歴史小話 ~過去から未来へつながる~

現在の私たちが日常に行っていることや言葉は、歴史上のあることがきっかけで、現在使われるようになっていることがたくさんあります。 人々の生活や言葉に影響を与える原因になった、歴史上の出来事や人々について、小話を書いていきたいと思います。 脱線することもままありますが、そこはご愛敬と言うことで、目くじらを立てずに読んでください。

スーパーカブ、150ccエンジン搭載の可能性はあるか??

 

 最近、ヤマハのSR400というバイクが生産中止なることが報道され、生産を継続して欲しいとというファンが大勢居ました。

 

 メーカーサイドの話によると、バイクの販売が低迷している中で排ガス規制に対応すために多額の開発費をかけられないという、時代の流れを象徴する出来事でした。

 このニュースを見たので、試しにHONDAのHPを見たところ、まあ「生産終了」と書いてあるバイクが多いこと多いこと。特に250cc~750ccのカテゴリのバイクの多くが「生産終了」と書いてありました。

 しかし、その中で気になったのはビックスクーター(250cc~400cc)が全て生産終了になっている事でした。他のヤマハやスズキもビッグスクーターは軒並み「生産終了」の表示になってしまっていました。

 ですが、日本の二輪免許制度を考えると少々疑問を感じます。普通二輪免許にはAT限定免許とMT免許の二

種類ありますが、AT限定免許の人は乗るバイクがなくなるのです。


 その代わりというか、排気量150ccという中途半端な排気量のスクーターをどのメーカーも増やしています。大島優子が出演していたCMがよく流れていたヤマハの三輪バイクも排気量150ccをラインナップに加えています。

 なんでビッグスクーターがなくなって、150ccのスクーターが増えているのかというと、どうもきっかけはHONDAのPCX150が原因のようです。

 ビッグスクーターのユーザーの多くはバイク便の従業員(正確には請負か?)が多く、車両運送法で車検の必要がなく、首都高、高速道路にも乗れる軽二輪(250cc以下)カテゴリーのスクーターかオフロードバイクを使用している人が多かったのですが、PCX150の方が燃費がよいということで250ccから乗り換える人が増え、その売れ行きを見ていた他のメーカーも、燃費を追求した150ccのバイクの生産に変更したようです。

 
 
 メーカーが250ccから150ccにエンジンをサイズダウンしたのは別の理由もあるようです。
 各社が出している150ccスクーターのエンジンのスペックを見ると、行程(ストローク)が125ccのバイクと同じなので、クランクシャフトやクランクケースなどエンジン周りのパーツの多くを125ccのバイクと共用でき、生産の効率化とコストダウンの両方ができることも魅力となり、サイズダウンを進めたのでしょう。
(125ccで設計したエンジンは、ボアアップするだけで、簡単に150ccにできる)
 HONDAを例に挙げると、125ccクラスのバイクGROM、リード125、PCXのいずれもボア×ストロークが同じで、クランクシャフト等を同一にしているのでしょう。PCX150は、口径(ボア)のみ広げて、排気量アップを図っています。

 さて、HONDA生産してる三種類の原付二種125ccカテゴリーのバイクで、GROMは空冷エンジンです(リードとPCXは水冷)。このエンジンをボアアップしてスーパーカブに搭載すれば、高速道路走行が可能なバイクが簡単に製造可能です。


 それ以外でも、ホイールやフロントフォークはPCXと可能な限り共用化(カブのPRO使用はホイールサイズは14インチ)する、スイングアーム周りはGROMと共用化を図るなどすれば、生産費を抑えて150ccをはかることが可能だと思います。
 
 スーパーカブは、コアなファンが結構存在するので、「高速を走れるカブ」のコピーで一定数の売上は見込めると思います。


 HONDAさん、スーパーカブ150の製造販売を検討していただけないでしょうか。

 
 

 でも、カブ150が販売されると、PCX150の売上が落ちるから無理かなあ・・・。

緑茶とほうじ茶の文化

先日、旅行に出かけました。
行き先は、弘前、秋田、金沢でした。
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岩手の農家です。屋敷林もあります。


これらの旅行で、少し気になることがありました。

それは、昼食を取るために立ち寄った食堂で、必ずほうじ茶を出されたことでした。

ほうじ茶そのものは、良い茶葉を使っているらしくおいしかったのですが、緑茶になれた管理人の口には違和感がある味でした。


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秋田、大曲の民家です。


しかし、東京で牛丼屋で昼食を取ったときも、飲むお茶は緑茶なのにそれより高級な店がなぜほうじ茶なのか疑問も感じました。

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兼六園の内橋亭

しかし、考えてみると、旅行先にはある共通点がありました。
それは、3カ所とも「雪国」だということです。

雪国では、冬は曇りか雨、雪の日が多く、太陽を見ない日が多いのです。そうすると暖を取るために、昔はいろり、今はストーブと一日中火をたいているのです。

そして、寒い外から家の中に入った後は、火に当たりながら、昔はお湯を、江戸時代以降は暖かいお茶を飲んで、体を温めたのでしょう。

そうすると、お湯を用意しなければなりません。
そのとき、いろりやストーブの火を使って、やかんや鍋でお湯を沸かしていたのでしょう。
当然やかんは、ずっと火の上にあるのですから、中の水は常に沸騰した熱い湯です。

この熱い湯で、緑茶を淹れるとどうなるかというと、緑茶の苦みが強くなります。
緑茶は60~70℃のお湯で淹れないと、うまみとほどよい苦みのお茶になりません。

常に熱湯を用意していた雪国では、ほうじ茶の方がおいしい茶を淹れることができます。
そうして、いつのまにかほうじ茶を飲む文化が成立したのでしょう。

  

そして、その文化は、床暖房やオール電化が普及した現在も、続いているのでしょう。

生活の必然で発生した雪国の飲茶文化。

日本は狭いようで広いですね。


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弘前の石場家(国、重要文化財ですが、今も現役の酒屋です)

 

いつでも見られるロストテクノロジー?

ロストテクノロジーと聞くと、オリハルコンやダマスカス鋼、はたまたインカ文明の精確な石積などが思い浮かぶ方が多いと思いますが、じつはあなたが比較的目にするものの中にも、以外なロストテクノロジーがあるのです。

誰でも見ることが可能なロストテクノロジーといわれると、古九谷焼の絵付けや染物、和船(猪木船など)などを想像された方が多いかもしれません。
そんな昔の話ではありません。

つい60年前まで製造されていた機械です。しかも堅牢で現在も稼働しています。直接目にすることは難しいかもしれませんが、テレビのニュースやドキュメンタリー、情報バラエティ、さらに動画サイトで簡単に見ることが可能です。

その機械とは、


 







日本の蒸気機関車なのです。

蒸気機関車は、JR各社、大井川鐵道、真岡鐵道など複数の会社が動態保存をしているので、冗談だと思うかもしれませんが、本当のことなのです。

いま、蒸気機関車の動態保存を行っている各社の担当が一番頭悩ませていることは、経年劣化と予備部品の調達なのです。
予備部品は、全国各地にある静態保存の蒸気機関車から取り外して、何とか確保していますが、経年劣化だけはどうしようもなく、大井川鐵道で走っていた蒸気機関車が1台、部品取り用予備機になりました。

なぜ、このようなことになるかというと、蒸気機関車のボイラーやシリンダー、加減弁(スロットル)などの重要部品が、現在では製造技術が失われてしまい、新造することが不可能になってしまっているからです。

蒸気機関車の製造は第二次大戦後の1950年代に行われた、C57,C59とC61,C62(一部)の製造が最後でした。
当時の国鉄は「動力近代化」のかけ声の下、電気機関車、ディーゼル機関車の開発に力を注ぐ一方、蒸気機関車の製造技術は不必要の烙印を押しました。
これを受けて、蒸気機関車製造を行っている会社も、研究をやめて担当者をほかの部門に異動させたため、蒸気機関車の製造技術の資料は散逸し職人もいなくなってしまいました。

その結果、現在は重要部品を作る技術はほぼ失われているのです。

2011年に復活した8620形蒸気機関車は、主台枠を新造するのに、金属メーカーとJR九州が必死に研究して、材質や必要強度を調べ上げてようやく製造が可能になったのです。
加減弁やシリンダーの製造技術は、完全復活はしていないようです。

一度、製造をやめて技術の継承をやめてしまうと、技術は簡単にロストテクノロジーになってしまうのです。

町で見かけるガソリンエンジンで動く自動車も、100年後は博物館に飾られているだけのロストテクノロジーになるかもしれませんね。

 

なぜ、川村瑞賢は西回り航路の整備に成功できたか。

教科書にも載っている、河村瑞賢が整備した「西回り航路」。
かつては、この航路が整備されたことで、日本海沿岸各地と上方の物流が活発になり、東北はおろか蝦夷地(北海道)までの幅広い交易圏が形成され、各地の産業が発展したことは、教科書に書いていると思います。

 

しかし、考えてみてください。海は昔からつながっています。

瀬戸内海航路の整備は、平安時代末に平清盛が大規模に行っており、音戸ノ瀬戸の開削、神戸に大和田の泊を建設するなど、対宋貿易のために大規模な開発が行われたことが、現在に伝わっています。当然当然平安時代の関門海峡も通行できたはずです。
航海技術は対宋貿易で日本人の船頭や水夫も育っているはずです。
造船技術についても、元寇の際、鎌倉幕府の命令で元に渡航するための船の建造を始めたことからも、中国までの航海できる船舶の建造が可能なことが分かっています。

また、最近の調査で、室町時代には日本海沿岸各地の港湾都市で盛んに京や大坂など上方との交易が行われたことがわかってきました。

そうなると、疑問が出てきます。
港も船も航海技術あるのに、なぜ、「西回り航路」が使用されなかったのか?

まず、江戸時代初期までの流通ルートをたどってみましょう

古代から使用されていたルートは、北日本の日本海沿岸地区の港で積まれた積み荷が、越前国の敦賀(福井県敦賀市)まで運ばれました。そこで馬に載せ替えて琵琶湖北岸の塩津や大浦に運ばれて、再び船に乗せられ琵琶湖を渡り、琵琶湖南岸の大津まで運ばれた後、再び馬に乗せられ京に運ばれていました。

なぜ、このようなめんどくさい方法をとっていたのか。

俗説で言われるのが、当時の日本の造船技術や航海技術の未熟さですが、先ほど書いた事例から否定せざるを得ません。

さらに、現在でも物資の大量輸送は船を使用することは常識であり、わざわざ陸路で効率の悪い輸送を行う必要はありません。
動力が人力や畜力しかない昔は、現在より舟運の重要性はより高かったと思います。

そうなると、距離が短いとはいえ、敦賀からの陸路は効率が悪すぎることに気がつかれると思います。
 

そこで、安土桃山時代まであった、関所や座(ギルド)の問題が浮かび上がってくるのです。

たとえば、西回り航路をとった場合、山陰や瀬戸内の海には海賊がいて、それぞれが関銭(通行税)をとります。そうすると、関銭分が商品の価格に上積みされます。
さらに、敦賀~塩津間、大津~京の馬借座や堅田衆など琵琶湖舟運の座の関係者や、その権利を与えている本所(朝廷、公家、寺社)が流通ルートの消滅の邪魔をすることは、容易に予想できます。

結局、本所や座などの既得権益者の主張や関門海峡廻りにした場合の関銭が高額になることなどにより、敦賀~塩津~大津~京のルートはそのままになっていたのでしょう。

豊臣秀吉が、関所や座を廃止したため、自由に交通ができるようになり、その政策を引き継いだ江戸幕府によってもたらされた平和で自由な海で、川村瑞賢は「西回り航路」の開拓を行ったのでしょう。

その結果、日本海沿岸地域の物流は大幅に改善され、人々の生活も改善され始めたのでしょう。

一人の人物がつくったものも、実際は社会環境が整った結果の産物というのが、意外に多いかもしれません。



 

大河ドラマの主役になれない、かわいそうな戦国大名

2016年の大河ドラマが、真田信繁(幸村)を主人公にした「真田丸」になったことをご存じの方も多いでしょう。2012年の「平清盛」が低視聴率でたたかれたため、堅実路線を歩んでいるようです。

NHKの大河ドラマで主人公が活躍する時代設定で多いのが、「源平争乱期」「戦国時代~江戸時代初期」「幕末」の三つでしょう。昔は「忠臣蔵」も定番でしたが、平成に入った頃からほとんど取り上げられなくなりました。
(ブラック企業が幅をきかせている現代では、「忠臣蔵」は理解されない)

挑戦して「南北朝期」「応仁の乱」「平将門の乱」など別の時代の人物や出来事を取り上げた作品は、低視聴率のため、翌年は視聴率ねらいの時代設定になることが多いようです。

定番の時代でも多彩な人材がそろっているのは、なんといっても「戦国時代」でしょう。
幕末だと「長州」」「薩摩」「新撰組」「坂本龍馬」「勝海舟をはじめとする幕臣(八重の桜の会津藩も幕臣に分類可能)」の5つのグループに限られるのに対し、
戦国時代は、「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」「武田信玄」「上杉謙信」の5人だけに限らず、彼らの家臣も主役にすることが可能なうえ、「伊達政宗」「毛利元就」など多士済々で、企画担当者は視聴率をねらった企画が考えやすいでしょう。

さらに最近はテレビゲームの影響で、長宗我部元親、立花宗茂、島津義弘などマイナーな武将も若者の間に浸透してきているので、NHKの企画担当者は、「次は誰にしようか」とうれしい悲鳴を上げながら、2017年以降の大河ドラマの企画を考えているでしょう。
(2014年の「軍師官兵衛」のライバルとして、「島津義弘」が噂に上ったこともある)

  
ブログ主の邪推ですが、「天地人」は漫画「花の慶次」のおかげで企画が通ったのでしょう。
(直江兼次は、「花の慶次」の中では、主人公の次にいい男にかかれているから)

そんな、多士済々の戦国時代ですが、歴史の教科書に掲載される人物でありながら、いまだに大河ドラマの主役どころか、脇役にすらなっていない戦国大名がいます。

まず、思いつくのは今川義元ですが、最後が織田信長の引き立て役という終わり方だから、まず選ばれることはないでしょう。
 選ばれるならば、従来通り織田信長の敵役というところでしょう。
(企画が通っても、「平清盛」以下の低視聴率になる可能性が高い)

さて、ここで記事を読まれている方に考えていただきたいのです。

次にあげる項目を満たしている戦国大名が、大河ドラマの主役にふさわしいかどうか。

1,数多くの合戦で勝利を収めた
  (負け戦もあったが、最終的に勝利を収めた)
2,民衆が暮らしやすくなるように善政を行った
3,身内からの要請で、それまでの地位をなげうって廃嫡寸前の甥を助けに駆けつけ、家督相続を成功させた
4,55歳という高齢になって、ようやく一城の主になった。
5,60歳すぎてから本格的に活動を始め、人生の最後で宿敵を破り、国持ち大名となって勝利のうちに88年の生涯を閉じた。
(最近は、64歳没年説が主流)
、ただの牢人から国持ち大名に出世したといわれてた。
(現在では否定されているが、戦力をほとんど持っていない事実は変わらない)

どうでしょうか。

戦に強く、領民を大事にし、波瀾万丈の人生を歩み、しかも身内も大事にするという、ドラマにするのに打ってつけの戦国大名が実在するのです。
55歳でようやく一城の主なるなんて、「中年(熟年)の星」そのものではないですか。
(最近は30歳前後に城主になった説が主流)


そして、あの司馬遼太郎も、この人物を主人公に小説を書いています。
これほど知名度が高かったにもかかわらず、大河ドラマの候補の噂にすらあがらない、ある意味空気な戦国大名とは、いったい誰か。
歴史ファンの方なら、「あの人ね」と想像できる人。






 






それは、

北条早雲こと伊勢宗瑞なのです。

彼は、足利将軍家に代々官僚として使える伊勢氏の生まれで、幕府の申次衆(江戸幕府の側用人に相当)をつとめていながら、妹(または姉)の要請でその地位を捨て駿河に下り、甥の家督相続を実現させ、その功績で興国寺城を与えられ、その後戦乱で荒れた伊豆を平定し、それまでより税金をやすくし、疫病に襲われた領民を救済するなど大活躍をします。その後相模を攻め、旧勢力である三浦氏を討滅し、相模を平定してからなくなったという。
理想的なサクセスストーリーなのです

なのになぜ、北条早雲は大河ドラマの主役に選ばれないのか?

北条早雲は「下克上」の代表格だからという考え方は、当てはまりません。
なぜなら、「下克上」の代表格である斎藤道三は、「国盗り物語」(原作司馬遼太郎)で主役に選ばれています。
マイナーな戦国武将だったから、という説も当てはまりません。
江戸時代から昭和30年代まで、講談本や小説にさんざん書かれていて、江戸時代の人たちには「一介の素浪人から、国持ち大名まで出世した人」ということで、人気者でした。

しかし、最近はマイナーな戦国大名として、知名度は長宗我部元親どころか上杉景勝家臣の直江兼次以下になっています。

なんで、これほどまで知名度が落ちてしまったのか。

ブログ主が気がついたのは、戦国時代を舞台にした大河ドラマでは、必ず「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」と絡む事件がある人物限定ということです。

斎藤道三は、信長と同盟関係を結び、美濃の譲渡状を子どもに残すなど、信長との話題に事欠かない上、「国盗り物語」の後半の主役は織田信長でした。
2016年の大河ドラマの主人公真田信繁(幸村)は、徳川家康がらみの話題に事欠きません。

唯一関係ないのが、「毛利元就」ですが、息子の吉川元春、小早川隆景は信長、秀吉との話題に事欠きませんので、物語の最後の方に多少盛り込んでいました。

その点、北条早雲は織田信長が生まれる前になくなっており、信長が生まれた頃は、3代目北条氏康に世代交代をしていました。
そして、信長が絡む話題はほとんどなく、秀吉にあっさり滅ぼされてしまい、矮小なイメージしか残らないようになってしまってます。

織田信長が生まれる前に死んだ人をテレビゲームに出すのも無理があるでしょうし・・・。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に絡まなかったというだけで、空気にされてしまった北条早雲(伊勢宗瑞)さん。

2018年あたりの大河ドラマで、候補にあげてもいいのではないでしょうか。

 

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