哲学論文『コウモリであるとはどのようなことか』

この論文の本題は、
「コウモリにとって、コウモリであるとはどのようなことか」
ということだ。

人間という生物である限り、コウモリになることは出来ない。
同様にその逆も。

コウモリとヒトは同じ哺乳類であるが、同じ部分は少ない。

コウモリは目をほとんど使わず、超音波により反響する音で物体を捉える。
手は完全に退化(進化)しており、羽となっている。

だが、構造は哺乳類らしく完全に機能的な違いがあるだけで分解してみると一致する部分もある。

脱線したので、元の話に戻る。

つまり、『ヒトであるかぎり、コウモリの感覚は絶対に感じられない』
分析し、こうであると予想することは出来る。
だが、コウモリの脳でコウモリの体で、コウモリの世界を感じることはヒトには出来ない。


さて、リネージュではどうだろう?

エルフである私は、ウィザードの感覚はわからない。
wikiで魔法の種類、装備の良し悪し、立ち回りなどはわかる。
しかし、実際にウィザードをやってみていない以上は机上の話だ。


これはある意味では同じ事がいえる。

我々は同じゲームでプレイヤーという役割を持っているが、
種族が違うことにより、同じ感覚を持ち合わせていない。

我々は同じゲームで同じことをしているが、同じ感覚を感じているとは限らない。

まぁ、若干本題の意とはそぐわないが、そういうものだ。

ヒトですら、同じではない。
主観は主観でしかなく、他人に本当の意味で理解してもらうことは不可能だ。