いた。

0783しかし、年齢からくる衰えはどうしようもなく、その後徐々に衰えていき、2003年を持って現役を引退した。

通算137.5サックは歴代6位。DTとしては歴代トップの大記録である。

90年代のオールディケードチームに選ばれ、2010年にはプロフットボールの殿堂入り。90年代ナンバーワンDTの座を不動のものとした。

現在はミネソタで静かに暮らしているランドルだが、よもやファーブがバイキングスにやってくるとは思わなかっただろう。
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