BamboograssWoodの気ままなブログ

BamboograssWoodの趣味に関する出来事を、気が向いた時に日記風に記載します。

東海道を歩く

3月1日(日)に仲間15人と東海道-吉原〜由比を歩いてきました。
同行15人 :  隊長のそろ猫、ゆうほ夫妻、ぽっぽや夫妻、
うえさん(ぽっぽやの友人)、くろちゃん、さくらこ、かねちゃん
こうちゃん、おーじゅん、みえちゃん、ふさんじん、らくあん庵主、ばんぶー
出発 : 千葉発06:50総武線快速ー東京で新幹線こだまに乗換え三島ー09:50富士到着

富士駅で恒例のしぶしぶ体操と記念撮影を終えて出発。 本日は国有形登録文化財である蒲原の志田邸で昼食を摂らせていただくことになっていて、そのご当主(ぽっぽやの友人)が富士駅から志田邸までを案内してくれるという。

富士駅前交差点を左折して東海道に入る。  道祖神前で記念撮影。 富士川の手前で雁堤(かりがねづつみ)に出る。
松岡水神社雁堤の突き当たりに
松岡水神社
ここでカメラの電池切れ。
以降の画像は「ゆうほ」から送ってもらった画像を載せました。


富士川を渡って「渡船上り場跡」を見物。 東海道に戻って国有形文化財「岩渕の小休本陣・常盤家」に入り、中を見学。 江戸時代・安政年間に建築され、大名あるいは公家などの休憩の場として提供されていた。

岩淵の一里塚
江戸から37番目にあたる岩渕の一里塚。榎の巨木は江戸時代からのもの。




岩渕から中之郷に入り、新坂を登ると、それまで隠していた雲が取れて、本日初の富士山が上の方だけ姿を現した。新坂橋の富士














中之郷から蒲原宿に入るとすぐに海前院光蓮寺。
光蓮寺光蓮寺の天井。 光蓮寺には浄瑠璃姫が祀られている。
源義経と恋に落ちた三河の長者の娘・浄瑠璃姫が、義経の後を追って蒲原吹上の浜までたどり着き亡くなったという伝説に基いて碑が建てられた。

雪の宿の碑
歌川広重が描いた「東海道53次」のなかでも傑作とされる「蒲原夜の雪」の記念碑が建てられている。


ここからの風景を描いたといわれているのだが・・・・?蒲原(夜の雪)












どう見ても違う風景のように思う・・・雪の夜の風景














13:00国登録有形文化財の「志田邸」に到着。 奥の座敷に上がり込み文化財に囲まれて、東京駅で仕入れた弁当を拡げた。
江戸時代の商家・志田家は味噌・醤油の醸造を営んでいた。
建物は殆ど当時のままで、中には醤油製造の鉄鍋、脱穀機、樽、帳簿類などの稼業関係、葛篭、古代塗りの弁当箱、重箱、行灯などの衣食住関連、寺子屋の教科書、明治・大正時代の教科書、通信簿、卒業証書などの教育関連、関所通行手形、などなど多数の品が展示されていた。

ここまでご案内いただき、昼食の場として「志田邸」を提供していただいたご当主に感謝、ここでお別れし由比を目指す。
由比に入り、慶安の変の風雲児・由比正雪の生家といわれる「正雪紺屋」を覗き、由比本陣公園・広重美術館に入る。広重


美術館には歌川広重の浮世絵が多数展示されていた。



美術館を出て、由比漁港に寄り道、堤防に釣り人の姿がないことを確認してから、由比駅前の食堂に行き、夕食兼打上げ会を行いました。
桜海老の掻き揚げ定食に熱い酒で、美味しく、楽しく、盛り上がりました。
本日参加の皆様、お疲れ様でした。    ぽっぽやさん、志田家ご当主に感謝です。宜しくお伝え下さい。

2月1日(日)に仲間10人と東海道-原〜富士を歩いてきました。
先週の土日が海が荒れたことと、40肩で左肩が動かなかったことで、どこにもいけず、ブログは2週間ぶりの更新です。
同行11人 :  隊長のそろ猫、ゆうほ、ぽっぽや夫妻、ぽっぽやの友人、くろちゃん、さくらこ、かねちゃん、こうちゃん、でーさん、ばんぶー、
出発 : 千葉発06:50総武線快速ー東京で新幹線こだまに乗換え三島ー09:30原

原駅で恒例のしぶしぶ体操と記念撮影を終えて出発。 本日は快晴、歩く我々の右手をくっきりとした富士山がついて来る。原の富士












原駅近くの富士は広重(原宿-朝の富士)の絵よりも手前の山裾が高いようだ。原宿 朝の富士












暫くは東海道添いに、さしたる名所もないということで、千本松原へと向かう。
千本松原公園の海岸はごろた石であったが、この辺りはごろた石混じりの砂浜。投げ釣りをしている人の姿もちらほら。千本松海岸












千本松原越しの富士。江戸時代には乗って写真を写している堤防がなかったので、ここから富士は見えなかったのであろう。 千本松海岸の富士













再び東海道にもどる。 植田新田、浅間愛宕神社の近くで撮った1枚。こちらの方が、広重(原宿-朝の富士)の絵に近い。原の富士?













立円寺

西柏原新田の立円寺に参拝




本日は今井の毘沙門天妙法寺の祭りとあって、隊は先を急ぐ。 ぽっぽや夫妻と富士の写真に夢中になっていたバンブーが遅れ、先頭は海岸通りに出たと勘違いして3人は千本松原海岸に出る。
この辺りの海岸は砂浜だが、津波防護のためか、コンクリートのテトラポットが波打ち際に並べられていて、風景が宜しくない。 それでも釣り人はテトラポットの切れ間から投げている。
携帯で連絡を取りながら、毘沙門天本堂の前で、先行の本隊とめでたく合流。
祭りでごった返す毘沙門天を今度ははぐれないように、なんとか抜けると昼食の予定地。12:30

昼食はそろ猫隊長の叔母さまの家をお借りして摂るという話であったが、到着すると地魚を交えた鮨、沢山のおかずとで大歓待を受ける。 用意していた昼食の握り飯はリックに仕舞ったまま、遠慮なしにご馳走をぱくついた。

叔母さまとご主人、息子さん夫婦、ご近所にお住いの叔父様に見送られて14:00出発。

東海道を西へと進み吉原宿を目指すと、新幹線のガードを潜った先から東海道は北進。 昔、吉原宿は度々津波に襲われて、海岸から逃げたため、東海道が曲がったとか。

吉原の左富士。この信号の先で東海道は大きく左にカーブしている。カーブした辺りは製紙工場の塀で富士は見えない。 下の広重の絵(吉原宿の左富士)と見比べて欲しい。ぴったりこの位置ではないかなー?吉原の左富士












吉原宿の左富士











吉原宿を抜けてさらに西へ進むと、小さな碑があって「鶴芝の碑」とあった。
間の宿・本市場から眺める雪の富士は中腹に一羽の鶴が舞う
ようであったとか。
鶴芝の富士











右の宝永山を頭に見立てているのかしら? ん?鶴というより
ペリカンに近い?

16:00 本日の目的地富士駅前の交差点に到着。記念撮影をして本日も無事終了した。
本日は快晴に恵まれて、1日中、富士山と歩く旅であった。
三島まで東海道線、三島から新幹線に乗り換えて帰路に就く。本日の打上げは時間節約のため、新幹線の車中で、昼食べる予定のお握りと、ツマミ、三島駅で仕入れたビールで乾杯。 同行の皆様お疲れ様でした。 そろ猫隊長にはお世話になりました。 叔母さま、叔父様には良しなにお伝え下さい。

PS : 前回の富士の写真を見ていて、広重の「原宿-朝の富士」は片浜駅で曇空をバックに撮った写真の方が、手前の山の形が近いことに気付きました。
現在の原駅より2〜3km東よりになりますか?

1月18日 8人の仲間と東海道-三島〜原を歩いてきました。
ばんぶーは別働隊で湯元〜三島を歩いていたので、12月の東海道/湯元〜三島をパスしたため、東海道は2ヶ月ぶりの参加となりました。
同行8人 :  隊長のそろ猫、ゆうほ、ぽっぽや夫妻、くろちゃん、さくらこ、かねちゃん、ばんぶー
出発 : 千葉発06:50総武線快速ー東京で新幹線こだまに乗換えー08:54三島

三島駅で隊長そろ猫の強制によるいやいや体操、しぶしぶ体操を終えて記念撮影、そして楽寿園に向けて出発。

楽寿園 湧水で出来た池と自然の林からなる7万1850屬猟躅爐肋赦贈横糠に国の天然記念物及び名勝に指定された。
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はやの瀬 近年工場の地下水汲み上げによる水位の低下で湧水の量が減り、園内には涸れ池が散見される。

楽寿園を出てすぐに江戸から29里玉井寺一里塚。道路の反対側には対の宝池寺一里塚
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八幡神社で頼朝と義経がここで会ったと言われる対面石を見て、今日の目玉である柿田川湧水郡を通り越したことに気付く。 あわてて逆戻り。

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柿田川湧水(第一展望台から) 写真の黒く見える処から水が湧き出ていて、砂が踊っているのが判る。こんな場所が何十とあって1日百万トンの湧水が、一級河川・柿田川となっている。
柿田川は狩野川との合流地点まで1200mの日本一短い一級河川。

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ミシマバイカモの群生 自然に生育しているのは、柿田川湧水だけの固有種。楽寿園その他近くの清流のミシマバイカモは全てここから移植したもの。

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柿田川公園を出て長沢松並木

潮音寺 なぜか赤子を抱いた観音像がある。キリスト教の影響?
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12:30狩野川のほとりに出る。予定時間をかなりオーバーしていたが、腹も減っていたのでここで昼食。 三島駅で仕入れた海鮮ちらし鮨が旨い。
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13:00出発。 遅れ時間を取り戻すため、速度を上げる。
江戸から30里の一里塚、川廓通り、江戸から31里沼津市一里塚、沼津宿跡、間宮本陣跡を過ぎて一旦東海道をそれ、海岸通りに向かう。

乗運寺 千本松の苗を植えたと言われる増譽上人の像があった。
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千本松原 狩野川河口から富士市まで10kmの富士海岸に防風林として設けられている。 千本松公園には、この千本松原を愛したと言われる若山牧水、井上靖、池谷観海、角田竹冷、明石海人の歌碑が建っていた。
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途中から再び東海道に戻り、松永一里塚跡を経て神明神社
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神明塚古墳の上に建っている。

今日の目的地ー原駅を目指しひたすら歩く。右手に曇り空をバックにした富士山が、街道の家々の間から見え隠れ。
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トイレ休憩に立ち寄った片浜駅で写した1枚。曇り空がバックだとなんかはっきりしない。

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松陰寺 白隠禅師が奉られていた。

16:00原駅に到着。 沼津魚がし鮨で、今日の打上げと今年の無事走破を祈っての新年会を行いました。
今日の歩く距離は短いつもりが、逆戻りがあって、結構強行軍に近いものになってしまいました。
参加者の皆様、お疲れ様でした。

11月1日 10人の仲間と東海道-大磯〜小田原を歩いてきました。
同行11人 :  隊長のそろ猫、ゆうほ夫妻、ぽっぽや夫妻、ぽっぽやの友人、たかじゅん、もとちゃん、ふさんじん、ミラクル姫、ばんぶー
出発 : 千葉発07:08総武線快速ー戸塚で東海道線に乗換えー09:00大磯
前回歩き終えた地点鴫立庵に戻り、記念撮影してから出発。

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出発してすぐに島崎藤村の大磯の住処。 中に入ると待ってましたと、管理人のおばちゃまが出てきて、説明をしてくれました。

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一号線を西へ。  途中小田原宿上方見附付近の松並木。  その大きさに思わずこのポース。 「あぁ・・・私は松になりたい」

一号線を外れて海の方に行くと、吉田茂の大磯別邸。 入り口は閉まっていたので海岸の方に廻ると吉田茂の銅像。 大磯の海岸に面していったい何ヘクタールあるのか。
看板には10:00開園とあるが、海岸側の入口も閉まっていた。

出発しようという時になって、やたら暑さを感じ、オーバーズボンを脱ごうとするが、靴を履いたままでは脱げない。 もたもたするばんぶーを置いて、ゆうほ夫妻の引っ張る本体は、どんどん行ってしまう。 オーバーズボンを脱いでリックにしまい、靴を履いて追いかけるが、さほど離れていないはずの本体が見えない。 暫く行くと携帯電話が鳴って、「何処向いて行ってんのー」とゆうほ夫人の怖いお声。 西に向かったのは間違えで、一旦東に戻って一号線に出てから西に向かう。 ようよう本体に追いつくと「何やってんの。10分ロスしたじゃないか」とゆうほからきついお叱り。 「すいましぇーん」
本日、本体とは別に箱根湯本まで歩くというゆうほ夫妻に引っ張られて、隊は一号線を西進。大磯から二宮にかけては特段の名所もなく、ひたすら歩くことに専念。

いつもどん尻を行くミラクル姫が、どうしたことかすこぶる快調にとばし、代わってどん尻は、へばりぎみのたかじゅん

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江戸から18番目 二ノ宮の一里塚  
                                                  
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ばんぶーはマイペースで途中、名も知れぬ花を見つけてパチリ。
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松屋本陣跡は、なんと一般住宅の庭の中。69cb4fe0.jpg

12:15 ぽっぽやが予約しておいた、のんき亭に到着。
ばんぶーは、この辺りで食べるならと「しらす丼」を注文。 とん汁と漬物が付いて900円。 厚さ2cm程敷き詰めた「しらす丼」はお値打ちものでした。
のんき亭を出て、ゆうほ夫妻の引っ張る隊は、さらにペースを上げ、西進。

江戸から19番目、小幡の一里塚がこの辺りにあったという石碑を通り過ぎ、酒匂川にかかる橋の渡り口に腰を下ろして休憩。f076efb2.jpg
酒匂川の白鷺。(カーソルを写真の上に置いて左クリック)

酒匂川を出てすぐに新田義貞首塚を探す。 家と家の間の細い路地を伝っていくとその奥に首塚があった。e7d3c6da.jpg
越前国(福井県)で足利尊氏に討たれ、晒し首にされていたものを、義貞の家臣が奪い返して、義貞の領国上野国(群馬県)に持ち帰る途中、ここ酒匂川のほとりで病死、義貞の首はこの地に弔ったという。
一号線をさらに西へと進む。東海道小田原宿のこんな標識では有難みも少ない。
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15:10 日本橋から85km地点に無料休憩所。 座敷に上がって、お茶のサービスがついて、トイレも借りて、全て無料は有難い。  ここでゆうほ夫妻はのろまな本体を見限って、湯本に向けて出立した。
ゆうほ夫妻に見限られた本体は、1人しか入れないトイレを気長に待って、ゆっくりと身支度を整え、外に出て記念撮影もして、
15:40 ようやく出立。

ぽっぽやのたっての希望で、人車鉄道、軽便鉄道小田原駅跡地にて写真撮影。
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 他の者はあまり関心もないのか、うろうろ、きょろきょろ。

本日の本体の最終到着予定地、箱根登山鉄道「箱根板橋」の近くに居神神社があるが誰も階段を登ろうとしない。 そこで道路脇の鳥居の前にかつての美女達を集めて最後の記念撮影としました。
16:10 箱根板橋から箱根登山鉄道で小田原まで出る。 ここで今夜は親戚の家に寄るというぽっぽや夫妻、小田急線新宿行きに乗るというミラクル姫、もとちゃんと別れ、残された5人はJR東海道線―総武線快速と乗り継いで帰りました。

費用 。複劵曠螢如璽僖后 錚横械娃
   ∧芯諭実膂襦     錚隠牽
   H超供湿田原    ¥130
   ぞ田原ー平塚    ¥320
   ッ訖        ¥900
   Π物(ペットボトル)¥150
   Г土産(いさきの薩摩揚げ)¥500
    合   計     ¥4480

10月5日 仲間10人と東海道-藤沢〜大磯を歩いてきました。
同行10人 : 隊長のそろ猫(♀)、ゆうほ夫妻、ぽっぽや夫妻、ぽっぽやの友人(♂)、さくらこ(♀)、たかじゅん(♀)、くろちゃん(♂)、ばんぶー(♂)
出発 : 千葉発07:08総武線快速ー横浜で東海道線に乗り換えー藤沢ー09:00藤沢本町
前回歩き終えた地点に戻り、東海道まで出て伊勢山橋で記念撮影してから出発。

大山道道標
 国道44号を西進して、国道1号線と合流
 する地点に大山道道標があり、小堂の中
 に、不動明王が安置されている。
 右側に大山道の一の鳥居が立っている。
 そろ猫の指示によりここでも記念撮影。

 国道1号線をさらに西進する。
 藤沢から茅ヶ崎に入ったあたりからところ
 どころ、東海道松並木が道の両側に
 続いている。





千手院

 大山道道標から2Km程進んだところに
 千手院があり、ここで一休み。 境内に
 閻魔堂があり、ここで全員の記念撮影。



 さらに松並木を通って西進。松の木の
 多くが北に傾いているのは長年に亘る
 海風の影響か。





茅ヶ崎一里塚(日本橋から14番目) 茅ヶ崎駅の手前に茅ヶ崎一里塚。
 日本橋から数えて14番目の一里塚。
 周囲をビルに囲まれて、元の雰囲気とは
 全く変ってしまっているが、原型はなんと
 か留めている。

 今回は常連のミラクル姫が風邪で不参加
 のため、全員の歩くペースが良く、距離を
 稼ぐ。    たかじゅんも額に疲労の色を
 にじませながら頑張っている。
 国道1号線が大きく右に曲がって千の川
 を渡ったところに、南湖の左富士の碑が
 あるが、残念ながら今日は曇っていて
 見えない。

鶴嶺八幡宮鳥居その右手には鶴嶺神社の大鳥居。松並木の参道の奥に鶴嶺八幡宮があるが、ひたすら歩くことに意義を見出したゆうほとくろちゃんが隊を引っ張って、撮影するばんぶーを置いてどんどん先に進んで行く。


旧相模川橋脚小出川のほとりに旧相模川橋脚が公園として保存されており、ここでぽっぽやが茅ヶ崎で仕入れた駅弁をひろげる。
関東大震災の折に田圃に姿を現したこの橋脚は鎌倉時代に掛けられた橋の橋脚であり、橋供養(開通式)に馬で渡った頼朝が義経のたたりで落馬したとの言い伝えもある。

ぽっぽやお勧めの駅弁は美味しく、腹の減っていた一同は元気を取り戻し、さらに西進。 現在の相模川を渡って平塚市に入る。
お菊塚平塚駅を過ぎたあたりに番町更屋敷のお菊塚。
街道から少し入った所なので判りにくいが、なんとか探し当てここも記念撮影。
お菊は平塚役人の娘で、旗本の家に行儀見習いに行っていたらしい。

このあたりから平塚宿江戸口見附跡、脇本陣跡、高札場跡、東組問屋場跡、本陣跡と遺跡の碑が続くが、ゆうほ、くろちゃん、ぽっぽやの友人が引っ張る隊はどんどん先に進むので、写真撮影をしていると取り残されてしまいそう。

平塚の塚-2ここ平塚の塚で一行はやっと止まって小休止。
旅の途中病死した公家の娘を弔った墓地が平な塚であったことから平塚の地名の由来となった由。
ここでも全員の記念撮影。


平塚宿の碑平塚宿の碑(ここはかろうじて撮影)を過ぎて金目川を渡ると大磯宿。 松並木のほとりに虎御前(蘇我兄弟のどちらかの妻)が使ったと言われる化粧井戸。 さくらこが「私もこの水で化粧をすれば・・・」と云うが、ちと手遅れのような気が・・・・いえ、そんな事は決してありません。今でも充分美しゅう御座りまする。


鴫立庵
JR大磯駅を右手に見て本日の最終地点鴫立庵に到着。
100円の拝観料を払って見学。   歴代の庵主の墓と句碑が所狭しと並んでいた。


打上げは駅に近いそば処古伊勢屋。 江戸時代から続いているという店の主人は80歳を超えているとか。 ぽっぽやの予約のためか、えらくあいそが良くそばが出来る前に近くの地福寺に案内するという。
地福寺-島崎藤村の墓散歩がてら寄った地福寺に島崎藤村とその妻の墓があった。 島崎藤村は晩年、こよなく愛したここ大磯の地に居を構え、終生を過ごしたと言う。  古伊勢屋の主人がシャッターを押してくれて記念撮影。  16:00   ここで、明日坂東33箇所めぐりを始めるという、ゆうほ夫妻(明日は雨だぞー)と別れて古伊勢屋に戻り、注文しておいた天ざるが来る前に、本日の無事の完歩を祝し、隊長そろ猫の音頭でビールで乾杯。

帰りはぽっぽや友人の勧めもあって、戸塚で総武線快速に乗り換え、家に着いたのが19:30  篤姫にも間に合ってまずはめでたしめでたし。

費用 : 。複劵曠螢如璽僖后     錚横械娃
     藤沢−藤沢本町      ¥ 120
     B膂襦殃芯諭        ¥ 180
     っ訖弁当(小鯛と鯵の寿司) ¥ 980
     ヅ喘罎琉物          ¥ 240
     ε靴兇襪修弌          ¥1000
     Д咫璽襦覆潅攸さま)    ¥   0
       合  計            ¥4820

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