ベーシストたけっちブログ

都内と横浜で活動するウッドベーシスト“たけっち”のブログです
Copyright © bamboobass All Rights Reserved.

December 28, 2022

クリスマスコンサート

風が発生する源のように、音楽の源のようなものを、林晶彦さんの「永遠の飛翔への四重奏曲」からしっかりと感じたのだ。沈黙の穴からは強風が吹き乱れていて、その中に吸い込まれて、その時に音楽と僕とが一体となり深く繋がれた瞬間があった。
心をグッとつかまれて、もうそこから周りの光景や物音は消えていて、僕とそこで奏でられている音楽との一対一の関係になったように感じた。
そんな林さんと、やっとのことでクリスマスに共演することが出来た。コロナとか僕の療養とかがあって2年越しの夢の実現だった。今まで生きていて良かった。
そして、お客さん全員の顔が見渡せる小さな場所で、生音でコントラバスを響かせたい、という夢も実現したのだった。まるで、見えないクリスマスプレゼントを贈ってもらったかのよう。

カッチーニのアヴェ・マリアは、池松宏さんの「5つのアヴェマリア」に入っている曲で、いつかやりたかった曲。

5つのアヴェマリア
池松宏
Dreamusic
2005-11-23



本番前日に思いついたアイデア(アーメンコードの内声で弓のスピードを速くする)を入れてみた。
お客さんでいらしたSさんは涙が出たと仰ってくださった。曲と場の力にも助けられた。


極度の不幸は、肉体的な苦痛、魂の悩み、そして社会的な剥奪を意味するけれども、すべてにおいて同時に、釘なのだ。その尖端が魂のまさに中心にあてられており、空間と時間の全体をつうじて拡がっている、すべての必然性であるような頭を持った、釘なのだ。
大江健三郎「燃えあがる緑の木」より


完璧なものなんて忘れてしまえ
どんなものにも裂け目というものがある
そこから光が射し込んでくるんだ

Leonard Cohen「Anthem」より


今は困難が多く、影の部分が濃くても、未来に射す光は強いと信じたい。
そして、運命の釘によって、肉体と魂がひび割れて苦痛が生じているけれど、その裂け目から光が溢れてくると信じたい。そうやってSさんのために祈りたい。


林さんとの完全即興では、言葉を離れ、全身が耳になり、やがて音そのものになって、海の中で戯れる魚のようになった。
彼方からやってくる音が身体に宿ってくる感覚。


こんな時代だが、私達は、音になることができる。演奏している時、聴いている時、どちらでも・・・、私達は自分達の厳しい人生を、一時忘れることができる。音そのものに、なることができる。音を追っていると、無我になることがあるだろう?・・・つまり私達は、自らの存在を、一時だけ、美しい音符に変えることができるんだ。ワタシタチガ、ドレダケ、ミニククテモ。・・・これは苦しい世の中の、神の贈物だ。私はそう思う。
中村文則「逃亡者」より


急遽演奏された林さん作曲「Song for Viska」
残念ながらハイビスカスの木は最近枯れてしまったらしい。悲しいことだが、木の精霊は、多くの方々の愛情や音を吸い込んで生きてきて、林さんに最後の歌を託し、昇天されたのだろう。



場の響きの良さに改めて驚愕。音の深みも増し、場もひとつの楽器となっていた。
壁際で演奏したからか、音がエンドピンを伝って垂直に立ち上がってきて、自分が楽器と合わさり、音の水を吸い上げる樹になったように感じた。その立ち上がってくる水の他に、昇天したハイビスカスの精霊、お客さんや家や大地の記憶、そういった目に見えない様々なものが織り交ざっていたのかもしれない。
「Song for Viska」の楽譜には、大江健三郎さんがイェーツの詩から引用した「燃えあがる緑の木」という言葉が書いてある。炎と水という相反するものが内面に共存する樹を連想する。


梢の枝から半ばはすべてきらめく炎であり/半ばはすべて緑の/露に濡れた豊かな茂りである一本の樹木/半ばは半ばながら景観のすべてである。/そして半ばが新しくしたものを半ばがついやしてしまう。/凝視する怒りと 盲目の茂る葉との間にアッティスの像をかける者は/自分の知っているところを知らぬかもしれないが、悲しみも知らぬだろう。
大江健三郎「燃えあがる緑の木」よりイェーツの詩


アンコールで、この場にいる全ての方々に感謝を捧げたいということで演奏された林さんのピアノソロ「平和・喜び・愛」
ピアノソロアルバム「ランドスケープ 〜音の風景〜」に収録曲。このアルバムは、北欧や冬の雰囲気を感じられて好きだ。



曲名には、あたたかな言葉が並ぶが、曲調は逆に、流氷の浮かぶ海のような極寒の冬景色や、悲しみ、これから自分の音楽を創って生きていく、という厳しい覚悟のようなものを感じさせ、春を待ち望む冬のような曲調。曲名にある言葉と、音楽が、鏡のように反転しているからこそ、沈黙の奥底に沈む林さんの広大な内面を感じる。まるで、音で描かれた自画像のようだ。


私は北国が雪と氷に蔽われ、寒風の吹きすさぶ姿を、いっそう北国らしい姿であると見るのだが、私の描いた雪は春を待つ雪であった場合が多い。
北方の極は死の世界ではないだろうか。その死の意味は、生命と、愛との対極としてである。私はこの書で、いま、はじめて愛という言葉を使った。死の認識によって、生の映像を見た私であることを、この書の冒頭に書いたが、愛もまた、死の認識によって、その対立者としての姿を鮮烈にするものではないだろうか。
(中略)
それから北欧の旅で、到るところの人々が、あのように生活を愛し、他人にも親切であるのは、やはり冬が長く、きびしく、人間の生活にとって苛酷な、寒さと乏しさの自然環境があるためではないだろうかと感じた。コペンハーゲン郊外の海辺沿いの道で、白い壁に緑の窓、立葵や薔薇が見事に咲いている小さな土産品屋の店へ入った時、
「あなた方は本当に花が好きですね」と、その主婦に云うと、
「ここでは冬が寒くて、長いからですよ。だから私達は、せめて短い夏の間に、こうしてみんな花を咲かせて楽しむのです」と答えながら私の買物を包んでくれた。

東山魁夷「風景との対話」より


最後の和音が響くと、ちょうど夕陽が窓辺に射してきた。神々しい光だった。
妻によると、演奏会中に近くの木に段々と小鳥が集まってきたという。

打ち上げも楽しかった。未来の希望に繋がる話題も出た。最後は皆さんで「きよしこの夜」を歌ってお開き。妻は今年で一番笑った最高に幸せな日だと言ってくれた。帰りは妻とささやかに国分寺の中華料理屋さんで打ち上げ。

林さん、智子さん、和成さん、芯のある素晴らしいフルートの演奏をしてくださった益子さん、お越しくださった皆様、サポートしてくれた妻、ありがとうございました。

林さん


林さん直筆のプログラム
bamboobass at 21:57│Comments(0) 林晶彦 

December 15, 2022

ハンバート ハンバート ツアー2022「私たちはしぶとく歌う」@神奈川県民ホール

妻の影響でハンバートハンバートを聴くようになった。先日は神奈川県民ホールで行われたライブに行くことができた。長年のファンだった妻も、初めて生で見るパフォーマンスにとても感動しているようだった。
県民ホールの小ホールでは、楽団で何度か演奏したけど、大ホールは、高校生のブラバンの県大会での演奏、Tスクエアや、マーカス・ミラーのライブに行った時以来だから、20年以上振り。大きなホールならではの身体に響く大音量は久しぶりの感覚だ。
バックのサポートメンバーに、キーボードのエマーソン北村さんと、ドラムの則武さんが入っていたことにびっくり。テンションが上がった。

遊穂さんの透き通ったボーカルとハーモニカ、良成さんは低音のコーラスや、ギターだけでなく、フィドル、バンジョーまで操るマルチぶり。やっぱり男女デュオのハモリのハーモニーは気持ち良い。
MCも、庭tubeを彷彿させるもので、普段の生活感が出ていてユーモア満載。

夫婦デュオでもあるけれど、例えば「君の味方」で「僕は君が好き」とストレートに歌われる歌詞のように、長年夫婦でいると恥ずかしくで言えない、付き合っていた頃の初心で純粋な気持ちを言葉にして歌うことで、夫婦としての見えない証明書のようなものを更新しているんだなと思った。夫婦として円満に平和で楽しく長続きするポイントはここにあるかもしれない。吃音の人は歌を歌うとどもらないと言うけれど、「僕は君が好き」という、改めて面と向かって言うのも恥ずかしい純粋な言葉も、歌に載せれば、すんなりと伝えることが出来るかもしれない。
そんな風に、これからの自分達の夫婦生活について、先輩夫婦の姿を見ながら考えた(笑)
うちの妻はいつも楽しく歌って踊っているけど、、、僕もたまには歌って踊ろう(笑)

そして、シンプルでストレートな歌詞は、生で体験するとググっと心と身体に迫ってくるものがあり、自然と涙ぐみそうになった。
時々サポートメンバーが抜けてデュオによる演奏も、プログラムのメリハリがあって、音の隅々までじっくりと聴くことが出来て良かった。

お客さんも小さな子供連れのご家族の方々が多かった。曲間では小さなお子さんの声が響いていて、大ホールが笑いと和みのある場になっていた。老若男女の幅広い世代が楽しめる音楽だと思う。

楽しかったし、妻とも話していたけど、生で聴いてますます好きになった。

帰りは横浜中華街でご飯を食べた。店員さんがせっかちで異文化満載で面白かったな。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
以下は印象に残った曲の勝手なレビュー。

今週末に向けてハンバートハンバートを聴いているけど、特に歌詞が凄くて独自な世界観だ。
MVの「岬」を見ていて思ったのは、歌う時は無表情で、感情は最小限に抑えられているようで、まるで他人の曲を歌っているかのような距離感がある。その身体はただの媒体となっている。だからこそ曲が持っている世界観や歌詞がストレートに伝わってくるのだろう。

例えば「私のマサラ」では、「死ぬ」という一般的にはネガティブな言葉を明るいメロディにのせて歌うという独自のブルース感がある。

私のマサラ

私の心の中には
小さな花がひとつ
生きてる間は毎日
お水をあげるのよ

死ぬときゃ皆おなじだよ
ひとりぼっちでいくのさ
死ぬときゃどんな言葉も
私にゃ届かない


「歌え 踊れ 今日は葬式」と歌われる「大宴会」では、明るく行進するニューオリンズの葬式を思い出す。ライブでは後半にエマーソンさんのオルガンが入ってゴスペルぽかった。ほんとオリジナルで一民族的な世界観。







最新アルバムは「丈夫な私たち」だけど、このような曲を歌うには「丈夫な」精神と身体がないといけない


「ふたつの星」
妻お薦めの曲だけど、聴いていて毎回泣きそうになる。
「名前も記憶もなくなって/ぼくはただぼくになっていた」これって魂とか「いのち」のことかな。

最後の歌詞は宮沢賢治とかタルコフスキーのような犠牲の世界観を感じる。




「旅立ちの季節」
「雲間から光の筋/この雨もじき止むだろう」
先日の長野の帰りの新幹線で見た夕陽、きれいだったな。
悲しいことも辛いこともくじけることもあるけど、「やれるだけやりきったら食べて寝る」だな。
途中のクラシカルなバスのラインがかっこいい。




「うちのお母さん」
世話好きで包容力あるお母さんが歌われる。
これって「丈夫」そのものだよな。今気付いたけど、「丈夫」に「大」を加えると「大丈夫」か。
明るいカントリー調のフィドル。
ライブではこの曲がオープニングかな?(ビンゴ!)



↓このアルバムはバンドっぽくて好き。
ライブで「メッセージ」ではサポートメンバーのソロ回しがあって、則武さんの超絶ドラム、クリスマスの曲とか引用しちゃうエマーソンさんのソロがすごかったな。






bamboobass at 11:13│Comments(0) Live日記 

December 08, 2022

色川武大「うらおもて人生録」から

頭木弘樹さんのスペースで福ちゃんの奥さんが色川武大「うらおもて人生録」を推していた。手元にあったので、久しぶりに読み返してみた。
色川さんの優しい語り口と、和田誠さんのイラストが良い。
今の自分の状況に当てはまるところが多々あった。




うらおもて人生録(新潮文庫)
色川武大
新潮社
2022-11-25




●予選から再スタートを切る。
 最低のところでもいいからまずスタートしよう。

●やたらあせって階段を二、三段ずつ駆けあがるのは、つまずいて転ぶもとだ。(フォームが崩れる)
 とにかく一段ずつ、少しずつ昇っていきたい。ただし、動きを停めないように。一ヵ所に淀まないように。(そのかわり、絶対にあともどりしないこと。)
 けっして先をいそがない。
 本当に実力がつくまでそこで辛抱している必要があるんだな。

●会社はどんどん移ってしまおう、ひとつの会社に最高半年まで。
 根が生えないようにどんどん移っていって、いつのまにか少しずつ浮上していこう。

●一気にかなり後方までさがっちゃう。それでもう大分前に卒業したつもりの、自分にとって易しいと思えることをまたやってみるんだ。
 うんと弱いクラスと小さなレートでやるんだ。自分が楽して勝てるようなクラスと。
 そこで勝つ味をまた思い出すんだ。以前のフォームをとり戻し、自信がついたところで、ファームから一軍にまた戻る。

●欠点があるからこそ長所が生きてくるわけなんだからね。
 で、考えてマイナスを消そうとすると、長所も消えてしまうんだな。

★今のバイトは二軍クラス。でも、社会復帰に向けて良いリハビリになっていると思う。
 商品の仕分けなど、新たな業務も増えてきた。ここで勝つ味を思い出して、一軍のCAD設計の業務に戻るんだ。

★良いなと思った会社は書類選考で落ちてしまった。今の症状でいきなり通勤1時間の所でフルタイムで働くのは難しい。階段を飛ばして昇るな!という戒めかも。
今の工場のバイトは最低のところだが、動きを停めないように週三ペースで一ヶ月続けてこれた。
先日は日帰りで長野に行けたし、バイトのおかげで体力は付いていると思う。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
●負ける(恥をかいとく)
 自分の能力を、職場ですっと受け入れてもらうために、適当な負け星をひろっておくんだな。

●ユーモアというのも受け身の一つなんだ。
 ユーモアという言葉は英語のヒューマーから来ているんだろうから、人間的なとか、人間らしい、とかいう冠詞のつく行為なんだね。
 人間とは愚かしく不格好なものなり、という定義があれば、愚かさや不格好さも、人間らしい点になるわけだね。
 自分の中にもある愚かさや、不格好さを、ユーモラスなものに転化していかせる必要があるんだ。(柔道でいう受け身)

★ユーモア交えて、アトピーなんです、あはは、と言えるかどうか。


−−−−−−−−−−−−−−−−−
●ここが自分の安住の地だ、もうこれでいいんだ、と思ったら、俺なんかなまけ者だから、なんにもしなくなるからね。
 いつも背水の陣みたいな条件を自分に課していた方がいい。
 むりにでも引っ越しする、いつもどこかで、自分を張りつめさせることは必要だよ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
●作用と反作用というのがある。作用と反作用という反対の力の矢印が、かならずワンセットになっているのね。
●進むエネルギーと、退る(さがる)知恵、これがうまくバランスとれたときに、ワンサイクルで燃えつきない持続の姿勢がとれるんだな。
 とにかく、ワンサイクルで終わったんでは駄目なんだな。物事というものは自然エネルギーにまかせると、あっというまに終わっちまうものなんだ。そこをなんとか、だましだまし、ひきのばしていかなきゃならない。
●いったんバックして(助走をつける)いくらかやさしい地点からまた再スタートすると、楽に道がひらけたのかもしれないんだけれど。

★アトピーの症状が良くなったと思ったら悪化した。バックしてから再スタートするところがある。
 病気という炎にワンサイクルで燃え尽きない、病気を治す持続的なエネルギーができる。
 良くなると悪くなるは表裏でセットになっている。自分の症状の変化に一喜一憂しない。長期的で持続的な思考を持つ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
●ゴールまで完走するには、途中で他の相手にまきこまれてペースを乱さないことなんだな。
 試験だって、一夜漬けよりも、平生の努力をしている人の方が、結局は強いだろう。
 職場ととけあいながら自分では自分のペースで動けている、という自覚があったら、まァ大丈夫だね。

●大事なときに、チャランポラン(リラックス)になれる能力。
 自然にゆとりができていて、当人はリラックスしていても、珠の威力はふだんより落ちないんだ。

★工場のバイトで大勢でやるBYの箱詰め作業は自分のペースで出来ないが、呼吸を意識したりして、その中でもなんとか自分のペースを保つようにしている。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
●一病息炎という言葉があるね。あれも、一種のバランス志向の言葉なんだろうね。まるっきり健康な人よりも、ひとつ病気を持っている人の方が、身体を大事にするので、かえって長生きする、というわけだ。
 健康のことじゃなくて、生き方のうえでも、そういうことがいえるんじゃないかなァ。
 ひとつ、どこか、生きるうえで不便な、生きにくいという部分を守り育てていく。
 とにかくあまり流暢(すらすらと)に生きようとしないことだね。
 生きにくくてなやむくらいでちょうどいい。欠点はまた裏返せば武器にもなる。ただし、その欠点をきちんと自分でつかんで飼っていないとね。

★欠点を飼うという表現が面白い。まるで自分の中にいる動物を飼うような。
 決まったものしか食べれない糖質制限、生きにくいけど、飼っていこう。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
●はんぱ人間なんだから、完全人間の誇りは捨てることだね。その一病に関して、他者から軽くあつかわれても、怒っちゃいけない。甘んじて、その軽蔑を受けること。
 一病は、うわっと陽気に認めちゃうんだ。
 とにかく、欠点が陰気になってしまってはいけない。だらしなさに関して明るくふっきれること。
 笑えるものであればなおいい。
bamboobass at 15:18│Comments(0)  

November 29, 2022

復活ライブ

内輪のイベントだけど、一年ぶりにフルのライブでベースが弾けた。復活できた。
右指はちょっと血豆ができて痛いけど、左手は大丈夫そうだ。日頃のバッハの練習のおかげかな。
アドリブになると、音程とか頭の中で旋律組み立てるのが難しい。。

昔コピーしたポールチェンバースのソロをそのまま弾いたり、ハイポジションの練習になるから1オクターブ上げて弾いたりして練習してた。
あと、チェンバースのウォーキングベースラインの組み立て方は凄い。

ライブのアフターの話題であったけど、旋律を上昇させたい時って、何々音階とか理論以前に自分のパッションが大事だよな。

頭の中で浮かんだフレーズを現在の音にしていく。
未来の自分と追い駆けっこしている感覚がある。
浮かぶのは、はっきりしたフレーズじゃない時もある。抽象的な漠然としたイメージの塊のようなもの。実際に音にしてみて、それが自分のイメージに近かったら嬉しくなる。
どれも自分の「うた」なんだ。

ソロの時は、楽譜の奥にある音楽と自分が一対一で向き合っている。孤独な営み。
でも、共演者やお客さんの眼差しを、あたたかい気配のようなものとして身体で感じている。
ああ、生きているんだなぁ、という感覚。

過去にやった曲が現在に更新される。古い細胞が死んで新しい細胞が生まれるみたいな感覚。そういった意味では単なる反復ではない。曲が毎秒毎秒生まれ変わっているわけだ。
ゴルさんとの20年間をしみじみ感じた。

金持ちで家を持ってるとか、部長とか主任とか、普段の仕事とか、各々が抱えている立場も、一緒に演奏していると溶けていく。音楽の中では平等になる。赤子に戻ったようなゼロの感覚。

あの時があったから今がある。という過去の解釈も、しばらく時間が経たないとわからない。

僕の左親指の爪は、おそらくステロイドの副作用で壊死している。見た目はギョッとするような感じだろう。
運指の話題になった時に、自分の指を見せることになって、バレないか緊張した。お皿を持つ時も親指が上になるので気になる。
ベースでローポジションを弾いている時は親指が隠れるから安心する。

左親指の爪が
すべての指の犠牲となった

薬の副作用を飲み込んだ爪は
黄色く膨らみ
鳥の嘴のように開き
そこから海の臭いがした

土のように固まった瘡蓋の上を
白い泥水が流れ広がっていく
爪は生えるよではなく
沸き上がるんだ

母の胎内で育まれた爪よ
さようなら
43年間この世界と共に生きた爪よ
ありがとう

爪よ
海鳥のように飛んでいけ

bamboobass at 17:16│Comments(0) Live日記 

November 24, 2022

カルラトリオライブ@大磯

やまやまの兄弟バンド?カルラトリオのライブへ。
皆さん優しくて嬉しかった。

「醪」という曲では、脳内が解れて眠くなってしまった。こんなにリラックスしたのは久しぶりだ。帰りの電車でも少しウトウト。寝床でもループしてて、不眠症気味の自分にとっては久しぶりに少し眠れたかな。最近、気持ちが張ってたな。もう少し気楽にいこうよというメッセージだな。
「蓮の花」という曲では、下北沢のライブで踊っていたリカさんの魂みたいなものをしっかりと感じた。霊的で壮大な力を持った曲。大病で苦労されているが、ご自身の「今」を踊りたいと言っていたリカさん。とても励まされた。





カルラトリオの音楽を聴いて、自分の中に眠るジャパニーズソウルみないなものを感じた。
新曲「月の綺麗な夜に」では、子供の頃の近所の公園でやっていた盆踊りとか屋台とか祭りの記憶が蘇った。

もりぶさんの子供番組のお兄さんもびっくりな完璧な振付でのOke,Rapも圧巻。

bamboobass at 21:37│Comments(0) Live日記 | 由松李椛