4大スポーツ選手列伝

MLB、NFL、NBA、NHLの4大スポーツの選手のエピソードを紹介していこうと思います

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ゲイリー・ロバーツ ~不屈のシューター~

06431984年に全体12位でカルガリー・フレームズに指名されたロバーツは、AHLで英才教育を受け、1986-1987シーズンにNHLデビュー。32試合で5ゴール、10アシストを記録した。

 

1988-1989シーズンにはプレーオフに進出し、22試合で12ポイントを記録。スタンレーカップを獲得した。

 

シュートの精度が非常に高く、1991-1992シーズンには自己最高の53ゴール、90ポイントを記録してオールスターに初選出。シュート成功率はリーグ最高の27%であった。

 

その後もスコアラーとして活躍したが、1994-1995シーズンに首を故障し、僅か8試合に出場に終わった。

 

翌シーズンの途中に復帰し、35試合で42ポイントを荒稼ぎ。リーグ最高のシュート成功率26.2%を記録し、カムバック賞にあたるビル・マスタートン祈念賞を受賞した。

 

しかし、首の故障を理由に引退を宣言。1996-1997シーズンはプレーしなかった。

 

しかし、シーズン終了後に復帰を宣言。まだフレームズが保有権を持っていたが、トレードでカロライナ・ハリケーンズに移籍した。

 

移籍後のポイントは50前後で推移するようになったが、シュートの精度は健在で、なんとしても得点がほしい場面では重宝された。

 

2000-2001シーズンからトロント・メープルリーフスに移籍。親友のジョー・ニューエンダイクとともに活躍したが、2002-2003シーズンに再び故障。14試合の出場に終わった。

 

しかし、翌シーズンには復活し、72試合で48ポイントを記録。37歳にして3回目のオールスターに選出された。

 

0644ロックアウト中は休養を取っていたが、ラクロスのプロリーグNLLからドラフト全体88位で指名を受けたが、プレーはしなかった。

 

ロックアウトが明けてからはフロリダ・パンサーズに移籍。さらに翌シーズン途中にピッツバーグ・ペンギンズに移籍。

 

この頃からついに衰え始め、2008-2009シーズンはタンパベイ・ライトニングに移籍し、同年限りで現役を引退した。

 

度重なる故障にもめげずに這いあがり、42歳になるまでプレーを続けたロバーツ。通算シュート成功率は18.4%に達する。

マイケル・ベイツ ~バルセロナから来た黒豹~

0381KRのビッグリターンは勝利に直接結び付く。30ヤード地点までリターンしたとすれば、労せずして1回ファーストダウンをとったようなものである。この10ヤードがチームに勢いと勝利をもたらすのだ。

 

さらにリターンTDなど決めようものなら、流れは完全に攻撃側のものである。

 

ベイツがどれだけパンサーズに勝利をもたらしたかは計り知れないものである。

 

高校時代から陸上とフットボールのヒーローだったベイツは、アリゾナ大学でもその両方をプレーした。

 

フットボールもさることながら、陸上は特にすばらしい成績を残し、200m走ではPAC10カンファレンスのチャンピオンで、400mリレーの選手として全米2位に輝いたこともある。

 

1992年にはバルセロナ五輪の200m走の予選に出場し、20.01の好タイムをマーク。バルセロナへの切符を手にした。

 

バルセロナでは20.38とタイムを落としたものの、他の選手のトラブルもあり、銅メダルを手にした。

 

同年のNFLドラフトでシアトル・シーホークスが6順目150位で指名。ベイラーはNFLの世界にも足を踏み入れた。

 

ベイツの世界的なスピードを生かすために用意されたポジションはKRであった。1年目から30リターンで603ヤード。平均20.1ヤードをリターンするなど、悪くない成績を残した。

 

しかし、1995年にクリーブランド・ブラウンズに移籍すると控えに回され、わずか9回のリターンで176ヤード、平均19.6ヤードに終わった。

 

だが、ベイツはその才能をまだフルに発揮していなかった。翌シーズンにカロライナ・パンサーズに移籍すると、その才能は一気に開花した。

 

33回のリターンで998ヤード、1TD、平均ヤードはなんと30.2を記録。オールプロとプロボウルに選出された。

 

0380翌シーズンは47回のリターンで自己最高の1480ヤード、平均27.3ヤードを記録。2年連続のプロボウルに選出された。

 

その後2000年まで5年連続でプロボウルに選出され、リーグを代表するKRとなった。1999年にはリーグ最多の2KRTDを記録している。

 

2001年にワシントン・レッドスキンズに移籍。26リターンで1150ヤード、平均23.5ヤードを記録したが、プロボウルには選ばれなかった。

 

翌シーズンにはジェッツとカウボーイズの2チームでプレーし、シーズン終了後に引退した。

 

KRで稼いだ9110ヤードは歴代6位の記録である。

 

スーパーボウルリングは流石に手にできなかったが、フットボーラーとして数多くの名誉を手にしたベイツ。1990年代のオールディゲートチームに選出されている。

ロド・ブリンダモア ~Rod The Bod~

0296ジュニア時代から攻守に安定した万能選手として名高かったブリンダモアは、1988年に全体9位でセントルイス・ブルースに指名された。

 

一旦は入団を見送ってミシガン州立大学に進学。発電ができるとまで言われた猛練習で力をつけ、1988-1989シーズンのプレーオフからシーズンに加入。初ゴールを決めた。

 

1989-1990シーズンは開幕から24試合で27ポイントを荒稼ぎし、結局79試合で61ポイントを記録し、オールルーキーに選ばれた。

 

守備に優れ、毎シーズン50ポイント以上を安定して稼ぎつづけ、”Rod The Bod”のニックネームを頂戴した。

 

1992-1993シーズンにフィラデルフィア・フライヤーズにトレード。1年目から人気選手となり、77ポイントを記録。守備での活躍も素晴らしく、オールスターに選出された。

 

その後も安定して活躍を続け、1999-2000シーズン途中に踵のけがの影響でカロライナ・ハリケーンズにトレード。しかし、フライヤーズで作った484試合連続出場はチーム記録である。

 

ハリケーンズでも安定感は抜群で、2001-2002シーズンにはスタンレーカップファイナルまで進出した。

 

2005-2006シーズンからキャプテンに就任。78試合で70ポイントを稼ぎ、プレーオフに進出。プレーオフでも23試合で12ポイントを稼ぎ、悲願のスタンレーカップを獲得。

 

守備はいよいよ円熟味を増し、最優秀守備的フォワードに贈られるセルケ賞を獲得した。

 

0297翌シーズンも78試合で82ポイントを稼ぎ、2年連続でセルケ賞を受賞。1000ポイントと400ゴールも達成した。

 

2007-2008シーズン後半に膝十字靭帯を故障し、その後シーズンを全休。しかし、翌シーズンには復活し、チームをカンファレンスファイナルまで導いた。

 

2010年にキャプテンを辞任し、同年限りで引退。1484試合出場は歴代18位の記録である。

 

とびぬけた成績を残すわけではないが、確実に結果を残し続けたブリンダモア。背番号17はハリケーンズの永久欠番である。

トム・バラッソ ~天才ゴーリー~

マサチューセッツの田舎町に生まれ、5歳からゴーリーをやっていたというバラッソ。

 

01931983年、全体5位でハイスクールから直接バッファロー・セイバーズに指名された。ゴーリーとしては史上唯一のことである。

 

1年目から42試合に出場し、2612敗を記録。18歳での勝利は42年ぶりの快挙で、新人王のカルダー記念賞と最優秀ゴーリーに与えられるヴェジーナ賞を同時受賞した。

 

1984-1985シーズンも54試合に出場し、2518敗、リーグ最高の5完封、防御率2.66を記録し、最少失点ゴーリーに与えられるウィリアム・M・ジェニングス賞を受賞。オールスターにも選出された。

 

1988-1989シーズン途中にピッツバーグ・ペンギンズにトレード。マリオ・ルミューを核とする強力オフェンス陣を擁するペンギンズのゴールを守り、44試合で1815敗を記録した。

 

翌シーズンはわずか24試合の出場に終わったものの、1990-1991シーズンに復活し、48試合で2716敗とし、プレーオフでも127敗、防御率2.60でチームのスタンレー・カップ獲得に大きく貢献した。

 

1991-1992シーズンはさらに成績を伸ばし、57試合で2522敗、プレーオフではNHLタイ記録となる11連勝、合計16勝を記録し、スタンレー・カップ連覇に大きく貢献した。

 

01941992-1993シーズンはキャリアハイで、63試合でリーグ最多勝となる4314敗を記録した。

 

しかし、その後は出場機会が減っていき、1994-1995シーズンにはわずか2試合の出場に終わった。

 

翌シーズンは49試合で2916敗と復調したものの、1996-1997シーズンには再び低迷し、5試合しか出場できなかった。

 

その後は復活したものの、1999-2000シーズン途中にオタワ・セネターズへ移籍。

 

さらにカロライナ・ハリケーンズ、トロント。メープリーフス、セントルイス・ブルースと移籍を繰り返した。

 

2002年にはソルトレイク五輪のアメリカ代表に選出され、チームの銀メダルに貢献した。

 

その後、ブルースで6試合出場したのを最後に、2002-2003シーズン限りで引退した。

 

若くして才能を開花させ、アメリカ人として最初に300勝を達成した天才ゴーリーバラッソ。現在はハリケーンズのアシスタントコーチを務めている。

マーチン・ジェリナス ~Eliminator~

1988年にロサンゼルス・キングスに全体7位で指名されたジェリナスだったが、その2ヶ月後にウェイン・グレツキー獲得のための超大型トレードでエドモントン・オイラーズへ移籍し、キングスではプレーしなかった。

 

01181988-1989シーズン当初はジュニアのQMJHLでプレーし、オイラーズに合流したのはシーズン終盤であった。

 

NHLでフルシーズンプレーしたのは1989-1990シーズンからで、46試合で26ポイントを記録。ジョー・マーフィー、アダム・グレーブスとともに“The Kid Line”と呼ばれた若いラインを結成し、チームのスタンレー・カップ獲得に貢献した。

 

1990-1991シーズンには20ゴール、40ポイントを記録。その後も地味ながらも活躍を続けたが、1993年にケベック・ノルディクスに移籍。さらにシーズン途中にバンクーバー・カナックスに移籍した。

 

カナックスでは33試合で16ポイントを記録し、チームのプレーオフファイナル進出に貢献した。

 

ジェリナスのベストシーズンは1996-1997シーズンで、35ゴール、68ポイントを記録し、シュート成功率は19.8%を記録した。

 

1997-1998シーズン途中にカロライナ・ハリケーンズに移籍。得点力は今一つながらも、キルプレーに滅法強く、すぐにチームなくてはならない重要な戦力となった。

 

2000-2001シーズンは52ポイントを記録。PK率はリーグ平均83.36%に対し、ハリケーンズは87.18%を記録し、チームのプレーオフ進出に大きく貢献。

 

2001-2002もプレーオフに進出し、ファイナルでデトロイト・レッドウィングスに敗れたものの、カンファレンスファイナルのトロント・メイプルリーフスとの第6戦でオーバータイムに決勝ゴールを決め、ファイナル進出を演出した。

 

シーズン終了後にカルガリー・フレームズにFAで加入。1年目から52ポイントを稼ぎ、チームの重要な得点源となった。

 

2003-2004シーズンにはプレーオフに進出。ジェリナスはこのプレーオフで3つもの決勝ゴールを決め、(そのうち2つはオーバータイムに)ファイナル進出の原動力となった。

 

あまりの勝負強さに、敵チームにとどめをさす“Eliminator(殺人鬼)”のニックネームがついた。

 

0117ロックアウトの間はスイスのリーグでプレーし、ロックアウトが明けてからはフロリダ・パンサーズと契約。

 

パンサーズではプレーオフには出られなかったものの、2年連続で40ポイントを記録。

 

2007-2008シーズンはナッシュビル・プレデターズでプレー。チームはファイナルまで進出したものの、ジェリナスはプレーオフには1試合も出場できなかった。

 

その後1シーズン再びスイスでプレーし、現役を引退した。

 

4つのチームでファイナルに出場した“エリミネーター”マーチン・ジェリナス。現在はプレデターズのディレクターを務めている。

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