ベーシストたけっちブログ

都内と横浜で活動するウッドベーシスト“たけっち”のブログです
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June 28, 2018

先日、ミカコさんの緊張気味で控え目なお誘いと、それとは対照的なリカさんの「来るべし!」という強めのお誘いを受けて、「ハフラ」という場にお邪魔しました。
ハフラは、ダンスを通じたホームパーティのような集まりで、ダンス仲間やその友人や家族達が見守る中、ダンスを披露するというもの。

透明な生き物
ダンスをされる方お一人お一人が、その踊るための曲を選ぶのですが、今回ミカコさんは、ピアニストのマユさんと僕が演奏したCD「Mayu Savant」から「Tranceparent Creatur(透明な生き物)」を選んでくれました。ミカコさんは普段から僕の活動を気にかけてくれていて、CDが発売されると真っ先に購入してくださり、真摯な感想を仰ってくれて、とても嬉しかった。それからミカコさんはさらに聴き込んでくれたらしく、渡嘉敷島の海を泳いでいた時に出会った半透明で光る「クダクラゲ」に出会ったというご自身の体験を重ねて、ハフラの会で「透明な生き物」で踊りたいと仰ってくれました。そして、旋回も重ねたいと。これもとても嬉しいことでした。

「透明な生き物」はマユさんの中で一番好きな曲です。クラシックの手法で自由な拍子のメロディが描かれ(2拍子や3拍子が混在している)、まるで揺らめく海のような伸び縮みするテンポ。そこにジャズの即興性(コントラバスのソロ)を織り交ぜました。マユさんと僕はクラシックとジャズの両方を演奏してきた経験があり、経歴が似ていて、お互いの音楽性が融合したオリジナルな演奏が出来たと思っています。




マユさん
マユさんのCDのタイトルを見ると「Mayu Savant」サヴァン症候群を患っています。見かけだけでは分かり難くい、ご自身が抱えている障害を名前に付けるということ。この先もずっと背負っている十字架のようなものを受け容れるということ。何という覚悟と勇気だろう。
今まで辛いことやどうにもできない無力感や悲しみなどたくさんあったと思う。それでも「生きていく」こと。

ここが落ち着くらしい

Mayu Savant
Mayu Savant
ネコミミレコード
2018-04-18




不思議なことがありました。マユさんのCD録音の当日、マユさんが僕を含めスタッフの皆さんが共有している掲示板に、まるで告白のような文章を書かれていたことに気付きました。「今までの治療や薬の影響で今後自分がいつまでピアノが弾けるのかわからない。それまでに自分の音楽を形にして記録に残したい。」
それを目にした時、不思議な力が僕の中に湧きました。何が何でもこのレコーディングはやり遂げなければ!そして具体的な行動に移し、不安な箇所がある曲には、あらかじめ何をやるかしっかり決めて曲として成立するようにし、take1でこなせるように準備をしました。
それは、この曲の弓で弾いているパートなどです。(実際に時間がなく1takeしか録音できなかった)



高橋:不幸とかネガティブのこととかがあると、人は力を失うけれども、ある極点を越えると、どうも「ギフト」と呼ぶしかないものが来るらしい。ぼくは病院で、「弱くてなんの力もない、面倒をかけるだけの存在の人たちが、なぜ横にいる我々に力を与えるのか、「弱さ」というものには何か秘密があるんじゃないか」と思ってこのことを探りたくなったんです。
高橋源一郎+辻信一「弱さの思想」


その人の弱さを目の当たりにした時に湧いたあの光のような力は何だったんだろう。。。
先日のライブでエレメントの話になって、僕のことを光のイメージだと仰ってくれたお客さんがいました。その発想は自分にはなくてとても驚いたのですが、考えてみると、チェロとコントラバスのように太陽と月のような関係。その楽器自体が発する光に惹かれている自分に気付きました。太陽の光の反射で光る月を見るのは心地良いものです。夜に月を通じて太陽の光を感じるということ。障害を持っている方はアウトサイダーと呼ばれたりしますが、それに接する僕自身がまるで蛍が自ら発するように光り、寄り添うことで何か見えるものがあるかもしれない。アウトとイン、陰と陽のバランス。色々な方々が手を取り合って助け合って生きられるよう、何事もバランスが大切なのかもしれません。そういえば最近、こんな絵を描きました。

太陽と月


弱さとは何だろう、健常てなんだろう、普通て何だろう。。。

この短期間で短時間の驚異的なレコーディング。後にマユさんは「私がやろうとすることを「できないよ」と誰も引き止める人はいなかった」僕も含め皆マユさんのことを信じていたんだと思います。
そんなマユさんとミカコさんが出会ったのは昨年11月のムジモンのライブの時だったと思います。僕が今いる地に引っ越した日の翌日でした。電車の乗り換えもあって人混みがきつい場所までわざわざマユさんは聴きに来てくれました。ミカコさんの唄に今まで感じたことのない日本語の歌詞の美しさを感じ、そしてミカコさんの人柄に魅かれるものがあり、その後、マユさんはミカコさんの農園を訪ねたそうです。

3人で



それぞれの光
ハフラではたくさんの方が踊っていました。皆さん個性的で素晴らしく、その方々ご自身のそれぞれが放つ「光」を感じました。それは太陽のようにカッと眩しかったり、優しくポワッと光るものなど様々なものでした。春分の日の旋回の会でシーアさんが教えてくれた、切り取られた葦の詩を思い出しました。地球上に生まれた僕達はそれぞれ役割というか生きる使命があるのだと。時に困難もありますが、それを一生かけて探していくのだと。

ミカコさんの踊り
後半になりミカコさんの出番となりました。
ミカコさんが放つ光は、儚い、切なく、どこか悲しみを帯びた、大地の底から湧き出る慈愛に満ちた光でした。指の間から砂が零れ落ちるように、儚い、一瞬一瞬の時間。腕を延ばし足を延ばし、こぼれ落ちる時間を追い駆けるカラダ。そして、冒頭のマユさんのピアノのアルペジオ。透明な生き物が海の中でぐるぐると揺らめくような旋律に合わせてミカコさんが旋回しました。「あーここか!」ハッとしました。音楽と舞が重なる瞬間。。。マユさんは残念ながらこの場にいらっしゃることが出来なかったのですが、遠く離れたマユさんとミカコさんが強く太い光でつながったような印象を受けました。「ああ、つながったんだ」と。。。マユさんにも見せたかった。。。
ミカコさんの踊りをちゃんと見たのは初めてでしたが、まるでミカコさんの唄を聴いているような、以前からこの踊りを知っているというような不思議な感覚でした。
「歌も踊りも草木染めも羊毛の糸紡ぎも農業も全てつながっているの」とミカコさんの言葉を思い出す。ああ、全てはつながっているんだと。
まるで広大な大地に生える草が風でそよぐような踊り。ミカコさんの普段の生活を感じました。そして、どこか切ない表情は、まだ人前で歌っていなかった頃の将来に対する不安など、昔の表情が走馬灯のように踊りの流れの軌跡に合わさり垣間見えていたのかもしれません。まさにミカコさんの人生を感じさせる踊りで、とても感動しました。何だかミカコさんの踊りには、悲しみを含めあらゆるものを大地へと還す「昇華」を感じました。

わたしは耕す
世界の足音が響くこの土を
・・・・・・・
原爆の死を、骸骨の冷たさを
血の滴を、幾億の人間の
人種や 国境を ここに砕いて
かなしみを腐敗させてゆく
わたしは
おろ おろと しびれた手で足もとの土を耕す
泥にまみれる いつか暗さの中にも延ばしてくる根に
すべての母体である この土壌に
ただ 耳をかたむける。

志樹逸馬「土壌」

ミカコさん

ミカコさんのSNSより拝借

そんな素敵なダンサーの方々を教えているリカさん。皆さんのやりたいことや個性を自然な形で引き出すレッスン。一人一人の踊りを見守るリカさんの大らかな優しい眼差しが印象的でした。素晴らしい会に誘っていただいてありがとうございました。
bamboobass at 23:37│Comments(0) Live日記 

June 23, 2018

コントラバスのルーツ巡りとバッハ#3

先日、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の小池香織さんのコンサートに行ってから、小池さんとのメールのやり取りが続き、何より小池さんは丁寧に応答してくださってくれて、「レンタル楽器もあるので、良かったらガンバのレッスンを受けてみませんか」と仰ってくださり、GWのムラバン韓国ツアーが終わり、旋回の会で将来のことを考え、気持ちも落ち着いたので、ガンバの体験レッスンを受けてきた。

レッスンでレンタルした楽器は6弦で、下からD-G-C-E-A-Dとなっている。4度が基準だが、真ん中だけCとEの3度になっていて、4度と3度の混合チューニングとなっている。
小池さんの楽器は7弦で、これはサント・コロンブが考察したもので、最低音のDからさらに4度下のAの弦が加えられている。コンサートでチューニングの様子を聴いたが、このA線の響きはまさにコントラバスに通じる気持ちの良い低音の響きだった。

チューニングは現代音楽の442Hzよりおよそ半音低い415Hzが通常で、「ヤング」という調律法が採用されていて、特殊なチューナーを使って合わせる。
弦はガット弦が使われており、フレットにもガットが張られていて、左指はフレットの真上を押さえる。なるほど、先日チェロの師匠が使用しているガット弦が張られたチェロを弾かせてもらったが、ガット弦だと音がこもりがちなので、音程をとるのがかなり難しいと感じた。こうやってフレットがあると左手の運指は随分と楽になると感じた。
弓はコントラバスと同様にアンダーハンドで持ち、中指を直接毛に当てて圧力をコントロールする。手首の返しがポイント。鏡を見ながらボーイングをしてみたが、弦と直角にするのがなかなか難しい。そしてアップボウが強拍となる。

すべての音域で倍音成分が豊かに鳴るので、ヴィオラ・ダ・ガンバは表現力の幅が広いと思います。
しかも、弓をアンダーハンドで持つから、弦を指先ではじくのと同じくらい弦に直接触れている感覚があります。
それによって、音の立ち上がりを細かく調整できるのです。
シンセサイザーで音作りするくらい楽しい感覚です。

中山真一
いにしへの音楽に魅せられて - ほぼ日刊イトイ新聞より


ガンバの楽譜も見せてもらった。最低音のDはチェロで言うところのC線で押さえるDの音と同じ位置ということがわかった。ゆっくり小池さんとお話することが出来て、とても充実した時間だった。

レッスンを続けるかどうかのお話になり、もしこれもやることになると三刀流になってしまうし、チェロはまだ基礎の部分が形になっていない状態。今の生活ペースを考えて、残念だがガンバについてはレッスンを続けるのは断念することにした。落ち着いたらまたレッスンを受けたいと思う。

ヴィオラダガンバ
bamboobass at 08:09│Comments(0) レッスンの記録 | ベースラインの研究

June 07, 2018

チェロレッスン第12回

バタバタ生活と体調不良もあって余裕がなく、10回目と11回目のレッスンは書き忘れてしまった。
前回のレッスンで、「そろそろちゃんと出来ないと!これは闘いなんだから」と、弓がずるっと滑り落ちたり、弦のあちこちを弾いてしまう癖を厳しく注意されてしまった。
楽譜見ながら弾いているとその癖が直らないから、バッハの無伴奏は暗譜して鏡を見ながらやりなさいと。
そして、バッハの無伴奏は、どの音符も同じ音量になっていて、まるでロックのダダダダというドラムの連打のようで、「ワタシハウチュウジンダ」と機械がしゃべっているような感じ。
「もっと抑揚を付けるように」とビルスマ先生の演奏を例に出し、4番プレリュードのただのアルペジオの配列が音楽的に演奏されていて、これは歌ではなく「語り」なんだと力説された。


「ああ、これはちゃんとやらなきゃいけない」やっと自分の本気モードのスイッチが入り、真剣に練習を始めた。ビルスマ先生の演奏を聴いて、自分なりに句読点の位置やダイナミクスや弓のスピードなどのメモを取ったり分析しながらの練習。鏡を見ながらボーイングのチェック。なるべく毎日楽器を弾くように努力を重ねた。

今回のレッスンでは緊張して弓がぶるぶるバウンドしてしまったが、今までの練習の甲斐もあってか、師匠もそれなりに評価してくださり、さらにもう一歩踏み込んだ内容を色々と教わることができた。

次の課題はA線のボーイング時の弓と腕の乗せ方と、一部暗譜間違いの箇所があったのでその見直しと、最後の和音の箇所の練習だ。

レッスン後は師匠が使っているガット弦が張られた5弦チェロを弾かせてもらった。
ガット弦の感触を初めて味わう。指に優しく、力も殆どいらない。
光の粒のようなパチパチといった音、樹のようなおおらかで柔らかい音。豊穣な音色が目の前に拡がる。
但し、音色がこもる感じなので音程をとるのが難しく、弓の圧力を掛けるコントロールもよりシビアになる。大きな音、派手な音楽とは程遠く、どちらかというと素朴な音色だ。今自分がいる身の回りの文化と合わせて色々と考えてしまう。

今思い出しけど、僕がバッハの無伴奏チェロ組曲を初めて聴いたのが「真夏の夜のジャズ」という映画で、チコ・ハミルトン・グループのチェリストのFred Katzが上半身裸でホテルの一室で煙草をくわえながら1番のプレリュードを弾いてる場面だった。とても衝撃を受けて、耳コピーしたっけ。


bamboobass at 21:39│Comments(0) チェロ | レッスンの記録

April 17, 2018

会話としてのバッハ

カフェムリウイ「会話としてのバッハ」お越しくださいました皆様ありがとうございました。曲の中やライヴ全体のどこかで「必ず盛り上げなくては!」という強迫観念から脱することが出来た昨日でした。音量ではない何かを受け取ってくださったお客さんという名の共演者に感謝でございます!

演奏家は得てして、突き進みがちで押しがちで言い過ぎる面がある、というのは自分の話。何かしてやろう!上手に弾いてやろう!という気持ちで向かっていた頃は心身ともに消耗していたけれど、何をして何をしないか、「しないこと」を見つける面白さがあって、それは即興で知ったのだった☆

「本番というステージ上での過ごし方」大きな意味でも、たった1小節の中でも重要になってくるということを実感しています。即興を始めてよりバッハが近づいたという不思議。自分という存在ではなく音楽を外に発信する、これは常に共演者と話題になります。同じ会場で演奏すると自分の変化もわかる。続

五十嵐あさか

祖師ケ谷大蔵 Cafe MURIWUI 「会話としてのバッハ」
五十嵐あさか (5弦チェロ)
寺前浩之 (テナーギター, バンドリン)


仕事後にダッシュで何とか間に合った。チェロの師匠のライブへ。祖師ヶ谷大蔵初上陸。

一部で寺前さんはバッハの無伴奏チェロ組曲第3番を、五十嵐さんは第5番をそれぞれ演奏。
演奏前のMCで寺前さんが「独り言のようなバッハ」と仰っていたのが印象に残る。
寺前さんはテナーギターで演奏。チューニングはチェロと同じ5度調弦に聴こえた。
五十嵐さんはアルゼンチンの職人さんに作ってもらったという5弦チェロで、弦はガット弦。サイズもコンパクトで、左手の開きの間隔も最小限になるような指板のサイズで、指への負担が掛からないようになっている。

素朴で小音量。自然体の演奏で美しかった。内なる対話というか、まるで空の上にいるバッハに誠実に語りかけてるような雰囲気。バッハは色々な解釈が出来るけど、ビルスマ先生を聴いてホッとする感覚に近い。

5番ではA線をGに下げるよう指示がある。もともと5番や6番の変則的なチューニングの曲を弾くために5弦チェロを求めたとのこと。
五十嵐さんの演奏を聴いて、5番でチューニングを下げる意味が1つわかったかもしれない。
コントラバスはソロ曲をやる場合、ソロ弦を張ってチューニングを1音上げるけど、それと表裏の意味で、楽器の本来の特性を封印し、その楽器の別の顔を見せるということなのかなと思った。
チェロ本来の明るい響きが背後に潜み、まるでコントラバスのようなダークな雰囲気を醸し出していた。

バッハを演奏することは、どんどん私というものが消えて楽譜そのものに、音そのものになっていくことなのかもしれないと思った。瞑想状態に近いというか。。
逆に先日エアジンのバッハ祭りで聴いた、どちらかというとジャズマンのバッハは、「こうやってやる」という邪心というか、バッハが単なる即興の題材になっていて、そこに違和感を感じていたのかもしれない。

今はどこにいても絶えず音楽が流れてるし、情報過多で過剰で頭や身体が休まらないというのを感じる。今回のような演奏、身体に優しいガット弦、力を抜いた自然な無理ない奏法、小音量、寺前さんが仰っていたような独り言のようなとつとつとしたバッハ、聴いてて安心するのはそこかもしれない。

2部は以下のようなバラエティ豊かなプログラムだった。(順不動)
特にパスコアールの楽しい超絶曲を五十嵐さんはチェロと一緒に少女のようにスキャットしていたのが印象的。知らなかったがどれも良い曲。参考にyoutubeの動画を貼り付けておきます。

バッハ:フルートソナタ BWV 1034よりAndante
ファリャ:「7つのスペイン民謡」よりNana、Cancion
ギンガ:Senhorinha
ジスモンチ:Agua & Vinho
パスコアール:Sao Jorge
(アンコール)
スコットランド民謡(ブリテン編):O Waly, Waly

帰り道で誘惑に負けた。定番の唐揚げ定食。ビールの大ジョッキが思ったより大きかった。

からあげ定食美味し!

ビール














bamboobass at 22:45│Comments(0) Live日記 | チェロ

April 15, 2018

わのおと 初ライブ

昨日は愛川町で開催された菜の花まつりで、スズキミカコさんとのデュオユニット「わのおと」の初ライブでした。
当初、ベースで予定してましたが、今回は屋外ということもあり、明るいチェロの方が音色がよく通り、歌も音程が取りやすいかもしれないと思いチェロを選択。
でも、歌とチェロのデュオってあまりやっている人がいなくて、どんなサウンドになるのか自分達も分らずハラハラドキドキ。ムジモンで初めてチェロを持ち込んだ頃を思い出しました。
それでも、ミカコさんとはいつかデュオで演奏したいと思っていて、今回僕にお声を掛けてくださったこと、その夢が叶い嬉しく感謝でいっぱいな気持ちになりました。
ミカコさんはムジモンのメンバーとそれぞれデュオユニットを組んでいて、秋山さんとは「コムジモン」、みわこさんとは「羊豆」ムジモンのメンバーはそれぞれ仲良く、音楽性もぴったりです。
渋谷毅さんが松本治さん、石渡明廣さん、故川端民生さんなど、自身のオーケストラのメンバーとそれぞれデュオで出しているCDを思い出しました。

ミカコさんとの初リハで、音楽のコンセプトを色々と話し込みました。僕がいとうせいこうさんの小説「想像ラジオ」で知った、樹はその「年輪」に生と死を抱えて生きているという話、木から仏像を彫り出し村の人達に配った「円空」さんというお坊さんのお話、古澤良治郎さんがやっていたバンド「ね」にあやかり、「わ」の響きっていいよねとか、
齋藤徹さんのSNSの投稿で知ったミルトン・ナシメントの名曲をただただストレートにシンプルに演奏しているゼリア・ダンカンとジャキスさんのデュオの素晴らしい演奏のこと、
https://www.youtube.com/watch?v=Ax1c0w0P5As
先日亡くなられた作家の石牟礼道子さんや南方熊楠のお話、
めぐりめぐるもの、循環、空を回る鳥の旋回、丸いもの、円。。。
そんなことをイメージしてユニット名を「わのおと」としました。
この「わ」には「和」や「輪」や色々な文字が当てはまるようになっています。

会場は黄色い菜の花が眩しいくらいに咲いていて、普段遠くで見ていた山々がすぐ近くにあり、空が広く、風に乗って流れる雲を一層強く感じました。
ライブの冒頭はバッハの無伴奏チェロ組曲第1番からプレリュードを演奏し、僕のオリジナルvoice of the sunにつなげました。このアイデアは3日前に閃きました。バッハの曲ではボーイングが入れ替わってしまったり焦りましたが、何とか演奏。途中、ミカコさんが鈴を鳴らしたり、鳥の声を模倣してくれたり、それが新鮮で嬉しかった。それにしても、この大自然の中、あの有名なバッハの曲の最初の一音を弾くのにかなり勇気が要りました。でも、潔く勇気を持って演奏できて良かった。自然の気配を感じて、自ずから音の振動・空気を自然に向かって還す行為というか。とても気持ち良かったです。自分よりとても大きい、大いなるものに見守られている感覚。貴重な経験になりました。

僕の技術不足もあり、ギターやピアノのようにはいかず、どうしても間が出来て歌がアカペラ状態になってしまうのが気になっていましたが、ミカコさんはその間に鳥や風や自然の声を感じることができると仰っていて、その間というのは決してマイナスな考えではなく、むしろ「沈黙」というものを引き立たせるものなのだと。自分達が紡ぐ音も自然の一部だということ。大きな気づきでした。

別名「雨乞いの唄」と呼ばれているvoice of the sunを演奏した後、僕の頭上に雨がポツポツと数滴落ちて焦りましたが、何とか天気は持ちこたえてくれました。いやーびっくりした。

山の麓にある愛川町のお祭りは今回で9回目とのことでした。
地元の職人さん達が演奏するためのステージを作ってくださったり、また解体の早いこと!こうやって人々が交流する「場」を創ることってすごいことですね。僕も色々な方々とお話できたり、ここには都会にはない人々の温かい温度を感じました。やまやま農園ブース隣の「terra」さんのRさん、Sさんとも色々とお話ができ、「ふんぱん」という無漂白のネル布に麻炭染めした身体に優しいパンツを購入。普段、ゴム紐など締め付けの強い下着の影響に悩んでいました。効果が楽しみです!

地元に戻り、相模川で旋回する鳥や渡り鳥が飛んでいく広い空を見ながらのんびり打ち上げしました。夜には伊勢原で行われている花火の音が聞こえ、それを肴に家でのんびり呑みました。
あっという間の楽しい1日で、普段の疲れや気持ちがリセットされました。
帰り際にミカコさんが仰ってくれた青山俊董さんの「天地いっぱいに生きる」という言葉。とても印象に残ってます。忙しくてもそれに呑みこまれないで、気持ちを入れ替えながら精一杯生きること。それにあやかり、今日の演奏は「天地いっぱいに弾く」ということへの第一歩になったかな。
お越しくださった皆様、菜の花まつりの皆様、ありがとうございました。

わのおと


わのおと
bamboobass at 13:06│Comments(0) Live日記