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坂の上の雲:初期の日本軍

 明治政府が作った軍は主要都市に置かれた「鎮台」が主力軍でした。


 明治維新においては薩長の軍勢が朝廷軍の主力だった為、そのまま軍兵を供出して、石巻と小倉に置いたようです。


 その後、仙台、東京、大阪、熊本となり、更に名古屋、広島が追加されます。


 つまり明治政府の眼は国内の反乱軍鎮圧しか見ておらず、そのため鎮台という名称を使っています。


 ドラマにも出てくるメッケル少佐をドイツから呼び寄せた後、この少佐の進言で漸く鎮台から「師団」へと名称が変わります。


 しかしドラマでも呼ばれていたように一般庶民は「鎮台さん」と兵士のことを呼んでいたようです。


 国内の反乱が西郷隆盛を最後に収まったことにより、陸軍に次いで海軍にも力を入れるようになりました。


 日本軍は出来立てであったため、当時世界では珍しく、学問を積めば平民でも出世できるようなシステムを作りました。


 このシステムによって優秀な人材を集めようとしたのです。


 命のやり取りをする軍団ですからやはり「誰でも実力があれば出世できる」としておかないと明治時代であっても人は集まらなかったのでしょう。


 永年、身分制度の重しの上に生きてきた庶民はこれによって一気に学問への熱が高まりました。


 陸軍士官学校、海軍兵学校です。


 といってもまだまだ昔の藩の意識が強く、殿様が教育熱心だった藩とそうでない藩とではかなり教育熱に開きがあったようです。


 その点松山の藩主久松松平氏(藩祖は家康の異父弟)は教育熱心だったため、秋山兄弟や子規は幸運だったと言えそうです。


 陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥だったようですが、そこの出身でないと出世できないと云うものではなかったことは秋山兄弟が立証しています。


 秋山兄弟は士族としては身分の低い下士だったようですが、血統的には伊予水軍の河野氏の血をひいています。


 家康が天下を獲った後に大名をいろいろと動かし、かつ取り潰しました。


 その為、その地に昔から定住していた武士は多くの場合、身分の低い武士となって再就職するしかなかったのです。


 よそから来た大名に昔から仕えていた連中が上士となったのです。


 子規の正岡家も久松氏の譜代であったわけでは無く今治の地侍の出身のようです。


 一時、子規の妹の律と秋山兄弟のどちらかとの縁談も持ち上がったようですが、その時はあっさりと子規の父が断ったようです。


 正岡家の方が藩の中では格上だったからでしょうか。(その辺はよく知りません)

 


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