2011年02月09日

我輩はノミである


我輩はノミである


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『蚤の自叙伝』なる翻訳書が、やはり筆禍に遭った。 こちらは西洋の有名な春本で、文芸資料研究会が四百部限定で製作し、会員に頒布した。 価格は5円26銭である。 この年の歌舞伎座の正月興行の桟敷席一人当たり料金が、5円30銭。 現在同座の桟敷席は普通興行で1万6千円である。 正月興行は特別の顔見世だから、もう少し高くなる。 春本としては、良い値段であったと見るべきだろう。 臙脂(えんじ)色のラシャ紙表紙、本文351ページ、奥付はないが、訳者は佐藤紅霞(こうか)とわかっている。

 (中略)

では今では読むことができない、当時の西洋翻訳本の代表として、『蚤の自叙伝』をご紹介しよう。

書き出しは、こうである。 「私は此世に生を受けたものである、然しどうして、いつ、どこで生まれたのか申し上げることが出来ない。 何(いず)れそのことはひとりでに知れることだろうと、皆さんのご推量にまかせることにする」

ここで「私」とは、「蚤」のことである。 蚤が語り手である。 そう、皆さんがすぐさま思い浮かべるように、文豪、夏目漱石の『吾輩は猫である』だ。 あちらは猫、こちらは蚤。 実は漱石先生はこの有名な春本をヒントにして、『吾輩は猫である』を書いたのではないか、と某氏が推測していたが、もう一人の文豪の鴎外先生さえ、古今東西の春本を読了している、あながち妄説とはいえぬ。 大体、昔は(鴎外先生は、けしからぬとか馬鹿げているなどとののしるが)、春本は教養の一つで、学を好む者はひと通り目を通していた。 それが証拠に江戸期のものは、写本でたくさん残されている。 皆、啄木のように書き写して所持したのである。 断定するが、明治以降の文学者で、春本春画を愛好せぬものは一人もいない。 かの真面目な宮沢賢治でさえ、春画の収集家だった。

それはさておき、『蚤の自叙伝』は、一匹の蚤がベラーなるいささか好き者の女性に食いつく。 その蚤が眺めた世界を描いてある、といえば、それ以上の説明は不要だろう。 蚤が助兵衛なることは、皆さん経験で承知のはず。 舞台は教会で、たくさんの「僧侶」が、入れかわり立ちかわり、ベラーを相手に「秘儀」を披露する。 最も聖なるものを穢(けが)すのが、春本の基本理念である。 同時にこの本が書かれた時代は、教会が堕落しており、それを諷したとも言えよう。 




20-21ページ
『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所:株式会社 新潮社





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デンマンさん。。。あんさんは春本を持ち出してきて漱石先生が『蚤の自叙伝』を読んでいたと言いたいん?


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そうや。。。

そやけど、『蚤の自叙伝』を読まへんでも『吾輩は猫である』というタイトルを思いつくことぐらい有り得ますやん。

もちろん、そういう事だってあるやろなァ~。

だったら春本を持ち出してきて『蚤の自叙伝』と『吾輩は猫である』を結びつける必要ないやんか!

あのなァ~、わては漱石先生が間違いなく『蚤の自叙伝』を読んでいたと思うのや。

その証拠でもあるの?

芥川龍之介がエロ本を探して欲しいという依頼の手紙を書いてるねん。 ちょっと次の部分を読んで欲しいねん。

 


大正10年3月、芥川はある人にこんな手紙を書いている。

「拝啓 支那の本中楊貴妃の生殖器なぞの事を書いた本と云(い)ふのは何と云う本ですか御教示下されば幸甚です
なほそんな本で面白いのがあつたら御教へくださいませんか
僕の知つてゐる誨淫(かいいん)の書は金瓶梅。
肉蒲団。 杏花天。 牡丹奇縁。 痴婆子。 貪官報。 歓喜奇観。 殺子報。 野嫂曝言(やそうばくげん)。

 


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如意君伝(にょいくんでん)。 春風得意奇縁(しゅんぷうとくいきえん)。 隔簾花影(かくれんかえい) 等です
以上」




172ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎 2009年9月20日発行
発行所: 株式会社 新潮社


 



わたしは芥川龍之介がエロ本を読んでいたということを問題にしているのではないねん。 漱石先生のことを訊(き)いてるねん。



分かってるがなァ。

だったら、漱石先生の手紙でも出したらどうなん?

あのなァ~、芥川龍之介が師と仰いだのが漱石先生なのやァ。

つまり、弟子が中国の有名な春本をすべて読んでいるので師である漱石先生が『蚤の自叙伝』を読んでないわけがないと、あんさんは言わはるの?

そうや。。。しかも、『春本を愉しむ』の著者は次のように書いてるねん。

 

断定するが、明治以降の文学者で、

春本春画を愛好せぬものは一人もいない。

かの真面目な宮沢賢治でさえ、

春画の収集家だった。


 

鴎外先生は「けしからぬとか馬鹿げているなどとののしるが」それでも古今東西の春本を読んでいた。 しかも『ヰタ・セクスアリス(性的生活)』という作品まで書いていた。

 


僕は女の体のある部分を目撃したことがない。 五月雨の晴れたころであった。 僕が裏庭の蔵の前で遊んでいると、ときどき家に来る勝(かつ)という娘がやってきて遊ぼうという。 僕はたちまち「あの縁から飛んで遊ぼう」と一計を案じた。

「こうして飛ばんと、着物が邪魔になっていけん」

僕は尻をまくって活発に飛び降りた。 勝はしばらく困った顔をしていたが、無邪気で素直な子であったので、とうとう尻をまくって飛んだ。 僕は目を丸くして覗いたが、白い脚が二本、白い腹に続いていて、なんにもなかった。 僕はおおいに失望した。

 (中略)

僕は東先生の家にいるあいだ、性欲上の刺激を受けたことは少しもない。 強いていえば、書生と手伝いの女とが話をしていたのを聞いた。 女の器械はいつでも用に立つ。 心持に関係せずに用に立つ。 男の器械は用に立つときと用立たないときとがある。 女は耳を真っ赤にして聞いていた。 僕は不愉快を感じて、自分の部屋に帰った。

 (中略)

金井君はある夜ここまで書いた。 金井君は腕組みをして考え込んでいる。 金井君は一度も自分から攻勢を取らねばならないほど強く性欲に動かされたことはない。

 


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いったん筆を置いて考えてみると、このような不必要の衝突が偶然に繰り返されるのを書くのが、無意義ではあるまいかと疑うようになった。 金井君は断然筆を絶つことにした。 そしてつくづく考えた。 世間の人は性欲の虎を放し飼いにして、どうかすると、その背に騎(の)って、滅亡の谷に墜(お)ちる。 自分は性欲の虎を馴らして抑えている




19 - 22ページ 「ヰタ・セクスアリス」
『あらすじで読む日本の名著 No.3』
編者: 小川義男
2003年12月28日 第1刷発行
発行所: 株式会社 樂書館


 



『春本を愉しむ』の著者は鴎外先生が「けしからぬとか馬鹿げているとののしるが」と書いているけれど、上の文章を読むと春本や性欲がけしからぬとか馬鹿げているとののしったわけではないねん。



鴎外先生は何をけしからぬ、アホらしいと思うていたん?

鴎外先生は次のように書いてるねん。

世間の人は性欲の虎を放し飼いにして、

どうかすると、その背に騎(の)って、

滅亡の谷に墜(お)ちる。

自分は性欲の虎を馴らして抑えている


つまり、性欲に振り回されているような人間になるのはけしからん、アホらしいと言うてはるのやね?

そうなのや。。。実は、『ヰタ・セクスアリス』は1909(明治42)年に発表されたのや。 でも、この作品を掲載した『スバル』7号は発売禁止処分を受けてしもうたのや。

どうして。。。?

性的表現が多すぎて社会に悪影響を及ばすと関係当局が考えたのやがな。 当時、鴎外先生は47歳やった。 陸軍軍医総監・医務局長の要職についていたのや。

仕事を辞めさせられてしもうたの?

辞めさせられへんかったけれど、上司から叱られたそうや。

鴎外先生は、内心ではそのような堅物(かたぶつ)の上司もけしからん、アホらしいと思うていたん?

そうや。。。鴎外先生は両極端を嫌っていたようや。 春本や性欲を何が何でも害悪視する堅物(かたぶつ)を嫌悪しておったようや。

春本や性欲に振り回されるって具体的にどういうことやねん?

あのなァ~。。。興味深い具体例があるねん。

そんなら、もったいぶらんで話したらええやん。

石川啄木の面白いエピソードや。 ここに書き出すから、めれちゃんも読んでみたらええやん。

 


「創作の興と性欲とは よほど近いように思われる。 貸本屋がきて 妙な本を見せられると、なんだか読んでみたくなった。 そして 借りてしまった。 ひとつは“花のおぼろ夜”、ひとつは“なさけのトラの巻”。 “おぼろ夜”の方をローマ字で 帳面にうつして、三時間ばかり ついやした」

 


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石川啄木がローマ字で日記にこう記したのは、明治42年4月14日の項である。 妙な本とは春本のことだが、啄木は大いに気に入ってしまい、翌日も書き写して、寝たのは午前三時であった。 目がさめたのは十時半頃で、とうとう勤めを休んでしまった。 啄木はこの頃、東京朝日新聞社の校正部で働いていたのである。 休んで何をしたかというと、春本を書き写していた。 夜っぴて、せっせと写していた。 午前二時頃、火事があった。




101ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎 2009年9月20日発行
発行所: 株式会社 新潮社


 



あらっ。。。エロ本を午前3時までかけて写して会社を休んでしまいはったのやね。 うふふふふふ。。。



石川啄木は何かにつけて熱中してしまうタイプやったのやでぇ。。。それで無理をして若くして病魔に冒されて早死にしてしもうたのやがな。

鴎外先生はお医者さんやったので啄木先生と比べると、さすがに長生きしてはるわ。

そうや。。。鴎外先生は確かに「性欲の虎を馴らして抑えてい」たので勤務に差し障りが無いように無難に過ごす事ができたのや。

そやけど、『ヰタ・セクスアリス』を発表して上司に叱られてしもうたやないの。

まさか、上司が『ヰタ・セクスアリス』を読むとは思わんかったのやろなァ。。。

それにしても、鴎外先生はどうして『ヰタ・セクスアリス』を発表しやはったん?

『ヰタ・セクスアリス』が発表されたのは1909年やけれど、その2年前、つまり、1907(明治40)年に田山花袋が『蒲団』を発表したのや。

つまり、『蒲団』に対抗するつもりで鴎外先生は『ヰタ・セクスアリス』を書きはったん?

対抗するつもりと言うよりも批判するつもりやったと思うでぇ~。。。

いったい『蒲団』のどの部分に鴎外先生はアホらしさを感じはったん?

次の部分やと思うでぇ~。。。

 



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意を決した(女弟子の)芳子は(中年作家の)時雄に一通の手紙を手渡す。 そこには隠し続けていた(恋人の)田中との関係の告白と、時雄を欺いたことに対する煩悶、詫びが書かれていた。 心を激した時雄は、すべてを打ち明けて懺悔をしようとした芳子の態度を解釈する余裕がないまま、師として父親のもとに帰るように命令するのであった。

翌朝、なにも知らない田中は時雄を訪ね、芳子がすべてを打ち明けたことを知らされる。 羞恥の念と激昂の情と絶望とが田中の胸を刺した。

時雄の胸は激してはいたが、恋する女を競争者から父親のもとに戻したことで、前よりは軽快になっていた。 同時に、芳子のその美しい表情を見ることができなくなる侘しさも感じていた。

時雄と芳子、父親の三人は最後の会食をすませ、新橋の停車場に向かった。 わが身と芳子とに尽きない縁を感じていた時雄は、発車を待つ間、芳子と結婚した場合の自身の姿と、その可能性を空想していた。

発車直前、芳子は柱のかたわらに一人の男が立っているのを見つけ、胸を轟かせる。 しかし、空想にふけっていた時雄はその存在を知る由もなかった。

芳子が去ったあと、時雄には、再び荒涼たる生活が待ち受けていた。 時雄は芳子が使っていた二階の部屋に入っていった。 かすかに残っている芳子の面影を偲びたかったのである。

部屋は芳子がいたときのままで、恋しい人がまだここで暮らしているのではないかと錯覚するほどであった。 時雄は芳子が使っていた蒲団と夜着を引き出し、女の懐かしい油と汗の匂いを心ゆくまで嗅いだ。

性欲と悲哀と絶望とがたちまち時雄の胸を襲った。 時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷たい汚れたビロードの襟に顔を埋(うず)めて泣いた




57 - 58ページ 「蒲団」
『あらすじで読む日本の名著』
編者: 小川義男
2003年11月19日 第15刷発行
発行所:株式会社 樂書館


 



この上の最後の赤字にした部分が鴎外先生には気に喰わんかったと思うねん。



それほど問題にいなるところやろか?

鴎外先生は1862(文久2)年生まれやがなァ~。。。つまり、江戸時代の末期に侍の息子として生まれたのやがなァ。。。女弟子が使っていた蒲団と夜着を持ち出してきて、女の懐かしい匂いを心ゆくまで嗅(か)いで中年作家がビロードの襟に顔を埋めて泣く。 そんな姿を見ることは、武士に生まれついた鴎外先生には女々しいとしか思えなかったのやァ。 愛欲と性欲に翻弄される中年作家の姿は、まさに「性欲の虎を放し飼いにして、どうかすると、その背に騎(の)って、滅亡の谷に墜(お)ち」てゆくように見えた。 それで、鴎外先生は筆を取らずにはおられんかったのや。

そないにして書いたのが『ヰタ・セクスアリス』やと、あんさんは言わはるの?

そうやァ。。。でもなァ、鴎外先生の批判をよそに、田山花袋は『蒲団』によって日本の自然主義の方向を決定付けた。 この作品が“私小説”の始まりとなったのやがなァ。

あんさんも、そないに思うてはるの?

いや。。。『蒲団』は田山花袋にとって習作やったと、わては思うとるねん。 本当に書きたかったのは『田舎教師』やったのやァ。。。その事については次の記事の中で書いたから、ここでは、これ以上言うつもりはないねん。 時間があったら、めれちゃんも読んでみィ~なァ。

 


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『「蒲団」と「田舎教師」』

(2009年9月24日)


 



要するに、田山先生の『蒲団』が発表されて、当時の文壇の主流が自然主義に占められていったのやね。



そういう事になってるねん。 鴎外先生は、性欲の虎が走り回っているような自然主義文学への風刺として『ヰタ・セクスアリス』を書いたのや。

そう言えば漱石先生も自然主義文学にハマりませんやったなァ~。

そうなのやァ。。。その点は鴎外先生とよく似ている。

二人とも古今東西の春本には明るかったのに性欲の虎に振り回されんかった。 鴎外先生は性欲の虎を飼い馴らしはったけれど、漱石先生は、どうしやはったん?

漱石先生は「則天去私」に徹したのやんか!

「天に則(のっと)り、わたくしを去る」とは、どういうことですねん?

私的視点や私心に囚われずに、私情や性欲から距離を置いて俯瞰的に物事を捉えると言う事やん。。。

そやけど、表現者として「わたくしを去る」ことは無理やと、わたしは思いますわ。

もちろん無理や! 要は、性欲の虎に振り回されんようにしよう!と言う事なのやァ。 そやから、漱石先生は『我輩はノミである』ではなく、『吾輩は猫である』を書いたのやァ。 うししししし。。。



【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。
漱石先生が自然主義に走っていたら、『蚤の自叙伝』ならぬ『我輩はノミである』を書いていたかもしれません。

ところで『蚤の自叙伝』は、エロ事に積極的なベラーさんと好色な神父・アムブローズさんが登場します。


出来るだけ彼女の股を広げ、しばらく、その真白な下腹の末に現れた、美しい桃色の裂け目を眺めておりましたが、やおら身をかがめ、防ぐまもなく、彼は、ベラーさんの股間へ顔を差し入れ、色情を誘発する舌先を湿(うるお)いきった陰溝の中へ、出来るだけ深く突込み、巧みに舐め廻しました。
ベラーさんは、情慾をいやがうえにもそそられ、身も心も溶けるように恍惚となり、体を震わせておりました。
(略)やがて彼女はドロドロした精汁をしたたかに出しかけました。
それを師父アムブローズは舌打ちしながら、とろろでも吸うように、うまそうに吸い取りました。




22ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎 2009年9月20日発行
発行所: 株式会社 新潮社


このありさまをノミが観察しているというお話です。
そして、ノミは次のように告白します。



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なんぼ生まれつき凡蔵(ぼんくら)な私だとて、現在、自分の目の前で、起こっている出来事に対して、知らん顔をしているわけにも参りません。 常日頃に倍して一しお敏感に五官を動かしました。 そして我ながら馬鹿らしい程両頬を熱くしたのです。


とにかく、さらに興味深い話題が続くと思います。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。


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メチャ面白い、

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