2007年01月03日
新番組予告
2007年01月02日
あっ!キリンも象も氷になった!!
このブログも今回で最後です。
サブタイトルは、特撮番組の歴史上、最も最終回らしくない最終回サブタイトルであった、ウルトラマン80最終話からいただきました。
決して打ち切りでもなく、きっちりとした終わり方なのにこのサブタイトルを付けた当時のスタッフには恐れ入ります。
さて、最終回は、今まで書こうと思ったことはあったけれども結局機会の無かったネタで、mixiについて。
自分も多分に漏れず、mixiをやっています。ただ、もともと自分のホームページもブログも持っていましたから、あまりプロフィール欄に長々とは書いていませんし、日記としてはブログ更新時に新記事のURLを貼り付けるだけです。
でもいつの間にか、結構こまめにアクセスするようにはなっています。
昨年、上場もあり一気に知名度が上がったmixi、なかなか上手い所を突いているサービスだと思います。
実際の所、サービスの内容を分解すると、メール(メッセージ),オープンorクローズドな掲示板,ブログ(日記),個人ページ(プロフィール)など、今まで似たようなものは既にずっと存在していたのをまとめただけなのですが、それを“仲間”という繋がりを軸に統合し、初心者にも容易に使えるインターフェースで提供したのは見事です。
自分のホームページやブログを作るまではしない人でも、mixiに登録してプロフィールや日記公開をしていたりするケースはかなり多く、そういうのを見つけるのは楽しいし、なかなか良くできた仕組みだなぁと思いますね。
あとは、“招待制”も特徴の一つではありますが、これは会員がここまで広まるともうそれほど特徴としての力は発揮していない気がします。
これで、メーリングリスト(コミュニティメンバー全員にメッセージ送信)機能があればさらに便利だと思うのですが、それを付けちゃうと、ユーザは必要な時以外はあまりアクセスしなくなる気がするので、広告収入が主なサイトとしてはきっと導入はできないのでしょう。
青年海外協力隊も、当然コミュニティが出来ています。自分からあまり積極的に情報収集に動かない自分(←これは問題だ)は、様々な人が書き込む色々な情報によって助けられている面もあります。
研修の時以外は、国内でもバラバラ、任国もバラバラですから、このような場でやりとりが出来るというのは有用だと思います。
さてそんなmixiですが、最近たまに耳にする事がある単語として、“mixi疲れ”というものがあります。
要は、mixiで多くの人と交流している人が、熱くなり、みんなの日記に足跡を付けコメントを書き、自分も毎日日記を書き付いたコメントにレスを書くといった事をやっていると、いつしか半ば義務的な感じになり、ストレスとなり疲れてしまうというものです。
なんでそこまでするかなぁ、というのが実直な感想です。
所詮はネット、所詮はツール。そう重く考えないで、適当に力を抜いて、気楽に楽しむという感じでいれば良いじゃないですか。
ケータイとかもそうですが、ツールとして使いこなしているうちは良いですが、依存し振り回されるようになるとお終いだと思います。
とは言っても、実際に“mixi疲れ”でググって、関連する色々な記事を読んでみると、人それぞれに事情があって、ただ単に、気の持ちようやネットの使い方を間違っている、と馬鹿にするだけでは済まないというのも理解できます。
かくいう自分も、正直な事を言うと、マイミクに入っている人入っていない人含めて、大分mixi上で知っている人が増えてくると、ブログを更新し日記に反映した後などは、誰の足跡が残っているかが気になるようになってきています。やっぱり、誰が読んでくれているかは気になってしまうんですね。
でも同時に、そんな自分が嫌にもなってきました。
だから、このブログは今日で一旦終わりますけれども、またブログを始める時が来ても、mixiみたいな、個人特定できる足跡が残る場所には、その内容もしくは更新の印は出さないことにしようかなと思っています。
インターネットを通しての他人との交流がどんどん容易になり、拡大していく一方で、それとどう上手い具合に向き合っていくかは常に課題となっていくでしょう。
かつて大昔、自分は、あるアイドルのファンとして、ネットを通じて他のファンと交流をしていた時期がありました。主に掲示板やMLで情報交換をして、たまにイベント会場で直接会う機会がある、といった感じだったのですが、やっぱりそれだけだと、お互いの性格や、微妙な温度差はわからないものなんですよね。細かい事は語りませんが、色々とありました。
自分がそのアイドルに対して冷めたのは、本人に冷めたってのもあるけれども、そこでの交流がうざくなってきていたというのもあったかと思います。
それに対して、大学時代のサークルの人々との交流では、今ではネットでのやり取りが多く、中には実際に会う機会は少ない人もいるのですが、特に問題はありません。
既に十分、お互いがどういう人間かがわかっていますからね。
やっぱり、人と人との交流は、直接会ってやり取りするのが一番、ネットはあくまで補助的なものとするのが正解なのでしょう。
結局、月並みな結論です。(って、何の話してたんでしたっけ?…)
この“てきとうなぶろぐ”、その名の割には、いつの間にかかなり力を入れていました。昨今のブログやmixi日記の隆盛を見ても感じるのですが、人間って本質的に、自分の考えていることを他人に公表したい、知って欲しいという欲望があるのでしょうかね。
もとより喋りでの自己表現が苦手な私には、勿論、上に書いたとおり、直接会って交流する事が一番なので、喋りを上手くすることも必要ですが、こういった文章を書く場があるというのも悪くないと感じています。
それに、自分の経験を文章化して公開する事で、そのうちほんの僅かだけでも、誰かの何らかの活動の参考にしてもらえる事もあるかも知れません。
だから、とりあえずしばらくは、
・まずは研修施設での研修に力を注ごうと思う
・研修施設でのネット接続は限られる
・その先の任国でのネット環境も未知数
である為、丁度良い区切りなのでこのブログは今日で一旦幕を引きますが、いずれ落ち着いたらまたブログは書き始めたいと思っています。
ご愛読ありがとうございました。
これにて一件コンプリート!
サブタイトルは、特撮番組の歴史上、最も最終回らしくない最終回サブタイトルであった、ウルトラマン80最終話からいただきました。
決して打ち切りでもなく、きっちりとした終わり方なのにこのサブタイトルを付けた当時のスタッフには恐れ入ります。
さて、最終回は、今まで書こうと思ったことはあったけれども結局機会の無かったネタで、mixiについて。
自分も多分に漏れず、mixiをやっています。ただ、もともと自分のホームページもブログも持っていましたから、あまりプロフィール欄に長々とは書いていませんし、日記としてはブログ更新時に新記事のURLを貼り付けるだけです。
でもいつの間にか、結構こまめにアクセスするようにはなっています。
昨年、上場もあり一気に知名度が上がったmixi、なかなか上手い所を突いているサービスだと思います。
実際の所、サービスの内容を分解すると、メール(メッセージ),オープンorクローズドな掲示板,ブログ(日記),個人ページ(プロフィール)など、今まで似たようなものは既にずっと存在していたのをまとめただけなのですが、それを“仲間”という繋がりを軸に統合し、初心者にも容易に使えるインターフェースで提供したのは見事です。
自分のホームページやブログを作るまではしない人でも、mixiに登録してプロフィールや日記公開をしていたりするケースはかなり多く、そういうのを見つけるのは楽しいし、なかなか良くできた仕組みだなぁと思いますね。
あとは、“招待制”も特徴の一つではありますが、これは会員がここまで広まるともうそれほど特徴としての力は発揮していない気がします。
これで、メーリングリスト(コミュニティメンバー全員にメッセージ送信)機能があればさらに便利だと思うのですが、それを付けちゃうと、ユーザは必要な時以外はあまりアクセスしなくなる気がするので、広告収入が主なサイトとしてはきっと導入はできないのでしょう。
青年海外協力隊も、当然コミュニティが出来ています。自分からあまり積極的に情報収集に動かない自分(←これは問題だ)は、様々な人が書き込む色々な情報によって助けられている面もあります。
研修の時以外は、国内でもバラバラ、任国もバラバラですから、このような場でやりとりが出来るというのは有用だと思います。
さてそんなmixiですが、最近たまに耳にする事がある単語として、“mixi疲れ”というものがあります。
要は、mixiで多くの人と交流している人が、熱くなり、みんなの日記に足跡を付けコメントを書き、自分も毎日日記を書き付いたコメントにレスを書くといった事をやっていると、いつしか半ば義務的な感じになり、ストレスとなり疲れてしまうというものです。
なんでそこまでするかなぁ、というのが実直な感想です。
所詮はネット、所詮はツール。そう重く考えないで、適当に力を抜いて、気楽に楽しむという感じでいれば良いじゃないですか。
ケータイとかもそうですが、ツールとして使いこなしているうちは良いですが、依存し振り回されるようになるとお終いだと思います。
とは言っても、実際に“mixi疲れ”でググって、関連する色々な記事を読んでみると、人それぞれに事情があって、ただ単に、気の持ちようやネットの使い方を間違っている、と馬鹿にするだけでは済まないというのも理解できます。
かくいう自分も、正直な事を言うと、マイミクに入っている人入っていない人含めて、大分mixi上で知っている人が増えてくると、ブログを更新し日記に反映した後などは、誰の足跡が残っているかが気になるようになってきています。やっぱり、誰が読んでくれているかは気になってしまうんですね。
でも同時に、そんな自分が嫌にもなってきました。
だから、このブログは今日で一旦終わりますけれども、またブログを始める時が来ても、mixiみたいな、個人特定できる足跡が残る場所には、その内容もしくは更新の印は出さないことにしようかなと思っています。
インターネットを通しての他人との交流がどんどん容易になり、拡大していく一方で、それとどう上手い具合に向き合っていくかは常に課題となっていくでしょう。
かつて大昔、自分は、あるアイドルのファンとして、ネットを通じて他のファンと交流をしていた時期がありました。主に掲示板やMLで情報交換をして、たまにイベント会場で直接会う機会がある、といった感じだったのですが、やっぱりそれだけだと、お互いの性格や、微妙な温度差はわからないものなんですよね。細かい事は語りませんが、色々とありました。
自分がそのアイドルに対して冷めたのは、本人に冷めたってのもあるけれども、そこでの交流がうざくなってきていたというのもあったかと思います。
それに対して、大学時代のサークルの人々との交流では、今ではネットでのやり取りが多く、中には実際に会う機会は少ない人もいるのですが、特に問題はありません。
既に十分、お互いがどういう人間かがわかっていますからね。
やっぱり、人と人との交流は、直接会ってやり取りするのが一番、ネットはあくまで補助的なものとするのが正解なのでしょう。
結局、月並みな結論です。(って、何の話してたんでしたっけ?…)
この“てきとうなぶろぐ”、その名の割には、いつの間にかかなり力を入れていました。昨今のブログやmixi日記の隆盛を見ても感じるのですが、人間って本質的に、自分の考えていることを他人に公表したい、知って欲しいという欲望があるのでしょうかね。
もとより喋りでの自己表現が苦手な私には、勿論、上に書いたとおり、直接会って交流する事が一番なので、喋りを上手くすることも必要ですが、こういった文章を書く場があるというのも悪くないと感じています。
それに、自分の経験を文章化して公開する事で、そのうちほんの僅かだけでも、誰かの何らかの活動の参考にしてもらえる事もあるかも知れません。
だから、とりあえずしばらくは、
・まずは研修施設での研修に力を注ごうと思う
・研修施設でのネット接続は限られる
・その先の任国でのネット環境も未知数
である為、丁度良い区切りなのでこのブログは今日で一旦幕を引きますが、いずれ落ち着いたらまたブログは書き始めたいと思っています。
ご愛読ありがとうございました。
これにて一件コンプリート!
2007年01月01日
初詣2007笠間
どうもここ数年は、年末年始も特別な期間であるような感覚は沸かずに、いつの間にか年が変わっているような感じなのですが、何はともあれ、ついに2007年に突入しました。
今年の初詣も、昨年同様、茨城県の笠間にある、西国札所第二十三番、佐白山観世音寺へ行ってきました。
昨年も書きましたが、そもそもは一昨年2005年の1月1日、当時進めていた西国札所巡り二周目のスケジュールの関係もあり、初詣を兼ねてそこへ行ったところ、その年は良い年になりまして、昨年もまた行ったら良い年になったので、験を担いで今年も同じ場所にしました。
昨年はゆったりと出発したら到着が丁度昼頃で、昼休みで本堂が閉まっておりしばらく待たねばならなかったり、近くの笠間稲荷の人手が大変なことになっていたりで苦労したので、今日は朝の6時過ぎには家を出ました。
常磐線から水戸線へ乗り継ぎ、笠間駅到着は9時過ぎ、その頃はまだ人手はそれ程ではありませんでした。元日の初詣客には波があり、年明けすぐに来る客が一段落付いた後は、朝起きてからのんびり来る人が増えるまでの早いうちが一番快適にお参りできるようですね。
自分は今回も、まずは笠間稲荷は素通りして寺の方へ。こちらは札所ではありますが別に有名という訳でも無く、こじんまりとした所で、毎年人はそれ程いません。本堂の中に入り、ご本尊の前に座りお参りをしました。
ここのお守りは既に持っているので、今回は、般若心経のミニ経本を購入しました。
寺を出た後は、続いて笠間稲荷へ。こちらは前述の通り、まだ昨年ほどは人は多くなく、入場規制はかかっていませんでしたが、なかなかの混みようで、さっとお参りして出ました。
一ヶ月程前に購入したデジカメを初使用し観世音寺を撮影。安物ですが、これだけの画質ならば自分には十分。300万画素単焦点で、固定倍率デジタルズームしかないものですが、もとより各種記録用の撮影で使う位を想定しているので問題無いです。
今日は都内で寄る場所があったので、速やかに笠間を出発、小山に出て東北線経由で戻りました。
その後は、その用も兼ねて、ついつい、亀戸駅から新木場駅まで歩いてしまいました。つい一昨日、潮見から住吉まで歩いたばかりなのですが、そのちょっと東側で再び江東区縦断。元日から何をやっているのでしょう。。。
さて、今日祈った事とか、今年の目標とかですが、
昨年、とある機会に、私は自分の今後の目標として“世界中の一人でも多くの人を幸せにする”と宣言してしまいました。その時はつい勢いで言った事なのですが、目標としては悪くありません。なかなか難しい事ではありますが、ずっと掲げておく事にしました。ですので、全体目標としては引き続きそれで、祈った事としても、“世界中の一人でも多くの人が幸せになりますように”です。
ちなみに、世界中の人の中には、もちろん自分自身も入っています。自分自身も当然幸せにはなりたいですが、それを第一にして、自分だけ幸せならOK、とはしないと言うことで。
そして、その上での今年の目標は、勿論、とりあえず序盤は、“青年海外協力隊の候補生として、正式に隊員に任命されるように頑張る”であり、それが果たされた場合、以降は“青年海外協力隊員として頑張る”です。
ただ、あまり肩の力を入れ過ぎにはしないようにします。適度に力を抜いて楽に構えた方が、きっとうまく行くでしょう。そして、出来る限り、笑顔は忘れずにいたいと思います。
と言う事で、皆様、今年もよろしくお願いいたします。
ところで、実は昨年親類に不幸がありまして、今年の正月は喪中のため、郵便,メール合わせて、年賀状は控えさせていただきました。
ただ、全く喪中欠礼や寒中見舞いは差し出していませんでした。それについては誠に申し訳ありません。時間的な都合もあり、この後もお出ししませんがなにとぞご容赦の程を。
あと広く解釈すると、初詣に行ったり、このページで挨拶したりするのも控えるべきなのかも知れませんが、その辺りは大目に見ていただくという事で。。。
今年の初詣も、昨年同様、茨城県の笠間にある、西国札所第二十三番、佐白山観世音寺へ行ってきました。
昨年も書きましたが、そもそもは一昨年2005年の1月1日、当時進めていた西国札所巡り二周目のスケジュールの関係もあり、初詣を兼ねてそこへ行ったところ、その年は良い年になりまして、昨年もまた行ったら良い年になったので、験を担いで今年も同じ場所にしました。
昨年はゆったりと出発したら到着が丁度昼頃で、昼休みで本堂が閉まっておりしばらく待たねばならなかったり、近くの笠間稲荷の人手が大変なことになっていたりで苦労したので、今日は朝の6時過ぎには家を出ました。
常磐線から水戸線へ乗り継ぎ、笠間駅到着は9時過ぎ、その頃はまだ人手はそれ程ではありませんでした。元日の初詣客には波があり、年明けすぐに来る客が一段落付いた後は、朝起きてからのんびり来る人が増えるまでの早いうちが一番快適にお参りできるようですね。
自分は今回も、まずは笠間稲荷は素通りして寺の方へ。こちらは札所ではありますが別に有名という訳でも無く、こじんまりとした所で、毎年人はそれ程いません。本堂の中に入り、ご本尊の前に座りお参りをしました。
ここのお守りは既に持っているので、今回は、般若心経のミニ経本を購入しました。
寺を出た後は、続いて笠間稲荷へ。こちらは前述の通り、まだ昨年ほどは人は多くなく、入場規制はかかっていませんでしたが、なかなかの混みようで、さっとお参りして出ました。
一ヶ月程前に購入したデジカメを初使用し観世音寺を撮影。安物ですが、これだけの画質ならば自分には十分。300万画素単焦点で、固定倍率デジタルズームしかないものですが、もとより各種記録用の撮影で使う位を想定しているので問題無いです。今日は都内で寄る場所があったので、速やかに笠間を出発、小山に出て東北線経由で戻りました。
その後は、その用も兼ねて、ついつい、亀戸駅から新木場駅まで歩いてしまいました。つい一昨日、潮見から住吉まで歩いたばかりなのですが、そのちょっと東側で再び江東区縦断。元日から何をやっているのでしょう。。。
さて、今日祈った事とか、今年の目標とかですが、
昨年、とある機会に、私は自分の今後の目標として“世界中の一人でも多くの人を幸せにする”と宣言してしまいました。その時はつい勢いで言った事なのですが、目標としては悪くありません。なかなか難しい事ではありますが、ずっと掲げておく事にしました。ですので、全体目標としては引き続きそれで、祈った事としても、“世界中の一人でも多くの人が幸せになりますように”です。
ちなみに、世界中の人の中には、もちろん自分自身も入っています。自分自身も当然幸せにはなりたいですが、それを第一にして、自分だけ幸せならOK、とはしないと言うことで。
そして、その上での今年の目標は、勿論、とりあえず序盤は、“青年海外協力隊の候補生として、正式に隊員に任命されるように頑張る”であり、それが果たされた場合、以降は“青年海外協力隊員として頑張る”です。
ただ、あまり肩の力を入れ過ぎにはしないようにします。適度に力を抜いて楽に構えた方が、きっとうまく行くでしょう。そして、出来る限り、笑顔は忘れずにいたいと思います。
と言う事で、皆様、今年もよろしくお願いいたします。
ところで、実は昨年親類に不幸がありまして、今年の正月は喪中のため、郵便,メール合わせて、年賀状は控えさせていただきました。
ただ、全く喪中欠礼や寒中見舞いは差し出していませんでした。それについては誠に申し訳ありません。時間的な都合もあり、この後もお出ししませんがなにとぞご容赦の程を。
あと広く解釈すると、初詣に行ったり、このページで挨拶したりするのも控えるべきなのかも知れませんが、その辺りは大目に見ていただくという事で。。。
2006年12月31日
魔弾戦記リュウケンドーを振り返る
先日イベントにも行った、“魔弾戦記リュウケンドー”は、大晦日の今日が最終回でした。
相棒との別れをじっくりと描き、そして3人の戦士のこれからの生き方を予感させる、素晴らしい終わり方でした。
今年1月8日に始まり、全52話。年が変わらず本当に丸一年で、ぴったり4クール分放送してしまいました。日曜から始まり日曜に終わる2007年の、元日以外全ての日曜日に一回も休止無く見事に終わりました。連続もののテレビ番組では非常に稀なケースです。
リュウケンドーは放送開始の時点で殆ど製作が終わっていましたから、もしも何か事件でも起きて一回でも休止があれば、放送期間を伸ばすか、無理な編集で話数を減らすしかなかった状況。それが何も起きずにここまで上手くいったのは奇蹟と言って良いのではないでしょうか。
そもそもこのリュウケンドー、放送開始前はあまり期待していませんでした。先述の通り製作はだいぶ前から始まっており、2005年の中旬には結構ロケ目撃情報なども流れていました。しかし実際の放送枠はなかなか決まらず、この段階でトホホな予感を持ってしまっていました。やっと放送が決まり情報が出てきても、“あけぼの町”という町内で繰り広げられるという設定にはスケールの小ささを感じずにはいられなかったですし、各種カギを使ってのフォームチェンジやモンスター召還は仮面ライダー龍騎の二番煎じに見えてしまいましたし、とどめは脚本があの武上純希。もう悪い予感ばかり。
しかし、正直スマンかった。
面白かったです。
肩の力を抜いて安心して見られるヒーロー、決める時はきっちり決めてカタルシスもあるヒーロー。決して、突出してこれまでの過去のヒーローものと違う新要素があったわけではありませんが、非常に丁寧に作られており、毎週安定して楽しめました。
“あけぼの町”も、小さい町を想定していたのに反して、名前は町なれど、実際のフィールドは広く、自然もあり大きなビルもあり、市ぐらいの規模はあったので、色々なシチュエーションでのバトルがあり全然問題ありませんでした。
ゲストが少なく、町民や警察といったレギュラーとの話が多かったわけですが、その人数は意外と多かったですし、みな個性的な人物ばかりで、飽きはしませんでした。
しばしば魔物が襲ってくるという環境でも、必要以上に怖れることなく、明るく逞しく人情を持って生活している人々の温かさは心地良かったです。
現場では出演者は異常なほどに仲が良かったと多くの人が語っていますが、作品の画面からもそれが滲み出してきているようでした。
そして、そんな町の人々の絶大な信頼の下活躍する魔弾戦士。純粋な気持ちで頼りにされて応援されるヒーローは、見ていて清々しいですし、毎回それにきっちり答える姿はカッコ良い。
名乗りとか必殺技のポージングとかもしっかり決まっていました。戦闘のBGMとして主題歌を流すタイミングとかも、絶妙でした。
ストーリー展開も上手く出来ていたので、度重なるパワーアップもそう多過ぎという感は受けませんでした。第二クールから登場し、当初はSHOT(リュウケンドーの属する組織)を憎んでいたリュウジンオー/白波鋼一が登場した時は、これからは第一クールと打って変わって重いストーリーになってしまうのかと思いきや、番組の雰囲気は変わりませんでしたし、意外と早い段階で誤解が解け、以降は白波が少しずつ心を開いていく展開に自然にシフトし、非常にうまいと感じました。
こうなると逆に後半での白波の弱体化が危惧されましたが、それもなく、“これが本当に武上先生の脚本か???”と疑わせるほど綺麗な作りでした。
もっとも、リュウケンドーは、別に武上先生がシリーズ構成をしたわけではなく、広井王子が原作でおおよそ決めていたからこうなったのでしょう。やっぱり武上先生は、設定やシリーズ構成が既に決まっている状態で脚本を書かせるとうまいものを書いてくれますね(デカレンジャーの時も同様)。
ラストは、二週前に敵のボス大魔王を倒してしまい、後日談的要素も入れて最終エピソードが描かれましたが、敵組織壊滅後に二回も残るというこの構成は、意外でしたが楽しめました。
ライバルとの真の決着や、相棒であり友情で結ばれた変身アイテム(元々は人間であり意志を持っている)との別れ。このようなものは、通常は駆け足になりがちですからね(多くのケースでは、ライバルとの決着は敵の大攻勢の最中なので落ち着いてやれないし、別れは最終話ラストパートであっさり終わってしまう)。
最後まで番組色変わることなく、頼りになる青年達の姿を爽やかに描いた本作品、きっと視聴者の心の中に残り続けることでしょう。
超星神シリーズもそうでしたが、昔からの伝統のシリーズではない新しいヒーローが登場し、それがしっかりと作られていて面白いというのは嬉しいです。
しかし同時に、ネームバリューのあるシリーズものでないとなかなか後が続けられないという状況も見えてしまうのは残念な限りです。リュウケンドーも後番組は特撮ではなく、アニメの再放送となってしまいました。
まぁ、日曜の朝7時はちょっと早かったので元々苦戦は必至でしたからね。裏番組はゾロリですし。何で少ないパイを奪い合うような番組編成をするのかなぁ。。。
こうして、テレビ東京からは再び特撮ヒーローはいなくなってしまいました。
今のところウルトラマンもメビウスの後は無いようですから、4月以降は特撮は日曜朝のゲキレンジャー&仮面ライダー電王のみになってしまうようで、寂しい限りです。
相棒との別れをじっくりと描き、そして3人の戦士のこれからの生き方を予感させる、素晴らしい終わり方でした。
今年1月8日に始まり、全52話。年が変わらず本当に丸一年で、ぴったり4クール分放送してしまいました。日曜から始まり日曜に終わる2007年の、元日以外全ての日曜日に一回も休止無く見事に終わりました。連続もののテレビ番組では非常に稀なケースです。
リュウケンドーは放送開始の時点で殆ど製作が終わっていましたから、もしも何か事件でも起きて一回でも休止があれば、放送期間を伸ばすか、無理な編集で話数を減らすしかなかった状況。それが何も起きずにここまで上手くいったのは奇蹟と言って良いのではないでしょうか。
そもそもこのリュウケンドー、放送開始前はあまり期待していませんでした。先述の通り製作はだいぶ前から始まっており、2005年の中旬には結構ロケ目撃情報なども流れていました。しかし実際の放送枠はなかなか決まらず、この段階でトホホな予感を持ってしまっていました。やっと放送が決まり情報が出てきても、“あけぼの町”という町内で繰り広げられるという設定にはスケールの小ささを感じずにはいられなかったですし、各種カギを使ってのフォームチェンジやモンスター召還は仮面ライダー龍騎の二番煎じに見えてしまいましたし、とどめは脚本があの武上純希。もう悪い予感ばかり。
しかし、正直スマンかった。
面白かったです。
肩の力を抜いて安心して見られるヒーロー、決める時はきっちり決めてカタルシスもあるヒーロー。決して、突出してこれまでの過去のヒーローものと違う新要素があったわけではありませんが、非常に丁寧に作られており、毎週安定して楽しめました。
“あけぼの町”も、小さい町を想定していたのに反して、名前は町なれど、実際のフィールドは広く、自然もあり大きなビルもあり、市ぐらいの規模はあったので、色々なシチュエーションでのバトルがあり全然問題ありませんでした。
ゲストが少なく、町民や警察といったレギュラーとの話が多かったわけですが、その人数は意外と多かったですし、みな個性的な人物ばかりで、飽きはしませんでした。
しばしば魔物が襲ってくるという環境でも、必要以上に怖れることなく、明るく逞しく人情を持って生活している人々の温かさは心地良かったです。
現場では出演者は異常なほどに仲が良かったと多くの人が語っていますが、作品の画面からもそれが滲み出してきているようでした。
そして、そんな町の人々の絶大な信頼の下活躍する魔弾戦士。純粋な気持ちで頼りにされて応援されるヒーローは、見ていて清々しいですし、毎回それにきっちり答える姿はカッコ良い。
名乗りとか必殺技のポージングとかもしっかり決まっていました。戦闘のBGMとして主題歌を流すタイミングとかも、絶妙でした。
ストーリー展開も上手く出来ていたので、度重なるパワーアップもそう多過ぎという感は受けませんでした。第二クールから登場し、当初はSHOT(リュウケンドーの属する組織)を憎んでいたリュウジンオー/白波鋼一が登場した時は、これからは第一クールと打って変わって重いストーリーになってしまうのかと思いきや、番組の雰囲気は変わりませんでしたし、意外と早い段階で誤解が解け、以降は白波が少しずつ心を開いていく展開に自然にシフトし、非常にうまいと感じました。
こうなると逆に後半での白波の弱体化が危惧されましたが、それもなく、“これが本当に武上先生の脚本か???”と疑わせるほど綺麗な作りでした。
もっとも、リュウケンドーは、別に武上先生がシリーズ構成をしたわけではなく、広井王子が原作でおおよそ決めていたからこうなったのでしょう。やっぱり武上先生は、設定やシリーズ構成が既に決まっている状態で脚本を書かせるとうまいものを書いてくれますね(デカレンジャーの時も同様)。
ラストは、二週前に敵のボス大魔王を倒してしまい、後日談的要素も入れて最終エピソードが描かれましたが、敵組織壊滅後に二回も残るというこの構成は、意外でしたが楽しめました。
ライバルとの真の決着や、相棒であり友情で結ばれた変身アイテム(元々は人間であり意志を持っている)との別れ。このようなものは、通常は駆け足になりがちですからね(多くのケースでは、ライバルとの決着は敵の大攻勢の最中なので落ち着いてやれないし、別れは最終話ラストパートであっさり終わってしまう)。
最後まで番組色変わることなく、頼りになる青年達の姿を爽やかに描いた本作品、きっと視聴者の心の中に残り続けることでしょう。
超星神シリーズもそうでしたが、昔からの伝統のシリーズではない新しいヒーローが登場し、それがしっかりと作られていて面白いというのは嬉しいです。
しかし同時に、ネームバリューのあるシリーズものでないとなかなか後が続けられないという状況も見えてしまうのは残念な限りです。リュウケンドーも後番組は特撮ではなく、アニメの再放送となってしまいました。
まぁ、日曜の朝7時はちょっと早かったので元々苦戦は必至でしたからね。裏番組はゾロリですし。何で少ないパイを奪い合うような番組編成をするのかなぁ。。。
こうして、テレビ東京からは再び特撮ヒーローはいなくなってしまいました。
今のところウルトラマンもメビウスの後は無いようですから、4月以降は特撮は日曜朝のゲキレンジャー&仮面ライダー電王のみになってしまうようで、寂しい限りです。
2006年12月30日
君のままで変わればいい
さて、今年の総括です。
今年は激動の年だった気がしていたのですが、整理して考えると、実はまだまだ激動では無かったのかも。
確かに青年海外協力隊を受験し合格しましたが、実際の動きとして年内はこの間の都内での研修のみで、年が明けてからが本番といった感じですから。
それ以外は、やっている事は昨年と大きく変化は無かった気がします。11月までやっていた仕事は細かい事は色々とありましたが波瀾万丈という訳ではなかったですし(波瀾万丈になる直前に辞めたという話も)、旅行やドキュメンタリー映画,各種イベントなども、昨年と同様に行っていただけです。六ヶ所村へ行けたのは大きかったですけど。
激動前夜の一年、という感じでしょうか。
ただ勿論、この一年間で精神面では大きな変化があったと思います。
何よりも、この歳でようやく、“自分もこんな生き方をしてみたい”と思える存在に巡り会えたのが大きかった。協力隊に改めて応募したのも、それまでの様々な見聞による土台があったにしろ、発火点となったのは北原怜子との出会いでした。
前にも書いた事ですが、北原怜子については、大昔に一度本読んで知っていたとは言え記憶からは飛んでおり、今年改めて知った訳ですが、その生き様は衝撃でした。
彼女の考えは甘いと言ってしまえば確かに甘い部分はあるでしょう。現実は厳しいし、今は当時とは状況も違います。私自身も、残念ながら様々な欲望やしがらみからは脱せられないので、実際の所、彼女と同じような生き方は無理でしょう。
でも、理想としては掲げておきたい。自分にとってはそんな、尊敬できる存在となりました。
話変わって、
昨日、最初に就職した頃の事を振り返りましたが、かつてその時の会社の先輩に、“お前は変われ”って言われたことがあります。“もっと平均値に近いまともな人間になれ”、みたいな意味合いに捉えています。
あと、それとはまたちょっと違いますが、こっちへ戻ってきてからしばらくは、やっぱり自分が社会の中で安定して生き、幸せを得るには、社会の多数派に合うような話題,活動を持ち合わせ、それなりにお洒落な格好とかスポットとかも知らないといけないのかな、とかちょっと迷いが生じていた時期もありました。
でも考えた結果として、(あくまで今現在ですが)自分が出している結論は、
“それがどうした”
です。
やっぱり、興味が沸かず面白く無い事なんかやる必要ないと思うし(仕事の場ではまたちょっと違うかもしれないけど)、そんなので無理したところで結局何の満足感も得られないと思うのです。時には場に合わせて柔軟に振る舞うことが必要になる事はあるでしょうけれども、自分の中身までは変えることはないです。
勿論、自分が今のままで良いと言う気はありません。まだまだ自分は色々なことを学び経験し、鍛えていく必要があるのは確か。その点では“変わる”べき部分はきっと多いでしょう。でもそれは、決して、その先輩から言われた意味での“変わる”ではないです。
仮面ライダーアギトの主題歌の一節に、“君のままで 変わればいい”というフレーズがあります。
まさにそれこそが、自分が当てはまるのではないかと思います。
と言うことで唐突にまとめ。
学生生活の後、最初に就職した会社でつまづいて以来、しばらくの間の不安定な時代に生じた心の闇が完全に修復され安定した時、数奇な運命の巡り合わせにより心に火が着き、次のステップへ行く決断をしました。
正直、今は順調に推移してきていますが、またいつすっ転ぶかもしれないという恐怖心は僅かですが常に抱えています。
でも同時に、“きっと何とかなる。切り開いていけるだろう”という楽観的な気持ちも持っています。それが、ようやく少し付いてきた、自信というものなのでしょう。
自分は、これからも、自分自身を鍛えて、もっともっと強くなりたい。
そして、それは、きっと出来る。
今これを書いていて思うのは、そんなところです。
今年も、良い年でした。
最後に、歌ネタでもう一つ。
アニメ“美少女戦士セーラームーンR”のエンディングテーマ“乙女のポリシー”の二番。自分はこの曲の曲調も歌詞も大好きで、特に二番は、乙女ではなく誰にでも適用出来るすごく良い歌詞だと思うので、ご紹介します。
もっと大変な事 一杯待ち受けてる
きっとそれは 華麗に羽ばたくチャンス
みんな本気の時が とっても綺麗だから
自信持って クリアしてゆくの
今は眠る 未知のパワー
いつか溢れるわ
なりたいものになるよね
ガンバル人がいいよね
涙もたまにあるよね
だけどピッと凛々しく
今年は激動の年だった気がしていたのですが、整理して考えると、実はまだまだ激動では無かったのかも。
確かに青年海外協力隊を受験し合格しましたが、実際の動きとして年内はこの間の都内での研修のみで、年が明けてからが本番といった感じですから。
それ以外は、やっている事は昨年と大きく変化は無かった気がします。11月までやっていた仕事は細かい事は色々とありましたが波瀾万丈という訳ではなかったですし(波瀾万丈になる直前に辞めたという話も)、旅行やドキュメンタリー映画,各種イベントなども、昨年と同様に行っていただけです。六ヶ所村へ行けたのは大きかったですけど。
激動前夜の一年、という感じでしょうか。
ただ勿論、この一年間で精神面では大きな変化があったと思います。
何よりも、この歳でようやく、“自分もこんな生き方をしてみたい”と思える存在に巡り会えたのが大きかった。協力隊に改めて応募したのも、それまでの様々な見聞による土台があったにしろ、発火点となったのは北原怜子との出会いでした。
前にも書いた事ですが、北原怜子については、大昔に一度本読んで知っていたとは言え記憶からは飛んでおり、今年改めて知った訳ですが、その生き様は衝撃でした。
彼女の考えは甘いと言ってしまえば確かに甘い部分はあるでしょう。現実は厳しいし、今は当時とは状況も違います。私自身も、残念ながら様々な欲望やしがらみからは脱せられないので、実際の所、彼女と同じような生き方は無理でしょう。
でも、理想としては掲げておきたい。自分にとってはそんな、尊敬できる存在となりました。
話変わって、
昨日、最初に就職した頃の事を振り返りましたが、かつてその時の会社の先輩に、“お前は変われ”って言われたことがあります。“もっと平均値に近いまともな人間になれ”、みたいな意味合いに捉えています。
あと、それとはまたちょっと違いますが、こっちへ戻ってきてからしばらくは、やっぱり自分が社会の中で安定して生き、幸せを得るには、社会の多数派に合うような話題,活動を持ち合わせ、それなりにお洒落な格好とかスポットとかも知らないといけないのかな、とかちょっと迷いが生じていた時期もありました。
でも考えた結果として、(あくまで今現在ですが)自分が出している結論は、
“それがどうした”
です。
やっぱり、興味が沸かず面白く無い事なんかやる必要ないと思うし(仕事の場ではまたちょっと違うかもしれないけど)、そんなので無理したところで結局何の満足感も得られないと思うのです。時には場に合わせて柔軟に振る舞うことが必要になる事はあるでしょうけれども、自分の中身までは変えることはないです。
勿論、自分が今のままで良いと言う気はありません。まだまだ自分は色々なことを学び経験し、鍛えていく必要があるのは確か。その点では“変わる”べき部分はきっと多いでしょう。でもそれは、決して、その先輩から言われた意味での“変わる”ではないです。
仮面ライダーアギトの主題歌の一節に、“君のままで 変わればいい”というフレーズがあります。
まさにそれこそが、自分が当てはまるのではないかと思います。
と言うことで唐突にまとめ。
学生生活の後、最初に就職した会社でつまづいて以来、しばらくの間の不安定な時代に生じた心の闇が完全に修復され安定した時、数奇な運命の巡り合わせにより心に火が着き、次のステップへ行く決断をしました。
正直、今は順調に推移してきていますが、またいつすっ転ぶかもしれないという恐怖心は僅かですが常に抱えています。
でも同時に、“きっと何とかなる。切り開いていけるだろう”という楽観的な気持ちも持っています。それが、ようやく少し付いてきた、自信というものなのでしょう。
自分は、これからも、自分自身を鍛えて、もっともっと強くなりたい。
そして、それは、きっと出来る。
今これを書いていて思うのは、そんなところです。
今年も、良い年でした。
最後に、歌ネタでもう一つ。
アニメ“美少女戦士セーラームーンR”のエンディングテーマ“乙女のポリシー”の二番。自分はこの曲の曲調も歌詞も大好きで、特に二番は、乙女ではなく誰にでも適用出来るすごく良い歌詞だと思うので、ご紹介します。
もっと大変な事 一杯待ち受けてる
きっとそれは 華麗に羽ばたくチャンス
みんな本気の時が とっても綺麗だから
自信持って クリアしてゆくの
今は眠る 未知のパワー
いつか溢れるわ
なりたいものになるよね
ガンバル人がいいよね
涙もたまにあるよね
だけどピッと凛々しく
2006年12月29日
2002年名古屋
年の瀬も押し迫ってきましたが、過去を総括するシリーズ(そんなのあったのか?)の最後として、自分の中で黒歴史となっている、学生生活を終えて最初に就職した時の事を振り返ってみようと思います。
私は最初に就職したのは、三菱重工の子会社で、主に重工から仕事を受けて印刷やらPCシステム回りやらをやっている会社でした(私はPC部門で採用)。重工の工場,事業所にくっつく形で日本各地に営業所があり、私は名古屋行きを命じられました。元々旅行好きだったこともあり、地方勤務OKと面接で言ったからでしょう。
正確には勤務地は東海道線で名古屋の隣駅である枇杷島、今では平成の大合併で清洲市に入りましたが、当時は西枇杷島町という、町でした。住居は関西線で名古屋の隣駅である八田の、重工の社宅があてがわれました。
いずれ転勤で戻ってくる場合以外はずっと名古屋にいる事になるだろうと覚悟して行ったのですが、結果としては一年間で辞めて実家へ出戻りました。
嫌になった理由は色々とありました。様々な要素が集まることで大きくなったという見方も出来るし、逆に、一つ嫌になり始めると、(普通は大して気にならないことも含めて)どんどん他の事も嫌になっていく、という見方も出来ると思います。まぁスパイラルですな。
仕事は面白くなくやりがいが感じられなかったし、人間関係も、決してうち解けられなかったと言う訳ではないですけれども、典型的な旧来の日本企業的体質もあり自分にはしんどかった。住環境とかで過酷な面もあったし、細かい事を言っていけばきりがないです。
で、精神的に相当参ってきて、うつ状態になりかけたので、辞める決断を下したのでした。
最後の方は確かにおかしくなっていました。何かのパスワード(自分だけでなく他の人も使う)を、当時応援していたアイドルの名前に変えておいたりとかしましたからねぇ。今思うと数々のアホな行動がありました。
振り返ると、当時の自分が今よりも遙かに未熟だった、考えが甘かったというのはあると思います。その上、もう東京に戻ることはないからここにとけ込まないとと、変に力を入れすぎてしまっていた部分もありました。今ならば、あの状況に置かれても、あの頃の自分とは違う身の振り方が出来ると思います。
でも、あの時は限界だった。
もう少し頑張ってみては、とアドバイスをくれる人もいましたし、辞める以外に状況を好転させる手法も有ったのかもしれません。
だけど、自分は、全く後悔はしていません。なぜならば、こっちに戻ってきた後、(今のところ)結果的にすごく良い道を歩んで来られているから。自分の能力を伸ばしてくれた会社や人々に出会えたし、自分の考えを深められたドキュメンタリー映画や各種イベントは名古屋ではまず体験できなかっただろうから。
戻ってきて本当に良かった。ベスト決断だったと断言できます。
自分は大昔は、学卒で就職して一年も経たないうちに辞める人間に対して批判的だったのですが、考えは変わりました。
やっぱり無理するのは良くない。ちょっと嫌なぐらいですぐ辞めるのはやっぱりどうかと思うけれども、つらい思いで働き続けるのはしんどいでしょうから、あっさり方向転換するのも選択肢としては有りかもしれません。
まぁ、あの一年は、決して無駄になったという訳ではないとは思っています。仕事内容は殆ど何も頭の中に残っていないのですが(不思議なもので、人間って本能的に、本当に嫌だった事は記憶から抹消してしまうんですかねぇ)、基本的なビジネスマナー教えて貰ったのもプラスになっていますし、こんな感じの会社がある(そしてそれは別に少数派ではない)という事を知れただけでも良かったと思います。
最後に、あの時お世話になった人々には、色々と迷惑をかけてしまった事をお詫びしたいです。申し訳ありませんでした。
名古屋は、もう再び住もうとは思えませんが、嫌いにはなっていません。あの独特の文化は、たまに行って遊ぶ分にはなかなか面白いです。
ちなみに、住んでいた社宅は、出た直後に老朽化のため取り壊され、跡地にはサイゼリヤが出来たのでした。
私は最初に就職したのは、三菱重工の子会社で、主に重工から仕事を受けて印刷やらPCシステム回りやらをやっている会社でした(私はPC部門で採用)。重工の工場,事業所にくっつく形で日本各地に営業所があり、私は名古屋行きを命じられました。元々旅行好きだったこともあり、地方勤務OKと面接で言ったからでしょう。
正確には勤務地は東海道線で名古屋の隣駅である枇杷島、今では平成の大合併で清洲市に入りましたが、当時は西枇杷島町という、町でした。住居は関西線で名古屋の隣駅である八田の、重工の社宅があてがわれました。
いずれ転勤で戻ってくる場合以外はずっと名古屋にいる事になるだろうと覚悟して行ったのですが、結果としては一年間で辞めて実家へ出戻りました。
嫌になった理由は色々とありました。様々な要素が集まることで大きくなったという見方も出来るし、逆に、一つ嫌になり始めると、(普通は大して気にならないことも含めて)どんどん他の事も嫌になっていく、という見方も出来ると思います。まぁスパイラルですな。
仕事は面白くなくやりがいが感じられなかったし、人間関係も、決してうち解けられなかったと言う訳ではないですけれども、典型的な旧来の日本企業的体質もあり自分にはしんどかった。住環境とかで過酷な面もあったし、細かい事を言っていけばきりがないです。
で、精神的に相当参ってきて、うつ状態になりかけたので、辞める決断を下したのでした。
最後の方は確かにおかしくなっていました。何かのパスワード(自分だけでなく他の人も使う)を、当時応援していたアイドルの名前に変えておいたりとかしましたからねぇ。今思うと数々のアホな行動がありました。
振り返ると、当時の自分が今よりも遙かに未熟だった、考えが甘かったというのはあると思います。その上、もう東京に戻ることはないからここにとけ込まないとと、変に力を入れすぎてしまっていた部分もありました。今ならば、あの状況に置かれても、あの頃の自分とは違う身の振り方が出来ると思います。
でも、あの時は限界だった。
もう少し頑張ってみては、とアドバイスをくれる人もいましたし、辞める以外に状況を好転させる手法も有ったのかもしれません。
だけど、自分は、全く後悔はしていません。なぜならば、こっちに戻ってきた後、(今のところ)結果的にすごく良い道を歩んで来られているから。自分の能力を伸ばしてくれた会社や人々に出会えたし、自分の考えを深められたドキュメンタリー映画や各種イベントは名古屋ではまず体験できなかっただろうから。
戻ってきて本当に良かった。ベスト決断だったと断言できます。
自分は大昔は、学卒で就職して一年も経たないうちに辞める人間に対して批判的だったのですが、考えは変わりました。
やっぱり無理するのは良くない。ちょっと嫌なぐらいですぐ辞めるのはやっぱりどうかと思うけれども、つらい思いで働き続けるのはしんどいでしょうから、あっさり方向転換するのも選択肢としては有りかもしれません。
まぁ、あの一年は、決して無駄になったという訳ではないとは思っています。仕事内容は殆ど何も頭の中に残っていないのですが(不思議なもので、人間って本能的に、本当に嫌だった事は記憶から抹消してしまうんですかねぇ)、基本的なビジネスマナー教えて貰ったのもプラスになっていますし、こんな感じの会社がある(そしてそれは別に少数派ではない)という事を知れただけでも良かったと思います。
最後に、あの時お世話になった人々には、色々と迷惑をかけてしまった事をお詫びしたいです。申し訳ありませんでした。
名古屋は、もう再び住もうとは思えませんが、嫌いにはなっていません。あの独特の文化は、たまに行って遊ぶ分にはなかなか面白いです。
ちなみに、住んでいた社宅は、出た直後に老朽化のため取り壊され、跡地にはサイゼリヤが出来たのでした。
2006年12月28日
北原怜子まとめ
今年、北原怜子については一気に本を読み漁ったり、ゆかりの地を訪れたりしました。
こう突っ走るのもどうかとも思いはしますが、取り敢えず、情報を整理しておくのは悪くはないことだと思うので、私が知り得た情報を簡単に記します。今後北原怜子に興味を持たれた方の何かの参考になればと。。。
場所編
・潮見教会
かつて蟻の町があった場所。教会には今も人々が集います。
最寄駅:JR京葉線潮見駅
・隅田公園
潮見へ移転する前、最初に蟻の町があった地。公園となったこの地には今またホームレスの人々が…
最寄駅:東武線,地下鉄線浅草駅
・多磨霊園
北原怜子が眠る墓。場所は12区1種25側。
最寄駅:西武多摩川線多磨駅
・聖コルベ資料館(本河内教会)
コルベ神父,ゼノ修道士,北原怜子についての展示が有ります。
行き方:JR長崎駅より市電に乗車、終点蛍茶屋より徒歩
・あかつき特別養護老人ホーム
北原怜子の父金司が創設した施設。かつて蟻の町に置かれていた北原怜子の胸像が存在します。
行き方:北大阪急行,大阪モノレール千里中央駅よりバス、萱野北小学校前バス停より徒歩(ただしこの停留所へは本数が少ないので白島バス停から歩くのが良いかも)
書籍編
・アリの町のマリア 北原怜子
現在も普通に入手可能。一番オススメでもあります。
・蟻の街の子供たち
こちらも現在でも入手可能。もともとは本人が存命中に出された本。
・シリーズ 福祉に生きる22 北原怜子
これも現在でも入手可能ですが、内容的にも値段的にも、一番上のを読めばこちらは不要かと思います。
・アリの街のマリア―北原怜子の生涯
児童向け。お子様にどうぞ。ごく稀にBOOK OFFでも見かけます。
・マリア怜子を偲びて―その愛は永遠に
絶版。前半は“蟻の街の子供たち”の再録、後半は父金司氏の手記。
・世界のノン・フィクション 9 世界を驚かした10の努力
絶版。伝記オムニバス。最初に出たのが1968年であり、当時の視点で書かれています。
・蟻の街の奇蹟
絶版。蟻の町の始まりから歴史なども掲載。松居桃楼氏による本で、北原怜子存命中に出され、その後再版はされなかったようです。
・蟻の街の微笑
下記の本の日本語訳。内容としては、様々な事項を再整理したような印象です。
・The Smile of a Ragpicker
洋書です。日本国外の人に北原怜子を紹介するという姿勢で書かれているようです。
その他
・映画“蟻の街のマリア”
現在見る術無し。2002年にCSで放送された事がある模様。録画されている方ご連絡下さい。。。
こう突っ走るのもどうかとも思いはしますが、取り敢えず、情報を整理しておくのは悪くはないことだと思うので、私が知り得た情報を簡単に記します。今後北原怜子に興味を持たれた方の何かの参考になればと。。。
場所編
・潮見教会
かつて蟻の町があった場所。教会には今も人々が集います。
最寄駅:JR京葉線潮見駅
・隅田公園
潮見へ移転する前、最初に蟻の町があった地。公園となったこの地には今またホームレスの人々が…
最寄駅:東武線,地下鉄線浅草駅
・多磨霊園
北原怜子が眠る墓。場所は12区1種25側。
最寄駅:西武多摩川線多磨駅
・聖コルベ資料館(本河内教会)
コルベ神父,ゼノ修道士,北原怜子についての展示が有ります。
行き方:JR長崎駅より市電に乗車、終点蛍茶屋より徒歩
・あかつき特別養護老人ホーム
北原怜子の父金司が創設した施設。かつて蟻の町に置かれていた北原怜子の胸像が存在します。
行き方:北大阪急行,大阪モノレール千里中央駅よりバス、萱野北小学校前バス停より徒歩(ただしこの停留所へは本数が少ないので白島バス停から歩くのが良いかも)
書籍編
・アリの町のマリア 北原怜子
現在も普通に入手可能。一番オススメでもあります。
・蟻の街の子供たち
こちらも現在でも入手可能。もともとは本人が存命中に出された本。
・シリーズ 福祉に生きる22 北原怜子
これも現在でも入手可能ですが、内容的にも値段的にも、一番上のを読めばこちらは不要かと思います。
・アリの街のマリア―北原怜子の生涯
児童向け。お子様にどうぞ。ごく稀にBOOK OFFでも見かけます。
・マリア怜子を偲びて―その愛は永遠に
絶版。前半は“蟻の街の子供たち”の再録、後半は父金司氏の手記。
・世界のノン・フィクション 9 世界を驚かした10の努力
絶版。伝記オムニバス。最初に出たのが1968年であり、当時の視点で書かれています。
・蟻の街の奇蹟
絶版。蟻の町の始まりから歴史なども掲載。松居桃楼氏による本で、北原怜子存命中に出され、その後再版はされなかったようです。
・蟻の街の微笑
下記の本の日本語訳。内容としては、様々な事項を再整理したような印象です。
・The Smile of a Ragpicker
洋書です。日本国外の人に北原怜子を紹介するという姿勢で書かれているようです。
その他
・映画“蟻の街のマリア”
現在見る術無し。2002年にCSで放送された事がある模様。録画されている方ご連絡下さい。。。
2006年12月27日
俺達の戦記
テレビ東京系で日曜朝に放送されている特撮ヒーロー番組“魔弾戦記リュウケンドー”関連のイベント“俺達の戦記”が、本日開催されました。
メール応募による抽選の上、代金3500円を現金書留で送るという、あまり無い申し込み形式でしたが、自分は抽選を通ったので、技術補完研修中のある夜に東京中央郵便局から現金書留を送付し間に合わせ、チケットを入手しました。
色々と、これまで自分が行った特撮関係のイベントとは違う雰囲気があり、面白かったです。
まず、場所はタワーホール船堀。要は江戸川区の区民会館で、しかもそこの大ホールではなく小ホールでした。これからしてある意味すごい。
リュウケンドーはネット局も少なく比較的マイナーな番組であることに加え、今回は実は番組としての公式イベントではなく、アクションを担当している剣武会や役者の所属するサンミュージックブレインなどが共同で企画した、あくまで独立したイベントなので、告知宣伝の機会も限られていました。
さらに、(あくまで名目上は)番組とは別なので、変身後のキャラクターや所属会社が異なる俳優は出せず、主演の3人とアクション俳優(着ぐるみの中の人)によるトークが中心のイベントなので、この位の規模になってしまうのは仕方ないです。
そして、客層。前述したように変身後のヒーローは出ず、役者と着ぐるみの中の人によるイベントなので、基本的に子供はお断りだったので(夢を壊してしまうから、という理由ですが、子供を入れる場合承諾書へのサインまで求めるのはちょっとやり過ぎな気も)、子供連れは少なく、また、ヒロインが出ないと言うこともあってか、比率では男性客も少なく(時間的に仕事終わりだとちょっときついのもあるでしょうけれど)、俳優陣のファンと思わしき女性が多かったです。これもまた不思議な光景でした。
抽選で決まった座席は、自分はなんと最前列。タワーホール船堀小ホールのステージは、学校の体育館のステージのような感じで、最前列とは目と鼻の先。非常によく見えます。
いよいよイベント開始。まずは唐突に、剣武会のメンバーによるアクションショーが始まりました。間近で見るアクションは非常に迫力があり、その身のこなしは美しくもありました。
しかし問題は・・・“この人達は何者?”って訳で。ヒーローや敵戦闘員の中に入っていた人だというのは容易に想像つきましたが、やっぱり着ぐるみを着ていないと、なんか変な感覚ですね。
その後は、司会と役者陣が出てきてトークショー。リュウガンオー/不動銃四郎役の源,リュウジンオー/白波鋼一役の黒田耕平,3ヒーローの着ぐるみの中に入っていたアクション俳優3人が登場、そして別の仕事の為ちょっと遅刻して主人公リュウケンドー/鳴神剣二役の山口翔悟が加わりました。
で、トークショーですが、正直、ちょっと長かったかな。同じメンバーで一時間以上も話してましたからね。会場からの質問なども取り入れていましたが、中だるみがあった感は否めません。それに、実はリュウケンドーは、今年一月の放送開始時点で既に収録は終わっており、役者陣にとってはリアルタイム性が薄くなっている(同窓会的雰囲気)ので、盛り上がりに欠けたような気もしましたね。
脇役陣が何人か後ろの方の客席にいて、ステージから話を振られて応対したのは笑えました。こういうのも含めて、客席とステージとの距離感が近かったのは嬉しかったです。
そしてそのままの流れで、終盤はアクションの披露や、劇中の名場面再現へ。これは非常に良かったです。目前で見られる名シーン、白波については、本編では描かれず設定のみとなっている過去の戦いの場面をやったりして、存分に楽しめました。
黒田さんは、劇中では金髪だったのが黒髪に戻り髪型も違うので大分雰囲気は変わっていましたが、実際に白波役で演技に入ると、まさに白波であると実感できました。
最後は、全員での挨拶に続いて、客席からのアンコールに応えて、ロビーへと移動。その後は、客席から順に退場する客との握手会となりました。これは全くの予想外。俳優だけでなく着ぐるみの中の人とも握手するというのは貴重な体験でした。
もうちょっと大きい規模で出来ればなぁ、とは思いましたが、手作り感が感じられ、良いイベントだったと思います。来場客の行儀も総じて良く、客席と一体感のある暖かいものでした。
場所が都心ではなく、江戸川区の船堀だったというのも、諸般の事情によるのでしょうけれども、結果的には、“あけぼの町”という下町っぽい場所を舞台としたリュウケンドーには合っていたような気がします。
“剣武会”というアクショングループは、まだあまり大きくない組織のようで、本格的なテレビ番組での活動はリュウケンドーが初めてだった模様。だからこそ、こういったイベントでのアピールに力を入れているのでしょう。大野剣友会の流れをくむこのグループには、今後も頑張っていって欲しいと思います。
メール応募による抽選の上、代金3500円を現金書留で送るという、あまり無い申し込み形式でしたが、自分は抽選を通ったので、技術補完研修中のある夜に東京中央郵便局から現金書留を送付し間に合わせ、チケットを入手しました。
色々と、これまで自分が行った特撮関係のイベントとは違う雰囲気があり、面白かったです。
まず、場所はタワーホール船堀。要は江戸川区の区民会館で、しかもそこの大ホールではなく小ホールでした。これからしてある意味すごい。
リュウケンドーはネット局も少なく比較的マイナーな番組であることに加え、今回は実は番組としての公式イベントではなく、アクションを担当している剣武会や役者の所属するサンミュージックブレインなどが共同で企画した、あくまで独立したイベントなので、告知宣伝の機会も限られていました。
さらに、(あくまで名目上は)番組とは別なので、変身後のキャラクターや所属会社が異なる俳優は出せず、主演の3人とアクション俳優(着ぐるみの中の人)によるトークが中心のイベントなので、この位の規模になってしまうのは仕方ないです。
そして、客層。前述したように変身後のヒーローは出ず、役者と着ぐるみの中の人によるイベントなので、基本的に子供はお断りだったので(夢を壊してしまうから、という理由ですが、子供を入れる場合承諾書へのサインまで求めるのはちょっとやり過ぎな気も)、子供連れは少なく、また、ヒロインが出ないと言うこともあってか、比率では男性客も少なく(時間的に仕事終わりだとちょっときついのもあるでしょうけれど)、俳優陣のファンと思わしき女性が多かったです。これもまた不思議な光景でした。
抽選で決まった座席は、自分はなんと最前列。タワーホール船堀小ホールのステージは、学校の体育館のステージのような感じで、最前列とは目と鼻の先。非常によく見えます。
いよいよイベント開始。まずは唐突に、剣武会のメンバーによるアクションショーが始まりました。間近で見るアクションは非常に迫力があり、その身のこなしは美しくもありました。
しかし問題は・・・“この人達は何者?”って訳で。ヒーローや敵戦闘員の中に入っていた人だというのは容易に想像つきましたが、やっぱり着ぐるみを着ていないと、なんか変な感覚ですね。
その後は、司会と役者陣が出てきてトークショー。リュウガンオー/不動銃四郎役の源,リュウジンオー/白波鋼一役の黒田耕平,3ヒーローの着ぐるみの中に入っていたアクション俳優3人が登場、そして別の仕事の為ちょっと遅刻して主人公リュウケンドー/鳴神剣二役の山口翔悟が加わりました。
で、トークショーですが、正直、ちょっと長かったかな。同じメンバーで一時間以上も話してましたからね。会場からの質問なども取り入れていましたが、中だるみがあった感は否めません。それに、実はリュウケンドーは、今年一月の放送開始時点で既に収録は終わっており、役者陣にとってはリアルタイム性が薄くなっている(同窓会的雰囲気)ので、盛り上がりに欠けたような気もしましたね。
脇役陣が何人か後ろの方の客席にいて、ステージから話を振られて応対したのは笑えました。こういうのも含めて、客席とステージとの距離感が近かったのは嬉しかったです。
そしてそのままの流れで、終盤はアクションの披露や、劇中の名場面再現へ。これは非常に良かったです。目前で見られる名シーン、白波については、本編では描かれず設定のみとなっている過去の戦いの場面をやったりして、存分に楽しめました。
黒田さんは、劇中では金髪だったのが黒髪に戻り髪型も違うので大分雰囲気は変わっていましたが、実際に白波役で演技に入ると、まさに白波であると実感できました。
最後は、全員での挨拶に続いて、客席からのアンコールに応えて、ロビーへと移動。その後は、客席から順に退場する客との握手会となりました。これは全くの予想外。俳優だけでなく着ぐるみの中の人とも握手するというのは貴重な体験でした。
もうちょっと大きい規模で出来ればなぁ、とは思いましたが、手作り感が感じられ、良いイベントだったと思います。来場客の行儀も総じて良く、客席と一体感のある暖かいものでした。
場所が都心ではなく、江戸川区の船堀だったというのも、諸般の事情によるのでしょうけれども、結果的には、“あけぼの町”という下町っぽい場所を舞台としたリュウケンドーには合っていたような気がします。
“剣武会”というアクショングループは、まだあまり大きくない組織のようで、本格的なテレビ番組での活動はリュウケンドーが初めてだった模様。だからこそ、こういったイベントでのアピールに力を入れているのでしょう。大野剣友会の流れをくむこのグループには、今後も頑張っていって欲しいと思います。
2006年12月26日
ダーウィンの悪夢
徐々に雨量が増していく日でしたが、観ておきたい映画があったので渋谷まで行ってきました。
ダーウィンの悪夢
気が重くなる映画でした。
内容については、リンク先の公式サイトでも述べられていますが、美しく生態系豊かだったアフリカのヴィクトリア湖に、肉食で食用にされる魚ナイルパーチが放たれ繁殖、それを加工し輸出することで富を得る者が出てくる一方、おかげでグローバル経済に巻き込まれてしまった地元民の多数が過酷な状況に置かれてしまっているというものです。
しかも湖の生態系は破壊され、環境悪化まで起きているという、最悪の状態。
こういった映像を見ると、いつもながら、先進国の罪というものを非常に重く感じてしまいます。
世界人口の約8割の犠牲の上に成り立っている、約2割の豊かな生活。
いくらナイルパーチが捕れても、それは輸出用で地元民には金額的に手が出ず、人々は加工工場から捨てられた頭部や骨回りなど残った部分を集めて食べているという光景を見ると本当に辛い。ストリートチルドレンになったり、食べ物の奪い合いで喧嘩になったりする子供達。売春で蔓延するエイズ。
挙げ句の果てには、ナイルパーチ輸送の裏で、秘かにアフリカ各国の内戦,紛争で使われるための武器が輸送されている疑い。例えアフリカ諸国が資源で金を稼いだとしても、その金は武器に変わるだけなのではないか。その武器でさらに国は混乱する。
アフリカが犠牲になり、先進国は儲けるという構造。アフリカは、どうやっても結局は豊かになれず、虐げられる運命なのか?
難しい。簡単に解決できる方法があるわけでもありません。ナイルパーチの問題だって、既にナイルパーチ中心の経済システムが地元で出来てしまい、生計を立てている人もいる以上、それを無くして昔に戻すような事は容易に出来る話でもないですし。
そして、ナイルパーチと似たような事象は、グローバル経済の下、世界各地で、様々な産物に対して起きています。
先進国は先進国で、その中でも、富める者と貧しい者との格差が広がり始めていたりするわけで、兎に角もう全体的に悪い方向悪い方向に向かって行っている気がしてしまいます。
ダーウィンの悪夢では、ダーウィンの“適者生存”論を持ち出し、現在が、弱肉強食の世界と化している言うことを暗に述べていますが、ダーウィンの進化論は、人間の世界にもそのまま適用できてしまうものなのでしょうか?
知能を持ち、文明を創った人類は、今まさに、文明の限界に瀕していると思います。この限界を乗り越えて、新しい道へと進んでいくことが出来るのか。21世紀ってのは、それが試されている世紀なのではないでしょうか。
乗り越えられなければ、恐らく人類は滅びるでしょう。道連れで地球上の全生命を巻き込む危険性すらあります。
自分は結構この手の話題について書いた時は、暗い気分のまま締めた事もあったかとおもいますが、でも実際の所は、希望は捨てていません。
人間は、そこまで愚かではないと思うのです。きっと道は開ける。
何よりも自分は、これから途上国へ行って発展の協力をする身なのですから、最初から諦めて行ってはいけないですよね。
兎に角、みんなでもっと世の中の問題を知って、どうすれば良いかを考えて行動していきましょう。
と無理矢理締めたところで、、、
今年も結構映画を観ました。一応リストアップ。相変わらず偏っています。。。
今年映画館で観た映画
・鴛鴦歌合戦
・ミラーマンREFLEX
・送還日記
・ドラえもん のび太の恐竜2006
・三池 終わらない炭鉱の物語
・アレクセイと泉
・小さき勇者たち〜ガメラ〜
・六ヶ所村ラプソディー
・ヨコハマメリー
・轟々戦隊ボウケンジャー/仮面ライダーカブト
・マスター・オブ・サンダー
・島ノ唄
・ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟
・9.11-8.15 日本心中
・OUT OF PLACE
・ダーウィンの悪夢
来年は国内で映画を観られる機会は皆無に等しいと思いますが、3月に研修所から戻ってきたら、ドラえもんを観るぐらいの時間はあるかな?
ダーウィンの悪夢
気が重くなる映画でした。
内容については、リンク先の公式サイトでも述べられていますが、美しく生態系豊かだったアフリカのヴィクトリア湖に、肉食で食用にされる魚ナイルパーチが放たれ繁殖、それを加工し輸出することで富を得る者が出てくる一方、おかげでグローバル経済に巻き込まれてしまった地元民の多数が過酷な状況に置かれてしまっているというものです。
しかも湖の生態系は破壊され、環境悪化まで起きているという、最悪の状態。
こういった映像を見ると、いつもながら、先進国の罪というものを非常に重く感じてしまいます。
世界人口の約8割の犠牲の上に成り立っている、約2割の豊かな生活。
いくらナイルパーチが捕れても、それは輸出用で地元民には金額的に手が出ず、人々は加工工場から捨てられた頭部や骨回りなど残った部分を集めて食べているという光景を見ると本当に辛い。ストリートチルドレンになったり、食べ物の奪い合いで喧嘩になったりする子供達。売春で蔓延するエイズ。
挙げ句の果てには、ナイルパーチ輸送の裏で、秘かにアフリカ各国の内戦,紛争で使われるための武器が輸送されている疑い。例えアフリカ諸国が資源で金を稼いだとしても、その金は武器に変わるだけなのではないか。その武器でさらに国は混乱する。
アフリカが犠牲になり、先進国は儲けるという構造。アフリカは、どうやっても結局は豊かになれず、虐げられる運命なのか?
難しい。簡単に解決できる方法があるわけでもありません。ナイルパーチの問題だって、既にナイルパーチ中心の経済システムが地元で出来てしまい、生計を立てている人もいる以上、それを無くして昔に戻すような事は容易に出来る話でもないですし。
そして、ナイルパーチと似たような事象は、グローバル経済の下、世界各地で、様々な産物に対して起きています。
先進国は先進国で、その中でも、富める者と貧しい者との格差が広がり始めていたりするわけで、兎に角もう全体的に悪い方向悪い方向に向かって行っている気がしてしまいます。
ダーウィンの悪夢では、ダーウィンの“適者生存”論を持ち出し、現在が、弱肉強食の世界と化している言うことを暗に述べていますが、ダーウィンの進化論は、人間の世界にもそのまま適用できてしまうものなのでしょうか?
知能を持ち、文明を創った人類は、今まさに、文明の限界に瀕していると思います。この限界を乗り越えて、新しい道へと進んでいくことが出来るのか。21世紀ってのは、それが試されている世紀なのではないでしょうか。
乗り越えられなければ、恐らく人類は滅びるでしょう。道連れで地球上の全生命を巻き込む危険性すらあります。
自分は結構この手の話題について書いた時は、暗い気分のまま締めた事もあったかとおもいますが、でも実際の所は、希望は捨てていません。
人間は、そこまで愚かではないと思うのです。きっと道は開ける。
何よりも自分は、これから途上国へ行って発展の協力をする身なのですから、最初から諦めて行ってはいけないですよね。
兎に角、みんなでもっと世の中の問題を知って、どうすれば良いかを考えて行動していきましょう。
と無理矢理締めたところで、、、
今年も結構映画を観ました。一応リストアップ。相変わらず偏っています。。。
今年映画館で観た映画
・鴛鴦歌合戦
・ミラーマンREFLEX
・送還日記
・ドラえもん のび太の恐竜2006
・三池 終わらない炭鉱の物語
・アレクセイと泉
・小さき勇者たち〜ガメラ〜
・六ヶ所村ラプソディー
・ヨコハマメリー
・轟々戦隊ボウケンジャー/仮面ライダーカブト
・マスター・オブ・サンダー
・島ノ唄
・ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟
・9.11-8.15 日本心中
・OUT OF PLACE
・ダーウィンの悪夢
来年は国内で映画を観られる機会は皆無に等しいと思いますが、3月に研修所から戻ってきたら、ドラえもんを観るぐらいの時間はあるかな?
2006年12月25日
あの日の教室
こんなCDが発売されていたことを知り、今日役所などへ行った帰りに探索し、発見できたので速やかに購入してきました。主に70年代〜80年代の、NHK教育テレビの児童向け学習番組のテーマ曲が収録されています。既に以前、教室のヒーローたちのDVDを購入しており、楽曲としても入手したいと思っていたので丁度良かったです。
いやぁ、懐かしい。全部が全部知っている曲ではありませんが、子供時代に聞き慣れた数々の曲が心に響きます。
さわやか三組,それいけノンタック,たんけんぼくのまち,ワンツー・どん,できるかななどなど…いずれもテンポが良くて楽しい曲ばかりです。
自分に近い世代の人々なら、間違いなく心の稜線に触れるのではないかと思います。オススメです。
ところで、80年代から続いていた番組はあらかた90年代中盤には新しい番組に変わったようなのに、さわやか三組だけは、まだ続いているんですねぇ。驚きました。でも、調べると、ここ数年はちょっと前のものの再放送になっているようですし、この間教育基本法が変わったから、来年度あたりで変わりそうな気がします。
話変わって、今日とうとう、PHSを解約しました。
奇しくも丁度先週の土曜日、使用していた機種にメモリリーク問題が発生。直す方法が結局あったのかどうかはわかりませんが、元々そろそろ解約するつもりだったので、一旦オールリセットをかけて全て初期状態に戻し、受信出来ていなかったメールだけ引き上げた上での最期となりました。
これでひとまずケータイ無し人間に戻りました。なんか嬉しいです。
PHSを持ってから約2年半。やはり自分は、持つ前の予想通り、あまり使いませんでした。3000円弱のコースで含まれている1200円分の無料通話(通信)をオーバーした月が数える程でしたから。
協力隊で任国へ行く時は、緊急連絡用に携帯電話が支給されるようですが、戻ってきた後は、出来れば必要に迫られなければ持ちたくないですね。携帯電話は、やはり人間の生活にとって必要不可欠な物では無いというのが、2年半使った私の結論です。
2006年12月24日
新しい絆
11日から昨日23日の間、青年海外協力隊のPC系の技術補完研修を受講してきました。
ここまで刺激的で有意義な時間を過ごせたのは、本当に久々だった気がします。
任国で人に物事を教える場合も想定したプレゼンテーション,教材作成の講義は非常に有用でしたし、PCのハードウェア,ネットワークに関する講義も、今までその場その場で必要な事しか知ってこなかった自分には、整理して教えていただけたのは本当に助かりました。
そして、新しい仲間達。
今回は、来月から研修所へ入り、3月か4月に任国へ行く予定のPC系の隊員候補生全員が顔を合わせたわけですが、何ですかね、この個性的なメンバーは。面白い人々ばかりだし、この道を選んだ人々にはそれぞれ強い意思があるのでしょう、やっぱりみんな目の輝きが違います。
一緒にいてワクワクしてくる感じがあり、それに触発されて、超絶人見知りな自分も自然に中に入っていくことが出来たのだと思います(でも無口で聞き手に回ることが多いのはまぁ染みついた性分なので仕方ないですわ)。
あと、技術や経験では自分と比べて上を行く人々ばかりですが(自分は実務経験は2年半程度だし、プレゼンの演習などでも人との差は歴然)、そういった人々,場に対しても自分があまり物怖じしなくなっている、という事に気付けたのも収穫でした。ようやく自分自身に自信が付いてきたという事なのかも知れません。
OBの方(研修の講師の一人もOB)や、先日研修所を出てきたばかりの方の話を聞いたり映像等を見る機会もあり、不安は相当無くなり、これから先がどんどん楽しみになっている自分がいます。
きっと、この先厳しい事つらい事もあるのだろうけれども、なんとかなるだろうと、すごく前向きな気持ちになっています。
他の職種では、事前のこういった技術研修無しで、いきなり研修所というのもあるそうですが、今回、こうやって少人数、同じ職種で事前に集まる事が出来たのは本当にプラスでした。
実はこの前退職した会社で数点心残りな事が有ったのですが、正直、この研修で、そんなのは全て吹っ飛んでしまいました。気分はもう完全に“JOCVへGOモード”です。
皆さん、数ヶ月後にはそれぞれ任国へ渡りバラバラにはなりますが、今後永きに渡り、どうぞよろしくお願いいたします。
さぁ、まずは、研修の報告書送って、他にもいくつか書類書かないと。
PS.
それにしても、二週間で三回も“さくら水産”で飲むとは予想外でした。
変な話ですが、こういった庶民的な部分や、歩くことをいとわない等の旅人的な部分を感じるにつけ、“あぁここは自分が居られる場所なんだ”との想いを強くしていったのもありました。
ここまで刺激的で有意義な時間を過ごせたのは、本当に久々だった気がします。
任国で人に物事を教える場合も想定したプレゼンテーション,教材作成の講義は非常に有用でしたし、PCのハードウェア,ネットワークに関する講義も、今までその場その場で必要な事しか知ってこなかった自分には、整理して教えていただけたのは本当に助かりました。
そして、新しい仲間達。
今回は、来月から研修所へ入り、3月か4月に任国へ行く予定のPC系の隊員候補生全員が顔を合わせたわけですが、何ですかね、この個性的なメンバーは。面白い人々ばかりだし、この道を選んだ人々にはそれぞれ強い意思があるのでしょう、やっぱりみんな目の輝きが違います。
一緒にいてワクワクしてくる感じがあり、それに触発されて、超絶人見知りな自分も自然に中に入っていくことが出来たのだと思います(でも無口で聞き手に回ることが多いのはまぁ染みついた性分なので仕方ないですわ)。
あと、技術や経験では自分と比べて上を行く人々ばかりですが(自分は実務経験は2年半程度だし、プレゼンの演習などでも人との差は歴然)、そういった人々,場に対しても自分があまり物怖じしなくなっている、という事に気付けたのも収穫でした。ようやく自分自身に自信が付いてきたという事なのかも知れません。
OBの方(研修の講師の一人もOB)や、先日研修所を出てきたばかりの方の話を聞いたり映像等を見る機会もあり、不安は相当無くなり、これから先がどんどん楽しみになっている自分がいます。
きっと、この先厳しい事つらい事もあるのだろうけれども、なんとかなるだろうと、すごく前向きな気持ちになっています。
他の職種では、事前のこういった技術研修無しで、いきなり研修所というのもあるそうですが、今回、こうやって少人数、同じ職種で事前に集まる事が出来たのは本当にプラスでした。
実はこの前退職した会社で数点心残りな事が有ったのですが、正直、この研修で、そんなのは全て吹っ飛んでしまいました。気分はもう完全に“JOCVへGOモード”です。
皆さん、数ヶ月後にはそれぞれ任国へ渡りバラバラにはなりますが、今後永きに渡り、どうぞよろしくお願いいたします。
さぁ、まずは、研修の報告書送って、他にもいくつか書類書かないと。
PS.
それにしても、二週間で三回も“さくら水産”で飲むとは予想外でした。
変な話ですが、こういった庶民的な部分や、歩くことをいとわない等の旅人的な部分を感じるにつけ、“あぁここは自分が居られる場所なんだ”との想いを強くしていったのもありました。
2006年12月21日
東京番外地
先日購入した、森達也さんのもう一冊の新刊も、時間のあった昨日今日で一気に読みました。東京都内に存在する、エアポケットのような場所や地域を、取材アポなど取らずに一般人的目線でぶらりと旅をして考えた事を述べた本です。雑誌で連載企画だったのを単行本化したものなので、一章一章が短くまとまっており非常に読みやすいです。
森さんの文章は、(“ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー”の時に感じた事ですが)話が色々なところに飛び飛びになり、長くなってしまう傾向があるので(笑)、ページ数が決まっており、毎回きっちり締めないといけない連載企画の方が、話がテンポ良く、読みやすくなっていると感じました。
この本で森さんが訪れた場所は、どこも確かに、東京の中において回りとは一線を画した所です。東京拘置所を始めとし、歌舞伎町の風俗街,東京ジャーミー,皇居などなど。その中には私が訪れたことのある場所もありましたが、思い出すと、なるほど確かに回りと比べて浮いているような空気もありました。
いずれの章でも、その場所の歴史や現状などから関連づけて、今の日本,世界の状況への嘆き,警鐘が森さんのいつもの口調で語られますが、いずれもまさに的を射た指摘です。この人の視点の鋭さはさすがと思います。
ここ数年で、森さんは、その筋(謎)の人間の間では相当有名になったと思われて、著書はかなり売れていると思います。森さん以外にも、現在の社会の動きに警鐘を鳴らす人は沢山います。しかし、世の中は暗くなっていく一方。どうすれば良いのか。この流れにはもはや抗えないのか。いつもながら重い気分になります。
みんな、本当にこんな殺伐とした社会を望んでいるのか?・・・
その辺も、この後協力隊で国外に出て、ちょっとじっくり考えてみようかと思っています。
戻ってきた時にどのような考えになっているかは今はまるで予想出来ませんが、嘆くだけ祈るだけよりかは、何か行動を始めないといけないんじゃないかとかはぼんやり考えています。
あと、東京には、まだまだ興味深いところが一杯あるようで、取り敢えずこの本に載っている場所はいずれ一通り行ってみたいと思います(ただし歌舞伎町は除かせて下さい)。
これからは、勿論海外も見たいけれども、やっぱり、日本人として、日本の事も引き続き、もっともっと色々知っていきたい。
考えさせられる事多く、また東京の裏ガイドブック的にも使える、非常に面白い本でした。
PS.
全く関係ないですけれども、辞めた会社から離職票等がまだ届きません。来週初頭には諸々の手続きをしないと、年末で役所閉まってしまうのでスケジュール的にまずいです。最悪の場合は連絡して会社まで受け取りに行くぐらいはやらないとならないかも。明日の郵便で届くことを切に祈っています。。。
↑無事届きました。
2006年12月18日
世界を信じるためのメソッド
今年前半は、森達也さんの著書や対談本が結構出ましたが、本人が過労で倒れてしまったりしたこともあってか、後半は殆ど出ていませんでした。しかし年末になって二冊ほど新しい本が出ましたので、購入。今日はそのうち、簡単に読める方を一気に読みました。
この理論社“よりみちパン!セ”シリーズは、主に中高生辺りを対象にしているシリーズのようですが、かなり濃い内容が簡潔にしっかり書かれており、大人が読むにも耐えうるものです。
森さんはこのシリーズで以前出した本では、食肉の話から部落差別問題を論述していましたが、今回は、メディアのあり方について、そしてその受取手である自分達が心がけなければならない事について、普段から様々な場で主張している論をわかりやすくまとめたような内容になっています。
従って、森さんの数々の本を読んでいる人にとっては、特に目新しい部分はなかったりもしますが、復習的なものとしてなかなか面白く読めました。
それにしても、この本の中で紹介されている、ナチスドイツの空軍元帥ゲーリングがニュンベルク裁判で語った、国民を戦争に仕向けるにはどうすればよいのかの論と、現在の日本が状況とが似通っている事には、恐ろしさを感じます。
競争原理の社会の中で、売れる為に多数論に流れるメディア、それを上手く利用する政治家。なんとかこの今の嫌な流れ、食い止めたいものです。
2006年12月17日
大学サークル行事
今日は、大学時代のサークルで現役主催で行事があり、OBも多数参加しました。
とあるゲームをやりながら鉄道で移動していくというもので、伝統のゲームであり私も度々やったという記載をこのブログにもしてきました。自分にとって今回は、協力隊へ行く前に最後に参加できる行事でした。
千葉駅に集合し、そこから京葉線を進み、最後は地下鉄に乗り継いで遠回りをして東京へ至るルートでした。結構長くて疲れましたが、楽しいゲームとなりました。幸いにも気温も高めで、京葉線のホームでもあまり寒くなかったです。
もう来年で、同期結成(つまり大学に入ってから)10年となり、時が経つのは早いなぁと感じます。大学を出た後もずっと続いているこの絆、これからも大切にしていきたいと感じます。
最近は、大学のサークルは総じて、会員数が減少傾向のようで、私のいたそのサークルも、今では相当人数が減ってしまっています。人数が多かった頃にやっていて伝統となっている数々の活動が、なかなかうまく回せなくもなってきています。
活動が困難になって、力が必要な時は、是非ともOBを頼って欲しい。出来る限り協力したいと思っています。ですがその反面、たとえ伝統であっても、困難なものについては、無理はしないで欲しいとも思います。時代に合わせて活動が変わっていくのはあって良いし、何よりも大学のサークルですから、現役生の判断が最優先されるべきです。OBの期待に反しても全然構わないと思います。
まぁ、OBと現役との関係は難しいです。協力をする時は、それなりにこちらの意見を言いたいという気持ちもありますし。ただ、プレッシャーをかけるような事はしたくないものですね。
そんな訳で最後に、当会御用達の、有料焼肉店をご紹介します。
千葉県の焼肉ファミリーレストラン 赤門
主に千葉県内で展開している焼き肉チェーンで、お手頃価格でのセットメニューが売りです。ライスはお代わり自由、麦ご飯もあります。
千葉にお越しの際は是非どうぞ。
とあるゲームをやりながら鉄道で移動していくというもので、伝統のゲームであり私も度々やったという記載をこのブログにもしてきました。自分にとって今回は、協力隊へ行く前に最後に参加できる行事でした。
千葉駅に集合し、そこから京葉線を進み、最後は地下鉄に乗り継いで遠回りをして東京へ至るルートでした。結構長くて疲れましたが、楽しいゲームとなりました。幸いにも気温も高めで、京葉線のホームでもあまり寒くなかったです。
もう来年で、同期結成(つまり大学に入ってから)10年となり、時が経つのは早いなぁと感じます。大学を出た後もずっと続いているこの絆、これからも大切にしていきたいと感じます。
最近は、大学のサークルは総じて、会員数が減少傾向のようで、私のいたそのサークルも、今では相当人数が減ってしまっています。人数が多かった頃にやっていて伝統となっている数々の活動が、なかなかうまく回せなくもなってきています。
活動が困難になって、力が必要な時は、是非ともOBを頼って欲しい。出来る限り協力したいと思っています。ですがその反面、たとえ伝統であっても、困難なものについては、無理はしないで欲しいとも思います。時代に合わせて活動が変わっていくのはあって良いし、何よりも大学のサークルですから、現役生の判断が最優先されるべきです。OBの期待に反しても全然構わないと思います。
まぁ、OBと現役との関係は難しいです。協力をする時は、それなりにこちらの意見を言いたいという気持ちもありますし。ただ、プレッシャーをかけるような事はしたくないものですね。
そんな訳で最後に、当会御用達の、有料焼肉店をご紹介します。
千葉県の焼肉ファミリーレストラン 赤門
主に千葉県内で展開している焼き肉チェーンで、お手頃価格でのセットメニューが売りです。ライスはお代わり自由、麦ご飯もあります。
千葉にお越しの際は是非どうぞ。
2006年12月10日
9.11陰謀説
さて、その東京平和映画祭2006年特別企画トークライブですが、田中優さんメインの、環境問題と絡めた話は非常に興味深く有意義なものでしたが、問題は、きくちゆみさんナビゲートで、一番最初に流された、“LOOSE CHANGE”という映画。著作権放棄されているそうで、リンク先で全編が見られるので、興味ある方はご覧になって下さい。会場では、時間の関係上前半だけの上映でした。
内容は、端的に言ってしまえば、9.11同時多発テロは、アメリカ政府による自作自演であるという説を展開したものです。
国家権力の拡大を願う権力者,軍力増大を狙う軍トップが、国民の危機意識を煽ろうとして実行したのではないかと。それを証明すべく、様々な考証を試みている映画です。
正直に言いますと、これを見た直後は、私は、かなり信じそうになっていました。結構インパクトはある映画なので、特に、(ある意味観客層が偏った閉じた空間である)この会場この雰囲気の中だと、すごいドキュメンタリーだと感じたのでした。それに、きくちさんの説明によると、この映像はアメリカ国内では非常に多くの人が見て、かなりの反響があるという事でしたので、本当のような気がしてきたのです。
しかし、どうも違和感があった。にわかには信じがたかったのです。
こういった社会的イベントの場で聞いた事は信じやすい私が違和感を感じたぐらいなので、稚拙な点があるのでしょう。と、やや逆説的ですが、改めて落ち着いて考えてみると、確かに怪しい。
簡単に言うと、“9.11は自作自演であった”という証拠は、提示されていないのです。
冒頭部で、かつてキューバへの侵攻の口実を作るために自作自演でテロを偽装する作戦案があったという事実が語られることで、今もそう言った事をやりかねない、という考えに持って行かれ、その後、9.11直後の現場写真や、政府の発表資料において怪しい点があり、それは、アメリカ政府が計画してこういった方法でやったという見方をすると辻褄が合うのではないか、という展開なのですが、しかしそれらはあくまで説であって、それを証明する具体的証拠が無いのです。
LOOSE CHANGEでググってみると、やはり、この映画については批判的な見方の方が多いようです。具体的な検証をして反論をしているサイトもあります。
アメリカ国内で評判になっているというきくちさんの説明でしたが、どうもそうでもないようで。確かに、もし本当に真実味があるものとして受け止められ評判になっているのなら、日本においても、大手メディアは見て見ぬふりをして伝えていないとしても、もっとネットでは話題に上るでしょうし、東京新聞などが食いついてもおかしくはないと思うのですが、まるでそのような状況は無いですからねぇ。
9.11については、恐らく、アメリカ政府が隠している事はあるのだろうと思います。華氏911などでも言われていましたが、事前にテロ情報を知りつつ甘く見ていた、というのはあり得る話なのではと思います。
でも、さすがに、自作自演は無いと思うのです。アメリカ政府の人間が、いくら非道い奴らでも、貿易センタービルを破壊して多数の自国民を殺すという鬼畜なことはさすがにしないでしょうし、例えやろうとしても、そこまで行くと、心ある人が事前に止めようとするでしょう。
ましてや今は、ベトナム戦争時の機密資料が50年も経たずに見られてしまうような時代ですから、自作自演でやったとすれば、いずれ情報は出てしまうでしょうし、そうなるとそれを指示した側は無事じゃすみません。自国民に殺されますよ、絶対。そんな危ない橋を渡るとは思えない。
物事には多角的な見方があるので、アメリカ政府による陰謀だとする説もあって良いとは思いますが、自分としては、ちょっと信じるにはいかない論と結論づけました。
さらにググってみましたが、きくちゆみさんの普段の活動は、人々に概ね好意的に受け止められているようですが、この9.11陰謀説への支持については、やはり同調しない人が多いようですね。これまでの活動の名を落とすことにもなりかねないと。
私はきくちさんを知ったのは今回のイベントが初めてなので、きくちさん及びその活動については語るのは控えておきますが、昨日のきくちさんの話、9.11陰謀説の部分以外は、アメリカの軍国主義の危険性などについて非常に参考になる良い話だったと言うことは明記しておきます。
ただこの陰謀説については、ちょっと大々的に宣伝していくのはどうかなぁと、思った次第です。
内容は、端的に言ってしまえば、9.11同時多発テロは、アメリカ政府による自作自演であるという説を展開したものです。
国家権力の拡大を願う権力者,軍力増大を狙う軍トップが、国民の危機意識を煽ろうとして実行したのではないかと。それを証明すべく、様々な考証を試みている映画です。
正直に言いますと、これを見た直後は、私は、かなり信じそうになっていました。結構インパクトはある映画なので、特に、(ある意味観客層が偏った閉じた空間である)この会場この雰囲気の中だと、すごいドキュメンタリーだと感じたのでした。それに、きくちさんの説明によると、この映像はアメリカ国内では非常に多くの人が見て、かなりの反響があるという事でしたので、本当のような気がしてきたのです。
しかし、どうも違和感があった。にわかには信じがたかったのです。
こういった社会的イベントの場で聞いた事は信じやすい私が違和感を感じたぐらいなので、稚拙な点があるのでしょう。と、やや逆説的ですが、改めて落ち着いて考えてみると、確かに怪しい。
簡単に言うと、“9.11は自作自演であった”という証拠は、提示されていないのです。
冒頭部で、かつてキューバへの侵攻の口実を作るために自作自演でテロを偽装する作戦案があったという事実が語られることで、今もそう言った事をやりかねない、という考えに持って行かれ、その後、9.11直後の現場写真や、政府の発表資料において怪しい点があり、それは、アメリカ政府が計画してこういった方法でやったという見方をすると辻褄が合うのではないか、という展開なのですが、しかしそれらはあくまで説であって、それを証明する具体的証拠が無いのです。
LOOSE CHANGEでググってみると、やはり、この映画については批判的な見方の方が多いようです。具体的な検証をして反論をしているサイトもあります。
アメリカ国内で評判になっているというきくちさんの説明でしたが、どうもそうでもないようで。確かに、もし本当に真実味があるものとして受け止められ評判になっているのなら、日本においても、大手メディアは見て見ぬふりをして伝えていないとしても、もっとネットでは話題に上るでしょうし、東京新聞などが食いついてもおかしくはないと思うのですが、まるでそのような状況は無いですからねぇ。
9.11については、恐らく、アメリカ政府が隠している事はあるのだろうと思います。華氏911などでも言われていましたが、事前にテロ情報を知りつつ甘く見ていた、というのはあり得る話なのではと思います。
でも、さすがに、自作自演は無いと思うのです。アメリカ政府の人間が、いくら非道い奴らでも、貿易センタービルを破壊して多数の自国民を殺すという鬼畜なことはさすがにしないでしょうし、例えやろうとしても、そこまで行くと、心ある人が事前に止めようとするでしょう。
ましてや今は、ベトナム戦争時の機密資料が50年も経たずに見られてしまうような時代ですから、自作自演でやったとすれば、いずれ情報は出てしまうでしょうし、そうなるとそれを指示した側は無事じゃすみません。自国民に殺されますよ、絶対。そんな危ない橋を渡るとは思えない。
物事には多角的な見方があるので、アメリカ政府による陰謀だとする説もあって良いとは思いますが、自分としては、ちょっと信じるにはいかない論と結論づけました。
さらにググってみましたが、きくちゆみさんの普段の活動は、人々に概ね好意的に受け止められているようですが、この9.11陰謀説への支持については、やはり同調しない人が多いようですね。これまでの活動の名を落とすことにもなりかねないと。
私はきくちさんを知ったのは今回のイベントが初めてなので、きくちさん及びその活動については語るのは控えておきますが、昨日のきくちさんの話、9.11陰謀説の部分以外は、アメリカの軍国主義の危険性などについて非常に参考になる良い話だったと言うことは明記しておきます。
ただこの陰謀説については、ちょっと大々的に宣伝していくのはどうかなぁと、思った次第です。
2006年12月09日
東京平和映画祭2006年特別企画トークライブ
東京平和映画祭という、小さな映画祭が大分前に開催されたそうなのですが、その特別企画として、田中優さんときくちゆみさんによるトークライブが行われると知り、興味を持ち行ってきました。
田中優,きくちゆみ両氏とも、私はこれまで知らなかったのですが、共に環境問題から、それを引き起こしている根本原因まで見て活動されている方とのことで、なかなか考えさせられるトークでした。
アメリカを中心としたグローバル社会、軍国主義社会が世界にどんな悪影響を及ぼしているのか、その関連性を聞けば聞くほど恐ろしくなります。そしてそれを報道しようとしないメディアの姿勢などは、度々聞く話ではありますが、強く問題を感じます。
それに対してどう対処していけばよいのか。田中さんが述べていた考えはなかなか面白いものでした。
Aという論に対して、非Aという論で戦っても、なかなか難しい。例えば“戦争をする”という動きに対して、“戦争反対”と叫んでも、現状の力関係では勝ちにくい。そんな真っ正面からやり合うよりも、別のベクトルで動き、Aという論を無効化する、というやり方があるんじゃあないかと。
すなわち、アメリカを中心とした大国の、中東への政策には、石油を手に入れたい、と言う狙いがある。これに対して、中東への干渉に反対する、という活動では、“でも、そうすると石油が安定供給されなくなり、豊かな生活が維持できなるかもしれないですよ”と反論される。これに対し普通は、“では戦争をせずに石油供給を安定させるにはどうすれば良いのか”、という論点での反論になりがちだが、そういったレベルの話をするよりも、いっそ、石油を必要としない、環境に優しく持続可能な生活を築き上げてしまい、“別に石油なんてなくても大丈夫です”と返したならば、前提条件が崩れ、中東への干渉の理由自体が無くなるのではないか。
このように、別の方向からの活動で、前提条件を崩して無効化してしまうという戦法もあるという意見には、非常に感心しました。
また他にも、田中さんは環境問題に関して色々と面白い話をされました。
例えばエネルギー問題。家庭生活において、太陽光発電を取り入れるには、コストはかかるし、発電量もそんなに高くないという宣伝がされているが、今の技術ではもう家庭生活に十分な電力は取り出せるようになっていることや、(省エネ家電や高性能充電池含めた)導入の初期コストを、金融機関が貸し出し、数年かけて返済するような仕組みを作れば、負担もなくなる、という案など、環境問題を中心に、豊かな生活はそう変えることなく、世界を良くしていくためには何をやっていけばよいのか、様々な事が語られました。
いずれも、具体的に、そう各個人が負担を感じることなく実行していけそうな案ばかりで、目から鱗が落ちるものも多かったです。
しかし、これらの話を聞いていて、感心すると同時に考えたことなのですが、
様々な各個人レベルで実行に移すことは可能ですが、しかし限界があるのではないでしょうか。既に世の中は企業活動が中心の社会となっています。いくら個人レベルで様々な取り組みをしても、企業の活動(例えば消費電力とか、石油消費量とか、ゴミの量とか)は、桁違いに多いので、企業活動、さらにはその上、国の政策が変わらない限りは、なかなか世の中を変えるのは難しいのではないか。
個々人の考えを先に変え、そこから上を変えていくか、先にトップが変わり、そこから下に浸透させていくのか、なんだか“タマゴが先かニワトリが先か”というレベルの話になってしまいますが、色々と難しいことはあると思います。
それに、例えば環境負荷を下げるため、日本において各個人が自動車の使用を減らし、公共交通へのシフトなどを行ったとすると、当然自動車産業は奮わなくなり(だからと言ってその分を北米市場で取り返せば良いと言うのは本末転倒)、自動車産業に依存している日本経済はダメージを受け、直接的には失業者が増えるでしょう。
そんな時にどうするのか。産業構造を変えていけば、最終的には落ち着きどころはあると思いますが、過渡期にはやはり苦しむ人が出る。自分がそうなる可能性もあると言うことは覚悟する必要があるし、苦しんでいる人を助けるという気持ち,制度は用意しておかねばならないでしょう。
とまぁ、今回はなぜかいつもよりもシビアな事を考えつつ話を聞いていたのですが、しかし私も、希望を捨てずに、理想をもって一歩一歩進みたいという気持ちはなんら変わることはありません。
難しいことですが、すこしずつ前に進んでいきたいですね。一人一人の考えが変わっていけば、きっと道は開けると思います。
ちょっとグダグダな文章になってしまいました。すみません。
このイベントについては、もう一つ、述べたいことがあるのですが、これは項を改めて語ることにします。
田中優,きくちゆみ両氏とも、私はこれまで知らなかったのですが、共に環境問題から、それを引き起こしている根本原因まで見て活動されている方とのことで、なかなか考えさせられるトークでした。
アメリカを中心としたグローバル社会、軍国主義社会が世界にどんな悪影響を及ぼしているのか、その関連性を聞けば聞くほど恐ろしくなります。そしてそれを報道しようとしないメディアの姿勢などは、度々聞く話ではありますが、強く問題を感じます。
それに対してどう対処していけばよいのか。田中さんが述べていた考えはなかなか面白いものでした。
Aという論に対して、非Aという論で戦っても、なかなか難しい。例えば“戦争をする”という動きに対して、“戦争反対”と叫んでも、現状の力関係では勝ちにくい。そんな真っ正面からやり合うよりも、別のベクトルで動き、Aという論を無効化する、というやり方があるんじゃあないかと。
すなわち、アメリカを中心とした大国の、中東への政策には、石油を手に入れたい、と言う狙いがある。これに対して、中東への干渉に反対する、という活動では、“でも、そうすると石油が安定供給されなくなり、豊かな生活が維持できなるかもしれないですよ”と反論される。これに対し普通は、“では戦争をせずに石油供給を安定させるにはどうすれば良いのか”、という論点での反論になりがちだが、そういったレベルの話をするよりも、いっそ、石油を必要としない、環境に優しく持続可能な生活を築き上げてしまい、“別に石油なんてなくても大丈夫です”と返したならば、前提条件が崩れ、中東への干渉の理由自体が無くなるのではないか。
このように、別の方向からの活動で、前提条件を崩して無効化してしまうという戦法もあるという意見には、非常に感心しました。
また他にも、田中さんは環境問題に関して色々と面白い話をされました。
例えばエネルギー問題。家庭生活において、太陽光発電を取り入れるには、コストはかかるし、発電量もそんなに高くないという宣伝がされているが、今の技術ではもう家庭生活に十分な電力は取り出せるようになっていることや、(省エネ家電や高性能充電池含めた)導入の初期コストを、金融機関が貸し出し、数年かけて返済するような仕組みを作れば、負担もなくなる、という案など、環境問題を中心に、豊かな生活はそう変えることなく、世界を良くしていくためには何をやっていけばよいのか、様々な事が語られました。
いずれも、具体的に、そう各個人が負担を感じることなく実行していけそうな案ばかりで、目から鱗が落ちるものも多かったです。
しかし、これらの話を聞いていて、感心すると同時に考えたことなのですが、
様々な各個人レベルで実行に移すことは可能ですが、しかし限界があるのではないでしょうか。既に世の中は企業活動が中心の社会となっています。いくら個人レベルで様々な取り組みをしても、企業の活動(例えば消費電力とか、石油消費量とか、ゴミの量とか)は、桁違いに多いので、企業活動、さらにはその上、国の政策が変わらない限りは、なかなか世の中を変えるのは難しいのではないか。
個々人の考えを先に変え、そこから上を変えていくか、先にトップが変わり、そこから下に浸透させていくのか、なんだか“タマゴが先かニワトリが先か”というレベルの話になってしまいますが、色々と難しいことはあると思います。
それに、例えば環境負荷を下げるため、日本において各個人が自動車の使用を減らし、公共交通へのシフトなどを行ったとすると、当然自動車産業は奮わなくなり(だからと言ってその分を北米市場で取り返せば良いと言うのは本末転倒)、自動車産業に依存している日本経済はダメージを受け、直接的には失業者が増えるでしょう。
そんな時にどうするのか。産業構造を変えていけば、最終的には落ち着きどころはあると思いますが、過渡期にはやはり苦しむ人が出る。自分がそうなる可能性もあると言うことは覚悟する必要があるし、苦しんでいる人を助けるという気持ち,制度は用意しておかねばならないでしょう。
とまぁ、今回はなぜかいつもよりもシビアな事を考えつつ話を聞いていたのですが、しかし私も、希望を捨てずに、理想をもって一歩一歩進みたいという気持ちはなんら変わることはありません。
難しいことですが、すこしずつ前に進んでいきたいですね。一人一人の考えが変わっていけば、きっと道は開けると思います。
ちょっとグダグダな文章になってしまいました。すみません。
このイベントについては、もう一つ、述べたいことがあるのですが、これは項を改めて語ることにします。
2006年12月08日
世界を驚かした10の努力
蟻の街関連で気になっており、まさに“記憶の穴”となっていたのが、そもそも小学校の図書館で私が読んで最初に蟻の街に関して知った本は何だったのか。
これについては、“世界を驚かせたXXXXX”という名称のシリーズで、テーマ別に数人の偉人達のエピソードを一冊の本にまとめたものであると、かなりしっかりした記憶があったのですが、しかしネットで調べてもまるで引っ掛からない。
で、調べた結果は、、、
世界を驚かした10の努力
“驚かせた”ではなく“驚かした”だったという訳です。
暫く前までは、この巻はAmazonのマーケットプレイスで10000円という酷い値段で出ていて、それでは流石に買う気は起きず、その後たまに古書データベースなどをチェックしていたのですが、数日前、マーケットプレイスで定価の2倍に満たない良心的価格のものが出たので購入してしまいました。
このシリーズ、初版1968年で、その後改訂されずに1990年頃まで刷られていたようです。伝記物とは言え凄いですねぇ。さすがにその後絶版になってしまいましたが。
蟻の街については、1968年の時点でまだ8号埋め立て地(潮見)に健在ですから、巻頭の写真ページや、本編の冒頭部に、当時の蟻の街についての記載があり、これが意外と貴重です(そんなのを1990年までそのままにしてあったのですから、それは増補できないなら絶版にもなりますよね…)。あと、“アリの街のマリア”筆者、松居桃楼氏の、その頃の、ちょっと老いた姿も映っていたりするのが目を引きました。
そうそう、私もかつてこれを見て、辰巳の隣町に蟻の街があるという事を知ったのでした。実際には、それを読んでいた頃は既に蟻の街は無くなっていたわけですが。。。
なんだか懐かしい気持ちになりました。
さらに、これも蟻の街に関連するものですが、先日アメリカのAmazonから、“The Smile of a Ragpicker”という本を(中古で)購入しました。ネットで海外と取引するのは初めてだったのでちょっとドキドキでした。
これは日本語でも“蟻の街の微笑”というタイトルで出ており、日本語版も見たことはありますが、内容としては他の数々の書籍資料からまとめたのが中心と思えて目新しさはなかったです。でも、原書である英語版、これを持っていれば、もしも協力隊で行った先で、誰かから、行った動機を聞かれたような場合、説明に便利かなとか考えたので。
表紙はこちらで見られる通り、ある意味アメリカらしく(笑)、無意味に賑やかで、まるで中身の雰囲気に合っていません。右下の巫女さんは蟻の街とは一切関係ないのですが…(日本語版ではカットされているが、日本文化について適宜解説が入っており、神道の説明の関連で本文中で使われてはいる)
中身をざっと見て、一番驚いたのは、松居桃楼氏の、1988年の写真があった事です。北原怜子存命の頃の写真での氏の姿→先述の1968年頃の姿→1988年の姿と、つながったわけです。
この本は、研修所にも持って行って、英語の勉強ついでに読もうと考えています。
これについては、“世界を驚かせたXXXXX”という名称のシリーズで、テーマ別に数人の偉人達のエピソードを一冊の本にまとめたものであると、かなりしっかりした記憶があったのですが、しかしネットで調べてもまるで引っ掛からない。
で、調べた結果は、、、
世界を驚かした10の努力
“驚かせた”ではなく“驚かした”だったという訳です。
暫く前までは、この巻はAmazonのマーケットプレイスで10000円という酷い値段で出ていて、それでは流石に買う気は起きず、その後たまに古書データベースなどをチェックしていたのですが、数日前、マーケットプレイスで定価の2倍に満たない良心的価格のものが出たので購入してしまいました。
このシリーズ、初版1968年で、その後改訂されずに1990年頃まで刷られていたようです。伝記物とは言え凄いですねぇ。さすがにその後絶版になってしまいましたが。
蟻の街については、1968年の時点でまだ8号埋め立て地(潮見)に健在ですから、巻頭の写真ページや、本編の冒頭部に、当時の蟻の街についての記載があり、これが意外と貴重です(そんなのを1990年までそのままにしてあったのですから、それは増補できないなら絶版にもなりますよね…)。あと、“アリの街のマリア”筆者、松居桃楼氏の、その頃の、ちょっと老いた姿も映っていたりするのが目を引きました。
そうそう、私もかつてこれを見て、辰巳の隣町に蟻の街があるという事を知ったのでした。実際には、それを読んでいた頃は既に蟻の街は無くなっていたわけですが。。。
なんだか懐かしい気持ちになりました。
さらに、これも蟻の街に関連するものですが、先日アメリカのAmazonから、“The Smile of a Ragpicker”という本を(中古で)購入しました。ネットで海外と取引するのは初めてだったのでちょっとドキドキでした。
これは日本語でも“蟻の街の微笑”というタイトルで出ており、日本語版も見たことはありますが、内容としては他の数々の書籍資料からまとめたのが中心と思えて目新しさはなかったです。でも、原書である英語版、これを持っていれば、もしも協力隊で行った先で、誰かから、行った動機を聞かれたような場合、説明に便利かなとか考えたので。
表紙はこちらで見られる通り、ある意味アメリカらしく(笑)、無意味に賑やかで、まるで中身の雰囲気に合っていません。右下の巫女さんは蟻の街とは一切関係ないのですが…(日本語版ではカットされているが、日本文化について適宜解説が入っており、神道の説明の関連で本文中で使われてはいる)
中身をざっと見て、一番驚いたのは、松居桃楼氏の、1988年の写真があった事です。北原怜子存命の頃の写真での氏の姿→先述の1968年頃の姿→1988年の姿と、つながったわけです。
この本は、研修所にも持って行って、英語の勉強ついでに読もうと考えています。
2006年12月07日
バトルフィーバーJを振り返る
CSの東映チャンネルで放送されていた、戦隊シリーズ第3作、バトルフィーバーJが、先日最終回を迎えました。この作品は、今まであまり見る機会が無く、大半の話が初見でしたので、まとめを書いておこうと思います。
とりあえず列挙すると、書きたいこととして以下の点が挙げられます。
・予想以上に面白かった!
・予想以上にダイアンの出番が少なかった
・予想以上にマリアが可愛かった
・予想以上に神誠が馴染んでいた
まず一点目、その面白さですが、私はこの作品、そんなに期待していませんでした。前作(空白期間は挟みましたが)のジャッカー電撃隊は盛り上がりに欠く作品ですし、次作であるデンジマンは、良い評判が多いものの、自分にはいまいち面白く感じられなかったので、間に挟まっているバトルフィーバーもそんなに面白くはないだろうと予想していました。
しかし、非常に面白かったです。
空白期間があったために、変にジャッカー電撃隊を引きずっていないし、まだシリーズとして確立されていない為、パターン化されておらず、以降のシリーズに継承されていくもの、いかないものが、様々に盛り込まれており、絶妙なバランスが成り立っています。
普段はおちゃらけているけれども、やる時はやる、大人のスペシャリスト集団、そして独特の和風デザインとなっているバトルフィーバーロボの格好良さ。
敵作戦との攻防がストーリーの主軸となることが多かったゴレンジャーのスパイアクション的な流れに、後に主流となる、ゲストキャラとのエピソードを軸としたストーリー展開が混じっているのもバランスが良かったです。まさに70年代から80年代への過渡期といった感じを受けますね。
ここからシリーズが続いていく、その地位を確立するだけの魅力があると、納得しました。
次に、ダイアンの出番について。
最近では戦隊メンバーの途中交代など考えられないことになっていますが、この作品では、途中でミスアメリカとバトルコサックが交代しています。
初代ミスアメリカのダイアン・マーチン(中の人の名前も同じくダイアン・マーチン)は、番組の目玉とすべくか、当時人気モデルとして活動していた女性が起用されたのですが、本業の方が優先される形で、出番が少なかったのです。その事は既に知っていましたが、まさかここまで少ないとは予想外でした。
目立った回と言えば第一話と退場話のみ。殆どは基地内で待機しているという設定で、前線で活動するのは男性陣ばかり。毎回、怪人との決戦時に(変身後の姿で)駆けつけるというパターンが多く、その後の一件落着のシーンでもまた姿を消していたり。ロケに出ているのが珍しい程(でもなぜか退場直前の能登半島ロケには参加)で、私もたまに外の映像で姿を確認すると、“あ、いる”と驚いたくらいです。これだと交代やむなしでしょう。
変わって登場した二代目ミスアメリカ、汀マリア(演:萩奈穂美)。途中登場キャラはスチール写真等がそれほど撮られないのが常で、マリアも後の世の書籍等ではあまり姿が見られません。人物紹介でも、初登場時に撮られたと思わしきものばかり。
その為、じっくりと見たのは初めてだったのですが、これが予想以上に可愛く、またスタイルが良い。アクションも出来ますし、良い人を見つけてきたものです。ヒロインに注目されている現代だったらもっと人気を集めていたのではないでしょうか。特に28〜30話は凄かったです(謎)。
ダイアンの時の反動で、スタッフも活躍シーンを多く作ったので、非常に印象の強いキャラクターとなりました。時速200kmの球を倉間鉄山将軍直伝の電光剣唐竹割りで打ち返してしまったりしたのですから。
でも、終盤の髪型はちょっとどうかと感じました。。。
もう一人、バトルコサックも終盤で交代しました。こちらは色々と訳ありで急遽決まった事らしく、準備期間も短かったようで、二代目コサック神誠には、キカイダーやイナズマン,忍者キャプターと言った東映ヒーローを演じておりスタッフに馴染み深い伴大介氏が呼ばれました。
登場期間が短く、また他の4人と比べて年上で落ち着いたキャラクターという設定になったため、いまいち作品の雰囲気に馴染まず浮いていた、という話も聞いていたのですが、実際見てみると、そんな事はなく、バトルフィーバー隊の一員として普通に馴染んでいました。
落ち着いたキャラを入れた事で番組終盤の重厚感も増し、結果的にはなかなか良い感じでまとまっていたのではないでしょうか。
と言うわけで非常に面白かったバトルフィーバーJ、見ることが出来て良かったです。
予想通り来年にはDVDが発売されます。でも、CSで放送した直後の発売は逆効果のような気もします。本当はCSかDVDどちらかを数年遅らせたかったのだけれども、シリーズの中でバトルフィーバーだけぽっかり穴の空いた状態だったので、戦隊30作という節目の年にきっちりと処理したかったのではないかと勝手に想像していますが。
既にCSでは続いてターボレンジャーが始まっており、この後に順当にファイブマンが放送されれば、戦隊シリーズはようやく、一通り“幻の作品”的なものが無くなります。
自分の帰ってくる2年後には、ターボレンジャーとファイブマンのDVDが出ていれば良いなぁ。。。
とりあえず列挙すると、書きたいこととして以下の点が挙げられます。
・予想以上に面白かった!
・予想以上にダイアンの出番が少なかった
・予想以上にマリアが可愛かった
・予想以上に神誠が馴染んでいた
まず一点目、その面白さですが、私はこの作品、そんなに期待していませんでした。前作(空白期間は挟みましたが)のジャッカー電撃隊は盛り上がりに欠く作品ですし、次作であるデンジマンは、良い評判が多いものの、自分にはいまいち面白く感じられなかったので、間に挟まっているバトルフィーバーもそんなに面白くはないだろうと予想していました。
しかし、非常に面白かったです。
空白期間があったために、変にジャッカー電撃隊を引きずっていないし、まだシリーズとして確立されていない為、パターン化されておらず、以降のシリーズに継承されていくもの、いかないものが、様々に盛り込まれており、絶妙なバランスが成り立っています。
普段はおちゃらけているけれども、やる時はやる、大人のスペシャリスト集団、そして独特の和風デザインとなっているバトルフィーバーロボの格好良さ。
敵作戦との攻防がストーリーの主軸となることが多かったゴレンジャーのスパイアクション的な流れに、後に主流となる、ゲストキャラとのエピソードを軸としたストーリー展開が混じっているのもバランスが良かったです。まさに70年代から80年代への過渡期といった感じを受けますね。
ここからシリーズが続いていく、その地位を確立するだけの魅力があると、納得しました。
次に、ダイアンの出番について。
最近では戦隊メンバーの途中交代など考えられないことになっていますが、この作品では、途中でミスアメリカとバトルコサックが交代しています。
初代ミスアメリカのダイアン・マーチン(中の人の名前も同じくダイアン・マーチン)は、番組の目玉とすべくか、当時人気モデルとして活動していた女性が起用されたのですが、本業の方が優先される形で、出番が少なかったのです。その事は既に知っていましたが、まさかここまで少ないとは予想外でした。
目立った回と言えば第一話と退場話のみ。殆どは基地内で待機しているという設定で、前線で活動するのは男性陣ばかり。毎回、怪人との決戦時に(変身後の姿で)駆けつけるというパターンが多く、その後の一件落着のシーンでもまた姿を消していたり。ロケに出ているのが珍しい程(でもなぜか退場直前の能登半島ロケには参加)で、私もたまに外の映像で姿を確認すると、“あ、いる”と驚いたくらいです。これだと交代やむなしでしょう。
変わって登場した二代目ミスアメリカ、汀マリア(演:萩奈穂美)。途中登場キャラはスチール写真等がそれほど撮られないのが常で、マリアも後の世の書籍等ではあまり姿が見られません。人物紹介でも、初登場時に撮られたと思わしきものばかり。
その為、じっくりと見たのは初めてだったのですが、これが予想以上に可愛く、またスタイルが良い。アクションも出来ますし、良い人を見つけてきたものです。ヒロインに注目されている現代だったらもっと人気を集めていたのではないでしょうか。特に28〜30話は凄かったです(謎)。
ダイアンの時の反動で、スタッフも活躍シーンを多く作ったので、非常に印象の強いキャラクターとなりました。時速200kmの球を倉間鉄山将軍直伝の電光剣唐竹割りで打ち返してしまったりしたのですから。
でも、終盤の髪型はちょっとどうかと感じました。。。
もう一人、バトルコサックも終盤で交代しました。こちらは色々と訳ありで急遽決まった事らしく、準備期間も短かったようで、二代目コサック神誠には、キカイダーやイナズマン,忍者キャプターと言った東映ヒーローを演じておりスタッフに馴染み深い伴大介氏が呼ばれました。
登場期間が短く、また他の4人と比べて年上で落ち着いたキャラクターという設定になったため、いまいち作品の雰囲気に馴染まず浮いていた、という話も聞いていたのですが、実際見てみると、そんな事はなく、バトルフィーバー隊の一員として普通に馴染んでいました。
落ち着いたキャラを入れた事で番組終盤の重厚感も増し、結果的にはなかなか良い感じでまとまっていたのではないでしょうか。
と言うわけで非常に面白かったバトルフィーバーJ、見ることが出来て良かったです。
予想通り来年にはDVDが発売されます。でも、CSで放送した直後の発売は逆効果のような気もします。本当はCSかDVDどちらかを数年遅らせたかったのだけれども、シリーズの中でバトルフィーバーだけぽっかり穴の空いた状態だったので、戦隊30作という節目の年にきっちりと処理したかったのではないかと勝手に想像していますが。
既にCSでは続いてターボレンジャーが始まっており、この後に順当にファイブマンが放送されれば、戦隊シリーズはようやく、一通り“幻の作品”的なものが無くなります。
自分の帰ってくる2年後には、ターボレンジャーとファイブマンのDVDが出ていれば良いなぁ。。。
2006年12月06日
ウルトラマンメビウスのこれまでを振り返る
現在放送中のウルトラマンメビウス、1月以降はリアルタイムでは見られず、その後のスケジュールの都合上最終回辺りは見るのが相当先になってしまう可能性もあるため、今の時点で一旦思うところを記しておこうと思います。
厳しい条件の中、頑張っていると思います。金が無いのだから、CG率が高いとか、一般人ゲストが少ないとかは仕方がありません。脚本にはバラツキがあるものの、良く出来ている回は良く出来ている。
過去のシリーズと繋がっているという設定を上手く活かして、視聴者をニヤリとさせる要素を入れ込んでいたりするにのはスタッフのこだわりを感じますし、それに留まらず、シリーズ中盤で仲間に正体を知られ、そこからはウルトラマンと人間との、友情に支えられた共闘にシフトするという、新たな展開を見せた事は高く評価できると思います。
過去の作品において様々に描かれてきた、ウルトラマンと人間との関係が、80の最終回の延長線上にある世界において、さらに一つステップを踏んでいるというのは、感慨深いことです。
そして何よりも、ウルトラ兄弟の客演は燃えます。やっぱり昭和ウルトラマンの力は絶大ですね。もし今シリーズが、平成シリーズのいずれかの作品と繋がっているという設定だったとしても、これほど盛り上がりはしなかったのではないでしょうか。
だがしかし、裏を返せば、昭和ウルトラマンとの繋がりという要素が無かったとしたら、メビウスは単体の作品としてどれだけ輝きを放つのか。前述した通り、良く作られていますから、決してつまらないものにはならないと思います。しかし、他の特撮番組の中に埋もれてしまうのではないでしょうか。
元々過去の作品と繋がるという設定あっての作品ですから、こういう事を言うのは筋違いではありますが、いまいち突出したものを感じないんですよねぇ。。。
そして、過去の作品と繋がっているという事で、私はやはりどうしても、これまでの平成ウルトラマンシリーズ以上に、昭和と比較する視点で見てしまいます。すると、色々と気になる部分が出てきてしまいます。
80から25年も経っていますから、同列で比べるべきではないとは重々承知していますが、やっぱり目に付く部分は目に付きます。ここからは、そんな気になる点を列挙していきます。
まずは作品から受ける迫力の違い。
フィルム撮影とビデオ撮影との重厚感の違いも勿論ありますし、今のテレビでの映像表現の自主規制というものにもやはり強く左右されてしまっている気がします。
襲った宇宙ステーションは無人だったベムスター、家畜や人を喰う表現が無いバードン、ガスに発狂性が無いノーバ、人を襲えば良いというものではありませんが、やはりこうも人的犠牲の表現がないと、いまいち迫力,恐怖感が沸きません。これらの怪獣も昔と比べると弱いのが出てきているのかなぁという印象も受けてしまいます。
ストーリー的な部分も、ゾアムルチの回など見ると、あぁやっぱり今の子供番組はこういった小綺麗なまとめ方にせざるを得ないのかなぁと、残念に思ってしまうわけです。
次に、変なところで荒さが目立ちます。
直近で一番気になったのが、ババルウ星人。なぜナイトブレス付きのツルギの姿で出てきてしまったのか。アストラに化けて実兄レオやウルトラ兄弟さえも欺いた先代に比べると明らかに稚拙なやり方です。これは単に、スタッフが「ツルギVSヒカリ」という画を撮りたかっただけと違うのではないか?それとも脚本が甘かっただけ?スポンサー意志?
前述したように、凝っているところは凝っているため、変に甘い部分があると、逆に気になってしまいます。
フレッツ光とのタイアップで生まれたウルトラマンヒカリ。
その存在自体、メビウスの物語には本当に必要だったのかと私は疑問に感じてしまいます。ヒカリサーガのネット配信のスケジュールと合わせる形で、序盤のツルギとボガール関連の話は駆け足になってしまっていましたし、メビウスの成長を描くべき序盤にもう一人のウルトラマンは存在させるべきではなかったと思うのです。
まぁこの辺、たとえ物語上制約が出来てしまうとしても、タイアップでもしないと作品が作れないという制作側事情を感じ取ってしまうわけですが。
そして、様々な要因のおかげで、結果として、メビウスがあまり強く感じられなかったのが残念でした。まぁ、もともと今回は未熟なルーキーの成長物語ですから、弱くて当たり前と言えば当たり前なのですが、
・怪獣が昔と比べて弱い→勝っても強い気がしない
・もう一人のウルトラマンが存在→どうしてもメビウスを助ける形になる
・中盤でパワーアップ→やっぱり元々の基礎は弱いのか
などなど、あの最強の昭和ウルトラマンの直接の後継という設定ですから、なおさら比較して弱く頼りなく感じてしまうのです。
などなど長々と書いてしまいましたが、ここらで一応結論を。
昭和ウルトラマンはやっぱり別格です。それを持ち出すというのは諸刃の剣で、燃える要素も大きいですが、どうしても現在と過去とを比較する視点が強くなってしまうので、作品作りにあたって様々な制限がある現在の方が見劣りしてしまいます。
マックスとメビウスで、一通り使えるものは使ってしまった感があるので、もう暫くは同じ手は使えないでしょう。次の作品では、いかに壁を壊していくかが重要でしょうね。映画の大ヒットもあったので、次回作では製作環境はきっとここ数年よりも良くなるのではと思います。過去の良いものを継ぎつつ、新しいものを生み出していってくれればと願っています。
メビウス自体はあと1クール残っています。80先生も登場するそうで、私もいずれ必ずや見ます。
後は果たして篠田三郎氏の出演はあるのか。ここまで来ると画竜点睛を欠くのは納得いきませんからね。
そして、かなり風呂敷を広げた物語を、果たしてどういった形でまとめていくのか。視聴者を唸らせるうまい展開になる事を期待しています。
ネクサスで放送期間短縮の為に未登場となったダークルシフェルのデザインをそのまま使った敵をラスボスクラスで出して欲しい、とか妄想をしていたり。。。
厳しい条件の中、頑張っていると思います。金が無いのだから、CG率が高いとか、一般人ゲストが少ないとかは仕方がありません。脚本にはバラツキがあるものの、良く出来ている回は良く出来ている。
過去のシリーズと繋がっているという設定を上手く活かして、視聴者をニヤリとさせる要素を入れ込んでいたりするにのはスタッフのこだわりを感じますし、それに留まらず、シリーズ中盤で仲間に正体を知られ、そこからはウルトラマンと人間との、友情に支えられた共闘にシフトするという、新たな展開を見せた事は高く評価できると思います。
過去の作品において様々に描かれてきた、ウルトラマンと人間との関係が、80の最終回の延長線上にある世界において、さらに一つステップを踏んでいるというのは、感慨深いことです。
そして何よりも、ウルトラ兄弟の客演は燃えます。やっぱり昭和ウルトラマンの力は絶大ですね。もし今シリーズが、平成シリーズのいずれかの作品と繋がっているという設定だったとしても、これほど盛り上がりはしなかったのではないでしょうか。
だがしかし、裏を返せば、昭和ウルトラマンとの繋がりという要素が無かったとしたら、メビウスは単体の作品としてどれだけ輝きを放つのか。前述した通り、良く作られていますから、決してつまらないものにはならないと思います。しかし、他の特撮番組の中に埋もれてしまうのではないでしょうか。
元々過去の作品と繋がるという設定あっての作品ですから、こういう事を言うのは筋違いではありますが、いまいち突出したものを感じないんですよねぇ。。。
そして、過去の作品と繋がっているという事で、私はやはりどうしても、これまでの平成ウルトラマンシリーズ以上に、昭和と比較する視点で見てしまいます。すると、色々と気になる部分が出てきてしまいます。
80から25年も経っていますから、同列で比べるべきではないとは重々承知していますが、やっぱり目に付く部分は目に付きます。ここからは、そんな気になる点を列挙していきます。
まずは作品から受ける迫力の違い。
フィルム撮影とビデオ撮影との重厚感の違いも勿論ありますし、今のテレビでの映像表現の自主規制というものにもやはり強く左右されてしまっている気がします。
襲った宇宙ステーションは無人だったベムスター、家畜や人を喰う表現が無いバードン、ガスに発狂性が無いノーバ、人を襲えば良いというものではありませんが、やはりこうも人的犠牲の表現がないと、いまいち迫力,恐怖感が沸きません。これらの怪獣も昔と比べると弱いのが出てきているのかなぁという印象も受けてしまいます。
ストーリー的な部分も、ゾアムルチの回など見ると、あぁやっぱり今の子供番組はこういった小綺麗なまとめ方にせざるを得ないのかなぁと、残念に思ってしまうわけです。
次に、変なところで荒さが目立ちます。
直近で一番気になったのが、ババルウ星人。なぜナイトブレス付きのツルギの姿で出てきてしまったのか。アストラに化けて実兄レオやウルトラ兄弟さえも欺いた先代に比べると明らかに稚拙なやり方です。これは単に、スタッフが「ツルギVSヒカリ」という画を撮りたかっただけと違うのではないか?それとも脚本が甘かっただけ?スポンサー意志?
前述したように、凝っているところは凝っているため、変に甘い部分があると、逆に気になってしまいます。
フレッツ光とのタイアップで生まれたウルトラマンヒカリ。
その存在自体、メビウスの物語には本当に必要だったのかと私は疑問に感じてしまいます。ヒカリサーガのネット配信のスケジュールと合わせる形で、序盤のツルギとボガール関連の話は駆け足になってしまっていましたし、メビウスの成長を描くべき序盤にもう一人のウルトラマンは存在させるべきではなかったと思うのです。
まぁこの辺、たとえ物語上制約が出来てしまうとしても、タイアップでもしないと作品が作れないという制作側事情を感じ取ってしまうわけですが。
そして、様々な要因のおかげで、結果として、メビウスがあまり強く感じられなかったのが残念でした。まぁ、もともと今回は未熟なルーキーの成長物語ですから、弱くて当たり前と言えば当たり前なのですが、
・怪獣が昔と比べて弱い→勝っても強い気がしない
・もう一人のウルトラマンが存在→どうしてもメビウスを助ける形になる
・中盤でパワーアップ→やっぱり元々の基礎は弱いのか
などなど、あの最強の昭和ウルトラマンの直接の後継という設定ですから、なおさら比較して弱く頼りなく感じてしまうのです。
などなど長々と書いてしまいましたが、ここらで一応結論を。
昭和ウルトラマンはやっぱり別格です。それを持ち出すというのは諸刃の剣で、燃える要素も大きいですが、どうしても現在と過去とを比較する視点が強くなってしまうので、作品作りにあたって様々な制限がある現在の方が見劣りしてしまいます。
マックスとメビウスで、一通り使えるものは使ってしまった感があるので、もう暫くは同じ手は使えないでしょう。次の作品では、いかに壁を壊していくかが重要でしょうね。映画の大ヒットもあったので、次回作では製作環境はきっとここ数年よりも良くなるのではと思います。過去の良いものを継ぎつつ、新しいものを生み出していってくれればと願っています。
メビウス自体はあと1クール残っています。80先生も登場するそうで、私もいずれ必ずや見ます。
後は果たして篠田三郎氏の出演はあるのか。ここまで来ると画竜点睛を欠くのは納得いきませんからね。
そして、かなり風呂敷を広げた物語を、果たしてどういった形でまとめていくのか。視聴者を唸らせるうまい展開になる事を期待しています。
ネクサスで放送期間短縮の為に未登場となったダークルシフェルのデザインをそのまま使った敵をラスボスクラスで出して欲しい、とか妄想をしていたり。。。
2006年12月04日
祈願 出流山満願寺
一昨日書いた通り、今週は一週間空いていまして、今日は、栃木の出流山満願寺へと行ってきました。これまで度々訪れている寺ですが、意外にも今年に入ってからは行っていませんでした。
あれは一昨年の夏、当時色々な事があり人生に悩んでいた私は、板東三十三札所巡りの二周目を開始しました。そして、板東札所の中で唯一、大規模な宿泊設備を持つこの寺に一晩泊まり、心を落ち着け、そして朝の護摩で自らの幸せを強く願いました。
その後、自分の心には安定がもたらされました。その時に行っていた職場に馴染むことが出来て、正式に社員としての採用が決まりました。その後はこのブログにも綴ってきましたが、仕事に打ち込めて、私生活もなかなか面白い時を過ごせました。それをもって“幸せになった”と完結させられはしませんが、それ以前よりも心の平穏が得られたのは間違いありません。いつの間にか結構信仰心が強くなっている私には、この寺で行った祈祷は効果有ったと考えています。
そして、今新たな道へと進もうとしている時、ここで再度、護摩祈祷をしておこうという気分になったのです。
栃木駅から寺までのバスが一日5往復しかなく(これでも路線再編によって3往復から増え改善されている)、8:55発のバスに乗らないと護摩の時間には間に合わないため、朝6時前には家を出て、浅草から東武で栃木駅へと向かいました。前回のダイヤ改編で大幅に減りわずかになってしまった“快速”を使用。平日朝の長距離下り列車ですから、空いていました。
相変わらず客の少ないバスで辿り着いた出流の郷は、秋の自然が美しかったです。常緑樹が多いため、あまり紅葉している樹木はなかったのですが、人の姿はまばらで、空気は冷たく透き通っており、非常に心地良い雰囲気でした。
受付で護摩祈祷の申し込みをした後、時間になり本堂へ。ここの護摩祈祷は、毎回、中央の炉で護摩木を燃やし、かなりの炎が上がるので迫力があります。読経を聞きながら炎を眺めていると、なんとも神秘的な気分になりました。
そして、炎を前に、決意を新たにする自分なのでした。
祈祷を終えて御札をいただいた後は、この地区の名物である出流そばを食べてきました。この地区で作られている手打ちそばは、大変味が良く、またどこの店に入っても外れがありません。
皆さんも、機会が有れば、出流へ行って、満願寺へお参りし、そばを食べられることをオススメします。隠れ里といった感じで、非常に良い場所ですよ。
あれは一昨年の夏、当時色々な事があり人生に悩んでいた私は、板東三十三札所巡りの二周目を開始しました。そして、板東札所の中で唯一、大規模な宿泊設備を持つこの寺に一晩泊まり、心を落ち着け、そして朝の護摩で自らの幸せを強く願いました。
その後、自分の心には安定がもたらされました。その時に行っていた職場に馴染むことが出来て、正式に社員としての採用が決まりました。その後はこのブログにも綴ってきましたが、仕事に打ち込めて、私生活もなかなか面白い時を過ごせました。それをもって“幸せになった”と完結させられはしませんが、それ以前よりも心の平穏が得られたのは間違いありません。いつの間にか結構信仰心が強くなっている私には、この寺で行った祈祷は効果有ったと考えています。
そして、今新たな道へと進もうとしている時、ここで再度、護摩祈祷をしておこうという気分になったのです。
栃木駅から寺までのバスが一日5往復しかなく(これでも路線再編によって3往復から増え改善されている)、8:55発のバスに乗らないと護摩の時間には間に合わないため、朝6時前には家を出て、浅草から東武で栃木駅へと向かいました。前回のダイヤ改編で大幅に減りわずかになってしまった“快速”を使用。平日朝の長距離下り列車ですから、空いていました。
相変わらず客の少ないバスで辿り着いた出流の郷は、秋の自然が美しかったです。常緑樹が多いため、あまり紅葉している樹木はなかったのですが、人の姿はまばらで、空気は冷たく透き通っており、非常に心地良い雰囲気でした。
受付で護摩祈祷の申し込みをした後、時間になり本堂へ。ここの護摩祈祷は、毎回、中央の炉で護摩木を燃やし、かなりの炎が上がるので迫力があります。読経を聞きながら炎を眺めていると、なんとも神秘的な気分になりました。
そして、炎を前に、決意を新たにする自分なのでした。
祈祷を終えて御札をいただいた後は、この地区の名物である出流そばを食べてきました。この地区で作られている手打ちそばは、大変味が良く、またどこの店に入っても外れがありません。
皆さんも、機会が有れば、出流へ行って、満願寺へお参りし、そばを食べられることをオススメします。隠れ里といった感じで、非常に良い場所ですよ。


