4大スポーツ選手列伝

MLB、NFL、NBA、NHLの4大スポーツの選手のエピソードを紹介していこうと思います

STL

マーシャル・フォーク ~羊馬~

0971ニューオーリンズで生まれたフォークは、サンディエゴ州立大学で1429ラッシングヤードの1年生記録を樹立。オールアメリカンに3回選ばれ、NCAA歴代8位となる通算62TDを記録。1994年に全体2位dえインディアナポリス・コルツに入団した。

1年目からたぐいまれなスピードとレシーブ能力を披露し、1282ラッシングヤード、52レシーブで522ヤードを記録。攻撃新人王とプロボウルMVPを同時に獲得する快挙を達成した。

翌シーズンも1078ヤードを走る活躍を見せたが、プレーオフで首を故障。AFCチャンピオンシップゲームを欠場し、ランオフェンスの要を欠いたコルツはピッツバーグ・スティーラーズに敗れた。

翌シーズンはかかとの故障で13試合、587ラッシングヤードと不本意な成績に終わったものの、1997年シーズンには復活。続く1998年シーズンには1319ラッシングヤード、86レシーブ、908ヤードでリーグトップの計2227ヤードを記録した。

しかし、若返りを図るチーム方針の影響で翌シーズン開幕前にセントルイス・ラムズへトレード。本人いわく"何かの誤解"というほど衝撃的なトレードであった。

7年4520万ドルというラムズ史上最高額の契約を結んで迎えたシーズン、カート・ワーナーとともにラムズ大躍進の両輪となり、1381ラッシングヤード、RBの最高記録となる1048レシービングヤードの計2429ヤードでNFL記録を更新。スーパーボウル制覇の原動力となった。

0972翌シーズンは故障で2試合欠場したにもかかわらず、リーグトップの18TDラン、8TDレシーブでNFL記録の計26TDを記録し、MVPを受賞。2001年シーズンもワーナーに次ぐ2位の得票を得て、ラムズ黄金時代の象徴となった。

しかし、その後は故障と年齢から衰えが激しくなり、2006年にはシーズンを全休して解説者として活動。結局復帰することはなく、2007年に引退を表明した。

通算19154ヤードは歴代4位であり、10000ラッシングヤード、5000レシービングヤードは他にマーカス・アレンとティキ・バーバーしか達成していない。

背番号28はラムズの永久欠番となり2011年には殿堂入りを果たしている。

ラリー・ウォーカー ~Boogie~

0961バンクーバーの郊外に生まれたウォーカーは、多くのカナダの少年がそうであるようにNHL選手を志し、野球は夏場にだけプレーしていた。

ゴーリーとしてジュニアリーグでプレーしていたが、16歳の時に競争に敗れてチームを去り、このころから野球に専念。ほぼ素人だったがが身体能力を武器にユースのカナダ代表に選ばれ、そこでの活躍がモントリオール・エクスポズのスカウトの目に留まり、1984年にドラフト外でエクスポズと契約した。

元ゴーリーだけあって動体視力に優れ、速球には強かったが、変化球がまるで打てず、膝のけがもあって1年目から解雇を心配していた。

しかし、フロリダの教育リーグに送られてそこで一気に成長。故障も癒えたことで徐々に出世し、1989年にメジャーデビューを果たした。

新人王資格を残して臨んだ1990年、打率.241、19HR、51打点、21盗塁の成績で新人王投票に9位に入りブレイク。1992年には打率.301、23HR、93打点、18盗塁を記録し、オールスター、ゴールドグラブ賞、シルバースラッガー賞を受賞。MVP投票でも5位につけた。

強打者にして好打者で、足が速く、守備もうまく、肩も強い万能選手であり、1994年にはリーグトップの44二塁打を記録。オフにコロラド・ロッキーズに移籍した。

打者有利のクアーズ・フィールドはウォーカーのベストプレイスだったのだろう。1997年には打率.366、49HR、130打点、33盗塁という圧倒的成績でMVPを獲得。さらにいずれもリーグトップの出塁率.452、長打率.720、12捕殺、さらにスタン・ミュージアルの持つリーグ記録の409塁打を記録した。

さらに同年のオールスターではランディ・ジョンソンと対戦。頭の後ろを通る暴投を食らったが、ヘルメットを前後逆に被り、左打ちでありながら右打席に入るパフォーマンスで対抗した。

0962翌シーズンは打率.363で首位打者を獲得し、最優秀カナダ人アスリートに贈られるル・マーシュ賞を野球選手として初受賞。翌シーズンも打率.379で首位打者を獲得し、年俸は1200万ドルを超えた。

続く2000年は故障で87試合しか出場できず、打率.309とやや数字を落としたものの、2001年には打率.350で首位打者に返り咲き、MLB最強を誇ったロッキーズ打線の中心としてその名をとどろかせた。

しかし、その後は徐々に成績を落としていき、2004年シーズン開幕前にはテキサス・レンジャーズへのトレードが打診されたが、ウォーカーは拒否した。

同年打率.298を打ったものの怪我で82試合しか出場できず、結局シーズン途中にセントルイス・カージナルスにトレードされた。

"毎日クリスマスの朝のよう"と評されたに陽気な性格で、チームにすぐなじんだが、チームはリーグチャンピオンシップシリーズでヒューストン・アストロズに敗れ、それを最後に現役を引退した。

引退後は趣味のサッカーを楽しむ傍ら、2008年にカージナルスのキャンプで臨時打撃コーチを務め、フルタイムでもオファーを受けるなど指導者の才能を発揮。2009年にはWBCカナダ代表のコーチを務め、2011年にはパンアメリカン大会カナダ代表のコーチを務めている。

通算打率.313、383HR、230盗塁、ゴールドグラブ賞7回の実績は金字塔である。カナダ人史上最高の野球選手と言っていいだろう。

カート・ワーナー ~Super Man~

0887Div.Ⅱのノーザンアイオワ大学でプレーし、そこそこ活躍していたワーナーだったが、ドラフトではどこからも指名されず、1994年にドラフト外でグリーンベイ・パッカーズに入団した。

しかし、パッカーズのQBはブレット・ファーブを筆頭に、ジャガーズの快進撃を支えたマーク・ブルネリ、ハイズマン賞受賞のコイ・デトマーがおり、4番手となったワーナーはカットされてしまった。

パッカーズ首脳陣はワーナーの素質を評価していたが、ワーナーはまだNFLでやっていく準備ができていないと評した。

その後ワーナーはAFLのアイオワ・バーンストーマーズと契約。AFLのサラリーだけでは食べていくことができず、スーパーで時給5.5ドルのアルバイトをしながらの生活であった。

AFLでは向かうところ敵なしの活躍で、3年のプレーながら後にAFL殿堂入りを果たし、AFL史上12番目に偉大な選手に選ばれている。

1998年にセントルイス・ラムズと契約。NFLヨーロッパのアムステルダム・アドミラルズに派遣され、リーディングパサーとなった。ちなみにチームメイトには河口正史がいた。

翌1999年、QBの相次ぐ故障で先発に抜擢されるとワーナーはついに真価を発揮した。開幕から大暴れを見せてラムズは躍進スポーツイラストレイテッド誌の表紙を"Who IS this guy"のコピーとともに飾り、マイク・マルツコーディネーターはワーナーとラムズオフェンス陣のプレーを"フィールド上最高のショー"と評した。

シーズン通して4553ヤード、41TD、レーティング109.2の大活躍でMVPを獲得。13勝3敗の成績でチームはスーパーボウルに進出し、スーパーボウルレコードの414ヤードを投げ、テネシー・タイタンズを圧倒。スーパーボウルMVPを獲得した。

0888狭いコートで行われ、スピーディーなアリーナフットボールで培われた精密で捕りやすいパスを持ち、成功率は常に60%を超えていた。

翌シーズンは故障で11試合の出場に終わったものの、リーグトップのパス成功率67.7%を記録。1試合当たりのパスヤードは実に311.7ヤードに達した。

ワーナーの成長はとどまることを知らず、2001年にはすべてリーグトップの4830ヤード、36TD、成功率68.7%レーティング101.4を記録し、2回目のMVPを獲得。特に4830ヤードはダン・マリーノ、ドリュー・ブリーズに次ぐ歴代3位のレコードである。

その後は故障で出場機会を減らし、成績が悪化。先発を降ろされた揚句2003年シーズン終了後に解雇され、ニューヨーク・ジャイアンツに移籍した。

ジャイアンツでは当初先発で起用され、好調を維持していたが、後半戦に調子を落とし、イーライ・マニングに先発の座を奪われた。

翌シーズンはアリゾナ・カージナルスに移籍。カージナルスでは故障がちながらも持ち直し、2006年には77試合で20000ヤードを達成。マリーノの75試合に次ぐスピード記録であった。

その後もカージナルスの正QBとして君臨し、2008年には4583ヤード、30TDを投げて2001年以来のプロボウルに選出。2009年には契約ボーナスを含めて1900万ドルのサラリーを獲得した。

シーズン終了後に引退を表明。家族と過ごす時間がほしいというのが理由であった。通算パス成功率65.5%は歴代4位の大記録である。

時給5.5ドルのアルバイトがスーパーボウルMVPになり、1900万ドルの年俸を手にする。これ以上のアメリカンドリームはもうないのではないだろうか。

マーク・マルダー ~オークランドの大黒柱~

0852ハイスクールでは一塁手として活躍し、卒業時にはデトロイト・タイガースから55巡目で指名されたマルダーだったが、指名を断ってミシガン州立大学に進学した。

大学でピッチャーに転じ、チームMVPを2回受賞する活躍を見せ、1998年に全体2位でオークランド・アスレチックスに入団した。

マイナーで輝かしい成績を残し、2000年には22歳にしてメジャー初昇格。先発ローテーションに入り、防御率5.44ながら9勝10敗を記録した。

しかし、これはほんの小手調べで、2001年には最多勝となる21勝8敗、防御率3.45を記録。サイヤング賞の投票で2位に入った。

ムービングファストボールを軸に多彩な変化球を投げ込み、打たせて取る技巧派で、バリー・ジト、ティム・ハドソンとともに"BIG3"を結成。チームのプレーオフ進出に大きく貢献した。

翌シーズンも19勝を記録し、以後毎年2ケタ勝利を達成。MLBを代表する左腕となり、2003年、2004年にはオールスターにも選出された。

0851しかし、2004年シーズンの後半から不調に陥り、シーズン終了後にトレードでセントルイス・カージナルスに移籍した。

カージナルスでも移籍1年目から16勝8敗を記録。セントルイスでもその実力を存分に発揮するかに思われたが、故障がマルダーを襲った。

2006年に肩を痛めて6勝7敗に終わり、シーズン終了後に手術に踏み切ったが、術後の経過は思わしくなく、2007年はマイナーで開幕を迎えた。

シーズン終盤にメジャー復帰を果たしたものの、球速が130キロ台まで落ち込み、勝利を挙げられないままシーズンは終わった。

その後故障者リスト入りし、再起を図ったものの往時の投球が戻ることはなく、2010年に引退を表明した。

オークランドを沸かせた左腕は現在、解説者を務めている。

ミッチ・バーガー ~Cabadian Kick~

0793カナダで生まれ、ハイスクールではQBとして活躍する半面バスケットでも優秀で、両方でブリティッシュコロンビア代表に選ばれた。

テキサスのテイラー短大でパンターに転向し、その後コロラド大学に移ってプレー。1994年にドラフト6順目でフィラデルフィア・イーグルスに入団した。

イーグルスで5試合に出場し、25回のパントで951ヤードを記録したものの、シーズン途中にカットされた。

その後シンシナティ・ベンガルズ、シカゴ・ベアーズ、インディアナポリス・コルツ、グリーンベイ・パッカーズといずれもプラクティスで渡り歩き、1995年シーズン途中にベアーズのロースターに載ったものの、プレー機会はなかった。

1996年にミネソタ・バイキングスと契約。リーグワーストの2ブロックを喫したものの、88回のパントでリーグ7位の3616ヤードを記録。ようやく安住の地を得た。

193センチの長身と素早いキックが武器で、その後はブロックもなく、飛距離と正確性を兼ね備えた優秀なパンターとして活躍。

試合中にスニッカーズを食べ、飛距離を活かしてキックオフも蹴り、しばしばタッチバックさせた。

1999年には61回のパントで2769ヤードを記録し、リーグ2位の平均45.4ヤードをマーク。プロボウルに選出された。

2002年にセントルイス・ラムズに移籍。72回のパントで3020ヤードを記録し、1997年以来の3000ヤードを達成した。

シーズン終了後に今度はニューオーリンズ・セインツに移籍。2004年にはキャリアハイの85回のパントで3704ヤードを記録。2回目のプロボウルに選出された。

07942006年に腰の故障でシーズン全休し、シーズン終了後にアリゾナ・カージナルスに移籍した。

カージナルスでは5試合の出場に終わり、翌シーズンはピッツバーグ・スティーラーズに移籍。

スティーラーズで復活を果たし、66回のパントで2728ヤードを記録。さらにパンターでありながら5タックルを決めている。普通パンターやキッカーのタックルは大したものではないが、バーガーのそれはかなりのハードヒットである。

同年チームは第43回スーパーボウルに進出し、バーガーも3回のパントで139ヤードを記録。チームは古巣カージナルス相手に27-23で勝利し、チャンピオンリングを獲得した。

翌シーズンはデンバー・ブロンコスに移籍したものの、10試合しか出場できず、パント51回で2142ヤードと今一つだったため、シーズン終了後に解雇され、それ以降プレーしていない。

カナダ人でありながらフットボールを志し、試合中にスニッカーズを食べ、パンターでありながらキックオフを蹴り、ハードヒットをかました愛すべき個性派、バーガー。現在はバンクーバーでレストランとナイトクラブを経営している。
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