2008年12月19日
新政権に2つの難問、「失業と汚職」
アピシット新首相は、タイ経済の下支えを新政権の最重要課題として、自身が政策運営を主導する意向だ。経済をある程度の水準に保てれば、同首相を毛嫌いするタクシン派も大人しくさせることができるだろう。だが、アピシット政権には越えがたい2つの問題が待ち受けている。「失業」と「汚職」だ。今世界は、米国の金融危機に端を発する不況の最中にある。12月1日に発表された国連予想では来年の経済成長率が米国マイナス1%、ユーロ圏マイナス0・7%、日本マイナス0・3%と、軒並みマイナスとなる。
タイは輸出が国内総生産(GDP)の6割に相当する輸出依存国だ。さらに観光収入がGDPの5%程度に相当する。世界経済が悪化すれば、その影響は避けられない。既に今年第4四半期のGDPはマイナスとなった模様だ。
経済悪化で失業者の増加が懸念される。例えばアユタヤでは今年下半期で3万人が解雇され、来年も現在雇用されている30万人の労働者のうち6万人から10万人が解雇されるとの見方もある。
空港閉鎖で信用を落とした観光業も深刻で、従業者300万人のうち、100万人の失業が予想されている。
今年の10月現在、全国3800万人労働人口の1・2%にあたる45万人が失業しているに過ぎない。今後、何人が失業するのか、現在のところ予想は難しい。
タイは農業国であり、97年に発生した通貨危機の際は、農村が失業者を吸収した。しかし、金融危機で商品市場から投機資金が引き上げられ、農産物価格が世界的に低迷していることから、農業の失業者吸収力はかつてに比べて低下しているだろう。
来年はポピュリストの年とさえ呼ばれ、政府の財政出動が大目に見られている。だが、多数の失業者と不景気を財政で支えるのは容易なことではない。しかも経済低迷で政府の歳入も減少する。12月17日に暫定政府のスチャート財務相は、来年度の歳入が当初予定より1000億―1500億バーツ、すなわち全体の1割前後減少するとの見通しを発表している。
新首相の管理能力には疑問符
一方、新政権には汚職のリスクもつきまとう。政府の支出が増えれば、それだけ汚職の機会も増えることになる。民主党が政権を獲得したのは7年10カ月振りだ。同党の関係者や支持者は、タクシン政権、軍事政権時代に利権から妨げられてきた。それが中には腹を空かせている人もいるだろう。
連立小党のモラルも心配だ。軍の根回しで民主党と連立を組まされたのであり、政権への責任感に欠けるだろう。もとから腐敗体質の人物もいる。例えば民主党政権樹立のキーパーソンとなった元市民の力党有力派閥の長であるネウィン氏は、タクシン政権の副農相時代にゴムを横流したとして裁判所が審議中だ。アピシット氏が特別国会で首相選出された翌日に保釈が決まった。お咎め無しとすることが連立政権入りの条件だったのかもしれない。
アピシット新首相は若干44歳で、英国育ちのエリートだ。政治経験は16年と短くはないが、ベテランの民主党議員と共に連立小党の議員たちが汚職をしないように管理できるか甚だ疑問だ。
1年前の下院総選挙で行われた比例代表選挙の結果を見ると、民主党の得票率は37%で、市民の力党の38%と競っていた。小選挙区で民主党は死票が多く、結果的に国会の議席数では大差がついた。
だが、いずれにしても民主党を直接支持した国民は4割程度でしかない。アピシット新政権が失業者対策と景気浮揚で即効的な政策運営をできなければ国民の別の4割を占めるタクシン派の不満が高まり再び社会不安となりかねない。民主主義を守るためのデモよりも、生活に直結する雇用を守るためのデモの方がより過激になりやすい。外国企業も万一の事態を恐れて新たな投資に消極的になるだろう。そこに汚職が見つかるようなことがあれば政権として致命的だ。
アピシット新首相は泥沼の政争を乗り越えて首相の座を勝ち取った。しかし、そのタイミングは最悪だったと言える。半年から1年くらい先のほうが、不景気の責任をタクシン派に押し付けることが出来ただろう。
民主党は、前チュアン政権のときも通貨危機発生直後の97年11月にチャワリット首相(当時)の辞任を受けて発足し、通貨危機の後始末をした。その実績が国民には評価されず、01年1月の選挙でタクシン氏率いるタイ愛国党に大敗した。
今回、まさにそれと同じ状況だ。民主党の閣僚たちにとっては、大胆と微妙をあわせ持った極めて難しい政策運営が求められる。
(写真キャプション) 首相就任は最悪のタイミングか?
2008年12月17日
アビシット新首相、反タクシン派の期待を背負う――軍部・官僚の申し子
12月15日の特別国会で民主党のアピシット・ウェチャチワ党首が首相に選出された。
同氏は1964年8月生まれの若干44歳。両親とも医師の裕福な家庭の出身で、生まれは英国。名門高校イートン校からオックスフォード大学に進学し、大学院を修了した世界に通じるエリートだ。5月流血事件のきっかけとなる92年3月の選挙に民主党から出馬して初当選し、28歳にして政界入りした。それ以来、同党のチュアン党首・元首相の秘蔵っ子として帝王学を受け、40歳で民主党の党首となった。早くから将来の首相として嘱望されたが、その道を阻んだのがタクシン元首相だった。
チュアン党首率いる民主党は、通貨危機発生で倒壊したチャワリット・新希望党政権に替わって97年11月から経済立て直し注力した。しかし、下院任期切れ後の01年1月に実施された総選挙では、その経済政策は国民に評価されなかった。
また、チュアン元首相は、国防相も兼務していたが、70年代に軍事力によって圧制を敷いたタノム陸軍元帥・元首相に対する「特別近衛兵」の称号授与を認めた。92年の5月流血事件の調査では、報告書の重要部分が黒塗りされていたにもかかわらず、それ以上の追求を避けた。これらのことが、チュアン氏の「クリーン」なイメージよりも、軍部に対する弱さの方を強め、民主化を求める人々を幻滅させた。
チュアン民主党政権に替わって国民の期待を集めたのは通信ビジネスを成功させたタクシン氏だった。その経済運営手腕への期待が高まり、資産隠匿疑惑が浮上したにもかかわらず、同氏率いるタイ愛国党が大勝。直後に他の小党を吸収して500議席中294議席を占めるに至った。
同政権はタイの憲政史上、初めて4年の任期を全うすることが出来た。そして05年2月の下院総選挙では、それまで実施してきた地方や低所得者を支援する社会開発政策が高く評価され、500議席中370議席を獲得して再び大勝した。
アピシット氏はその選挙後の3月に民主党の新しい顔として、党首に就任した。同氏は若く、英国で教育を受けたリベラルな新世代の政治家と期待された。ところが、党首となってから、これまでに同氏が採ってきた手法に対して批判的なタイ人は「アピシットは新生代に見えるが、やることは古い政治家と全く同じか、それ以下だ」と批判する。
05年1月の選挙の前から、タクシン元首相に対してメディア企業マネージャーグループのソンティ氏を中心とする市民民主連合(PAD)の批判活動が始まり、選挙後に本格化。デモ参加者は、2月には数万人の規模に達した。
タクシン政権は下院を完全支配し、政策運営は急進的だった。その中には国営企業民営化、マフィア取り締まりなども含まれた。また独善的で、縁故者が有利となり、民主党などの野党支持者は冷や飯を食わされた。このようなことから、タクシン政権は熱狂的な支持者を得る一方で、既得権益を失った人々の怨恨を買ったのだ。
PADはタクシン批判で「政治腐敗」と「王室への不敬罪」を掲げた。その両方ともが証明された訳ではないが、タクシン元首相の辞任を求めるデモは規模が日増しに大きくなった。このためタクシン元首相は2月24日に下院を解散し、4月2日の選挙での禊ぎを図ることにした。
下院選挙は2月に行ったばかりであり、4月に選挙をしても、タイ愛国党の大勝が確実視された。その状況で、アピシット氏が新しく率いることになった民主党と、他の2野党が表明したのは、選挙のボイコットだった。理由は、「タクシン政権は腐敗を隠すために情報を公開しておらず、地方民は知らない。だから選挙は公正には行えない」(同氏)というものだ。そして「タクシン政権は正統ではない」としてタクシン首相の辞任と、憲法7条に基づく国王による新首相の任命を求めた。
この民主党による選挙のボイコットと国王による首相任命願いは、民主主義の基本を根底から否定するものだ。92年の5月流血事件を経て、タイの民主化は着実に進んできたが、06年4月2日の選挙でそれが破壊された。
この後、タイ社会は、軍事クーデター勃発、1年3カ月にわたる軍事・官僚政権、裁判所による政治への強硬な介入、封建政治を求めるPADの過激な反政府活動など、選挙を軽視した封建化に向かって進んでいる。
軍事・官僚政権で成果が出せず、国民の不評を買ったことから、軍による直接政治運営は今のところ考えにくい。そこで、その受け皿として選ばれたのが民主党であり、アピシット新首相だ。民主党の秘蔵っ子は首相になりたい一心から、反タクシン派の軍部・官僚たちの申し子となった。(水谷)
同氏は1964年8月生まれの若干44歳。両親とも医師の裕福な家庭の出身で、生まれは英国。名門高校イートン校からオックスフォード大学に進学し、大学院を修了した世界に通じるエリートだ。5月流血事件のきっかけとなる92年3月の選挙に民主党から出馬して初当選し、28歳にして政界入りした。それ以来、同党のチュアン党首・元首相の秘蔵っ子として帝王学を受け、40歳で民主党の党首となった。早くから将来の首相として嘱望されたが、その道を阻んだのがタクシン元首相だった。
チュアン党首率いる民主党は、通貨危機発生で倒壊したチャワリット・新希望党政権に替わって97年11月から経済立て直し注力した。しかし、下院任期切れ後の01年1月に実施された総選挙では、その経済政策は国民に評価されなかった。
また、チュアン元首相は、国防相も兼務していたが、70年代に軍事力によって圧制を敷いたタノム陸軍元帥・元首相に対する「特別近衛兵」の称号授与を認めた。92年の5月流血事件の調査では、報告書の重要部分が黒塗りされていたにもかかわらず、それ以上の追求を避けた。これらのことが、チュアン氏の「クリーン」なイメージよりも、軍部に対する弱さの方を強め、民主化を求める人々を幻滅させた。
チュアン民主党政権に替わって国民の期待を集めたのは通信ビジネスを成功させたタクシン氏だった。その経済運営手腕への期待が高まり、資産隠匿疑惑が浮上したにもかかわらず、同氏率いるタイ愛国党が大勝。直後に他の小党を吸収して500議席中294議席を占めるに至った。
同政権はタイの憲政史上、初めて4年の任期を全うすることが出来た。そして05年2月の下院総選挙では、それまで実施してきた地方や低所得者を支援する社会開発政策が高く評価され、500議席中370議席を獲得して再び大勝した。
アピシット氏はその選挙後の3月に民主党の新しい顔として、党首に就任した。同氏は若く、英国で教育を受けたリベラルな新世代の政治家と期待された。ところが、党首となってから、これまでに同氏が採ってきた手法に対して批判的なタイ人は「アピシットは新生代に見えるが、やることは古い政治家と全く同じか、それ以下だ」と批判する。
05年1月の選挙の前から、タクシン元首相に対してメディア企業マネージャーグループのソンティ氏を中心とする市民民主連合(PAD)の批判活動が始まり、選挙後に本格化。デモ参加者は、2月には数万人の規模に達した。
タクシン政権は下院を完全支配し、政策運営は急進的だった。その中には国営企業民営化、マフィア取り締まりなども含まれた。また独善的で、縁故者が有利となり、民主党などの野党支持者は冷や飯を食わされた。このようなことから、タクシン政権は熱狂的な支持者を得る一方で、既得権益を失った人々の怨恨を買ったのだ。
PADはタクシン批判で「政治腐敗」と「王室への不敬罪」を掲げた。その両方ともが証明された訳ではないが、タクシン元首相の辞任を求めるデモは規模が日増しに大きくなった。このためタクシン元首相は2月24日に下院を解散し、4月2日の選挙での禊ぎを図ることにした。
下院選挙は2月に行ったばかりであり、4月に選挙をしても、タイ愛国党の大勝が確実視された。その状況で、アピシット氏が新しく率いることになった民主党と、他の2野党が表明したのは、選挙のボイコットだった。理由は、「タクシン政権は腐敗を隠すために情報を公開しておらず、地方民は知らない。だから選挙は公正には行えない」(同氏)というものだ。そして「タクシン政権は正統ではない」としてタクシン首相の辞任と、憲法7条に基づく国王による新首相の任命を求めた。
この民主党による選挙のボイコットと国王による首相任命願いは、民主主義の基本を根底から否定するものだ。92年の5月流血事件を経て、タイの民主化は着実に進んできたが、06年4月2日の選挙でそれが破壊された。
この後、タイ社会は、軍事クーデター勃発、1年3カ月にわたる軍事・官僚政権、裁判所による政治への強硬な介入、封建政治を求めるPADの過激な反政府活動など、選挙を軽視した封建化に向かって進んでいる。
軍事・官僚政権で成果が出せず、国民の不評を買ったことから、軍による直接政治運営は今のところ考えにくい。そこで、その受け皿として選ばれたのが民主党であり、アピシット新首相だ。民主党の秘蔵っ子は首相になりたい一心から、反タクシン派の軍部・官僚たちの申し子となった。(水谷)
2008年12月15日
「受け皿」としての役割失う娯楽施設
先日、バンコク都内の某歓楽街で営業するゴーゴーバーに入ったところ、店の隅でオドオドしている女性ダンサーの姿が目に入った。気になったので呼んで話してみると、アユタヤ県の工場に勤務していたが、1カ月前に操業停止となり解雇されたという。再就職の口がなかったため、知り合いに誘われ、同じく解雇された友人と働き始めたとのことだ。しかし、「反政府組織が空港を占拠してからお客さんがほとんどこない」と嘆いていた
タイ政府は米国発の金融危機を受け、来年の3月までにタイで約100万人が失業すると予測。しかし、反政府組織による空港占拠後、その数字はさらに跳ね上がった。タイ国観光産業連盟のコンクリット総裁によれば、観光業界だけで100万人を超える失業者の出る可能性があるという。良きにつけ悪しきにつけ、これまでは娯楽施設が失業者の「受け皿」のひとつであったことは否めない。しかし、観光客の激減で、娯楽施設が受け皿としての役割を失いつつある
失業者増、再就職難が犯罪増加につながることは想像に難くない。逮捕された容疑者の供述には、「失業して金に困っていた」という自白が目に付く。これで外国人の被害が続くようなら、タイの観光はますます冷え込んでしまう
課題山積みの民主党新政権であるが、国民の生命の危機を回避するとともに、これ以上、観光に打撃を与えないためにも、早急な失業者対策への取り組みを期待したい。
タイ政府は米国発の金融危機を受け、来年の3月までにタイで約100万人が失業すると予測。しかし、反政府組織による空港占拠後、その数字はさらに跳ね上がった。タイ国観光産業連盟のコンクリット総裁によれば、観光業界だけで100万人を超える失業者の出る可能性があるという。良きにつけ悪しきにつけ、これまでは娯楽施設が失業者の「受け皿」のひとつであったことは否めない。しかし、観光客の激減で、娯楽施設が受け皿としての役割を失いつつある
失業者増、再就職難が犯罪増加につながることは想像に難くない。逮捕された容疑者の供述には、「失業して金に困っていた」という自白が目に付く。これで外国人の被害が続くようなら、タイの観光はますます冷え込んでしまう
課題山積みの民主党新政権であるが、国民の生命の危機を回避するとともに、これ以上、観光に打撃を与えないためにも、早急な失業者対策への取り組みを期待したい。