2011年10月02日

杜の都で食べる PART 2


 
杜の都で食べる PART 2





[603]Re:「かどや」の定休日は

日曜日と書いてあるよう。

気をつけて行ってきてね。





Name: さゆり E-MAIL
Date: 2009/02/26 09:53 AM
(バンクーバー時間: 2月25日 水曜日 午後4時53分)



火曜でなく 昨日の水曜日に 行きました。
母の用事があり 終わった後 ゼリーフライを、と思っていたら
午前中から 2時過ぎまで 用事が長引いてしまいました。

2時30分に実家から かどやに電話して 「3時ごろ取りにいきます」
途中 鐘つき堂にも注文して「3時10分ごろ取り行きます」
時間どうり お店に寄って 最後 エコスでも 買って 帰りました。

3時40分ごろ薬局に寄り 4時にまた 母の所の先生と話があって。
ゆっくり 大長寺でも寄ろうかと思っていたのに
駆け足 駆け足で お土産の はしご でした。
先生の話が終って また 大急ぎで三男坊の保育園にお迎え行きました。

おいしかったよ〜
全部 味が違い 今朝も冷たい かどやを
食べて 菊ちゃんのぞうり と思う。
おいしい ぞうり でした。

三男坊は昨日 パクパクと片手に持って食べながら
「一緒に行きたかった」と言うのです。
春休み 桜の時でも連れてドライブしてきます。
まだ つぼみも無い、行田市の大長寺の桜。

さゆりより






『Re:かどやの定休日は… (2009年2月26日)』より






「鐘つき堂」のゼリーフライも、「かどや」のゼリーフライも僕の舌にはイマイチ。
子供の頃の思い出が蘇(よみがえ)ってきません。

今まで食べたうちでは「珈琲苑」のが、子供の頃食べた“銭フライ”に一番近いよう!
形も似ていた。
店の名前も気に入りました。
いつかまた、「珈琲苑」へ小百合さんと一緒に行きたいね。



こうして、また、ルンルン気分で差し向かいでゼリーフライを食べましょうね。
うしししし。。。



ところで、「鐘つき堂」のゼリーフライの形は、
まるで、ラグビーのボールを小さくしたようだったね。
あれは、おかしな形でしたよう。



小百合さんがどうして菊ちゃんと共感するのか?
それは、子供の頃、喧嘩で負けて、小百合さんにも菊ちゃんと同じような悔しい経験があるからだよね?
たぶん。。。
そのような事を小百合さんがどこかで書いていたよね。

■ 『菊ちゃんと小百合さん (2007年12月8日)』

■ 『毘沙門堂と菊ちゃん (2008年1月7日)』

■ 『白無垢の菊ちゃんと山の家 (2008年1月13日)』

■ 『菊ちゃんと八ツ橋 (2008年4月14日)』

■ 『菊ちゃんを旅する (2008年4月26日)』

■ 『菊ちゃんの一つ覚え (2008年6月25日)』

あの菊ちゃんが泣きべそかきながら、ムカついて下駄を片一方、5メートルから10メートル飛ばすエピソードは、小百合さんにウケたのかもしれないよね。
うへへへへ。。。

小百合さんは、悔しさをどのように処理していたのだろうか?

まさか、憎い相手の人形を作って、五寸釘を心臓に打ち込んでいた訳じゃないよね?
うしししし。。。




三男坊は昨日 パクパクと片手に持って食べながら
「一緒に行きたかった」と言うのです。
春休み 桜の時でも連れてドライブしてきます。
まだ つぼみも無い、行田市の大長寺の桜。








大長寺の桜が咲くのは、いつも4月になってからですよう。
小百合さんと一緒に見た2羽の白鳥は、もう、その頃にはシベリアへ帰って居ないだろうね。
今年の秋、縁があれば、また会えますよね。
もちろん小百合さんにも。。。
 


“仙台辛味噌ラーメン”は、旨かっただけに、いろいろな思い出を甦(よみがえ)らせてくれました。
仙台の記事が、これからたくさん書けそうですよう。

2月28日の記事は、題して『懐かしい杜の都』。
明治43年からやっている銭湯の話があります。
残念ながら、2003年の12月に廃業になりました。
面白い話をたくさん書きました。

掲示板にコピペするから読んでみてね。

小百合さんからの贈り物は、半分ほど食べました。
まだ半分、楽しみが残っていますよう。
じっくり味わいながら、充分に楽しみますよう。
もちろん、記事を書きながら。。。
贈り物をもらったおかげで、記事が20件ぐらい書けそうです。

今までの内では、“仙台辛味噌ラーメン”が僕に最も多くの思い出を甦(よみがえ)らせてくれました。
ありがとう!
感謝感激、雨あられ! 

では、風邪を引かないように。。。
インフルエンザにかからないように。。。
頭痛がひどくなったら、また『ロマンポルノ第5部』を読んでね。
そうすれば、頭痛の虫がビックリして、どこかへ飛んでゆくからねぇ〜。
うしししし。。。

『軽井沢タリアセン夫人』も、一生懸命に時間があるときに書いていますよう。
60%ほど書き進みました。

とにかく、軽井沢タリアセンだから、格調高いのですよう。
もちろん、卑弥子さんがひっくり返って喜ぶようなヤ〜らしい事も書いてあるけれど、
小百合さんが読んでもルンルン気分になれるような楽しい事が書いてあります。





とにかく、睡鳩荘が出てきて、
白いレースのカーテンの前で小百合さんがレースのランジェリーを身につけて
格調高く登場するのですよう。

『日活ロマンポルノ・軽井沢夫人』の高田美和さんもビックリしますよう!
おそらく高田美和さんは“タリアセン”の意味を知りませんよう。
でも、小百合さんは僕の記事を読んでいるから、意味を知っているよね?
。。。ん? もう忘れてしまったの?
しょうがないなぁ〜
じゃあねぇ、次の記事を読んで思い出してよねぇ〜。

■ 『タリアセンの思い出 (2008年12月14日)』

もう忘れないでね。
。。。ん? なぜ忘れちゃダメかってぇ〜?
なぜならば、同じ質問を高田美和さんもされるのだよう。
そうすると、小百合さんは答える事ができるけれど、美和さんには答えられない。
それで、美和さんは『日活ロマンポルノ・軽井沢夫人』よりも『軽井沢タリアセン夫人』の方が芸術的に、文学的に価値があることを知るのですよう。
美和さんは悔しがって睡鳩荘の前の池に飛び込んで死のうとするのだよう。
でも、死ねない!
なぜ?
あの池は浅すぎて泳げない人でも助かってしまう。
うへへへへ。。。

それがどうなの。。。?

『日活ロマンポルノ・軽井沢夫人』では美和さんの相手役は最後に頭を切り取られて死んでしまう。
残酷だよねぇ〜!!
それに、キモい!

『軽井沢タリアセン夫人』では、死ぬ人は一人も居ない。
登場人物の誰もが、以前よりも幸せになって結末を迎える。
八方美人的に終わるのが気に喰わないけれど、
でも、そのうちで一番幸せになるのが小百合さんなのですよう。
うしししし。。。

分かるでしょう?
幸せで、ルンルン気分で終わるのです。
そして、小百合さんは、その続きがまた読みたくなんるのですよゥ。

どうして。。。?





僕の創作だと思っていたラヴィオリカレーは、他にも誰かが作っていたらしい。
そのような事を小百合さんが言ったので、
今度は誰も作ったことのない創作カレーを僕が作りました。
それが、『軽井沢タリアセン夫人 第2部』の中に出てくるのです。
だから、小百合さんも絶対に読みたくなるのです。

読んでどうなるの。。。?

だから、読んだら、また小百合さんが僕と山の家で会いたくなるのですよう。
今度の創作カレーは、ラヴィオリカレーの2倍旨いから。。。
うへへへへ。。。

いつまでも、書いているときりがないし、
朝になってしまうので、これぐらいにします。
では、小百合さんもよい夢を見てね。
そして、今夜、夢の中で会いましょうね。。。
じゃあ、お休みィ〜〜〜。



日本時間: 2009年2月26日 午後6時36分
バンクーバー時間: 2009年2月26日 (木曜日) 午前1時36分




『今度の創作カレー (2009年2月26日)』より


それで、“仙台辛味噌ラーメン”のお礼のお返し物が小百合さんをヒロインにして書く、夢とロマンの『軽井沢タリアセン夫人』でござ〜♪〜ますか?

そうですよう。いけませんか?うしししし。。。

あたくしがいけないと言ったところで、デンマンさんは、どうせ書くのでしょうから。。。んで、公孫樹食堂と小百合さんがどのように関係しているのでござ〜♪〜ますか?

つまり、夢とロマンですよう。小百合さんは食べる事によって夢とロマンの思い出を作る。僕は小百合さんからの心のこもった贈り物をもらって、その中から“仙台辛味噌ラーメン”を食べて思い出が甦(よみがえ)る。その思い出の中に公孫樹食堂が現れたのですよう。思い出を食べるグルメの小百合さん。その小百合さんがもたらした公孫樹食堂の思い出。。。それで、こうしてブログを書く事によって、僕は歴史の夢とロマンに浸(ひた)るのですよう。公孫樹食堂と小百合さんは、このようにして結びついているのですよう。

なんだか、いつものようにデンマンさんは理屈で無理やり結び付けているのですわ。そうゆうのを世間では“こじつけ”と申し上げるのでござ〜♪〜ますう。。。ところで、公孫樹食堂は、今でもあるのでござ〜♪〜ますか?

残念ながら1994(平成6)年に取り壊されてしまったのですよう。公孫樹食堂があった所には、現在、「さくらホール」が建っていますよう。



一番手前の建物が「さくらホール」です。

では、もう公孫樹食堂の建物は見られないのでござ〜♪〜ますか?

卑弥子さんのために、また、この記事をここまで読んでくれたネット市民の皆様のために珍しい映画を紹介します。


50年前の片平キャンパスで撮影された人々

2007年吉日

いまから半世紀前の1957(昭和32)年6月22日、東北大学の創立五十周年を祝う式典が片平キャンパスで行われました。
式典の会場は片平地区の中央体育館。
当時県下最大規模の体育館として、国民体育大会の会場などとしても使われていたこの施設に来賓と職員学生代表あわせて約2000人が参加して行われた半世紀前の祝典について、フィルムには式典前の来賓控室の様子から式典終了後の祝賀会に至るまでの一切が記録されていました。
 
 (中略)

さて、フィルムでは学長式辞の後、文部大臣や当時東大総長であった矢内原忠雄、初期の卒業生でこの直後に東大の総長となる茅誠司(日本学術会議会長)といった人々による来賓祝辞があり、さらにやはり本学草創期からのメンバーである熊谷岱蔵元総長が特別功労者として挨拶をしています。
瀧川幸辰京大総長による万歳三唱のあとは、当時の中央講堂(のちの公孫樹食堂。現在のさくらホール南方付近)で行われた祝賀会に場面が変わりますが、ここでも日本初の女子学生・黒田チカさん(当時お茶の水女子大名誉教授)など卒業生や関係者のスピーチがありました。
映像の最後には、会場から出てくる参加者の背景に、当時の片平キャンパスの風景が映し出されています




『創立五十周年記念式典』より


すぐ上のリンクをクリックすると、上映時間10分程の50年前の映画を見る事ができます。公孫樹食堂(当時の中央講堂)での祝賀会。日本初の女子大学生・黒田チカさん(当時お茶の水女子大名誉教授)を見る事ができます。

日本初の女子大生は東北大出身でしたの?

東大も京大も女子の入学を認めなかったのですよう。

あ〜♪〜ら、女性差別でしたのねぇ〜!!んも〜〜。。。東北大学は男女平等の思想の下に大学教育を行っていたのでござ〜♪〜ますわね。

実は、当時、東北大の入学者が少なくて、それで女子の入学も認めたと言う裏話が伝わっていましたよう。うしししし。。。で、映画の最後に、当時の片平キャンパスの風景が映し出されます。

ぜひ見てみたいですわ。

でもねぇ、ブロードバンドでなく、モデムでネットにつながっている場合には、ダウンロードに1時間以上かかるかも知れません。もちろん、一度ダウンロードしてしまえば、何度でも繰り返し、すぐに見る事ができますが。。。

特に興味深い事でもあるのでござ〜♪〜ますか?

あの“滝川事件”を起こした滝川さん本人が50年前の映画に出てきますよう。この事件を基にして黒澤明監督が映画を作っているほどです。


瀧川 幸辰(たきがわ ゆきとき)

1891年2月24日生まれ。
1962年11月16日に亡くなる。
日本の法学者。専門は刑法。
岡山県出身。京都帝国大学教授だった1933年、滝川事件で大学を追われるが、第二次世界大戦後、大学に復帰、京都大学総長を務めた。
 
【人物】

旧岡山藩士の子として生まれる。滝川家は戦国期の武将滝川一益の末裔とされている。
鳥取の瀧川家によると一益の三男辰政は岡山池田家に御預けになっており、これが幸辰の先祖とされている。

【学説】

瀧川は、東京学派の小野清一郎とほぼ同時期にドイツ刑法学における構成要件の理論を日本に初めて紹介し、犯罪を構成要件に該当する違法有責な行為であるとする現在の刑法学の基礎を築いた。
瀧川は、違法性の実質について、当初国家的条理違反としていたが、その後生活利益の侵害であるとして結果無価値論をとり、前期旧派・古典学派の立場を明らかにした。
その立場は佐伯千仭、中山研一、平野龍一らに継承されている。

京都帝国大学時代の1933年、中央大学法学部での講演がきっかけで、その刑法学説が自由主義的な内容であったため文部省(当時の文部大臣は鳩山一郎)から休職処分を下されたのち退官した(滝川事件)。
退官後は大学に属さず法律研究を行い、1939年(昭和13年)以降弁護士となった。

第二次世界大戦の終戦後には、大内兵衛らと共に論壇に復帰。
GHQの方針により1946年、京都大学に復帰し法学部長となった。
1951年法学博士(京都大学)(学位論文「刑法における構成要件の機能」)。

その後1953年に総長に就任したが、学生運動との対立事件を繰り返した。
特に「第2次滝川事件」と呼ばれる学生による滝川への「暴行」事件は有名である。
1957年、総長の任期を満了し退官した。



映画『わが青春に悔なし』 (黒澤明監督作品)

『わが青春に悔なし』は滝川事件とゾルゲ事件をモデルとした黒澤明監督の映画である。
GHQの奨励したいわゆる民主主義映画の一つである。
なお、本作と同時期に同じ題材の映画が企画されていたため、「新人監督をつぶすつもりか」との労働組合の圧力を受けて、黒澤の意図に反して映画後半の展開を大幅に変更せざるをえなかった。
農村シーンに込められた異様な気迫は、この圧力に対する反感があったからと黒澤は述懐している。

公開 1946年10月29日
上映時間 110分

【あらすじ】

日本が戦争へと歯車が狂い始めていた昭和8年、京都の吉田山。京大教授の八木原の娘として何不自由無く活発に育った幸枝と、父の教え子である、糸川と野毛を含む、7人の前途有望な学生達がいた。

全てに慎重で常識と立場を重んじる糸川、正しいと信じた事は立場に関係なく主張する野毛の二人は幸枝に好意を持っていた。
幸枝は好対照な二人それぞれにひかれる。

八木原教授への弾圧により、わき上がった学生運動をきっかけに、糸川と野毛はより生き方が別れていく。

幸枝は自らの満たされた生き方に疑問を感じていた。
時代が戦争へと流れていく中、自分を自制し安心感のある穏やかな普通の人生を送るのか、それとも、自分の意志に忠実に生き、波乱の人生を送るのかという選択に迫られる。

【キャスト】

八木原幸枝:原節子
野毛隆吉:藤田進
八木原教授:大河内伝次郎
八木原夫人:三好栄子
野毛の母:杉村春子
野毛の父:高堂国典
糸川:河野秋武
糸川の母:原緋紗子
毒いちご:志村喬
筥崎教授:清水将夫
文部大臣:深見泰三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 


なんだか、すごいですわねぇ〜。デンマンさんは映画会社の宣伝マンもしているのでござ〜♪〜ますか?

うしししし。。。まさかぁ!残念ながら、映画会社からもDVD配給会社からもギャラをもらってませんよう。




初出: 2009年3月2日


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
とにかく、ワクワクしてきましたわ。

滝川先生って、どんなお顔をしていらっしゃるのでござ〜♪〜ましょうか?
でも、映画になる場合、そのモデルになる人には、あまりハンサムな人は居ないのですわよね。
うふふふふ。。。
とにかく、50年前の映画をあなたも見てみてねぇ〜。
無料ですから。。。

いづれにしても、まだまだ興味深いお話が続きますゥ。
どうか、あなたもまたあさって、読みに戻って来てくださいね。
じゃあ、またねぇ。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

デンマンさんの『軽井沢タリアセン夫人』をわたしも

読んでみたいですわ。

『日活ロマンポルノ・軽井沢夫人』を

残念ながら、わたしは見た事がありません。

でも、デンマンさんが書いたあらすじを読むと、

あまり見たくないような

残酷なシーンが最後にあるようですよね。



■ 『熱いロマン (2008年7月23日)』

■ 『陳腐な接吻 (2008年7月25日)』

 
確かに、ラストシーンは日本人には

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その事をデンマンさんは

「陳腐だ」と言っているのですけれど、

デンマンさんが書き直したラストシーンは

日本人女性の繊細さが表れているかも知れません。

でも、死体置き場という設定を

変えた方が良いのではないでしょうか?

あなたも、時間が会ったらぜひ上のリンクを

クリックして読んでみてくださいね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。








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