ベーシストたけっちブログ

都内と横浜で活動するウッドベーシスト“たけっち”のブログです
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December 03, 2024

ポートフォリオサイトを公開

デジハリで半年間Webデザインの勉強をし、昨日無事に卒業しました。
今まで色々と教えてくださった先生の皆さま、ありがとうございました。

それに合わせて自分のサイトを公開します。事情があって早く作りたかったので、Studioというツールを使ってパパパと1週間で実装しました。

デザインの印象面は、拙著「光の樹」のWeb版にするというものがあり、本の表紙に使われた一葉をメインビジュアルにしました。
この一葉がいつ崩れてもおかしくない状態なので、弔いの行為としてWebの大海原に放ち、永遠に飛翔させたかった。
この一葉は僕のシンボルマークでもあります。

コンテンツはまだ不十分なので、一葉に水をやるように一緒に育てていきたいと思います。
良かったら見てください!


bamboobass at 12:47│Comments(0) 光の樹 | Webデザイナーになる!

November 03, 2024

近況報告

10/31の朝にフッと意識にやってくるものがあって(どこかと回路がつながるような感覚)、それを受けて、ああやらなきゃな、書かなきゃなって思って書いた。 でも、その準備を数ヶ月かけてしていたと思う。言葉になる前のモヤモヤをずっと数ヶ月抱えていて、それにはっきりとした答えが出たのかもしれない。書けって、書こうって。
↓ これを早く公開しなきゃと。。。



自分のホームページを作っていました。
これはFigmaというデザインソフトで作ってまして、スマホで見た場合、表示が小さいかもしれません。PCやiPadならちょうどいいサイズで見れると思います。
本来ならスマホやiPadなど様々なブラウザで問題なく表示するようにコードを打って、ドメイン取得してサーバーにアップするのですが、取り急ぎここで公開します。
近々にコーディングもしてサーバーにアップして、自分のサイトとして正式な形で公開できたらなと思ってます。

デザインの雰囲気は拙著「光の樹」のweb版にするというものがありました。本と同じように「光」がキーワードです。自然で植物的なものや木漏れ日や風などを感じられるものにしたいと思いました。

あと、本の表紙の一葉がいつ崩れてもおかしくない状態なので、それの弔いも含めて、というのもあります。なので、メインビジュアルは一葉を大きく載せました。僕のシンボルマークでもあります。
Photoshopで写真を加工しながら、それと背景色や文字色は色々試しましたが、本の表紙と同じ白背景とタイトルは水色にすることで落ち着きました。こういうことをしながらも本のデザインをしてくださった鈴木光太郎さんのことを追っかけているのかもしれません。出版社のオーナーさんも、僕の本のデザインはシンプルだけど、鈴木さんのデザインの良さが一番出てる、と仰っていました。




実は、6月からデジタルハリウッドというスクールに入学し、webデザインのスキルを身につけるために勉強していました。半年間のコースだったのですが、時が過ぎるのはあっという間で、今月11月末に卒業です。
今は卒業制作で近所の鍼灸院のサイトを作っています。院長と対話のようなヒアリングを数回重ね、デザインの生みの苦しみなどはありましたが、先日、出来上がったデザインをお見せしたところ、「私の理想をだいぶ超えて素敵なホームページにしていただきました。存外の喜びで、気の引き締まる思いです」と絶賛していただきました。ありがとうございます。もちろん僕一人ではできなかったもので、院長との二人三脚で相乗効果もあって生まれたデザインでした。年内には公開したいと思ってます。

あと上記のホームページで、拙著「光の樹」が誕生するまでのプロセスをまとめました。拙著を購入してくださった方々には是非見ていただきたいと思っています。↓



このサイトを作るために自分の幼少期や過去のことを思い出したり、このプロセスで自分のことを深堀していくと、9月の徳島への旅を経て、結果的にwebデザインをやりたいんだなということに辿り着きました。
これからどうなっていくか、自分がどのように働いているのか具体的にイメージはできず不安はありますが、頑張っていきていこうと思います。

ご自身のホームページを作りたい方など相談に乗れると思います。良かったらお気軽に連絡ください。





あと、もうひとつ。実は4月に離婚しました。下記の闘病記を読んでいただけるとお察しがつくかもしれませんが(グロテスクな写真があるので注意)。。。持病を自然療法で治すことを僕が選んで、結果的に身体がボロボロになってしまったこと。仕事を辞めて経済的に不安にさせてしまったこと。僕の性格など。彼女にはたくさん迷惑をかけたし、苦しい想いをさせたし、我慢させることも多々あったし、すべて僕が悪いのです。結婚当時にお気持ちを寄せてくださった方々には申し訳ないです。ほんとうにすみません。

しかし、落ち込んでばかりもいられないので、デジタルハリウッドで勉強すると決めたのも、自分を奮い立たせて気持ち的に潰れないためでした。死にたい辛い自分なんて生きる価値もないと何度も思いましたが、やはり生きていかなければと。
寝食忘れて勉強していたために(この年で新しいスキルを身につけるのは大変ですけど充実していました)5~8kgほど痩せたと思います。今まで履いていたズボンがユルユルになってしまいました。最近久しぶりに知人と会う機会がありましたが、痩せた僕を見てびっくりさせてしまいました。でも、前より目力が強くなってキラキラしていると言ってくれる方々もいます。何とか生きています。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

関連ブログ






<後記>
このブログを書き終わって近所の公園を散歩していたら、無数の丸い木洩れ日が。今日は良い天気だったし、きれいだった。光の樹からのメッセージだろう。。。ものすごく人恋しくなったり孤独だけど、こうして見守ってくれている存在がある。

翌日になって気づいたけど、卒制でやっているデザインと似ているな。この時は波紋や鍼を打った時の身体へズシーンとくる響きや余韻みたいなものを想像していた。あとはデザイン的に視線誘導の助けになるあしらいとして。
お前のやってることは間違ってないと後押しされているようで嬉しい。

bamboobass at 09:39│Comments(0) Webデザイナーになる! 

October 28, 2024

石倉和香子さん「fimbria」の朗読会

石倉和香子さん詩集「fimbria」の朗読会へ伺った。
場所は「草舟あんとす号」さん。植物にまつわる本をたくさん扱っている、こじんまりとした佇まいの素敵な本屋さんだ。その庭は小さな木や草花に囲まれ、都会や車の喧騒から境界が張られているようで、自然で透明な空気に包まれている。ここだけ別世界だ。



お店へ向かう道中、雨がぽつりぽつりと。雨男なので焦ったが、石倉さんが仰るように詩集の表紙のような薄いグレー色彩の曇り空。



もともと石倉さんのことを知ったのは、ご自身で訳されたリルケ詩集の存在をSNSで知り、当時通販で購入したのがきっかけ。リルケは僕も好きな詩人だし、詩集に絵を添えている日香里さんの作品が醸し出す静かな佇まいも素晴らしい。



そして、時を経て今年の4月に庭文庫に伺った時に、店主の百瀬さんからこの朗読会のことをお聞きしたのだった。「fimbria」も庭文庫で購入させてもらった。



石倉さんの声が、身体が、確かにそこにあった。ああ、この方はこのような声色で話すのだなと。その余韻に浸りながら改めて詩集を読むと、言葉がより深く浸透してくる。言葉は言の葉と書くように、その個々の色彩を持っている。秋から冬に向かい葉を落としていく樹木。言葉は落ちたいのだ、飛び立ちたいのだ、その大地に、空に。風で舞う木の葉や、道端に落ちている様々な色彩の木の葉を眺めつつ、そんなことを想う。

詩集のタイトルである「fimbria」という言葉は、ラテン語で「衣の房、縁、へり、周辺」の意味であるという。マタイ福音書の中で、病んだ女が、イエスの衣の裾に後ろから触れて癒されるという一節からの引用であるらしい。表紙には裾を垂らしつつ大地にしっかりと立つ足元が描かれている。

詩集の最後には、陽の光に向かって掌をかざしているような絵で閉じられている。足に始まり手で終わる。石倉さんによると、この流れは意図したものではなく、自然とそのような形になったという。言の葉を踏みしめて身体を通り、天に還すという循環がある。春はまたやってくるだろう。季節のように言葉もまた循環する。その流れを感じるためにこの詩集を繰り返し手に取りたくなる。

お名前に「石」とあり、その石を連想させるような表紙の色彩や、石にまつわる詩もあり、硬質な中にもやわらかな色彩を放つ鉱石が浮かぶ。音で言うとピアノの音が浮かぶ。遠藤ふみさんのピアノかなぁ。音よりもその沈黙の方がベースカラーにあるような、ぽつりぽつりと響くピアノ。



あとは北欧のピアニストのBugge Wesseltoftとか。雪にまつわる詩もある。



坂本龍一のピアノも浮かぶ。
「ふぉーん」と音が膨らんで、ランプの灯のように生成するが、やがて音が減衰して沈黙の闇へと消えていくプロセスがひたすら続く。透明な祈りのようだ。



モンポウやharuka nakamuraのピアノも。





その声色で放たれた言の葉を掌で受け取るように耳を傾けた。能動的に聴くこと。空間を耳で視るように。久しぶりの感覚だった。忘れていた。それを取り戻してくれた。

静かに詩を朗読しながら、その詩にまつわるお話もされていた。どちらかというと、ご自身の「表現したい」という想いよりは、何かに触れ、そこから感じたものが詩として出てくるという。応答のようなもの。これには僕も深く共感した。
ここに書いたが、メルロ=ポンティの言葉を少し変えて、
「詩人はその身体を世界に貸すことによって、世界を詩に変える」
先に書いたが、空の色がその詩集とリンクしている。世界を詩に変えたのだ。内側から外側へ現れてくるもの。その奇跡的な時間。



石倉さんの詩には、言葉が生まれ、沈黙の中に還っていく過程を微細に描いているものがいくつかある。そこに時間の流れをゆっくりと感じるのだ。ゆっくりと味わうように。普段はコンマ何秒で過ぎ去ってしまうものを、言葉は音符となり、そこで読まれるのを待っている。声色という音色で奏でられるのを待っている。生まれては消えていく。「桜を舞うというならば、雪は弔歌を献じている」(「雪の洗礼」より)と書かれているように、弔歌や祈りのようなものかもしれない。

リルケの詩を訳すというよりリルケ自身を訳している、というようなことを話されていた。ドイツ語に向かうその姿勢。その影響もあってかバッハを弾きたくなり、家に帰ってから弾いてみた。チェロの師匠もバッハは朗読です、と仰っていたと思う。



素敵なひと時を過ごせました。ありがとうございました。




bamboobass at 10:08│Comments(0) Live日記 

September 20, 2024

徳島の旅(後編)

両腕の皮が剥け始めた。首の後ろも。やはり日焼けだったようだ。道中は雨が多く、天候に救われた。榊さんが心配をかけてくれて仰っていたが、これがカンカン照りだったら両腕は火傷し、熱中症で倒れていただろう。準備や対策もなく、我ながら無謀過ぎることをしてしまった。しかし、道中は雨といい、虹が出たり、川の近くでは白鷺が「こっちだ」と案内するかのように飛んでいたり、何かに見守られているような、僕のことを歓迎してくれているような感覚があった。さらに、前回の僕の日記を読んでくれた方が、神様の慈愛と祝福の雨ですね、と仰ってくださった。



榊さんがこんなことを仰ってくれた。そんな高尚なことをしたつもりはなかったけど。有難い。その見守られていたような不思議な感覚も、宇宙全体からのサポートなんだろうな。

徳島市の方まで着いて、だんだんと建物が増えてきて都会の雰囲気。さすがにお腹がペコペコになってきて体力も限界。どこかで座って休みたい。ご飯が食べれそうなお店がないかと探すが、なかなかない。

やっとのことでこのお店に着いて、唐揚げ丼をいただく。大盛りだった。
雨と汗でぐちゃぐちゃになったシャツを着替えて、ちょっと休憩。



榊さんの個展場所に向かう。海が近づいてきた。この辺りは前職で通っていた横浜のみなとみらいと似ている。そして、橋を渡り、だんだんと会場に近づいてきた。高速道路の下をくぐると工場地帯のような雰囲気に。子供の頃、家から自転車で海の近くの工場地帯にある公園に遊びに行っていたことを思い出し、何となく懐かしい気分に。やっとのことで会場に着いた。

あ、榊さんのバイクがとまっている。会場の1階はカフェになっていて、2階が展示もできるギャラリーになっている。あ、チラシもちゃんと貼ってある。ここなんだ。榊さんには展示に行くことを言っていない。ドキドキしてきた。



会場では音楽が静かにかかっていた。あ、このピアノの響き、聴いたことあるな、ヨハン・ヨハンソンかな、何とかリヒターかな(名前が思い出せない)。



コンクリート打ちっぱなしのクールな雰囲気の会場に、あたたかな音楽と絵が掛かっている。その絵から出てくる優しいエネルギーにグッときて涙が出そうになる。あぁ、実際に見れた。生で眼で聴けた。油彩の筆触などは生で見ないと体験できないものだ。感慨深い。
榊さんの絵を実際に見て最初に感じたことは、包み込むような優しさだった。これは森の抱擁と開放と、時には厳しさも肌身に感じていないと描けない絵だと思った。

榊さんご本人とも実際に会うことができた。
過去にアクセサリー作家のfugueの繭さんと話していた時に、榊さんて仰ってることも達観してるし、仙人みたいな人じゃないかという話題になったが、気さくなお兄ちゃん的な感じで良かった(笑)
僕も文章だけ読むと暗い人と思われてたらしい。思ってたより明るいね、キラキラしてる(これは神社のおかげ)。やはり人っていうものは実際に会わないとわからないものだ。

絵のことなど色々なお話ができた。
過去に大阪や東京や新潟に住んでいたことなど。人それぞれ人生、巡り巡って今ここにいる。生きていてありがとう、と思わず言いたくなるような奇跡のようなものだ。その心に刻み込まれた傷など、長い長い人生の巻物のようなものがその人を包み込んでいる。そして、そこから溢れる光が絵を包み込んでいる。それは絵を見ているこちら側にも贈られる、絵からの優しいまなざしだ。

最初は樹だけの構図だったが、その後に白いイマージュのようなものが流れ込んできて、それをカタチにしたら動物になった。という制作の過程も話してくれた。なぜか動物が2匹になったりするんだよね、など。そのイマージュは彼方からやってくる精霊の姿なのだろう。
「作為的になるとうまくいかないんだ、ひたすら待つしかない。自然の力をかりると良いよ。屋久島はお薦め」と仰っていた。



榊さんが好きだという坂本龍一(榊さんと誕生日が同じ)も、晩年は草を踏む音や雨の音をフィールドレコーディングして、そのまま自身のピアノと重ねたり、ピアノから出るノイズをそのままリアルに残したり、そんなことを思い出す。
「映色にしてもプリント作品でプリンターに印刷をかける時も、思いがけないエラーやバグなどの偶然を取り入れることだ好きなんだ」と仰っていた。
そう、作為がない、とにかく自然なのだ。見ていて心地好い。まるで絵を見ている自分も森の中にいるようだ。中には、森でゴリラやチンパンジーが唐突に出てくる絵もあるが違和感がない。むしろ精霊の豊かな喜怒哀楽のうちの一面だと感じさせる。

だめだ、あんまり言葉にすることは止めておこう。しばらく言葉にしないで、あそこで感じたあの感覚を大事に味わっていたい。



途中でふと榊さんがピンときて、リラックスしててと言ってカメラで写真を撮ると、丸い光のようなものが映っている。展示初日にも同じことがあったそうだ。



最後に榊さんは、「僕の絵を見てくれている人には幸せになってもらいたい」と仰った。



僕も帰り道に同じ空を見ていた。光に包まれた雲が美しかった。龍がたくさんいる。祝祭の空のようだ。



榊さんがよく引用している
「画家はその身体を世界に貸すことによって、世界を絵に変える」
メルロ=ポンティ「眼と精神」P257

空のキャンバスに、その「世界」が広がっていた。

僕の詩「光の樹」にある

無意識の空に龍の跡
一瞬は永遠
永遠は一瞬
大地に眠る月へと還っていく

そのものの世界。
「世界」が詩になった。
そして、榊さんの絵は、僕の詩にあるように

絵は見えない森へと通じる窓だ
眼差しを投げろ
黄金に縁取られた眼差しを

見えない森(その人にとっての真実)に通じる窓だった。

よって、こう言い換えても良いかもしれない。

「詩人はその身体を世界に貸すことによって、世界を詩に変える」
僕の詩への呼びかけに対する「世界」からの応え。

今は詩を書いてないが、当時は生きるために必要だった。
そして、詩のイマージュは「光の声とも思われた言葉なき叫び」(同書P289)でもある。
天に垂直にのびていく精霊のうた(光の声)を眼で聴いた時に、その声に応えたいという想いが込み上がったのだった。



そう、「見て」しまったからだ。応答だった。
今度は逆に「世界」から応えてくれたのだと思う。

ありがとうございました。僕はこれからも生きていきます。

たま


祝祭の空


bamboobass at 11:37│Comments(0) 光の樹 | 榊和也

September 13, 2024

徳島の旅(前編)

榊さんが個展をやるという話を聞いたのは5月下旬だった。
そして、今までの集大成的なartbook「精霊の森」が完成されたのは8月頃。





精霊の森と一緒に個展のDMが同封されていた。
孤独に押しつぶされそうになっていたので、早速、貪るように精霊の森を読む。満たされた。
榊さんに以下の感想を送った。

榊さま
こんにちは。
「精霊の森」、何度か読み返しています。
心が満たされました。本を読んで涙したのはこの生涯で2冊目でしょうか。あまりないです。
最後の「どこにいるの」「ここにいるよ」の狼の遠吠えは歌ですね。

6年ほど榊さんの絵を見てきていますが、最初の頃と変わったのは動物が出てきたことでしょうか。
最初は不思議だなと思ってましたが、この本を読んで納得するものがありました。
今回は言葉も添えられてさらに立体的になり、物語の方向性がはっきりと感じられるようになっています。
その言葉は榊さんの声でもあり、森にいる精霊の声でもあるのだと。
榊さんが森の中でいて感じているであろう身体感覚、身体の内側の奥深くにある宇宙のようなもの、それと共鳴するような声。
発せられ、それに応えるかたちで森の中で響いている声。
それをつむいでいくことは榊さんの背負ってきた十字架のようなもので、この本や絵は精霊たちの共鳴の扉、精霊へ捧げられたものだと思いました。
素晴らしい本を、ほんとうにありがとうございます。



絵を描くのに、技術で解決するんじゃなくて、インスピレーションが来るまでひたすら待つしかないんだ、というような話をされていた。



DMに書かれている会場の場所を鉛筆で絶妙に隠している(笑)
SNSでは告知しないという逆の発想。この展示の場所を知っているのは、精霊の森を購入した人か、画材屋さんなど近しいところだけだろう。何だか秘密の会合のようだ。



学校の課題を早めに済ませて、自分のポートフォリオサイトのデザインを考えていた。将来の就職に向けて、あとは来年に受ける講座で、多摩地区のクリエイターズオーディションに向けて。自分はwebで何を表現したいのか、自分を掘り下げて考えていた。有意義な時間。卒業までには公開したい。

榊さんの個展の日が近づいてきた。
「榊さんのことだから、この先もう何十年と個展をやらないかもしれない。時間があるのは今しかない。行けるのは今しかない」と思い、旅費も厳しいので東京〜徳島まで夜行バスで行こうと思った。日曜夜の便で行こうと思っていたが、すでに満席。その日は諦めて寝ることにした。翌日になって、どうもずっと心に引っかかっている。木曜は打ち合わせがあるから、水曜には帰りたい。日程を1日ずらして月曜夜の便を取ることができた。帰りは東京行きのバスが満席だったので、高速バスで神戸まで行き、そこから電車と新幹線で東京まで行くルートにすることにした。
あとは、ずっと行きたいと思っていた神山にある宇佐八幡神社の場所を調べると、車じゃないといけない距離だった。なので仕方ない、個展に行ければ良いかと思っていた。

夜行バスなんて高校生の時以来か?約8時間の旅。道路を走る振動とクーラーが効き過ぎていてあまり眠れず。朝6時に徳島駅に着いた。

まだ展示が始まるまで時間があるなぁと思っていた。神社は仕方ないなと、行かない予定だった。
駅前をフラフラしていたら、レンタサイクルやってるところがたまたま目に入って、「まてよ自転車だったら…」と移動時間を計算して、片道3時間で着くなと思って(実際はそれ以上かかった)、自転車をかりて6時40分頃に出発。
いつも自分のことは計画性なくてその場の即興で予定を決めてしまうが、即興音楽やっている影響だろうか。。。

自転車旅の一連のことはツイートした。



片道約30km。帰りの榊さんの展示場所をプラスすると約40kmなので、計70km。
徳島市〜佐那河内〜神山、結果的に3つの地域を越えたことになる。
坂道が続き、あぁ、考えが甘かったと思った。途中で力尽きて自転車を転がすしかなかった。雨も降ったり止んだり。汗なのか雨なのかびしょびしょの状態に。道も分からないので、スマホのグーグルマップで確認しながら。途中から疲れを通り越し、ランナーズハイというやつか、瞑想状態で自転車を漕いでいた。どうしても行きたいのだ、あの神社に。なぜだかわからないけど確信があり、使命感のようなものがあった。だって、あの時、約束したから。。。
↓ここに書いている。「いつか宇佐八幡神社に参拝しに行きたいと思う」って。5年前に。



それから、病気でボロボロの時に(2023年2月)、まだ未完成だった詩「光の樹」を完成させ、この神社の大楠に捧げた。この詩が中心の柱となって拙著「光の樹」が生まれた。そう、あの大楠がいなかったら「光の樹」も自分の中から生まれなかった。
でも、人間関係が色々と変わってしまい、今、この本の中に書かれている人で連絡を取っているのは榊さんだけだった。榊さん本人と絵に対面することで、この光の樹の旅も一区切りになる。次のステージに進むためにも必要なことだった。

神社は、大きな樹に囲まれ神聖な空気だった。ここに来れたことへの感謝と、将来の願いを込めて参拝し、大楠の近くで龍神祝詞と、この大楠に捧げた自作の詩「光の樹」を読み上げた。自分で勝手に決めたことだけど、これで約束を果たしたと思った。フッと身体の中から抜けるものがあった。邪気が払われたようで気持ち的に軽くなり、帰路はひたすら黙々と自転車を漕いだ。相変わらず雨は降ったり止んだり激しいが、行きに比べて坂道が多くなっていたので爽快だった。しかし、途中から両腕が赤く腫れてきた。疲れが限界にきてるから持病のアトピーの症状かと思ったが、これは日射による火傷だったと思う。

佐那河内と神山の間にあるトンネルで、タルコフスキーの映画「ストーカー」を思い出した。



今思うのは、あの神社の大楠のことを教えてくれたのが榊さんの絵で、その絵は映画のストーカーのように、望みを叶えてくれるゾーン(神社)に導いてくれたものだったと思った。(続く)



宇佐八幡神社


宇佐八幡神社の大楠


宇佐八幡神社の大楠

bamboobass at 20:48│Comments(0) 光の樹 | 榊和也