ベーシストたけっちブログ

都内と横浜で活動するウッドベーシスト“たけっち”のブログです
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言葉から考える

May 23, 2015

「3コード」について

久しぶりにシマンドルの教則本の上巻をやった。
所々音程が怪しかったり。。。いかん。
こういった基礎練もちゃんとやらないとなぁ。。。

今日は中学生のレッスンに行ってきた。
新しく1年生が入った。楽器は他校から借りたそうで、なんと4台!すごいなぁ。
うーむ、コントラバスをまったく初めて触る人にどうやって教えたらいいものか。。。自分の教え方に色々と反省。
うやもやにするのではなく、ちゃんと課題を与えないとね。
1年生に楽器を選んだ動機を聞くと「低音が好きで、弦楽器の音色が好きで」
おお、僕の頃に比べて時代は変わったなぁ。

移動中に世界の名作小説を紹介する池澤夏樹著「現代世界の十大小説」という本を読んでいて、ミルチャ・エリアーデ「マイトレイ」の章で、文化のちがい、文化とはつまるところコード(社会的慣習)の体系のこと、という言葉にハっとして、あるアイデアが閃いた。

来年の1月に楽団のライブがあって、その中で自分がリーダーのトリオをやることになったのだが、
そのトリオ名を

「3コード」(スリーコード)

にしようかと。


自分はバンド名みたいなネーミングを考えるのが下手で、何か短くて1つの言葉に複層的な意味合いがあってかつフレーズのかっこいい呼び名がないものかといろいろ考えていたが、「これだ!」と思った。
今度、メンバーに相談してみよう。。。

3には、もちろん編成が3人のトリオからとっている。3人の持つ音の色彩が重なっていく。
プログラムとして塩谷哲さんの曲をやるのだが、その塩谷さんがインタビューでトリオ編成はメンバー全員と手をつなぐことができる。でも4人以上になると全員と手がつなげない。全員の立場が対等で、お互いを聴きながら自由にプレイできるのがトリオ編成の魅力(うる覚え)と語っていたのが印象に残っている。

コードにはcode, chordなど色々な言葉が当てはまる。
code、誰にも解き明かす事ができない暗号を持っているメンバー、そして曲に隠された暗号を解き明かす。そうした謎めいた雰囲気。
上記の文化の違いということで、僕はこの楽団に入った当初からジャズとクラシックの違いというものをいろいろと感じていた。そうした3人が今まで歩んできたコードの体系の違い。
最初はコードの違いに戸惑った。でも今は自分なりに楽団の人達と楽しく交流できるようになってきたと思う。
そしてchordはピアノの色彩豊かな和音、弦の響き。
また、ブルースは3つのコードが基本にある。
音楽の授業で先生がピアノを弾く起立・礼のコードも3つのコードだ。
曲は大まかに言うと、こうしたコードの緊張・緩和のバリエーションでできている。
そんなchord

うーん、このコンセプト、どうだろうなぁ。。。

bamboobass at 22:45│Comments(0)

November 25, 2012

物語の中に自我を沈めること

でも、物語という文脈を取れば、自己表現しなくていいんですよ。
物語がかわって表現するから。
僕が小説を書く意味は、それなんです。
僕も、自分を表現しようと思っていない。
(中略)
僕の自我がもしあれば、それを物語に沈めるんですよ。
僕の自我がそこに沈んだときに物語がどういう言葉を発するかというのが大事なんです。

村上春樹インタビュー 「海辺のカフカ」を中心に


先日共演した麻美さんや、昨日CDで聴いた長谷川きよしさんの歌を聴いたときに、
その歌う曲が物語になって見えることがあった。
聴いている僕自身もその歌の世界の中に引き込まれてしまう。
それは、小説を読んでいる時に、その小説が描く世界が頭の中に広がっていくような感じというか。
ボーカリストは、その物語の中に出てくる世界観を演じている、と言えるかもしれない。
いや、奏者に関係なく、本来はそういうものだと思う。
主導はあくまでボーカリストの場合が多いが、その人が出す物語性に、
伴奏している僕等も引き込まれて落ちていく。
そうか、水滴が水面に落ちて広がるように、自我はただただ大きな物語の中に浸透していくものなんだ。

昨日、Iさんとジャムセッションの話をしていて、僕はどうもあのセッションの雰囲気が苦手というか合わなくて、ここ数年行ってないんだけど、それは、演奏する人々が、曲を単なる素材でしか捉えてなくて、
曲の持つ物語性・その曲が醸し出す雰囲気といったものが無くて、どの曲も同じに聴こえてしまうことが多くて嫌気がさしたんだと思う。(ブランフォードがそんな話をしていた気がする)

メロディに歌詞があるように、僕らの弾いてる音も(それはたとえバップのフレーズであれ)言葉には表せられないような言霊のようなものがくっ付いていると思う。(もりぶさんもそんなことを言ってた気がする)
つまり、何かを語りたいんだということ。

村上春樹の言葉をかりると、「暗闇の中の謎の象徴、ブラックボックスのようなもの」
村上春樹の小説って、「ん?なんだこれ?」っていうような謎の部分があるからなぁ。
海辺のカフカだと、カフカ少年の父親が死んで、父親から離れていたカフカ少年の手に父親の血がつく
シーンとか。

Iさんによると、ひどいのは、テーマを弾かないでアドリブしかやらない人とか、
曲に関係なくフリージャズっぽく全部弾いちゃう人とかいるらしい。ま、色々な人がいるもんだ。

僕も時々自分のやっていることが何なのかわからなくなる時がある。
あまりにも多様な世界があり過ぎて。
でも、それは、それぞれの曲が持っている物語性に引き込まれて、
普段自分がやっていないことをやってたりする時もあるんだと思う。
平野啓一郎さんの言葉をかりれば、その物語に適用する分人を演じているわけだ。
共感もあったり、その物語を淡々と演じる時もあったり、いろいろと。

今日はこれからFさんとOさんの練習会に参加してくる。
撃沈しそうだけど頑張る。



bamboobass at 11:47│Comments(0)

November 06, 2012

分人

平野啓一郎さんの著書「私とは何か」を読む。
分人という考え方に共感。

この人といると心地いい、この人といると何を話したらいいのかわからない、居心地悪いな、
一緒にいる人によってその感じ方は様々で、いくつもの仮面(ペルソナまたは人格)を演じていたと思う。
僕のトークで本気で身をよじらして笑ってくれる人がいたり、もう他方では変態(いい意味で)と言われたり、クールと言われたり、熱いと言われたり、無口な人ねと言われたり、よくわからないものだ。

本当の自分には実体がない。分人はすべて本当の自分である。

本当の自分はどこにいるんだろう、何なんだろう、自分は何がしたいんだろう。
なんて考えると負のスパイラルにはまってしまう。
その場面場面で演じている自分が本当なんだ、と思えば気持ち的に楽かもしれない。

平田オリザさんの著書「いま、本当に必要なこと」からは違った言い回しで表現している。
科学哲学が専門の村上陽一郎先生は、人間をタマネギにたとえている。
タマネギは、どこからが皮でどこからがタマネギ本体ということはない。
皮の総体がタマネギだ。
人間もまた同じようなものではないか。
本当の自分なんてない。
私たちは、社会における様々な役割を演じ、その演じている役割の総体が自己を形成している。


人格は球体のイメージがある
ボールとか月のようなものだ。
月は、ある時は三日月、またある時は満月というふうに、その時によって見える部分・印象が違う。
ボールも、足が当たる面積・スピード・角度によって、飛ぶ方向というか反応が違ってくる。

どれか一つの側面からその人の事を判断して、
「あなたはこういう人だ」と決めるつける人が僕は苦手だな。
そうなるとその人とはもう関係が拡がって行かないからね。

私は森鴎外が好きだが、彼は「仕事」を必ず「為事」と書く。
「仕える事」ではなく、「為る事」と書くのである。
人間は、一生の間に様々な「事を為る」。
寝て起きて、食事を摂って、本を読んだり、映画を見たり、デートをしたり、「為る」。
職業というのは、何であれ、その色々な「為る事」の一つに過ぎない。


昔は、上司の指示を受けたからやらなきゃいけないとか、「仕える事」として考えていた。
でも、歯を磨くのと同じで、今は「為る事」の一部として考えられるというか感じられるようになったかな。
一つ一つのことを淡々とやっている気がする。


自分が抱えている分人の中で、どういう分人が最も大きくなるか

ワークショップやっていた自分、ライブをやっている自分、仕事をしている自分、
今はライブをやっている分人が最も大きい。また、ライブの準備をしている分人か。

消してしまいたい、生きるのを止めたいのは、複数ある分人の中の一つの不幸な分人だと、
意識しなけれはならない。


仕事は大変だったりするけど、音楽でバランスよくリセットされているんだろうな。
小岩のライブ、無事に終わってよかった。次に向かって頑張ろう。




bamboobass at 23:19│Comments(0)

August 12, 2012

ウッドベースのレンジの広さ

僕の好きなベーシストのひとりにデイヴ・ホランドがいるんですが、
彼はどんなバンドに参加しても自分のスタイルを崩すことなく演奏しています。
ですが彼はいつもそのバンドの中でピタッとサウンドするんです。
これはとても素晴らしいことですし、自分もそうありたいと思っています。
ベースという楽器は、どんなにコンサヴァティブなバンドでも、またどんなに前衛的なバンドでも、
その中で同じスタイルで弾いてもサウンドすることのできる、レンジの広い楽器です。

                                          安カ川大樹(b)


確かにウッドベースはどんな音楽にもサウンドする。
普通エレベでやるようなファンクをウッドでやるとかっこ良かったりするし。

その音楽がどういうフィーリングを求めているのかを素早くキャッチするアンテナが必要だ。
どれも同じフィーリングで弾いていては意味がない。

Balladsのレコーディングでは色々なタイプの音楽をやった。
弓でクラシック的なアプローチが必要だったり、フリージャズだったり、カンドンベやチャカレラだったり
16ビートだったり、弾く人間は同じだけどウッドベースはどの曲にもサウンドしていた。
やっぱりこの楽器は素晴らしく奥深いのだなと改めて思った。
bamboobass at 16:17│Comments(0)

楽器を弾くということ

一番大切なのは、無理のないフォームでコンパクトに弾くということです。
その上で弦に指が当たっている面積を広くし、その時間を長くするようにしていくと、
音も太くなるし音価も上がります。
弦に当たっている時間が長いけれどコンパクトに弾くということが大事です。
またピチカートにしてもアルコにしても、力で弾くのではなく、
重量と質量をうまく活かすよう心掛けることです。
それは左手についても同様で、力ずくで握るのではなく手自体の重みを利用するということが大切。
それが出来るようになれば、肩の力も抜け、運指のエネルギーも少なくて済むようになりますから、
速いパッセージも弾きやすくなります。
(中略)
グルーヴについては極端に言うと、右手は次の音を出しているんだけど
左手はまだその前の音を押さえているくらいのイメージで弾いてみてください。
そうすることによってサウンドに粘りが生まれてきます。

                                       安カ川大樹(b)

手の重みか!
僕が吉野さんから教わったのはこのことなんだ!と思った。
ちなみに安カ川さんも吉野さんの元で教わっていたそうだ。

一番変わったのは左手。
「ハンマーのように叩く、引っ掛ける、親指に力を入れないように」と最初の頃はよく言われていた。
どれだけ力を抜いて、自然なフォームで演奏できるかがポイントだ。
力が入っているとすぐバテて演奏することが出来なくなってしまう。

右手は最近太い音で弾きたいというイメージがあるので
ソロの時に8分音符のパッセージなどは2フィンガーではなく、2本の指で同時に弦を弾くようにしている。
指が深く弦に入り込むようにし、(弦に当たっている面積を広くし)手首のスピードを加えて弾く。

以前はソロの時に音の線が細くなってしまうのが悩みだったけど、
Balladsのレコーディングでは、それなりに太い音色で録れていて良かった。
速いフレーズを弾きたいという願望はあるが、弾きたいフレーズよりも長めのゆったりした音を駆使して
音色を重視した結果だと思う。

グルーヴについては
音をどれだけ長く弾くことが大事かということを言っているんだと思う。
それはピチカートでもアルコでも。
重要なのは左手で、ギターでいうコードを押さえるように前の音を押さえっぱなしにしておくことだ。

でもBalladsのマーメイドのレコーディングの時は、2日目ということもあり左手の力が入らなくて
音を長く押さえられなくなってしまった。まだ力んでいる証拠である。
bamboobass at 16:02│Comments(0)

即興のイメージ

昔はトランペットで吹く音がすべて頭の中で音符になってしまっていたんです。
でもそういう吹き方がとても窮屈に感じるようになって、意識を変えてみました。
最近は、頭の中でボール弾む姿をイメージしながら吹くようにしています。
広い地面をボールが勢いよく弾んだり飛び上がったりする、そんなものを思い浮かべながら
インプロヴァイズするんです。
そのボールの弾み方は躍動的なイメージの場合もありますし、静的なイメージの場合もありますが、
そういった横の流れのイメージが僕のインプロヴィゼーションの根底にあります。

                                      川崎太一朗(tp)


自分の演奏を聴いてがっくりくるときがある。
それはだいたい迷っている時だ。その時は音程やリズムがふらつく。
即興って難しいな。

即興の時は、
五線譜に書かれた音符の並びが出てきたり、ドとかレとかミとか音名で出てきたり、
イメージが先行したり、到達点の音に向かってスケールで上がったり、手癖だったり、
手癖の場合は、ああ、また同じフレーズを弾いてしまった。ってなって、
次のフレーズを失敗したり勢いが無くなったりするけど。。。
様々で決まった考えがない。
これじゃいけないなといつも思っている。

とにかくフレーズをメロディックに歌い込むことだ。
コンディミとかディミニッシュとか難しいことはできないから、ストレートに歌う。
ボキャブラリー少ないなあといつも思うけど。

僕はどういうイメージで弾いているだろう。
僕は
自分の音が周りに浸透するように弾く。
水滴が湖に落ちるイメージ。丸い波紋が重なってどんどん広がっていく。

または、イメージは言葉で表せられなくて、その雰囲気みたいなものが自分の周りを覆っていたりする。
僕の曲「thin rain」ではそう感じていて、後ほどあれは「池」と「月」だと思った。
雨がポツポツ降る池に月が映し出されている。そんな対照的な2つのものが独立して立っているイメージ。
bamboobass at 15:30│Comments(0)