ベーシストたけっちブログ

都内と横浜で活動するウッドベーシスト“たけっち”のブログです
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由松李椛

June 25, 2023

舞踊家のリカさんと遠隔コラボ



夏至の日に舞踊家のリカさんと遠隔コラボをしました。このきっかけのメールをリカさんがくれたのが僕の誕生日でした。遠く離れても心は繋がっていますね。

僕のコントラバスの音色に合わせて、リカさんが羊蹄山をバックに舞っています。
元々は夕焼けをイメージした僕の曲からのモチーフですが、晴れ間の雄大な山とも似合いますね。

僕が大きな影響を受けた聾者の音楽をテーマにした映画「LISTEN リッスン」によると、musicの語源はギリシア語のムシケー(mousike)が由来となっているそうです。ムシケーとは、ギリシア神話の九人の女神(ムーサ)たちが行う活動(言語、詩、音楽、舞踊などを統御する)のことみたいです。
当時の音楽は、詩や舞踊とも一体となっていたことがわかります。




サーッと駆け出したその表情が、何かを歌っているようにも見えて、舞っているというより、カラダで何か音楽のようなものを奏でているように見えた。
まるで、小さな女の子が山の中を駆け抜けて、やがて大人の女性になっていくような物語性を感じ、その周りには様々な色彩や、山や、大地の風景が、鳥の鳴き声が、音響が、一気に芽吹いていったのを感じた。

「光の樹」奏でるカラダより


空を
この手に
大地を
この足に
風を
この胸に
白い風車が回っていく

「光の樹」白い風車より


僕の本からの詩も合わせて、リカさんのカラダから「音楽」が溢れてくるのを感じます。リカさん、ありがとうございます。
bamboobass at 11:05│Comments(0)

November 24, 2022

カルラトリオライブ@大磯

やまやまの兄弟バンド?カルラトリオのライブへ。
皆さん優しくて嬉しかった。

「醪」という曲では、脳内が解れて眠くなってしまった。こんなにリラックスしたのは久しぶりだ。帰りの電車でも少しウトウト。寝床でもループしてて、不眠症気味の自分にとっては久しぶりに少し眠れたかな。最近、気持ちが張ってたな。もう少し気楽にいこうよというメッセージだな。
「蓮の花」という曲では、下北沢のライブで踊っていたリカさんの魂みたいなものをしっかりと感じた。霊的で壮大な力を持った曲。大病で苦労されているが、ご自身の「今」を踊りたいと言っていたリカさん。とても励まされた。





カルラトリオの音楽を聴いて、自分の中に眠るジャパニーズソウルみないなものを感じた。
新曲「月の綺麗な夜に」では、子供の頃の近所の公園でやっていた盆踊りとか屋台とか祭りの記憶が蘇った。

もりぶさんの子供番組のお兄さんもびっくりな完璧な振付でのOke,Rapも圧巻。

bamboobass at 21:37│Comments(0)

October 01, 2020

白い風車

ダンサーのリカさんの新しい門出とお誕生日が近いということで、急遽リカさん送別会&誕生日会が企画された。その中でリカさんの生徒さん達が祝福のダンスをサプライズしようということで、僕とピアノの小林さんはそこで音楽を奏でることになった。

僕もそうだったが、リカさんも何かに背中を押されるような早い展開で、ご自身のたましいが望む道に行くことが叶って嬉しい。もう今までのように頻繁に会えなくなるだろうし、寂しくもある。感謝と祝福の気持ちを込めて、今までリカさんに向けて書いたブログの記事をまとめて小冊子にして贈ることに。冊子を作りながら、リカさんと出会った約四年間という時間を思い出していた。時にはライブで共演したり、色々な方々とご縁をつなげてくださったり、ほんとうに感謝しています。
さらにリカさんへ贈る詩を作ってみようと思い、詩の原型が出来た時にミカコさんに相談したら、有難くもミカコさんが朗読してくれることになった。
今回、詩を作ってみて実感したが、詩の言葉の背後には、表に出なかった言葉の腐葉土のようなものがある。そこに墓標としての詩の樹を建てるというイメージが浮かんだ。とにかく彫刻のように無駄な言葉を削って、ひとつひとつの言葉の鮮度を研ぎ澄まし、言葉の漢字の姿とか見た目のかっこ良さより、朗読した時の言葉の音の立ち上がり・音響の良さの方を優先して言葉を選んでいった。
こうして二週間ほどかけて何とか詩が出来上がった。
リカさんの旋回舞踏のイメージを詩にしてみた。

「白い風車(かざぐるま)」

白い風車が回っている

天上の弦に貫かれ
自転する
この身体

万華鏡のように
公転する
たましい逹

奥深き森の中で
孔雀が風に
ヴィブラートをかけて
空が
緑が
大地が
にじみ 溶けていく

奥深き森の中で
三つ編みの少女が
ヴェールを手に駆け抜けて
光が
花が
音が
芽吹いていく

風に運ばれる
さいわいの花びら達よ

空を
この手に
大地を
この足に
風を
この胸に

白い風車が回っていく

(舞踏家 由松李椛に捧ぐ 大竹弘行)



サプライズは、皆さんとの事前のメールのみのやり取りで、ぶっつけ本番だったが、何とか成功!皆さんの今までの経験と集中力と信頼関係があってこそ。
冒頭のミカコさんの詩の朗読には、彼女自身の身振りや声のアレンジもあって感動し、いつか自作の詩を朗読してもらうことは夢だったが、さりげなく僕の夢も叶い、嬉しくて魂が満たされた。ミカコさん、ありがとうございました。
小林さんはグーダドラムを持ってきてくれて、今まで共に培ってきた阿吽の呼吸で演奏。最近はバッハばかりやっていたけど、こうして譜面を離れて即興をするのも楽しい。
場所はコトトキ農園さんのシェアハウスで行われたが、このサプライズの最中には強い雨が降ったという。きっと山の神さまも祝福してくれたのだろう。

都会では人との関係は閉ざされがちになってしまうが、この日は人との暖かな触れ合いというものを取り戻した時間だった。
僕は、その場で消えていく音の悲しみというものを、言葉と詩によって受け止めて、自分自身を慰めているのかもしれない。独りで円環している。ぐるぐるぐるぐると。

久しぶりのライブ感で軽い覚醒状態になってしまい、よく眠れなかったが、翌朝になって通勤で外に出ると、空には龍神のような雲が浮かんでいた。
いつもの通勤電車に乗ると、僕の目の前を小さな妖精のような虫がしばらく上下に飛んでいた。精霊かな?昨日披露した詩と演奏を讃えてくれたのかな。。。こうして自分で作るお伽噺的な日常も楽しい。

リカさん、ありがとうございました。幸せになってください。

白い風車


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bamboobass at 09:27│Comments(0)

August 10, 2020

2020.8.9 龍との約束

カルラトリオの音楽と、リカさんの舞と、ミカコさんの語り。それらのエネルギーが一体となり、大きな風の龍となって、空間を飛んでいくのを感じた。
立ち会った多くの方々が流した涙は、その見えないエネルギーを、身体と心でとらえた証拠だろう。
こころの湖面に訪れる波紋が涙なのかもしれない。

人間だけでなく、いのちを持つあらゆる生類と、精霊逹にも感謝されたライブに違いない。
奏で、舞い、語る姿の背後には、その方ひとりだけではない奥行きを感じました。
いずれ、演者の皆さまにも、祝福の一葉が降ってくると思います。

ありがとうございました。


愛する者を守れ。
森を守れ。
水を守れ。
土を穢すな。
火を放つな。
欲に溺れるな。
過信するな。
耳を傾けよ。
正直に生きよ。
己を大切にせよ。
これらの戒めを守れば
これから起こりうる
幾多の苦難から
私たちを守ってくれると。
それが私たちが龍と交わした約束なのです。


(カルラ・トリオ 森 学「龍との約束」ライナーノーツより)



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bamboobass at 08:27│Comments(0)

January 17, 2019

尊く美しいもの

舞踏を始めた頃、それまでは経験したことのない奇跡のような瞬間が何度もあり、それが忘れられなくてつづけてきた。でも同じ体験をした人がどんどんそれを忘れていく。忘れないためにはその奇跡が、なんだったのかと問い続けることが必要なんだな。ただ経験しただけだと人は忘れてしまう。
最上和子

先週末は、とある舞の会と、音楽と詩の場へ行ってきました。
どれも尊く美しく涙が溢れてきました。
メモ代わりにしていたツイッターをつなげて文章にしました。。

限定して書いてしまいますが、
リカさんが演目の最後にやった舞は、祝祭がテーマだったようで、サーッと駆け出したその表情が何かを歌っているようにも見えて、舞っているというよりカラダで何か音楽のようなものを奏でているようにも見えました。まるで小さな少女が山の中を駆け抜けて、やがて大人の女性になっていくというような物語性を感じ、その周りには様々な色彩や山や大地の風景が鳥の鳴き声がオトが一気に芽吹いていきました。梅の木で染めたヴェールも綺麗で、孤を描く指先から光の帯が見えました。

芸術は本来全てのものを包み込む一つのものだったんだと気付きました。

今読んでる本にも同じようなことが書かれていました。
「コトバ」はときに色であり、音、香りでもある。
見ていて自然と涙が溢れました。新年早々に力をいただき夜のライブは頑張れました。



その翌日はコントラバス奏者の齋藤徹さんによる歌と詩のライブへ。

嘘と軽々しい言葉が氾濫する世の中に時に辟易してしまいます。
純粋なコトバと歌が立ち上がる瞬間に立ち会いたいという想いでこちらに行きました。

ものすごい世界でした。
一曲目は渡辺洋さんの詩による「ふりかえるまなざし」
バゥワァサっと光の波を全身に浴びたような気分になり圧倒されました。
ライブの前半は恥ずかしいぐらい涙が溢れてしまった。(端の席で良かった。。)
徹さんのコントラバスからデューク・エリントンのオケのサウンドが聴こえてきたり、まるで絵を描くように踊るようにコトバを語るようにコントラバスが奏でられ、歌の松本泰子さんのどこまでも拡がる波紋のような瑞々しい歌声により様々な詩の尊いコトバが飛び立っていきました。
ガット弦は奏者の身体の中をより響かせるというか、内臓の音を響かせますね。生命記憶を含めたその人の歴史の音が聴こえるような。。。そこにも感動しました。

涙は悲しい時だけに出るものじゃない。美しいものや愛しいもの、リルケが言っていた天使や、禅の言葉で出てくる霊性など、光に溢れて目に見えない超越的なものに触れても出てくる。それは直視できないからこそ、触れることができないからこそ、涙で触れて感じることができる。
だから悲しみは「美しみ」とも読むのだと。

なんと、札幌から詩人の三角みづ紀さんもゲストで参加。
MCで仰っていたことを聞いていてうろ覚えですが、テオアンゲロプロスの映画「永遠の一日」でコトバを買う詩人の話があるそうで、その買うコトバの部分を三角さんが即興で一つずつ紡いでいく場面がありました。三角さんが言葉を発する瞬間に、マイクだったので「ピチ、、ピチ、、」と口腔が鳴る繊細な音が聴こえました。言葉が発せられるまでの瞬間がもの凄く長く感じられて、それはとても尊い瞬間で、コトバの生まれてくる今ここ瞬間に立ち会えたという感じでした。

基本的に音を発しているのは徹さんと松本さんのお二人だけなのに、まるで壮大なシンフォニーを浴びて聴いているような気分になりました。フォルテシモからピアニシモまでダイナミクスの幅も大きく、時にはノイズや南国の祭りの喧噪も音色に取り込み、そして詩集の紙面にある余白のような沈黙のスペースもあり、とても二人だけで奏でているとは思えない壮大な音楽でした。

あえて言ってみれば地球まるごとの音楽。。。?
うーん、とても言葉では表現できません。

技術を超えていると思いました。日常を含め音楽というものに立ち向かうあの強靭な精神力は何だろう。僕なんかが音楽をやってていいのかと思ってしまうほど、なんて言うんでしょうか怖くなりました。普段いる世界とは違う領域を感じました。
でも、それだけ音楽は尊く美しいものなんだということに気付きました。それに向かうことも聴くことも何もかも計りきれなく無限大の可能性があるのだと。

ここまで先週末の素晴らしい舞や音楽に触れて感じたことです。ありがとうございました。
写真は地味なものしかありません。。。
昨日からデュークエリントンを聴きまくっています。

徹さんのブログです。


舞


歌と詩


bamboobass at 22:30│Comments(0)

March 22, 2018

春分の日の旋回

葦笛の歌

葦笛を聴け、それが奏でる物語を、
別離を悲しむその音色を。

葦笛は語る、

慣れ親しんだ葦の茂みより刈り取られてのち、
私の悲嘆の調べには、男も女も涙する。

別離の悲しみに私の胸は引き裂かれ、
愛を求めて、痛みは隠しようもなくこぼれ落ちる。

誰であれ遠く切り離された者は切実に願う、
かつてひとつであった頃に戻りたいと。

どこにいようとも私は嘆き悲しみの調べを奏でる、
不幸を背負う者たちの、私は友となり慰める。


ニシダ キョウコ訳


僕はね、ケーナを初めて手にした時から、この楽器に翼を生やしてやる、そう思ってきたんだ。
楽器を不自由にしてるのはいつだって演奏者だ。
そして不自由な演奏から自由な音楽なんか生まれっこない。
僕は音楽と楽器のメディアになって、飛び立つ自由な音楽を楽器を通してそのまま飛ばすことに徹したい。

岩川光


ミカコさんにお声掛けをいただき、初めて旋回の会に参加したのが先月の2月でした。

思えば、今いるこの地に引っ越しを決めたきっかけの1つが、自分の身体のことでした。

10年ほど前に仕事の忙しさと新たな環境の中での生活のストレスからか重度のアトピー性皮膚炎に掛かってしまいました。夜は背中や全身の痒みで眠れないほどに。やむなく実家に戻り、やっとのことで自分に合う薬を出してくれる病院を人伝に見つけることができ、段々と症状も落ち着いてきました。

しかし、自分が音楽をやることの意味、家族との関係、仕事のこと、人とのつながりなどを考えたりしていると、自分の足下が宙に浮いているように思え、その違和感からか身体の調子が再び崩れてきました。まるで身体が「ここにいたくない」と声なき声を上げているようでした。そして、昨年の秋から冬に移り変わる頃に、もうこの身体の悲鳴には逆らえないと思っていました。そんなところへ色々とご縁やきっかけをいただき、今いる地へ引っ越すことができました。以前レコーディングの記事で紹介したMayuさんが道を開いてくれました。引っ越した地は空が広く、天気が良い日には山が見えます。近くには大きな川も流れている。そういう自然の姿を見るだけで何だか気持ちが和やかになります。身体の調子はまた良くなってきていると思います。生活はなかなか大変ですが、精神的には今はとても楽です。


そして、トルコのスーフィー道場に参加経験を持つダンサーのリリス・リカさんの「まとう」公演で、リカさんの旋回舞踏を初めてしっかりと見ることができました。それは華やかな舞とは異なり、内に向かって能面のような無表情で回る姿に美しさを感じました。その体験と、前述の自分の身体の症状に苦しんだ経験から、身体の声を聴きたい、身体に向き合いたいと思い始めたのが旋回の会への参加のきっかけでした。Mayuさんやミカコさんとリカさんには本当に感謝しています。


先月2月にリカさんのレクチャーを受け、旋回舞踏を初めて体験しました。旋回すると会場の景色が溶けて、まるで木の葉が舞っているような光景が拡がり、呼吸を意識すれば不思議と目は回らず、終わった後はまるで憑き物がとれたように身体が軽くなったのが印象に残りました。

そして、ミカコさんによるボイスワーク。外に向かって歌うのではなく、自分の身体の内を響かせるつもりで声を出すというコンセプトが新鮮でした。声を出すと、骨が振動するのか自然と倍音が発生し、とても気持ちが良いことに気づきました。「そうか、別にカラオケで歌うみたいに、誰かに聴かせるぞ!と外に意識を向けなくていいんだ。自分の為に声を出せばいいんだ」と気づき、それからというものの、お風呂の中で声を出すのが楽しくて習慣になっています。今日はエリントンのCome sundayを歌ってみました。
そして、旋回の会の翌日に観た歌手のカフナカイさんのおじいちゃんの謡は、ものすごい声量で、身体全体が響いていて、豊かな倍音を出していました。ボイスワークの実践編といった内容。笑も絶えない楽しいライブで、カフナさんの歌声とともにとても印象に残っています。



さて、前置きが長くなってしまいましたが、昨日は生演奏による旋回の会に参加しました。まるで冬のような寒さで大雨の春分の日でした。

リカさんのご友人のネイ奏者シーアさんの参加が直前に決まり、歌とパーカッションのミカコさんとカフナカイさん、クリスタルボウルのみゆきさんが参加しました。僕はミカコさんとリカさんのご厚意で楽器持参で参加しました。悩んだ挙句、低音域が演奏上のコントラストになるだろうと思い、コントラバスで参加しました。

初めての組み合わせで、恐らく楽器の編成も他に無いものだったのではないでしょうか。どうなることやらと思いましたが、本番の直前のリハで5人で音を出し、初めて音に触れるネイやクリスタルボウルの特性をだいたい掴むことができました。そして、みゆきさんのボウルの繊細な音色を自分の音で音量的に掻き消さないように注意して、後は「聴く」ことに集中すれば何とかなるだろうと、不思議と落ち着いていて楽観的に思うことが出来ました。これはメンバーの自然体なお人柄によるところが大きいかもしれません。



初めて聴くネイの音色は、砂漠のブルースというか、物凄く孤独だけど、頬に語り掛ける暖かい風のような、鳥の鳴き声のような不思議な音色でした。

クラシック音楽やジャズで楽器の基礎を学んだ自分にとって、ネイの音色はピアノのドレミファソラシドのようなかっちりとした平均律的な音程云々の話を超えてる部分があり、一瞬どう弾いたら良いのかわからなくなってしまう部分もありました。
吉野師匠のアラブ音楽の演奏を聴いて微分音程の概念は知っていましたが、半音と半音の間にも豊穣な世界が拡がっているということを改めて感じました。フレットレスはそういった意味では自由になれる。

シーアさんの素晴らしい演奏に触れ、魂と身体と呼吸から発せられる原初的な歌とは何か。ということを考えさせられました。



中盤でカフナカイさんが唄い出しました。前述したそのおじいちゃんとのコラボライブの時からその歌声に魅了され、いつかPAを通さない自然な歌声を聴きたいと思っていましたが、ついに念願が叶いました。その歌声から太陽が、広大な海や砂浜がカッと明るい光とともに見えました。カフナさんに触発され、僕も音を奏でました。僕は今まで言葉や楽器に向けられる一般的な概念に囚われてました。月の楽器であるコントラバスは太陽になれない、もっと普通に伴奏した方が良い、音程をしっかり、そんなことは自分の思考のせいであり、楽器が本来持っている可能性を逆に狭めてしまっていることに気付きました。

そんな言葉の檻の殻を破り、この日もっとも自分が自由に演奏できた場面で、個人的にはハイライト!?音程や技術の概念が消えて、カフナさんが作ってくれた光に照らされながら、ただただ今ここにある歌を、自分の魂とつながるブルースを奏でようという強い想いだけがありました。新たな扉が開けた感じがしました。

後にカフナさんは僕のその演奏を、クジラがジャンプしたように感じたと仰ってくれました。そういえば以前、Balladsの尚美さんもクジラのお話をしていて、僕にクジラのイラストが描かれたクリアファイルを贈ってくれました(下に写真があります)。コントラバスの大きなボディと低音からクジラを連想するかもしれませんね。



最後のリカさんが旋回の扉を閉じる瞬間が美しかった。春の訪れを、次のステージへと扉が開く余韻を感じさせるものでした。

皆さんの旋回を見ていると、子供の頃に花模様の万華鏡を覗いて遊んでいた頃を何故か思い出しました。入れ物の角度を変えると中の模様が変わるあれです。まるで花の風車がそれぞれ回っているような美しい旋回の光景で、どこか懐かしい感じがしました。

僕も演奏の合間に旋回しましたが、後半の生演奏の楽しい祭りのような太鼓のリズムに乗って、まるで大きな地球に抱かれて喜びの感情でいっぱいになりました。笑みが止まらないという。ちょっと怪しく気持ち悪いですが。。。


2時間近くの演奏は壮大な祈りのようでした。そして、5人で見えないバトンを引き継いでいく感じがとても絶妙で素晴らしかった。言葉を超えて、音と身体と魂で会話をしているようでした。忘れられない貴重な体験をすることができ、皆様に感謝してます。ありがとうございました。



帰りの電車でシーアさんとお話することができました。シーアさんによると、最初に呼吸があり、チャントがあり、そのチャントの中で呼吸をする部分があってリズムが生まれ、最終的に歌になるというお話。まず呼吸が大切だと。普段から呼吸が浅いので、さらに自分の呼吸に向き合おうと次のテーマを決めました。



(写真)
ミカコさんからいただいた草木染めのハンカチの上に
リカさんからいただいた加計呂麻の石を。
リハ風景(リカさんのFBより拝借)。
尚美さんからいただいたクジラのクリアファイル。

加計呂麻の石


旋回セッション




旋回セッション




くじら
bamboobass at 22:35│Comments(0)

November 20, 2017

まとう

先日はダンサーの理香さんの「まとう」に行きました。

理香さんとは8月にムジモンのライブで共演。その時は演奏に必死で理香さんの舞をちゃんと見ることが出来ませんでしたが、理香さんが舞うと周りの空気が一瞬で変わるのをひしひしと皮膚感覚で感じました。いつかちゃんと見なければと思っていました。やっと念願が叶いました。

僕は舞のことは何もわからないのですが、音楽と通じるものがあると思いました。
特に今回の理香さんの舞は僕と同じベーシスト的な立場を感じた。
あくまで自分が舞うのは、その場と舞の本質を創り上げるためのもの。
以前どこかで引用した志村ふくみさんの刈安色のことが書かれたエッセイを思い出しました。
http://blog.livedoor.jp/bamboobass/archives/2013-12-01.html

共演の舞踏家の富木えり花さん、太鼓奏者のチェ・ジェチョルさんも素晴らしく、3人それぞれのソロもありましたが、理香さんはどちらかというと、お二人を引き立てる役に周り、ソリストは富木さんで、理香さんは時に富木さんと対照的な色彩や舞を放ち、富木さんを引き立てたり、(そのコントラストが素晴らしかった)旋回も、自分の内に向かっていくような瞑想に近い感覚。まるで森が静かに葉を揺らしているようで、見ているこちらは不思議と心が落ち着きました。
とにかく優しさに溢れている。終演後の控えめなお姿からも、舞からそのお人柄が出ているのだと思いました。

それにしても富木さんと理香さんの舞は深く、舞の神髄を感じました。
まるで小さな鶴の折り紙を扱うような指先の繊細な動き。腕は空間に絵を描く絵筆のようで、その動きの残像から曲線の美しさを感じました。そして、静止寸前のゆっくりとした動き。まるで両手で器を作り、しっかりと水を受けとめて、手の中が満ちていくような感覚。
僕は普段どれだけその水を取りこぼしているのだろう。。
弦楽器のゆっくりとした弓の動きと一緒で、あのように安定した動きをするにはかなりの鍛錬が必要。
僕も表現者として基礎をもっとちゃんとやろうと刺激を受けました。(やっぱりどうしても音楽につなげて見てしまう)

何の前知識なく見たチェさんがとても多彩で驚きました。
太鼓はやはり韓国の響きを感じましたが、基本的には3拍子で、それに独自のなまりが入っていてポリフォニックに響きが拡がっていく。ブラジルやアルゼンチン、アフリカのパーカッションのリズムに通じるものを感じました。太鼓だけでなくギターや笛も演奏していて、お二人の舞と相まって、3人のトリオの表現には音楽に近いものを感じました。

「まとう」これから何をまとっていくのでしょうか。僕は想像(創造)とポリフォニックな時間の層を衣にしてまとっていきたいと思いました。

最後の富木さんが大地から何かを拾い集め、それを理香さんが受け止める。キラキラと輝く星屑のようで、涙が出ました。かけがえのないこの時間。。。

会場となった古民家の「ゆうど」も素晴らしい空間でしたが、こういう場で写真を撮るのはどうも苦手なので写真無し。とりあえず素敵なチラシを載せておきます。

帰りは思いがけず、鶴巻温泉に新しく出来たカフェのふくろうの森の皆さんとご一緒できて楽しいひと時でした。

まとう
bamboobass at 23:13│Comments(0)

August 12, 2017

山々の音楽会「大地と風の舞」

海 浜辺 空や風景
あちこちの港
みんな 僕は見て来た
黄金の砂浜の散歩
谷間の日向ぼっこ
みんな いつでも出来た

僕は見た
微笑みもジェラシーも
苦しみも幸せも
もう終わりは近いけど
生きるべき夢がまだあると
心が囁く

ミシェル・モド/人生という名の旅

先日はムジモンとダンサーのLilith Rikaさんとのコラボライブ@カトマンズバールだった。
疲れが溜まっていたのか、ライブがある週始めに風邪を引いてしまい、喉が辛く、何とか1日で症状は軽くなり、後は自分の身体と風邪の菌との闘い。ライブ当日には菌はほぼ追い出して何とか回復。ふー、我ながら免疫力に関心。。

Rikaさんと初めてお会いしたのは、昨年のセルハン・バキさんとのセッションライブの時で、ミカコさんがRikaさんにダンスを習っているというご縁でつながった。

ピックアップしたムジモンの曲にRikaさんの舞が入る。
曲調や歌詞、作曲時のエピソードなどを手がかりに、Rikaさんは演出や衣装や小道具など本当に丁寧に準備をしてくださった。僕が言うのもおこがましいが、とても優しくておおらかで謙虚な方だ。
音を奏でているのはムジモンの3人だけだが、ひとたびRikaさんが舞うと、その曲が雄弁に語り出し、色彩を帯びて映像が浮かび上がり、周りの空気感が一気に凝縮してもの凄いうねりが生じ、まるでオーケストラのように音が分厚くなってくるのを皮膚感覚で感じた。
Rikaさんも身体を使って音楽を奏でていたんだと思う。ムジモンの4人目の演奏者だったのだ。本当に美しかった。

身体での表現ということで思い出したのが、コントラバス奏者の飯田雅春さんと舞踏家の田仲ハルさんの即興ライブのこと。昔の文章だが今には無い熱量がある。
http://blog.livedoor.jp/bamboobass/archives/2013-08-05.html
そこから引用すると、

音は出ないけど、空間を身体で奏でているよう。
そういう意味では、視覚と聴覚が入れ替わるというか、
違った立ち位置から楽器奏者と一緒に音楽を奏でていたんだと思う。

Rikaさんの舞にも同じようなものを感じた。
身体表現は音が出ないが、身体で感じ取れるものがある。それはイメージだったり、そこから想起する音楽のようなものだったり。。。そうすると音楽とは何だろう。でも、様々な芸術分野が目指す所は一緒なんだと思う。答えの無い問いについて考えていきたい。

ミカコさんの唄も素晴らしかった。歌詞がより立体的に浮き上がり、以前より声のエネルギーの重力が増していて、曲の持つ物語を歌うというよりは「語る」といった感じだった。
秋山さんのギターも、いつも以上に慎重にテンポ設定をしてリズムを刻み、アンサンブルの土台を創り出してくれた。
僕は、5月にジャキス・モレレンバウムのチェロを生で体験してから、音に自身の魂を乗せるという事はどういうことかというのを学んだ。その方法はまだうまく言葉にすることは出来ないけれど、とにかく1音1音に自分の身体が持っている魂の重みを乗せ、想いを込めて弾いた。
1曲1曲が壮大な旅のようだった。風や海や大地、様々な表情の自然と循環して巡っているような。。
その日の朝に聴いた、長谷川きよしさんによるアンリ・サルヴァドールのカバー「人生という名の旅」という歌を思い出した。

「僕は見た/微笑みもジェラシーも/苦しみも幸せも/もう終わりは近いけど/生きるべき夢がまだあると/心が囁く」


人生という名の旅
長谷川きよし
EMI Records Japan
2012-10-14



8月上旬のこの日は、どうしても戦争のことを考える。今だと北朝鮮のミサイル問題もある。
そう、生きていると苦しいことも嫉妬や憎しみも悲しいことも色々あるけれど、僕達の音楽を聴いて、少しでも幸せな気持ちになってくれたら。。。ピアニスト福ちゃんの師匠の市川修さんは毎回演奏前に「世界に平和を」という想いを抱いて演奏していたそうだ。僕もそういう平和というイメージを抱いて演奏した。

終演後の晴々とした表情のお客さん逹が印象的だった。伝わったんだ、と。今度はお客さんの熱量のすごさにこちらが圧倒された。この日ゲスト参加でまるでローランドカークのような宇宙的なフルートを吹いてくれたもりぶさんの野菜販売も始まる。各々のお客さんがライブの感想を仰ってくれたり、あちこちで写真撮影が始まったりと、終演後の楽しいひととき。
ミカコさんが「おばあちゃんになってもこのライブのことを思い出すんだろうなぁ」と仰っていた。
まさに一生ものの思い出に残るライブだった。
そして、同時に「もっとうまくなりたい」と強い欲求が。今回も自分の思い通りに表現出来ない部分が多々あった。チェロの弓をまだ自分の腕の一部のように・指先のように扱えていない。基礎からまたじっくり見直そう。

うまいと評価されたときには気を付けなくてはならない。
それは評価者の文体に似ているだけかもしれないからだ。
私達が紡ぎ出さなくてはならないのは「うまい」文章ではない。
「うまく」書こうとしたものはいつも、誰かの言葉に似ている。
そんな言葉でどうして内心の真実を描き出すことができるだろう。

若松英輔‏

今回はお店近くに宿をとり、メンバーやお店の店主であるラマさんのご家族とゆっくり過ごすことが出来てとても楽しかった。料理もご馳走いただき、チーズナンとカレーとスパイスビールの組み合わせが最高に美味しかった。

近くに山が見えたり、川や森があったり、自然を近くに感じさせる生活にやっぱり憧れる。出来る事なら引っ越したい。。。

皆様、本当にありがとうございました。

Set list
☆印はRikaさんとのコラボ
1部
1.Terra flora (Eiichi AKIYAMA & Mikako Suzuki)
2.Viento verde ☆ (Eiichi AKIYAMA)
3.やまやまの唄 ☆ (Mikako Suzuki)
4.Voice of the sun (Hiroyuki Ohtake)
5.GRANA ☆ (Eiichi AKIYAMA & Mikako Suzuki)
6.このはずく (Mikako Suzuki)
7.小さな祈りの歌 ☆ (Eiichi AKIYAMA & Mikako Suzuki)

2部
1.旅したいなあ (Eiichi AKIYAMA & Mikako Suzuki)
2.茜雲 ☆ (Hiroyuki Ohtake & Mikako Suzuki)
3.Mermaid ☆ (Hiroyuki Ohtake)
4.Onenote茶豆 (Eiichi AKIYAMA & Mikako Suzuki)
5.しろくじら ☆ ゲスト もりぶ(fl) (Mikako Suzuki)
6.草原のダンス ☆ (Eiichi AKIYAMA & Mikako Suzuki)

アンコール
朝 ☆ (Eiichi AKIYAMA & Naomi Iwasa)

Photo by Miyaokaさん

ムジモン


マーメイド


ミカコさん


秋山さん


チェロゆき


もりぶさん


草原のダンス


ありがとう


集合写真1


集合写真2

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July 23, 2017

人魚と踊り

昔見た夢が現実になったかもしれない。
5年ほど前に、江ノ島で海を見たインスピレーションと、音楽仲間で人魚に似た歌い手さんをイメージして「マーメイド」という曲を書いた。
そして、その曲を書いてからしばらくしてこんな夢を見た。
コントラバスでマーメイドを演奏している自分がいて、その周りでダンサーが踊っていた。
夢なので月日が経つと忘れてしまう。そのダンサーが女性ということはわかっているが、踊っている姿や顔はぼんやりしている。
ただ、そのマーメイドという曲が流れているのと「踊っている」という感触だけが残っていて、何も根拠は無いが、いつかこれが現実になるかもしれないという直感があった。

あれから月日が経ち、色々なご縁があり、今度、ダンサーのリカさんとコラボでライブをすることになった。昨日はその初顔合わせリハ。
実際に色々な曲を演奏し、何か感じるものがあったら自由に踊ってもらうことに。
その候補曲の中でなんとこのマーメイドもあったので、ついメンバーにこの夢の話をしてしまった。「え、僕の夢の中で踊ってたのって、もしかしてリカさんですか?(笑)」そもそも人に話すのは初めてだった。

ところで、バッハやピアソラが踊れる音楽から鑑賞する音楽へ変えたと言うけれど、優れた演奏を聴くと、静かに鑑賞するというよりは、土着的で荒々しい躍動感に溢れていて、むしろ「脚に訴えかける音楽」を感じる。音楽と身体は直結している。
バッハの無伴奏チェロ組曲ならピーター・ウィスペルウェイの演奏が好きだ。
左手が弦を叩く時に生じる「トトトトト」というノイズがまるでダンスのステップのように聴こえきて「ああ、元々これは舞曲だったんだ」と、その音楽の元々の素顔を立ち上がらせてくれる。



ピアニストのシーモア・バーンスタインさんはバッハの曲をピアノで弾きながら「まさか2本の腕で青空を手にできるとは」と語ったが、ダンサーはその腕と脚それこそ身体全体を使って青空や海や山々を取り込み、やがて身体が自然と一体になって色彩を帯びてくる。そう、ダンサーはまず音や風景を「手にする人」なのかもしれない。
身体は目に見えるけれど、そのダンサーが身体で表す風景は目に見えない。でも、その表している風景の感触のようなものを僕は感じる。目に見えないもの、言葉を超えたものを表現するという点では音楽とダンスはつながっている。

色々な曲に合わせて踊っていただいたが、いやはやリカさんのダンスは物語があり色彩や風を感じさせるものがあってとても素晴らしかったです。
夢が現実になるなんて不思議だなぁ。。。現実ではコントラバスではなくチェロを弾いていたという点が違っていたが。今こうしてチェロを弾いているというのも不思議だ。。
というわけで、有難いことにすでに満員御礼となっていますが、今度のライブは楽しみです。
bamboobass at 10:28│Comments(0)