9月10日〜12日に「第2回中仙道を歩く」に参加して、軽井沢宿(軽井沢)から長久保宿(上田)を歩いてきました。
第1回の中仙道(日本橋〜板橋宿)を、前日に左目角膜を剥がして、涙を飲んだばんぶーは、今回が最初の中仙道です。

一日目 軽井沢宿〜御代田
参加者 : ゆうほ夫妻、ぽっぽや夫妻、うえさん、こうちゃん、くろちゃん、さくらこ、ばんぶーの9人。 軽井沢駅前で、ゆうほ指導のストレッチ体操をやって、出発です。

軽井沢つるや
軽井沢の駅から中山道を東京方面に
逆戻りすると、旧軽銀座を通り抜けた
ところに旅館「つるや」がある。
堀辰雄が「村はずれの宿屋」と書いた
「つるや」も、今は有名な高級旅館と
なっている。










旧軽銀座
「つるや」からもと来た道を帰っていく。
途中の旧軽銀座の賑わい。














軽井沢から浅間山
旧軽井沢駅舎の前を通り過ぎて、
別荘地を抜けると、浅間山が間近に
眺望出来る。













軽井沢(広重)
中仙道の浮世絵版画は、木曽路69次として、渓斎英泉と安東広重が、共同で描いている。

左は広重作「軽井澤」
軽井沢宿の西のはずれの街道風景と、
薄暗くなった街道で、焚き火で暖をとる
旅人の姿が描かれている。
背景の木の後ろに、うっすらと見えるのは浅間山。
ちょうど上の写真の辺りを描いたもの。



沓掛宿脇本陣・枡屋清兵衛
湯川の小さな橋を渡ると沓掛宿。
中軽井沢駅の近くに、古くからある
蕎麦どころ、生蕎麦「かぎもとや」で
天ざる蕎麦を注文。
千葉から来たというと、主人が店の
奥から古文書を引っ張り出して見せて
くれた。

蕎麦を堪能し、心に余裕のできた一行は、一旦、湯川までもどり、街を散策。

左の写真は脇本陣「枡屋・清兵衛」
現在も旅館を営んでいる。



沓掛の浅間山?
湯川の近くから見える浅間山。
噴煙の具合もなかなかよろしい。














沓掛(英泉)
渓斎英泉の描いた
「沓掛の駅 平塚原雨中の景」
雨に煙って、浅間山は見えないが、
上の写真の、湯川を渡ったちょうど
この辺りで描いたとされる。









追分の一里塚
沓掛宿を通り抜けて、追分の一里塚。
この一里塚を過ぎると追分宿に入る。

中仙道の宿場の中で最も標高が高く、
今も宿場の面影を色濃く残している。











追分宿脇本陣 油屋
追分宿脇本陣 油屋
門から奥は広い庭園になっている。
堀辰雄「ふるさとびと」の舞台となった
旅館で、今も旅館を営んでいる。












追分宿本陣跡
追分宿旧本陣の表札が掛かった家。
今は個人の住宅のようだが、庭に
明治天皇ご宿泊の石碑があった。













分去れの道標
分去れの道標。
右は越後に行く「北の道」
左は「中仙道」
この左奥に中仙道69次資料館が
あった。











広重 追分
追分の浅間山
中仙道69次資料館を過ぎて
1kmほど行くと、浅間山が見える。
雲に邪魔されているが、雲の下に
浅間山が見える。











追分(英泉)
渓斎英泉作「追分宿 浅間山眺望」













御代田の一里塚追分宿を過ぎて、小田井宿の手前に
御代田の一里塚
一里塚には通常「榎」が植えられて
いるが、御代田の一里塚には枝垂桜が
植えられていた。

御代田の一里塚を過ぎてから、一旦
中山道を離れて、御代田駅前から、
一日目の宿泊場所「ルートイン軽井沢」
に到着。  日にちを間違えていた
おじゅんも、ここで無事合流。
ホテルでシャワーを浴びてから、
タクシー3台に分乗して、御代田駅前
の「自来屋」に到着。  乾杯です。
「お疲れ様でした。明日も頑張ろう」



二日目 御代田〜八幡宿

ぽっぽや夫妻が、都合でここで離脱。 谷川岳に登るという。「え?・え?・えぇ〜〜?」
残る8人は、ゆうほのストレッチ体操をして、08:15 ホテルを出発した。
ところが、御代田の駅の方向には戻らず、西へ向かう。 「方向が違うんじゃないの?」

小田井・田切地形
2kmほど進むと、道は中山道と合流。
ショートカット大成功だが、ばんぶーに
とっては、広重の画のポイントを既に
通り過ぎていることが大問題。

ゆうほの引っ張る本体と分かれて、
御代田の駅の方向に歩き出した。
しばらく歩くと、心配したくろちゃんが、
追いかけてきてくれた。
本体と分かれて1Kmほど進んだ処が、
広重の画のポイント。
この森の向こうに浅間山があるのだが、
残念ながら雲に隠れていて見えない。



小田井(広重)
安藤広重作「小田井」
皎月原から望んだ画であるという書も
あるが、雰囲気としては、上の写真に
近いように思う。










宝珠院の枝垂桜
くろちゃんと2人で、急いで先に進むと
ゆうほ率いる本体は、ショートカットの
うしろめたさか、道中奉行を失った不安
からか、待っていてくれた。

宝珠院に立ち寄る。写真は天然記念物
宝珠院の枝垂桜。 推定樹齢300年。








左の写真が小田井宿本陣跡。安川家住宅。町指定の史跡となっていて、本陣の客室部を良好に保存している。 湯殿と厠は、幕末の1861年、和宮降嫁の際に、修築されている。  右は問屋場跡。
小田井宿本陣跡小田井宿問屋場跡













住吉神社の大欅鵜縄沢端一里塚

上は鵜縄沢一里塚

左が住吉神社の大欅(けやき)








龍雲寺山門
龍雲寺は、鎌倉時代の始め、地頭
大井氏の菩提寺として創建されたが、
度重なる戦火に荒れ果てていた。

1560年武田信玄が中興開基となり、
興隆をはかった。
境内には信玄公の墓があり、霊廟には
遺骨が安置されている。

写真は龍雲寺山門。
信玄の興隆らしく、城の天守閣の如き
風情がある。




岩村田宿のマンホール
岩村田宿に入ると、街の歩道に四角い
マンホール。  招き猫ダックならぬ
招き狐が描かれていた。













西念寺 西念寺
定朝作の国宝「阿弥陀如来坐像」が
安置されていた。

西念寺を出て、岩村田駅の近くの
食堂「王将」で本日の昼食。
名物は「天ぷらうどん」と言うので、
注文するが、なかなか出てこない。
やっと出てきた天ぷらは、ビックリ
するほどの大盛り。
皆が食べ終わるころに、ゆうほの
頼んだカツ丼が出てきたが、これも
仰天の大盛り。
もう半べそ顔になっていたゆうほも
にっこり機嫌が直りました。

やっと昼食が済んで、食堂「王将」を出ると、おじゅんはここで帰るという。
「半日しか歩いていないじゃないのー」 おじゅんは一人、岩村田駅に向かいました。
ここからは、総勢7人の旅路です。

相生の松?
 相生の松
現在の松は、植え替えられ、3代目
となる。
皇女和宮が降嫁の折にここで野点を
したと、伝えられている。











岩村田(英泉)
渓斎英泉作「岩村田」
相生の松の下で、人足やら旅人やら
入り乱れて喧嘩をしている。











駒形神社
岩村田を過ぎて、塩名田宿の手前に
駒形神社
国の重要文化財に指定されている。













塩名田宿・本陣・問屋場跡
塩名田宿 本陣・問屋場跡















千曲川と川魚料理「竹廼家」
塩名田宿の西のはずれに千曲川
写真の右側の店に「川魚料理・竹廼家」
の看板があった。













塩名田(広重)
安藤広重作「塩名田」
千曲川のほとりの茶店が、「川魚料理
竹廼家」の前身であったと想像したい。











八幡神社
八幡宿に入る手前の常泉寺に立ち寄り、
続いて八幡社に立ち寄る。

写真は八幡社
1491年、室町時代の建立。
室町時代の遺稿を良く示すものとして
国宝・重要文化財に指定されている。








八幡宿本陣跡
八幡宿に入る。 八幡宿本陣跡。

本日は望月宿まで行く予定が、皆の足が重い。「もう歩きたくないよー」と
どの顔にも書いてある。

八幡宿西の入り口バス停まで来ると、
次のバスまで40分以上あるのに、ここでバスを待つという。







百沢橋から浅間山
翌日がきつくなるからと、皆を残して、
ばんぶーは一人で先に進んだ。

写真は百沢橋からの浅間山












八幡(広重)
広重作「八幡」
百沢の小さな流れに、小さな橋が
掛かっている。
今の百沢橋の前身であって欲しい。










百沢の祝言道祖神
百沢橋の近くには、バス停がなく、
帰るには時間が足らず、「ままよ」と
先を急ぐ。
旧道を通り、道祖神(左の写真)の前を
抜けて、布施温泉入り口まで来ると、
バス停。  時刻表を見ると5分前。
少し急いだが、「大成功」

ここでバスに乗って、次の停留所で、
皆が乗り込んできて、今日歩いた道を
岩村田宿・佐久平駅まで戻る。
ここで、明日、会社の大先輩の葬儀に
出席するという、ゆうほ夫妻が離脱。
「お疲れ様でしたー」

17:00 佐久平駅のそばにある「東横イン浅間」に入り、シャワーを浴びて出てくると、こうちゃんが
帰るという。 足に血豆が出来て歩けないという。
「一泊して、明日の朝、帰ればー」の言葉にも、「帰る・・・」

ついに、くろちゃん、うえさん、さくらこ、ばんぶーの4人になってしまいました。
そこに、どこでこのピンチを聞きつけたか、穂高から2時間の道のりを車で、かとちゃんが地酒の差し
入れを持って、駆けつけてくれた。
さっそく5人で駅前の「魚民」に行き、「かんぱいでーす。」「地酒を有難う」
かとちゃんは車で来ていてアルコールが飲めないので、沢山食べてもらいました。
ホテルに戻ると、今朝離脱したぽっぽやが、谷川岳から戻っています。 部屋に戻り、かとちゃん差し入れの地酒をみんなで味わいました。
明日は5人で歩きましょう。 「かんぱーい


三日目 八幡宿〜長久保宿

三日目の参加者は、ぽっぽや、うえさん、くろちゃん、さくらこ、ばんぶーの5人です。
08:56 佐久平発のバスに乗り、4人は八幡宿西入り口で、ばんぶーは一つ先の布施温泉入り口でバスを降り、案内の地図と道標を頼りに歩き始める。
旧中仙道・元禄の道標道標?道標?









瓜生坂の一里塚跡瓜生坂碑













望月(広重)
林や畑の中の細い道を抜けていくと、
やがて道は広くなり、上り坂に差し
掛かってくる。
上の写真、左は瓜生坂の一里塚跡。
右は瓜生坂の石碑。

そして左の画が広重作「望月」
夜の瓜生坂を描いているようだが、
こんなに多くの旅人が、暗い夜道を
行き来していたのだろうか?




望月城主郭跡
ゆっくり歩いているつもりが、
後からくる4人が、なかなか
追いついて来ない。

瓜生坂から山道を少し上がった
ところに、望月城跡があったので、
そこで後続組を待つことにした。

写真は主郭跡。
鎌倉時代から戦国時代にかけて
この一帯を支配した望月氏の居城。
主郭から五の郭までが曲輪や空堀
に、囲まれた広大な山城であった。



待てど暮らせど、後続組が来ないので、ぽっぽやに電話してみると、「ごめん!通り過ぎた。」
急ぎ中仙道に戻って、瓜生坂を下り、長坂道祖神の前を通って、鹿曲川を渡ると望月宿に入る。
写真左が望月歴史民族資料館。 ここで4人に追いつく。 写真右は重要文化財・真山家。
望月歴史民族資料館真山家













望月宿のはずれ、青木坂の上り口で秋祭りをやっていた。 祭りの中に入り込み、「ミス佐久鯉」の2人と記念撮影をしてから、青木坂を登っていく。
茂田井の街並青木坂を過ぎて、しばらく行くと間の宿「茂田井」
坂の街の両側に用水路があり、白壁の目立つ街に綺麗な流れが似合う。

白壁の家は昔からの造り酒屋が多く、
その内の一軒「武重本家酒造」に
入ると、中は資料館になっていた。
先代のご当主が、絵画をやっていた
ようで、資料館の他に美術館、書道館も
併設していた。

資料館を出て、休みの工事現場の
ベニヤ板に腰掛け、朝、仕入れた
弁当を広げて、昼食をとる。


芦田宿入り口
間の宿・茂田井宿から坂を下ると、
芦田宿に入る。
写真は芦田宿の入り口にある標識。

うえさんが、足が痛いと言い出し、
靴を脱いでみると、靴下が血だらけ
血豆がつぶれてしまった。

優しいさくらこは、絆創膏を取出し
丁寧に治療をしてあげた。

うえさん、少し元気を取り戻す。




写真左は芦田宿本陣。別棟の本陣客殿も立派なものであった。  右はその中庭。
芦田宿本陣芦田宿本陣の庭













笠取峠の松並木?
笠取峠の松並木
芦田宿から笠取峠までの間の街道に、
小諸藩が赤松を植え、保護した。
今も中山道随一の松並木となっている。












芦田(広重)
安藤広重作「芦田」
笠取峠の松並木を描いている。












中仙道笠取峠原道松並木を過ぎても、舗装された上り坂が、いつまでも続く。
やっと峠の頂上と思しき地点に到達すると、今度は長い下り坂。
足のつま先にこたえる。 うえさんが辛そうだが、15:00長久保発のバスに乗らなければならず、黙々と先を急ぐ。
下り坂の途中に茶店が見えたが、日曜日で休み。 茶店の横の空き地で休憩して、先を急ぐ。

下り坂の途中に笠取峠原道の標識があり(左の写真)、この道を下ると、林の中の道は日陰になっていて、いくらか涼しく、気分も良い。


笠取峠原道を抜けると、今回の旅の終点、長久保宿。 左は長久保宿の街並。右が長久保宿本陣跡。
長久保宿街並長久保宿本陣
本陣跡の近くのバス停に、14:50到着。 予定通り15:00発のバスに乗り込み、15:40上田駅到着。 16:02発のあさま2号で帰路に就きました。 
最後まで歩き通した4人の皆様、お疲れ様でした。 今回の旅は登り、下りが多く、2泊3日で45Kmの距離は、きつかったように思います。 次回は10月9日〜10日です。 頑張りましょう。

3日間の旅の記録を1件の記事に纏めたので、かなりの長文となってしまいました。 最後までお読み下さり、有難うございます。