バナナ・ヒロシの「はーい!バナナです」

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カテゴリ:■メモ ヒロシ

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「モリーズ・ゲーム」という映画をみました。いい映画でした。今回、この映画のことではなく、この映画をみた映画館について書いておきたいことがあるんです。

映画をみる前、あるいはみ終わったあとで館内の映画ポスターを撮ることにしているのですけど、ポスターがないんです。この映画館は最近オープンしました東京ミッドタウン日比谷のシネコン、TOHOシネマ日比谷です。館内にはスクリーンが13も備えられて、いわゆる最新鋭の体感型の劇場も備えられ、お金持ちの方を優遇するプレミアムシートなんかもある映画館です。
これだけ豪華な映画館なのにポスターがないんです。また、スクリーンで入口のところにはふつう、なんの映画がいまこのスクリーンでは上映しているかポスター画像のパネルも備えているはずなのですが、これもないんです。スクリーンの番号のみです。

わたしは従業員にききました。この映画館にポスターはないんですか、と。
従業員は「ここではそういうのはないんです」といいました。
「じゃあ、この映画館には情報しかない、ということですか」とききました。
「そうです」ということでした。
映画館から自宅に帰ってからも、やはりこれは映画館としてはおかしい、と思いました。

いままで映画のポスターをきちんと館内に貼らない映画館なんかわたしはみたことがないのです。どんなに煤けた、老朽化でガタついたポルノ専門の映画館でもポスターだけは看板として掲げていたのです。映画館として当然のことです。
それが最新鋭の贅の限りを尽くした映画館にポスターを貼るためのスペースを最初から用意していない、こんな映画館はいままでなかったです。

なぜこんなことになったのでしょう。

あきらかに映画館を設計する側、そのプロジェクトの中心にいる人物が「映画ポスターは余計なコストにしかすぎない」と判断したからです。すこしでもコストカットしなければいけない、というその計画にポスターはいらないという合理的経済的な判断だったのでしょう。

映画館に映画のポスターは余計だと判断する映画関係者、それはどんなもんなんでしょう。

そういう判断を下した人にいえることは、映画になんか興味がないということなんでしょう。映画に興味がない人がこの映画館に投資し、東京ミッドタウン日比谷という金になるビルにシネコンとして押し込んだのです。映画に興味も愛情もない人によるものです。

映画に興味がない人が映画館をつくることって、そんなの考えられない、という人もいるかもしれませんが、じゅうぶんにその可能性はあります。対象物に愛着も興味はないけれど、それが金になるなら自分もあやかりたいぜと、世界が、日本がバブルに浮かれていた時代がまさにそうでした。

その一例をあげます。オランダのチューリップ狂事件というバブルの歴史に残る事件がありました。くわしいことはネット検索してください。ここではかいつまんで書きますが、チューリップという花がトルコから西欧にもたらされたのは、16世紀の半ばです。この花はまもなくヨーロッパで高く評価されました。やがてまれな品種の球根の価格が異常に上昇し、投機の対象になりました。価格の上昇にともなって、チューリップ栽培には関係しない人々も投機に参入するようになりました。多くの人が金持ちになりました。このとき、現物渡しの習慣が崩れ、球根が実際に引き渡されるまで対価を支払わないでもすむ先物取引が導入されたため、投機性がいっそう強まりました。

チューリップ狂の終焉は不意に訪れました。価格は暴落しました。実体から離れたバブルが頂点に至って自己崩壊を起こしたのです。それだけのことです。

チューリップになんの興味もない人がチューリップに金をつぎこみチューリップによって金持ちになり、そして没落していった事件です。

金です。金になるのなら心はいらないのです。資本主義は心がありません。心がないから金で通用するものはだれでも歓迎です。逆もまた真です。金にならないものは事情はどうあれ価値はありません。

TOHOはこのビルに映画館をつくれば金になると判断したのでしょう。豪華な映画館にするために無駄なものは極力排除しないといけなかったのでしょう。

その無駄が映画のポスターだったのです。

そこに心はありません。映画にたいする心はありません。

東京ミッドタウン日比谷はうんざりするほど豪華なビルです。ゲロがでそうなくらい豪華です。みたい映画がたまたまここでやっていたからわたしは来たまでです。でなければ今後、足を向けたくはありません。

わたしは3・11の風景を見ながら、自分のふるさとが津波に洗われ、あちこちに火柱がたって、私の遠縁の人間たち、友人たち、後輩たち、友人たちの両親、兄弟が波にさらわれていくのを、胸張り裂ける思いでみながら思いました。私たちの文化と言葉は、この一大悲劇の後も、3・11以前にあった文化と言葉とこれからも同じであっていいのであろうか、と。

いや、こうした大げさな設問はどうも何やら嘘くさい。私たちではなく、私の問題ですから言いなおします。わたしという側の言葉と表現のモチーフは、3・11以前と以降で同質であってよいのか、と。言葉は掌紋のようなものでもあるので、容易に変わるものではありません。しかし、意図しようとすまいと、私の言葉とモチーフは、その側が同じとはいえ、組み立てや色合いは3・11以降だいぶ変わりつつあると感じております。

しかし、他の人びとも変わるべきだとは思いません。この国が変わるべきだという意見には、どのように、という疑問がつきまといます。大体、国家や民族、文化などという巨大な言葉にはいつも警戒すべきです。3・11後、この国のありようは変わらなければならないといつもよく言われる。なりたちゆかなくなった経済状況とかもからめて、3・11以降、しがない個人の生活より国家や国防、地域共同体の利益を優先するのが当然という流れが自然にできてきている。

「個人」は「国民」へと、いつの間にか統合されつつあります。そして、この国は、われわれは、変わらなければならないと言われ、それが見えない強制力、統制力になって、個はますます影が薄くなっている。3・11以降、内心の表現は3・11以前よりさらに窮屈に、不自由になっています。そのことに私はとくに注目しています。


辺見庸 「瓦礫の中から言葉を」 わたしの〈死者〉へ 2012年1月10日初版

いぬ2013021500002石川康宏「現代を探求する経済学」(初版・2004年7月)を読んでいる。ジェンダーの問題のひとつとして「雇用機会均等法」について論じている。1986年に施行された「男女雇用機会均等法」である。

この法律と同時に広まったのが「総合職」「一般職」というコース別採用である。総合職というのは社内の中心的な業務に係る基幹職のことで、一般職というのはその周辺部分の事務処理などを中心とした補助職のことである。両者にははっきりとした仕事内容の差がある。賃金体系も当然前者が優遇される仕組みになっている。

つまり、女性だって男性の抱えている仕事と同等の量と質のそれをバリバリ働くことができるわよ、女性にも能力をフルに活用することができる機会さえ与えてくれたらやってみせるわよ、チャンスをちょうだいよ、という社会進出の意欲に燃える大学卒業を控えた女学生などの求めに応じた制度がつくられたというわけである。

このような制度が施行されてからはたしてどうなったかというと、苦労して総合職についた女学生たちの中からわずか1〜2年のうちに「健康上の問題」を理由に仕事を辞める者が現れるという。

端的にいって、仕事がキツイ、たいへんなのである。「それでも男の人は夜中2時ごろまで働いて、会社に泊っている人も多いんです。同じチームなのに、その人たちにも悪くって」という女性がいる。

ここで問題なのはその女性のガンバリの不足ではなく、非人間的としかいいようのない労働の実態である。女性の社会的進出のために開かれた門戸である「総合職」は、過労死に至る道に通じかねない、劣悪な労働条件、環境だったのである。

また、男性なみも働く権利を得るということは、男女の体力差、妊娠、出産に関わる肉体的な構造の違いについての考慮を排することにもなる。実際、均等法の99年の改正では、この点について撤廃された。

「男性並みの業務を女にも」という形式的な平等の追求だけでは解決しない。問題の根底にあるのは男女共通の労働条件への努力だったわけである。

「総合職」にはさらにもう一つ条件がつけられていて、「転居にともなう転勤の受け入れ」がある。家庭をもつ女性、あるいは近い将来家庭ともつことを見据えている女性にとってこの条件が総合職を選択しづらい原因にもなっている。

「辞令」という名の命令ひとつで、人間をどこにでも飛ばすことのできるこの制度も、日本に特有の野蛮な労働条件のひとつであると著者はいう。まったくそのとおりである。

男女同等に雇用することが問題の本質の解決ではない。男女共通の労働条件の改善がそもそもの論点でならなければいけない。

10月17日(月)

■「午前0時の小説ラジオ」・「あの日」から考えてきたこと 屬椶たちの間を分かつ分断線」、では始めます。即興ですので、詰まったり、途中で終わってしまうことがあるかもしれませんが、その際はお許しください。そして、みなさんもそれぞれの場所で考えてくださると嬉しいです。

■「分断線」1 「あの日」から、僕たちの間には、いくつもの「分断線」が魅かれている。そして、その「分断線」によって、ぼくたちは分けられている。それから、その線の向こう側にいる人たちへの敵意に苛まれるようになった。それらの「分断線」は、もともとあったものなのかもしれないのだけれど。

■「分断線」2 大きく分かれた線がある。細かい線もたくさんある。はっきり見える線もある。けれどもほとんど見えない線もある。わかりやすいのは、「反(脱)原発」派とそれに反対する人たちの間に引かれた線だ。そこには激しい応酬がある。それから、はっきりした敵意もまた、存在している。

■「分断線」3 細かい線と見えにくい線はたくさん合って判別が難しい。だから、一つだけ指摘しよう。それは「あの日」のあと生まれた線であり、「あの日」以降の行動の指針をめぐる線だ。つまり、津波や震災で直接被害を被った東北への支援に重点と置く人と、原発にかかわる問題に焦点を置く人たちの間の線だ。

■「分断線」4 もちろん、両方に関わる人も多い。それから「東北」派と「原発」派の間に表立った応酬はない。だが、この両者の間には、深い、対立の気分が内蔵されてる。誤解を恐れずにいうなら「いまはそっちじゃないだろう」「優先されるのはこっちだろう」といういらだちの感情だ。

■「分断線」5 本来、誰よりも共に戦うべき人たちの間に引かれてしまう、見えない線がある。見える線を挟んでの応酬は、どれほど厳しい言葉が生き交っても、ある意味で健康だ。誰と誰が対立しているのは明らかだからだ。だが、見えない線を挟む沈黙の応酬は暗い。無言の嫌悪の視線がそこにはある。

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3月21日(月)

■「午前0時の小説ラジオ・震災編」・「『正しさ』について・・・・・・『祝辞』」1 今年、明治学院大学国際学部を卒業されたみなさんに、予定されていた卒業式はありませんでした。代わりに、祝辞のみを贈らせていただきます。

■「祝辞」2 いまから42年前、私が大学に入学したころ、日本中のほとんどの大学は学生の手によって封鎖されていて、入学式はありませんでした。それから8年後、私のところに大学から「満期除籍」の通知が来ました。それが、私の「卒業式」でした。

■「祝辞」3 ですから、私は、大学に関して、「正式」には「入学式」も「卒業式」も経験していません。けれど、そのことは、私にとって大きな財産になったのです。

■「祝辞」4 あなたたちに、「公」の「卒業式」はありません。それは、特別な経験になることでしょう。あなたたちが生まれた1988年は、昭和の最後の年でした。翌年、戦争と、そしてそこからの復興と繁栄の時代であった昭和は終り、それからずっと、なにもかもが緩やかに後退してゆきました。

■「祝辞」5 そして、あなたたちが、大学を卒業する時、すべてを決定的に終わらせる事件に遭遇したのです。おそらく、あなたたちは「時代の子」として生まれたのですね。わたしは、いま、あなたたちに、希望を語ることができません。あなたたちは、困難な日々を過ごすことになるでしょう。

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あー、どうも、バナナ・ヒロシです。
睡眠時にみる夢というものはたいてい意味のないものとわかっていますが、昨夜はひさしぶりに強烈にあらあらしい夢をみたので、ここに記しておきます。昨夜わたしはこんな夢をみました。


ある日、一通の手紙がわたしのところにきた。

「こんにちは、わたしは中国人です。わたしはあなたに会いたいと思っている者です。わたしは中国人だから中国に住んでいます。ですからあなたも中国に来てください。中国のわたしの家に来てください。歓迎します。わたしの家では養豚場を経営していましてそれで生計を立てています。わたしの名前ですが、わたしは西田敏行のファンですから、わたしのことを認識田敏行と呼んでください。中国のわたしの家に来てください。これがわたしの顔写真です」

手紙に添えられてあった写真は指でオッケーのサインをつくっているローラだった。

手紙のとおりわたしは中国にいた。むこうから若い男性がやってきた。
「やあ、ようこそ、わたしの家にきてくれました。わたしが認識田敏行です。さあ、養豚場を案内しますよ」
いわれるとおりわたしは養豚場を見学した。豚がぶひぶひ鼻を鳴らしていた。案内は終わった。
「さあ、我が家自慢の豚肉料理をごちそうします。遠慮しないで食べてください」
食卓にはずらりと料理がならべてあった。しかしそれは全部鳥料理だった。

「だめだ。ああ、このままではだめだ」
中国人が電話を耳にあてながらいいだした。
「わたしの身内のものが病院で死にそうなんです。いまから病院にわたしといっしょに来てください」

中国人の男性の運転でわたしは彼といっしょに病院にむかった。

病院に着くと「この車のなかで待っていてください。わたしは家族に会いに行きます」と、わざわざわたしを病院に連れてきておいて車のなかで待っていてくださいといわれた。

車のドアの窓をあけて顔を出していた。すると、急に空からなにかが落ちてくるのがみえた。いや、落ちてくるというより、なにかがタイムワープしてきたように時空のひずみのようにみえ、そこからなにかがあらわれてきたようだった。

ふわあっとそのひずみから野球ボールがでてきた。そのまま道にてんてんところがった。
「なんだ、これは」
わたしはボールを拾った。そのボールには“1959”と記してあった。
「1959年の試合のボールなのだろうか」

わたしはそのボールをしげしげとながめた。
すると「いやー、きみか、そのボールを持っているのは」とある人物がちかづいてきた。
石田純一の義理の父親にあたる元野球投手の東尾修だった。

「そのボールを探していたんだよ。どうだい、ぼくの投げる球を、きみ、受けてみないかい?」

おたがいグラブなんか持っていない。素手で受けろというのか。

「じゃあ、いくよ」
東尾は投球フォームにすぐに入った。
しかたないのでわたしも捕手のポーズをとった。
容赦なく東尾はわたしめがけて硬球を投げてきた。
びしーっとわたしの両手がボールをうけとめた。
「いてーっ」とわたしは両手を抱えた。
いつのまにか東尾は消えていた。ボールも消えていた。

病院から中国人の男性がもどってきた。
「いいですか、車で来たんだから駐車料金を払わないといけないんです。あそこの係員に料金を払ってください」
わたしは駐車場の詰所のようなところにいる係員に料金を払った。

「じゃあ、食事に行きましょう」
ふたたび車は彼の運転で動き出した。

わたしは「あ、しまった、携帯電話を日本に置いてきたなあ」とぼそっともらした。
「あなたの携帯電話ならぼくが持っています、どうぞ」と中国人がポケットからわたしの携帯電話を出した。たしかにそれはわたしの携帯電話だった。わたしはわたしの携帯電話を認識田敏行から受け取った。

「食事はどこにしますか、神楽坂にしますか」
「中国に神楽坂はないでしょう」
「ないです」

そのまま車はどこにむかっているのかわからないまま走っていった。

「ここにしましょう」

うどん屋だった。

「今日の定食は天丼の上にカニの寿司をのせたものです」

めちゃくちゃな定食だった。

店に入るとまずまずの盛況ぶりだった。

店は広いのに初老の男性の店主ひとりで営業をやっていた。

「はい、ど〜ぞ、天丼の上にカニの寿司をのせたやつよ、いや〜ん」

しかもオネエだった。

「どうします、天丼の上にカニの寿司をのせたやつ、注文しますか」

「いや、注文しません」

ここで夢からさめた。

三島 でもね、僕、耐えられないのは、たとえば僕の680円の本を出す。それを買ってくれる人がいる。68円僕の懐に入る。そうすると68円はどういうお金かと思うんだよね。それはある一つの大衆社会の中に、サラリーマンでもなんでも生きている、そして会社に不満も持っている。しかし女房、子供もかわいい、そしてなんかこれで、そのうちに宝くじにでも当ったら何かいいことがあるかと思ってる。そういう男が僕の小説を買うわね。そこで680円支出するんだ。かなりの支出だ。彼のどの部分がそれを買うかと思うんだ。そうすると、僕は、彼の一番鋭い良心の部分が僕を買ってるなんていう己惚れは全然ないよ。絶対ないよ。彼はやっぱり、なんかこの社会や時代に対する不満の中から、まあ逃げ道というか、流行というか、なんか追う気持ちがあって、ふらっとシャツでも買うように小説を買うだろう。そして彼は、3時間か4時間の間、彼が求めたものを喜ぶだろう。それは僕らだってサービスするんだから、サービスするだけのものは買うわね。その中から68円もらうんだ。そうすると僕はいったい何のために生きているんだ。この人たちから68円もらうということは、やっぱりこの人たちをつまり生かしていくためだろう。そしてその人たちはそれがなかったら生きられないかというと、なくても生きられることは確かだろう。その瞬間に、おれはやっぱりいやになっちゃうんだな、ほんとうに。なにをやっているんだおれは、ということね。


(「文芸」昭和45年11月号 三島由紀夫・武田泰淳対談「文学は空虚か」)

60f4ebe3.jpg年齢をとると、生活のうえでいやでもいろんなことに気づかされます。
なにに気づかされるかといえば、人は自分以外の人に対しいかに気をつかうことをおろそかにすることか、という点です。

気くばりというものに人はいかにふだん鈍感であるか、苦々しい気持ちを味わうことが最近多いのです。若いときはさほど機敏に感じなかったことがいまではやたら目につくようになり気になってしまうのです。

他人への気づかいというのはちょっとしたものなんです。そのちょっとを、ちょっとだからやらないですませるか、ちょっとでもやっておこうというその気持ちのちがいなんです。

そのちょっとをないがしろにしてしまうと、その人にとってそれはそのちょっとは存在しないものになってしまうのです。結果そのちょっとをちょっとだからとしておくその現実が日を追うにつれ、気づかないちょっとが山となっていくのです。

そういう人はいい大人になってから、そのちょっとはもうなにがちょっとなのか理解できなくなってしまうのです。気づかいのなさに周囲はいらだっても、自分がなぜ周囲をいらつかせているのかまったくわかっていない、そういう人はあなたの周囲にかならずいるはずです。

そういう人には注意をしようにもなぜ自分が注意を受けなければいけないのか理解できないわけですから、周囲はただただ不快に思うばかりです。
ちょっとのことでも気づかいとなるならそれをやっておこう。この気持ちの積み重ねがその人をすこしずつ立派な人間にしていくのです。あたりまえのことですが、生きているというのはいままでのその人の意識の積み重ねです。最初から立派な人はいません。いたとしてもそうみえるだけです。発展途上にある立派でない人はどこかで気づかなければいけないのです。

そして、「あ、こういうことをやっちゃいけないんだ」「こういうときはこうしたら人はわるい気はしないだろうな」と気づき、いままでの自分を修正しようという意志をもつ人が尊敬に値する人物なのです。

しかしそのような意思に縁のない、むしろ礼に失したことを平気でやる人のほうをわたしたちはよくみかけるはずです。それは周りに注意をしてくれる人がいなかったから、または同じ類の者としかつきあわなかったから、または注意する人に対してなんの敬意をあらわす必要もないと思ったから、または「そんなことをしたら自分という人間が周りから低くみられる」からのいずれかと思います。

人に対する気づかいはおおかたは自分で気づいていくしかないのです。それは自分以外の人のため、自分という人間のためでもあるのです。
わたしはいまこうやってブログに以上のことをつらつら書いていますが、ブログ、ツイッターの世界でも、ちょっとの気づかいに対して鈍感な人も相当多いです。

そんなことをやったら自然と人が離れていくよと自分以外の者に対しての気づかいのなさを嘆くようなことを書いておきながら、そういう当人が「こんなこと書いたら、みる人は不快に思うのにな」と思えるような実に失礼なことを平気でツイッターで書いている例もよくみかけます。他人の気づかいのなさはみえるけど自分の気づかいのなさには気づいていない。

そんなことをネットに書く本人には悪意はないのでしょう。悪意がないから平気で書くのです。それを失礼とは思っていないのです。この悪意のなさこそちょっとしか気づかいというものを理解しないままその人はその人生の途上にいるということなのです。
ブログ、ツイッターは自分の世界です。書きたいことを書く世界です。現にわたしもそう利用しています。だからこそそのような世界で自分が意識する気づかいというのも同時にためされる世界なのだろうと思います。

更に私は、「いい人」というものがこの世に実在することを信じている。私の言う「いい人」には間抜けとか、お人よしとか、ボンクラという意味は少しも含まれていない。私は生涯に四人か五人の人が、私に対して「いい人」であったと信ずる外のない記憶を持っている。いい人の内容はよく分らない。なぜそれ等の人がいい人なのか、それを証明する力も私にない。それは証明することがボートクのように感じられる性質のものらしい。私の見たいい人は、不思議なことにどの人も頭がよかった。また私の知ったいい人は、どの人も、あるとき、悪魔的な、手のつけられないような人になった。しかしその人には、真実のこと、もし真実というものがないならば、真実だと私が思い込むようなことを話すと、それがまっすぐに通じた。

私は自分ひとりでは、自分をいい人だと思ったことは生涯一度もない。しかし私は、私がいい人だと思う人に、いたわられたり、大事にされたりした記憶を持っている。その記憶は、それから後で疵だらけになったり、曇りが入ったりしたけれども、それでもそれが私の生活の中の宝石のようなものである。私は悪い人間であるけれども、いい人に大事にされたり、労わられたりしたことがある故に、自分を全く棄てたり、生きることに絶望したりできないでいるような気がする。おれの中にも何かがある。少なくともあの時、あの人間に、あのように扱われたことがある、と思うことは、生きることを力づける。多分そういう風にしてイエスの弟子たちやシャカの弟子たちは、いよいよ駄目になったときに自分を思い直すことができたのであろう。

酒は、そうだ、酒の話であった。私は田舎の中学校の教員仲間と酒を飲むことによって、酒の飲み方、酒の世間的な飲み方を知り、酒と嘘と妥協とが切り離されないものであることを知った。そして酒を酒席で飲むことはそのあと私の心の負担になった。

酒は、本当に苦しい自己否定のときには決して救いにはならない。私は三十歳位の頃に、まったく自分に絶望した。才能のことではない。芸術家が絶望したと言うと人はすぐ才能のことと思う。その時私は、道徳的に自分は恢復しがたい存在になったと信じ込んだのである。自分は自分から見てゆるし難い、とその日は思った。

夜の十一時過ぎに、私は中野の宝仙寺前と言われたあたりの電車道の居酒屋に入って、一人で酒を飲んだ。私は異様なことをするような気がした。一人で酒を飲むということは初めてであった。自分の考えるところのゆるし難い自分と、現実の自分との間をもう少し引き離し、へだたりをつけたら気持が楽になるだろう、とわたしは思い、そのためには、皆がしているように酒を飲めばいい、と考えたのである。酒のような外的なもので解決がつくなどと考えた私はバカであった。そこは、私よりももっと上手にそういう場所で酒を飲む大工や労働者や職工たちを得意にする酒場であった。しかしその人は客が少なかった。だから、着物を着流しにして髪を長く伸ばし、眼鏡をかけた私は一人でそこで酒を飲んでいるのは似合わなかった。

店のオカミサンがじろじろと私ばかりを見ているような気がした。私は自殺などということは全く考えなかったのだが、そのオカミサンの目つきを見ているうちに、オカミサンは、この人は自殺するのではないかしら、かかり合いになりたくないものだ、と思っているように感じ出した。そう思うと、私は酔わなかった。自然に、何でもなく見えるようにと私は努力し、その努力のために、あの銚子と盃という形式が大変邪魔になった。私は、二本ほどやっと酒を飲むと、そこを出て、三十分ばかり、暗い裏町を歩き回った。私は、そんなふうに見られながら、飲めもしない酒を無理に飲んだという屈辱感のために閉口した。酒を飲めばゆるし難いことがゆるされると考えたことの甘さから総てまずくなったのだと分った。そして私は、苦しいことを酒を飲んでまぎらすという習わしは実効のないものだと考えるようになった。

その後私は、酒の飲めない人間だと友達に言われ、また次には酒の味が分らない人間といわれ、その次にはなかなか酔わないから強いのだ、と言われた。

戦争になって酒が手に入らなくなった。やがて酒が配給になった。それ等の酒は私の家ではたいてい食糧と取りかえられた。もっと後になって、焼酎が少量ずつ配給された。またそのころ、砂糖の代わりにサッカリンが配給になった。私は夜、その焼酎にサッカリンを溶かして、一人で酒を飲むことを覚えた。誰もいない書斎で、深夜、仕事を終えてから飲むと、私は酔うことができた。夕食時に家族の中で酒を飲むのは私は嫌いである。食卓で酔ってだらしなくなるのは、悪徳のように感じられる。それに夕食のあとの四五時間は、私の仕事の時間である。私は深夜に飲むことにした。

仕事が終り、気づかいをする人間がそばにいないと思って酒を飲むと、茶碗に一杯の焼酎で完全に酔う。それはしかし淋しい暗い酔い方である。夜の闇の底の泥のようなものの中に身体が埋まって行くような気持になる。焼酎の酔いは暗い重いものであると人も言うが、一人で深夜に飲むと一層その感が強い。日光の中で風景が揺れ動き、地面が浮動した十八歳の時の酔い方とは全く別のものである。だが、そうして酔って眠ると、普通の眠りの、自分の身体がまだどこかにあるという感じが全く失われて、自分が無に、零になって眠る。自分の存在から切断されてしまう。そしてふだんよりも早めに、朝、突然生の中に浮び出るように眼がさめる。酔ってから他人の間を歩いて家へ帰るという心配もなく、自分が自分に禁止した事を言ったりしたりする心配もなくこの飲み方は、私のような人間には適している。おれは今ならこのままのおれで許される。おれは今だらしなくおれ自身になっても、何人にも迷惑をかけず、誰をも傷つけずに、我を忘れていられる。何といういい事だろう。そう思うと、私ははじめて酔うことができる。こうして戦争の間に私は一人で酒を飲むことを覚えた。

こうした深夜に一人で飲むのは、今ではビールでもいいし、葡萄酒でも、ウイスキイでもいい。私の好みはいい葡萄酒であるが、一般の葡萄酒は何となく薬くさく、アルコールに葡萄の味をつけたような感じがする。日本酒はいけない。日本酒は、あの宴会という日本の社会の儀式と義理と人情と思い出させ、そばに人がいるような感じを目ざませて私を窮屈にするのである。もっとも私も今では、人といる席の日本酒にもずいぶん慣れたから、他人との調和をこわさずに、適度に日本酒を飲んで、適度に酔うことも、やればできる。だがそのように思うのは、どうしても、私に酒乱の傾向があるからなのであろう。


伊藤整 「酒についていの意見」

私はまじめくさった人間だと人に思われ、かつ酒のみではないと自分でも考えているけれども、酒を嫌いではない。むしろ酒が好きなのである。しかし酒を飲んで楽しくなることはめったにない。私は他人と一緒に酒を飲んでいるときに自分の酒の限界をためした事はない。多分限界まで飲めば私は酒乱という本性を現すだろう、と思っている。きっと人を罵ったり、自分の心の痛い疵をあばき立てたりするだろう。そういう状態に近づいた経験を二三度持っている。私は酔うに随って不安になる。何か自分のまわりで物事が、否礼儀とか体面とか秩序とかいうものが、音を立てて壊れていくような、居たたまれぬ不安を感じてくる。酒乱の兆候なのだろう。

しかしたいていの場合、私は一人では酒を飲まないから、私がそうなる前に、一座している誰かが酔って来る。そしてその人は、酔わないときは決して口にしないようなことを口にしはじめる。私は不安になる。そして私は、そういう人を見ているうちに、自分の酔い、自分から幽霊のように離れて、その人に入って行くような気持で、取り残されるのである。それで中々酔ったという状態に達しない。それで私は、酒に強いとか、酔って崩れるところを人に見せない、とか言われる。

しかしそうではない。他人の酔態が私の中に怖れを呼びさますのである。酔って、ふだん口にしないことを喋る人が私の酔いを追い出す。そういうふうに喋り出す人でも、その人が素直ないい人であったり、正義漢であったりして、その人の内側にある美しいものが、ほとばしって出るような酔い方がある。私はそれをうらやましいと思う。そういう人がいる。少しではあるが私はそういう人を知っている。

そういう人の酔いには、私はいい方向へ動かされる。そういうときに現れるものが悲しみや憎悪であっても、純粋のものであれば、どんなに迷惑する人がそこにいても、私は、それでいい、と思う。よしんば憎まれているものが私自身であっても、その憎しみが一筋なものであれば、私はナットクする。その種のものは、それをまともに受け取って返すことができるし、また自分の汚れのようなものを洗い、かつ発言者の心を軽くしてやることができる。私は半年ほど前に酒席で中島健蔵に罵られたことがあった。彼は罵る原因を持っていた。私がある人に対してなすべきある行為をあるときまでにしない、と彼は言うのである。私はその行為をもう少し延期する理由を持っていた。その理由を彼に言わずにいたので、彼は腹を立てたのである。

私が怖れるのは、そうではなく、酔いによって醜いものが露出する人と、同じ場所に居合わせることである。下手をすれば、私がやりかねない種類のいやなことを誰かがする。すると私は「ああ、あれはおれだ」と思って酔いから醒めてしまう。酔いによって、処世上の便宜のために、自分の論理の歪みを拡大する、とでもいうようなことである。シラフならば口にできないアユや甘えや妥協を、酒力を借りて実行するような場合のことである。その種の便益のために、あの黄色がかった日本酒というものがあるのではないか、と思うぐらい、あの首の細い銚子と小さな盃という道具には、妥協と反論理の感じがまつわりついている。そして私には、あの日本酒というものに、ケンカ出入りの手打ちをしたり、上役に取り入ったり、徒党を組んで何かをたくらんだりする味の元素が入っているような気がする。こいつを一杯いただいて妥協するのか、というような、やりきれない感じが、あの日本酒というものにある。

それはたぶん酒そのものではないかも知れない。日本風な酒席というものの一般的な気分を、私は日本酒から感ずるのであろう。田舎で日本酒でする酒宴の多くがそうであったように、東京でもまたそういう日本酒の酒席が多い。そういう場面に人を慣らさせるような味を、二千年ほどかかって、日本の伝統が作り上げた、というふうに考えれば、酒の味そのものの中に、自然にその働きがあるのかも知れない。

しかし私は酒の力を決して一般的に嫌っているわけではない。酔うことは本質的には楽しいことだ、と私は思っている。私は数え年十八歳で初めて酒に酔ったときの喜びを忘れることができない。それは日本酒であったが、私はまだ日本酒の飲み方、従ってそのイタダキカタという妥協の形式を知らなかった。田舎の村はずれの大きな葡萄園の真中に、見張り用に作った低い二階作りの小屋があった。その小屋に四五人私と同じ年ぐらいの少年が集まって酒を飲んだのである。四月の初めで、私たちはそれぞれ、旧制の中等学校を卒業した仲間であった。一人ぐらいが先輩であった。鶏をつぶすか何かして、全然親や教師の目に届かない所で、酒というものを飲んでみたのである。二三時間後に、私は用を足しに梯子で下へ下りた。そして地面に立った時、私は身体がふわりと浮いているように感じた。立木が左右にゆらゆらと揺れ、まだ葉を出していない葡萄の棚が上下に浮いたり沈んだりした。そして私はゆっくりと地べたに倒れた。地べたの冷たい感じが、この上なく快く思われた。この世でない新しい現実がそこにあった。私は、目に写るものが浮動し、自分の寝ている地面がふわふわと動くのに驚き、こんな楽しいことは、生まれてから今までに無かった、と思った。私は笑い出し、立ってよろめいて歩いた。

その後三十年間の間に私は何百遍か何千遍か酒を飲んだが、二度とそのような楽しい酔い方をしたことはない。

それはたぶん私がダラダラしたからである。酒を飲む時にはいつも何かの目的があり、何かの便宜があり、何かの義理があり、また何か誤魔化さなければならないことがあるのに気がつくようになったからである。そしてまた言いのがれをすれば、自分の方に何かの意味で物事をゆがめる必要がないときでも、きっと、一緒に飲んでいる人が、何かしたいこと、言いたいこと、他人にしてほしいことを持っているのを私は感じとるのである。そうすると酒は酒ではない。シラフの現世の争いやエゴの拡大である。そういう風に思えば、酒の場はシラフの場よりも残忍な、怖ろしいものである。

私は数え年二十一歳の春から二十四歳の春まで田舎で中学校の教員をした。校長は受容力と統制力のある立派な人物であった。そうだ、私は、ついでに行って奥が「立派な人物」といっていい人がこの世に実在することを信じている。その一人はこの校長であった。多分、その人が立派な人物に「なった」時期に私はその人に接したからだったろう。立派でなかった時期がその人にはあったにちがいない。立派でなかった時期や素質が、その人にあったから、その時、その人は立派になっていたのである。つまり自分自身に対する意志の加わらない「立派さ」というものは実感として存在しないのである。そして、更についでに言えば、「立派な人物」ということで、私は、学問やその人の為しとげた仕事のことを言っているのではない。主として、十分に他人を認識する力と、認識した事実に耐える力と、人を損わずに人に仕事をさせる力、というようなものを私は指すのである。私がその時その人を認めたのは、私が教員として出世する意志をまったく持たなかったのにもよるのだろう。利害関係の意識される時は、すべての立派らしいものは、利害のヒダの中に姿を消してしまう。

(つづく)


伊藤整 「酒についていの意見」

c729e4c8.jpg先日の通り魔殺人事件のことである。
犯人が連行される場面が映像に流れたとき「ヤフーチャット万歳!」と連呼したらしい。
もちろんキチガイのなせるわざといえばそれまでのことだが、なんとなく気になったのはひとりで連呼する「万歳」である。

ひとりで連呼する「万歳」は、世間で通常意味づけられている「万歳」をさむざむしいものにかえてしまうのがわかる。
このしらけきった「万歳」で思い出すのが三島由紀夫、森田必勝の市ヶ谷自衛隊基地での自決の際に叫んだ「天皇陛下万歳!」である。

どこに向けて万歳をしたか。それは皇居に向けて万歳をしたのである。しかし天皇にとってはそんなことはおおきなお世話だ。すくなくとも勝手に神話の中の天皇に対しての思い込みで万歳をしているのだから。自衛隊基地でヤジをとばしていた隊員たちもそのときはしらけきっていた。

では、ふだんわたしたちはなにに対して、なにに向けて、どういう状況のときに「万歳!」を叫ぶときがあるのだろうか。

不自然なものがない「万歳!」のために、あらかじめ準備しなければならない環境、意思統一が暗黙に認められている、そのなかでしか「万歳!」は許されない。

よくよく思えば「万歳!」とは油断ならない行為なのではないか。装置を仕掛けた際の完了としての機能に欠かせない、それが万歳。

もう15年前になるがわたしは岐阜県のある化学工場に勤めていたことがある。その工場ならではの、といっていいのかどうかわからないが、「こういう行事があるのか」となにか受け入れがたい行事がそこにはあった。

主に大卒の社員でその工場で何年か現場経験を積み、成果が認められると、本社に転勤するという、はやい話が出世の一段階上を約束されるとき、その行事は敢行される。

まず、その出世する社員を工場の従業員全員が囲む。けっこう大きな工場なので総勢で囲まれるとけっこうな壮観である。囲まれた社員はいろいろと感謝の言葉をのべる。

そして最後に「〇〇くん、ばんざーい!」と工場長が叫び、そして全員があわせて「ばんざーい!」と、これを3回くりかえす。壮観はさらなるものになる。

たしかにめでたい話である。しかし最後に「万歳」でむすぶその行事になんともいえない気持ち悪さをわたしは感じた。
おまえは万歳された一団の輪の中にこれで絶対的に入った、といわれのない拘束みたいな、そんなものでガッチリはめられた気分をそれをみていてわたしは感じたのだった。

万歳されたらもう万歳された側になにもいえない。しかもめでたいことなんだからさらになにもいえない。万歳されるままに祝われなければならない。

そして「おまえに対してもう万歳してしまったからな!」と万歳された側はただ享受されなければならない。めでたさを嵩に掛けた笑顔の集団リンチのようにわたしはみえた。装置の前提として仕掛けられた万歳にはしきたりの後についてくる不気味な善意が、万歳される個人を強制的に襲う。

こわい。万歳はこわい。典型的な場面である選挙結果のときの事務所での万歳なぞみていてわたしはまったくなじまない。吐き気がする。これからもわたしは万歳される側にならないように用心して生きていく所存である。

大学院の演習が始まる。後期のお題は「家族論」。ところが初回の発表の渡邊さんは前期に発表ができなかったので、後期の第一回に教育論の仕上げとして「寺小屋論」をお願いしていたのを私は忘れていたのである。(なんでも忘れる人間である)。

まあ、子どもの教育について論じるわけであるから、家族論と言えなくもない。

近世日本は世界でも例外的に子供をかわいがる社会であったことは、幕末に日本に来た西欧の人びとが仰天した記録がたくさん残っていることから知られている。これほど子供が幸福そうに暮らしている社会を他に知らないとさえ書かれている。

寺小屋についても記録はたくさん残っているが、絵を見ると今の学校であれば「学級崩壊」的な状況である。子どもたちはてんでに好きなことをしている(これは寺小屋の授業が全級一斉ではなく、子どもひとりひとりに与えられた課題がちがうせいである)。手習いなんかしないでそこらへんを走り回ったり、まわりの子どもの邪魔をしたり、障子を蹴破ったり、上がり框から転げ落ちたりしている子供もいる。もちろんおおかたの子供たちはまじめに勉強しているんだけど。

総じて江戸時代までの日本人は子供に甘かったようである。

理由の一つは幼児死亡率が高かったことにある。江戸時代の平均寿命は男子が20歳、女子が28歳である。これほど低いのは、生まれた子供の七割が乳児幼児のうちに死んだからである。

だから、元気で遊んでいる子どもというのは、「よくぞここまで育ってくれた」という感懐と同時に「この子は明日も生きているだろうか?」という不安とを同時に親にもたらす存在であったのである。

そういうときには、あまり子供をビシビシ鍛えるとか、そういう気分にはならぬものである。もちろん西欧だって幼児死亡率は日本と似たようなものであるから、それだけで日本人が例外的に子供を甘やかしたことの理由にはならない。

だが少なくとも現代日本の親たちの口から、わが子について「生きてくれさえすればそれでいい」というところまでラディカルな愛情表現のことばを聴くのはまれである。

それだけ子供を取り巻く衛生環境が向上したからである。

子どもが「生物学的に生き残ることは当たり前」になると、今度は「どのような付加価値をつけて、子どもを社会的に生き残らせるか」ということが親にとって切実な問題になる。

今の日本では、「子どもをどうやって社会的に生き残らせるか」という問いは「子どもにどうやって金を稼がせるか」という問いに書き換えられる。「生き延びる力」と「金を稼ぐ力」は私たちの社会ではイコールに置かれているからである。

繰り返しここでも書いていることだが、これは人類史の中でごく例外的なことである。人類史の99パーセントにおいて、「生き延びる力」とは文字通り「生き延びる力」のことであった。細菌や飢餓や肉食獣や敵対部族の襲撃や同胞からの嫉妬をどうやって「生き延びるか」ということが最優先の人間的課題であり、そのために必要な資質を子どもたちは最優先で開発させられたのである。

環境適応性が高いのでどこでも寝られ、なんでも食べられる、危機感知能力が高いので危ない目に遭わない、同胞との共感力が高いので誰とでも友達になれる・・・・・・そういう能力が「生き延びる」ためには一番有用である。

けれども、これらの能力は「金を稼ぐ」という抽象的な作業には直結しない。

だから現代日本のような極度に安全な社会においては、「生物が生き残るために最優先に開発すべき資質」の開発は顧みられることなく、ごく例外的に歴史的条件下でのみ優位である「金を稼ぐ能力」の開発に教育資源のほとんどが投じられることになったのである。

私はこのような歪みは日本社会が人類史上例外的に安全な社会になったことの「コスト」として甘受せねばならないと考えている。

つねに死の危険に冒されているために「生物学的に強い子ども」にならなければならない社会と、とりあえず生き死にの心配がないので「生物学的に弱い子ども」でいても平気な社会のどちらが子どもにとって幸福かという問いに答えるのに逡巡する親はいないであろう。

でも、毎日の新聞を読んでいると、ローンが払えないせいで一家心中したり、進路のことで意見が違ったので親を殺したり、生活態度が怠惰なので子どもを殺したり、いじめを苦にして自殺する事件が起きている。

ローンとか生活態度とか進路とかいじめとかいうのは、すべて社会関係の中で起きている「記号」レベルの出来事であり、生物学的・生理学的な人間の存在にはほとんど触れることがない。

でもそのような記号レベルの出来事で現に毎日のように人間が死ぬ。

社会が安全になったせいで、命の重さについて真剣に考慮する必要がなくなった社会では、逆に命が貨幣と同じように記号的に使われる。

社会はあまりに安全になりすぎると却って危険になる。

そういうことがあるのかも知れない。

「生きていてくれさえすればいい」というのが、親が子どもに対するときのもっとも根源的な構えだということを、日本人はもう一度思い出した方がいいのではないか。

寺小屋の話を聴きながら、そんなことを考えた。


内田樹 「こんな日本でよかったね」

f005262f.jpgふと目がさめてしまった。

まだこんな時間じゃないか。起きるにはまだはやすぎる、というそんな時間に。

このまままだ寝ていてもいいのに、と思ってももうそれ以上眠ることができない。からだが安眠をもうこれ以上欲していない。自分の意思を意識が拒んでしまう、眠れない時間。

ああ、まだほんのすこししか睡眠をとっていない。なぜこんな時間に起きてしまったんだ。しかしこんなことはいままで何度もあった。
朝には農地をたがやし、夜には勤勉に読書をしたあと布団に入るという規則正しい生活習慣の大人であったことなんかほんとうはわたしなど一度もなかった。

このハンパな深夜の、この暗闇の時間。
なんとはなしに考えるのは、雑念の日常である。しかしそんな雑念も雑念であるがゆえにすこし思えばどうでもよくなることばかり。

俺のような人間が生きていていいのだろうか。なぜいま俺は生きているんだろう。死んだ方がましな人間じゃないのか。もうこんな年齢になって、いま俺はなにをやっているんだ、もうおっさんじゃないか。死んだ方がましなおじさんになってしまった。
じっと深夜、滔々と流れる静かな漆黒の時間のなか、そんなことばかり考えてしまう。こたえなどない、否定的なことばかり考えてしまう。ああ、俺はなにをのうのうと生きているんだ、俺は死んだ方がましな人間なのに、と。

そうです、わたしが死んだ方がましなおじさんです。あ、死んだ方がましなおじさん、死んだ方がましなおじさん。
そう口ずさむと、あともうちょっと生きていてもいいかもしれないと思う。

眠れないものはしかたがない、と電球をつける。最近変えた電球。LED電球が照らす白い明かり。見事な白色の明かり。ああ、その照らす白い光がわたしの混濁した気持ちに清流のすがすがしいものを与えてくれる。

買ってよかったLED電球。
L・E・D L・E・D
LEDでE気持ち

急にきれいになったあの娘に
キャンパスの噂ひろがる
四国八十八カ所のお遍路さんを全部まわったと
アーン、ハハハッハーン

故人の沖田ヒロくんのヒット曲を知らない世代にはなにをいっているのかわからない替え歌を脳裡に浮かべながらトイレで俺は小便をした。

積極的に起床したわけでもない、もっと寝ていてもよかったのに目がさえてしまった時間。なにもやるきのない、くぐもった気持ちの整理のつかないこの時間。
なにをやろうかと思う反面なにもしたくない思い。この背中合わせの時間を行動に対しどう判断すべきかの気力もない時間。

偉大な哲学者などはこんなままならない時間にこそ思索を深めるのだろう。だがわたしは深めるものもないままにこの時間をすごすしかないし、そしてなによりも3時間前に飲んだ缶チューハイが胃と頭に残っていて気分がわるく思索どころではない。
一時でもわたしは偉大な哲学者に近づくことなどできない。いまのわたしは無意味にパンツに両手を入れチンポを無意味にまさぐってみることだけしかできない。寒い冬、そうやって暖をとるという趣向である。

チンポを無意味にまさぐりながらなにか自分は世紀の一大発見のようなことを考え出すことはできないだろうかと突拍子のないことも考えてみる。歴史を動かした発見は、ほんのささいな出来事、事実から一気に真実をみつけだしてきたように。

そういえば風呂に入りながらなにかを発見し、「ユリイカ!」と叫びながらその裸のまま街を走り出したという偉大な学者がいた。自分の入った風呂の湯の体積からなにかを発見した学者だったと記憶する。学者はあまりに偉大な発見のために思わずそんな行動に出た。
もしもその学者が「ユリイカ!」と叫んでいなかったら、と思う。

「チンポ!」

そう叫びながらその裸のまま街を走り出したとしたら。


そのままじゃないか。


かくしてわたしは考えることのできない精神のまま、ゆらりとまだ当分朝焼けの来ない、不良な体調をそのままになにかをしようと動き出すだけだった。


f2d42b98.jpgあれも手に入れたいこれも手に入れたいと、とにかく手中に収めたら幸福を手に入れたような気持ちになる。そんなことをしているうちは、またべつの欲しいものが出てきたらそれを手に入れないうちは幸福になれないと思うようになる。この悪循環のなかに幸福など存在しない。それは幸福ではなく「幸福とはこういうものだ」と幸福の幻影に踊らされている。それは実にむなしいことだ。むしろ幸福でいるために余計なものに背を向け自分の身ひとつ、ただそこに自分があるだけで幸福と思える。それが幸福の本質というものだろう。

その幸福の形のひとつ、それは二度寝。
あ、起きてしまった。でも今日はやらなければいけないことはないんだ。そうだった。もう一度寝よう。スヤー。

なんてしあわせな時間なんだ。習慣、義務に縛られつづける日々のなかで、ああ、今日は俺は自由なんだと眠りの中で精神が解放されていく。これほど幸福につつまれた時間があるだろうか。なにもしなくてもいいことに気づく。さあ、寝よう。二度寝で二度幸福をたしかめられる。時間を心地よく漂うように眠りについている俺の布団の上では小さな天使たちが翔びかっていることだろう。

二度寝で満たされる思いはなにものにも変えられない。二度寝を讃えたい気持ちをもっと国民は大事に考えるべきだ。
国民的アニメ「サザエさん」のように「二度寝さん」というアニメもあっていい。

さーて、来週の二度寝さんは?
「ん・・・むう・・・むにゃむにゃ・・・ああ、トイレ行きてえ・・・でも眠い。めんどくさい・・・む・・・だめだ、もらしちゃいそう・・・起きて・・・トイレに行かないと・・・・・・・・あ・・・うう・・・おしっこ気持ちいい。いまトイレで俺おしっこ出してる、ああん、小便気持ちいい、出ちゃう、ああん、いっぱい出ちゃう、おしっこ出ちゃう、出てる、いっぱい出てる、いいの?こんなに出していいの?ああん、出る出る出る、もう、こんなにいっぱいたまっていたなんて、いい、いい、とってもいい、おしっこいいの、もっと、もっと出る、出しちゃう、もうおしっこいっぱい出しちゃう、ああ、出るぅぅ」
さ、また寝るか。また会えたね、布団。こんなに短い時間が永遠のように思えるなんて。もぐりこむぞ、布団。ああ、気持ちいい。小便を出しきった気持ちよさの次にまた寝られる気持ちよさというこの流れるような優雅な連なりの行為。最高だ。二度寝、最高だ。二度寝で満たされている俺は最高だ。二度寝で最高の気分でいるいまの俺は英雄だ。ヒーローだ。真のヒーロー誕生、仮面ライダー二度寝!変身!トゥ!仮面ライダー二度寝参上!じゃ、寝るわ。気持ちいい。なんて気持ちいいんだ、二度寝は。なんてステキなんだ、二度寝は。上戸彩も二度寝彩に改名したらいいのに。二度寝しているいまの俺。俺は俺が愛しい。あまりに俺は愛しくて、愛しさをとおりすぎてせつないほどだ。せつないよ、二度寝の俺。押し寄せる波。砂に書いた「NIDONE」。二度寝からはじまるステキな恋愛ドラマのように。君の瞳と二度寝に恋している。そんなトレンディドラマがいまはじまる。W浅野が「二度寝だっも」というような。ああ、二度寝、気持ちいい。二度寝のなかで何度も気持ちよさを俺はたしかめる。もう二度寝なんてしないなんて、いうわけないだろ、バカヤロー、ファッキンファッキン。二度寝をしている俺、だれよりもいかしている。柴田恭平のように「ニ・ド・ネ」という俺はさぞ決まっている。

次回、二度寝さん。
宇宙大戦争 そして二度寝
戦争と平和 は置いといて二度寝
ぼくらの七日間戦争 二度寝

以上の三本でお送りします。

でもしつこく寝ようとするとかえって不愉快になるからころあいをみはからって起きることをこころがけよう。


d90e3e59.png以前にもこのブログで書いたことではあるが、やはりまた思ってしまうことのなのでまた書く。

とんかつ屋に行くと当然とんかつ店なのだからとんかつ定食がありひれかつ定食がある。そしてかならずといっていいほどエビフライ定食がある。
エビフライ定食は他の定食より値段が高い。相当クオリティの高いとんかつを使っていない限りは、とんかつよりもかなりエビフライのほうが高い。

天ぷらの店に行く。天ぷらの定食のメニューを見る。Aコース、Bコース、Cコースとあったりする。これらのコースの値段の差はなんなのかとよくみると、えびの天ぷらが1本かあるいは2本、3本ついてくるかのちがいのときがある。すべてはえびに左右されている。野菜の天ぷら定食となるとそれにくらべればガクンと値打ちが下がる。もう野菜というだけでえびに永遠に頭があがらないというような、えびがいる以上、一生えびの前座でいるしかないみたいな、えびが舞台に上がる前に自分たちはいつも会場をホットにしておかなければいけない前説的な存在でありつづけなければならないような、野菜はえびがいる以上ずっとせつない存在でありつづけなければならない。

そんなにえびはえらいのか、とわたしは思う。そんなにみんなえびをありがたいと思っているのか。「やった!ボーナスがでた!今夜はえびだ!」とまずはえびが念頭にやってくるサラリーマンなどがいるのか。
あるいは、えびという価値は庶民のための価値ではなく、「俺もえびを食うまでになったんだな」と自分の社会定期地位の向上を確認するための存在にえびを食うのか。回る寿司屋じゃなく、回らない寿司屋にまで通えるようになった自分というような。

わたしだってえびは好きだ。オマール海老の料理なんかまさに舌鼓をうつという味わいであることも知っている。食うたびに鼓、ポンポンうった。
しかしとんかつ、天ぷらの店にあるようなえびには釈然としないものを思う。
わたしはえびのあれほどのえらさの根拠がわからない。ずっとわからない。えびなんだからステイタスが高いに決まっているじゃないかという現実にある結果でしかその価値を知らされていない。

わたしは飲食関係の仕事をしやったことがない、飲食には素人なのでえびのえらさがわからないだけなのかもしれない。いかにえびを漁に出てつかまえるのがたいへんか、それを知ればえびの希少価値もわかるのかもしれない。
しかしそれはやはり一般庶民になかなか伝わりにくいものだろう。なぜなかなか伝わりにくいのか、それはテレビ的なわかりやすさでもって伝わらないからという理由ではなかろうか。

たとえば、「このステーキは国内でも数十匹しかいない××牛という牛肉からとれたものです」といわれそれがテレビ映像に出てくると「わー、おいしそー」とすんなり胸に入ってくる。そして同時に「でもこういうのは金持ちが食うんだろうなあ」という価値観も自然に出てくる。その理由は「牛」そして「肉」という価値を国民が共有しているからだ。

エビフライとなるとどうだろうか。「このエビフライは〇〇海老という、国内でも数十匹しかとれない海老なのです」と紹介したうえでたとえ関根麻里がひと口ほおばって「ん〜」といいながらからだをバタバタさせてもさほどその旨さの価値は伝わらないだろう。海老の価値を国民は共有しているようで案外どこか断層がズレているようにわたしは思えてくるのである。

エビフライを知らない国民はいない。好きか嫌いかでいえば好きという人の方が多いだろう。なじみのある食べものだということで異論はないだろう。
しかしどうだろう。いざとんかつの店に入ってメニューを見たときのあの居丈高ともいえるエビフライのとびぬけた高額料金。働かずに投資で年に億を稼いでますと自慢するにわかデイトレーダー的なこの高級感。
納得するわけないだろう。
だからわたしはえびというものがわからないのだ。何度もいうがわたしはえびは好きだ。しかし日常のえびの現実がとんかつ、天ぷらの専門店に行くととたんに「高嶺の花のいい女」的な存在に変わるのがどうしても納得いかない。

地続きじゃないんだよな、えびというものは。これがふつうのエビから小エビにかわるといっそうその格差がひろがる。べつものだからといえばそうなのだが。
たとえばカップヌードルの小えび。ブーバランという小えびらしいがあれもえびといえばえびだ。
またココイチのえびにこみカレーの小えびもえびにはかわりがない。けっこうな量の小えびが入っている。大きなえび1本分の量の小えびを食べて、大きなえび1本食ったという解釈で満足してはいけないものなのだろうかと思うことがある。小えび、集まれ、よし、合体!ということで大きなえびに対抗するというような。

えびはうまい。しかしえびの過剰な扱い方に疑問を抱く人があまりにすくないことにわたしは釈然としない。釈由美子然としない。釈由美子、今度は胸からミサイルが出るというからだに改造するかもしれない。

f861ff11.jpg3年前に大型スーパーで買った鍋をつかって自炊をしている。ふつうの鍋である。最近の鍋の熱伝導率の良さには感心する。よくこんなにはやく湯が沸騰するものだなと。いっておくがガスコンロでの話である。オール電化対応の話ではない。

店でふつうに売っている鍋が、これだけはやく湯が沸くとはまったく便利な世の中になったものだな、と思う。
その一方でもっとはやく湯を沸かす電気ケトルというものがある。使ったことがないのでよくわからないが、ものすごくはやく湯を沸かす器具らしい。

みなさんもCMでみたことがあるのではないかと思う。早朝、家族のお父さん、息子二人が「ねえ、お湯、まだわかないの〜」と待ちくたびれた不満の顔で母親に訴え、鍋にはまるでいつまでたっても沸騰しない水が映され、母親はその様子にうろたえる、というCM。そして電気ケトルが登場する。「わー、すぐに湧いたー!」と家族は一同満面の顔、歓喜の声をあげる。

電気ケトルってこんなときにいいですね、というわけである。
現実を考えた場合、たとえばこのCMに出てきた不満の顔をする父、息子二人のために湯を沸かすとすると、その沸騰した湯は主になんのためなのか。おそらくみそ汁、あるいはスープ、そしてせいぜいコーヒーをつくるためであろう。早朝のダイニングでの湯の沸騰についてこれ以外になにが考えられるというのだ。つまり早朝3人のためのスープ、コーヒー程度の分量を沸かせるだけのこと。まさか3人のうちのひとりが極端に熱々のスープ、コーヒーをあっというまに2杯も3杯も飲み干すことなどありえまい。

さきほどわたしがいったように最近の鍋の熱伝導率はかなりすぐれている。3人分のスープ、コーヒーだったら鍋に水を入れ蓋をしてガスコンロにかければすぐに沸騰する。お母さんの分を入れて4人分と考えても同じことである。

それさえもおそい、我慢できない、なにかそれにかわるもっと便利なものがほしいなどと、そんな家族の人間性はなにごとか!とわたしは思う次第である。
もうすでに十分便利なのである。かなりの恩恵をわたしは最近の鍋から受けている。
その一方で、「いいんですか、そんな鍋ごときで満足して」と、まだまだあなたは時代の最先端の便利を知らないと、より便利なものをつくる企業がいいよってくる。あなたはまだめざめていないだけなのです、さあ、めざめましょう、と新しい眼を付与してくる。

そしてめざめた人間は、「自分、こんな便利なものをもっているんだぞ」と満足する。満足してしまった以上、その人は熱伝導率のすばらしい鍋の特性をすべて忘れてしまう。
その否定、忘却を実にわたしは不幸なものだと思う。必要もない極度の沸点のはやさを求め手に入れ、同時に、もう鍋での湯沸しなどというようなものをアナクロとして見下げてしまう。
たいして必要でもない高機能の物によって、十分に必要に値する物を見捨てていく精神はなんと貧しいものか。

わたしは生活をしていて、なんであれ「もう、それ、使っている人いませんよ」といわれることがここ数年とても多い。そしてとどめに、「もう、それ、生産していませんよ」と追い打ちをかけられることも多い。OA関係でとくに多い。
そして生産されていない以上、大型店舗ほどそのような死に筋の商品の入荷の見切りははやい。あんた、なにやってんの、まだそんなもの使ってんの、と。
新しい高機能のものをほしいと思っているわけでもないのに、それを買わされ、それに馴れていくことをわたしは強制させられてしまうのである。

鍋でいいのだ。鍋で十分なのだ。おまえらは新しい便利な物に出遭い、めざめていっているのではない。むしろ、それによって失明、盲目にされていっているのだ。それに気づけない人間こそ不幸だ。

選挙が終わった。わたしは選挙に行かなかった。選挙の結果が出た。ほう、そうか、とその結果を受け入れるしかなかった。

依然として選挙の世界の方で生きる人たちにわたしは期待できない。日本はこれからさきわるい方向にしかいかないとしか思っていない。そしてこの国をいい方向にもっていくとすれば、それは選挙の世界の方で生きる人たちの役目にはどうしても思えない。むしろなんのかんのいって、いい方向にもっていく可能性の芽を悪気がないという態度で摘むように思えてならない。

選挙というものにからっぽのようなものしか感じない。投票に行こう投票に行こうとよびかけても、なんで投票に行かなくちゃいけないんだよ、投票したいやつなんかひとりもいねえよ、かりに期待して投票しても、政界のなかでつぶされて、選挙のときには輝いていた顔もいつしかおもしろくない顔になって体制に取り込まれてしまうんだよ、こう動きたいと本人が思っても動かそうとしない絶望的なものしかあっちの世界にしかないんだよ、そうでなかったらこの日本ももっと自主的に動いているだろうよ、そんな思いを抱いている人は、口にはしなくても相当多いことと思う。当選した彼らは結局はわたしたちの知るすべのない世界でわたしたちとどう関係するのか実感のないところで動いていくだけなのだ。

ああいう人たちにわたしは期待しない。もうゆっくりと日本は滅亡するならそれでいい。いや、一気に滅んでもいい。
そして期待しないかわりにわたしはわたしであることに固執することにする。

ガンジーの有名な名言がある。
「あなたのおこなう行動が、ほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければなりません。それは世界を変えるためにではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためにです。」

甘いぜ、ガンジー。いまのわたしならそういう。
わたしの行う行動は、わたしがそう思うこその行動だ。それは意味のあること無意味なことなど二の次だ。やらなければならないという義務とも使命ともそのようなものにひきずられて行動を起こしたくはない。
そしてわたしの行動は、「世界を変えるためにではなく、あなたが世界によって変えられないようにするために」するのではない。冗談じゃないぜ、ガンジー。

もう世界を変えられるとはわたしは思ってはいない。滅んでいくだけだ。そして世界によって自分が変えられようとするとき、そのときが来れば俺はがむしゃらに抵抗してやる。そのときこその俺の無意味な行動だ。
おおよそ意味を期待してアクションを起こすなどいやらしい。すでに経済的な調和を前提にした、穏便な態度で抜け目ない視線での行動でしかない。こんなに静かに狂った世界、権利資格のない運の悪い人を「まあ、そういうことだから」とどん底にしずめてすました顔でいられる世界にいまさらなんの意味がある。

わたしは彼らを救えない。むしろいまわたしが救われるものなら救ってほしいと思う。
どんづまりにどんづまりを重ねて時がすぎ、いよいよもってわたしを変えようとするやつらが来た日に、抵抗する力を発揮したい。

世界が俺を変えようとするなら俺はそんな世界からやってきた使者を刃物で切り刻んでやる、それぐらいの狂気をどんな年齢になっても忘れないでいたい。向こうが俺を変えようとするんだ。穏便じゃねえよ。だったら俺だって穏便になっていられるか。暴れてやる。暴れるしかねえじゃねえか。ガンジー、あなたは夢をみすぎた。

辺見庸「自分自身への審問」で次のような文章がある。

『いま、いったい何が見える?何が聞こえる?私には何も見えず、何も聞こえはしない。闇と光と影の区別さえつかない。ならばいっそ「暴動」は起きたほうがいい。見わたすかぎり眩く明るい闇を破り、本来の漆黒の闇たらしめるために、試しにいっちょう大暴れしたほうがいい。顔を醜く歪め、声を思いっきり荒げて、これ以上ないほど整然とした街を暴れ回ったほうがいい。そうしたら、敵が誰か、仲間は誰か、背信者は誰か、真正の闇がどこに埋まっているか、そこを照らす光は本物か・・・・・・ひょっとしたらやっとのことで眼に見えてくるかもしれない。私はこの点滴の管も、すべての延命のチューブもプチリプチリと断ち切って、縞のパジャマのまま裸足で病院を抜け出し、間ちがいなく惨憺たる敗北に終わるであろう一過性の痙攣のような暴動に、冷たい街路をずるずる這いずってでも加わるだろう』

かがやく希望はかがやく希望のふりをしていることをわたしたちはうんざりするほど知っているくせに、投票に行かないと罪に問われているような気分になる臆病をわたしたちは抱えている。
たとえ投票した者になにかを託していたとしても、いずれやってくる「世界があなたを変えようとするもの」。

そんなものにごく整然とした言い分、行動が通用するものか。個人として納得いかないものはやらない、ときには納得いかないものを壊す。
いまわたしに必要なのは、世界に変えられないようにする無意味と思う行動ではなく、やがてそのときがきたとき、「許さねえぞ、てめえら!!ただじゃすまねえぞ!」と顔を醜く歪め、声を思いっきり荒げ立ち向かっていく勇気を温存しておくことではないかと思っている。

ebda9c6e.jpgエアコンをつけずに老人は育った。そうなのだろう。どんなに暑くても、だからといってエアコンで部屋を冷やすというのはなにかちがうと思っているのだろう。テレビのニュースで、この暑さなのにエアコンを頑として使おうとしない老人が多いという特集をやっていた。
熱中症被害が増大すると予想されていてもエアコンは使わない。なぜならいままでエアコンを使わないできたから。それはまさに戦後を土着的な感覚を失わずに生きてきた老人の体質であり、いまさらその体質を文明の進化にゆずらなければいけないのは、老人たちは釈然としないのだろう。

加えて老人たちは暑さ寒さを感じるための神経そのものが衰えているということもある。おじいちゃんなどが銭湯を選ぶとき、ものすごく熱い湯の銭湯を好むのは神経が半ば機能していないことによる。

その反面、おばあちゃんなどは神経痛などに悩んでいたりする。冷房を浴びると足が痛い、という。わたしもこの気持ちはいま現在わかる。この年齢で情けないながらもこの気持ちはわかる。腰痛の影響からくる坐骨神経痛と同様な症状からくる足の神経的な痛みは、冷房などで冷えると悪化しやすいのをいま腰痛で困っているわたしはよくわかる。

しかしこの暑さとはいえ都心から離れ農業を営んでいるおじいちゃんなどは、さほど苦にならない人もいる。
その人にとっては、夏は暑いのはあたりまえなんだし、と季節の移り変わりに対し過度的になにか思い入れにとらわれるわけでもなく、人生はそういうものだとこのようなおじいちゃんは信じているのだ。テレビがどんなにやれ水分補給だやれ運動をひかえろだと、そんな情報から遠いまま、夏は暑いもの、とただその認識とその認識に耐えるだけのものをあたりまえのものとして生きてきただけである。過度の情報は「あなたの思っているあたりまえはあたりまえって思っているの?ちがうちがう、いまの時代はそんなことじゃだめだめ」と疑心の種をいかに人に植え付けて消費社会の一員に参加させることが結局目的となり、安定感を削いでいく。

暑い。暑いけどエアコンを使うのは、それはちがう。老人たちの現代での非医学的な態度を貫くその姿勢にわたしはなにか感じ入るものがある。
わたしはガンガン冷房をかけている。いつ冷房を切るかそのタイミングに悩むほどにかけている。そしてエアコンを使わない老人たちはあと20年したらこの世からいなくなるだろう。そのときはわたしが老人になりかわっている。わたしが老人になったとき、エアコンをガンガン使う老人となっているだろう。もうそのときは、便利なもので使っていないものはない老人たちばかりだろう。なにを忍苦として受忍するのか、生きてきた歴史においてその抵抗の核となるものをまったく持っていない老人たちになっているのだろう。

b2d45af7.jpgワタミなどブラック企業といわれているけれども、ではブラックではない就職先はどこかといえば公務員しかないということになるのではないか。公務員にしてもひょっとしたら文句はいいたいところはあるだろうけども。うちの部署は他の部署と比較すればブラックですよ、とか。
ほかの会社にくらべればまだワタミのほうがましといえるようなひどい会社はたくさんある。会社を設立して従業員も雇っておきながら労災、厚生年金に加入しない経営者などの話をわたしは耳にする。

なにをもってしてブラック企業というのか、その尺度となるものはどこにあるのかといえば、そんなものなどない。あらさがしをしては、あ、ネットの評判通りブラックだといって、正体見たりと悦に入っているだけだ。

わたしはブラックという言葉から一度離れてみて、現在の会社の経営者と雇用について考えてみてはどうかと思うのである。

もっぱら会社経営の暴露はテレビ、新聞よりネットの世界でのほうが盛んである。おそらく場合によってはスポンサーを激怒させるおそれがあるからそういうことになるのではないか。
そしてネットでの告発に躍起になりよろこんでいるのは私の思うところでは20代、30代ではなかろうか。
現在20代、30代で働かない人たちはかなり多いと聞く。統計の数字はどこまで信用できるものかわからないが、でもたぶんそうなんだろうなと思う。

ブラック企業がどうだこうだと積極的にネットに関わろうとする20代、30代は、私の推測だと、社会に出て傷つけられたという思いが強い人なのではないかと思う。あるいはこれから社会に出ていって働こうとしたら自分という人間が会社に傷つけられるのではないか、ひょっとすると、自分は会社に殺されるのではないかという妄想を強くしている人のような気がするのである。

それはプライドの高さ、弱いメンタリティからくるものといえばそうなのかもしれないが、ネットの普及で彼らが皮膚感覚としてとらえているのは、就職先の仕事で、彼らは人間でありながら非人間的なものを会社から求められる可能性が高いことなのではないかと思う。そういう恐怖を彼らは体験しなくても感知している、そういうところも大きい。
人間でありながら人間であることを押し隠し非人間的なところで仕事の成果を出し評価されていく、そして非人間的な扱いの末過労はたまっていく、仕事の翌日にはほんとはそんなことなどまったく思ってもいない健全な理念の社訓などをいわされ、健全を装うことから非人間的な一日がはじまる・・・・・・そのような未来を描いている人たちが、ネットでひどい会社(主に大企業)のひどい部分を見つけては嬉々とするのである。高慢と恐怖の紙一重の心理である。そしてまたそのような恐怖はだれも否定できない。非人間的な行為を苦にしないような人もいれば、どうしても自分にはできないという人もいる。そしてどうしても受けつけられない人が精神的におかしくなってしまう。そのような手遅れの恐怖だってネットの世界にいすわっている人たちは感じとっているはずなのである。どれもすべて否定できない現実だからなおさら恐怖しか残らない。

就職への手遅れという点でもこの国はじつにきびしい。実際、大学卒業を控えた大学生の就職活動の事情をきくと、そのしのぎの削り具合はたいへんなものである。もしその年に就職活動をしくじると、来年に再度挑戦しようとしても、企業の方でそれを許容してくれる範囲はぐっと狭くなるというのである。これは職業安定機関で仕事をしている人から聞いたのでたしかな現実だろう。学歴社会とはいえ、その学歴をスムーズに軌道に乗せられたものがその学歴の価値を有効に使えるのであって、それに乗り遅れた者はもはや価値は半減どころの話ではない。

なにもかも無難にスムーズに行うことができた者が真の就職ができたという評価は根強い。一度転んでしまった者にはもうチャンスはないというただでさえ狭い門戸がさらに狭くなってしまうのがこの国の雇用者への価値観なのである。どうせ学生時代にぶらぶら遊んでいたから社会で認められなかったんだろ、と頭から決めつけられる。

一度しくじった者を迎え入れてくれる会社はないわけではない。言い方をかえればそういう者でも入ってきてほしいとするそういう会社の実情である。悪い言い方になるが、当初就職活動をしていた会社の質より相当ランクが下がる。

なにをもってして会社の質のランクというのだといわれればそれは説明できないが、しかしブラックだブラックだとぶつぶついう人にしてみればいろいろ気にくわない点ばかりみつけるだろうからその人の中でどんどん質のランクを勝手に落としていくものだろうと思う。

せめてこれからの会社に必要なことは実質的にブラックと呼ばれても仕方のない内情ではあっても、「この会社だったら自分は協力してもいいな」と働く人に思わせる会社ではないかとわたしは思うのである。
ブラック企業といわれはじめたのはネットの普及によるものである。それ以前はブラックといわれる会社は存在しなかったかといえばそんなことはなかろう。
しかしそのような会社でも会社のために働き会社で雇用されている人たちが一丸となって働いている姿を昭和生まれの人たちはかならず見ているはずである。
それは携帯電話、電子メールですぐに相手に要件が届く世界や、日本から海外へすぐに行ける航空会社の充実度は存在しなかった世界、コンビニなどの急激な速さで拡大していくチェーン展開のなかった世界、数時間で数億稼ぐことなど考えられない世界のなかの労働だった。
つまり人間と人間が人間の感覚を失わず働くことができた関係がその職場に濃厚に存在したということじゃないか。生体としての人間の感覚を超えた関係のやりとりがいまではあふれかえりすぎてわたしたちはとんでもない麻痺した世界の中で生きている。

速度を礼賛し、大量生産、大量出店を礼賛し、その速度、拡大に対し労働において人間は非人間的なものを求められ非人間的な関係を求められつづけ、礼賛する側は働く者に非人間的なものを求め非人間的な関係を求めつづける。そして巧みに非人間的な関係を雇用する者される者、互いに都合のいいシステムのなかに織り込んで互いがあたかも了承されたような形をとるのでそれが非人間的なものでないようにみえることもある。

思い出すのがリーマンショックが起こった時期に話題にされた派遣切りによる日比谷公園の派遣村だ。派遣切りされたと派遣社員であった労働者たちは一丸となって訴えていたが、この事態はどっちもどっちということとしか思えない。もともと派遣とはそういうシステムだといのをわかって派遣会社に籍を置いていたわけだし。派遣社員が派遣された現場で正社員になりたいということもできたわけだし、あるいは、現場の会社の方から仕事ぶりが認められ正社員になるようすすめられた人も多いはずである。派遣でいる方が会社に縛られなくてすむ自由を優先してきた人たちでもあるのだ。職場の人間関係からできるだけ遠ざかっていられるシステムが派遣の内実でもあった、そういう部分がかなり大きいはずだ。そしてある日いきなり派遣契約を破棄される。破棄されたら仕事はなくなりいま住んでいるところを追い出される。本人にとっては不意打ちと思うだろう。しかし派遣という業種とはそもそもそういうリスクがあって当然といえば当然なのである。派遣という形態は、派遣を必要としている会社と派遣会社との契約が基であり、そのうえで登録している派遣社員が存在しているのだから、優先されるべきは会社同士の契約の事情である。
自業自得の上で社会に捨てられたようなものなのに、一丸となって急に自分たちを棄てた会社についてああだこうだといえるのかという立場といわれてもおかしくない。

そしてわたしたちはこのような現実を冷やかに見てきている。巧みに現実に融け込んだシステムの中では非人間的な関係が非人間的な関係として感じとれない、むしろ働く側の立場を尊重するようなものとして思いちがいをさせるほどに都合のいい労働がこの世にあると信じてしまう人たちを誘惑してくる。派遣とはそもそもそういうものだったと気づいたときにはもうおそい。
派遣切りを敢行する会社に罪があるかといえば法律上はないということになろう。会社と会社の契約でそもそもそういうことになっていたのだから。派遣労働者はその会社同士の契約のあいだで自分を自由と勝手に履き違えていただけのことなのだから。

派遣の例はそう考えるといかに非人間的なことをいざとなったら強要できるかとてもわかりやすい。
ブラックと呼ぶ側呼ばれる側各々の自分勝手な事情ということにかけてはどちらが悪いということもできない場合がある。
ブラックと会社を責め立てる側は会社経営の苦しい側も理解しておいてもいいのではないか。経営側の義務である労災保険加入、年金加入などの負担は相当なものだ。経営とはそもそも苦しいものなのだ。あたりまえにそこに会社が存続しているわけではない。

となるとあとは、自分はこの会社のためだったら協力して惜しまない、という気持ちを抱かせる、せめてそのような会社が多くあってほしいということになるんじゃなかろうか。そう思わせる会社は、その現場でたしかに実感として非人間的ではない人間としてのつながり、てざわりが存在している会社だ。
むかしから残業代なしで夜おそくまで会社で働いている人たちはたくさんいる。それを不満に思うよりまえに、それでもその会社はその人にって「いい会社だ」と思えればそれはブラックの一言で言下に否定するような存在ではない、大事な存在のひとつということになる。

その思いひとつのために会社経営をこころがければべつに会社理念など必要はない。ともに経営者も労働者も協力し合っていくという関係がどうして非人間的な関係となろう。それをあまりに信じられないようなものばかりをみてきてしまい、あるいはそういう会社に出遭うための運がなかった人たちが生み出したのがブラックという言葉なのではないかと思う。その会社がブラックであるというまえにそれを口にする人たちの、企業に対するそういう思いこみのすさみと、そう思ってしまうその人のすさみを取り除く術を持たないこと、いいつのるあらさがしで満足するそのかなしさを問題にしないといけないことでもある。

ee79669d.jpgあいかわらず腰痛はよくならず、整体師に世話になっています。整体と一言でいっても流派、という言い方は適切ではありませんが、整体についてのアプローチ、方法論は人それぞれであって、結果的にわるいところを治せばそれでいいのです。
とはいえ、西洋医学のようにレントゲンに撮って、肉体に麻酔をかけて皮膚を切開して手術するというようなアプローチはやらないので、あくまで仮説だ、という面もないわけではないと思います。

わたしが世話になっている整体師は、その業界の限りにおいて知人が少なからずいます。整体師と呼ぶのとはちがう、整骨師を職業としている友人もいるそうです。
仲のいい友人であることには変わりがないのですが、腰痛の治療という点でふたりの意見はまったく分かれてしまうというのです。

整体師は、腰痛の最中は絶対に腹筋をしないでくださいと患者にいうのに対し、整骨師のほうは、腰痛を治すために腹筋をすすめるのだそうです。整体師の方としては腰痛には腹筋は悪影響だという論理をもっているのです。しかし整骨師はそれを認めない。

「腰痛の話になるとケンカになっちゃいそうなんで、あまり互いにこの話に深入りしないことにしているんですどけどね」
大人になってから知り合い、友人になったという関係にはかならずこの種の問題がつきまとう。
友人ではあるのだけれども、その友人にいいたいことがあってもいえない事情の領域が思った以上に広い。
とことん話し合うことでお互いの関係を深めようといえばもっともらしく聞こえるが、それは結果としてお互いを傷つけ、互いをを疎遠にしていくことで終わることのほうが多いはずです。大人になってからの友情は触れない配慮によって成立するものです。大人になればなるほど許されることより許されないことの方を苦みをともないながら学んでいくしかないのです。

整体師の話を聞いていると、いつか吉本隆明が書いた本のなかにあった太宰治のいう友情についての文章を思い出した。吉本隆明のなんの本だったのか忘れてしまったが。
社会に出て自立する、そのまえの時期だけが互いの友情をとことん語り合い、わかりあえることができると太宰はいうのです。そしてそれを太宰は「友情ごっこ」といいます。
青春の時期に結ばれた友情という関係は、世間的にも経済的にもいくらか離れたところで結ばれたりすると、人間と人間はどこまでわかり合えるか、骨の髄までわかり合おうとする。心から自分以外の人間をわかったと思えるのはその時期しかない。その時期が純情ごっこだというのです。

思えば私の学生時代も、友人同士つたない未発達な言語をなんとか使いながら想いを伝えようとし、そんなんじゃだめだ、と相手を遠慮なく否定しながらも、しょっちゅう顔をつきあわせながらなんだかんだと楽しんでいた時期でした。
いまから思えばなんの役にも立たないことばかり話し合っていた。なんの役にも立たないことだったから楽しかった。それこそが純情だったといまなら思う。

もう当時の友人とは会っていない。自然とそうなってしまった。だがもし会ったとしたら多少とも有意義なことをお互い言おうとして空回りしそうでこわい。
大人になってからつきあいだした友人というものはいっそうたいせつにしなければならないと思えてくるのでした。

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