2019年08月21日

バッハと後妻を探して


 

バッハと後妻を探して

 


(annabach.jpg)


(ireba03.jpg)


(laugh16.gif)




(ohta03.png)

デンマンさん。。。、バッハと後妻を探しているのですかァ〜?


(kato3.gif)

いや。。。 僕は別にバッハと後妻を探しているわけじゃないのだよ。。。

じゃあ、いったい誰が探しているのですか?

ちょっと次のリストを見て欲しい。。。

 


(liv90815a.png)


『拡大する』

『バッハと後妻』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で8月14日の午後11時18分から翌日15日の午前2時20分までの3時間の「生ログ」なのだよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。



あれっ。。。 デンマンさんのブログに掲載された『バッハと後妻』を読んだネット市民がいたのですねぇ〜。。。

そうだよ。。。

もしかして、上のリストの写真の女性が読んだのですか?

オマエ、よく分かったねぇ〜。。。

誰だって、その程度の推測はできますよ! デンマンさんだって、そのつもりで写真を貼り付けたのでしょう?

やっぱり、分かるゥ〜? 実は、川崎市多摩区に住んでいる馬場初代(ばば はつよ)さんが読んだのだよ。。。

。。。で、いつものようにIPアドレスから初代さんが読んだことを突き止めたのですか?

そういうことだよ。。。

 


(ip123145b.png)

 



いつも不思議に思うのですけれど、デンマンさんの記事を読みにやって来るネット市民はどうして美人ぞろいなのですか?



僕が美人が好きだからだよ。。。

デンマンさんが美人が好きだからといって、美人が読みにやって来るわけないでしょう! 馬鹿バカしい事を言わないでくださいよう。

あのさァ〜。。。 オマエこそ馬鹿バカしいこと言うなよ! 読者のプライバシーを保護する必要があるだろう! 本人の正真正銘の写真を貼り出すわけにはゆかないのだよ!

つまり、その代わりにデンマンさん好みの美人の写真を貼り出すわけですかァ〜?

その通りだよ。。。 オマエはブスが好みなのォ〜?

いや。。。 別にブスにハマッているわけじゃありませんけど、たまにはブスの写真を貼り出さないと不自然ですよ。。。

あのさァ〜、この記事を読む人だって、ブスよりは美人を見た方が癒されるのだよ! 本題に関係ないことで重箱の隅を突っつくような事を長々としゃべるなよ!

分かりました。。。 で初代さんは、現在何をしているのですか?

川崎市にある昭和音楽大学でピアノ科に籍を置いて猛勉強しているのだよ。。。

 


(showauniv.jpg)



 



なるほどォ〜。。。 初代さんはバッハの曲が好きなのですねぇ〜。。。



初代さんは『バッハと後妻』を読んだのだから、誰だってそう思うだろうなァ〜。。。

ところで、初代さんはどのようにして その記事を見つけたのですか?

次のように検索したのだよ。。。

 


(gog90815a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



あれっ。。。 どうしてビキニ姿の初代さんが検索結果に出てくるのですかァ〜?



いちいちオマエは写真に拘っているけれど、そんなことは本題に関係ないので、どうでもいいんだよ!

分かりました。。。 でも、どうして「バッハと後妻 太田将宏 恋愛至上主義」と入れて検索したのですか? オイラの名前が入ってますよう!

あのさァ〜。。。、オマエは、けっこうネットでは有名になっているのだよ!

マジっすかあああァ〜!?

ちょっと次の検索結果を見てごらんよ!

 


(gog90820a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



オマエの名前を入れてGOOGLEで検索すると 5,120,000件もヒットするのだよ。。。



あれっ。。。 オイラはいつからこれほど有名人になってしまったのですかァ〜?

いつからってぇ〜、もう10年以上も前からだよ!

まさかああああァ〜!?

まさかじゃないよ! 上の検索結果を見れば明らかじゃないかア!

でも。。。、でも。。。、検索結果の上位を見ると、ほとんどすべて、デンマンさんが書いた記事ですよ!

そうだよ。。。 僕とオマエで、何回となくクラシックのことについて語り合ったのだよ。。。 でも、誰がオマエのことを書いたのか?。。。 それは関係ないのだよ!。。。 とにかく、オマエの名前はネットでは、ほぼ普通名詞になっているのだよ。。。 だから、初代さんも、オマエの名前をキーワードとして書き込んだわけだよ!

マジで。。。?

初代さんに訊いてみないと、はっきりしたことは分からないけれど、彼女はかつて『バッハと後妻』を読んだに違いない! じゃなかったらオマエの名前など覚えてないはずだよ!

つまり、初代さんは かつて『バッハと後妻』を読んで、オイラの言ったことがとっても素晴らしかったので、それでオイラの名前が初代さんのオツムに刻み込まれていた、とデンマンさんも思うのですか?

いや。。。 たぶん、その反対だと思うのだよ。。。

反対だと言うとォ〜?

オマエが聞くに堪えないひどいことを言ったので、オマエの名前が初代さんの記憶に残ったのだよ。。。

。。。でも、オイラは聞くに堪えないような非常識なことを言ったでしょうか?

言ったのだよ。。。 オマエが書いた次の記事を読んでごらんよ。。。


1.1 クラウディオ・モンテヴェルディ

    (1567 – 1643)



(monte03.jpg)

 



 

これはどうしたことか。

どの時代の、どの作曲家の音楽を聴いても、私は、近頃 好意と嫌悪を同時に持つような反応をしている自分を感じるのだ。

クラウディオ・モンテヴェルディの<<アリアンナの嘆き>>を聴き始めたとき、そのLasciatemi morire(Let me die;死なせて)、のところで、何か間の抜けた、あるいは、虚ろな響きを聴いて、私は疲れているのか、と途惑った。


(monte04.jpg)



実は、morire(死ぬ)、と唱われる処に平行五度があったのである。
モンテヴェルディのことであるので、これは、彼が意識してのことである、と私は信じる。

つまり、これは、見捨てられたアリアンナの内面の空虚としての意味がある、いや、生半可な感情主義以上に効果があるとすら思えるのではあるが、私には、何か、かなわないなあ、といった印象を拭いきれない。
バッハも言ったように、やはり、平行五度や平行八度は聴き苦しいのであろう。
私は、無論、ここで、モンテヴェルディに苦情をいっているのではない。

この嘆きは、オペラのアリアとしては、超一級である、と私も思う。
こうした効果は、所謂絶対音楽では出番が無いであろう。

次なる問題は、私がオデュッセウスに捨てられたアリアンナに何処まで切実に同情しなければならないかにあろう。
それは、私には荷がかちすぎる。
東洋人の男性である私の心が動くなどというのは、もともと無理だったのではなかったか。

かといって、好奇心を満たすだけにしても、感覚的には耳障りという障害がある。
平衡五度に感動するわけにはいかないのでる。

しかし、彼女への同情が無ければ感動も無いであろう。
さらに言えば、これは、現代のヨーロッパ人にとっても、いや、バロック初期のイタリア人ですら、程度の差こそあれ同様なのではないか。
作品が立派である、という認識と、それが私(たち)に感動をもたらす可能性は、不幸にして乖離している。

このことは、一つの作品の水準は、好きとか嫌いとか、あるいは、その作品の有用性(草子地:つまり、感動を求めてそれを聴こうとする人にとっては、感動そのもの)とは別の平面にある、ということの例証にもなるであろう。

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、そもそも、いったい何であったのであろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、可能性について問われたとき(草子地:そういうことを聞く田舎者は世界のどこにでもいるものである。)、音楽は、世界の共通の言語であるからと、(草子地:当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
それにしても、ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。

かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、一般的に言って、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

とはいえ、短二度の導音などの無い音楽に、何か、或る懐かしさを感じるのは何故であろう。
平行五度の空虚を東洋人でも感知されるのと同様に、その懐かしさを感じとるのには西洋人であっても変りはないであろう。
音楽が世界共通の言語などではないとしても、双方がコミュニケーションが取れないほど異質なものを基礎にしているわけではない、といったとしたら、結論としては平凡すぎるのか。

それにしても、不思議なことではある。
私自身、長二度や増二度の導音のある音階による音楽など、何時、何処で、聴いたことがあったか、まったく記憶に無いからである。

少なくとも、今までに、長、短調の音楽を聴いた回数や時の長さは、旋法や五音音階のそれに較べては比較にならないほど多く、長かったはずである。
何故か、調性音楽には、そのような懐かしさは感じさせない風がある。

いつだったか、小澤征爾とカラヤンの指揮するモーリス・ラヴェルの≪ボレロ≫を聴き較べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言うtoo square(単純で直線的で堅苦しい演奏)であったが、カラヤンのそれは、フランス人でもないのに、何とも、セクシーで妖艶ですらあった。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

 


(ravel001.jpg)



    小澤征爾・指揮

モーリス・ラヴェル ≪ボレロ≫







    カラヤン・指揮

モーリス・ラヴェル ≪ボレロ≫


 

一方、まだピーター・ウンジャンが第一ヴァイオリンを奏いていたころの東京クオルテットがトロントに来たときのラヴェルの演奏は、未だかつて聴かれたことのない程の名演であった。
ただ、その時の解説者による、何故かピーター・ウンジャンだけに対するインタヴュでの質問で、最後に聞くが、ただひとりで日本人に交じって演奏するのをどのように感じているか、というのがあった。
想像力の欠如した、この程度の思考様式の人間もここでは多いのである。

ピーター・ウンジャンが如何に答えるかを期待していたのであろうか。
答えようが無いではないか。彼らの演奏以外には。
それ以外の、どうでもいいことを聴きたがるのは、下賎な野次馬根性であろう。

そういえば、バッハは、作品855のフーガに於いて、二箇所にわたって壮大に平行八度を用いている(草子地:第19-20小節と第38小節)。


(gould765.jpg)



これほどあからさまにやられると、良いも悪いもない。
ただ、ぎくりとして、あいた口が塞がらない、といった効果がある。
このフーガは、この曲集の中で、唯一の二声のフーガである故に、よけいにめだつ。

 



追記(コーダ):

 

私は、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。だいたい、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女の肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。

そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いに性的感情を持ったとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

 


(mariabach.jpg)

マリア & ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

 

バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが。
芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。




赤字はデンマンが強調)

6-7ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

『バッハと後妻』より
(2019年6月26日)




上の記事に非常識なことが書いてありますかァ〜?



書いてあるじゃないかァ〜! 

 


(ireba03.jpg)

長い間、生活を共にしていて、

まだ互いに性的感情を持ったとしたならば、

それは近親相姦に近くはないか。

バッハは、前妻、後妻と共に

仲が良かった様子であるので、

私はここを書いていて、少し、困っているが。




これを読んで馬場初代さんは、オマエの夫婦愛の考え方に対して嫌悪感を催(もよお)したのだよ。。。



どうしてですか?

どうしてってぇ〜、長い間、生活を共にしていて、まだ互いに性的感情を持ったとしたならば素晴らしいことじゃないか!

だから、それは馬場初代が独身だから、結婚生活に対して夢を持つのですよ。。。 でも、実際に30年、40年と結婚生活を共にしていると、現実はそのような夢物語じゃありません!

でも、オマエも言っているように、バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かったのだよ!

それで、オイラは困ってしまったのですよ!

何も、オマエが困ることはないじゃないかア! 30年、40年と結婚生活を共にしていても、新婚早々のような性的感情を持つ夫婦もいるのだよ!

信じられません!

オマエ自身が前妻、後妻と共に仲が良かったバッハの事を書いているじゃないかア! それでも信じられないのォ〜?

奇跡だと思います。。。 やはり、音楽の天才は普通の人とは違うのですよ。。。 

夢と期待を持つ独身女性に、希望を失わせるような事を言うなよ!

つまり、この事を言うためにわざわざ馬場初代さんを取り上げたのですか?

もちろん、そればかりじゃないのだよ!

他に何が言いたいのですか?

初代さんは、次の箇所に感銘を受けたのだよ!

 




いつだったか、小澤征爾とカラヤンの指揮する

モーリス・ラヴェルの≪ボレロ≫を

聴き較べたことがあった。

小澤の演奏は、英語で言うtoo square

(単純で直線的で堅苦しい演奏)であったが、

カラヤンのそれは、フランス人でもないのに、

何とも、セクシーで妖艶ですらあった。

やはり、小澤のような指揮者でさえ

日本人では及びがたいところが今なおある。




馬場初代さんは上の小文のどこに感銘を受けたのですか?



だから、オマエが聞き比べてカラヤンのそれは、フランス人でもないのに、何とも、セクシーで妖艶ですらあったというところに初代さんは感銘を受けたのだよ。。。

 


(smilerol.gif)


わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

初代さんがオイラの音楽的感性に

感銘を受けたというのです。。。

 

もうこうなったら、恥も外聞もなく

天にも舞い上がる気持ちで

スキップしたいと思います。


(smilejp.gif)

わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

ルンルンルン ランランラ〜♪〜ン

もう一つおまけに

ルンルンルン ランランラ〜♪〜ン

ああァ〜、うれしいなあああァ〜。。。


 


(foolw.gif)


馬鹿ですよねぇ〜。。。

こういうところで喜ぶべきでは

ないのですよ!

バッハ夫婦の仲のよさに当てられて

困っていた事をすっかり

忘れて喜んでいるのですよ!

 


(fool911.jpg)

『現実主義者 馬鹿の見本』

 

太田将宏は、あの「現実主義者」と

同じくらいノー天気なところがあります。

仕方がないから 長い目で見ながら

付き合ってゆきます。




(foolw.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたも、太田将宏さんはあの「現実主義者」と同じくらい

ノー天気なところがあると思いますか?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、もっと他に面白い話しをしろ!」

あなたは、私に、そのような口調で命令するのですか?

分かりましたわ。。。 それではソプラノ歌手の高島一恵さんの次の歌を聴いてしみじみと泣いてくださいねぇ〜。。。

 


(kazue01.jpg)



 

ええっ。。。 「歌は、もういいから、他にもっとも面白いことを話せ!」

あなたは、そのような命令口調で あたしに強制するのですか?

分かりましたわ。。。

これまで、太田さんはデンマンさんに さんざ馬鹿にされたので

そのお返しをしたのですわァ。

だから、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのです!


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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Posted by barclay1720 at 03:00Comments(0)

2019年08月19日

クラシックと民謡


 

クラシックと民謡

 


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デンマンさん。。。、最近 クラシックと民謡 にハマッてるのですか?


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。。。ん? オマエは僕がクラシックと民謡にハマッていると思うわけぇ〜。。。

だってぇ、タイトルに、そう書いてあるじゃありませんかァ!

いや。。。 僕がハマッていると言うよりも、オマエこそクラシックと民謡 にハマッてるんじゃないのォ〜!?

その証拠でもあるのですかァ〜?

あるのだよ。。。 オマエは次の記事を書いていたのだよ!


17.1 アルテュール・オネゲル

    (1892-1955)



(honeg2.jpg)

 

アルテュール・オネゲルの《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》を久しぶりに聴いた。
何故か、こういうメカニカルな音楽は、なかなか飽きが来ない。

そういえば、ルイージ・ルッソロも、やがて我々にとって、市外電車や内燃機関、自動車や群衆の騒音を理想的に組み合わせる方が、<エロイカ> や <パストラル>を繰り返し聴くより、はるかに大きな楽しみとなろう、と書いていた。
ドビッシーでさえ、飛行機の時代には、それに相応しい音楽が必要だ、と言ったと聞く。

 


(pacific231.jpg)



 

そもそも、昔は、<作曲>された音楽はオーダーメイドであったのだ。
それが不特定多数の市民が対象とされるようになって、音楽はレディーメイドとなった。
作曲と演奏が分離、分業になったのは、この頃ではなかったか。
その方が生産、販売共に効率が良かったのであろう。

現代では、音楽は大量生産され有料、無料で配布されている。
身尺に合ないレディーメイドのお仕着せに、どのような音楽を聴いても相反するような気持ちがするのは、私だけではあるまい。
それはまた、一つ一つの製品に限った話ではない。

私は、演奏会や音楽会を提供する側、製品に付加価値をつけようとする側の編曲、つまりプログラムについても同様に感じる故に、めったに演奏会場に足をはこばないのである。
そうした違和感は、皮肉なことではあるが、自分で選択した音楽を、自分で配列した順序でレコードで聴けば、幾分かは軽減されることに私は気がついた。

それ以上を求めるのならば、自作自演をして、つまり自分で作曲をして自分で演奏して自分で耳を傾けるしか手が無いであろう。
私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。

しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。
この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである。
だから、私は久しく《パシフィック231》に対しても反感すらもっていた。

アルテュール・オネゲル自身はこの作品について、彼はこの曲で内燃機関の騒音を模倣しようとしたのではなく、むしろ視覚的印象や身体的快感を表現した、と語っていた(『わたしは作曲家である』吉田秀和訳 創元社 1953年 → 音楽之友社 1970年)。

視覚的印象といえば、クロード・モネにも、汽車の駅の構内を描いた作品があったっけ。

 


(mone02.jpg)

  サン・ラザール駅

 

そうしたレベルで、アルテュール・オネゲルの作品は描写音楽である、とも私は思う。

ただ、私は、彼に限らずに、こうした発言に出会う度に、直接に模倣、表現しているなどと思っている連中には、そう思わせておけ、とでもいった突き放した態度が何故とれないのか、と訝ってもいるいるのである。
そもそも、外界を完全に模倣、描写しようとして成功した音楽などというものが、未だかつて存在したであろうか。
音楽の具体性がそんな処には無い事は明白ではないのか。

アルテュール・オネゲル自身が別のところで釈明しているのは幸いであった。
彼は、あの曲の真の意図は、抽象的なリズム運動の表現にあり、形式としてはバッハのコラール変奏曲を念頭においた、と語っている。
私に言わせれば、彼の言う<抽象的なリズム運動>こそ音楽に於ける具体性であって、そこには直接的に情緒などが入り込む隙間などはない、ということである。

それにも拘わらずに、この作品を聴いて感銘を受けるのは、それはひとえに、創り手の対象への関心、敢えて言えば、対象への終始一貫した愛情とすらいえる拘りに、聴き手が共感するからである。
その対象とは、機関車からの印象であると同時に<抽象的なリズム運動>でもある、と私は考えている。

実を言うと、私は、アルテュール・オネゲルは、少なくともこの曲の前半では、機関車の騒音をある程度は模倣(しよう)としていると判断している。
それ故に、アルテュール・オネゲルのこの作品は、他人の情緒につきあう必要の少ない音楽であって、それが、今、むしろ、私がなかなかに飽きることがない、とでもいうことではないか。

ただ少し気に障るのは、この曲の後半で出てくる、あの安っぽい陳腐な旋律である。
これがアルテュール・オネゲルの言った<身体的快感を表現>しているのであろうか。

エイトル・ヴィラ=ロボスにも似た様な作品があるが、そちらのほうはコラール変奏曲のような技術的な背景がない事と、やはり安易な旋律が登場するので、二度目に聴いた時には、残念だという気持ちを覚えた。
その音響を好ましく感じた私ではあるが、聴覚に触発された視覚的情緒だけでは音楽は支えられない、とも思う私である。
音楽が、印象を含めての情緒、或いはその表現であるとしたら、それはそれで何ものかの描写であろう。
これもまた、程度の問題である。

アルテュール・オネゲルは、《交響的断章(運動)第3番》は《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》や《交響的断章(運動)第2番 『ラグビー』》の様には表題をもたないので、それほど受け入れられなかった、というような不満、或いは皮肉を言っていたが、果たしてそれは表題のせいだけであろうか。
私が《交響的断章(運動)第2番 『ラグビー』》でさえ、さほど楽しめないのは、私がラグビー(のルール)を知らない故だと思っているのであるが。

 


(rugby11.jpg)



 



追記(コーダ):

 

私の二人の娘たちは、蒸気機関車の走るのを見た事が無い。
この世代は《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》をどのように聴くのであろうか。
それは<抽象的なリズム運動>だけを聴く不幸であるのか、私には分かり様が無い。

それとも、それを見て経験した私の方が不幸なのであろうか。
<リズム運動>が、どこまで<抽象的>なのか、自分自身の耳で聴いても分かり様が無い。

この様に、一人の人間が、対象が何であれ、それを分かっているかどうかは、自分自身のことであろうとなかろうと不確定なのではないか。
これも、音楽のことだけではないであろう。




赤字はデンマンが強調)

30-31ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書−作品 1の1』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




つまり、オイラが次のように言ったので、デンマンさんはムカついたのですか?



(ireba04.png)

 

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、

昔の民衆の創造性が信じられる。

 

しかし、私は、私自身を含めて、

現代の大衆を信じてはいない。


この汚染されきった世界に住むことは、

あまり幸福とは言えないという気持ちである。

だから、私は久しく《パシフィック231》に対しても

反感すらもっていた。




ムカついたと言うよりも、オマエは実に愚かな事を書いているなと思って、呆れてしまったのだよ!



デンマンさんがそれほど呆れるような事をオイラは書いてますか?

書いてるよ!

でも、何で、それほど呆れるのですか?

あのさァ〜、日本語が解る134ヵ国で有名になっている「現実主義者」と名乗る愚か者のことをオマエも知ってるだろう?

もちろん、知ってますよ。。。 “馬鹿の見本”と言われている男でしょう!?

そうだよ!

 


(tenan02.jpg)

『現実主義者 馬鹿の見本』




(smilerol.gif)

 

わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

40過ぎても 結婚できない

オイラのために デンマンさんが

オイラの事で記事をたくさん

書いてくれました。

 

このぶんだと、読者の中から、

オイラにプロポーズしたい女性が

現れると思います。

オイラはウハウハしながら

男性ホルモンを全開しているのです。

きゃははははは。。。

 

こうなったら、もう無条件に

スキップして喜びたいですゥ!


(smilejp.gif)

わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

ルンルンルン ランランラ〜♪〜ン

もう一つおまけに

ルンルンルン ランランラ〜♪〜ン

ああァ〜、うれしいなあああァ〜。。。


 



上のリンクをクリックして記事を読んだら、誰だってこの男は“馬鹿の見本”だと信じることができる。



それは、そうですよ。。。 オイラだってぇ、一度読んだだけで、この男が“馬鹿の見本”だとすぐに理解できました。

だけど、この男は自分では“馬鹿”だと思ってないのだよ!

その証拠でもあるのですか?

あるのだよ! この男のことをじっくりと観察して研究して記事を書いたブロガーがいたのだよ。。。 ちょっと読んでごらんよ!


「現実主義者」の心理


(fool930.png)

 

過去ログでの私とのやり取りを見れば分かる通り、こいつは深刻なヘイトスピーカーである。

奴は私のブログだけではなく、いろいろなブログに現れては、ヘイトを繰り返している。

奴の発言についてはざっとこんな感じ


引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

 

被害者や遺族、被害者寄りの人間どもの方が学校関係者やPTA、学区民や教育委員会から「皇子山学区のゴミクズ」認定されてる

いじめ被害者は加害者よりずっと生きてる価値なしのゴミクズ

被害者がアホで根暗だからいじめられるのは当然、自己責任だろ

遺族は泣き寝入りしてりゃいい


(中略)

この書き込みを見て、気分を害さない遺族などいるというのか?

「自分の境遇もいじめ被害者と一緒だ」と訴えている・・・違う、こいつはそんなんじゃない。
少なくともこいつは自分といじめ被害者を「同等」などと思っていない。

奴は、異常なほど学歴に拘っているが、それは奴の中であるヒエラルキーが確立されているからである。

それがこちら
すごく単純だが、こんな感じ。


(kasuga23.png)

奴は自分自身を「低学歴」の立場に置き、自分自身を「ゴミクズ」だの「ボロ雑巾」だの宣っているが、決して自分の事を底辺だとは思っていない。

というのは、奴は上記のヒエラルキーにちょっとした付け加えをしているのである。

それが、これ


(kasuga24.png)

つまり、「どうせ低学歴は底辺這いつくばるしかねえんだ」と、這い上がろうとする者を見下し、馬鹿にする立場を自分の中で作り上げた。
こんなのはただの開き直りなんだけどね(笑)

そして「高学歴」に縋って、「低学歴」を見下していれば、恰も自分が「高学歴」の仲間入りしている気分になり、優越感に浸れると言うわけである。

まさに「虎の威を借る狐」。

だから、こいつにとって底辺から這い上がって成功を収めるなんて、あってはならない事であり、むろん、彼らを救ってやりたいなどと言う気持ちも毛頭ない。

現に、某ブログの管理人さんに、底辺を見下し、あざ笑うようにけしかけるようなことを言っているところを何度か目撃している。

奴にとって「高学歴」はいい人生で「低学歴」はみじめで「なくてはならない」。

ネトウヨレイシストにとって「日本人」はいい人で「朝鮮人」は卑しい人で「なくてはならない」。

どちらもそれがアイデンティティーであり、ここをケチをつけられると癇癪を起すのだ。
私が奴の事を「ネトウヨとメンタリティーは大して変わらない」と言ってきたのはここである。




『春日のブログ』より
2018-08-14 17:08:15




つまり、“馬鹿の見本”の「現実主義者」は、誰が見ても馬鹿なんだけれど。。。、しかも自分で「生きる価値のないウンコのようなクズの廃人」だと伊藤先生のブログで認めているのだけれど。。。、それでも自分が馬鹿だとは思ってない! なぜなら、上の記事でも書いてあるように、この愚か者は馬鹿にする立場を自分の中で作り上げているのだよ!



なるほどォ〜。。。 それで、自分よりも愚かな者を馬鹿にして、自分は、愚かでないと思ってるのですねぇ〜。。。

その通りだよ。。。 そもそも、自分が馬鹿だと思っていたら他人のブログにコメントなど書けないものだよ!

。。。で、デンマンさんが オイラが書いた文章を読んで、呆れまくったというのは、どういうことですか?

オマエは早稲田大学の理工学部の数学科を優秀な成績で卒業して、小さなソフトウェア会社の課長にまでなったのに、上役と喧嘩してカナダに移住し、大型計算機のメインテナンスを専門とする熟練技術者として自己満足な生活を送っているのだよなァ〜。。。

余計な事は言わなくてもいいですから、ズバリと指摘してください。。。

そうゆうオマエがだよ、「私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない」と書いている!

いけませんか?

あのさァ〜、もしそれが真実ならば、つまり、オマエは現代の大衆を信じてないばかりか、自分までも信じてないと言うことじゃないかァ!

そうです。。。 いけませんか?

あのさァ〜、ホントにオマエが自分自身を信じてないなら、そもそも、オマエは上の記事を書かなかった。。。と言うより、書けなかったはずだよ!。。。 そうだろう!?

デンマンさんも意外に馬鹿なところがあるのですねぇ〜?

自分が信じられないオマエは、馬鹿かもしれないけれど。。。 いや、充分に馬鹿の素質があるけれど、自分を信じている僕がどうして馬鹿なのォ〜?

“言葉の綾(あや)”ということをデンマンさんは聞いたことがないのですかァ〜? 「微妙な意味あいを表したり、事のついでに付け加えたりする、巧みな言葉の言い回し」ですよ。。。

つまり、オマエは本当は自分以外の一般大衆は信じてないけれど、自分自身は信じている。。。 でも、それを言うと、オマエの記事を読む読者に嫌われるので、それを避けるために、わざと 心にも無い「私自身を含めて」を書き加えた。。。 そういうわけぇ〜?

そうです。。。 それが読者受けする「巧みな言葉の言い回し」。。。 要するに“言葉の綾(あや)”ですよ。。。

それってぇ〜、馬鹿にする立場を自分の中で作り上げた“馬鹿の見本”と同じ論理だよ。。。 オマエは、“真実を語った者”の代わりに“言葉の綾(あや)”を持ち出してきて、読者受けを狙ったのだよ! そうだろう!?

デンマンさん!。。。 そこまで追求しないでくださいよ!。。。 “武士の情け” という言葉もあるでしょう!

時代錯誤な言葉を持ち出して、話題を逸(そ)らすなァ! んもおおおォ〜! しかも、オマエは「この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである」と書いている!

いけませんか?

つまり、オマエが信じてない現代の大衆も「この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである」とオマエは信じているのだよなァ〜。。。

そうです。。。

でも、僕はバンクーバーで幸せなんだよ! 要するに、オマエが信じてない日本の現代の大衆も、「この汚染されきった日本に住むこと」に幸せを感じているかもしれないのだよ!

その証拠でもあるのですか?

あるのだよ。。。 次の小文を読んでごらんよ!


海外に目を向ける

2015年03月03日(火) 09時16分31秒

テーマ:ブログ

久しぶりに朝から外出したので、朝の寒さを舐めてました。

寒すぎオワタw

スマートフォンからの更新である。

相変わらず大阪はミナミには中国から多くの観光客が賑わっております。


(minami100.jpg)


(tourbus.jpg)



特に週末は日本人おらんがなってぐらい多いです。

彼らのパワーは半端ないっす。

ドンキやダイコクではこれでもか!って引くほど大量買いされてます。

日本製の商品は人気あります。

なかには大量に買って、向こうの富裕層に売る転売をしてる人もいるみたいです。

日本にある商品=品質が良いという認識

日本の誇れるところです。

一方で日本のリソースが海外へ流出していく危惧もあります。

トヨタでは為替の影響を減らす目的でアメリカに工場を作り生産。

某エアコン製造企業も流通コストの削減を目的にブラジルに工場を設立。

いずれも何百億という投資をして工場を作ってでも、海外に拠点を設ける大企業は増えています。

システム開発でも、オフショア開発で盛んに海外に外注を降っています。

スポーツでもサッカーならヨーロッパ、野球ならアメリカのメジャーリーグへ国内の優秀な選手が海外へ流出しています。

イチローやダルビッシュ、本田や長友など日本人が海外で活躍する姿は日本の誇りだという見方もありますが、日本にスター不在という状況にもなります。

今二刀流で話題の大谷選手もいずれメジャーといってますが、日本のプロ野球人気を考えれば、間違いなくマイナスです。

2020年にはオリンピックもあり日本は元気だ!と楽観的に考えているジジイたちもいますが、そんなものは一時的なドーピングでしかないでしょ。

日本はどんどん高齢化が進み、国の借金も絶賛増え続けており、決して安泰とは思えません。

そう考えるとリスクは多いですね。

何か起こってからでは遅いので、リスク対策は常に考えないとあかんな。

とはいってもやっぱ日本はええ国ですよ。

前にも言いましたが、サイコロでいうと6の目。

産まれた瞬間運がいい。

こんな住みやすい国他にあるのか?笑

海外住んだことないんですけど、そう思います。

日本最高。


ありがとうございました。




赤字はデンマンが強調。
写真はデンマンライブラリーより。
YouTubeはデンマンが貼り付けました。)




『日本最高?』より
(2005年3月7日)




こうして日本で暮らす一般大衆の中には日本最高と思って満足している人がいるのだよ! 結構たくさんいると思うよ!



そういう人たちは現実が見えてないのです。。。

あのさァ〜、「現実主義者」と自称している あの“馬鹿の見本”も現実を見てないのだよ。。。

だから、言ったでしょう! 日本の大衆は、精神的にも物理的にも汚染されきった日本の現実を見てないのです! それゆえにオイラは、現代の大衆を信じてないのです。。。



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたは現代の大衆を信じていますか?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたにとって、日本での幸せはどうでもいいのですか?

分かりましたわ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク



■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』

■ 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

■ 『ちょっと心にぐっと来る動物物語』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Godiva Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』


(yuri03.jpg)

■ 『クラシックを愛すれど』

■ 『女性を愛せない老人ボケ』

■ 『ボダとキレた老人』

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■ 『知らずの自分史』

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■ 『ホーキング博士と太田将宏』

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■ 『葛飾北斎と太田将宏』

■ 『女の性的飢餓感』

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■ 『後奏曲集@危険』


(hooker08.gif)

■ 『女3人で姦しい』

■ 『クラシック鑑賞 1』

■ 『クラシック鑑賞 2』

■ 『クラシック鑑賞 3』

■ 『クラシック鑑賞 4』

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■ 『クラシック鑑賞 6』

■ 『クラシック鑑賞 7』

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■ 『クラシック鑑賞 10』

■ 『クラシック鑑賞 11』

■ 『レゲエ@ジャマイカの夜』

■ 『クラシック鑑賞 12』

■ 『クラシック鑑賞 13』

■ 『クラシック鑑賞 14』


(yuri02.jpg)

■ 『クラシック鑑賞 15』

■ 『ヒルデガルトとジャンヌ・ダルク』

■ 『クラシック鑑賞 16』

■ 『クラシック@ルブリン』

■ 『田原総一郎と出版業界』

■ 『クラシック鑑賞 17』

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■ 『乙女の祈りと子猫のワルツ』

■ 『クラシック鑑賞 18』

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■ 『信じて跳べ』

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■ 『愛と赦し』

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■ 『ヘンデルと自殺』

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■ 『人生と偏差値』

■ 『サルトルと現実主義者』

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■ 『バッハ・コレギウム・ジャパン』

■ 『中村紘子とワンワン』

■ 『字が汚い!』

■ 『美しき青きドナウ』

■ 『字が汚い人』

■ 『犬死@太田将宏』

■ 『官能的な音楽』



(juneswim.jpg)


『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』



(byebye.gif)
  
Posted by barclay1720 at 00:10Comments(0)

2019年07月24日

官能的な音楽


 

官能的な音楽

 


(smusic2.jpg)




(monte01.jpg)


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(laugh16.gif)




(ohta03.png)

デンマンさん。。。、最近 官能的な音楽 にハマッてるのですか?


(kato3.gif)

。。。ん? オマエは僕が官能的な音楽にハマッていると思うわけぇ〜。。。

だってぇ、タイトルに、そう書いてあるじゃありませんかァ!

いや。。。 僕がハマッていると言うよりも、オマエが官能的な音楽 に目覚めたのだよ!

まさかァ〜。。。

まさかァ〜じゃないよ! オマエが次の記事に中で書いているのだよ!


3.1 クラウディオ・モンテヴェルディ

    (1567 – 1643)



(monte03.jpg)

 

モンテヴェルディの最初のオペラ《オルフェオ》を聴いた。
私は、イタリア語が殆んど解らない。
ラテン語よりも苦手であるので、イタリア語のオペラは敬遠、いや、無視し続けてきた。

この短い人生に、そう何もかも出来ない、と思ったのである。
それに、ジャコモ・プッチーニ や ジュゼッペ・ヴェルディなどの所謂イタリア オペラをあまり好かない故でもあった。
しかしながら、いくら何でも、バロック初源の《オルフェオ》に(草子地:音楽史上初めてのオペラということではないが)知らないふりはできかねた。

 


(orfeo2.jpg)



 

筋書きは、要するに、イザナギとイザナミの命の話である。
旧約の<創世記>にあるロトの説話にも似ていなくはない。

不思議なのは、洋の東西を問わずに、振返るという行為が最愛の者を失わしめる、という古代人に共通した発想である。
時折り、考えてみるが、私にはそれがよく解らない。

とにあれ、この作品の結末は、あっけらかんとして、ハッピーエンドで終わっている。
いい気なものだ、とすら言えよう。

しかしながら、音楽は、新鮮で素晴しかった。
また、楽しみが一つ増えたことも嬉しいことである。

という訳で、今度は《ポッペーアの戴冠》のLPを買ってきた。
これは、モンテヴェルディの最後のオペラだそうである。
そして、これもまた、形の上ではハッピーエンドではあるが、一寸と待てよ、と言うところである。

 


(poppea2.jpg)



 

先ず、すぐに気がつくことは、《オルフェオ》に於いては、男は男声で、女は女声で唱われ、《ポッペーア》に較べて健康的とすら言えようが、後者に於いては、ネローネがソプラノ(カステラート?)、アルナルタ(乳母)がテノールで唱われている。
小姓がソプラノであるのは、近代になっても例があるが、女どうしでいちゃついているような気がしないでもない。
要するに、一貫して男女の愛の退廃を表現しているように聴きとれる(草子地:無論、音楽が退廃している訳ではない)。

いや違う。
このドラマでの真の悪役はアモーレではなかったか。
感覚的に、私のボーイ ソプラノ嫌いが影響しているのかも知れないが、一方、神(々)の人間を支配する、そのしかたに何か納得できない、と感じとることは、アイスキュロスの<大アイアース(サラミース島の王テラモーンの子で、トロイア戦争にはサラミース人を率いて12隻の船と共に参加した)>などに観られる如く、ヨーロッパ人の潜在的な、ということはキリスト教以前からの伝統なのではないか、と私は思うのである。

モンテヴェルディがそれに対して意識的であったかどうかは私は知らない。
しかしながら、75歳にして、これほどまでに官能的な音楽を書いた彼ではあったが、一面では、その彼方には彼の覚めた眼が見え隠れしている、と感じられるのである。

オットーネ、ネローネそしてオッターヴィア、主要な登場人物の全部が、他者の死を望んでいた。
ドゥルジッラでさえ、思い違いではあるが、他の死を願っていた。
これは、よく考え抜かれた筋書きである。

最も退廃からは遠く、健康的な彼女の愛も至上ではない、ということであろう。
それら全てが<愛>の故であったのである。
唯一人、<愛>に何らの関係もなく描かれているセネカのみが、自らの死を喜んでいた。

そういえば、トルストイも彼の小説<復活>のなかで、愛が、愛が、愛が、と繰り返す恋愛至上主義の女学生を喜劇的に描いていたが、当人にとってはとにあれ、恋愛感情などというものは、所詮、発情期の男女の心理現象にすぎない、ということか。
それを連想させる場面が、このオペラのなかにあるのである。


<自ずから起きる愛>に対する皮肉な視線は、第一幕第五景のアルナルタとオッターヴィアや第二幕第五景の小娘と小姓の遣り取りに見て取れる。
あたかも、退廃なしの<愛>などは、この世に存在しない、と言わんばかりである。
なお、散逸した第二幕第四景には、非常にエロチックな場面があった、と想像される。

とにあれ、《ポッペーアの戴冠》の台本は、ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブゼネッロの手になることを記さねば、片手落ちで不公平ということになろう。
そして、そのテキストを選んだのは、他ならぬモンテヴェルディであったのである。

ところで、この二人の視点は、例の小姓に悪しざまに言われているセネカのそれと、どの程度に重なるのであろうか、と気になるところではないか。

 



追記(コーダ):

 

ヘンリー・パーセルの《妖精の女王》の第三幕では、《ポッペーア》とは逆に、男どうしがいちゃついている。
モプサをカウンタ テノールが唱っているためである。
日本の歌舞伎の女形をテレビで大写ししたようで、見る、聴くに耐えない。

ついでに書けば、私自身は、少し慣れれば、アルトの声域まで発声が出来る。
しかし、私はカウンタ テノールの声が嫌いなのである。

バッハの 教会カンタータなどでも女性のアルトではなく男性のカウンタ テノールが唱う傾向になってきた。
アルトが失業してしまうのではないか、という私の心配は、よけいなお世話か。




赤字はデンマンが強調)

30-31ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




つまり、オイラが次のように言ったので、デンマンさんはムカついたのですか?



(ireba04.png)

 

恋愛感情などというものは、

所詮、発情期の男女の

心理現象にすぎない、ということか。


それを連想させる場面が、

このオペラのなかにあるのである。




ムカついたと言うよりも、オマエの恋愛感情がよく表現されていると思ったのだよ。。。



つまり、オイラの恋愛感情というのは発情期の男女の心理現象と変わらないとデンマンさんは信じ込んだのですか?

その通りだよ。。。 オマエが、そう信じているからこそ、上のような事を恥ずかしげもなく書いてしまうのだよ! それにオマエは同じような事を次の文章の中でも書いていた。


恋愛は、年頃の男女が肉体に

触発された心理現象?



(tantra20.jpg)

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。

それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、
そもそも、いったい何であったのだろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、
東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、
可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
 世界のどこにもいるものである。)、

音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。

かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

(中略)

いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の 
“Bolero” を聞き比べたことがあった。

小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、
Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

(中略)

わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。

大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。


芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。


(jsbach02.jpg)






pages 5 & 6 間奏曲集 (主題なき変奏) その2 
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月




『老人の性と太田将宏』より
(2016年8月20日)




この上の文章も、デンマンさんがしばしば引用しますよねぇ〜。。。!?



オマエは上の文章を引用されるのがいやなのォ〜? 嫌なら書かなければいいのだよ! ネットで公開したからには、出所を明示して引用されても文句は言えないのだよ!

でも。。。、でも。。。、デンマンさんは同じ文章を何度も何度も引用するのですよ。。。

だってぇ〜、オマエが書いた文章は、それほど僕にとって異常で衝撃的なのだよ!

それほど異常で衝撃的でしょうか?

あのさァ〜、オマエも書いているじゃないか! 「バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが」

それが、デンマンさんにとって異常で衝撃的なのですか?

だってぇ〜、「バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった」のであれば、普通の人は祝福するのだよ。。。 それをオマエは「困っているが」と書いている。。。 どうしてオマエが困らなけらばならないのォ〜?

だから、書いたでしょう!? そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。 長い間、生活を共にしていて、まだ互いに性的欲望を感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか?

オマエのように、そう考える方が異常だろう!?

そうでしょうか?

そうなのだよ! オマエは奥さんに対して性的欲望を感じなくなったから、仲が悪くなったと思っているけれど、それはオマエの一方的な独断と偏見なのだよ! 性的欲望を感じなくなっても、バッハのように仲のよい夫婦というのはいるのだよ。。。

そうでしょうか?

だってぇ、オマエが困るほど仲のよいバッハ夫婦がその証拠じゃないかァ!

でも。。。、でも。。。、バッハは年取ってからも老妻に対して性的欲望を感じていたかもしれません!

あのさァ〜、オマエはこれまでにクラシック音楽を飽きるほど聴いてきた。。。 そうだろう!?

そうです。。。

だったら、もう一度バッハの上の曲をじっくりと聴いてごらんよ!

上の≪G線上のアリア≫ですか?

そうだよ。。。 この曲を聴いてバッハが老妻に対して性的欲望を感じながら作曲した官能的な音楽だと思えるかァ〜?

思えません。。。

。。。だろう!? だから、性的欲望を感じなくなっても、バッハのように仲のよい老夫婦というのはいるのだよ。。。

 


(oldcoup3.png)



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたもデンマンさんのお話を聴いて性的欲望を感じなくなっても、バッハのように仲のよい夫婦は居ると納得できましたか?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたにとって、夫婦愛などというものはどうでもいいのですわねぇ〜。

分かりましたわ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


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Posted by barclay1720 at 00:10Comments(0)

2019年07月12日

ベートーヴェンの永遠の愛人


 

ベートーヴェンの永遠の愛人

 


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デンマンさん。。。、どういうわけでベートーヴェンの永遠の愛人を持ち出してきたのですかァ〜?


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オマエはベートーヴェンの永遠の愛人が嫌いなのォ〜?

いや。。。 別に、オイラはベートーヴェンの永遠の愛人とは全く関係ないので、好きでも嫌いでもありませんよ。。。 でも、結婚もしなかったベートーヴェンに永遠の愛人が居たとは思えません。

あれっ。。。 オマエは『不滅の恋/ベートーヴェン』という映画を観なかったのォ〜?

 


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デンマンさん! 結婚もしなかったベートーヴェンに永遠の愛人が居たはずがないのですよ。。。 もし、永遠の愛人が居たとすれば、それは彼の交響曲です。。。



あれっ。。。 オマエは、意外に気の利いたことを言うのだねぇ〜。。。

うへへへへへへ。。。 その程度のことで煽(おだ)てないでくださいよゥ。。。 で、デンマンさんは上の映画を観たのですか?

最近、バンクーバー市立図書館でDVDを借りて観たのだよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』





My Comment

Jul 09, 2019

Written and directed by Bernard Rose in 1994, this American-British docudrama follows Beethoven's secretary and first biographer Anton Schindler as he attempts to ascertain the true identity of the Immortal Beloved addressed in three letters found in the late composer's private papers.

Schindler journeys throughout the Austrian Empire interviewing women who might be potential candidates as well as through Beethoven's own tumultuous life.

After Beethoven's death in 1827, a three-part letter was found among his private papers addressed to a woman whom he called "immortal beloved".

Written in the summer of 1812 from the spa town of Teplice, the letter has generated a great deal of speculation and debate amongst scholars and writers as to her identity.

Among the candidates, then and now, are Giulietta Guicciardi, Therese von Brunswick, Josephine Brunsvik, Antonie Brentano, and Anna-Marie Erdody, some of whom appear in the film.

The film's director, Bernard Rose, though not a historian, claimed that he had successfully identified the addressed woman.

Although no scholar on Beethoven has endorsed it, his claim seems to me quite convincing and more justifiable than mere fiction.




1994年にバーナード・ローズ監督によって書かれたシナリオを基に制作された このアメリカ-イギリス共同作品は ベートーヴェンの秘書であり最初の伝記作家であるアントン・シンドラーがベートーヴェンの死後に見つかった手紙の宛名である“永遠の愛人”の身元を確かめる旅と行動の記録である。

シンドラーはオーストリア帝国を旅しながら、候補者となる女性たちに出会い、またベートーヴェンの激動的な人生を振り返る。

1827年にベートーヴェンが死亡した後、3部構成の手紙が見つかり、その宛名は“永遠の愛人”となっていた。

1812年の夏にテプリツェの温泉街で書かれた手紙は、発見以来「“永遠の愛人”とはいったい誰なのか?」という疑問を学者や作家たちに投げかけ、これまでに多くの憶測と議論を生んできた。

これまでに候補者として上がっているのは次のような女性たちである: ジュリエッタ・グイチャルディ、テレーゼ・ブルンスヴィック、ヨゼフィーネ・ブルンスヴィック、アントニー・ブレンターノ、そしてアンナ=マリー・エルデーディ。

そのうちの幾人かはこの映画にも登場する。

映画監督のバーナード・ローズは歴史家ではないが、“永遠の愛人”を首尾よく突き止めたことを主張し、映画の中で明かしている。

ベートーヴェン研究者・学者たちはそれを支持していないが、彼の主張は単なる推測以上に正当化できるものであり、説得力があるように僕には思える。

【デンマン訳】




デンマンさんも意外に少女趣味的なところがるのですねぇ〜。。。



オマエは、そうやって僕を見下して馬鹿にしようとするわけぇ〜。。。?

いや。。。 ただ、デンマンさんの上のコメントから素直に受けた印象を語ったまでですよ。。。

僕は映画を観て、なるほどと思ったのだよ!

つまり、映画監督が明かした“永遠の愛人”を、デンマンさんはマジで真実だと思い込まされてしまったのですか?

あのさァ〜、オマエも、もし映画を観れば、その“永遠の愛人”を見て、なるほどと思うはずだよ!

でも。。。、でも。。。、デンマンさん自身、コメントでベートーヴェン研究者・学者たちはそれを支持していないと書いてるじゃありませんかァ!

そのように書いてある映画評論を読んだので、僕は公正を期する意味で書き加えたのだよ。。。

ところで、どうしてこの件についてオイラを呼び出したのですか?

オマエも、実は、ベートーヴェンの恋愛について次のように“間奏曲集”の中で書いていたからだよ。。。 ちょっと読んでごらんよ!


1.5 Ludwig van Beethoven (1770 – 1827)

 

L.v. Beethovenの《Fidelio》(Op. 72)は、初演の当時から幾多の論議を呼んできた。それがとりもなおさず、この四つの序曲をもつ彼の唯一のオペラが、他ならぬBeethovenの作品であるが故であることは、とかく忘れられがちであるのではないであろうか。
その議論の一つに、夫婦愛などをテーマとしたオペラが成功するはずがない、というのがあった(草子地:結婚したことのない彼、Beethovenが描く夫婦の理想像?などと半畳を入れるのはやめよう。こんなことは、結婚などをしていないからこそ出来るのであるから)。しかし、たとえ登場人物が夫婦ではなかったとしても、恋人同士であったとしても、話の筋道は大体つくであろうのに、それを、ことさらに、夫婦とした台本を使用したところに、私は、むしろ、Beethovenの破天荒な意思、意欲を感じるのである(草子地:その、彼らしい作品の説得力の力強さだけは、私にとって、私が結婚する前も後も変りがなかった)。
この作品は良い作品ではあるが、それでも、W.A. Mozartのオペラに較べれば、太陽を前にした星である、ということを誰かが言っていた(草子地:巧く表現したものである)。それはそうであろう。舞台は、貴族の館などではなくして、監獄の中での出来事である。何も、Beethovenの作品に、Mozartの音楽を聴こうとすることもなかろう。そんな風な聴き方は、Mozartだって野暮だと言うであろうし。
第三に、これは、この作品に限らないが、Beethovenの声楽の扱い方に対する批判が後をたたないことである。しかし、思い切って乱暴に言ってしまえば、彼は、彼のやり方で人声を扱ったまでで。それはそれで完成されたものではなかったか、と私は思うのである。器楽的で、唱うのに無理がある? 当り前であろう。苦悩を唱うのには苦しい発声も必要である。彼が、譲歩に譲歩を重ねて、何度も書き直したのは、その苦悩を聴いて欲しかったからであろう。繰り返すが、Beethovenは、Beethoven の声楽を書いたのであって、それが器楽的である、ということではあるまい。それを言うのならば、J.S. Bachの声楽曲だって充分に器楽的である。彼も、Mozartも同様な批判を受けたことがあることはあったが、それは途絶えて、Beethovenのそれだけが、今日なお指摘されている。奇妙なことには、誰も、BeethovenのFugeは、あまりにも和声的だ、などとは言わない。Beethovenは、BeethovenのFuge を書いた、ということは受け入れられている。
しかし、このオペラの筋書きには重大な欠陥がある。もし、FlorestanがFernandoの呼ぶように<Mein Freund!>であったのなら、何故、Leonoreは、あれだけの苦労、辛苦、危険を冒す必要があったのか、ということである。そもそも、直接Fernandoを訪れ、事情を説明すれば、それですんだことではなかったか。
それにも拘らず、抑圧からの解放、これは、常に現代的、現在的である。ただ、その解放がDon Fernandoの鶴の一声では成らぬことを知るのには、人類は、未だ、一世紀余りを要した。さもなくば、この作品中にDon Fernandoなどが出て来る幕などは無かったであろう。これを、また、Beethovenのせいにはすまい。そもそも、彼といえども、何らの見通しの無い時代には、強固の意志に貫かれた、信仰にも近いような信念なくしては、理想などはもち得ないではないか。その意味では、共和主義者Beethoven は古典的であった。
現代的であること、現代人であることは、必ずしも幸いなことではない。今、ソヴィエト社会主義連邦共和国や東欧諸国で起きている事態、あれは何であろうか。この様にして、この二十世紀最大の実験は無に帰するのであろうか。それでは、革命に血を流した勇敢なる闘士は浮かばれないであろう。それこそ、Stalinismeによる犬死に、それで終わるのであろうか。
犬死、と言えば、先の太平洋戦争で散った兵士たちの死もまた、全て犬死であった。遺族は、それぞれに、戦死者に何らかの意味を見い出したいと思い、それもまた当然すぎる心情ではあ
ろうが、私は、敢えて言いたい、それは犬死であったと。それである故にこそ、その無意味な悲惨を繰り返してはならない、と。犬死という認識ではなかったら、その悲惨さは権力によって薄められるのである。はっきり言おう。遺族団体は、現在、政府に媚びる圧力団体に堕しているではないか。言うべきことが言える間に、言うべきことは、きちんと言う、それしか出来ない私である。また、私は共産主義者でもないが、それを強調するまでもあるまい。
それにしても、私の知る限り、Beethovenの失恋の相手は、貴族の令嬢ばかりであった。奇妙な共和主義者ではあった、と思わざるを得ない。しかしながら、彼のmessageは、いまだ有効である。

(1990年12月12日。2006年5月29日改訂。)




13-14ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




あのさァ〜、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やラテン語が入り混じっている。。。



デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。


1.5 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

    (1770 – 1827)



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ベートーヴェンの《フィデリオ》(Op. 72)は、初演の当時から幾多の論議を呼んできた。

 


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フィデリオ

 

この作品は、ベートーヴェンの作品群の中でも特に難産に見舞われた作品のひとつであり、成功を収める版が完成するまでに何度も書き直しがなされている。

このオペラはベートーヴェン中期の代表作に挙げられる。
ブイイの原作の英雄主義的な性格や、当時のヨーロッパの知識人層に浸透し始めていた自由主義思想へのベートーヴェン自身の強い共感を背景として、英雄的な中期の作風が存分に反映されている。

ベートーヴェンの声楽曲によくあることだが、このオペラも歌手にとっては必ずしも歌いやすい音楽ではない。
特に、レオノーレとフロレスタンのパートを歌うには高度な技術を要し、そうでなければ要求された緊張感を表現することは到底不可能である。
このため、これらの配役を見事に演じた歌手は賛美の的となる。

囚人達の合唱、政治犯達の自由を謳う合唱、フロレスタンをレオノーレが助けにきた場面、そして救出が成功した場面などは、特筆に価する。
最後は、ソリストや合唱が代わる代わるレオノーレの勝利を讃えて、フィナーレを迎える。

多くの楽曲分野で後世の指標となる業績を残したベートーヴェンとしては完全な成功作とは言えない(ドイツオペラの最初の成果としても「魔笛」や「魔弾の射手」が挙げられることの方が多い)との批判もあるが、いちおう代表作のひとつとして今なお上演回数も多い。

これによって作曲者はモーツァルトとともに、主要音楽分野のほとんどに代表作を残した稀有の存在となった。
ドイツ圏ではバッハ以来、オペラをまったく残していない(または成功作がない)作曲家が多いだけに、貴重な作である。

 

主な登場人物

フロレスタン(囚人) テノール

レオノーレ(フロレスタンの妻) ソプラノ

ロッコ(刑務所員) バス

マルツェリーネ(ロッコの娘) ソプラノ

ヤキーノ(ロッコの補佐官) テノール

ドン・ピツァロ(刑務所長) バリトン

ドン・フェルナンド(大臣) バス




出典: 「フィデリオ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


それがとりもなおさず、この四つの序曲をもつ彼の唯一のオペラが、他ならぬベートーヴェンの作品であるが故であることは、とかく忘れられがちであるのではないであろうか。
その議論の一つに、夫婦愛などをテーマとしたオペラが成功するはずがない、というのがあった。
(草子地:結婚したことのない彼、ベートーヴェンが描く夫婦の理想像?などと半畳を入れるのはやめよう。こんなことは、結婚などをしていないからこそ出来るのであるから)。

しかし、たとえ登場人物が夫婦ではなかったとしても、恋人同士であったとしても、話の筋道は大体つくであろうのに、それを、ことさらに、夫婦とした台本を使用したところに、私は、むしろ、ベートーヴェンの破天荒な意思、意欲を感じるのである。
(草子地:その、彼らしい作品の説得力の力強さだけは、私にとって、私が結婚する前も後も変りがなかった。)

この作品は良い作品ではあるが、それでも、モーツァルトのオペラに較べれば、太陽を前にした星である、ということを誰かが言っていた(草子地:巧く表現したものである)。
それはそうであろう。
舞台は、貴族の館などではなくして、監獄の中での出来事である。

何も、ベートーヴェンの作品に、モーツァルトの音楽を聴こうとすることもなかろう。
そんな風な聴き方は、モーツァルトだって野暮だと言うであろうし。

第三に、これは、この作品に限らないが、ベートーヴェンの声楽の扱い方に対する批判が後をたたないことである。
しかし、思い切って乱暴に言ってしまえば、彼は、彼のやり方で人声を扱ったまでで。
それはそれで完成されたものではなかったか、と私は思うのである。

器楽的で、唱うのに無理がある?
当り前であろう。
苦悩を唱うのには苦しい発声も必要である。

彼が、譲歩に譲歩を重ねて、何度も書き直したのは、その苦悩を聴いて欲しかったからであろう。
繰り返すが、ベートーヴェンは、ベートーヴェンの声楽を書いたのであって、それが器楽的である、ということではあるまい。
それを言うのならば、バッハの声楽曲だって充分に器楽的である。

彼も、モーツァルトも同様な批判を受けたことがあることはあったが、それは途絶えて、ベートーヴェンのそれだけが、今日なお指摘されている。
奇妙なことには、誰も、ベートーヴェンのフーガは、あまりにも和声的だ、などとは言わない。
ベートーヴェンは、ベートーヴェンのフーガ を書いた、ということは受け入れられている。

しかし、このオペラの筋書きには重大な欠陥がある。
もし、フロレスタンがドン・フェルナンドの呼ぶように<私の友よ!>であったのなら、何故、レオノーレは、あれだけの苦労、辛苦、危険を冒す必要があったのか、ということである。
そもそも、直接ドン・フェルナンドを訪れ、事情を説明すれば、それですんだことではなかったか。

それにも拘らず、抑圧からの解放、これは、常に現代的、現在的である。
ただ、その解放がドン・フェルナンドの鶴の一声では成らぬことを知るのには、人類は、未だ、一世紀余りを要した。

さもなくば、この作品中にドン・フェルナンドなどが出て来る幕などは無かったであろう。
これを、また、ベートーヴェンのせいにはすまい。

そもそも、彼といえども、何らの見通しの無い時代には、強固の意志に貫かれた、信仰にも近いような信念なくしては、理想などはもち得ないではないか。
その意味では、共和主義者ベートーヴェン は古典的であった。
現代的であること、現代人であることは、必ずしも幸いなことではない。

今、ソヴィエト社会主義連邦共和国や東欧諸国で起きている事態、あれは何であろうか。
この様にして、この二十世紀最大の実験は無に帰するのであろうか。

それでは、革命に血を流した勇敢なる闘士は浮かばれないであろう。
それこそ、スターリニズムによる犬死に、それで終わるのであろうか。

犬死、と言えば、先の太平洋戦争で散った兵士たちの死もまた、全て犬死であった。
遺族は、それぞれに、戦死者に何らかの意味を見い出したいと思い、それもまた当然すぎる心情ではあろうが、私は、敢えて言いたい、それは犬死であったと。

それである故にこそ、その無意味な悲惨を繰り返してはならない、と。
犬死という認識ではなかったら、その悲惨さは権力によって薄められるのである。

はっきり言おう。遺族団体は、現在、政府に媚びる圧力団体に堕しているではないか。
言うべきことが言える間に、言うべきことは、きちんと言う、それしか出来ない私である。
また、私は共産主義者でもないが、それを強調するまでもあるまい。

それにしても、私の知る限り、ベートーヴェンの失恋の相手は、貴族の令嬢ばかりであった。
奇妙な共和主義者ではあった
、と思わざるを得ない。
しかしながら、彼のメッセージは、いまだ有効である。




赤字はデンマンが強調)

13-14ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




あのさァ〜、オマエはベートーヴェンの失恋の相手は、貴族の令嬢ばかりであったと言って、暗に共和主義者のベートーヴェンを非難しているけれど、そもそも“恋”というのは所属する階級など度外視して発生するものなんだよ。。。



あれっ。。。 デンマンさんは、意外に青二才的なことを言うのですねぇ〜。。。 

オマエの奥さんは、本来ならばオマエなど相手にするような人物ではないのだよ!

つまり、オイラが身の程知らずに、平民が貴族の令嬢を娶(めと)ったという風に、デンマンさんは理解しているのですか?

だってぇ、そうだろう! オマエは、どちらかと言えば平民でも 若いくせに風采(ふうさい)のあがらない みすぼらしいおっさんだったのだよ! 心の優しい貴族的な令嬢のオマエの奥さんが、なぜオマエと結婚したかというと、オマエが盛りのついた野犬のように、燃え上がってしまったのだよ! つまり、ベートーヴェンが貴族の令嬢に恋したようなものだよ!

ベートーヴェンは振られたけれど、オイラは めでたく貴族の令嬢をゲットした、とデンマンさんは オイラを尊敬するのですねぇ〜。。。 うへへへへへへへ。。。

違うのだよ。。。 違うのだよ! そうじゃない! 誤解してもらっては困るよ! オマエの奥さんは心が優しいのだよ! だから、オマエが他の女性から振られっぱなしなのを見て、可哀相に思って 自分を犠牲にしたつもりで オマエと結婚したのだよ!

見てきたような嘘を言わないでくださいよ! 何も知らない人は、本当にするじゃありませんかア!

それにもかかわらず、オマエは奥さんの優しい心に答えることができずに、次のようなことになってしまったのだよ!




私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。

長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。


私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。


(kierke02.jpg)

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。



しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。




【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家




56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)




デンマンさん! んもおおおォ〜。。。! 毎回、毎回、この文章を引用しないでくださいよゥ!



オマエがベートーヴェンの失恋の相手は、貴族の令嬢ばかりであったと言って、暗に共和主義者のベートーヴェンを非難したから、こうなったわけだよ。。。

つまり、デンマンさんはベートーヴェンをかばうのですねぇ〜。。。!?

別に、僕はベートーヴェンのファンじゃないし、後援会の会員でもないのだよ!

だったら、家内の事でとやかく言うのは止めてくださいよ!

オマエが、そう言うのだったら、これ以上の突っ込みは言わないよ! でもなァ〜、ベートーヴェンは若い頃は、けっこうプレーボーイだったのだよ!

また、見てきたような嘘を言わないでください!

嘘じゃないってばあああァ〜。。。 上の映画を観れば、オマエも納得できるのだよう!

デンマンさんも大人気ないことを言うのですねぇ〜。。。 映画というのは、それがドキュメンタリーであっても、結局、監督のオツムの中で描かれたフィクションですよ! どんなに優れた監督作品であっても、過去の現実、つまり、歴史的事実をそのまま映画になどできるはずがないのです!

要するに、映画の中の“永遠の愛人”とは、失恋ばかりしていたベートーヴェンが死に際に頭がおかしくなって、幻覚の中で書きなぐった手紙だ、とオマエは言うわけぇ〜?

当たり前でしょう!

オマエは映画を観てないから、そういう愚かな事を言うのだよ!

オイラは、そもそも映画など信じません。。。 監督とシナリオライターの個人的な創作以外の何物でもありません!。。。 言ってみれば、幻想ですよ!

オマエは、そのようなロマンの無い事を言うから、心の優しい奥さんとの間で日本語も通じなくなってから何年にもなるのだよ!

デンマンさん! ベートーヴェンの“永遠の愛人”とオイラの家内とは、全く関係ないことです! 同じ土俵に上げないでくださいよゥ。。。 そんなことより、ベートーヴェンの“永遠の愛人”ってぇ、いったい誰なのですかァ〜?

教えないよ! オマエが自分で映画を観ればいいじゃないかア!

デンマンさんのケチ! イケズゥ!



(foolw.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたは、『不滅の恋/ベートーヴェン』という映画を観ましたかァ〜?

ベートーヴェンの“永遠の愛人”は、映画の中で明かされた女性がその人だと信じられますかァ〜?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、もっと他に面白い話しをしろ!」

あなたは、私に、そのような口調で命令するのですか?

分かりましたわ。。。 それではソプラノ歌手の高島一恵さんの次の歌を聴いてしみじみと泣いてくださいねぇ〜。。。

 


(kazue01.jpg)



 

ええっ。。。 「歌は、もういいから、他にもっとも面白いことを話せ!」

あなたは、そのような命令口調で あたしに強制するのですか?

分かりましたわ。。。

これまで、太田さんはデンマンさんに さんざ馬鹿にされたので

そのお返しをしたのですわァ。

だから、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのです!


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


あなたが絶対、

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面白くて実にためになるリンク



■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

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(30june.jpg)

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2019年07月10日

グルーヴ


 

グルーヴ

 


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デンマンさん。。。 グルーヴ というのは、もしかして上の写真にある溝(みぞ)のことですか?


(kato3.gif)

そうです。。。 英語で groove と言えば、確かに溝(みぞ)という意味もあるのですよ。。。

 


(gog90605b.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



つまり、今日は溝のお話ですか?



ジュンコさんは、なんだかつまらなそうな目をして僕を見ていますねぇ〜。。。 僕だって、溝の話をするのは面白くないのですよ。。。 実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのです。。。



(groove03.jpg)

 

(給料は)どんなに忙しくても8万円。
だから、音楽の仕事は楽しかったけれど、不安でしたよ。
「僕は音楽で食べていくことができるんだろうか」と、いつも自問していました。

大学へ入り直して、教職課程を取って、音楽教師になることもまじめに考えたほどです。
この時期のことを僕は自分の「暗黒時代」と言っています。

その頃、よく聴いていたアルバムがあります。
アメリカのレーベル、ブルーノートに所属していたR&Bシンガー、マリーナ・ショウの『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ?』です。

 




Street Walking Woman
You, Me, & Ethel - Dialogue (M. Shaw & B. Olson)
Composer - Marlena Shaw
Arranger - Byron Olson
Piano - Michael Lang
Bass - Chuck Rainey
Drums - Harvey Mason
Guitar - David T. Walker
Fender Rhodes Piano - Larry Nash
Congas - King Erricson
Producer - Benard Ighner
Recording Engineer - Phil Shier (assisted by Michael Bronstein)


 

当時原宿にあった輸入盤専門店「メロディハウス」で勧められて、ものすごく衝撃を受けました。
僕の好きな音楽のフレーバーがすべてミックスされていたような気がしました。
忘れられない出会いです。

その日から、数年間は毎日、おおげさではなく、本当に盤がすり切れるほど、このレコードを聴き続けました。

『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ?』は、まず、ベーシストのチャック・レイニーとドラマーのハービー・メイスンが生むグルーヴがすさまじかった。
特に、ハービーの演奏から感じる筋肉の躍動感は、それまでに聴いたことのない音楽でした。

 

(読み易くするために改行を加えています。
赤字はデンマンが強調のため
写真はデンマン・ライブラリーより)




44-45ページ 『僕の音楽キャリア全部話します』
著者: 松任谷正隆
2016年10月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




なるほどォ〜。。。 確か、英語で groovy と言うと、「カッコいい」と言う意味ですよねぇ〜。。。



その通りです。。。 でもねぇ〜、残念ながら、僕の感性では、マリーナ・ショウの歌う『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ?』は、うるさいだけで「カッコいい」とは思えなかった!

 


(gog90605c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



音楽で使われる「グルーヴ」というのは、この「カッコいい」という意味の語源になったのですか?



そうだろうと思いますよ。。。 どう考えてみても、「溝 (groove)」という意味から、その形容詞形としての「groovy」が「カッコいい」とはならないものねぇ〜。。。


グルーヴ

&nbssp;


(groove04.jpg)

 

グルーヴ(groove)とは音楽用語のひとつ。形容詞はグルーヴィー(groovy)。

ある種の高揚感を指す言葉であるが、具体的な定義は決まっていない。

語源は(アナログ)レコード盤の音楽を記録した溝を指す言葉で、波、うねりの感じからジャズ、ファンク、ソウル、R&Bなどブラックミュージックの音楽・演奏に関する表現に転じた言葉である。
現在は、素晴らしい演奏を表す言葉の1つとして、ポピュラー音楽全般で用いられる。

グルーヴを構成する要素としてはリズムやテンポ、シンコペーション、アーティキュレーションなどが挙げられ、主にリズム体(ベース、ドラムス、パーカッションなど)を対象とした概念である(例:グルーヴィーなドラミング、など)。
「ノリ」(乗り)を表す言葉である。

 


(groove05.jpg)





 

ジャンルによって感じるグルーヴは様々で、グルーヴ感の会得は、演奏者にとって必要不可欠な要素のひとつである。

音楽理論でリズムの基礎を学ぶ際はまず、4/4拍子の場合は、一小節全てを占める音符を全音符と言い、その半分が二分音符、そのさらに半分が四分音符、といったように数学的に割り切れるものを拍子と考える。
多くのポピュラー音楽の4/4拍子の楽曲では、2拍目と4拍目にスネアドラムによってアクセントがおかれることが一般的だが、

例えばこの際、曲調や演奏時のノリによってスネアドラムの2、4拍目のアクセントが数学的なその位置よりも微かに前や後に置かれる事がある。
どの程度先走るか、遅らせるかは楽曲により、ジャンルにより、ミュージシャンにより、またその場の状況によって違ってくる。

遅れ方が大きいほど、ミュージシャンの間では「重い」などと表現する。
演奏家同士がアンサンブルを行う際は、お互いにこのズレを読み合ってバンドとしての「ノリ」を作り出すのである。

この2、4拍目のスネアの微妙な位置というのも、グルーヴと言う漠然とした概念の構成要素のごく一部に過ぎない。
打点のズレ、時間差だけでなく、等差でも、刻んだリズムのどこにアクセントを置くか、音の大小の違いでも、グルーヴは生まれる。
このように、数学だけでは割り切れないリズムの要素、リズムの感覚全体を指してグルーヴと呼ぶ。

日本におけるグルーヴの研究には、Kawase and Eguchi (2010)や河瀬他(2001)、河瀬他(2003)の例がある。
彼らの論文は、グルーヴの概念の総括と、グルーヴの定量的測定を、聴取実験と演奏実験を通して行っている。
以下の4点が彼らの研究の主な結果である。

1.用語としてのグルーヴは、2000年頃から広く使われ始めた。
2.日本におけるグルーヴの概念や語義を、アンケートや先行研究を元に探った。その結果、体の動きやテンポ、低音の強調、一体感などと関係していた。
3.音楽聴取の実験を通じて、グルーヴがどのような感覚と近いか調べた。その結果、関係が深かったのは「ノリ」や「一体感」、「心が弾む」「テンポが速い」「体でリズムを感じられる」などであった。
4.ドラム演奏の実験では、楽譜からの数ミリ秒程度のずれと特定のテンポによって、グルーヴが感じられるとされた。

なお、近年はグルーヴ研究が国際誌を中心に盛んに行われている。
最新の研究動向をふまえた先行研究は、グルーヴ感についての資料(論文)等に網羅されている。

 






出典: 「グルーヴ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




グルーヴ(groove)とは音楽用語としても使われるのだけれど、『ウィキペディア』にも書いてあるようにある種の高揚感を指す言葉であるが、具体的な定義は決まっていないのですよ。。。 つまり、音楽にハマっていたとしても、よく理解できないでいる人がほとんどだと思うのです。。。



デンマンさんは理解できているのですか?

感覚的に理解していますよ。。。

じゃあ、デンマンさんのグルーヴィーな音楽というのはどういうものですか?

次のようなノリのよいジャズです。。。 ジュンコさんも聴いてみてねぇ〜。。。

 


(groove06.jpg)





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【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたにもグルーヴィーな曲というのがありますか?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですか?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


(dog810.jpg)



 

ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ〜。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


(sunwind2.gif)


『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』


(miya08.jpg)

『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』


(nopan05.png)

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』


(sylvie500.jpg)

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『エリュトゥラー海案内記』

『伊藤若冲 ランブータン』

『知的快楽』


(teacher9.jpg)

『シャフリ・ソフタ』

『閨房でのあしらい』

『漱石とグレン・グールド』

『女性の性欲@ラオス』

『美学de愛と性』

『女の本音』

『にほん村からの常連さん』

『日本初のヌードショー』

『可愛い孫』

『ネットで広まる』

『なぜブログを書くの?』

『アルゼンチンから』

『潮吹き』

『ヨッパライが帰ってきた』


(ken203h.jpg)

『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

『女性の性欲研究』

『頭のいい馬』

『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)




(spacer.png+betty5de.gif)
(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


(surfin2.gif)

ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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平成の紫式部、橘卑弥子でござ〜ます
(himiko92.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

■ "JAGEL - Soft Japanese Bagel"


(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』




(rengfire.jpg)


(byebye.gif)
  
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2019年07月05日

マーラーと妻


 

マーラーと妻

 


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デンマンさん。。。、どういうわけでマーラーと妻を持ち出してきたのですかァ〜?


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オマエはマーラーと妻が嫌いなのォ〜?

いや。。。 別に、オイラはマーラーと妻とは全く関係ないので、好きでも嫌いでもありませんが。。。

でも。。。、でも。。。、オマエはマーラーについて記事で書いていたのだよ。。。

デンマンさんは、よく覚えていますねぇ〜。。。 確かに、次のように書きました。


11.2 イーゴリ・ストラヴィンスキー


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    (1882-1971)


 

アルノルト・シェーンベルクには敵が多かった、とのことである。
けれど、私には、彼にも寛容な一面もあった、と思われる。

シェーンベルクは終生グスタフ・マーラーを擁護していたし、パウル・ヒンデミットの作品、例えば《Das Marienleben (マリアの生涯)》(初版)を評価していた、と聞く。

 


(mary20.jpg)



 

そのことは、彼と彼らの立場や作曲技法の相違を考えると驚くべきことではないか。
彼自身は断念した調性に依存する音楽の、さらなる追求に対して、例えその先が見えていたとしても、未だ何ものかが出来る余地が可能性として残る限り、友情をもって他を見守っていたのではなかったか、と思われるのである。

悪しきは、ルネ・レイボヴィッツとその一派だ。
所詮、二、三流の、作曲家にもなり損なった評論家は、誰かの取巻きの一人となり、その誰かを嵩に掛けて、立場の違う他を攻撃する事によって、自己の幻のアイデンティティを確認し、顕示しようとする。
これは、ある種の自己欺瞞でもあろう。

彼らに較べれば<凡庸な作曲家>グスタフ・マーラーでさえ、遥かに創造的ではなかったか。 (略)




赤字はデンマンが強調)

51-52ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書−作品 1の1』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




つまり。。。、オイラがマーラーのことを書いたのを思い出して、デンマンさんはマーラーと妻を持ち出してきたのですかァ〜?



オマエのために、そう言いたいところだけれど、実は、そうじゃないのだよ。。。 最近、バンクーバー市立図書館で借りたDVDで次の映画を観たのだよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』



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My Comment

Jun 27, 2019

Directed by Andy Sommer in 2011, this 88-minute documentary depicts the life and works of Gustav Mahler.

Performances of Mahler's works became less frequent after his death in May 1911.

Much American critical reaction in the 1920s was negative, despite a spirited effort by the young composer Aaron Copland to present Mahler as a progressive, 30 years ahead of his time and infinitely more inventive than Richard Strauss.

The musical audiences of the 1930s would find Mahler second-rate.

Mahler's music was banned as "degenerate" during the Nazi era.

In 1960, however, Leonard Bernstein single-handedly rescued Mahler from oblivion, after 50 years of neglect.

Mahler himself predicted his place in history, once commenting: "I could perform my symphonies for the first time 50 years after my death!"

In the years following his centenary in 1960, Mahler rapidly became one of the most performed and most recorded of all composers, and has largely remained so to this day.

If you're a classic lover, this is a must-see.




2011年にアンディ・ゾンマー監督によって制作された この88分のドキュメンタリーは、グスタフ・マーラーの生涯と作品を紹介する。

1911年5月の死後、マーラーの作品の公演はそれほど頻繁には行われなくなった。

若い作曲家のアーロン・コープランドが、マーラーを30年先を行く作曲家であり、リヒャルト・シュトラウスよりもはるかに独創的だと喝破していたにもかかわらず、1920年代の多くのアメリカの批評家はマーラーの作品に対して否定的でした。

1930年代の聴衆はマーラーを二流だと見なしていた。

マーラーの音楽は、ナチス時代には「退廃的な音楽」として演奏が禁止されていた。

しかし、1960年、レオナルド・バーンスタインは、他の誰もが50年見過ごしていたマーラーの作品を忘却から救い出したのです。

マーラー自身が音楽史に置ける自分の位置を予測していました。

なぜなら、彼は次のように語っていました「自分の死後50年経てば、私の交響曲は演奏されるだろう」と。

1960年の生誕100周年を迎えてからの数年間で、マーラーの作品は、急速に認められ、すべての作曲家の中で最も演奏され、最も録音された作曲家のひとりとなり、今日でも その人気は続いている。

クラシック・ファンなら、この映画は必見です。

【デンマン訳】




つまり。。。、上のドキュメンタリーを観たのでマーラーと妻を取り上げたのですか?



そういうことだよ。。。

それなのに、どうしてオイラがかいた記事を冒頭に書き出したのですか?

オマエは次のように書いていたのだよ!




 

ルネ・レイボヴィッツとその一派に較べれば

<凡庸な作曲家>グスタフ・マーラーでさえ、

遥かに創造的ではなかったか。





つまり、オイラがマーラーについて書いたことに対してデンマンさんはムカついたのですか?



別に、ムカついたというほど感情を害したわけじゃないけれど、上の記録映画を観れば、「1960年の生誕100周年を迎えてからの数年間で、マーラーの作品は、急速に認められ、すべての作曲家の中で最も演奏され、最も録音された作曲家のひとりとなり、今日でも その人気は続いている」ということが分かるのだよ。

要するに、オイラがマーラーを<凡庸な作曲家>と書いたのでデンマンさんはムカついたのですねぇ〜!?

いや。。。 僕はマーラーの熱烈なファンじゃないから、オマエがマーラーに対してどのような感想を持っていようが、どうでもいいのだよ。。。 でも、上の記録映画を観ると、「若い作曲家のアーロン・コープランドが、マーラーを30年先を行く作曲家であり、リヒャルト・シュトラウスよりもはるかに独創的だと喝破していた」と言うのだよ!

つまり、デンマンさんはマーラーは決して<凡庸な作曲家>じゃなく、むしろ30年先を行く独創的な作曲家だったと言いたいのですか?

上の記録映画を観ると、そういうことになるのだよ! 要するに、マーラーを<凡庸な作曲家>と書いたオマエこそ凡庸なのだよ!

結局、この事を言うために、わざわざマーラーを取り上げたのですか?

もちろん、それもあるけれど、それだけの事だったら、僕はマーラーと妻というタイトルにはしなかったよ。

つまり、デンマンさんはマーラーの妻に心が惹かれるのですねぇ〜。。。

いや、別にマーラーの奥さんが気に入ったわけじゃないのだよ!

じゃあ、いったいマーラーの奥さんがどうだと言うのですか?

もう一度マーラーの妻・アルマの写真を見て欲しい!

 


(mahler03.jpg)

 



けっこう美人ですねぇ〜。。。!



この写真に書いてある "Malevolent Muse (悪意のあるミューズ)" と言うのが意味深だよ。。。

「ミューズ」と言うのは、ギリシア神話で文芸を司る女神たちのことですよねぇ〜。。。

あれっ。。。 オマエ、よく知ってるねぇ〜。。。

その程度のことはクラシックを聴く者にとっては常識ですよ! 要するに、アルマは悪女の面も持ち合わせていたと言うことですねぇ〜。。。

当たらずとも遠からずと言うところだなァ〜。。。


アルマ・マーラー


(alma01.jpg)

1879年8月31日 – 1964年12月11日

 

アルマ・マリア・マーラー=ヴェルフェル(Alma Maria Mahler-Werfel)は、オーストリアの作曲家グスタフ・マーラーの妻。
結婚前の姓はシンドラー(Schindler)。
自身も作曲を行い、16の歌曲が今日に残されている。

華麗な男性遍歴で知られる。
ミューズにしてファム・ファタル


アルマは画家エミール・ヤーコプ・シンドラー(1842年 - 1892年)の娘としてウィーンに生まれる。
アルマが13歳のときに父が亡くなり、母は父の弟子のカール・モル(英語版)(1861年 - 1945年)と再婚する。
彼女は実父を愛した反面、養父は愛せなかったという。
裕福な中流の家で、母親は芸術家サロンの主宰者であった。

アルマは少女時代から絵画、文学、哲学、作曲に才能を発揮し、美貌で多くの男性芸術家をとりこにした。
世紀の変わり目に、当時新進気鋭の作曲家アレクサンダー・ツェムリンスキーに入門し、歌曲の作曲を開始する。

ツェムリンスキーはアルマに恋い焦がれていたというが、実際に恋愛関係にあったか否かは定かではない。
ツェムリンスキーより前には、グスタフ・クリムトとも深い仲にあったという。

1900年11月10日に、アルマはグスタフ・マーラーと知り合う。
アルマは当初、マーラーを嫌っていたという。
アルマはその時、多くの男性の信奉者らに囲まれており引く手あまたであった。

一方のマーラーには、女優との恋愛の噂やリハーサルでの不遜な態度という悪評が立っていた。
ところがアルマはマーラーからの求愛に応えて結婚を承諾する。
その際、アルマの一族や友人らからの反対は大きかった。

マーラーは田舎育ちでユダヤ人、しかも多額の借金を抱えており年齢差も大きかった。
またマーラー自身、アルマに献身的であることを求め、婚約時から彼女自身が作曲することを禁止するなど命令的な態度を取った。
婚約はしばらくの間、秘密にされた。

当初はウィーン楽壇の将来を担う芸術家を支えることに愛を見いだしたアルマだったが、マーラーの借金、育児、互いの交友関係が合わないことなどが彼女の心労の要因となる。
さらにアルマはマーラーの楽譜の清書を始め、夫の仕事を手伝う役を買って出るものの、彼女の献身的な態度をマーラーが常に尊重した訳ではなかったという。

夫婦の中が冷えきっていた折、アルマは建築家のヴァルター・グロピウスに出会い、求愛される。
彼女自身、グロピウスに惹かれていたという。

晩年のマーラーがアルマとの関係修復を望んでフロイトの診察を受けたというエピソードは有名である。
さらにマーラーは、アルマの関心を取り戻そうとして、彼女がかつてツェムリンスキーのもとで作曲した歌曲を、自らの契約先であるウニヴェルザール出版社に持ち込んだ。

1911年に未亡人となった後、画家のオスカー・ココシュカらとも関係を深めながらも(ココシュカの油彩画「風の花嫁」は、アルマとの性交渉を赤裸々に描いた作品として有名である)、グロピウスと再婚した。

 


(windbride.jpg)

 

グロピウスとの間にもうけた娘マノンは聡明で美少女だったが、虚弱で夭逝した。

マノンのことをことのほかかわいがったのが作曲家のアルバン・ベルクであり、ベルクはマノンの死後に『ある天使の追想に』の献辞を付したヴァイオリン協奏曲を作曲した。

ここで「天使」と呼ばれているのがマノンにほかならない。

 


(berg01.jpg)



 

ベルクはまだ生家が裕福だった思春期に使用人の女性に娘を身ごもらせた過去があり、その女性や娘と引き離された上、結婚相手の女性とは幸せな家庭をつくることができなかった(アルマは、晩年のベルクの不倫の恋をとりもち、後々までベルク未亡人の恨みを買っている)。

そのことからベルクは、マノンをわが子と重ね合わせていたとされる。

グロピウスとの関係が破綻した後、アルマは年少のフランツ・ヴェルフェルと再々婚した。
ヴェルフェルはイタリア・オペラ、とりわけヴェルディにしか興味がなく、同時代の音楽を大抵は罵倒しており、音楽的にアルマと共通する点がほとんどなかった。

アメリカ亡命後、とくにカリフォルニア時代のアルマは、自ら音楽サロンを主宰して、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、コルンゴルトなど、ヨーロッパからの多くの亡命作曲家が出入りを重ねた。
コルンゴルトがストラヴィンスキーの前でシェーンベルクのピアノ曲を暗譜で通して演奏してみせ、驚かせたというエピソードは、アルマのサロンにおいての出来事である。

 



 

ちなみに、マーラーとの間にもうけた2人の娘のうち、長女マリア・アンナは幼くしてこの世を去ったが、次女のアンナ・ユスティーネは後に彫刻家として活躍した。

彼女も母と同じく多彩な恋愛遍歴で知られ、生涯に5回結婚している。

2人目の夫は、アルマの指示でマーラーの交響曲第10番の補筆を行った作曲家エルンスト・クルシェネクである。
第二次世界大戦中、母親がアメリカ亡命を選んだのに対して、アンナ・ユスティーネはイギリス亡命を選んだ。

 






出典: 「アルマ・マーラー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、デンマンさんにとってグスタフ・マーラーはどうでもよくて、アルマ・マーラーがファム・ファタール(Femme fatale)-「男を破滅させる魔性の女」であることに、心惹かれるのですねぇ〜。。。

 


(femme01.jpg)



 



オマエは、「男を破滅させる魔性の女」が嫌いなのォ〜?



当たり前でしょう! オイラは8度結婚して7度離婚したエリザベス・テイラーのような女は嫌いです!

アルマの娘は母と同じく多彩な恋愛遍歴で知られ、生涯に5回結婚しているというけれど、やっぱり、娘は母親に似るようだねぇ〜。。。

その通りです。。。 オイラの妻は、二人の娘を立派に育てて、二人とも小児科の女医としてアメリカの総合病院で真面目に働いています。。。

オマエの奥さんは立派だよ。。。 でも、その奥さんとオマエが日本語が通じなくなってから数年が経っているのだよなァ〜。。。!?

デンマンさん! その話だけはここでしないでください!

分かったよ。。。 関心のある人は次の記事を読んでみてください。。。

 



(anabach2.jpg+anabach3.jpg)

『バッハと後妻』



(foolw.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたは、太田さんのようにファム・ファタール(Femme fatale)-「男を破滅させる魔性の女」が嫌いですか?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、もっと他に面白い話しをしろ!」

あなたは、私に、そのような口調で命令するのですか?

分かりましたわ。。。 それではソプラノ歌手の高島一恵さんの次の歌を聴いてしみじみと泣いてくださいねぇ〜。。。

 


(kazue01.jpg)



 

ええっ。。。 「歌は、もういいから、他にもっとも面白いことを話せ!」

あなたは、そのような命令口調で あたしに強制するのですか?

分かりましたわ。。。

これまで、太田さんはデンマンさんに さんざ馬鹿にされたので

そのお返しをしたのですわァ。

だから、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのです!


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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Posted by barclay1720 at 03:00Comments(0)

2019年06月26日

バッハと後妻


 

バッハと後妻

 


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デンマンさん。。。、どういうわけでバッハと後妻を持ち出してきたのですかァ〜?


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オマエはバッハと後妻が嫌いなのォ〜?

いや。。。 別に、オイラはバッハと後妻とは全く関係ないので、好きでも嫌いでもありませんが。。。

でも。。。、でも。。。、オマエはバッハの前妻と後妻について記事で書いていたのだよ。。。

デンマンさんは、よく覚えていますねぇ〜。。。

オマエと奥さんの夜の生活がうまくいってないという事を仄(ほの)めかしていたので僕には忘れることができない文章なのだよ。。。


1.1 クラウディオ・モンテヴェルディ

    (1567 – 1643)



(monte03.jpg)

 



 

これはどうしたことか。

どの時代の、どの作曲家の音楽を聴いても、私は、近頃 好意と嫌悪を同時に持つような反応をしている自分を感じるのだ。

クラウディオ・モンテヴェルディの<<アリアンナの嘆き>>を聴き始めたとき、そのLasciatemi morire(Let me die;死なせて)、のところで、何か間の抜けた、あるいは、虚ろな響きを聴いて、私は疲れているのか、と途惑った。


(monte04.jpg)



実は、morire(死ぬ)、と唱われる処に平行五度があったのである。
モンテヴェルディのことであるので、これは、彼が意識してのことである、と私は信じる。

つまり、これは、見捨てられたアリアンナの内面の空虚としての意味がある、いや、生半可な感情主義以上に効果があるとすら思えるのではあるが、私には、何か、かなわないなあ、といった印象を拭いきれない。
バッハも言ったように、やはり、平行五度や平行八度は聴き苦しいのであろう。
私は、無論、ここで、モンテヴェルディに苦情をいっているのではない。

この嘆きは、オペラのアリアとしては、超一級である、と私も思う。
こうした効果は、所謂絶対音楽では出番が無いであろう。

次なる問題は、私がオデュッセウスに捨てられたアリアンナに何処まで切実に同情しなければならないかにあろう。
それは、私には荷がかちすぎる。
東洋人の男性である私の心が動くなどというのは、もともと無理だったのではなかったか。

かといって、好奇心を満たすだけにしても、感覚的には耳障りという障害がある。
平衡五度に感動するわけにはいかないのでる。

しかし、彼女への同情が無ければ感動も無いであろう。
さらに言えば、これは、現代のヨーロッパ人にとっても、いや、バロック初期のイタリア人ですら、程度の差こそあれ同様なのではないか。
作品が立派である、という認識と、それが私(たち)に感動をもたらす可能性は、不幸にして乖離している。

このことは、一つの作品の水準は、好きとか嫌いとか、あるいは、その作品の有用性(草子地:つまり、感動を求めてそれを聴こうとする人にとっては、感動そのもの)とは別の平面にある、ということの例証にもなるであろう。

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、そもそも、いったい何であったのであろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、可能性について問われたとき(草子地:そういうことを聞く田舎者は世界のどこにでもいるものである。)、音楽は、世界の共通の言語であるからと、(草子地:当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
それにしても、ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。

かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、一般的に言って、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

とはいえ、短二度の導音などの無い音楽に、何か、或る懐かしさを感じるのは何故であろう。
平行五度の空虚を東洋人でも感知されるのと同様に、その懐かしさを感じとるのには西洋人であっても変りはないであろう。
音楽が世界共通の言語などではないとしても、双方がコミュニケーションが取れないほど異質なものを基礎にしているわけではない、といったとしたら、結論としては平凡すぎるのか。

それにしても、不思議なことではある。
私自身、長二度や増二度の導音のある音階による音楽など、何時、何処で、聴いたことがあったか、まったく記憶に無いからである。

少なくとも、今までに、長、短調の音楽を聴いた回数や時の長さは、旋法や五音音階のそれに較べては比較にならないほど多く、長かったはずである。
何故か、調性音楽には、そのような懐かしさは感じさせない風がある。

いつだったか、小澤征爾とカラヤンの指揮するモーリス・ラヴェルの<<ボレロ>>を聴き較べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言うtoo square(単純で直線的で堅苦しい演奏)であったが、カラヤンのそれは、フランス人でもないのに、何とも、セクシーで妖艶ですらあった。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

 


(ravel001.jpg)



    小澤征爾・指揮

モーリス・ラヴェル ≪ボレロ≫







    カラヤン・指揮

モーリス・ラヴェル ≪ボレロ≫


 

一方、まだピーター・ウンジャンが第一ヴァイオリンを奏いていたころの東京クオルテットがトロントに来たときのラヴェルの演奏は、未だかつて聴かれたことのない程の名演であった。
ただ、その時の解説者による、何故かピーター・ウンジャンだけに対するインタヴュでの質問で、最後に聞くが、ただひとりで日本人に交じって演奏するのをどのように感じているか、というのがあった。
想像力の欠如した、この程度の思考様式の人間もここでは多いのである。

ピーター・ウンジャンが如何に答えるかを期待していたのであろうか。
答えようが無いではないか。彼らの演奏以外には。
それ以外の、どうでもいいことを聴きたがるのは、下賎な野次馬根性であろう。

そういえば、バッハは、作品855のフーガに於いて、二箇所にわたって壮大に平行八度を用いている(草子地:第19-20小節と第38小節)。


(gould765.jpg)



これほどあからさまにやられると、良いも悪いもない。
ただ、ぎくりとして、あいた口が塞がらない、といった効果がある。
このフーガは、この曲集の中で、唯一の二声のフーガである故に、よけいにめだつ。

 



追記(コーダ):

 

私は、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。だいたい、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女の肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。

そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いに性的感情を持ったとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

 


(mariabach.jpg)

マリア & ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

 

バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが。
芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。




赤字はデンマンが強調)

6-7ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

『クラシック鑑賞 15』より
(2018年4月25日)




つまり。。。、つまり。。。、今日はオイラと妻の夜の生活を暴(あば)くために、バッハと後妻を持ち出してきたのですかァ〜?



そうじゃないよ! オマエの夜の生活など、ネット市民の皆様は誰も興味など持ってないよ!

それなのに、どういうわけでバッハと後妻を持ち出してきたのですかァ〜?

実は、最近、バンクーバー市立図書館で借りたDVDで次の映画を見たのだよ。。。

 


(lib90622a.png)


『拡大する』

『実際のページ』



(anabach1.jpg)






My Comment

June 20, 2019

Directed by Jean-Marie Straub and Daniele Huillet in 1967, this German docudrama depicts the lives and works of Johann Sebastian Bach and his second wife Anna Magdalen.

The film stars renowned harpsichordist Gustav Leonhardt as Johann Sebastian Bach and Christiane Lang as Anna Magdalena Bach, and focuses on the orchestral music performed by Concentus Musicus and conducted by Nikolaus Harnoncourt.

If you're crazy about Bach's music, this is a must-see; otherwise, forget it or else you fall into deep sleep.




1967年にジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレ夫婦によって制作されたこのドイツのドキュドラマは、ヨハン・セバスチャン・バッハと彼の後妻アンナ・マグダレンの生涯と作品を描いている。

バッハを演じるのは、有名なチェンバロ奏者のグスタフ・レオンハルト。

アンナ・マグダレンを演じるのはクリスティアーヌ・ラング。

映画の中の演奏はコンセンサス・ミュージックスによるもので、ニコラウス・ハーノンコートが指揮を担当した。

バッハの音楽にハマっているなら、この映画は必見です。

そうでないなら、見てもつまらないでしょう。 観ながら深い眠りに落ちるだけです。

【デンマン訳】




つまり。。。、つまり。。。、オイラの記事を読んで、バッハと後妻の夜の生活を覗くことができると思ってデンマンさんは上の映画を観たのですか?



僕のコメントをよく読めよ! バッハの音楽に関心がない人が見たら、全く面白くないので熟睡してしまうと書いてあるだろう!

要するに、デンマンさんも映画を見ながら熟睡してしまったのですか?

もし、映画を見ながら熟睡していたら、この記事を書く気にならなかったのだよ!

デンマンさんは、いったい何が言いたくてバッハの後妻を取り上げたのですか?

おそらく、この記事をここまで読んだネット市民の皆様はバッハと後妻に興味を持っているに違いない!

。。。で、デンマンさんが後妻について書くのですか?

すでにウィキペディアに書いてあるので、ここに書き写すことにするよ。。。


アンナ・マクダレーナ・バッハ

Anna Magdalena Bach


1701年9月22日 - 1760年2月22日または2月27日

 

アンナ・マクダレーナ・バッハは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの後妻で、ドイツの声楽家、作曲家。

ザクセン=ヴァイセンフェルス公の宮廷トランペット奏者、ヨハン・カスパール・ヴィルケの7人きょうだいの末子(姉5人、兄1人)としてツァイツに生れる。
母マルガレータ・エリーザベトは、オルガニストの娘であった。

1720年には、アンハルト=ケーテン侯レオポルトの宮廷ソプラノ歌手としてケーテンでは有名だった。
同地で1717年より宮廷楽長を務めるヨハン・ゼバスティアン・バッハと知り合いとなるが、ヴィルケ家とバッハ家は、音楽家同士として早くから交流があった可能性が高い。

1721年12月3日にバッハと結婚した。
バッハは前の年に先妻のマリア・バルバラを亡くしており、アンナと再婚した時には4人の子供を抱えていた。

バッハとの間に、1723年から1742年までおよそ20年にわたって13人の子をなしたが、そのうち7人は早世している。
生き延びた子のうち、作曲家として名をあげたのが、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハとヨハン・クリスティアン・バッハであった。

バッハとは16歳の年齢差があったが、共通する音楽への関心によって結ばれ(1730年にバッハが友人に送った手紙には「今の私の妻はなかなかよい澄んだソプラノを歌うゆえに」と綴っている)、幸せな家庭生活を送ったとされており、しばしばバッハの浄書稿や筆写譜の作成に協力した。
このためアンナの筆跡は、時を経るにつれて、次第に夫に似るようになったと言われている。

バッハの死後1750年には、成人した息子たちはそれぞれ独立しており(未成年のクリスチャンは裕福な次男カール・フィリップに引き取られた)、アンナは2人の未婚の娘と同居を続けた。
娘たちはアンナに尽くしたが、自立した息子たちから経済的に援助を受けていたという形跡は見られず、寡婦や未婚の女性たちと同じく、当時の慣習に従ってライプツィヒ市当局やライプツィヒ大学からの支援、臨時の寄付等により慎ましく余生を送ったようである。

 

アンナ・マクダレーナ・バッハの日記

アンナ・マグダレーナ・バッハの著とされていた『バッハの思い出』は、Esther Meynellが1925年に出版した "The Little Chronicle of Magdalena Bach" が原著である。
著者は偽書を意図したわけではなく、あくまで創作(フィクション)として発表している(1925年米ガーデンシティーで出版されたDoubleday, Page & Co.版には著者名が明記されており、巻末には「バッハの生涯をよく知る人が読めば本書のいくつかのエピソードが想像の産物であることがわかるだろう」と付記されている)。

事実関係については1925年時点でのバッハ研究の成果を反映しているが、現時点では誤りも散見される。
おそらく本書が独訳されてドイツで出版されたとき、著者名を伏せたところから錯誤が生じたと考えられる(Oxford Composer Companions J.S.Bachには、本書は1925年、ロンドンで匿名で出版されたという記述がある)。

ドイツ人にとっては、本書がフィクションであることは自明だったが、これを読んだ日本人が本当にアンナ・マグダレーナが著したものと誤解し、独語版から翻訳した。
現在でもまだ日本ではアンナ・マグダレーナが著したかのような体裁で出版されているので注意が必要である。

 

映画「アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記」

フランス出身の映画監督ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレが西ドイツとイタリアで共同製作した作品。
1967年発表。大作曲家の半生と日常を、妻の視点と声を交えてつづった映像作品として有名。

18世紀の生活習慣や演奏風景を再現するため、コレギウム・アウレウム合奏団のほか、ボブ・ファン・アスペレンやニコラウス・アーノンクール、アウグスト・ヴェンツィンガーなど、当時の古楽器演奏家や古楽演奏家が、当時の衣装を着けて出演した。
こんにちの古楽演奏の水準からすると、歴史考証の点で隔世の感があるのは否めない。

しかし、バッハを演ずるグスタフ・レオンハルトの威厳ある演技と演奏は、現在でも評価が高い。
タイトル・ロールはクリスティアーネ・ラングが演じている。

偽書『アンナ・マクダレーナ・バッハの日記』との混同を避けるために、日本語版のビデオやDVDでは上のような訳になっているが、原題(Chronik der Anna Magdalena Bach)に基づく「アンナ・マクダレーナ・バッハの日記」という呼び名も依然として定着している(近年の上映に際してもこの名称が用いられている)。




出典: 「アンナ・マクダレーナ・バッハ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




映画では18世紀の生活習慣や演奏風景が再現されていたのですか?



もちろん、僕は18世紀のドイツに行ったことがないから判らないけれど、映画を観ながら18世紀の生活習慣や演奏風景は、こうだったのだろうなァ〜!。。。と興味深く観たのだよ。。。 特に、バッハがパイプオルガンを演奏するシーンは、カメラが足元を写したのが印象的だったよ。。。 両手両足を使って演奏する様子が、実にダイナミックだったよ。。。

。。。で、何に感動したのですか?

とりわけ感動したようなことはなかったけれど、「バッハとの間に、1723年から1742年までおよそ20年にわたって13人の子をなしたが、そのうち7人は早世している」というのを読んで、この当時の女性は大変だったと思ったよ。。。

確かに、敬虔なカトリック教徒は産児制限してはならないですからねぇ〜。。。 仲のよい夫婦の間には、ボコボコ子供が生まれるわけですよ。。。

しかもだよ。。。 せっかく生んでも半分が、生後まもなく死んでしまうんだよ。。。 泣き言を言いたくなるわなあああァ〜。。。 ところで、オマエは奥さんと仲が悪かったので40年の結婚生活で娘が二人生まれただけだったよなァ〜。。。

仲が悪かったということを強調しないでください。。。

でも、オマエ自身が次のように書いていたのだよ。。。




私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。

長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。


私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。


(kierke02.jpg)

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。



しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。




【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家




56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)




家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる」と書いているので、相当仲が悪かったことが判るのだよ!



デンマンさんが、ここに書き出さなければ、ネット市民の皆様は分からないのですよ! なにもオイラの家庭内を暴露するようなことはやめてください!

上のエピソードはオマエが書いたのだよ!

でも。。。、でも。。。、何も、ここでバラさなくてもいいでしょう!?

いや。。。 バッハが前妻とも後妻とも仲が良かったということを知るためにも、オマエのエピソードは重要なのだよ。。。

。。。で、前妻は、どういう人だったのですか?

次のような女性だったのだよ。。。


マリア・バルバラ・バッハ

Maria Barbara Bach


1684年10月20日 - 1720年7月7日

 

マリア・バルバラ・バッハは、作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハの又従姉で先妻。
ハインリヒ・バッハの孫に当たり、父親はヨハン・ミヒャエル・バッハ。

マリアの生涯と2人の馴れ初めについては、ほとんど知られていないが、バッハがマリアとの結婚生活に満足していたことは分かっている。
7人の子をもうけながらも、そのうち4人は幼児のうちに亡くなった。

マリア自身は1720年7月に急逝しており、同時期に書かれたバッハの一連の無伴奏ヴァイオリン作品や《半音階的幻奏曲とフーガ》、いくつかのオルガン作品の激しい感情のほとばしりに、当時のバッハの落胆ぶりを指摘する向きもある。
マリアの死後から半年後、バッハはアンナ・マクダレーナ・ヴィルケと再婚、アンナはマリアの遺児たちを、わが子同様に育て上げた。

マリアの遺児は、作曲家となった2人の兄弟、ヴィルヘルム・フリーデマンとカール・フィリップ・エマヌエルのほかに、第1子で長女のカタリーナ・ドロテーアがいた。




出典: 「アンナ・マクダレーナ・バッハ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




バッハとは1707年に結婚したので、亡くなるまでの13年の間に7人の子を産んで、そのうち4人が幼児のうちに亡くなったというのだよ。。。 やっぱり、この当時の子供の半分が生まれてまもなく死んでしまうのだよ。。。



バッハがマリアとの結婚生活に満足していたことは分かっている」と書いてありますね。。。 やっぱり仲が良かったのですねぇ〜。。。

それにしても、後妻のアンナ・マクダレーナさんは、立派な人だったのだよ。。。 自分も音楽家だったのにもかかわらず、前妻の子供をイジメないでわが子同様に育て上げたというのだから。。。

やっぱり、音楽家には立派な人が多いのですよ。。。

オマエは、もしかして、自分も音楽家の一人だと言うつもりはないよなァ〜?

クラシックをこよなく愛して、これだけの記事を書いたのですよ。。。 オイラは、自分では音楽家の「端(はし)くれ」のつもりなのですが。。。

でも、オマエと奥さんは仲が悪いじゃないかァ〜!

本当は仲がいいのです。。。 家庭円満で。。。 だから、娘二人は健康で聡明な女性に育って、カナダの医学部を出て現在は二人とも、アメリカの総合病院で小児科医の女医として働いています。

それは、オマエがグウタラ亭主でも、奥さんの内助の功があったから、娘二人が立派な女医さんになったんだよ。。。

ところで、日本にバッハの子孫がお笑い芸人をやってるのを知ってますか?

ええっ。。。 冗談だろう!?

ちょっと次のクリップを観てください。。。

 


(timebomb.jpg)



 



日本のお笑いコンビ「タイムボム」のニコラス・ノートンという人物です。。。 米国出身で、ドイツ系の母親がバッハの子孫の一人であると主張しているのです。



マジかよう!? バッハが生きていたら、上のクリップをどんな表情を浮かべて見るのかなァ〜?

血のつながった子孫が一人でも生きていることを喜ぶだろうと思いますよ。。。

そうかもなァ〜。。。 あの当時のことだから、子供が成人になるまでに死んで、悪くすれば家系が絶えているかもしれないからなァ〜。。。

そうですよ。。。 アメリカの初代大統領のジョージ・ワシントンの直系の子孫は、現在、いないそうですから。。。



(foolw.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたは、お笑いコンビ「タイムボム」のニコラス・ノートンがバッハの子孫だと信じますか?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、もっと他に面白い話しをしろ!」

あなたは、私に、そのような口調で命令するのですか?

分かりましたわ。。。 それではソプラノ歌手の高島一恵さんの次の歌を聴いてしみじみと泣いてくださいねぇ〜。。。

 


(kazue01.jpg)



 

ええっ。。。 「歌は、もういいから、他にもっとも面白いことを話せ!」

あなたは、そのような命令口調で あたしに強制するのですか?

分かりましたわ。。。

これまで、太田さんはデンマンさんに さんざ馬鹿にされたので

そのお返しをしたのですわァ。

だから、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのです!


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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(byebye.gif)
  
Posted by barclay1720 at 03:00Comments(0)

2019年06月23日

春の祭典


 

春の祭典

 


(stravin01.jpg)


(straw01.jpg)


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(laugh16.gif)




(ohta03.png)

デンマンさん。。。、どういうわけで春の祭典を持ち出してきたのですか?


(kato3.gif)

オマエ、春の祭典を目にして、何か思い当たらない?

イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽ですよねぇ〜。。。

さすが、飯よりクラシックが好きなオマエだねぇ〜。。。 そうなのだよ。。。 今日は、その春の祭典について語り合おうと思うのだよ。。。

でも、どうしてですか?

実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのだよ。。。



(stravin01.jpg)

 

イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882−1971年)は、興行師ディアギレフが率いる「ロシア・バレエ団」のお抱え作曲家でした。
そのロシアという異国趣味にパリの聴衆は魅了されます。
バレエ『火の鳥』(1910年初演)、『ペトルーシュカ』(1911年初演)と成功が続き、『春の祭典』で次なる成功を狙うはずでした。

しかし、バレエが始まって数分後に、劇場の聴衆はそれまでおそらく聴いたこともない奇抜なリズムに度肝を抜かれることになります。
客席では、野次が飛び交い、観客同士が言い争いになるという混乱の中、ダンサーたちは踊り続けます。

というのも、『春の祭典』におけるバレエの題材は、古代ロシアの春に、豊饒を願って「処女のいけにえ」を大地に捧げるという物騒な筋書きです。

曲冒頭のファゴットの神秘的な旋律に対して嘲笑が起こり、客席にいたサン=サーンスなどは席を立ってしまいます。
ストラヴィンスキーは、舞台袖で振付師のニジンスキーをつかまえていなければなりませんでした。
彼は止まない観客の罵声に対して怒り狂っていたからです。


この歴史的な日を再現した、英国BBC制作のドラマを見つけました。
『春の祭典』初演に至るまでの経緯、そして初演の模様が描かれています。

 


(stravin02.jpg)




デンマン注:

 

上のクリップには日本語字幕はないけれど
1時間半のこのクリップは見るだけの価値がありますよ!
後半、僕は涙が出るほど笑い転げました!

バレエダンサーと交響楽団が真面目に最後まで演じた、
その狂気せまる演技には、見るものを感動させずにはおかない
≪何か!?≫があります!

それが独創性なのではないか?
ふと、そんな事を思い知らされました!(微笑)


 

(読み易くするために改行を加えています。
赤字はデンマンが強調のため
写真はデンマン・ライブラリーより)




167-168ページ 『クラシック音楽全史』
ビジネスに効く世界の教養
著者: 松田亜有子
2018年10月10日 第1刷発行
発行所: ダイヤモンド社




つまり、当時のパリの聴衆にとっては、余りにも奇抜でビックリするというよりも呆れ果ててブーイングが起こったということですねぇ〜。。。



そういうことなのだよ。。。

つまり、聴衆の感性を考えて曲を作らないとひどい目に遭うと言いたいのですか?

いや。。。 そもそも聴衆のことを考えても すべての人を満足させる曲なんて書けないよ。。。

要するに、作曲家は自分の信じるところを作品で表現すればよいというのが、デンマンさんの考え方ですか?

僕が作曲家だったら、そうするけど。。。

つまり、この事が言いたくて『春の祭典』を取り上げたのですか?

いや。。。 そればかりじゃないのだよ。。。 実は、オマエが『前奏曲集』の中でイーゴリ・ストラヴィンスキーのことを書いていたのだよ。。。 ちょっと読んでごらんよ!


11.1 Igor Strawinsky (1882-1971)

大きなガラス窓のむこうでは、雪がふっている。窓の手前、つまり部屋の中では音楽が響いている。この家の中には今、私を除いては、誰もいない。一週間に一度だけの、一人になれるとき、土曜日の午前中である。そして、雪はsempre pianoで静かに降りてくる。
不思議だ、と思った。雪のうごきが、あろうことか、鳴り響いている音楽にsynchronizeしているのだ。そんな筈はない、と思う。曲は、I. Stravinskyの≪火の鳥≫である。もちろん、この音楽はsempre pianoでは響いていない。またまた、眼が悪くなったのだろうか。そうではない、そのせいであったのならば、雪のうごき、静かにふりしきる雪が、少しの風にゆらいでいるのすら見えないはずである。
視覚が聴覚に同調しているのだと思う。偶然ではあるが、先入観なしに聴けば≪火の鳥≫だって冬の雪景色に、冬の雪景色だって≪火の鳥≫に調和するのである。この調和こそ、広い意味でのハーモニーではないだろうか。これを美しいという、と私の意識がそっとささやいた。音楽の律動に同期している雪片の動きだけが知覚されているのだ、と思った。
音楽は何ものをも表現しない。唯、時間に秩序を設定する、とは他ならぬStravinskyの言葉であった。その<時間に秩序を設定する>、が解らなかった。今も一寸分らない。ただ、私は、この様に言い換えたい。音楽は時間に秩序を設定する。故に、音楽は何ものかを表現する、と。その何ものかは、無論、必ずしも<火の鳥>或いはその物語ではないし、雪でもあり得ないことは、私も承知している。どちらをも表現する、ということはどちらをも一意的には表現できない、ということであり、逆に、どちらをも表現していない、ということは可能な全てを表現している、ということにならないか。音楽が<抽象芸術>と言われている所以はそのへんにある、と私は考えている。ことわるまでもないが、私はここで、<表現>という言葉を、<表現主義>の場合の<表現>、というような狭い意味では使ってはいない。もしかしたら、Stravinskyは(ドイツ)表現主義に対して、何かを言おうとしてたのかも知れないが。
ガラス窓は、巨大な砂時計であり、雪は、その純白な砂であった。一様に降る雪にはrythmeはない。その意味で、私は、sempre pianoといってみたのである。とすると、音楽と雪のsynchronizationも必要がなかったのかも知れない。ただ、<音楽が時間に秩序を設定>して雪がそれと対比、それを強調していた、或いはその逆だったのにすぎなかった、つまり、静かに降る雪は、謂わば座標に於ける時間軸であったのか、と思い直した。
音楽が、何ものかを表現するか否かの問題は実際的(生産的)ではない、とP. Boulezが言っていた。作曲家、演奏家の彼としては、当然の発言かもしれない。いや、私はやはり、L.v. Beethovenの≪Symphonie in F-dur≫(Op. 68)の初演時の、あの有名なごたごたが気になる。そもそも、<実際的>であろうがなかろうが、この問題は音楽美学の発生以来の問題であって、各々の時代の各々の様式の、更に各々の作曲家の、これが音楽だ、と提示された作品をありのままに受けとめよう、とする私にとっては、今なお問題であり続けている次第である。しかしながら、誰も偉い人は私に答えを与えてはくれなかった。だから、自分で考える楽しみが残されていた(いる)。
追記。音楽が、言葉やその他の束縛から逃れて自立する迄に長い年月がかかったように、絵画に於いてもその自立が果たされたのは、写真が発明された後ではなかったか。しかしながら、それ以前に於いても、写真的な意味での見える、音楽でいえば、聴える対象を、作品の中に再構成したいという欲求、しようとする意志は、創作者にあった、と私は推察する。

蛇足(コーダ):
私には、Strawinsky の≪Trois Movements de Petrouchka ≫の方がballet 音楽≪ Petrouchka ≫よりもoriginarityがあると思われる。Balletからも自立しているからである。
ところで、Stravinskyは、ほんとうに転向を重ねていたのであろうか。仮に、そうであったとしても、私は必然性のある転向は否定したくはない。まだ、考える楽しみが残されている。




49-50 ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書−作品 1の1』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




あのさァ〜、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やフランス語やラテン語が入り混じっている。。。



デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの極めて個人的な見解だと思うのだよ! むしろ独断と偏見だと言っていい。。。 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。


11.1 イーゴリ・ストラヴィンスキー

     (1882 - 1971)



(straw02.jpg)

 

大きなガラス窓のむこうでは、雪がふっている。
窓の手前、つまり部屋の中では音楽が響いている。
この家の中には今、私を除いては、誰もいない。

一週間に一度だけの、一人になれるとき、土曜日の午前中である。
そして、雪は常に静かに降りてくる。

 


(snow101.jpg)

 

不思議だ、と思った。
雪のうごきが、あろうことか、鳴り響いている音楽に同期しているのだ。
そんな筈はない、と思う。

曲は、ストラヴィンスキーの≪火の鳥≫である。

 



 

もちろん、この音楽は常に静かに弱くは響いていない。
またまた、眼が悪くなったのだろうか。
そうではない、そのせいであったのならば、雪のうごき、静かにふりしきる雪が、少しの風にゆらいでいるのすら見えないはずである。

視覚が聴覚に同調しているのだと思う。
偶然ではあるが、先入観なしに聴けば≪火の鳥≫だって冬の雪景色に、冬の雪景色だって≪火の鳥≫に調和するのである。

この調和こそ、広い意味でのハーモニーではないだろうか。
これを美しいという、と私の意識がそっとささやいた。
音楽の律動に同期している雪片の動きだけが知覚されているのだ、と思った。

音楽は何ものをも表現しない。
唯、時間に秩序を設定する、とは他ならぬストラヴィンスキーの言葉であった。
その<時間に秩序を設定する>、が解らなかった。
今も一寸分らない。

ただ、私は、この様に言い換えたい。
音楽は時間に秩序を設定する。
故に、音楽は何ものかを表現する、と。

その何ものかは、無論、必ずしも<火の鳥>或いはその物語ではないし、雪でもあり得ないことは、私も承知している。
どちらをも表現する、ということはどちらをも一意的には表現できない、ということであり、逆に、どちらをも表現していない、ということは可能な全てを表現している、ということにならないか。

音楽が<抽象芸術>と言われている所以はそのへんにある、と私は考えている。
ことわるまでもないが、私はここで、<表現>という言葉を、<表現主義>の場合の<表現>、というような狭い意味では使ってはいない。
もしかしたら、ストラヴィンスキーは(ドイツ)表現主義に対して、何かを言おうとしてたのかも知れないが。

ガラス窓は、巨大な砂時計であり、雪は、その純白な砂であった。
一様に降る雪にはリズムはない。
その意味で、私は、常に静かにといってみたのである。
とすると、音楽と雪の同期も必要がなかったのかも知れない。

ただ、<音楽が時間に秩序を設定>して雪がそれと対比、それを強調していた、或いはその逆だったのにすぎなかった、つまり、静かに降る雪は、謂わば座標に於ける時間軸であったのか、と思い直した。
音楽が、何ものかを表現するか否かの問題は実際的(生産的)ではない、とピエール・ブーレーズが言っていた。

作曲家、演奏家の彼としては、当然の発言かもしれない。
いや、私はやはり、ベートーヴェンの≪交響曲 第6番 ヘ長調 「田園」≫(作品68)の初演時の、あの有名なごたごたが気になる。

 



 

そもそも、<実際的>であろうがなかろうが、この問題は音楽美学の発生以来の問題であって、各々の時代の各々の様式の、更に各々の作曲家の、これが音楽だ、と提示された作品をありのままに受けとめよう、とする私にとっては、今なお問題であり続けている次第である。

しかしながら、誰も偉い人は私に答えを与えてはくれなかった。
だから、自分で考える楽しみが残されていた(いる)。

 

【追記】

音楽が、言葉やその他の束縛から逃れて自立する迄に長い年月がかかったように、絵画に於いてもその自立が果たされたのは、写真が発明された後ではなかったか。

しかしながら、それ以前に於いても、写真的な意味での見える、音楽でいえば、聴える対象を、作品の中に再構成したいという欲求、しようとする意志は、創作者にあった、と私は推察する。

 



蛇足 (コーダ):

 

私には、ストラヴィンスキー の≪ペトルーシュカからの3つの楽章≫の方がバレー音楽≪ペトルーシュカ≫よりも独創性があると思われる。

 



ペトルーシュカからの3つの楽章






バレー音楽:ペトルーシュカ

 

バレーからも自立しているからである。

ところで、ストラヴィンスキーは、ほんとうに転向を重ねていたのであろうか。
仮に、そうであったとしても、私は必然性のある転向は否定したくはない。
まだ、考える楽しみが残されている。




赤字はデンマンが強調)

49-50 ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書−作品 1の1』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




オマエはクラシックが飯より好きな割には、イーゴリ・ストラヴィンスキーの《春の祭典》を記事の中で取り上げてないのだよ!



《春の祭典》を記事の中で取り上げないと、まずいのでしょうか?

あのさァ〜、『クラシック音楽全史』を書いた松田亜有子さんも《春の祭典》を取り上げて書いているのだよ!

つまり、イーゴリ・ストラヴィンスキーのことを書いたら、《春の祭典》についても当然書かなければならない、とデンマンさんは信じているのですか?

あのさァ〜、僕は、何もそのことを日本国憲法の条文に書かないと駄目だと言っているわけじゃないのだよ!

じゃあ、どうして、あえてオイラに対して、そのようなムカつく事を言うのですか?

あのさァ〜、ノーベル文学賞がもらえると、しばしば騒がれている村上さんもストラヴィンスキーの『春の祭典』について書いているのだよ!

マジっすかあああァ〜。。。?

信じられないのなら次の小文を読んでごらんよ。。。


オリジナリティーについて

 

今現在15歳の少年がビートルズやビーチボーイズの音楽を

初めてラジオで耳にして「これ、すごいなあ」と感激したとしても、

その音楽を「前例のないもの」として劇的に体感することは、

事実的に不可能になるかもしれない。

 



   ビートルズ






  ビーチボーイズ

 

同じことはストラヴィンスキーの『春の祭典』についても言えます。

 



 

1913年にパリでこの曲が初演されたとき、そのあまりの斬新さに聴衆がついてこれず、会場は騒然として、えらい混乱が生じました。
その型破りな音楽に、みんな度肝を抜かれてしまったわけです。

しかし演奏回数を重ねるにつれて混乱はだんだん収まり、今ではコンサートの人気曲目になっています。
今僕らがその曲をコンサートで聴いても、「この音楽のいったいどこが、そんな騒動を引き起こすわけ?」と首をひねってしまうくらいです。


その音楽のオリジナリティーが初演時に一般聴衆に与えた影響は「たぶんこういうものであったのだろうな」と頭の中で想像するしかありません。

じゃあ、オリジナリティーというのは時がたつにつれて色褪せていくものか、という疑問が生じてくるわけですが、これはもうケース・バイ・ケースです。

オリジナリティーは多くの場合、許容と慣れによって、当初の衝撃力を失ってはいきますが、そのかわりにそれらの作品は(もしその内容が優れ、幸運に恵まれればということですが)「古典」へと格上げされていきます。

 (83-84ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
YouTubeはデンマンが貼り付けました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『職業としての小説家』
著者: 村上春樹
2015年9月17日 第1刷発行
発行所: 株式会社 スイッチ・パブリッシング




デンマンさんは村上春樹にハマッているのですかァ〜?



いや。。。 僕はハルキストじゃないのだよ!

それなのに、どういうわけで村上春樹の本を読んだのですか?

オマエも知っていると思うけれど、「現実主義者」と名乗る愚か者と僕はかれこれ3年にわたって コメントのやり取りをしながら交流しているのだよ。。。

 


(fool911.jpg)

『現実主義者 馬鹿の見本』

 



この上の馬鹿が村上春樹に代わって、今年の秋、ノーベル文学賞がもらえると言って、スキップして喜んでますよねぇ〜。。。


(smilerol.gif)


わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

やはり、仏のデンマンさんは

すばらしいです。。。

オイラが友達もなく、40ヅラさげて

結婚もできずに

狭い部屋に閉じこもっているにも拘らず

一生懸命に記事を書いて

第2の人生を踏み出して

オイラがまともな人間になるように

応援してくれるのです!

もしかすると、村上春樹に代わって

今年の秋にはノーベル文学賞がもらえるかも…

 


(gohou99.jpg)

 

オイラは偏差値30台のクソ大学を

卒業して以来、初めて

生きる喜びを感じています!

もうこうなったら、恥も外聞もなく

天にも舞い上がる気持ちで

スキップしたいと思います。


(smilejp.gif)

わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

ルンルンルン ランランラ〜♪〜ン

もう一つおまけに

ルンルンルン ランランラ〜♪〜ン

ああァ〜、うれしいなあああァ〜。。。


 



デンマンさん! いつまでも こういう馬鹿と付き合っている場合じゃないですよ。。。 



オマエは、反対するのォ〜?

日本には“馬鹿を相手にするな!”という格言があるのですよ。。。 だから、「現実主義者」と名乗っている馬鹿とは絶交した方がいいですよ!

オマエは絶交するのを趣味としているようだけれど、「生きる価値のないクズの廃人です」と自分で認めている この男は実に哀れなんだよ!

それで、この男が、村上春樹に成り代わって今年の秋、ノーベル文学賞をもらいに行くと言っているので、デンマンさんも村上春樹の本を読む気になったのですか?

そうだよ!

馬鹿バカしい! デンマンさん! いい加減にした方がいいですよ。。。 “朱に交われば赤くなる!”という格言もあるのですよ。。。 あのバカと付き合っていたら、デンマンさんもバカになるということですよ。。。

マジで。。。?

そんなことより、なぜ村上春樹の本を持ち出してきたのですか?

オマエの記事の中でも独創性に触れている。。。

それで、村上春樹が書いたオリジナリティーについてを引用したわけですかァ〜?

そうだよ。。。 オマエは不満なのォ〜?

不満ではありませんが、せっかく格調高い話題を取り上げたのに、「現実主義者」を持ち出したのは間違いですよ。。。

でもさァ〜、この男は「生きる価値のないクズの廃人であることをネットで広めたい」と言うのだよ!

それで、わざわざ その馬鹿をこの記事でも取り上げたのですかァ〜?

オマエは不満なのォ〜?

デンマンさん!。。。 貴方は“バカに交わってバカになっている!”のですよう。。。 今後、オイラを呼び出す時には、この愚か者のことは一切口にしないでくださいねぇ〜。。。

オマエがそう言うのであれば、これからは「現実主義者」と名乗る馬鹿を連れてこないようにするからねぇ〜。。。



(foolw.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたも、「現実主義者」と自称しているバカの顔を見るのは、もう飽き飽きしましたか?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、もっと他に面白い話しをしろ!」

あなたは、私に、そのような口調で命令するのですか?

分かりましたわ。。。 それではソプラノ歌手の高島一恵さんの次の歌を聴いてしみじみと泣いてくださいねぇ〜。。。

 


(kazue01.jpg)



 

ええっ。。。 「歌は、もういいから、他にもっとも面白いことを話せ!」

あなたは、そのような命令口調で あたしに強制するのですか?

分かりましたわ。。。

これまで、太田さんはデンマンさんに さんざ馬鹿にされたので

そのお返しをしたのですわァ。

だから、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのです!


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク



■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』

■ 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

■ 『ちょっと心にぐっと来る動物物語』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Godiva Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』


(satomi02.jpg)

■ 『知らずの自分史』

■ 『新渡戸稲造と太田将宏』

■ 『ショーペンハウエルと太田将宏』

■ 『ホーキング博士と太田将宏』

■ 『加藤清正と太田将宏』

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■ 『ノブレス・オブリージュと太田将宏』

■ 『世渡りの道と太田将宏』

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■ 『ネット恋愛と太田将宏』

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(hokusai08.jpg)

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■ 『女の性的飢餓感』

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2019年06月09日

グルーヴ


 

グルーヴ

 


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デンマンさん。。。 グルーヴ というのは、もしかして上の写真にある溝(みぞ)のことですか?


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そうです。。。 英語で groove と言えば、確かに溝(みぞ)という意味もあるのですよ。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



つまり、今日は溝のお話ですか?



ジュンコさんは、なんだかつまらなそうな目をして僕を見ていますねぇ〜。。。 僕だって、溝の話をするのは面白くないのですよ。。。 実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのです。。。



(groove03.jpg)

 

(給料は)どんなに忙しくても8万円。
だから、音楽の仕事は楽しかったけれど、不安でしたよ。
「僕は音楽で食べていくことができるんだろうか」と、いつも自問していました。

大学へ入り直して、教職課程を取って、音楽教師になることもまじめに考えたほどです。
この時期のことを僕は自分の「暗黒時代」と言っています。

その頃、よく聴いていたアルバムがあります。
アメリカのレーベル、ブルーノートに所属していたR&Bシンガー、マリーナ・ショウの『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ?』です。

 




Street Walking Woman
You, Me, & Ethel - Dialogue (M. Shaw & B. Olson)
Composer - Marlena Shaw
Arranger - Byron Olson
Piano - Michael Lang
Bass - Chuck Rainey
Drums - Harvey Mason
Guitar - David T. Walker
Fender Rhodes Piano - Larry Nash
Congas - King Erricson
Producer - Benard Ighner
Recording Engineer - Phil Shier (assisted by Michael Bronstein)


 

当時原宿にあった輸入盤専門店「メロディハウス」で勧められて、ものすごく衝撃を受けました。
僕の好きな音楽のフレーバーがすべてミックスされていたような気がしました。
忘れられない出会いです。

その日から、数年間は毎日、おおげさではなく、本当に盤がすり切れるほど、このレコードを聴き続けました。

『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ?』は、まず、ベーシストのチャック・レイニーとドラマーのハービー・メイスンが生むグルーヴがすさまじかった。
特に、ハービーの演奏から感じる筋肉の躍動感は、それまでに聴いたことのない音楽でした。

 

(読み易くするために改行を加えています。
赤字はデンマンが強調のため
写真はデンマン・ライブラリーより)




44-45ページ 『僕の音楽キャリア全部話します』
著者: 松任谷正隆
2016年10月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




なるほどォ〜。。。 確か、英語で groovy と言うと、「カッコいい」と言う意味ですよねぇ〜。。。



その通りです。。。 でもねぇ〜、残念ながら、僕の感性では、マリーナ・ショウの歌う『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ?』は、うるさいだけで「カッコいい」とは思えなかった!

 


(gog90605c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



音楽で使われる「グルーヴ」というのは、この「カッコいい」という意味の語源になったのですか?



そうだろうと思いますよ。。。 どう考えてみても、「溝 (groove)」という意味から、その形容詞形としての「groovy」が「カッコいい」とはならないものねぇ〜。。。


グルーヴ

&nbssp;


(groove04.jpg)

 

グルーヴ(groove)とは音楽用語のひとつ。形容詞はグルーヴィー(groovy)。

ある種の高揚感を指す言葉であるが、具体的な定義は決まっていない。

語源は(アナログ)レコード盤の音楽を記録した溝を指す言葉で、波、うねりの感じからジャズ、ファンク、ソウル、R&Bなどブラックミュージックの音楽・演奏に関する表現に転じた言葉である。
現在は、素晴らしい演奏を表す言葉の1つとして、ポピュラー音楽全般で用いられる。

グルーヴを構成する要素としてはリズムやテンポ、シンコペーション、アーティキュレーションなどが挙げられ、主にリズム体(ベース、ドラムス、パーカッションなど)を対象とした概念である(例:グルーヴィーなドラミング、など)。
「ノリ」(乗り)を表す言葉である。

 


(groove05.jpg)





 

ジャンルによって感じるグルーヴは様々で、グルーヴ感の会得は、演奏者にとって必要不可欠な要素のひとつである。

音楽理論でリズムの基礎を学ぶ際はまず、4/4拍子の場合は、一小節全てを占める音符を全音符と言い、その半分が二分音符、そのさらに半分が四分音符、といったように数学的に割り切れるものを拍子と考える。
多くのポピュラー音楽の4/4拍子の楽曲では、2拍目と4拍目にスネアドラムによってアクセントがおかれることが一般的だが、

例えばこの際、曲調や演奏時のノリによってスネアドラムの2、4拍目のアクセントが数学的なその位置よりも微かに前や後に置かれる事がある。
どの程度先走るか、遅らせるかは楽曲により、ジャンルにより、ミュージシャンにより、またその場の状況によって違ってくる。

遅れ方が大きいほど、ミュージシャンの間では「重い」などと表現する。
演奏家同士がアンサンブルを行う際は、お互いにこのズレを読み合ってバンドとしての「ノリ」を作り出すのである。

この2、4拍目のスネアの微妙な位置というのも、グルーヴと言う漠然とした概念の構成要素のごく一部に過ぎない。
打点のズレ、時間差だけでなく、等差でも、刻んだリズムのどこにアクセントを置くか、音の大小の違いでも、グルーヴは生まれる。
このように、数学だけでは割り切れないリズムの要素、リズムの感覚全体を指してグルーヴと呼ぶ。

日本におけるグルーヴの研究には、Kawase and Eguchi (2010)や河瀬他(2001)、河瀬他(2003)の例がある。
彼らの論文は、グルーヴの概念の総括と、グルーヴの定量的測定を、聴取実験と演奏実験を通して行っている。
以下の4点が彼らの研究の主な結果である。

1.用語としてのグルーヴは、2000年頃から広く使われ始めた。
2.日本におけるグルーヴの概念や語義を、アンケートや先行研究を元に探った。その結果、体の動きやテンポ、低音の強調、一体感などと関係していた。
3.音楽聴取の実験を通じて、グルーヴがどのような感覚と近いか調べた。その結果、関係が深かったのは「ノリ」や「一体感」、「心が弾む」「テンポが速い」「体でリズムを感じられる」などであった。
4.ドラム演奏の実験では、楽譜からの数ミリ秒程度のずれと特定のテンポによって、グルーヴが感じられるとされた。

なお、近年はグルーヴ研究が国際誌を中心に盛んに行われている。
最新の研究動向をふまえた先行研究は、グルーヴ感についての資料(論文)等に網羅されている。

 






出典: 「グルーヴ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




グルーヴ(groove)とは音楽用語としても使われるのだけれど、『ウィキペディア』にも書いてあるようにある種の高揚感を指す言葉であるが、具体的な定義は決まっていないのですよ。。。 つまり、音楽にハマっていたとしても、よく理解できないでいる人がほとんどだと思うのです。。。



デンマンさんは理解できているのですか?

感覚的に理解していますよ。。。

じゃあ、デンマンさんのグルーヴィーな音楽というのはどういうものですか?

次のようなノリのよいジャズです。。。 ジュンコさんも聴いてみてねぇ〜。。。

 


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【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたにもグルーヴィーな曲というのがありますか?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですか?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


(dog810.jpg)



 

ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ〜。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


(sunwind2.gif)


『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』


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『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』


(nopan05.png)

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』


(sylvie500.jpg)

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『エリュトゥラー海案内記』

『伊藤若冲 ランブータン』

『知的快楽』


(teacher9.jpg)

『シャフリ・ソフタ』

『閨房でのあしらい』

『漱石とグレン・グールド』

『女性の性欲@ラオス』

『美学de愛と性』

『女の本音』

『にほん村からの常連さん』

『日本初のヌードショー』

『可愛い孫』

『ネットで広まる』

『なぜブログを書くの?』

『アルゼンチンから』

『潮吹き』

『ヨッパライが帰ってきた』


(ken203h.jpg)

『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

『女性の性欲研究』

『頭のいい馬』

『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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(spacer.png+betty5de.gif)
(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


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ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

ためになる関連記事



平成の紫式部、橘卑弥子でござ〜ます
(himiko92.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

■ "JAGEL - Soft Japanese Bagel"


(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』




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2019年06月07日

カラヤンと高島一恵


 

カラヤンと高島一恵

 


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デンマンさん。。。、どういうわけでカラヤンと高島一恵を持ち出してきたのですか?


(kato3.gif)

つい最近 次の記事を書いたのだよ。。。

 


(moon112.jpg)

『月さえも』

 



この記事の中に次のようなフルトヴェングラーの言葉が出てくるのだよ。。。

 




(furt02.jpg) 

人は芸術作品に没頭しなくてはならない。

作品には独立した世界がある。

そのプロセスは愛と呼ばれ、評価や比較とは対極の行為です。

愛は比較できないもの独自性のあるものだけを大切にします。

没頭するたびに喚び起こされるこの愛によってこそ作品の全体を把握できるのです。

作品全体は愛以外の何物でもありません。

それぞれの部分は理性によって把握できますが、全体を理解するには愛が不可欠なのです。

---  フルトヴェングラー

(赤字はデンマンが強調)


 



でも。。。、でも。。。、上の記事の中にはカラヤンは出てきませんよ。。。



確かに、その通りだよ。。。 ただ、ネットでフルトヴェングラーのことを改めて調べていたら次のサイトに出くわしたというわけだよ。。。



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カラヤンとフルトヴェングラー (幻冬舎新書)

読者感想

ナチ政権下の指揮者たち 2007年4月29日

 

天才指揮者達の、音楽以外での政治的な活動についての興味深い本。

指揮者は演奏家である以前に音楽監督であり、優れたオーケストラを振るからこそ優れた指揮者とされるから、いきおいその活動は政治的にならざるをえない。

ナチスに対して常に嫌悪を顕わにし、ナチ政権下でもユダヤ人音楽家の支援を厭わなかったフルトヴェングラーが、その優柔不断な性格により、戦後はナチに協力した指揮者としてアメリカでの公演に支障をきたす。

一方で、ナチ党員なのにたまたまフルトヴェングラーに疎まれていたのでナチ政権下で干されていただけのカラヤンが戦後攻勢をかけていく過程と好対照を成す。

ただ、フルトヴェングラーが、なぜ、執拗にカラヤンの出世を阻もうとしたのか? カラヤンの才能への嫉妬か?

という大きな問題について、本書は直解答を示していない。

しかし、フルトヴェングラーがカラヤン排除のために何をしてきたのか、カラヤンはそれをどう受け止めてきたのか、そして最も重要な、なぜベルリン・フィルのフルトヴェングラーの後任はチェリビダッケではなくカラヤンだったのか、その歴史的な経緯は上手くまとめてある。

事実と意見を分けて丁寧に論じているが、仮説と著者の思いが時々溢れ出てくる文章には、少し慣れる必要があるものの、クラシックやベルリン・フィルのファンでなくとも、現代史に興味があれば充分楽しめる本である。




『カラヤンとフルトヴェングラー (幻冬舎新書) 紹介サイト』より




なるほどォ〜。。。 フルトヴェングラーとカラヤンはある意味でライバルだったのですねぇ〜。。。



“出る釘は打たれる”と言うけれど、カラヤンはフルトヴェングラーにとって、良くも悪くも“出る釘”に見えたのかもしれない。。。

しかし、高島一恵が出てこないじゃありませんか!

カラヤンを調べたら、次のように高島一恵が出てくるのだよ!



(karajan2.jpg)

ヘルベルト・フォン・カラヤン

Herbert von Karajan


1908年4月5日 - 1989年7月16日

 

オーストリアの指揮者。
1955年より1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務め、一時期それと同時にウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督などのクラシック音楽界の主要ポストを独占し、多大な影響力を持つに至った。
20世紀のクラシック音楽界において最も著名な人物のひとりであり、日本では「楽壇の帝王」と称されていた。
また、その独自の音楽性と自己演出は「カラヤン美学」と謳われ時代の寵児にもなった。

 

ライフスタイル

ジェット機を乗り継ぎ世界中を飛び回って活動するという、昨今のスター指揮者の活動様式を始めた最初の一人だった。
カラヤン以前には、指揮者は一つ処でオーケストラやオペラハウスの顔という役割をするのが普通であった。

また、自家用ジェット機を保有していて、自ら操縦し別荘などへ行っていた。
愛機はダッソー ファルコン 10。
晩年になり、80歳で期限が切れる飛行機免許の代替としてヘリコプターの免許を取得している。

無類の車好きでありスピード狂としても知られ、様々なスポーツカーや高性能車、高級車を所有し乗り継いでいた。
歴代の愛車はメルセデス・ベンツ・300SL、ポルシェ・RSKスパイダー、フェラーリ・275GTB、ロールス・ロイス・ファントムV、フォード・GT40、ランチア・ストラトス、ルノー・5ターボ、ポルシェ・911(ターボおよびカレラRS)、メルセデス・ベンツ・500SEL、アウディ・クワトロなど。
オースチン・A90・アトランティック(英語版)やミニ・クーパーMk2といった、より一般的な小型車も所有したことがあり、また、日本車(スバル・レオーネツーリングワゴン)を友人のスイス人医師にプレゼントしたこともある。

運転技術はF1ドライバーのニキ・ラウダ直伝。最晩年には赤いポルシェ・959に乗っていた。
エリエッテ夫人は納車された959を見て、「もっとレコードを録音してもらわなきゃね」とジョークを飛ばしていた(DVD「カラヤン・イン・ザルツブルク」にその時の様子が映像収録されている)。
カラヤンのスピード狂はスキーにも及び、直滑降の名手として山小屋の主人[誰?]から「アルプスで1番速いダンナ」と呼ばれていた。

生前は派手な生活で知られたが、自ら地元アニフ(Anif)の教会内に用意し死後に埋葬された墓地は極めて質素である。
死後、ザルツブルク市は遺族に対し豪華な墓地の提供を申し入れたが、エリエッテ夫人は故人の遺志を尊重しそれを断っている。

 

日本とカラヤン

日本との関係は古く、1954年の初来日以降、11回来日している。日本でのカラヤンの人気は高く、指揮者の代名詞としてクラシック・ファンのみならず一般大衆もその認知するところであった。
中でもカラヤンの「運命」と「未完成」をカップリングしたLPは、カラヤンの死去時点で、日本で約150万枚を売り上げた。

カラヤンは、東京・赤坂にある日本有数の音楽ホールであるサントリーホールの建設にも設計の段階から携わっている。
サントリーホール大ホールは、カラヤンとベルリン・フィルの本拠地であったベルリン・フィルハーモニーをモデルにしている(両ホールはヴィンヤード型と呼称されるタイプのコンサートホールである)。

サントリーホール建設時の業績を称えて、サントリーホール前(アーク森ビル)の広場が「カラヤン広場」と命名され、今日もその名を刻んでいる。
サントリーホールのオープニングを祝う来日公演は、病気でキャンセルを余儀なくされ、弟子である日本人指揮者小澤征爾に代役がゆだねられた。

 

エピソード

新しいもの好きで、録音技術や映像技術への関心は極めて高く、録音技術が進歩する度に得意のレパートリーを再録音した。
中でもベートーヴェン交響曲全集、ブラームス交響曲全集、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」などは、何度も再録音を繰り返した。
また、映像についても自らのレーベル「テレモンディアル」を設立し、自らの主要レパートリーの映像化を成し遂げた。

1959年、ベルリン・フィルに、東京芸術大学卒のヴィオラ奏者土屋邦雄を日本人初の団員として迎えた。土屋は2001年まで在籍した。

1983年に、日本人初のベルリン・フィルのコンサートマスターとして安永徹を選んだ。コンサートマスター試験の曲は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』などだった。
若手指揮者の育成にも積極的で、小澤征爾などを輩出した。

1975年頃、日本人のみならず東洋人として初のウィーン国立歌劇場の団員として採用された高島一恵は東洋人団員の前例が無いことから、団員やスタッフから酷いイジメや偏見に遭って悩んでいたが、当時、指揮者の世界最高権威であったカラヤンが高島を評価したことで、高島へのイジメや偏見がピタリと止んだ。
このことから、カラヤンは高島にとってイジメや偏見から救ってくれた恩人的な存在であるといえる。




出典: 「ヘルベルト・フォン・カラヤン」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




なるほどォ〜。。。カラヤンは高島にとってイジメや偏見から救ってくれた恩人的な存在なのですねぇ〜。。。 でも、高島一恵は、それほどイジメられたのですか?



日本でも、ウィーンでもイジメられたらしいよ。。。



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アンネット・カズエ・ストゥルナート

 

1938年生まれ。
兵庫県西宮市生まれの日本のオペラ歌手・声楽家。旧姓は高島。

 

人物

その容姿と氏名からハーフなどに間違われることが多いが、純粋な日本人であり、出生名は高島一恵
名前の「アンネット」は母が愛読していたロマン・ロランの小説『魅せられたる魂』の主人公の名前から採られており、母から「アンネット」または「アンネちゃん」の愛称で呼ばれていたことによる。
苗字の「ストゥルナート」は結婚に伴う「高島」からの改姓であり、本名である(現在は離婚)。
元夫との間に娘が2人居る。

 

少女時代

1938年、兵庫県西宮市に生まれる。
中華人民共和国・上海に移住し、幼少時代を過ごす。

1945年、終戦に伴い日本に帰国し、岡山県川上郡成羽町(現:岡山県高梁市成羽町地区)に転居、成羽町立吹屋小学校に入学。
吹屋小学校在学時、永らく海外住まいだったことで日本語が不得意なことと日本人離れした容姿によりイジメと偏見の対象となり、辛い学生時代を過ごす。
イジメなどによるストレスが原因でドモリが酷くなり、次第に誰とも口を利けなくなってしまうが、なぜか歌の発表会では堂々と唄うことができた。


高校生の時に母親が病死し、それがきっかけで一家離散となる。 母が亡くなる時に「歌をやりなさい」との遺言を遺したため、歌手を目指すことを決意。

東京に上京し、定時制高校に編入。
定時制高校に通う傍ら坂本博士に師事し、声楽を学んで自らの個性を作り上げていく。

定時制高校の卒業に際し、音楽大学を多数受験するも、特異な個性が仇となり「校風に合わない」と批評されて最終選考で全て不合格となる。

 

歌手活動開始

音大への進学を断念し、合唱団をベースとして歌手活動を開始。
『ママレモン』などのCMソングで才能が徐々に開花し、「彼女が歌うと商品が売れる」と評判になるも、音大を出ていないことが批判の対象となる。

音楽への想いとは裏腹に活動の場が狭まっていく現実に悲観し、大量の睡眠薬を服用して自殺未遂を起こしたこともあった。

 

ウィーンへの旅立ち

1969年、唄える場所を求めて日本脱出を決意、横浜港を出帆し、シベリアを経由してオーストリアのウィーンへ旅立つ。
ウィーンに着いた後、教えを乞う講師を探して電話帳を開き、最初に見つかった女性講師・ロッテ・バブシカに師事。

1970年、ロッテ・バブシカの指導が功を奏してウィーン国立音楽大学に合格。

1971年、ウィーン国立歌劇場の団員試験に合格。東洋人初の同劇場合格者となった。
経歴や学歴を問わない世界がこの世には在るのだと歓喜するも、前例のない東洋人の入団にはやはり偏見や差別が付きまとうこととなる。
団員やスタッフは一切相手にしてくれず、注文した食事が出てこない、衣装を渡してもらえない、といった、少女時代にも増してのイジメに耐えながらの生活を送る。

入団から4年後、突如として当時の世界最高権威の指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤンが評価してくれたことで、酷いイジメや差別・偏見がピタリと止んだ。

 

オペラ座の退団、舞台を日本に

2010年、6月6日の公演を最後にオペラ座を退団。嘗て居場所を見つけられなかった日本に活躍の場を移す。
オペラ座での最後の様子は「ハイビジョン特集 わたしのラストオペラ〜ウィーンの日本人歌手 最後の舞台〜」としてNHK-BSで放映される。
2013年、講習会活動『人体生理学と歌との関係』スタート。

現在は日本国内各地でコンサートの舞台に立ちながら後進の声楽指導に当たるなどの活動をしている。

 






出典: 「アンネット・一恵・ストゥルナート」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




なるほどォ〜。。。 ずいぶんとイジメられたのですねぇ〜。。。



日本でもイジメられ、海外でもイジメられ、それでも頑張ってカラヤンに認められたと言うわけだよ。。。

ところで、この話に、どういうわけでオイラを呼び出したのですか?

オマエも、カラヤンのことについて書いていたからだよ。。。

あれっ。。。 デンマンさんは覚えていてくれたのですか?

そうだよ。。。 次のように、きわめて読みにくい文章を書いていたからね。。。


1.1 Claudio Monteverdi (1567 – 1643)

これはどうしたことか。どの時代の、どの作曲家の音楽を聴いても、私は、近頃ambivalentな反応をしている自分を感じるのだ。
Claudio Monteverdiの<<Lamento d’ Ariana>>を聴き始めたとき、そのLasciatemi morire、のところで、何か間の抜けた、あるいは、虚ろな響きを聴いて、私は疲れているのか、と途惑った。実は、morire、と唱われる処に平行五度があったのである。Monteverdiのことであるので、これは、彼が意識してのことである、と私は信じる。つまり、これは、見捨てられたAriannaの内面の空虚としての意味がある、いや、生半可なsentimentalisme以上に効果があるとすら思えるのではあるが、私には、何か、かなわないなあ、といった印象を拭いきれない。J.S. Bachも言ったように、やはり、平行五度や平行八度は聴き苦しいのであろう。私は、無論、ここで、Monteverdiに苦情をいっているのではない。このlamentoは、オペラのAriaとしては、超一級である、と私も思う。こうした効果は、所謂絶対音楽では出番が無いであろう。
次なる問題は、私がTeseoに捨てられたAriannaに何処まで切実に同情しなければならないかにあろう。それは、私には荷がかちすぎる。東洋人の男性である私の心が動くなどというのは、もともと無理だったのではなかったか。かといって、好奇心を満たすだけにしても、感覚的には耳障りという障害がある。平衡五度に感動するわけにはいかないのでる。しかし、彼女への同情が無ければ感動も無いであろう。さらに言えば、これは、現代のヨーロッパ人にとっても、いや、baroque初期のイタリア人ですら、程度の差こそあれ同様なのではないか。
作品が立派である、という認識と、それが私(たち)に感動をもたらす可能性は、不幸にして乖離している。このことは、一つの作品の水準は、好きとか嫌いとか、あるいは、その作品の有用性(草子地:つまり、感動を求めてそれを聴こうとする人にとっては、感動そのもの)とは別の平面にある、ということの例証にもなるであろう。
音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。異なる時代にも亘る言語ですらなかった。それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、そもそも、いったい何であったのであろうか。
小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、可能性について問われたとき(草子地:そういうことを聞く田舎者は世界のどこにでもいるものである。)、音楽は、世界の共通の言語であるからと、(草子地:当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。
壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。それにしても、ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、一般的に言って、非現実的であり、できない相談である。バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。
とはいえ、短二度の導音などの無い音楽に、何か、或る懐かしさを感じるのは何故であろう。平行五度の空虚を東洋人でも感知されるのと同様に、その懐かしさを感じとるのには西洋人であっても変りはないであろう。音楽が世界共通の言語などではないとしても、双方がcommuniquerできないほど異質なものを基礎にしているわけではない、といったとしたら、結論としては平凡すぎるのか。
それにしても、不思議なことではある。私自身、長二度や増二度の導音のある音階による音楽など、何時、何処で、聴いたことがあったか、まったく記憶に無いからである。少なくとも、今までに、長、短調の音楽を聴いた回数や時の長さは、旋法や五音音階のそれに較べては比較にならないほど多く、長かったはずである。何故か、調性音楽には、そのような懐かしさは感じさせない風がある。
いつだったか、小澤征爾とH.v. Karajanの指揮するM. Ravelの<<Bolero>>を聴き較べたことがあった。小澤の演奏は、英語で言うtoo squareであったが、Karajanのそれは、フランス人でもないのに、何とも、sexyで妖艶ですらあった。やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。
一方、まだP. Oundjianが第一ヴァイオリンを奏いていたころの東京クオルテットがトロントに来たときのRavelの演奏は、未だかつて聴かれたことのない程の名演であった。ただ、その時の解説者による、何故かOundjianだけに対するインタヴュでの質問で、最後に聞くが、ただひとりで日本人に交じって演奏するのをどのように感じているか、というのがあった。想像力の欠如した、この程度のmentaliteの人間もここでは多いのである。Oundjianが如何に答えるかを期待していたのであろうか。答えようが無いではないか。彼らの演奏以外には。それ以外の、どうでもいいことを聴きたがるのは、下賎な野次馬根性であろう。
そういえば、J.S. Bachは、BWV 855のFugeに於いて、二箇所にわたって壮大に平行八度を用いている(草子地:第19-20小節と第38小節)。これほどあからさまにやられると、良いも悪いもない。ただ、ぎくりとして、あいた口が塞がらない、といった効果がある。このFugeは、この曲集の中で、唯一の二声のFugeである故に、よけいにめだつ。

蛇足(コーダ):
私は、何々至上主義、といったものが嫌いである。例えば、恋愛至上主義。だいたい、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女の肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualiteを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。J.S. Bachは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが。
芸術至上主義も同じ。人生は芸術を演出する時空ではない。

6-7ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




あのさァ〜、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やフランス語やラテン語が入り混じっている。。。



デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。


1.1 クラウディオ・モンテヴェルディ

    (1567 – 1643)



(monte03.jpg)

 

これはどうしたことか。
どの時代の、どの作曲家の音楽を聴いても、私は、近頃 好意と嫌悪を同時に持つような反応をしている自分を感じるのだ。

クラウディオ・モンテヴェルディの<<アリアンナの嘆き>>を聴き始めたとき、そのLasciatemi morire(Let me die;死なせて)、のところで、何か間の抜けた、あるいは、虚ろな響きを聴いて、私は疲れているのか、と途惑った。


(monte04.jpg)



実は、morire(死ぬ)、と唱われる処に平行五度があったのである。
モンテヴェルディのことであるので、これは、彼が意識してのことである、と私は信じる。

つまり、これは、見捨てられたアリアンナの内面の空虚としての意味がある、いや、生半可な感情主義以上に効果があるとすら思えるのではあるが、私には、何か、かなわないなあ、といった印象を拭いきれない。
バッハも言ったように、やはり、平行五度や平行八度は聴き苦しいのであろう。
私は、無論、ここで、モンテヴェルディに苦情をいっているのではない。

この嘆きは、オペラのアリアとしては、超一級である、と私も思う。
こうした効果は、所謂絶対音楽では出番が無いであろう。

次なる問題は、私がオデュッセウスに捨てられたアリアンナに何処まで切実に同情しなければならないかにあろう。
それは、私には荷がかちすぎる。
東洋人の男性である私の心が動くなどというのは、もともと無理だったのではなかったか。

かといって、好奇心を満たすだけにしても、感覚的には耳障りという障害がある。
平衡五度に感動するわけにはいかないのでる。

しかし、彼女への同情が無ければ感動も無いであろう。
さらに言えば、これは、現代のヨーロッパ人にとっても、いや、バロック初期のイタリア人ですら、程度の差こそあれ同様なのではないか。
作品が立派である、という認識と、それが私(たち)に感動をもたらす可能性は、不幸にして乖離している。

このことは、一つの作品の水準は、好きとか嫌いとか、あるいは、その作品の有用性(草子地:つまり、感動を求めてそれを聴こうとする人にとっては、感動そのもの)とは別の平面にある、ということの例証にもなるであろう。

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、そもそも、いったい何であったのであろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、可能性について問われたとき(草子地:そういうことを聞く田舎者は世界のどこにでもいるものである。)、音楽は、世界の共通の言語であるからと、(草子地:当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
それにしても、ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。

かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、一般的に言って、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

とはいえ、短二度の導音などの無い音楽に、何か、或る懐かしさを感じるのは何故であろう。
平行五度の空虚を東洋人でも感知されるのと同様に、その懐かしさを感じとるのには西洋人であっても変りはないであろう。
音楽が世界共通の言語などではないとしても、双方がコミュニケーションが取れないほど異質なものを基礎にしているわけではない、といったとしたら、結論としては平凡すぎるのか。

それにしても、不思議なことではある。
私自身、長二度や増二度の導音のある音階による音楽など、何時、何処で、聴いたことがあったか、まったく記憶に無いからである。

少なくとも、今までに、長、短調の音楽を聴いた回数や時の長さは、旋法や五音音階のそれに較べては比較にならないほど多く、長かったはずである。
何故か、調性音楽には、そのような懐かしさは感じさせない風がある。

いつだったか、小澤征爾とカラヤンの指揮するモーリス・ラヴェルの<<ボレロ>>を聴き較べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言うtoo square(単純で直線的で堅苦しい演奏)であったが、カラヤンのそれは、フランス人でもないのに、何とも、セクシーで妖艶ですらあった。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

 


(ravel001.jpg)



    小澤征爾・指揮

モーリス・ラヴェル ≪ボレロ≫







    カラヤン・指揮

モーリス・ラヴェル ≪ボレロ≫


 

一方、まだピーター・ウンジャンが第一ヴァイオリンを奏いていたころの東京クオルテットがトロントに来たときのラヴェルの演奏は、未だかつて聴かれたことのない程の名演であった。
ただ、その時の解説者による、何故かピーター・ウンジャンだけに対するインタヴュでの質問で、最後に聞くが、ただひとりで日本人に交じって演奏するのをどのように感じているか、というのがあった。
想像力の欠如した、この程度の思考様式の人間もここでは多いのである。

ピーター・ウンジャンが如何に答えるかを期待していたのであろうか。
答えようが無いではないか。彼らの演奏以外には。
それ以外の、どうでもいいことを聴きたがるのは、下賎な野次馬根性であろう。

そういえば、バッハは、BWV 855のフーガに於いて、二箇所にわたって壮大に平行八度を用いている(草子地:第19-20小節と第38小節)。


(gould765.jpg)



これほどあからさまにやられると、良いも悪いもない。
ただ、ぎくりとして、あいた口が塞がらない、といった効果がある。
このフーガは、この曲集の中で、唯一の二声のフーガである故に、よけいにめだつ。

 



追記(コーダ):

 

私は、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。だいたい、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女の肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。

そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いに性的感情を持ったとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

 


(mariabach.jpg)

マリア & ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

 

バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが。
芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。




赤字はデンマンが強調)

6-7ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

『クラシック鑑賞 15』より
(2018年4月25日)




あのさァ〜、オマエは長い間、生活を共にしていて、まだ互いに性的感情を持ったとしたならば、それは近親相姦に近くはないかと言ってるのだよ。。。



そのことを取り上げるために、わざわざ クラウディオ・モンテヴェルディ を持ち出してきたのですか?

そうだよ。。。 オマエは不満なのォ〜?

クラシックの話をしましょうよう! デンマンさんはクラシック鑑賞しようと言いながら、たいていオイラの個人的な事で、とやかく言って馬鹿にするのですよ。

僕は、オマエを馬鹿にした覚えはないのだよ! こうしてオマエとクラシックについて語り合うということが、そもそもオマエのクラシックの造詣(ぞうけい)の深さを僕が尊敬しているという証(あかし)なのだよ。。。

マジで。。。? ちょっと信じられないのですけれど。。。

信じろよ! “信じる者は救われる!”と昔の人は言ったじゃないかァ!

分かりました。。。 デンマンさんがそのように言うのであれば、信じたいと思います。。。 で、オイラが長い間、生活を共にしていて、まだ互いに性的感情を持ったとしたならば、それは近親相姦に近くはないかと言ったことに対して、デンマンさんは何か文句があるのですか?

あのさァ〜。。。 そのあとで、オマエはバッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困ったと書いているのだよ!

そうです。。。 オイラはバッハが、前妻、後妻と共に仲が良かったということが信じられないのですよ。。。

分かるよ。。。 バッハが、前妻、後妻と共に仲が良かったということが オマエには信じられない。。。 それは当然のことなのだよ。。。

どうして、デンマンさんは、そのように断定するのですか?

オマエは、かつて次のように書いていたからだよ!




私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。

長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。


私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。


(kierke02.jpg)

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。



しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。




【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家




56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)




デンマンさん! んもおおおォ〜。。。! 毎回、毎回、この文章を引用しないでくださいよゥ!



オマエがバッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困ったと書いたので、上の小文を引用したのだよ!

つまり、バッハは奥さんに対して長い間、生活を共にしていて、互いに性的感情を持っていた、とデンマンさんは言うのですか?

そのとおりだよう!

でも。。。、でも。。。、それは近親相姦に近くありませんか?

あのさァ〜、夫婦が長い間、生活を共にしていて、互いに性的感情を持っている、と言うことは、素晴らしいことじゃないかア!

そうでしょうか?

だって、そうだろう!? オマエは長い間、夫婦生活を共にしていて、互いに性的感情を失ってしまったから、「家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなってしまった」のだよ!

つまり、今日はこの事を言うために、わざわざクラウディオ・モンテヴェルディを取り上げたのですか?

その通りだよ。。。

オイラはデンマンさんにイジメられてるのですってばああああああああああああァ〜♪〜!



(foolw.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたも、高島一恵さんのイジメられ多い人生を読んで心が震えて、涙が止まらなくなるほど泣きましたか?

 


(girlcry5.gif)

 

ええっ。。。 「その程度の話では泣けませんわァ」 あなたは、そうおっしゃるのですか?

じゃあ、高島一恵さんの次の歌を聴いてしみじみと泣いてくださいねぇ〜。。。

 


(kazue01.jpg)



 

ええっ。。。 「歌は、もういいから、他にもっとも面白いことを話せ!」

あなたは、そのような命令口調で あたしに強制するのですか?

分かりましたわ。。。

これまで、太田さんはデンマンさんに さんざ馬鹿にされたので

そのお返しをしたのですわァ。

だから、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのです!


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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2019年05月25日

Quartet

 

Quartet

 


(wed03.jpg)


(quartet7.jpg)






(diane02.gif)

Kato, did you attend your friend's wedding recently, huh?


(kato3.gif)

No, I didn't... Why do you ask me such a question?

Well..., it's obvious that you've pasted a clip of Johann Pachelbel's 《Canon in D Major》, which has been used frequently in weddings these days.

I see... Diane, you're quite knowledgeable about today's wedding fad, eh?

It's commen sense, isn't it?

Oh...? I didn't know that.

Then how come you pasted the above photo of the wedding string quartet?

Well..., I've recently watched the following movie:

 


(quartet1.jpg)




(lib90522a.png)


"Enlarge it!"

"Actual Page"





My Comment

 

Directed by Dustin Hoffman in 2011 based on the play Quartet by Ronald Harwood, this British drama depicts the lives at Beecham House---a retirement home for former professional musicians, patterned after the real-life Casa di Riposo per Musicisti founded by Giuseppe Verdi.

 


(quartet8.jpg)

 

Although the cultured Englishfolk live peacefully in a beautifully maintained residence for retired musicians, the film lacks a real drama with turns and twists.

The story appears predictable and lack-lustre.



 


Quartet

 


(quartet2.jpg)

 

PLOT

 

The drama takes place in Beecham House, where live Reg, Wilf and Cissy who often worked together in the past.

Among other residents are Cedric Livingstone, a former director, and diva Anne Langley.

All the guests in the retirement home continue to be engaged in their former professions in one way or the other, including lecturing and initiating young people to music.

Finances threaten closure of the home, but proceeds from a yearly gala concert on Verdi's birthday hold hope for a continuation of the place.

However, Cedric has become rather desperate because some of the most prominent singers have either died or decided not to participate at all.

Reg, Wilf and Cissy were in the cast of a very highly rated recording of the opera Rigoletto, which includes a famous quartet for soprano, mezzo-soprano, tenor and baritone ("Bella figlia dell'amore").

This version is very prominent among opera buffs as "the Rigoletto" of the post-war era.

One day, Reg is shocked to find his former wife Jean Horton, the missing soprano of the Rigoletto recording, turning up to live at Beecham House.

Reg is angry not to have been warned as their parting was on very sour terms.

At first, Jean tries unsuccessfully to mend things with Reg.

In the ensuing conversations her infidelity arises, as well as her past marriages, but Reg comes to understand that all that is past.

In the meantime, Wilf and Cissy convince Cedric that bringing together those who sang the quartet on the famous recording to sing it again for the Verdi Gala concert will sell enough tickets to save the home.

Enchanted with the idea, they persuade Reg to overcome his objections to performing with Jean again.

However, she is harder to persuade as she vowed never to sing again after retiring.

Cissy takes Jean flowers from the garden to cheer her up, and asks if she wishes to discuss the quartet, but Jean becomes violent and attacks Cissy, which only aggravates Cissy's already delicate senile condition.

Jean apologises and is finally persuaded to sing in the quartet from Rigoletto, after learning that Anne Langley will be singing "Vissi d'arte" from Tosca.

The group prepares for their performance and, moments before their curtain call, Cissy gets very confused and attempts to walk out the door, saying that she has to go back to her family, but Jean manages to salvage the situation.

During her conversation with Cissy, Jean expresses regret for all her past bad behaviour towards Reg and admits that she is still in love with him.

Reg overhears this.

Just as the recital is about to start, the director of the home is amazed at the energy displayed by the guests of the home.

The idea of rehearsing and playing before an audience brings life back to them, leading her to the conclusion that old age and art go together.




SOURCE: "Quartet (2012 film)"
From Wikipedia, the free encyclopedia




I see... So, you viewed the above movie on May 14, didn't you?



Yes, I did... and I jotted down the above comment.

Kato, you wrote down, "The film lacks a real drama with turns and twists. The story appears predictable and lack-lustre."

Yes, I did... Is there anything wrong with my impression?

Well..., I see some romance among the residents... Don't you think that's good enough for the elder folks?

I don't think so... I wanna see more excitement and surprise in the movie.

Like what?

You know... The above movie was directed by Dustin Hoffman, who got an inspiration viewing the following documentary:

 


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"Enlarge it!"

"Actual Page"


 


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My Comment

 

Directed by Daniel Schmid in 1984, this 87-minute Italian documentary depicts the lives at the Casa di Riposo per Musicisti of Milan, the world's first nursing home for retired opera singers, founded by composer Giuseppe Verdi in 1896.

 


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Dustin Hoffman cited this film as a direct inspiration for his 2012 film "Quartet".

If you're a music lover in general and an opera fan in particular, this is a must-see.





So, Kato, you're saying that the documentary appears much better than Hoffman's movie, huh?



Yes, that's quite right... You see, all the people in the documentary are real people, I mean, the retired opera singers and musicians who sing arias and play the music marvellously---even after their retirement... I was thrilled and fascinated---this excitement and fascination, which I couldn't get from the Hoffman movie, seems like a rare godsend.

Kato, you're exaggerating!

Oh, am I?

So, you've just brought up the above title---just to tell me about your excitement and fascination, huh?

Well..., there's more to it.

What else are you talking about?

The Casa di Riposo per Musicisti of Milan is the world's first nursing home for retired opera singers, founded by composer Giuseppe Verdi in 1896... Diane, do you know him?

I have never met him, but I know that he composed the world famous opera 《Aida》...



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Set in the Old Kingdom of Egypt, it was commissioned by Cairo's Khedivial Opera House and had its premiere there on 24 December 1871, in a performance conducted by Giovanni Bottesini.

Today the work holds a central place in the operatic canon, receiving performances every year around the world.

At New York's Metropolitan Opera alone, Aida has been sung more than 1,100 times since 1886.

Ghislanzoni's scheme follows a scenario often attributed to the French Egyptologist Auguste Mariette, but Verdi biographer Mary Jane Phillips-Matz argues that the source is actually Temistocle Solera.

 

Setting

The libretto does not specify a precise time period, so it is difficult to place the opera more specifically than the Old Kingdom.

For the first production, Mariette went to great efforts to make the sets and costumes authentic.

Given the consistent artistic styles throughout the 3000-year history of ancient Egypt, a given production does not particularly need to choose a specific time period within the larger frame of ancient Egyptian history.

 

Backstory

The Egyptians have captured and enslaved Aida, an Ethiopian princess.

An Egyptian military commander, Radames, struggles to choose between his love for her and his loyalty to the King of Egypt.

To complicate the story further, the King's daughter Amneris is in love with Radames, although he does not return her feelings.




SOURCE: "Aida"
From Wikipedia, the free encyclopedia




So, Diane, you love his opera, eh?



Yes, I do.

Do you know, Diane, Giuseppe Verdi was an intensely private person?

Oh..., in what way?


Giuseppe Verdi

 


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10 October 1813 – 27 January 1901

 

He was born near Busseto to a provincial family of moderate means, and developed a musical education with the help of a local patron.
Verdi came to dominate the Italian opera scene after the era of Vincenzo Bellini, Gaetano Donizetti, and Gioachino Rossini, whose works significantly influenced him.

By his 30s, he had become one of the pre-eminent opera composers in history.

In his early operas, Verdi demonstrated a sympathy with the Risorgimento movement which sought the unification of Italy.
He also participated briefly as an elected politician.

 

Personality

Not all of Verdi's personal qualities were amiable.

John Rosselli concluded after writing his biography that "I do not very much like the man Verdi, in particular the autocratic rentier-cum-estate owner, part-time composer, and seemingly full-time grumbler and reactionary critic of the later years", yet admits that like other writers, he must "admire him, warts and all...a deep integrity runs beneath his life, and can be felt even when he is being unreasonable or wrong."

Budden suggests that "With Verdi...the man and the artist on many ways developed side by side." Ungainly and awkward in society in his early years,
"as he became a man of property and underwent the civilizing influence of Giuseppina,...[he] acquired assurance and authority."

He also learnt to keep himself to himself, never discussing his private life and maintaining when it suited his convenience legends about his supposed 'peasant' origins, his materialism and his indifference to criticism.

Mendelsohn describes the composer as "an intensely private man who deeply resented efforts to inquire into his personal affairs.

He regarded journalists and would-be biographers, as well as his neighbors in Busseto and the operatic public at large, as an intrusive lot, against whose prying attentions he needed constantly to defend himself."

Verdi was similarly never explicit about his religious beliefs.
Anti-clerical by nature in his early years, he nonetheless built a chapel at Sant'Agata, but is rarely recorded as going to church.

Strepponi wrote in 1871 "I won't say [Verdi] is an atheist, but he is not much of a believer."

 

Verdi today

The music of Verdi can still evoke a range of cultural and political resonances.

Excerpts from the Requiem were featured at the funeral of Diana, Princess of Wales in 1997.

 


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SOURCE: "Giuseppe Verdi"
From Wikipedia, the free encyclopedia




I see... Not all of Verdi's personal qualities were amiable. Verdi is NOT an atheist, but he is not much of a believer... Yet he founded the world's first nursing home for retired opera singers... Why is that?



Well..., it says that a deep integrity runs beneath his life, and can be felt even when he is being unreasonable or wrong. His generosity and benevolence has something to do with his deep integrity, I suppose.

I see... So his deep integrity made him found the world's first nursing home for retired opera singers, huh?

Yes, it did, I suppose.



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【Himiko's Monologue】


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Do you think that Giuseppe Verdi was actually a generous pesron with goodwill?

What? You don't really care about it, do you?

"Tell me another interesting story!"

If you say so, I'll show you the following clip:

Here's a clip for a certain woman to use for making love.

 


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How do you like the above music?

Are you tired of sexy music?

Well... here's a mood-changing tune just for you.

Gess what?... You can now laught to the last tears.

 


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  Mr. Mathane



 

In any road, I expect Kato will write another interesting article soon.

So please come back to see me.

Have a nice day!

Bye bye ...


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If you've got some time,

Please read one of the following artciles:





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"JAGEL"

"JAGEL Again"

"Say NO!"

Happy Gal in Canada

Roof of Vancouver

Aftershock

Whiplash

Sex Appeal

Better Off Without Senate

Fire Festival

Sweets@Paris

Scary Quake

MH370 Mystery

Putin's Way

Trump @ Vancouver

Otter & Trump


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Changeling

Fiddler on the Roof

Flesh and Bone

Maiden's Prayer

Romeo & Juliet

Trump @ Joke

Halloween in Shibuya

Trump Shock

Happy New Year!


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Life or Death

Way to Millionaire

Adele Hugo

Middle Sexes

Romance@Madison

Hacksaw Ridge

Eight the Dog

Halloween@Shibuya

Chef Babette


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Ramen Boom

from Korea

Omakase@Sushi

Crocodile Meat

Killer Floods

Climate of Doubt

Glory of Death

Big Mystery

Hitler and Trump

Hot October

2018 BC Ballot

Bach Collegium Japan

Dolly the Sheep

Golden Shower

Cleopatra

Strange Love



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Hi, I'm June Adams.

Kato is a real movie lover, who tries to watch 1001 movies.

As a matter of fact, he has already accomplished his goal.


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『Actual List』


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Kato watched "The Arabian Nights" or "One Thousand and One Nights" as his 1001th movie.

You might just as well want to view it.


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The stories in "the Arabian Nights" were collected over many centuries by various authors, translators, and scholars across West, Central, and South Asia and North Africa.

The tales themselves trace their roots back to ancient and medieval Arabic, Persian, Indian, Egyptian and Mesopotamian folklore and literature.

In particular, many tales were originally folk stories from the Caliphate era, while others, especially the frame story, are most probably drawn from the Pahlavi Persian work Hazār Afsān which in turn relied partly on Indian elements.

What is common throughout all the editions of the Nights is the initial frame story of the ruler Shahryār and his wife Scheherazade and the framing device incorporated throughout the tales themselves.

The stories proceed from this original tale.

Some are framed within other tales, while others begin and end of their own accord.

Some editions contain only a few hundred nights, while others include 1,001 or more.


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ところで、愛とロマンに満ちた

レンゲさんのお話をまとめて

『レンゲ物語』を作りました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

『愛とロマンのレンゲ物語』


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『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



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Posted by barclay1720 at 03:00Comments(0)

2019年05月15日

92歳のピアニスト


 

92歳のピアニスト

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで92歳のピアニストにオイラを呼び出したのですかァ〜?


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オマエは不満なのォ〜?

オイラはまだ90歳になってませんよ!

でも、オマエは80歳を過ぎたのだろう?

確かに80歳に突入しましたけれど、92歳のピアニストと言われるには、まだ だいぶ先がありますよ。。。 うへへへへへへへ。。。

オマエは、何か勘違いしているのじゃないのォ〜? オマエはちょっとばかり自意識過剰だよ。。。 僕はオマエのことを92歳のピアニストと言ってるわけじゃないのだよ!

じゃあ、誰のことですか?

知りたい。。。?

当たり前でしょう! ここまで読んできたネット市民の皆様も知りたいと思いますよ。。。

実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのだよ。。。。



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音楽とは音で書かれた詩であり、小説であり、戯曲です。
物語のない演奏には感動がありません。


音はただの記号ではない。
音はものをいっている。

私にピアノを教えてくれた先生が、最初にそのことを一言でもいってくれたなら、私はもっと早くに音楽を理解できたと思います。
そのことに気がついたのは遅まきながら35歳でヨーロッパに渡ってから。
随分と遠回りをしました。

『モーツァルト生誕200年記念祭』に行ったとき、私はカール・ベーム率いるウィーン・フィルハーモ二ーが奏でるモーツァルトの『交響曲40番ト短調』を聴きました。

 


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第1楽章の聞き慣れたメロディー。
なのに、そのときそれが何か言葉で語りかけてくるように聞こえたのです。

「先生、モーツァルトの音楽って、どういう音楽ですか」と聞かずにはいられなかったほど私を悩ませたモーツァルトが、私に語りかけている。

心が震えて、涙が止まらなくなりました。


 


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探していたものはここにある。

やはり本場に来てよかった。

以後、私はドイツでロロフ教授の指導を受けながら、「ものをいう音、語りかける音楽」というものを探っていくことになりました。

そして、やっと自分なりに「音楽とは音で書かれた詩であり、小説であり、戯曲である。 そして、音楽にも文法がある」ということに気づいたのです。

 (118-119ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『わがままだって、いいじゃない』
92歳のピアニスト「今日」を生きる
著者: 室井麻耶子
2013年4月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社 小学館




なるほどォ〜。。。 室井麻耶子さんはカール・ベーム率いるウィーン・フィルハーモ二ーが奏でるモーツァルトの『交響曲40番ト短調』を聴いて心が震えて、涙が止まらなくなってしまったのですねぇ〜。。。



そうだよ。。。 第1楽章の聞き慣れたメロディーが室井さんに 何か言葉で語りかけてくるように聞こえたのだよ。。。

すごいですねぇ〜。。。

すごいですねぇ〜、と他人事のように言ってる場合じゃないだろう!

オイラが何かデンマンさんの気に障るようなことを言いましたかァ〜?

オマエは、室井さんの感想を聞いて、モーツァルトのことで他に言いたい事があるだろう?

ありません!

そんな事はないだろう!? オマエは、モーツァルトのことになると、けっこう拘(こだわ)りがあるよなァ〜?

どうして、そのような事をデンマンさんは言うのですかァ〜?

あれっ。。。 オマエは、もう忘れてしまったのォ〜?

何をですかァ〜?

オマエ、もしかして認知症の初期状態じゃないのォ〜?

デンマンさん! 言っていい事と悪い事がありますよう! オイラは80歳になったとはいえ、認知症などというアホらしい症状には なっていません!

だったら、かつてオマエはモーツァルトのことで記事を書いていたことを思い出すはずじゃないかア!

オイラがモーツァルトのことで記事を書いていたのですか?

ホラ、ホラ、ホラァ〜♪〜。。。 オマエは忘れているのだよう。。。 ここに書き出すから、もう一度じっくりと読んでごらんよ。。。


4.2 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト


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モーツァルト には、全てがある、と言った人がいた。
この風な言い方はずるいと思う。
何故か。
全てはないのではないか、とおずおずと反論を試みたところで、お前にはモーツァルト が解っていない、等との託宣が下されるのがおちであるからか。
いやそれだけではない。

モーツァルトに無いものは何んだろう、と考え始めた途端に、ああ、そういうネガティブな詮索は心無い、と自己規制させるからでもある。
考える自由を<天才モーツァルト>を暈にきて奪ってるからである。

いや冗談では無い。
何事によらず、否定的な命題を証明するという事には、心情的な困難を伴うものである。
答えは、突然にむこうの方からやって来た。

モーツァルトに無いものは、言ってみれば、こういうことを言ったらひとから嫌がられるだろうけれど、言わなければならないことは敢えて言う、とでもいった態度である。
それは、モーツァルト 自身の証言にもあった。

ここがベートーヴェンともアルノルト・シェーンベルク とも決定的に違う。


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更に不思議なことには、今まで私の出逢った<モーツァルト 愛好家>とか<モーツァルティアン>とか称する人々には、他の作曲家の音楽を受けつけない人が多い。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト自身、加えて彼の作品を演奏する演奏家の多くも、そんなには狭量ではないにも拘らずに、である。
むしろ<モーツァルト 専門家>だとか<モーツァルト弾き>などと呼ばれる事を、心外に思っていない演奏家を探す方が難しいくらいである。

<モーツァルト 愛好家>は逆である。
よい例がアンリ・ゲオンである。
ある文章に行き当たる迄、私は彼に非常に好感を持っていた。

この人は、他のモーツァルティアンとは違って、モーツァルト には良きものを見ようとして、他には悪しきもの―― モーツァルトにしか無いもの以外は先験的に悪いものを見ようとする態度、つまり、偏見が無いとおもっていた。
その文章とは、ああ、あのバッハ でさえ無限旋律の傾向から逃れられなかった、という非常に狡猾な言い方である。
英語には<silly> という、こうした場合に適当な表現がある。

理由。その一: 敵は本能寺。
彼の言いたい事は、リヒャルト・ワーグナー に対してである事は明白であろう。
さもなくば、無限旋律は無条件に悪いとした様な書き方はしなかったであろう。

彼がバッハについて何の例をも出さなかったのは意図的だと思うが、ここではそれは問わない。
彼に、むしろ、こちらから自由に例をだせる条件を与えられたことに感謝したいくらいである。

バッハ の<<ヨハネ受難曲>>でも<<マタイ受難曲>>でも、終曲(厳密に言えば、<<ヨハネ受難曲>>では、最後の合唱の手前の曲)その他の箇所で無限旋律的なページが出てくる事は、私でも知っている。
しかしながらそれらも、しかるべき処に始まり、しかるべき時に必然的に終わっている。

一方、モーツァルト の<<ヴァイオリン協奏曲 イ長調>>(Nr.1, K.207)でも<<ヴァイオリン協奏曲 ニ長調>>(Nr.2, K.211)でもいい、それらの第二楽章、一体あれはなんだ。



ヴァイオリン協奏曲 イ長調

 Nr.1, K.207 - Adagio




ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

 Nr.2, K.211 - Andante


 

それらこそ無限旋律以外の何ものでもないじゃあないか。
無限旋律の例としては、ワーグナー よりもモーツァルトを引き合いに出しても、見当違いにはならない程ではないか。

しかしながら<モーツァルト 愛好家>は、そこ、楽章の終わりに、無理してまで余韻を聞く。
けれども、少しでも音楽をあるがままに聴こうとする人々は、はてな、とモーツァルトに聞き返したい気持ちになるのだ。
それを、はぐらかすように、第三楽章が始められるのである。

私だってワーグナー流の解決を引き延ばした和声に支えられて、だましだまし紡ぎ出される旋律には辟易する時がある。
しかし、そう言ったとしても、無限旋律を否定する根拠にはならない事ぐらいは自覚しているのである。

要するに、彼らは自分の好きな対象を肯定したいのだ。
ということは、つまり、自分の好きな対象は善きものである、といった不可思議な前提を通して、自分自身を肯定したい、というような幼児的な欲求から抜ききれていないということか。
何も自分自身を肯定しなくても、人生は過ごせるのに……。
私は、私には、音楽を聴くのに<モーツァルト>という品質保証のスタンプは不要である。

理由。その二: 繰返す様であるが、バッハ を引き合いに出した事である。
あのバッハ でさえ……とは何と欺瞞的、偽善的な切り出し方であろうか。
そこには、あの批判し難いバッハ を批判せずに済ませたい、と見せかけたい、という意図が見え透いている。

要するに、こういう手合いは、音楽一般が解っていないだけではなく、モーツァルトの音楽すら解っていないのではないだろうか。
私は、モーツァルトを愛しているので、彼の音楽に小さな宇宙をみる。
<モーツァルティアン>の多くは、自身は夜郎自大で、モーツァルトには、矮小化した宇宙を見てはいないか。

この手の人にはこう言っておこう。
私たちは、あなた方よりも、余程、ありのままのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト を愛しています、と。

 

蛇足(コーダ):

 



家内が、「あなたは、ネガティブなことばかり言う」、と言って私を批判した。


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それはそうだ。
何事であれ、否定するという事は、肯定する事よりも論理的にも難しいからである。
肯定と否定は非対称的であり、難しい事は、面倒くさい事とは違い、それなりに楽しい場合もあるのである。

マルクスは生前に言っていたそうだ。
彼はマルクシストではない、と。

モーツァルトも言っているかもしれない、
彼はモーツァルティアンではない、と。

私は天才ではないので、天才の何たるかを知る由も無い。
ただ、私が外から眺めている限りは、天才とは、なにか、傍若無人に振舞える才能のようにも見て取れないこともない。

唯一人の例外と言ってもよいのがバッハである。
バッハは天才か?
ベートーヴェンの中にモーツァルトを捜すのはやめましょう。

赤字はデンマンが強調。)




21-22ページ
『前奏曲集―私はアマチュアである−作品 1の2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

『クラシック鑑賞 3』にも掲載。
(2018年1月11日)




そうです、そうです。。。 思い出しました。。。 確かに去年(2018年)の1月11日に、上の記事に登場しました。。。



。。。だろう!? オマエの年だから、忘れたとしてもしょうがないけれど、一度、老人科のお医者さんに診てもらった方がいいよ。。。

そんなことより、どうしてオイラの記事を持ち出したのですか?

どうしてってぇ〜、オマエは室井さんがモーツァルトを聴いて心が震えて、涙が止まらなくなってしまったのとは対照的に、「モーツァルトに無いものは、言ってみれば、こういうことを言ったらひとから嫌がられるだろうけれど、言わなければならないことは敢えて言う、とでもいった態度である」と断言しているのだよ。。。 まるで、裁判官が判決を下しているような えらそうな態度なのだよ!

つまり、この事が言いたくて オイラの記事を取り上げたのですか?

そうだよ。。。 だから、オマエの心の優しい奥さんから、次のように言われてしまったのだよ!

 



家内が、

あなたは、ネガティブなことばかり言う」、

と言って私を批判した。



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あの心の優しい奥さんを、これほどまでにムカつかせたように、オマエはネガティブなことばかり言うのだよ!



デンマンさん! 人のことは言えませんよ!

僕もネガティブなことばかり言う、とオマエは言いたいのォ〜?

当たり前でしょう! あの「現実主義者」と名乗る愚か者のことでは、デンマンさんは、足掛け3年にもわたって執拗にネガティブなことばかり言ってるではありませんかァ!

あのさァ〜、批判すべきことは批判すべきなんだよ。。。  でも、心の優しい奥さんまでもムカつかせるような批判は絶対にやってはいけないことなんだよ!

つまり、デンマンさんは、あの「現実主義者」と名乗る愚か者をムカつかせてはいない、と言いたいのですか?

その通りだよ!

その証拠でもあるのですか?

あるのだよ。。。 僕が、あの愚か者を批判したのに対して、あの馬鹿がスキップして喜ぶ姿を見てごらんよ!


ネット不適応者探し

 


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『現実主義者 馬鹿の見本』

 



あのさァ〜、オマエのおじいさんは元校長先生だったのだよ。。。つまり、隔世遺伝で、オマエもおじいさんの良い遺伝子を受け継いでいる。。。 だけど、遺伝子情報がよくても、悪い環境の変化や刺激によって遺伝子が眠ってしまえば、頭のよさは発揮できないのだよ!

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺
(masuo01e.png)

つまり、オイラは爺さんから素晴らしい遺伝子を受け継いでいるのに、反省しない、努力しないので、素晴らしい遺伝子が眠ったまま。。。 それでオイラは“馬鹿の見本”になっている、とデンマンさんは断定するのですか?

その通りだよ!

オイラが その眠っている遺伝子を目覚めさせ、馬鹿から抜け出すには、どうすれば良いのでしょうか?

ニーチェのおっさんが次のように言ったのだよ!

 


脱皮して生きてゆく


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脱皮しない蛇は破滅する。

人間もまったく同じだ。

古い考えの皮をいつまでもかぶっていれば、

やがて内側から腐っていき、

成長することなどできないどころか、

死んでしまう。


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常に新しく生きてゆくために、

わたしたちは考えを新陳代謝させていかなくてはならないのだ。

 

『曙光』 ニーチェ




043 『超訳 ニーチェの言葉』
訳者: 白取春彦
2010年3月20日 第11刷発行
発行所: 株式会社ディスカバー・トゥエンティワン

『脱皮しない蛇』に掲載。
(2014年1月20日)


 

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

つまり、オイラが脱皮してない!…とデンマンさんは言うのですか?



当たり前だろう! “馬鹿の一つ覚え”で、悪口や、嫌がらせのコメントを書き廻って毎日を過ごしている! そして、オマエは誰からも嫌われている!

やっぱり、悪口や、アクタレ、誹謗・中傷をすることはいけないのでしょか?

当たり前だろう! このままオマエが反省しないで、いやがらせのコメントを書き続けると、やがてオマエは家族からの経済的援助が断ち切られて次のような状態になるのだよ!

 


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引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

オイラは このように“ゆでガエル”のような哀れな状態になりたくありません!



だから、僕は、オマエから初めてコメントをもらってから かれこれ足掛け3年にもわたって、オマエがこのような状態にならないようにと、口をすっぱくして反省するようにと助言をしてきたのだよ!

つまり。。。、つまり。。。、オイラが引きこもって、嫌がらせのコメントを書く暇があったら、反省して努力して、まともなブログを立ち上げ、結婚できるような まともな人間になって欲しい。。。 そして女性に感動を与えるような記事を書いて欲しい。。。 デンマンさんは、そう思ってオイラを呼び出してくれたのですか?

その通りだよ。。。 オマエは、ちゃんと僕の心が読めるじゃないか! 嫌がらせのコメントを書くだけならまだしも、やがてオマエが“ゆでガエル”にならないようにと願って、僕は、こうしてオマエと付き合っているのだよ!。。。 だから、改心してまともなブログを立ち上げて欲しい! そうすれば、やがて、オマエも『馬鹿の見本』から抜け出して由香さんのお姉さんの由美さんとデートができるような いい男になれるのだよう!

 



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そうよ。。。

だから、デンマンさんの

おっしゃることを

良く聞いて「荒らし」を止めなさい。

 

「荒らし」を続けていたら

あなたは、今のように

蛇蝎のごとく嫌われる

ままなのよ!

 

だから、ここでニーチェの

おじ様が言ったように

脱皮して、反省して、努力して

素晴らしい遺伝子を

目覚めさせるのよ。

 

あなたが、りっぱになれば

私も喜んであなたと

おデイトするわよう!

うふふふふふふ。。。

 


 


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わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

由香さんのお姉さんの由美さんも

おいらが反省して努力して

『馬鹿の見本』から抜け出したら

デートしてくれると言ってます!

うれしいなあああァ〜!

嫌がらせのコメントを書きまわらないで、

オイラは自分のブログを

立ち上げようと思います。

 

デンマンさんは、やっぱり

オイラを馬鹿にしてません。

オイラのために、心からの助言を

してくれるのです。。。

 

もうこうなったら、恥も外聞もなく

天にも舞い上がる気持ちで

スキップしたいと思います。


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わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

ルンルンルン ランランラ〜♪〜ン

もう一つおまけに

ルンルンルン ランランラ〜♪〜ン

ああァ〜、うれしいなあああァ〜。。。





『ネット不適応者探し』より
(2019年5月4日)




分かるだろう!? 僕に批判されても、「現実主義者」と名乗る、自分でも「クズの廃人」だと認めている愚か者は、僕の批判を受けて、スキップして喜んでいるのだよ! あの馬鹿は、けっしてムカついてはいないのだよ!



しかし。。。、しかし。。。、これはデンマンさんが自作自演で、あの馬鹿にスキップさせて喜ばせているだけじゃありませんかァ!

それは違うよ。。。 ちょっと次のリストを見て欲しい!

 


(ame90509m.png)


『拡大する』

『現実主義者 馬鹿の見本』


 



「現実主義者」と名乗る愚か者を批判する記事に、201人のアメブロ会員が賛同して“いいね”を付けているのだよ! もし、僕が理不尽に この愚か者を批判していたとすれば、多くのネット市民が オマエの心の優しい奥さんのようにムカつくはずなんだよ!



つまり、ムカつかずに“いいね”を付けたという事は、誰もが認める健全な批判だと言いたいのですか?

その通りだよ! だから、オマエもカール・ベーム率いるウィーン・フィルハーモ二ーが奏でるモーツァルトの『交響曲40番ト短調』を聴いて、室井さんのように心が震えて、涙が止まらなくなるほど泣いたらいいよ。。。

分かりました。。。 じゃあ、これからは妻をムカつかせないように、モーツァルトを聴いたら、滝のように涙を流して泣きたいと思います。。。

 


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【レンゲの独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたも、カール・ベーム率いるウィーン・フィルハーモ二ーが奏でる

モーツァルトの『交響曲40番ト短調』を聴いて、

室井さんのように心が震えて、涙が止まらなくなるほど泣きましたか?

 


(girlcry5.gif)

 


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ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他にもっとも面白いことを話せ!」

あなたは、そのような命令口調で あたしに強制するのですか?

分かりましたわ。。。

これまで、太田さんはデンマンさんに さんざ馬鹿にされたので

そのお返しをしたのですわァ。

だから、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのです!


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

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騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


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■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

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2019年05月03日

世界で一番悪い国


 

世界で一番悪い国

 


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『今、新たな戦前』

 


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デンマンさん。。。、世界で一番悪い国ってぇ、どの国ですか?


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オマエは、惚(とぼ)けるのォ〜?

いや。。。 別にオイラは惚けてませんよ。。。

オマエは 絶対に惚けてる! 惚けてないとしたら、忘れた振りをしているのだよ!

オイラが知っていながら忘れている振りをしているとデンマンさんは断定するのですか?

そうだよ。。。 なぜなら、オマエは次の記事を書いていた!


1.5 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

    (1770 – 1827)



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ベートーヴェンの<<フィデリオ>>(Op. 72)は、初演の当時から幾多の論議を呼んできた。

 


(fidelio02.jpg)




フィデリオ

 

この作品は、ベートーヴェンの作品群の中でも特に難産に見舞われた作品のひとつであり、成功を収める版が完成するまでに何度も書き直しがなされている。

このオペラはベートーヴェン中期の代表作に挙げられる。
ブイイの原作の英雄主義的な性格や、当時のヨーロッパの知識人層に浸透し始めていた自由主義思想へのベートーヴェン自身の強い共感を背景として、英雄的な中期の作風が存分に反映されている。

ベートーヴェンの声楽曲によくあることだが、このオペラも歌手にとっては必ずしも歌いやすい音楽ではない。
特に、レオノーレとフロレスタンのパートを歌うには高度な技術を要し、そうでなければ要求された緊張感を表現することは到底不可能である。
このため、これらの配役を見事に演じた歌手は賛美の的となる。

囚人達の合唱、政治犯達の自由を謳う合唱、フロレスタンをレオノーレが助けにきた場面、そして救出が成功した場面などは、特筆に価する。
最後は、ソリストや合唱が代わる代わるレオノーレの勝利を讃えて、フィナーレを迎える。

多くの楽曲分野で後世の指標となる業績を残したベートーヴェンとしては完全な成功作とは言えない(ドイツオペラの最初の成果としても「魔笛」や「魔弾の射手」が挙げられることの方が多い)との批判もあるが、いちおう代表作のひとつとして今なお上演回数も多い。

これによって作曲者はモーツァルトとともに、主要音楽分野のほとんどに代表作を残した稀有の存在となった。
ドイツ圏ではバッハ以来、オペラをまったく残していない(または成功作がない)作曲家が多いだけに、貴重な作である。

 

主な登場人物

フロレスタン(囚人) テノール

レオノーレ(フロレスタンの妻) ソプラノ

ロッコ(刑務所員) バス

マルツェリーネ(ロッコの娘) ソプラノ

ヤキーノ(ロッコの補佐官) テノール

ドン・ピツァロ(刑務所長) バリトン

ドン・フェルナンド(大臣) バス




出典: 「フィデリオ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


それがとりもなおさず、この四つの序曲をもつ彼の唯一のオペラが、他ならぬベートーヴェンの作品であるが故であることは、とかく忘れられがちであるのではないであろうか。
その議論の一つに、夫婦愛などをテーマとしたオペラが成功するはずがない、というのがあった。
(草子地:結婚したことのない彼、ベートーヴェンが描く夫婦の理想像?などと半畳を入れるのはやめよう。こんなことは、結婚などをしていないからこそ出来るのであるから)。

しかし、たとえ登場人物が夫婦ではなかったとしても、恋人同士であったとしても、話の筋道は大体つくであろうのに、それを、ことさらに、夫婦とした台本を使用したところに、私は、むしろ、ベートーヴェンの破天荒な意思、意欲を感じるのである。
(草子地:その、彼らしい作品の説得力の力強さだけは、私にとって、私が結婚する前も後も変りがなかった。)

この作品は良い作品ではあるが、それでも、モーツァルトのオペラに較べれば、太陽を前にした星である、ということを誰かが言っていた(草子地:巧く表現したものである)。
それはそうであろう。
舞台は、貴族の館などではなくして、監獄の中での出来事である。

何も、ベートーヴェンの作品に、モーツァルトの音楽を聴こうとすることもなかろう。
そんな風な聴き方は、モーツァルトだって野暮だと言うであろうし。

第三に、これは、この作品に限らないが、ベートーヴェンの声楽の扱い方に対する批判が後をたたないことである。
しかし、思い切って乱暴に言ってしまえば、彼は、彼のやり方で人声を扱ったまでで。
それはそれで完成されたものではなかったか、と私は思うのである。

器楽的で、唱うのに無理がある?
当り前であろう。
苦悩を唱うのには苦しい発声も必要である。

彼が、譲歩に譲歩を重ねて、何度も書き直したのは、その苦悩を聴いて欲しかったからであろう。
繰り返すが、ベートーヴェンは、ベートーヴェンの声楽を書いたのであって、それが器楽的である、ということではあるまい。
それを言うのならば、バッハの声楽曲だって充分に器楽的である。

彼も、モーツァルトも同様な批判を受けたことがあることはあったが、それは途絶えて、ベートーヴェンのそれだけが、今日なお指摘されている。
奇妙なことには、誰も、ベートーヴェンのフーガは、あまりにも和声的だ、などとは言わない。
ベートーヴェンは、ベートーヴェンのフーガ を書いた、ということは受け入れられている。

しかし、このオペラの筋書きには重大な欠陥がある。
もし、フロレスタンがドン・フェルナンドの呼ぶように<私の友よ!>であったのなら、何故、レオノーレは、あれだけの苦労、辛苦、危険を冒す必要があったのか、ということである。
そもそも、直接ドン・フェルナンドを訪れ、事情を説明すれば、それですんだことではなかったか。

それにも拘らず、抑圧からの解放、これは、常に現代的、現在的である。
ただ、その解放がドン・フェルナンドの鶴の一声では成らぬことを知るのには、人類は、未だ、一世紀余りを要した。

さもなくば、この作品中にドン・フェルナンドなどが出て来る幕などは無かったであろう。
これを、また、ベートーヴェンのせいにはすまい。

そもそも、彼といえども、何らの見通しの無い時代には、強固の意志に貫かれた、信仰にも近いような信念なくしては、理想などはもち得ないではないか。
その意味では、共和主義者ベートーヴェン は古典的であった。
現代的であること、現代人であることは、必ずしも幸いなことではない。

今、ソヴィエト社会主義連邦共和国や東欧諸国で起きている事態、あれは何であろうか。
この様にして、この二十世紀最大の実験は無に帰するのであろうか。

それでは、革命に血を流した勇敢なる闘士は浮かばれないであろう。
それこそ、スターリニズムによる犬死に、それで終わるのであろうか。

犬死、と言えば、先の太平洋戦争で散った兵士たちの死もまた、全て犬死であった。
遺族は、それぞれに、戦死者に何らかの意味を見い出したいと思い、それもまた当然すぎる心情ではあろうが、私は、敢えて言いたい、それは犬死であったと。

それである故にこそ、その無意味な悲惨を繰り返してはならない、と。
犬死という認識ではなかったら、その悲惨さは権力によって薄められるのである。

はっきり言おう。遺族団体は、現在、政府に媚びる圧力団体に堕しているではないか。
言うべきことが言える間に、言うべきことは、きちんと言う、それしか出来ない私である。
また、私は共産主義者でもないが、それを強調するまでもあるまい。

それにしても、私の知る限り、ベートーヴェンの失恋の相手は、貴族の令嬢ばかりであった。
奇妙な共和主義者ではあった、と思わざるを得ない。
しかしながら、彼のメッセージは、いまだ有効である。

 



追記(コーダ):

 

仮に、アメリカという国が世界で一番悪い国だったとすると(草子地:仮定文で書かないで理由も言わねば道義に反する。
理由が余りに多すぎるので、煩雑になるが故に、仮定文にしたのである。)

アメリカ人というのは、世界で一番悪い連中である、ということになるであろう。
何故かと言うと、アメリカは、一応は<民主主義の国>(草子地:見られる通り、括弧つきである。)である、ということになっているからである。

 


(htrump09.jpg)

 

故に、政府は悪いけれど、その国の国民は悪くはないなどと、あたかも独裁者のいる国に対するようには言えないであろうからである。
せめて、国民は、政治家を選び、投票する権利はあるけれど、その投票には、何らの道義的な責任もない、と開き直って言うほどには、ずうずうしくはない、と期待したい。

その道義的な責任を果たす手段が見つかり難い、ということだけが、私のみる民主主義の欠陥ではあるが、だからと言って、責任も手段も全く無い、とは言えないであろう。
さもなくば、民主主義とは、全くの衆愚主義である。
問題は、むしろ、その自覚がアメリカ人に無い、ということであろうか。


(1990年12月12日。2006年5月29日改訂。)




赤字はデンマンが強調)

13-14ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




『犬死@太田将宏』より
(2019年2月14日)




確かにオイラは上の記事を書きました。。。 でも。。。、でも。。。、オイラは「アメリカという国が世界で一番悪い国だったとすると……」と、仮定文にしているのですよ!



オマエはCIAのエージェントに暗殺されるのが怖いので仮定文にしたのだろう?

この程度のことを書いても、CIAのエージェントに暗殺されることは ありませんよ!

だったら、はっきりと書けばいいじゃないか! 「アメリカという国は絶対に世界で一番悪い国だ!」と。。。 オマエは「仮定文で書かないで理由も言わねば道義に反する。理由が余りに多すぎるので、煩雑になるが故に、仮定文にしたのである」と、CIAのエージェントに暗殺されないように、グタグタと下らない言い訳を書いているのだよ!

デンマンさんも、くどいですねぇ〜。。。 オイラは文字通りに自分の思いを素直に書いたまでです。。。 別に、CIAに暗殺されるなんて思いもしませんでした!

とにかく、オマエの記事は、回りくどく、グダグダ、グダグダと蛇がのたくっているような文章を書くのだよ! ベートーヴェンのことなど、どうでもいいから簡潔に、明瞭に、簡単に「アメリカという国は絶対に世界で一番悪い国だ!」と書けばいいのだよ!

つまり、この事を言うためにオイラを呼び出したのですか?

いや。。。 そればかりじゃないのだよ。。。 実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのだよ。。。



(nishi12.jpg)

 

始めてニューヨークに行ったとき、(略) こぢんまりとしたグローサリーに入った。 (略)

聞き知った曲が流れていた。

カーティス・メイフィールドの『(Don't Worry) If There's a Hell Below, We're All Going to Go』である。

 



 

おばあさんは、曲に合わせて、軽く体を揺らしながら、レジを打った。

痺れた。

彼女の真っ白いお団子頭や、黒い魔女みたいな服や、無愛想な顔で、それでも体を揺らしてしまう感じが、どうしようもなくクールだった。

 (194ページ)




どのジャンルにも当てはまらない、フィラスタインのもの、としかいえない音だ。

初めて『quemalo ya』をクラブで聴いたときの衝撃ったらなかった。

 



 

音だけで、「こういうのがレベル・ミュージックというのだな」と、すぐに分かった。

 

実際彼の音楽には、何らかの重大なメッセージがこめられているらしい(私は馬鹿だから、よく分からないけれど)。

反原発、反アメリカ、反体制。

意味が分からなくても、初めて聴いたときの、すごく攻撃的な気持ちは忘れられない。

 (200ページ)

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『まにまに』
著者: 西加奈子
2015年9月11日 初版発行
発行所: 株式会社 KADOKAWA




つまり、著者の西加奈子さんが聴いた『quemalo ya』をデンマンさんも聴いて、確かに、反原発、反アメリカ、反体制という思いが歌の中に込められているのを実感したのですか?



いや。。。 残念ながら僕には、そういう実感が全く得られなかった。。。

要するに、デンマンさんには、そもそも現代ミュージックに、反原発、反アメリカ、反体制という思いを実感する感性がないのですよ。。。

そういうオマエは、西加奈子さんが聴いた『quemalo ya』を聴いて、反原発、反アメリカ、反体制という思いを歌の中で実感したわけぇ〜?

いいえ。。。 オイラも残念ながら、そういう思いを実感できませんでした! うへへへへへへへ。。。

だったら、さも実感したようなことを ぬかすなよう!

でも。。。、でも。。。、オイラは、上の記事でベートーヴェンについて書きながら、アメリカという国が世界で一番悪い国だということを ほぼ実感したのです!

だけど、それはベートーヴェンとは直接関係ないと思うのだよ!

だから、その点でもデンマンさんはクラシックから反原発、反アメリカ、反体制という思いを実感する感性がないのですよ。。。

あのさァ〜、オマエはそのように決め付けるけれど、僕にもクラシックから、反原発、反アメリカ、反体制という思いを実感する感性があるのだよ。。。

分かりました。。。 デンマンさんが、反原発、反アメリカ、反体制という思いを実感したというクラシックの曲は何ですか?

良くぞ訊いてくれた。。。 オマエ、『地獄の黙示録』という映画を観たことがある?

あります。。。

 


(valky05.jpg)

 



この映画の中でヘリコプター部隊がベトコンの村を襲撃するときに、隊長がワーグナーの《ワルキューレの騎行(Ride of the Valkyries)》を襲撃の伴奏にテープデッキにかけさせる。。。

 


(valky01.jpg)


(valky02.jpg)

 



確かに、そういう場面がありました! デンマンさんは、その襲撃の場面を観ながら、この曲を聴いて反アメリカという思いを実感したのですか?



その通りだよ! オマエも、もう一度聴いてごらんよ!

 


(valky03.jpg)


(valky04.jpg)



 



僕はこの場面とそれに続く映画を最後まで見て、アメリカ軍はマジで地獄を世界に広めようとしている印象を持ったのだよ!



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたも、『地獄の黙示録』という映画を観ましたか?

 


(valky06.jpg)



 

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたは、世界に地獄が広まってもいいのですか?

分かりましたわァ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


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2019年04月24日

村上春樹 小説と音楽


 

村上春樹 小説と音楽

 


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(laugh16.gif)




(ohta03.png)

デンマンさん。。。、どういうわけで村上春樹を取り上げるのですか?


(kato3.gif)

オマエは不満なのォ〜?

別に不満ではありませんけど、デンマンさんは村上春樹の小説を1冊も読んだことがないのでしょう?!

そうだよ。。。

だったら、村上春樹を取り上げて、ああだァ〜、こうだァ〜という資格がありませんよ!

民法とか刑法で、そう決まってるわけぇ〜?

法律で決まってるわけじゃないけれど、村上春樹の小説を一度も読んだことがない人が、どうして村上春樹のことを語る資格があるのですかァ〜?

あれっ。。。 村上春樹の記事を書くには、ハルキスト3級とかいう資格を持ってる必要があるわけぇ〜?

別に、そういう資格があるわけじゃないけれど、常識的に考えても、せめて2冊か3冊ぐらい村上春樹の小説を読んでから、記事を書くべきではありませんかァ〜?

あのさァ〜、そう言う固いことを言うなよゥ。。。 言論の自由、表現の自由は、日本国憲法でも保障されているし欧米の国々の憲法でも保障されているのだよ! 誰が何を言っても書いてもいいのだよ! それが自由の国に生きているということだよ。。。

でも。。。、でも。。。、どういうわけで村上春樹を取り上げるのですか?

バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのだよ。。。



(vee01.jpg)

 

ボビー・ヴィーは「テイク・グッド・ケア・オブ・マイ・ベイビー」の大ヒットで知られる白人男性シンガー。

 



 

1959年2月、バディ・ホリーやリッチー・ヴァレンスが小型飛行機で墜落死し、予定されていたライブに急遽代役として出演してデビュー。

その後ロサンゼルスのリバティ・レーベルと契約し、敏腕ポロデュ−サー、スナッフ・ギャレットのもとでティーン・アイドルとして頭角を現してゆく。

 

1960年に「デビル・オア・エンジェル」で初めてトップ10入りを果たし、その勢いに乗って同年発売されたのが「ラバー・ボール」である。

 



 

この曲は『1973年のピンボール』で「1960年、ボビー・ヴィーが「ラバー・ボール」を唄った年だ」と、あたかもその年を代表するかのように言及されるが、それは必ずしも明白でない。

「ラバー・ボール」は全米6位まで上がったが、この年最大のヒット曲はパーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」であり、

9週連続全米1位を獲得した。


 


(sumplace3.jpg)



 

また、エルヴィス・プレスリーも「イッツ・ナウ・オア・ネバー」と「今夜はひとりかい?」で

それぞれ5週と6週連続1位を達成しているし、

その他にもザ・ドリフターズの「ラスト・ダンスは私に」や

レイ・チャールズの「ジョージア・オン・マイ・マインド」など、

現在でもよく知られる曲がこの年のヒット曲として並んでいる。

 







 

ここには初期村上作品特有の音楽の用いられ方が現れているといえるだろう。

つまり、客観的な意味でのヒット曲ではなく、登場人物の私的な選曲が断定的に語られることで、誰もが知る固有名詞による<正統的な歴史>ーーーたとえばここで、ザ・ドリフターズの「ラスト・ダンスは私に」が挙げられた場合を想像すれば良いーーーが脱臼させられ、読者がそれぞれの経験に根ざした楽曲を代入する<空白>として機能しているのだ。

こうした代替可能な記号こそが、作品と読者の間の回路を確立するのである。

 



 

 (著者: 大和田俊之)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




132-133ページ 『村上春樹の100曲』
編者: 栗原裕一郎
2018年6月15日 第1刷発行
発行所: 株式会社 リットーミュージック




つまり、次の箇所を読んでデンマンさんはムカついたのですかァ〜?



(vee02.jpg)

 

この曲は『1973年のピンボール』で

「1960年、ボビー・ヴィーが

「ラバー・ボール」を唄った年だ」と、あたかもその年を

代表するかのように言及されるが、

それは必ずしも明白でない。


「ラバー・ボール」は全米6位まで上がったが、

この年最大のヒット曲は

パーシー・フェイス・オーケストラの

「夏の日の恋」であり、

9週連続全米1位を獲得した。


 


(sumplace3.jpg)




僕は別にムカついたわけじゃないけれど、村上春樹が「1960年、ボビー・ヴィーが≪ラバー・ボール≫を唄った年だ」と、あたかもその年を代表するかのように書くと、パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」に痺れている女性はムカつくのだよ! 「いいえ、その年には≪夏の日の恋≫が大ヒットしたのだわァ〜♪〜!。。。と。。。



つまり、そう言う女性をデンマンさんは目撃したのですか?

そうなのだよ! 次のメールを読んでごらんよ!



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件名:

初夏 もうすぐ梅雨に入ります。

 


差出人: 九条多佳子
発信: kujo-takako48@outlook.jp
送信日時: ‎Tue, Jun 5, 8:38 PM
宛先: bavclay1720@aol.com


名だたる文豪は西洋音楽を愛したそうです。
例えば鴎外のドイツオペラ、漱石の洋楽コンサート...
でも彼らは余る教養人であり高尚過ぎても不思議ではありません。

私が彼らと位置を同じくして音楽を語ることは、
それはそれはおこがましく身が縮みますが、
彼らとて愛好するきっかけはあったはずです。

私は難しい音楽は分かりません。
日本古来の伝統芸能は大切だと思っているしそれなりに崇めてもいますが、
歌謡曲や映画はすべてではありませんが、あの間怠さが性に合わず一線を画しています。

何処の地点で西洋のエンタメにかぶれてしまったのでしょうね!
前に話したいことがありますが、ある夏の初めちょうど今ごろです。
なぜ季節まで覚えているかと言うと、生家の田植えの時期でした。

母の言いつけどおり裏の 爨屋
この文字初めてでしょう?

当時犬塚ではキッチンを“かしきば”と呼んでいました。
ちなみに広辞苑で引いたらありました。

キッチンで昼食の用意をしていた時

“夏の日の恋”ラジオのメロディーに

心が躍リ身体が釘付けに、

由紀夫兄さんと日比谷で観たロ-ドショウ、

わずか90分のスクリーンから覚えた楽曲です。


 


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“夏の日の恋” テーマソング






“夏の日の恋” 映画 予告編

 

先日、メールをありがとうございました。
久しぶりのポップジャズをはじめ P.C に配信してくれた楽曲をよく聴いています。

変わりなくお元気ですか。
香りを運ぶ初夏の花ライラックはカナダにもあるのでしょうか?

デンマンさんの多才さに今更驚いたわけではありませんが、
英語と P.C をハモらして自在にテクノの世界を操っている様は、ただ羨ましい限りです。

私の趣好に合わせてくれたのかと思うほど受信した楽曲は馴染みのものばかりです。
なかでも“太陽がいっぱい”は由紀夫兄さんを思いだし琴線に触れるものがありました。

 


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目的を達成したときの気分「最高だ」と言うのはここから生まれたのだと教えてもらいました。

良い映画はいつになっても色褪せい。
何やら宣伝文句のようですが、まさにその通りで好きな映画は何回観ても飽きないです。
引き続き映画の話。

ピーナッツ・バター、楽しみにしていますね。

これも映画の影響で、デンマンさんとは毎年会っているのですでに話してありますが、
ブラットピィット、アンソニーポプキンスのコンビで名作(軽いと言われそう)となった
"ジョー・ブラックをよろしく"の映画の中でブラピが瓶丸ごと手に取りスプーンでたべる。

 


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行儀の悪さが醸すセレブの精練されたシーン、それとエンデングの歌声、
デンマンさんが教えてくれたハワイアン歌手イズの哀愁の響、
物語と旋律の化かしあいー幽霊の世界の内容ともどもーなんとも素晴らしかった。

一昨年でしたか、政治が面白いと手紙で書きました。
都知事の小池女史がフル人気の時、政党“希望の党”を立ち上げ
あわや現政権をひっくり返す勢いで突進しなたのですが、
彼女も図に乗りすぎたのか“排除”と言う一言で自身が“排除”される結末に。

今や嘘まみれのアベ政権。
私もしかり。

熱しやすく冷めやすい日本人は、もう皆うんざりそっぽを向いて知らん顔。
テレビニュースを見ても、新聞をよんでも気が萎えるばかり、
ストレスになるのでこの報道には身を反らしています。

今年の始め頃だったか、アメリカ映画"ペンタゴン・ペーパーズ"が紹介されました。

 


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この映画の背景にはトランプ政権の現状、フェイクニュース等が当然あるのでしょうが、
政治の世界を知る由もない私はただこの映画のようなスマートさが欲しいですね。

それにしても不思議なのは、日・米とも支持率が3割り以上と言うこと、ソ連などは8割をキープしているとか。
素人が批判めいたことを書くと怖いのでやめます。

ところでデンマンさん、よく笑いますか?
笑いは長寿の秘訣と言う医学的なデータがあると読んだことがありますが、
私は怒ることもない代わりに笑いのない日常ですが、最近二つの笑いがありました。

一つは蚊のシーズン到来、ここは湿地帯だったようで蚊には最適な場所、多いです。
私を吸血したところでいかがなものかと思いますが、鈍化した神経の間抜けな私と間抜けな蚊のコラボ。
飛べないほど赤黒く腹を膨らませた蚊が、
カーペットの上でコロコロと転がっている様子を見て一瞬ですが大笑い。

二つには英国のロイヤルウエディグ、ここまで書けばもう察したと思いますが、
主役をさらった米国の宣教師マイケル・カリー氏。

ながーいながーい祝詞、途中でスイッチを切リ再度かけたらまだ熱くなっている。
こちらは涙が出るほどの大爆笑、今でも思いだすたびまたこのメールを打ちながら大笑い。

 


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光陰・・・・・・もう6月ですね

今月の通院は一回ですが、7月は六回も有り末には内視鏡検査を受ける予定です。
健康を維持するには日々の食事に留意しようと考えているので時間を惜しまず自炊しています。

独り暮らしなのにかつての主婦業から抜け切れず
無駄な時間ばかり多く一日があっという間に過ぎている現状。

最近ですが原稿を埋めるため一つの言葉が欲しくて備忘記を捲っていました。
自分の作ったこの記録が半分いやその半分でも記憶にあれば、、、、、
この年齢になって大きな後悔、いろいろな意味でもっと学習しておけば、本当に先に立たずです。

長々と言いたい放題ですが、私が練習をしていると思って受けてください。
以前はパソコンに向かうとかなりの緊張がありましたが、
今は薄らぎ面白さも少し出てきましたが、それでもまだ緊張を拭うことはできません。

というのも打ち違いによって消えてしまうのでは?
これが付きまとっています。

しかし終わってから鏡を見ると脳細胞の活発化でいい意味で表情が変わっている、
そこには老婆でなくスマートそうなわたしが。。。(自己愛)

お元気で。


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かしこ




『初夏 もうすぐ梅雨』より
(2018年6月14日)




つまり、デンマンさんの叔母さんの九条多佳子さんは、村上春樹が「1960年、ボビー・ヴィーが≪ラバー・ボール≫を唄った年だ」と、あたかもその年を代表するかのように書いたので、“夏の日の恋”にハマッている叔母さんは、それ以来ムカついて村上春樹が嫌いになったのですか?



いや、その事ばかりじゃなく、それ以前からも音楽の趣味が合わないと言って、叔母は村上作品は読んでないのだよ。。。

でも。。。、でも。。。、小説家で音楽を作品の中に書いている作家は、けっこう居ると思いますけれど。。。

そうかァ〜? 夏目漱石、森鴎外、松本清張、海音寺潮五郎、芥川龍之介、井上靖、司馬遼太郎、梶井基次郎。。。 僕の好きな作家たちなんだけれど、この人たちの作品に音楽が出てくるか?

音楽が出てこない作家ばかりをデンマンさんは選んでますよ。。。

そんなことはないってぇ〜。。。 ただ単に、僕の好きな作家を並べただけだよ。。。

つまり、小説に音楽のことなど書くな!とデンマンさんは主張するのですか?

もちろん、それは個人の自由だから、歌謡曲や、クラシックや、ジャズやポップスのタイトルを書いてもいいよ。。。 でも、音楽は人それぞれ、好みもすごく違うと思うのだよ。。。 『村上春樹の100曲』を読んでみて、僕と村上春樹の音楽の趣味はずいぶんと違っているのだよ。 こうした代替可能な記号こそが、作品と読者の間の回路を確立するのであると、上の本には書いてあるけれど、こうした代替可能な記号こそが、作品と読者の間の回路を断絶するということもあるのだよ!

要するに、音楽の趣味が違うので、デンマンさんは村上作品をこれまで1冊も読んでない、と言うのですか?

いや。。。 そればかりじゃない! 僕は彼の小説は、書評を読むだけでテーマや構成や、異界に行くとか。。。そういう事が僕の趣味に合わない。。。 上に並べた僕の気に入った作家と比べると、村上春樹は異質なのが、オマエにも判るだろう?

確かに、異質ですよねぇ〜。。。

でも、僕は彼のエッセーや、他の人が書いた村上春樹に関する本などは、結構読んでいるのだよ! 彼は、けっこう面白い興味深いエッセーを書く! でも、小説はあらすじを書評で読むだけで読む気が起こらない!

でも、喰わず嫌いは、いけませんよう! 作品を読んでみれば、好きになるかもしれませんよ。。。

そう言うオマエは、村上作品を読んだことがあるのォ〜?

ありません。。。 うへへへへへへへ。。。 オイラも異界とか行くのが苦手です。。。 趣味に合いません。。。

だったら、薦めるなよ!



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【レンゲの独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたは、村上春樹の熱烈なファンですかァ〜?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたは、何度となくノーベル賞がもらえるかもしれないとメディアが騒いでいた村上春樹さんを応援したくないのですかァ〜?

分かりましたわァ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


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『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


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あなたが絶対、

見たいと思っていた

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(30june.jpg)

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下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』

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(satomi02.jpg)

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■ 『クラシック鑑賞 20』

■ 『クラシック鑑賞 21』

■ 『クラシック鑑賞 22』


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■ 『テルミン』

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■ 『中村紘子とワンワン』

■ 『字が汚い!』

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■ 『字が汚い人』

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■ 『クラシックと民謡』

■ 『クラシックとじょんがら』

■ 『百姓と貴姓』

■ 『宇宙は永遠か?』

■ 『利口な女狐』



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『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』



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2019年04月19日

利口な女狐


 

利口な女狐

 


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デンマンさん。。。、どういうわけでセクシーな女性を貼り出したのですか?


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オマエは80歳を過ぎてもセクシーな女性が好きだろう?

デンマンさん! 年のことは言わないでくださいよう! んもおおおおおおおおおおおおおォ〜♪〜!

そんなにムキになるなよゥ〜! ちょっとからかっただけじゃないか!

時間の無駄になるから、本題に入ってください。。。

実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んだら次の箇所に出くわしたんだよ!


ヤナーチェク 「シンフォニエッタ」

 


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村上作品の主人公が異界といわれる場所に足を踏み入れるとき、その前触れとして、あるいはその契機になるのが、クラシック音楽であることが少なくない。
つまり、クラシックは異界への窓あるいは鍵として機能しているといってもいいくらいだ。

『1Q84』では、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」がそうだ。

この音楽は、現実と異界、あるいは2人の主人公につなげる「橋」の役割を果たしている。
冒頭、渋滞したタクシーの車中で、この音楽が鳴るとき、それは主人公が異界への扉に触れたことを意味するのだ。

ヤナーチェクはまことに不思議な作曲家だ。
彼のどの作品を聴いても、すぐにはこれはヤナーチェクだとわかるような際立った特徴を持ち、かなり斬新なことをやっていても、容易にそうとわかるようには響かず、ベートーヴェン的な闘争抜きで高揚する音楽を書き、かつスタイリッシュに鳴らせるセンスで、主要登場人物が動物だらけの不思議ちゃんテイストのオペラを書いたりする(彼の「利口な牝狐の物語」は、オペラ芸術において5本の指に入る美しい傑作だ)。

(著者: 鈴木淳史)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




158-159ページ 『村上春樹の100曲』
編者: 栗原裕一郎
2018年6月15日 第1刷発行
発行所: 株式会社 リットーミュージック




つまり、デンマンさんは村上春樹のファンなのですかァ〜?



いや。。。 僕は自慢じゃないけれど、村上春樹の小説は一冊も読んだことがない!

でも。。。、でも。。。、デンマンさんは村上春樹のことでは、けっこう記事を書いてるじゃありませんかァ〜!

僕は彼の小説は、書評を読むだけで僕の趣味に合わないのが判るので読んでないけれど、彼のエッセーや、他の人が書いた村上春樹に関する本などは、結構読んでいるのだよ! 彼は、けっこう面白い興味深いエッセーを書くのだよ! でも、小説はあらすじを書評で読むだけで読む気が起こらない!

つまり、喰わず嫌いなのですねぇ〜。。。 彼の小説を読まないで村上春樹の批判を書いてはダメですよ!

じゃあ、オマエは村上春樹の小説を読んだことがあるのォ〜?

ありません!

オマエも、村上春樹の小説を読んだことがないのに、どうしてそのように僕に説教するわけぇ〜?

デンマンさんを ちょっとからかっただけですよう! うへへへへへへへ。。。 とにかく、いくらメディアで村上春樹がノーベル賞をもらえるか?もらえないか?と騒がれても、実際、日本人で実用書以外の本を買って読む「純粋な趣味としての読書人口」は、せいぜい500万人から600万人程度だと言われているのですよ。。。

 


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『読書人口について-本を読んでいますか?』

 



2017年の時点で、日本の人口は 126,800,000人ですよ。。。 仮に読書人口が6,000,000人だとしても、小説を読んでいるのは、126人に6人だけですよ! 多く見積もっても 126人に7人だけです!



オマエは、やっぱり早稲田大学理工学部の数学科を優秀な成績で卒業しただけのことはあるねぇ〜。。。

デンマンさん! この程度の算数は小学生でもできるのですよ!

。。。で、オマエは何が言いたいわけ?

だから、読書が趣味じゃないからって悲観して自殺しなくてもいいのですよ!

あのさァ〜、日本で、いくら自殺者が多いと言っても、読書が趣味でないことに劣等感を持ち、それが原因で自殺した人はいないと思うよ!

デンマンさん! “死人に口なし!” と昔の人は言ったものですよ! 中には、先生から本を読んでないことを指摘されて、ショックで自殺した中学生や小学生がいると思います。。。

あのさァ〜、今日は自殺についてオマエと話をするために呼び出したのじゃないのだよ。。。

そうでした。。。 何のためにセクシーな女性を貼り出したのですか?

だから、上の本の中に彼の「利口な牝狐の物語」は、オペラ芸術において5本の指に入る美しい傑作だと書いてあるだろう!

でも。。。、でも。。。、デンマンさんの貼り付けたのは牝狐じゃなくて、牝狐の真似をしているセクシーな女じゃないですかあああああああああああああァ〜♪〜!

セクシーな女性が出てきたぐらいで、そんなにムキになるなよゥ〜! オマエだってぇ〜、80歳を過ぎているのに、セクシーな女性が好きだろう!?

年のことは言わないでくださいってばああああああああああああああァ〜♪〜!

わかったァ。。。、わかったァ〜。。。、 大きな声を出して欲しくないのだよ! オマエはセクシーな女性を見ただけで、心にもなくムキになってるけれど、オマエこそ牝狐に拘(こだわ)っているじゃないか!

その証拠でもあるのですか?

あるのだよ。。。 オマエハはかつてヤナーチェクと≪利口な女狐の物語≫について次のようなクラシックの記事を書いていたのだよ!


3.9 Leos Janacek (1854 – 1928)

古畑銀之助が<ある晴れた日に>(No. 41)の誌上に:<スタバート.マーテル>は<悲しみの聖母>と歌謡曲の題みたいに低俗意訳されていますが、ラテン語辞典にある直訳<母は立いたり>とするほうが、ひとを思索に誘う深い意味を表すのではないでしょうか。事は悲しみどころではないのですから。――と書いている。その通りだ、と私も思う。私自身の気持ちとしては、<佇む聖母>ぐらいに翻訳したいところであるが、どちらにしても、言葉は、もっと大事にしたいものである。いや、歯に衣を着せないで言おう。私は、よくあることであるが、<Stabat Mater>を<悲しみの聖母>などとするような日本人のmentaliteを嫌悪する。そして、誰の編纂か私は知らないが、古畑氏の<ラテン語辞典>の訳は、厳密に言えば、直訳ではない。誤訳である(草子地:これは、古畑氏に文句を言っているのではない)。遠慮して言っても、誤訳に近い意訳であろう。直訳は<母は立っている>である。時制が間違っていることは、私の乏しいラテン語の知識でも歴然としている。
こういう例もある。Moravia語の(草子地:以下、c、rとsの文字は正確なMoravia語の文字ではないときがある。許されたい。)<<Liska Bystronozka>>(直訳:早足の女狐)が。A. Bergの<<Wozzeck>>の場合と似た事情から、<<Liska Bystrouska>>(直訳:早耳の女狐)と変り、それをL. Janacekがオペラとして作曲した際に<<Prihody Lisky Bystrousky>>(直訳:女狐、早耳の冒険)と題したいきさつがあった。それがドイツ語に翻訳されたとき、<<Das schlane Fuchslein>>(この誤訳を誤訳のまま直訳すると:ずるい子狐)となり<女>が消えてしまったが、面白いことに、さらに英語に重訳されて<<The Cunning Little Vixen>>と、それは英語の語彙の故であろうが、魔法のように、偶然に<女>が復元されている。くどくなるが、話は、まだ続く。以前に誰かが<<ずるい女狐>と日本にて日本語に翻訳したが、今では普通<<利口な女狐の物語>>と題されている。A. Schoenbergの<<Verklarte Nacht>>が<聖められたる夜>と一度は、ほぼ正しく翻訳されたものの、それが、いつの間にか<浄夜>などと言う訳の解らない言葉にすれかえられてしまったのに似ているのである。こういうことは、意図的であろうとなかろうと、日本人の意識、或いは、意識下に問題がある故ではないか。Moravia語−>ドイツ語−>英語への言葉の変遷は、間違い、不注意、無神経の故であろうが、日本語への翻訳では、ずるい、が利口に変ったり、<物語>などの余計な言葉が、飴をしゃぶらせるように挿入されたりして、それを嫌らしいとは、日本にいる日本人は感じないのであろうか。
ことは表題だけではない。武士の情けで名前はここに出さないが、このオペラについて次のような解説があった:森に住む女狐ビストロウシュカは猟番につかまるが逃げだし、恋をし、子供を生み、密猟者の弾丸に当たって死ぬ。しかしその後には母にそっくりな子狐が…自然は永遠だ。――ときたものだ。この作品の場合には、それほど深刻ぶってもしかたがないとはいえ、ことは、そんな綺麗事ではない。この女狐は、言ってみれば、純情な阿婆擦れなのである。自然は永遠だ、などという陳腐な通り一遍のsentimentalismeからは、はみ出でている。
日本の評論家たちからは、何も本質的なことを学んだ覚えがないが、多くの知識はかき集めることができた、と私は思っていた。少なくとも、海外の(草子地:今の私にとっては、海内か?)情報の紹介の労に対しては評価したく思っていたが、昨今では、それも疑わしくなってきた。古畑もまた、日本の評論家は不勉強である、と書いていたが。
要約には注意を要する。私がまだ小学生の頃、国語(草子地、日本語のことか?)の授業で、……以上を通して、作者は、何を言わんとしているか、などという質問を受けたか、読んだかした記憶がある。この種の質(愚)問には、どこかに罠があるのではないか、と幼い心にも訝しく、警戒したものである。こういう、いらぬお節介を<読書指導>などと、教師は言っていたのではなかったか。
作者は、何を言わんとするか、それが一言や二言で言えるのであれば、紙数を費やすことなく、作者は、それを書いていたはずである。それを、誰かが代行して、より簡単に言換え得るなどという、多分に無意識であろうが、無神経で官僚的な傲慢さは作者にたいして失礼、いや、無礼である、ということなどは、子供でさえ感じとれるものである。その自覚のなさは、役人の知的怠慢である。私も可愛げのない子供であったであろうが、質問した人、機関 ― 子供にとっては、学校は、権力で有る ― ほどには文学を含めての芸術作品に対しては小賢しくなかった、ということである。
短ければよい、要約すればよい、ということではなかろう。例えば、一つの和歌を解説しよう、と試みるならば、その文章は、その和歌そのものよりも長くなるであろう。当然であり、かつ、評論は文学よりは、決して、上位にはない、ということである。本来は芸術である文学の、よくて哲学的な言い換えに何かの意味があるのだろうか。その無意味さが、大学の文学部の文学や音楽学部の音楽学を成立、維持させている。それだったら、何故、例えば、哲学をやらないのであろう、と私は訝しく思うのである。哲学は、本来、面白い学問なのに。それにしても、上記の例は、それ以前の話であろう。

蛇足(コーダ):
私の娘たちは、こちらの日本語の学校で、土曜日の午前だけ日本語を勉強しているが、そこで使用されている日本からの<国語>の教科書には、今でも、あの種の質問が書かれている。いや、さらに踏み込んで、……を読んで何を感じたか、などというのもあった。こうなったら、官民挙げての情操管理である。正しい感じ方なるものまでが指導されるのか。<良い子>は、教師の意向を察して、それに迎合する。
私は、無論、カナダの全部のEnglish / Francaisの授業を見聞きしたわけではないが、私の知る限り、何が書かれてあったか、を生徒に聞くに止まるようである。もちろん、感じたことを話すのは、生徒の自由であり、また、生徒は自主的に、積極的に、きちんと発言している。なによりも、健康的である。




55-56ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




あのさァ〜、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やフランス語やラテン語が入り混じっている。。。 普通の日本人にとって、オマエの文章は似非(えせ)外国語のような印象を与えるのだよ!



デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。


3.9 レオシュ・ヤナーチェク

    (1854 – 1928)



(yanacek2.jpg)

 

古畑銀之助が<ある晴れた日に>(No. 41)の誌上に:


<スタバート.マーテル>は<悲しみの聖母>と

歌謡曲の題みたいに低俗意訳されていますが、

ラテン語辞典にある直訳<母は立いたり>とするほうが、

ひとを思索に誘う深い意味を表すのではないでしょうか。

事は悲しみどころではないのですから。


――と書いている。

その通りだ、と私も思う。私自身の気持ちとしては、<佇む聖母>ぐらいに翻訳したいところであるが、どちらにしても、言葉は、もっと大事にしたいものである。
いや、歯に衣を着せないで言おう。

私は、よくあることであるが、<Stabat Mater>を<悲しみの聖母>などとするような日本人のメンタリティを嫌悪する。

そして、誰の編纂か私は知らないが、古畑氏の<ラテン語辞典>の訳は、厳密に言えば、直訳ではない。
誤訳である(草子地:これは、古畑氏に文句を言っているのではない)。

遠慮して言っても、誤訳に近い意訳であろう。
直訳は<母は立っている>である。
時制が間違っていることは、私の乏しいラテン語の知識でも歴然としている。

こういう例もある。
モラヴィア語の(草子地:以下、c、rとsの文字は正確なモラヴィア語の文字ではないときがある。許されたい。)≪Liska Bystronozka≫(直訳:早足の女狐)が。

アルバン・ベルクの≪ヴォツェック≫の場合と似た事情から、≪Liska Bystrouska≫(直訳:早耳の女狐)と変り、それをヤナーチェクがオペラとして作曲した際に≪Prihody Lisky Bystrousky≫(直訳:女狐、早耳の冒険)と題したいきさつがあった。

 


(yanacek4.jpg)



 

それがドイツ語に翻訳されたとき、≪Das schlane Fuchslein≫(この誤訳を誤訳のまま直訳すると:ずるい子狐)となり<女>が消えてしまったが、

面白いことに、さらに英語に重訳されて≪The Cunning Little Vixen≫と、。。。

 


(vixen07.jpg)

 

それは英語の語彙の故であろうが、魔法のように、偶然に<女>が復元されている。

くどくなるが、話は、まだ続く。

以前に誰かが≪ずるい女狐>と日本にて日本語に翻訳したが、今では普通≪利口な女狐の物語≫と題されている。

アルノルト・シェーンベルクの≪Verklarte Nacht≫が<聖められたる夜>と

一度は、ほぼ正しく翻訳されたものの、

それが、いつの間にか<浄夜>などと言う訳の解らない言葉にすれかえられてしまったのに似ているのである。

 


(nacht2.jpg)



 

こういうことは、意図的であろうとなかろうと、日本人の意識、或いは、意識下に問題がある故ではないか。

モラヴィア語−>ドイツ語−>英語への言葉の変遷は、間違い、不注意、無神経の故であろうが、日本語への翻訳では、ずるい、が利口に変ったり、<物語>などの余計な言葉が、飴をしゃぶらせるように挿入されたりして、それを嫌らしいとは、日本にいる日本人は感じないのであろうか。

ことは表題だけではない。
武士の情けで名前はここに出さないが、このオペラについて次のような解説があった:


森に住む女狐ビストロウシュカは猟番につかまるが

逃げだし、恋をし、子供を生み、

密猟者の弾丸に当たって死ぬ。

しかしその後には母にそっくりな子狐が…自然は永遠だ。


――ときたものだ。

この作品の場合には、それほど深刻ぶってもしかたがないとはいえ、ことは、そんな綺麗事ではない。
この女狐は、言ってみれば、純情な阿婆擦れなのである。
自然は永遠だ、などという陳腐な通り一遍のセンチメンタリズムからは、はみ出ている。

日本の評論家たちからは、何も本質的なことを学んだ覚えがないが、多くの知識はかき集めることができた、と私は思っていた。
少なくとも、海外の(草子地:今の私にとっては、海内か?)情報の紹介の労に対しては評価したく思っていたが、昨今では、それも疑わしくなってきた。
古畑もまた、日本の評論家は不勉強である、と書いていたが。

要約には注意を要する。
私がまだ小学生の頃、国語(草子地、日本語のことか?)の授業で、「……以上を通して、作者は、何を言わんとしているか?」などという質問を受けたか、読んだかした記憶がある。
この種の質(愚)問には、どこかに罠があるのではないか、と幼い心にも訝しく、警戒したものである。
こういう、いらぬお節介を<読書指導>などと、教師は言っていたのではなかったか。

作者は、何を言わんとするか、それが一言や二言で言えるのであれば、紙数を費やすことなく、作者は、それを書いていたはずである。
それを、誰かが代行して、より簡単に言換え得るなどという、多分に無意識であろうが、無神経で官僚的な傲慢さは作者にたいして失礼、いや、無礼である、ということなどは、子供でさえ感じとれるものである。
その自覚のなさは、役人の知的怠慢である。

私も可愛げのない子供であったであろうが、質問した人、機関 ― 子供にとっては、学校は、権力で有る ― ほどには文学を含めての芸術作品に対しては小賢しくなかった、ということである。
短ければよい、要約すればよい、ということではなかろう。

例えば、一つの和歌を解説しよう、と試みるならば、その文章は、その和歌そのものよりも長くなるであろう。
当然であり、かつ、評論は文学よりは、決して、上位にはない、ということである。

本来は芸術である文学の、よくて哲学的な言い換えに何かの意味があるのだろうか。
その無意味さが、大学の文学部の文学や音楽学部の音楽学を成立、維持させている。

それだったら、何故、例えば、哲学をやらないのであろう、と私は訝しく思うのである。
哲学は、本来、面白い学問なのに。
それにしても、上記の例は、それ以前の話であろう。

 



追記(コーダ):

 

私の娘たちは、こちら(カナダ)の日本語の学校で、土曜日の午前だけ日本語を勉強しているが、そこで使用されている日本からの<国語>の教科書には、今でも、あの種の質問が書かれている。
いや、さらに踏み込んで、「……を読んで何を感じたか?」などというのもあった。

こうなったら、官民挙げての情操管理である。
正しい感じ方なるものまでが指導されるのか。
<良い子>は、教師の意向を察して、それに迎合する。

私は、無論、カナダの全部の英語とフランス語の授業を見聞きしたわけではないが、私の知る限り、何が書かれてあったか、を生徒に聞くに止まるようである。

もちろん、感じたことを話すのは、生徒の自由であり、また、生徒は自主的に、積極的に、きちんと発言している。
なによりも、健康的である。





赤字はデンマンが強調)

55-56ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




つまり、オイラが次のように言ったことがデンマンさんには気に障るのですか?



(uncle006.gif)

 

モラヴィア語−>ドイツ語−>英語への言葉の変遷は、

間違い、不注意、無神経の故であろうが、

日本語への翻訳では、ずるい、が利口に変ったり、

<物語>などの余計な言葉が、飴をしゃぶらせるように

挿入されたり
して、それを嫌らしいとは、

日本にいる日本人は感じないのであろうか。




いや。。。 別に気に障ったり、ムカついたわけじゃないのだけれど、確かに翻訳する時に、間違うことは往々にしてある。。。



。。。でしょう? だから、そういう事がないように気をつけねばならないと言ってるのですよ!

でもなァ〜、例えば、ずるい、が利口に変ったりするのは、間違いとは言えないよ。。。

どうしてですか?

翻訳する人の理解が、そこに表れているわけだよ。。。 つまり、翻訳する人がヤナーチェクの上のオペラを見て感じたままを書いたのだよ。。。 それで、ある翻訳者はずるい狐と感じた。 また、他の翻訳者は利口な狐と感じたわけだよ。。。

でも、正解はただ一つだけだと思いますけれど。。。

だから、それが可笑しいのだよ! 人生と同じで、正解なんてないのだよ!

そんなことはないでしょう! 1 + 1 = 2 と決まっているのですよ! 答えは一つです!

そんなことはないよ! 量子の世界では、確率的に 1 + 1 = 3 になることもあれば 1.5 にも 2.5 にもなるときもある。。。

オイラは普通の、常識的な世界のことを言ってるのですよ。。。

でも、オマエも言ってるじゃないか! もちろん、感じたことを話すのは、生徒の自由であり、また、生徒は自主的に、積極的に、きちんと発言している。 なによりも、健康的であると。。。

確かに、そう言いました!

だから、翻訳者も、理解したままに、感じたままに、それぞれずるい狐利口な狐と感じたままに翻訳したのだよ。。。

 


(vixen02.jpg)

 



つまり、デンマンさんもヤナーチェクの≪利口な女狐の物語≫を見て、上の女狐を思い浮かべたのですか?



そうだよ。。。 オマエは、次のような女を思い浮かべたのだろう!

 


(vixen08.jpg)



 



違いますってばああああああああああああああァ〜♪〜!



別に恥ずかしがらなくてもいいのだよ! 80歳を過ぎてセクシーな女に心を動かされるというのは健康な証拠だよ! 上のような女じゃないとしたら、オマエは、一体どういう女狐を思い浮かべたわけぇ〜?

次のような女狐です。。。

 


(vixen05.jpg)

 



オマエ。。。 完璧なロリコンだなァ〜。。。!?



うへへへへへへ。。。 いけませんか?



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたは、どのような女狐を思い浮かべましたか?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたはヤナーチェクの≪利口な女狐の物語≫のことなど、どうでもいいのですか?

分かりましたわァ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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2019年03月13日

クラシックとじょんがら


 

クラシックとじょんがら

 


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デンマンさん。。。、最近 クラシックと民謡にハマッてるのですか?


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。。。ん? オマエは僕がクラシックと民謡にハマッていると思うわけぇ〜。。。

だってぇ、タイトルに クラシックとじょんがら と書いてあるじゃありませんかァ!

いや。。。 僕がハマッていると言うよりも、オマエこそクラシックと民謡にハマッてるんじゃないのォ〜!?

その証拠でもあるのですかァ〜?

あるのだよ。。。 オマエは次の記事を書いていたのだよ!


12.1 Zoltan Kodaly (1882-1967)

何故、連弾用のピアノ曲を二台のピアノで弾くと、つまらないのだろう。弾いている二人だけではなくて、聴いている人にとっても、その曲が、なにか間が抜けて響くであろう事は容易に想像できることである。ところが、そうした作品をレコードで聴く場合は、やはり二台のピアノを使用しての録音のほうが良いであろう。ことは、少しばかり複雑である。
ところで、これはピアノ曲ではないが、あるレコードを聴きながら、いつか、この音楽は見てみたい、と想ったことがあった。そのレコードは、Zoltan Kodalyの<<無伴奏チェロの為のソナタ>>(Op. 8)である。演奏はJ. Starker,録音はPeter Bartok であった。一寸ばかり有名なLP である。
しかし、この驚異的な録音で、この作品を耳にしても、否、むしろ驚異的な録音であるが故に、何故か、何かもどかしいような感じから逃れられない気持であったのである。私自身が弦楽器から離れて二十年以上になるので、中村紘子の言った<エロティクとすら言える楽器に対する感触>に於ける想像力が減退したのか、などとも思ったことがあった。
その後、ついに、例の曲を見ることができた。演奏は、私の尊敬する堤剛、Starkerの愛弟子(と、私は推察する)である。見て分かるところは解ったように感じとった。音楽を見てみたい、と思ったのは、演奏を見てみたい、ということだけではなかったのに気がついたのだ。この作品の調弦は(低弦二本が標準より半音低い)B, Fis, D, Aである。私は、Kodalyが、そのように調弦された楽器を使って作曲したのか、そうした楽器の為に作曲したのか、或いは、彼の作曲上のideeに基づいて作曲し調弦を指定したのか、が更に気になっていたのである。そこまで見ることは、もともと不可能であったものの、とにかく、演奏を観ていて楽しいことは確かであった。
私がそうしたことに興味をもったのは、私がヴィオラをヴァイオリンの移調楽器として扱って(ハ音記号をト音記号と想定して、譜面上の調性を属調にシフトし、三度下を奏く。ヴァイオリンの経験のないヴィオラの先生が、よくそんなことが出来るわねえ、と感心して(あきれかえって)いたが、そんなことは、瞬時に出来るのである。)いたせいもあるが、それに加えて、H.I.F. Biberの<<Die Rosenkranz-Sonaten>>に思いをはせるからでもあった。この曲集は、標準的な二曲を除いて、全て調弦、配弦がそれぞれに異なっている(scordaturaと言う)。それに、楽譜は実音で書かかれていないので、作曲家自身の間違いが散見される、とのことである。そのへんのところを、吉田秀和はKodalyの作品について、<作曲としては、むしろshow pieceに属する>(This is my work)、と書いていたのであろうか。いや、そうではないであろう。彼は更に<幅のせまい表現の内容価>などと言う、一寸解らない言葉ではあるが、とにかく作品の価値判断を含むところまで話を進めている。私は、ここまで来ると、拘りを感じざるを得ないのである。私は、とにかくKodalyの初期の作品が好きなのであるが、その私の個人的な嗜好を抜きにしても、アタックを含めた楽器の音色の変化は、いわゆる旋律やrythmeと同じレヴェルでの作品構成上のparametreであることは、現代では、ほぼ常識であり、Bartokについては、不思議なことに、吉田も認めていたところではなかったか。
ことは、夾雑物、或いはそれと視られるものを含む対象を、どのように見るかにあると思う。何らかのコミュニティに(草子地: ここでは、共同体としての民族を含むことは、言うまでもないであろう。)音楽が属している場合には、音楽を含めた文化としてしか音楽は存在しなかった、と私は思う。Kodaly自身は、民謡の傷痕は彼の作品には無い、と言っていたが、それは、何も、民謡のideomの使用も無かった、という意味ではあるまい(もし、そうであったとしたら、私はKodalyの言うことは何も信用しない)。話はむしろ逆である。夾雑物と視られたものが、実は本体、本質であった、ということすら有り得るのである。西欧の音楽に慣れた耳にはprimitifに聞こえる音の動きから、BartokやKodalyの音楽が進展したことは周知であろう。吉田秀和がBartokの<<Mikrokosmos>>が解らないのも無理はない。<幅のせまい…>などという言い方は、生来未だかつて、何ものをも創った事の無い人間の言い草であろう。繰り返すが、ことはもう少し複雑である。
偉い人の悪口を言ってもはじまらない。自分で考える楽しみがまだ残されている。
音楽が解る、ということは、耳が感じたことを意識が確認することだ、と私は考える。話は、音楽を離れてみても、よくわかる。困難を克服しようとしている姿、姿勢を見ることが、何事にもよらずに感動的なのである。いたいけな幼児の弾く小品が、商品化された、蒸留水の様な演奏よりも感動的な瞬間があるのはそのためである。それは、いたいけな子供を商品化するな、ということでもあろう。意識が確認する、というのは、何も演奏上の困難さだけではない。作曲上の困難さも同様なのである。J.S. Bachの<<Die Kunst der Fuge>>は、楽譜を見るだけでも充分に感動的である。眼で見たものを、意識が確認するからである。
そういえば、J.S. Bachの<<無伴奏チェロ組曲>>のどれをレコードで聴いても、特に演奏を見てみたい、とは思ったことがなかった。音楽は自立して整然とした佇まいをしている。むしろ、静けさを感じるほどに。

蛇足(コーダ):
ついでながら、話は逸れるが、J. Brahmsの<<Symphonie in e-moll>>(Op. 98)の冒頭開始、震い付きたくなるような弦の響きが必要なところであるが、そうした演奏に久しく接してないのを、私は残念に思っている。




52-53ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書−作品 1の1』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




あのさァ〜、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やラテン語が入り混じっている。。。



デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。


12.1 コダーイ・ゾルターン

    (1882-1967)



(kodaly02.jpg)

 

何故、連弾用のピアノ曲を二台のピアノで弾くと、つまらないのだろう。
弾いている二人だけではなくて、聴いている人にとっても、その曲が、なにか間が抜けて響くであろう事は容易に想像できることである。

ところが、そうした作品をレコードで聴く場合は、やはり二台のピアノを使用しての録音のほうが良いであろう。ことは、少しばかり複雑である。
ところで、これはピアノ曲ではないが、あるレコードを聴きながら、いつか、この音楽は見てみたい、と想ったことがあった。
そのレコードは、コダーイ・ゾルターンの≪無伴奏チェロの為のソナタ≫(作品8)である。

 


(kodaly03.jpg)



 

演奏はヤーノシュ・シュタルケル,録音はピーター・バルトーク であった。
一寸ばかり有名なLP である。

しかし、この驚異的な録音で、この作品を耳にしても、否、むしろ驚異的な録音であるが故に、何故か、何かもどかしいような感じから逃れられない気持であったのである。
私自身が弦楽器から離れて二十年以上になるので、中村紘子の言った<エロティクとすら言える楽器に対する感触>に於ける想像力が減退したのか、などとも思ったことがあった。

その後、ついに、例の曲を見ることができた。
演奏は、私の尊敬する堤剛、ヤーノシュ・シュタルケルの愛弟子(と、私は推察する)である。
見て分かるところは解ったように感じとった。

音楽を見てみたい、と思ったのは、演奏を見てみたい、ということだけではなかったのに気がついたのだ。
この作品の調弦は(低弦二本が標準より半音低い)シ, ファの半音上, レ, ラである。

私は、コダーイ・ゾルターンが、そのように調弦された楽器を使って作曲したのか、そうした楽器の為に作曲したのか、或いは、彼の作曲上のアイデアに基づいて作曲し調弦を指定したのか、が更に気になっていたのである。
そこまで見ることは、もともと不可能であったものの、とにかく、演奏を観ていて楽しいことは確かであった。

私がそうしたことに興味をもったのは、私がヴィオラをヴァイオリンの移調楽器として扱って(ハ音記号をト音記号と想定して、譜面上の調性を属調にシフトし、三度下を奏く。ヴァイオリンの経験のないヴィオラの先生が、「よくそんなことが出来るわねえ」、と感心して(あきれかえって)いたが、そんなことは、瞬時に出来るのである。)いたせいもあるが、それに加えて、ハインリヒ・ビーバーの≪ロザリオのソナタ集≫に思いをはせるからでもあった。

 


(sonaten2.jpg)



 

この曲集は、標準的な二曲を除いて、全て調弦、配弦がそれぞれに異なっている(変則調弦あるいは特殊調弦と言う)。
それに、楽譜は実音で書かかれていないので、作曲家自身の間違いが散見される、とのことである。

そのへんのところを、吉田秀和はコダーイ・ゾルターンの作品について、<作曲としては、むしろショーピースに属する>(「名曲のたのしみ」)、と書いていたのであろうか。
いや、そうではないであろう。
彼は更に<幅のせまい表現の内容価>などと言う、一寸解らない言葉ではあるが、とにかく作品の価値判断を含むところまで話を進めている。

私は、ここまで来ると、拘りを感じざるを得ないのである。
私は、とにかくコダーイ・ゾルターンの初期の作品が好きなのであるが、その私の個人的な嗜好を抜きにしても、アタックを含めた楽器の音色の変化は、いわゆる旋律やリズムと同じレヴェルでの作品構成上のパラメータであることは、現代では、ほぼ常識であり、バルトークについては、不思議なことに、吉田も認めていたところではなかったか。

ことは、夾雑物、或いはそれと視られるものを含む対象を、どのように見るかにあると思う。
何らかのコミュニティに(草子地: ここでは、共同体としての民族を含むことは、言うまでもないであろう。)音楽が属している場合には、音楽を含めた文化としてしか音楽は存在しなかった、と私は思う。

コダーイ・ゾルターン自身は、民謡の傷痕は彼の作品には無い、と言っていたが、それは、何も、民謡のイディオムの使用も無かった、という意味ではあるまい(もし、そうであったとしたら、私はコダーイ・ゾルターンの言うことは何も信用しない)。
話はむしろ逆である。
夾雑物と視られたものが、実は本体、本質であった、ということすら有り得るのである。

西欧の音楽に慣れた耳には素朴で初歩的に聞こえる音の動きから、バルトークやコダーイ・ゾルターンの音楽が進展したことは周知であろう。
吉田秀和がバルトークの≪ミクロコスモス≫が解らないのも無理はない。

 


(bartok01.jpg)



 

<幅のせまい…>などという言い方は、生来未だかつて、何ものをも創った事の無い人間の言い草であろう。
繰り返すが、ことはもう少し複雑である。

偉い人の悪口を言ってもはじまらない。
自分で考える楽しみがまだ残されている。
音楽が解る、ということは、耳が感じたことを意識が確認することだ、と私は考える。

話は、音楽を離れてみても、よくわかる。
困難を克服しようとしている姿、姿勢を見ることが、何事にもよらずに感動的なのである。
いたいけな幼児の弾く小品が、商品化された、蒸留水の様な演奏よりも感動的な瞬間があるのはそのためである。
それは、いたいけな子供を商品化するな、ということでもあろう。

意識が確認する、というのは、何も演奏上の困難さだけではない。
作曲上の困難さも同様なのである。
バッハの≪フーガの技法≫は、楽譜を見るだけでも充分に感動的である。
眼で見たものを、意識が確認するからである。

 


(gould770.jpg)



 

そういえば、バッハの≪無伴奏チェロ組曲≫のどれをレコードで聴いても、特に演奏を見てみたい、とは思ったことがなかった。

音楽は自立して整然とした佇まいをしている。

むしろ、静けさを感じるほどに。

 



 



追記(コーダ):

 

ついでながら、話は逸れるが、ブラームスの≪交響曲第4番ホ短調≫(作品98)の冒頭開始、

 


(brahms98.jpg)



 

震い付きたくなるような弦の響きが必要なところであるが、

そうした演奏に久しく接してないのを、私は残念に思っている。




赤字はデンマンが強調)

52-53ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書−作品 1の1』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




つまり、オイラが上の記事の中で民謡を取り上げたので、その記事を引用して クラシックとじょんがら というタイトルをつけたのですか?



いや。。。 そういうわけじゃないのだよ。。。 実は、先日 次の記事を書いてオマエとクラシックと民謡のことで語り合ったのだよ。。。

 


(minyou01.jpg)

『クラシックと民謡』

 



。。。で、上の記事の中でオマエが次のように書いていた。



(ireba04.png)

 

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、

昔の民衆の創造性が信じられる。

 

しかし、私は、私自身を含めて、

現代の大衆を信じてはいない。


この汚染されきった世界に住むことは、

あまり幸福とは言えないという気持ちである。

だから、私は久しく《パシフィック231》に対しても

反感すらもっていた。




オマエが、「私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない」と呆れた事を書いたことから、この点についてやり取りが長くなってしまって、実は、僕が言いたかった事が語りきれなかったのだよ。。。



つまり、今日は、その続きを語り合うということですか?

そういうことなのだよ。。。 オマエが、コダーイ・ゾルターンについて書いた記事の中でも民謡を取り上げていたので、その記事を長々と引用したのだけれど、今日はコダーイ・ゾルターンは、付録のようなもので、僕にとってはどうでもいいのだよ。。。

。。。で、デンマンさんは、何が言いたかったのですか?

まず、次のリストを見て欲しいのだよ。。。

 


(liv90306a2.png)

『拡大する』

『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』

 



これはライブドアの 僕の『徒然ブログ』の日本時間で3月5日の午後6時5分から午前7時51分までの約2時間の「生ログ」なんだよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。 



あれっ。。。 3月5日の午後7時48分に 『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』 を読んだネット市民がいたのですねぇ〜。。。 もしかして、上の写真のきれいなお姉さんが読んだのですかァ〜?

そうなのだよ。。。 神奈川県川崎市多摩区に住んでいる津島 久留美 (つしま くるみ)さんが読んだのだよ。。。

デンマンさん!。。。 お願いですからオイラに久留美さんを紹介してください。。。 お願いします。。。

あのさァ〜、いい年して男性ホルモンを全開して 目をぎらつかせながら ウェブカムに近づいてくるなよ! んもおおおォ〜!

また、IPアドレスを調べて 久留美さんが 『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』 を読んだことを突き止めたのですかァ〜!?

そうだよ。。。

 


(ip6530b.png)

 



。。。で、久留美さんは川崎市で何をしているのですか?



川崎市高津区にある洗足学園音楽大学で作曲の勉強をしているのだよ。。。

 


(senzoku01.jpg)



 



あれっ。。。 将来は日本を背負って立つような作曲家を目指しているのですか?



そういうことだよ。。。

じゃあ、ぜひともオイラに久留美さんを紹介してください。。。

あのさァ〜、オマエには心優しい奥さんがいるのだよ。。。 どうして久留美さんを紹介して欲しいわけぇ〜?

ワイフとは日本語が通じなくなってから、もう何年にもなりますから、久留美さんと日本語でクラシックについて話がしたいのです。。。

実は、オマエがそう言うだろうと思ったのだよ。。。

それで、久留美さんが出てくるアクセス解析のリストを持ち出してきたのですか?

オマエは意外にオツムの回転が早いのだねぇ〜?

これでも早稲田の理工学部数学科を優秀な成績で卒業しましたから。。。 うへへへへへへへ。。。

あのさァ〜、久留美さんを紹介してもらえると思って、ヨダレを垂(た)らしながら シャツの胸元をビチャビチャに濡らしているけれど、みっともないから ハンカチで そのヨダレをふけよう!

。。。で、なぜ久留美さんを取り上げるのですか?

もう一度、オマエが書いたことを読み返してごらんよ!



(ireba04.png)

 

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、

昔の民衆の創造性が信じられる。

 

しかし、私は、私自身を含めて、

現代の大衆を信じてはいない。


この汚染されきった世界に住むことは、

あまり幸福とは言えないという気持ちである。

だから、私は久しく《パシフィック231》に対しても

反感すらもっていた。




つまり、現代の大衆の一人である久留美さんも、オマエは信じてないということだよなァ〜。。。?



いいえ。。。 久留美さんならば、オイラは信じることができます。。。 なぜなら、作曲を勉強している人に悪い人も、心の汚染された人もいないからです。。。

でも、オマエは 「この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちで。。。 だから、オマエは久しく《パシフィック231》に対しても反感すらもっていた」 のだろう!?

そうです。。。

だったら、オマエの住んでいる世界と久留美さんの住んでいる世界は別世界だよなァ〜?

いいえ。。。 クラシックと民謡に対して造詣の深いオイラと久留美さんは清らかな美しい音楽の世界の住人です! うへへへへへへへへ。。。

そうやって うすら馬鹿笑いを浮かべて 手のひらを返したように噓っぱちを並べている場合じゃないだろう! ちょっと次の記事を読んで欲しい。



“たかが音楽、されど音楽、

 それ以上でも以下でもない。”


。。。だと、僕も思いますね。
音楽は人生でもない。
人生は音楽でもない。
されど音楽、それ以上でも以下でもない。

 


(cute0015.gif)

 



ここで、もう一度恵美子さんに登場してもらいますが、
僕は、クラシックが何たるものか?と分からないうちに恵美子さんが演奏した“乙女の祈り”を聴いて感動したんです。
もちろん、可愛いと思っていた恵美子さんが弾いたから、中学生の僕は、なおいっそう感動したのです。

僕がピアノを独習で習い始めたのは、この経験があったからで、それがクラシックであったからではないのです。
いづれにしても、一つの曲がある人物によって演奏された事で僕に感動を引き起こした。
その感動が、僕をピアノに近づけさせた。

恵美子さんに会いたいからピアノを弾き始めたわけじゃない。
なぜなら、恵美子さんに会ったのはあの時が初めで最後。
僕の演奏を聴いてもらった事で僕の“片思い”は完結したのです。
でも、それからも、僕は時々“乙女の祈り”を弾いたものでした。

あの感動を自分のものにしたいから。。。

しかし、今の僕はすっかり忘れていて、この曲を弾く事さえできないんですよね。
あれだけハマッた“乙女の祈り”だったのに。。。

つまり僕にとって。。。
音楽は人生でもない。
人生は音楽でもない。
されど音楽、それ以上でも以下でもない。

現在、“乙女の祈り”を聞いてもジーンとこないのですよ。懐かしいとは思いますが。。。
しかし、“津軽じょんがら節”を津軽三味線で聴く時、僕の魂はゆさぶられます。




『ん? クラシック興味ある?』より


あれだけハマッタ“乙女の祈り”を聞いてもジーンとこないのに、
“津軽じょんがら節”を津軽三味線で聴く時、僕の魂はゆさぶられる。

なぜなのか?
“昔の民衆の創造性”とは、具体的にどのようなものなのか?

その答えを見出すために、僕は“津軽じょんがら節”の成り立ちを遡(さかのぼ)って行ったのです。

津軽じょんがら節は津軽民謡の代名詞のようなものですが、
元は新潟・十日町市の「新保広大寺」という唄だと言われています。

これは広大寺の和尚・白岩亮端の時代に起きた農地の耕作権をめぐる土地争いが原因で、
広大寺の和尚を追い出すために歌った「悪口唄」でした。

それが越後で大流行し、やがて越後瞽女(ごぜ)のレパートリーとなります。
これが全国に流行するのですが、それが津軽化したものが「じょんがら節」です。

津軽でも民衆の心に長く記憶される事件が起こりました。
慶長2(1597)年、南津軽郡浅瀬石城主・千徳政氏が、大浦為信に滅ぼされたのです。

しかし、政氏の死後も為信は追討をやめず、ついに政氏の墓まで暴こうとします。

 


(joue006.jpg)

 

その戦いで炎上した千徳氏の菩提寺・神宗寺の僧・常椽(じょうえん)は、
それを抗議する意味をこめて本尊を背負って、
上川原に身を投げたと言います。すさまじい話なんですよね。
こうした悲劇を歌った口説節が、じょんがら節であると言います。

つまり、民衆の中から沸き起こった歌なんですよね。
11代にわたって津軽の東の山根に繁栄した千徳家が滅亡。
落城とともに神社・仏閣がすべて焼き払われる。

この時千徳家代々の菩提寺である神宗寺に奉仕していた常椽和尚が、
先祖代々の位牌を背負って逃げた。

ところが、捕らえられそうになったので
白岩の断崖から浅瀬石川(上川原)に身を投じて一生を終えたのです。

年を経た夏に、川原で遊んでいた子供達が常椽和尚の変わり果てた遺体を砂の中にみつけ、
村人が相談して墓をつくり、ねんごろに弔ったと言われています。

その後、その場所を常椽川原(じょうえんがわら)と呼ぶようになったそうです。
それから毎年、お盆には常椽川原に集まり供養をし、
代々の城主をはじめ先祖の霊を慰め、
常椽和尚を偲ぶために即興で歌われたのが「津軽じょんがら節」の始まりだと言われています。

常椽川原もいつしか上川原(じょうがわら)となり、更には「じょんがら」と言われるようになったわけです。

つまり、“民衆の創造性”から生まれた唄というものは、
もともとのクラシックのようにorder-madeではなかったのですよね。

民衆の中から沸き起こった歌。
血と汗と涙。。。
そのような苦労の中で民衆の口により歌い継がれて現在の我々にまで知られるようになった。

現在の僕が、あれだけハマッタ“乙女の祈り”を聞いてもジーンとこないのに、
“津軽じょんがら節”を津軽三味線で聴く時、僕の魂はゆさぶられる。
それは、やはり、この唄が血と汗と涙の中で民衆によって受け継がれてきたからではないのか?

芸能プロダクションがミーハーの歌手を育てて広めたわけでもない。
そうやって金儲けをするために歌われてきたわけではない。

テレビやラジオで宣伝して広めたわけでもない。
演奏会や、音楽会を開いて広めたわけでもない。
紅白歌合戦があったわけでもない。
レコード会社が儲かるからと言ってレコードに録音したわけでもない。


私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。

しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。

この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えない、という気持ちである。


つまり、太田さんが言うところのこの汚染されきった世界こそ、
すぐ上に書いた芸能プロダクションであり、
テレビやラジオの功利主義であり、
演奏会や音楽会の商業主義であり、
紅白歌合戦と言う馬鹿騒ぎであり、
レコード会社の儲け主義ではないだろうか?

僕が“津軽じょんがら節”を聴いて魂をゆさぶられるのは、
“民衆の創造性”に僕の心の琴線が触れたからだと僕は信じています。

本尊を背負って、上川原に身を投げた常椽(じょうえん)和尚の無念な気持ち。
その和尚に同情を寄せる村人たち。
その中で和尚を悼(いた)み偲ぶ唄が生まれ、その悲劇と共に民衆に歌い継がれてゆく。
僕は、このような悲劇のことは何も知らない。

しかし、その悲劇性と、農民の気持ちが、この歌の響きの中に、旋律の中に込められている。
そして、その唄が津軽三味線で奏(かな)でられるとき、僕の魂をゆさぶる。


そういうことだと思うのですが。。。
あなたはどう思いますか?

次のリンクをクリックして、柴田三兄妹の“津軽じょんがら節”を聴いてみてください。






『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』より
(2006年7月9日)




つまり。。。、つまり。。。、デンマンさんは“津軽じょんがら節”を聴いてその悲劇性と、農民の気持ちが、この歌の響きの中に、旋律の中に込められている。 そして、その唄が津軽三味線で奏(かな)でられたとき、デンマンさんの魂がゆさぶられたのですか?



そういうことだよ。。。

要するに、オイラが次のように言ったことに対してデンマンさんは共感したというわけですねぇ〜。。。



(ireba04.png)

 

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、

昔の民衆の創造性が信じられる。





僕も、そして 津島久留美さんも、“津軽じょんがら節”を聴いて民衆の創造性を信じたのだよ。。。

 


(girl513r.png)

 



じゃあ、オイラもデンマンさんと津島久留美さんのお仲間ですねぇ〜! うへへへへへへ。。。



いや。。。 オマエは農民も信用していないだろう!?

いいえ。。。 オイラも“津軽じょんがら節”を聴いて農民の創造性を信用することができました。。。 うしししししし。。。



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたも現代の大衆を信じることができますか?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたにとって、日本での幸せはどうでもいいのですか?

分かりましたわ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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Posted by barclay1720 at 03:00Comments(0)

2019年03月10日

クラシックと民謡


 

クラシックと民謡

 


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デンマンさん。。。、最近 クラシックと民謡 にハマッてるのですか?


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。。。ん? オマエは僕がクラシックと民謡にハマッていると思うわけぇ〜。。。

だってぇ、タイトルに、そう書いてあるじゃありませんかァ!

いや。。。 僕がハマッていると言うよりも、オマエこそクラシックと民謡 にハマッてるんじゃないのォ〜!?

その証拠でもあるのですかァ〜?

あるのだよ。。。 オマエは次の記事を書いていたのだよ!


17.1 Arthur Honegger (1892-1955)

A. Honeggerの<<Movement Symphonique, Pacific 231>>を久しぶりに聴いた。何故か、こういうmachinismeの音楽は、なかなか飽きが来ない。そういえば、L.Russoloも、やがて我々にとって、市外電車や内燃機関、自動車や群衆の騒音を理想的に組み合わせる方が、<Eroica> や <Pastoral>を繰り返し聴くより、はるかに大きな楽しみとなろう、と書いていた。C.A. Debussyでさえ、飛行機の時代には、それに相応しい音楽が必要だ、と言ったと聞く。
そもそも、昔は、<作曲>された音楽はorder-madeであったのだ。それが不特定多数の市民が対象とされるようになって、音楽はpret a porterとなった。作曲と演奏が分離、分業になったのは、この頃ではなかったか。その方が生産、販売共に効率が良かったのであろう。現代では、音楽は大量生産され有料、無料で配布されている。身尺に合ないready-madeのお仕着せに、どのような音楽を聴いてもambivalentな気持ちがするのは、私だけではあるまい。それはまた、一つ一つの製品に限った話ではない。私は、演奏会や音楽会を提供する側、製品に付加価値をつけようとする側のarrangement、つまりprogrameについても同様に感じる故に、めったに演奏会場に足をはこばないのである。そうした違和感は、皮肉なことではあるが、自分で選択した音楽を、自分で配列した順序でレコードで聴けば、幾分かは軽減されることに私は気がついた。それ以上を求めるのならば、自作自演をして、つまり自分で作曲をして自分で演奏して自分で耳を傾けるしか手が無いであろう。
私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである。だから、私は久しく<<Pacific 231>>に対しても反感すらもっていた。
Honegger自身はこの作品について、彼はこの曲で内燃機関の騒音を模倣しようとしたのではなく、むしろ視覚的印象や身体的快感を表現した、と語っていた(Je Suis Compositeur)。視覚的印象といえば、C. Monetにも、汽車の駅の構内を描いた作品があったっけ。そうしたlevelで、Honeggerの作品は描写音楽である、とも私は思う。ただ、私は、彼に限らずに、こうした発言に出会う度に、直接に模倣、表現しているなどと思っている連中には、そう思わせておけ、とでもいった突き放した態度が何故とれないのか、と訝ってもいるいるのである。そもそも、外界を完全に模倣、描写しようとして成功した音楽などというものが、未だかつて存在したであろうか。音楽の具体性がそんな処には無い事は明白ではないのか。
Honegger自身が別のところで釈明しているのは幸いであった。彼は、あの曲の真の意図は、抽象的なrythme運動の表現にあり、形式としてはJ.S. Bachのchoral変奏曲を念頭においた、と語っている。私に言わせれば、彼の言う<抽象的なrythme運動>こそ音楽に於ける具体性であって、そこには直接的に情緒などが入り込む隙間などはない、ということである。それにも拘わらずに、この作品を聴いて感銘を受けるのは、それはひとえに、創り手の対象への関心、敢えて言えば、対象への終始一貫した愛情とすらいえる拘りに、聴き手が共感するからである。その対象とは、機関車からの印象であると同時に<抽象的なrythme運動>でもある、と私は考えている。
実を言うと、私は、Honeggerは、少なくともこの曲の前半では、機関車の騒音をある程度は模倣(しよう)としていると判断している。それ故に、Honeggerのこの作品は、他人の情緒につきあう必要の少ない音楽であって、それが、今、むしろ、私がなかなかに飽きることがない、とでもいうことではないか。
ただ少し気に障るのは、この曲の後半で出てくる、あの安っぽい陳腐な旋律である。これがHoneggerの言った<身体的快感を表現>しているのであろうか。
H. Villa-Lobosにも似た様な作品があるが、そちらのほうはChoral変奏曲のような技術的な背景がない事と、やはり安易な旋律が登場するので、二度目に聴いた時には、残念だという気持ちを覚えた。その音響を好ましく感じた私ではあるが、聴覚に触発された視覚的情緒だけでは音楽は支えられない、とも思う私である。
音楽が、印象を含めての情緒、或いはその表現であるとしたら、それはそれで何ものかの描写であろう。これもまた、程度の問題である。
Honeggerは、<<Movement Symphonique No 3>>は<<Pacific 231>>や<<Rugby>>の様には表題をもたないので、それほど受け入れられなかった、というような不満、或いは皮肉を言っていたが、果たしてそれは表題のせいだけであろうか。私が<<Rugby>>でさえ、さほど楽しめないのは、私がrugby(のrule)を知らない故だと思っているのであるが。

蛇足(コーダ):
私の二人の娘たちは、蒸気機関車の走るのを見た事が無い。この世代は<<Movement Symphonique, Pacific 231>>をどのように聴くのであろうか。それは<抽象的なrythme運動>だけを聴く不幸であるのか、私には分かり様が無い。
それとも、それを見て経験した私の方が不幸なのであろうか。<rythme運動>が、どこまで<抽象的>なのか、自分自身の耳で聴いても分かり様が無い。
この様に、一人の人間が、対象が何であれ、それを分かっているかどうかは、自分自身のことであろうとなかろうと不確定なのではないか。これも、音楽のことだけではないであろう。




73-74ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書−作品 1の1』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




あのさァ〜、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やラテン語が入り混じっている。。。



デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。


17.1 アルテュール・オネゲル

    (1892-1955)



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アルテュール・オネゲルの《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》を久しぶりに聴いた。
何故か、こういうメカニカルな音楽は、なかなか飽きが来ない。

そういえば、ルイージ・ルッソロも、やがて我々にとって、市外電車や内燃機関、自動車や群衆の騒音を理想的に組み合わせる方が、<エロイカ> や <パストラル>を繰り返し聴くより、はるかに大きな楽しみとなろう、と書いていた。
ドビッシーでさえ、飛行機の時代には、それに相応しい音楽が必要だ、と言ったと聞く。

 


(pacific231.jpg)



 

そもそも、昔は、<作曲>された音楽はオーダーメイドであったのだ。
それが不特定多数の市民が対象とされるようになって、音楽はレディーメイドとなった。
作曲と演奏が分離、分業になったのは、この頃ではなかったか。
その方が生産、販売共に効率が良かったのであろう。

現代では、音楽は大量生産され有料、無料で配布されている。
身尺に合ないレディーメイドのお仕着せに、どのような音楽を聴いても相反するような気持ちがするのは、私だけではあるまい。
それはまた、一つ一つの製品に限った話ではない。

私は、演奏会や音楽会を提供する側、製品に付加価値をつけようとする側の編曲、つまりプログラムについても同様に感じる故に、めったに演奏会場に足をはこばないのである。
そうした違和感は、皮肉なことではあるが、自分で選択した音楽を、自分で配列した順序でレコードで聴けば、幾分かは軽減されることに私は気がついた。

それ以上を求めるのならば、自作自演をして、つまり自分で作曲をして自分で演奏して自分で耳を傾けるしか手が無いであろう。
私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。

しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。
この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである。
だから、私は久しく《パシフィック231》に対しても反感すらもっていた。

アルテュール・オネゲル自身はこの作品について、彼はこの曲で内燃機関の騒音を模倣しようとしたのではなく、むしろ視覚的印象や身体的快感を表現した、と語っていた(『わたしは作曲家である』吉田秀和訳 創元社 1953年 → 音楽之友社 1970年)。

視覚的印象といえば、クロード・モネにも、汽車の駅の構内を描いた作品があったっけ。

 


(mone02.jpg)

  サン・ラザール駅

 

そうしたレベルで、アルテュール・オネゲルの作品は描写音楽である、とも私は思う。

ただ、私は、彼に限らずに、こうした発言に出会う度に、直接に模倣、表現しているなどと思っている連中には、そう思わせておけ、とでもいった突き放した態度が何故とれないのか、と訝ってもいるいるのである。
そもそも、外界を完全に模倣、描写しようとして成功した音楽などというものが、未だかつて存在したであろうか。
音楽の具体性がそんな処には無い事は明白ではないのか。

アルテュール・オネゲル自身が別のところで釈明しているのは幸いであった。
彼は、あの曲の真の意図は、抽象的なリズム運動の表現にあり、形式としてはバッハのコラール変奏曲を念頭においた、と語っている。
私に言わせれば、彼の言う<抽象的なリズム運動>こそ音楽に於ける具体性であって、そこには直接的に情緒などが入り込む隙間などはない、ということである。

それにも拘わらずに、この作品を聴いて感銘を受けるのは、それはひとえに、創り手の対象への関心、敢えて言えば、対象への終始一貫した愛情とすらいえる拘りに、聴き手が共感するからである。
その対象とは、機関車からの印象であると同時に<抽象的なリズム運動>でもある、と私は考えている。

実を言うと、私は、アルテュール・オネゲルは、少なくともこの曲の前半では、機関車の騒音をある程度は模倣(しよう)としていると判断している。
それ故に、アルテュール・オネゲルのこの作品は、他人の情緒につきあう必要の少ない音楽であって、それが、今、むしろ、私がなかなかに飽きることがない、とでもいうことではないか。

ただ少し気に障るのは、この曲の後半で出てくる、あの安っぽい陳腐な旋律である。
これがアルテュール・オネゲルの言った<身体的快感を表現>しているのであろうか。

エイトル・ヴィラ=ロボスにも似た様な作品があるが、そちらのほうはコラール変奏曲のような技術的な背景がない事と、やはり安易な旋律が登場するので、二度目に聴いた時には、残念だという気持ちを覚えた。
その音響を好ましく感じた私ではあるが、聴覚に触発された視覚的情緒だけでは音楽は支えられない、とも思う私である。
音楽が、印象を含めての情緒、或いはその表現であるとしたら、それはそれで何ものかの描写であろう。
これもまた、程度の問題である。

アルテュール・オネゲルは、《交響的断章(運動)第3番》は《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》や《交響的断章(運動)第2番 『ラグビー』》の様には表題をもたないので、それほど受け入れられなかった、というような不満、或いは皮肉を言っていたが、果たしてそれは表題のせいだけであろうか。
私が《交響的断章(運動)第2番 『ラグビー』》でさえ、さほど楽しめないのは、私がラグビー(のルール)を知らない故だと思っているのであるが。

 


(rugby11.jpg)



 



追記(コーダ):

 

私の二人の娘たちは、蒸気機関車の走るのを見た事が無い。
この世代は《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》をどのように聴くのであろうか。
それは<抽象的なリズム運動>だけを聴く不幸であるのか、私には分かり様が無い。

それとも、それを見て経験した私の方が不幸なのであろうか。
<リズム運動>が、どこまで<抽象的>なのか、自分自身の耳で聴いても分かり様が無い。

この様に、一人の人間が、対象が何であれ、それを分かっているかどうかは、自分自身のことであろうとなかろうと不確定なのではないか。
これも、音楽のことだけではないであろう。




赤字はデンマンが強調)

30-31ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




つまり、オイラが次のように言ったので、デンマンさんはムカついたのですか?



(ireba04.png)

 

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、

昔の民衆の創造性が信じられる。

 

しかし、私は、私自身を含めて、

現代の大衆を信じてはいない。


この汚染されきった世界に住むことは、

あまり幸福とは言えないという気持ちである。

だから、私は久しく《パシフィック231》に対しても

反感すらもっていた。




ムカついたと言うよりも、オマエは実に愚かな事を書いているなと思って、呆れてしまったのだよ!



デンマンさんがそれほど呆れるような事をオイラは書いてますか?

書いてるよ!

でも、何で、それほど呆れるのですか?

あのさァ〜、日本語が解る134ヵ国で有名になっている「現実主義者」と名乗る愚か者のことをオマエも知ってるだろう?

もちろん、知ってますよ。。。 “馬鹿の見本”と言われている男でしょう!?

そうだよ!

 


(tenan02.jpg)

『現実主義者 馬鹿の見本』




(smilerol.gif)

 

わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

40過ぎても 結婚できない

オイラのために デンマンさんが

オイラの事で記事をたくさん

書いてくれました。

 

このぶんだと、読者の中から、

オイラにプロポーズしたい女性が

現れると思います。

オイラはウハウハしながら

男性ホルモンを全開しているのです。

きゃははははは。。。

 

こうなったら、もう無条件に

スキップして喜びたいですゥ!


(smilejp.gif)

わァ〜〜 うれしいなあああァ〜。。。

ルンルンルン ランランラ〜♪〜ン

もう一つおまけに

ルンルンルン ランランラ〜♪〜ン

ああァ〜、うれしいなあああァ〜。。。


 



上のリンクをクリックして記事を読んだら、誰だってこの男は“馬鹿の見本”だと信じることができる。



それは、そうですよ。。。 オイラだってぇ、一度読んだだけで、この男が“馬鹿の見本”だとすぐに理解できました。

だけど、この男は自分では“馬鹿”だと思ってないのだよ!

その証拠でもあるのですか?

あるのだよ! この男のことをじっくりと観察して研究して記事を書いたブロガーがいたのだよ。。。 ちょっと読んでごらんよ!


「現実主義者」の心理


(fool930.png)

 

過去ログでの私とのやり取りを見れば分かる通り、こいつは深刻なヘイトスピーカーである。

奴は私のブログだけではなく、いろいろなブログに現れては、ヘイトを繰り返している。

奴の発言についてはざっとこんな感じ


引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

 

被害者や遺族、被害者寄りの人間どもの方が学校関係者やPTA、学区民や教育委員会から「皇子山学区のゴミクズ」認定されてる

いじめ被害者は加害者よりずっと生きてる価値なしのゴミクズ

被害者がアホで根暗だからいじめられるのは当然、自己責任だろ

遺族は泣き寝入りしてりゃいい


(中略)

この書き込みを見て、気分を害さない遺族などいるというのか?

「自分の境遇もいじめ被害者と一緒だ」と訴えている・・・違う、こいつはそんなんじゃない。
少なくともこいつは自分といじめ被害者を「同等」などと思っていない。

奴は、異常なほど学歴に拘っているが、それは奴の中であるヒエラルキーが確立されているからである。

それがこちら
すごく単純だが、こんな感じ。


(kasuga23.png)

奴は自分自身を「低学歴」の立場に置き、自分自身を「ゴミクズ」だの「ボロ雑巾」だの宣っているが、決して自分の事を底辺だとは思っていない。

というのは、奴は上記のヒエラルキーにちょっとした付け加えをしているのである。

それが、これ


(kasuga24.png)

つまり、「どうせ低学歴は底辺這いつくばるしかねえんだ」と、這い上がろうとする者を見下し、馬鹿にする立場を自分の中で作り上げた。
こんなのはただの開き直りなんだけどね(笑)

そして「高学歴」に縋って、「低学歴」を見下していれば、恰も自分が「高学歴」の仲間入りしている気分になり、優越感に浸れると言うわけである。

まさに「虎の威を借る狐」。

だから、こいつにとって底辺から這い上がって成功を収めるなんて、あってはならない事であり、むろん、彼らを救ってやりたいなどと言う気持ちも毛頭ない。

現に、某ブログの管理人さんに、底辺を見下し、あざ笑うようにけしかけるようなことを言っているところを何度か目撃している。

奴にとって「高学歴」はいい人生で「低学歴」はみじめで「なくてはならない」。

ネトウヨレイシストにとって「日本人」はいい人で「朝鮮人」は卑しい人で「なくてはならない」。

どちらもそれがアイデンティティーであり、ここをケチをつけられると癇癪を起すのだ。
私が奴の事を「ネトウヨとメンタリティーは大して変わらない」と言ってきたのはここである。




『春日のブログ』より
2018-08-14 17:08:15




つまり、“馬鹿の見本”の「現実主義者」は、誰が見ても馬鹿なんだけれど。。。、しかも自分で「生きる価値のないウンコのようなクズの廃人」だと伊藤先生のブログで認めているのだけれど。。。、それでも自分が馬鹿だとは思ってない! なぜなら、上の記事でも書いてあるように、この愚か者は馬鹿にする立場を自分の中で作り上げているのだよ!



なるほどォ〜。。。 それで、自分よりも愚かな者を馬鹿にして、自分は、愚かでないと思ってるのですねぇ〜。。。

その通りだよ。。。 そもそも、自分が馬鹿だと思っていたら他人のブログにコメントなど書けないものだよ!

。。。で、デンマンさんが オイラが書いた文章を読んで、呆れまくったというのは、どういうことですか?

オマエは早稲田大学の理工学部の数学科を優秀な成績で卒業して、小さなソフトウェア会社の課長にまでなったのに、上役と喧嘩してカナダに移住し、大型計算機のメインテナンスを専門とする熟練技術者として自己満足な生活を送っているのだよなァ〜。。。

余計な事は言わなくてもいいですから、ズバリと指摘してください。。。

そうゆうオマエがだよ、「私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない」と書いている!

いけませんか?

あのさァ〜、もしそれが真実ならば、つまり、オマエは現代の大衆を信じてないばかりか、自分までも信じてないと言うことじゃないかァ!

そうです。。。 いけませんか?

あのさァ〜、ホントにオマエが自分自身を信じてないなら、そもそも、オマエは上の記事を書かなかった。。。と言うより、書けなかったはずだよ!。。。 そうだろう!?

デンマンさんも意外に馬鹿なところがあるのですねぇ〜?

自分が信じられないオマエは、馬鹿かもしれないけれど。。。 いや、充分に馬鹿の素質があるけれど、自分を信じている僕がどうして馬鹿なのォ〜?

“言葉の綾(あや)”ということをデンマンさんは聞いたことがないのですかァ〜? 「微妙な意味あいを表したり、事のついでに付け加えたりする、巧みな言葉の言い回し」ですよ。。。

つまり、オマエは本当は自分以外の一般大衆は信じてないけれど、自分自身は信じている。。。 でも、それを言うと、オマエの記事を読む読者に嫌われるので、それを避けるために、わざと 心にも無い「私自身を含めて」を書き加えた。。。 そういうわけぇ〜?

そうです。。。 それが読者受けする「巧みな言葉の言い回し」。。。 要するに“言葉の綾(あや)”ですよ。。。

それってぇ〜、馬鹿にする立場を自分の中で作り上げた“馬鹿の見本”と同じ論理だよ。。。 オマエは、“真実を語った者”の代わりに“言葉の綾(あや)”を持ち出してきて、読者受けを狙ったのだよ! そうだろう!?

デンマンさん!。。。 そこまで追求しないでくださいよ!。。。 “武士の情け” という言葉もあるでしょう!

時代錯誤な言葉を持ち出して、話題を逸(そ)らすなァ! んもおおおォ〜! しかも、オマエは「この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである」と書いている!

いけませんか?

つまり、オマエが信じてない現代の大衆も「この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである」とオマエは信じているのだよなァ〜。。。

そうです。。。

でも、僕はバンクーバーで幸せなんだよ! 要するに、オマエが信じてない日本の現代の大衆も、「この汚染されきった日本に住むこと」に幸せを感じているかもしれないのだよ!

その証拠でもあるのですか?

あるのだよ。。。 次の小文を読んでごらんよ!


海外に目を向ける

2015年03月03日(火) 09時16分31秒

テーマ:ブログ

久しぶりに朝から外出したので、朝の寒さを舐めてました。

寒すぎオワタw

スマートフォンからの更新である。

相変わらず大阪はミナミには中国から多くの観光客が賑わっております。


(minami100.jpg)


(tourbus.jpg)



特に週末は日本人おらんがなってぐらい多いです。

彼らのパワーは半端ないっす。

ドンキやダイコクではこれでもか!って引くほど大量買いされてます。

日本製の商品は人気あります。

なかには大量に買って、向こうの富裕層に売る転売をしてる人もいるみたいです。

日本にある商品=品質が良いという認識

日本の誇れるところです。

一方で日本のリソースが海外へ流出していく危惧もあります。

トヨタでは為替の影響を減らす目的でアメリカに工場を作り生産。

某エアコン製造企業も流通コストの削減を目的にブラジルに工場を設立。

いずれも何百億という投資をして工場を作ってでも、海外に拠点を設ける大企業は増えています。

システム開発でも、オフショア開発で盛んに海外に外注を降っています。

スポーツでもサッカーならヨーロッパ、野球ならアメリカのメジャーリーグへ国内の優秀な選手が海外へ流出しています。

イチローやダルビッシュ、本田や長友など日本人が海外で活躍する姿は日本の誇りだという見方もありますが、日本にスター不在という状況にもなります。

今二刀流で話題の大谷選手もいずれメジャーといってますが、日本のプロ野球人気を考えれば、間違いなくマイナスです。

2020年にはオリンピックもあり日本は元気だ!と楽観的に考えているジジイたちもいますが、そんなものは一時的なドーピングでしかないでしょ。

日本はどんどん高齢化が進み、国の借金も絶賛増え続けており、決して安泰とは思えません。

そう考えるとリスクは多いですね。

何か起こってからでは遅いので、リスク対策は常に考えないとあかんな。

とはいってもやっぱ日本はええ国ですよ。

前にも言いましたが、サイコロでいうと6の目。

産まれた瞬間運がいい。

こんな住みやすい国他にあるのか?笑

海外住んだことないんですけど、そう思います。

日本最高。


ありがとうございました。




赤字はデンマンが強調。
写真はデンマンライブラリーより。
YouTubeはデンマンが貼り付けました。)




『日本最高?』より
(2005年3月7日)




こうして日本で暮らす一般大衆の中には日本最高と思って満足している人がいるのだよ! 結構たくさんいると思うよ!



そういう人たちは現実が見えてないのです。。。

あのさァ〜、「現実主義者」と自称している あの“馬鹿の見本”も現実を見てないのだよ。。。

だから、言ったでしょう! 日本の大衆は、精神的にも物理的にも汚染されきった日本の現実を見てないのです! それゆえにオイラは、現代の大衆を信じてないのです。。。



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたは現代の大衆を信じていますか?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたにとって、日本での幸せはどうでもいいのですか?

分かりましたわ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


あなたが絶対、

見たいと思っていた

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■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

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(30june.jpg)

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下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』

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(yuri03.jpg)

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2019年02月21日

官能的な音楽

 

官能的な音楽

 


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(ohta03.png)

デンマンさん。。。、最近 官能的な音楽 にハマッてるのですか?


(kato3.gif)

。。。ん? オマエは僕が官能的な音楽にハマッていると思うわけぇ〜。。。

だってぇ、タイトルに、そう書いてあるじゃありませんかァ!

いや。。。 僕がハマッていると言うよりも、オマエが官能的な音楽 に目覚めたのだよ!

まさかァ〜。。。

まさかァ〜じゃないよ! オマエが次の記事に中で書いているのだよ!


3.1 Claudio Monteverdi (1567 – 1643)

C. Monteverdiの最初のオペラ<<Orfeo>>を聴いた。私は、イタリア語が殆んど解らない。ラテン語よりも苦手であるので、イタリア語のオペラは敬遠、いや、無視し続けてきた。この短い人生に、そう何もかも出来ない、と思ったのである。それに、G. PucciniやG. Verdiなどの所謂イタリア オペラをあまり好かない故でもあった。しかしながら、いくら何でも、Baroque初源の<<Orfeo>>に(草子地:音楽史上初めてのオペラということではないが)知らないふりはできかねた。
筋書きは、要するに、イザナギとイザナミの命の話である。旧約の<Genesis>にあるLotの説話にも似ていなくはない。不思議なのは、洋の東西を問わずに、振返るという行為が最愛の者を失わしめる、という古代人に共通した発想である。時折り、考えてみるが、私にはそれがよく解らない。
とにあれ、この作品の結末は、あっけらかんとして、happy endで終わっている。いい気なものだ、とすら言えよう。しかしながら、音楽は、新鮮で素晴しかった。また、楽しみが一つ増えたことも嬉しいことである。
という訳で、今度は<<L’ incoronazione di Poppea>>のLPを買ってきた。これは、Monteverdiの最後のオペラだそうである。そして、これもまた、形の上ではhappy endではあるが、一寸と待てよ、と言うところである。
先ず、すぐに気がつくことは、<<Orfeo>>に於いては、男は男声で、女は女声で唱われ、<<Poppea>>に較べて健康的とすら言えようが、後者に於いては、Neroneがソプラノ(カステラート?)、Arnalta(乳母)がテノールで唱われている。小姓がソプラノであるのは、近代になっても例があるが、女どうしでいちゃついているような気がしないでもない。要するに、一貫して男女の愛の退廃を表現しているように聴きとれる(草子地:無論、音楽が退廃している訳ではない)。
いや違う。このdramaでの真の悪役はAmoreではなかったか。感覚的に、私のボーイ ソプラノ嫌いが影響しているのかも知れないが、一方、神(々)の人間を支配する、そのしかたに何か納得できない、と感じとることは、Aeschylusの<Aias>などに観られる如く、ヨーロッパ人の潜在的な、ということはキリスト教以前からの伝統なのではないか、と私は思うのである。
Monteverdiがそれに対して意識的であったかどうかは私は知らない。しかしながら、七十五歳にして、これほどまでに官能的な音楽を書いた彼ではあったが、一面では、その彼方には彼の覚めた眼が見え隠れしている、と感じられるのである。
Ottone、NeroneそしてOttavia、主要な登場人物の全部が、他者の死を望んでいた。Drusillaでさえ、思い違いではあるが、他の死を願っていた。これは、よく考え抜かれた筋書きである。最も退廃からは遠く、健康的な彼女の愛も至上ではない、ということであろう。それら全てが<Amore>の故であったのである。唯一人、<愛>に何らの関係もなく描かれているSenecaのみが、自らの死を喜んでいた。
そういえば、L. Tolstoyも彼の小説<復活>のなかで、愛が、愛が、愛が、と繰り返す恋愛至上主義の女学生を喜劇的に描いていたが、当人にとってはとにあれ、恋愛感情などというものは、所詮、発情期の男女の心理現象にすぎない、ということか。
それを連想させる場面が、このオペラのなかにあるのである。<自ずから起きる愛>に対する皮肉な視線は、第一幕第五景のArnaltaとOttaviaや第二幕第五景の小娘と小姓の遣り取りに見て取れる。あたかも、退廃なしの<愛>などは、この世に存在しない、と言わんばかりである。なお、散逸した第二幕第四景には、非常にerotiqueな場面があった、と想像される。
とにあれ、<<L’ incoronazione di Poppea>>の台本は、Giovanni Francesco Busenelloの手になることを記さねば、片手落ちで不公平ということになろう。そして、そのtextを選んだのは、他ならぬClaudio Monteverdiであったのである。
ところで、この二人の視点は、例の小姓に悪しざまに言われているSenecaのそれと、どの程度に重なるのであろうか、と気になるところではないか。

蛇足(コーダ):
H. Purcellの<<The Fairy Queen>>の第三幕では、<<Poppea>>とは逆に、男どうしがいちゃついている。Mopsaをカウンタ テノールが唱っているためである。日本の歌舞伎の女形をTVで大写ししたようで、見る、聴くに耐えない。
ついでに書けば、私自身は、少し慣れれば、アルトの声域まで発声が出来る。しかし、私はカウンタ テノールの声が嫌いなのである。J.S. BachのKirchenkantatenなどでも女性のアルトではなく男性のカウンタ テノールが唱う傾向になってきた。アルトが失業してしまうのではないか、という私の心配は、よけいなお世話か。




30-31ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




あのさァ〜、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やラテン語が入り混じっている。。。



デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。


3.1 クラウディオ・モンテヴェルディ

    (1567 – 1643)



(monte03.jpg)

 

モンテヴェルディの最初のオペラ《オルフェオ》を聴いた。
私は、イタリア語が殆んど解らない。
ラテン語よりも苦手であるので、イタリア語のオペラは敬遠、いや、無視し続けてきた。

この短い人生に、そう何もかも出来ない、と思ったのである。
それに、ジャコモ・プッチーニ や ジュゼッペ・ヴェルディなどの所謂イタリア オペラをあまり好かない故でもあった。
しかしながら、いくら何でも、バロック初源の《オルフェオ》に(草子地:音楽史上初めてのオペラということではないが)知らないふりはできかねた。

 


(orfeo2.jpg)



 

筋書きは、要するに、イザナギとイザナミの命の話である。
旧約の<創世記>にあるロトの説話にも似ていなくはない。

不思議なのは、洋の東西を問わずに、振返るという行為が最愛の者を失わしめる、という古代人に共通した発想である。
時折り、考えてみるが、私にはそれがよく解らない。

とにあれ、この作品の結末は、あっけらかんとして、ハッピーエンドで終わっている。
いい気なものだ、とすら言えよう。

しかしながら、音楽は、新鮮で素晴しかった。
また、楽しみが一つ増えたことも嬉しいことである。

という訳で、今度は《ポッペーアの戴冠》のLPを買ってきた。
これは、モンテヴェルディの最後のオペラだそうである。
そして、これもまた、形の上ではハッピーエンドではあるが、一寸と待てよ、と言うところである。

 


(poppea2.jpg)



 

先ず、すぐに気がつくことは、《オルフェオ》に於いては、男は男声で、女は女声で唱われ、《ポッペーア》に較べて健康的とすら言えようが、後者に於いては、ネローネがソプラノ(カステラート?)、アルナルタ(乳母)がテノールで唱われている。
小姓がソプラノであるのは、近代になっても例があるが、女どうしでいちゃついているような気がしないでもない。
要するに、一貫して男女の愛の退廃を表現しているように聴きとれる(草子地:無論、音楽が退廃している訳ではない)。

いや違う。
このドラマでの真の悪役はアモーレではなかったか。
感覚的に、私のボーイ ソプラノ嫌いが影響しているのかも知れないが、一方、神(々)の人間を支配する、そのしかたに何か納得できない、と感じとることは、アイスキュロスの<大アイアース(サラミース島の王テラモーンの子で、トロイア戦争にはサラミース人を率いて12隻の船と共に参加した)>などに観られる如く、ヨーロッパ人の潜在的な、ということはキリスト教以前からの伝統なのではないか、と私は思うのである。

モンテヴェルディがそれに対して意識的であったかどうかは私は知らない。
しかしながら、75歳にして、これほどまでに官能的な音楽を書いた彼ではあったが、一面では、その彼方には彼の覚めた眼が見え隠れしている、と感じられるのである。

オットーネ、ネローネそしてオッターヴィア、主要な登場人物の全部が、他者の死を望んでいた。
ドゥルジッラでさえ、思い違いではあるが、他の死を願っていた。
これは、よく考え抜かれた筋書きである。

最も退廃からは遠く、健康的な彼女の愛も至上ではない、ということであろう。
それら全てが<愛>の故であったのである。
唯一人、<愛>に何らの関係もなく描かれているセネカのみが、自らの死を喜んでいた。

そういえば、トルストイも彼の小説<復活>のなかで、愛が、愛が、愛が、と繰り返す恋愛至上主義の女学生を喜劇的に描いていたが、当人にとってはとにあれ、恋愛感情などというものは、所詮、発情期の男女の心理現象にすぎない、ということか。
それを連想させる場面が、このオペラのなかにあるのである。


<自ずから起きる愛>に対する皮肉な視線は、第一幕第五景のアルナルタとオッターヴィアや第二幕第五景の小娘と小姓の遣り取りに見て取れる。
あたかも、退廃なしの<愛>などは、この世に存在しない、と言わんばかりである。
なお、散逸した第二幕第四景には、非常にエロチックな場面があった、と想像される。

とにあれ、《ポッペーアの戴冠》の台本は、ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブゼネッロの手になることを記さねば、片手落ちで不公平ということになろう。
そして、そのテキストを選んだのは、他ならぬモンテヴェルディであったのである。

ところで、この二人の視点は、例の小姓に悪しざまに言われているセネカのそれと、どの程度に重なるのであろうか、と気になるところではないか。

 



追記(コーダ):

 

ヘンリー・パーセルの《妖精の女王》の第三幕では、《ポッペーア》とは逆に、男どうしがいちゃついている。
モプサをカウンタ テノールが唱っているためである。
日本の歌舞伎の女形をテレビで大写ししたようで、見る、聴くに耐えない。

ついでに書けば、私自身は、少し慣れれば、アルトの声域まで発声が出来る。
しかし、私はカウンタ テノールの声が嫌いなのである。

バッハの 教会カンタータなどでも女性のアルトではなく男性のカウンタ テノールが唱う傾向になってきた。
アルトが失業してしまうのではないか、という私の心配は、よけいなお世話か。




赤字はデンマンが強調)

30-31ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




つまり、オイラが次のように言ったので、デンマンさんはムカついたのですか?



(ireba04.png)

 

恋愛感情などというものは、

所詮、発情期の男女の

心理現象にすぎない、ということか。


それを連想させる場面が、

このオペラのなかにあるのである。




ムカついたと言うよりも、オマエの恋愛感情がよく表現されていると思ったのだよ。。。



つまり、オイラの恋愛感情というのは発情期の男女の心理現象と変わらないとデンマンさんは信じ込んだのですか?

その通りだよ。。。 オマエが、そう信じているからこそ、上のような事を恥ずかしげもなく書いてしまうのだよ! それにオマエは同じような事を次の文章の中でも書いていた。


恋愛は、年頃の男女が肉体に

触発された心理現象?



(tantra20.jpg)

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。

それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、
そもそも、いったい何であったのだろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、
東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、
可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
 世界のどこにもいるものである。)、

音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。

かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

(中略)

いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の 
“Bolero” を聞き比べたことがあった。

小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、
Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

(中略)

わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。

大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。


芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。


(jsbach02.jpg)






pages 5 & 6 間奏曲集 (主題なき変奏) その2 
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月




『老人の性と太田将宏』より
(2016年8月20日)




この上の文章も、デンマンさんがしばしば引用しますよねぇ〜。。。!?



オマエは上の文章を引用されるのがいやなのォ〜? 嫌なら書かなければいいのだよ! ネットで公開したからには、出所を明示して引用されても文句は言えないのだよ!

でも。。。、でも。。。、デンマンさんは同じ文章を何度も何度も引用するのですよ。。。

だってぇ〜、オマエが書いた文章は、それほど僕にとって異常で衝撃的なのだよ!

それほど異常で衝撃的でしょうか?

あのさァ〜、オマエも書いているじゃないか! 「バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが」

それが、デンマンさんにとって異常で衝撃的なのですか?

だってぇ〜、「バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった」のであれば、普通の人は祝福するのだよ。。。 それをオマエは「困っているが」と書いている。。。 どうしてオマエが困らなけらばならないのォ〜?

だから、書いたでしょう!? そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。 長い間、生活を共にしていて、まだ互いに性的欲望を感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか?

オマエのように、そう考える方が異常だろう!?

そうでしょうか?

そうなのだよ! オマエは奥さんに対して性的欲望を感じなくなったから、仲が悪くなったと思っているけれど、それはオマエの一方的な独断と偏見なのだよ! 性的欲望を感じなくなっても、バッハのように仲のよい夫婦というのはいるのだよ。。。

そうでしょうか?

だってぇ、オマエが困るほど仲のよいバッハ夫婦がその証拠じゃないかァ!

でも。。。、でも。。。、バッハは年取ってからも老妻に対して性的欲望を感じていたかもしれません!

あのさァ〜、オマエはこれまでにクラシック音楽を飽きるほど聴いてきた。。。 そうだろう!?

そうです。。。

だったら、もう一度バッハの上の曲をじっくりと聴いてごらんよ!

上の≪G線上のアリア≫ですか?

そうだよ。。。 この曲を聴いてバッハが老妻に対して性的欲望を感じながら作曲した官能的な音楽だと思えるかァ〜?

思えません。。。

。。。だろう!? だから、性的欲望を感じなくなっても、バッハのように仲のよい老夫婦というのはいるのだよ。。。

 


(oldcoup3.png)



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたもデンマンさんのお話を聴いて性的欲望を感じなくなっても、バッハのように仲のよい夫婦は居ると納得できましたか?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたにとって、夫婦愛などというものはどうでもいいのですわねぇ〜。

分かりましたわ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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2019年02月03日

花のまわりで

 

花のまわりで

 


(hana01.jpg)


(hana02.jpg)


(moon884.jpg)




(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。 冬なのに、夢でも見て花のまわりでダンスでも踊ったのですか?

 


(salsa022b.jpg)



 


(kato3.gif)

いや。。。 こういう激しいダンスは僕には無理ですよう。。。



じゃあ、いったいどういうわけで花のまわりでというタイトルをつけたのですか?

話すと長くなるのだけれど。。。

じゃあ、短めに話してくださいな。。。

あのねぇ〜、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。


名月をとってくれろと泣子哉

 


(moon880.jpg)

 

季語は「名月」で秋。
「お月様を手に取って欲しい」。

それは大人にはなかなか感じることができないような新鮮な感情である。
一茶はそれを俳句にした。

この句、子どもがいったこととして詠んであるが、実際には一茶自身の思いであったらしい。

文化10年(1813)6月15日、旅中、一茶の尻にデキモノができ、次第に悪化、痛みを増して高熱を発するようになる。 (略)

同時の作として

 


(moon882.jpg)

 

名月や寝ながらおがむていたらく




 


(moon885.jpg)

 

名月やとばかり立居むつかしき

 

といった句がならんでいる。

いずれも起居できずに困った様子である。

こうした状況から考えるに、<名月をとってくれろと泣子哉>は、

起居のままならない自身の思いを詠んだのであり、

それを泣子の姿に仮託したということではないだろうか。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




36-37ページ 『小林一茶』
著者: 大谷弘至
2017(平成29)年9月25日 初版発行
発行所: 株式会社 KADOKAWA




月は出てきても、花は出てこないじゃありませんか!



だから言ったでしょう!。。。 話せば長くなるのですよう。。。

分かりましたわ。。。 なるべく短めに話してくださいな。。。

あのねぇ〜、僕がまだ小学校に上がるちょっとばかり前の話ですよ。。。

デンマンさんが5つか、6つの頃のお話ですか?

そういうことです。。。 珍しいことにオヤジがお袋と長男の僕と次男とまだ幼児で、お袋の背中におんぶされていた三男を連れて行田市から東京までNHK合唱コンクールを見に行ったことがあるのです。。。

デンマンさんのお父さんは音楽の先生でしたわねぇ〜。。。

そうなのです。。。 当時、オヤジは行田市立中央小学校の先生をしていたからコンクールには出られなかったけれど、見に行きたくなったのでしょうね。。。 祖母は留守番で一緒にこられなかったのだけれど、一緒に来たかったらしくて仲間はずれにされたというので、ムカついて半年ぐらいオヤジと口を利かなかったですよ。。。

あらっ。。。 おばあさんが一人だけで お留守番で可哀想でしたわねぇ〜。。。

当時は、嫁と姑は水と油で、仲が悪いのは世間で当たり前だったから、オヤジにしてみれば、お袋に対して日ごろできなかったサービスのつもりだったのでしょう。。。 お袋も、初めての“家族旅行”のつもりで、喜んでいましたよ。。。

でも、その“家族旅行”と小林一茶の句とどういう関係があるのですか?

だから、話せば長くなると言ったでしょう!

分かりましたわ。。。 できるだけ短めにお願いします。

あのねぇ〜、当時のNHKホールは渋谷にある現在のホールじゃなくて東京駅の近くの内幸町にあった。。。 僕ははっきりと覚えてないのだけれど、確か、その旧NHKホールで合唱コンクールは開催されたと思うのですよ。。。 とにかく、電車から降りて会場までずいぶんと歩かされたことだけははっきり覚えている。。。 でも、大人の足ならば、歩く距離だったのでしょう。。。 まだ小さな子供にとって、その距離は5キロぐらいに思えた。。。 オヤジが僕と弟の手を握って、引きずるように歩かされた。。。 それは、もうしんどかった。。。 弟など、もう嫌だと言うように立ち止まってしまって、ひきづられるようにして無理矢理に歩かされていた。。。

タクシーに乗ればいいではありませんか!

だから、大人にとっては歩く距離だったのですよ。。。

それで、一茶の句は。。。?

あのねぇ〜、その時、お袋の背中に負ぶわれていた三男が手を伸ばしてムズがっている。。。 お袋はウンチでも出したので、不快になってムズがっているのだろうと思ったらしい。。。

それで、お母さんはオムツを取り替えたのですか?

いや。。。 そんな時間はありませんよう。。。 コンクールはすでに始まっていたらしくて、オヤジはあせっていたようで、僕と弟の手をとって無理矢理歩かせて急いでいた。。。

それで。。。?

僕は三男が手を伸ばしている方向を見た。。。 そしたら、高架の線路に山手線が走っていた。。。 三男はその山手線の電車を取って欲しいと言ってムズがっていたのですよ。。。 だから、今になってその時の状況を読めば次のような句になるのです。。。



 



 

山手線

とってくれろと

泣く子かな

 



 


(onbu15.gif)



つまり、この時の思い出があったので、名月をとってくれろと泣子哉 を初めて読んだ時に、小林一茶が自分の子か? あるいは近所の幼児か? とにかく、その時の幼児がお月様を見て、取ってくれと泣いている様を詠んだと確信したのですよ。



それなのに、上の本では、「<名月をとってくれろと泣子哉>は、起居のままならない自身の思いを詠んだのであり、それを泣子の姿に仮託したということではないだろうか」と書いてあるのに不満を感じたのですか?

その通りですよ! そこに、よぼよぼの一茶が出てきたのでは、全くイメージが壊れてしまうのですよ! やはり、泣く子供でないと俳句の面白みが半減してしまう!

分かりましたわ。。。 つまり、デンマンさんの体験に基づいて解釈すれば、<名月をとってくれろと泣子哉>はマジで、泣く子でなければならなかったということですねぇ〜。

そういうことです。。。

でも。。。、でも。。。、どこに花のまわりでが出てくるのですか?

あのねぇ〜、オヤジに無理やり歩かされて旧NHKホールに着いた時、すでに合唱コンクールは始まっていた。。。 ホールのドアを開いて中に入った時に聞こえてきたのが、その年の小学校の部の課題曲でした。。。

 


(nhkhall2.gif)


(hana01.jpg)



 



調べたら、第22回の合唱コンクールの課題曲だったのですよ。。。 この曲は僕の記憶にとても印象深く刻み込まれて残ったのです。。。 大学生になって、お袋に この時の話をしたら、「あんな小さかったのに、あんたもこの曲を覚えていたの?」と、さも懐かしそうに話していたものです。。。



お母さんにとっても 思い出深い曲だったのですわねぇ〜。。。

そうです。。。 貧しくて新婚旅行もできなかったほどですからね。。。 あの時、親子5人で出かけたのは、お袋にとって初めての家族旅行だったのですよ。。。


 


(laugh16.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ〜〜

あなたにも忘れがたい曲というものがござ〜♪〜ますか?

ええっ。。。 「そういう合唱コンクールの話は、どうでもいいから他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、あたくしに そのようにご命令なさるのでござ〜ますかァ〜?

分かりましたわァ。。。 あなたがそのようにおっしゃるのであれば、

元旦にバンクーバーで第99回寒中水泳があったのでござ〜ますわよう。

その模様をお見せしますわねぇ〜。。。

 


(polswim03.jpg)


(polswim01.jpg)


(polswim02.jpg)


(polswim04.jpg)



 

ええっ。。。 「寒中水泳など つまらんから、もっと面白い話をしろ!」

あなたは、さらに、そのような強い口調で あたくしにご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ〜。。。

個人的なお話ではありますけれど、

次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ〜ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわァ。

 


(buttdimp5.jpg)

 

どうでござ〜ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ〜ますかァ〜?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ〜ますかァ〜?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ〜。。。

 

ところで、小百合さんが なぜ「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのか?

ご存知でござ〜♪〜ましょうか?

なぜ。。。?

実は簡単な事なのですわよう。

 


(sayuri80.jpg)

 

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ〜。。。

分からない事ではござ〜ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。

 


(suikyu9.jpg)

 

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

 

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



 

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ〜〜。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ〜ハァ〜♪〜!

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(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

日本のハーブティーは、なんといっても桜湯だそうですけれど、


(sakurate.jpg)

カナダ、アメリカ、イギリスではハーブティーとして

ローズティーが好まれています。

普通、ローズヒップティーと呼ばれます。

ローズヒップ(rose hip)とは

バラ科バラ属の植物の果実。

つまり、バラの実です。

ローズヒップ生産のため、バラの特定品種、

特にRosa canina(ドッグ・ローズ)が栽培されています。

ハイビスカスとブレンドしたハーブティとして飲用されることもあります。

また、ローズヒップオイルは食用油として、

ジャム、ジェリー、マーマレードにも用いられるほか、

スキンケアにも用いられます。

こんなエピソードがありました。

第二次世界大戦中、

イギリスはドイツ海軍Uボートの海上封鎖により

オレンジの輸入がストップしたのです。

ビタミンCの補給ができなくなったのです。

それで、英国の学童たちは生垣に生えている

ローズヒップの採集を命じられました。

ローズヒップティーにして飲んで

ビタミンCを補給したのですって。。。


(rosehip.jpg)

なんだか信じられないようなお話ですよね。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。



(chirashi.jpg)


(bravo.gif)
  
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2019年01月07日

美しき青きドナウ


 

美しき青きドナウ

 


(donau2.jpg)


(ireba03.jpg)


(laugh16.gif)




(ohta03.png)

デンマンさんは、どういうわけで美しき青きドナウを持ち出してきたのですか?


(kato3.gif)

実は、久しぶりに過去の記事を読んでいたら次の箇所に出くわしたのだよ。。。




僕は上の文章を何度も何度も読んで、更にYouTubu のクリップを何度か聴いたのだよ。。。 でもなァ〜、ハッキリ言ってミサ曲の厳(おごそ)かな雰囲気は理解できたものの、全曲をじっくりと聴くだけの忍耐がなかった。。。 どの曲も5分も聴くと退屈になって、全曲をすべて聴く気になれないのだよ!



だから、それはクラシックに対する感受性の問題なのですよ!。。。 百姓育ちのデンマンさんには高尚なクラシックを理解するだけの教養も素養も無いという事なのですよ!

オマエがクラシックの事になると僕を馬鹿にしたい気持ちは解るよ。。。 でもなァ〜、僕は百姓育ちではないのだよ!。。。 オマエのように百姓育ちを馬鹿にするということは職業により農家の人たちを差別するということなのだよ!

別に職業によりデンマンさんを差別するつもりはありません。

あのさァ〜、僕は こう見えても小学生の時には合奏部に所属してコントラバスを担当していたのだよ。。。 NHKの関東甲信越の予選で行田市中央小学校の合奏部は入賞したこともあるのだよ。。。 その時の演奏曲は『美しき青きドナウ』。。。、もしかすると『ハンガリア舞曲第5番』だったかもしれない。。。 とにかく、審査委員の先生から、コントラバスの響きがよかったと褒められたことがあるのだよ! それにクラシックで恋をしたこともある!


(cute0015.gif)

『ん? クラシックで片思い?』

 



マジっすかあああァ〜? 信じられません。。。 そのデンマンさんがオイラが上の文章の中で紹介したミサ曲が 全く いいとは思えないと言うことですかァ〜?



そうだよ。。。 ハッキリ言ってミサ曲は退屈なのだよ!。。。 僕が赤字で強調したところで オマエは感心したり、感銘を受けているようだけれど。。。、実は、僕も期待しながら曲を聴いてみたのだけれど、感心どころか、感銘も受けず、全く退屈しただけなのだよ!

だから、デンマンさんにはクラシックを堪能するだけの教養も素養も素質も無いのです。。。

それは違うと思うよ。。。 僕にだってクラシックの曲で、素晴らしいと思える曲もあるのだよ。。。

たとえば。。。?

例えば次の記事の中で紹介しているバッハの曲だよ。。。


癒しを奏でるパンツ

 




(bikini07c.gif)




(bikini08.gif)




(bikini231d.png)

(music987.jpg+spacer.png)

 


(june001.gif)

デンマンさん。。。 なんだか格調が高いような。。。 それでいて おシモっぽいような妙なタイトルを付けましたわねぇ〜。。。 いったい“癒しを奏でるパンツ”ってぇ、どういうパンツなのですか?。。。 デンマンさんは、ちょっとばかりパンツに拘(こだわ)り過ぎているのではありませんかァ〜?


(kato3.gif)

あのねぇ〜、僕は別にパンツに拘っているのではありませんよゥ。。。

でも、また わたしの“おばさんパンツ姿”をこの記事の冒頭に たくさん貼り付けているではありませんかァ!

あのねぇ〜、ジューンさんの“おばさんパンツ姿”に拘っているネット市民がたくさんいるのですよ。。。

マジで。。。?

こういう話題の時に、僕はウソやデマカセは言いません。。。 お稲荷さんに誓って、弁天様に誓って、八幡様に誓ってウソは絶対につきませんからねぇ〜。。。

分かりましたわ。。。 じゃあ、その拘っているネット市民の人たちは、どこのどなたなのですかァ〜?

(中略)

次の演奏はジューンさんも呆れるほど面白い演奏ですよ。


(gsen04.jpg)





あらっ。。。 ヒモパンで演奏したのですわねぇ〜。。。 うふふふふふ。。。



そうなのです。。。 黒いTバックや白いレースのゴージャスな下着などいくつかのパンティを組み合わせて美しいメロディを奏でる変態さんはアンドリュー・ファンというカナダ人なのですよ。

若い頃のデンマンさんかと思いましたわァ〜。。。 (微笑)

いや。。。 僕は それほどの才能はありません。 「G線」に掛けて「Gストリング」で演奏するというアホな目論見なのですよ。。。 でもねぇ〜、Gストリングで4オクターブの音域が出たのを発見したそうです。





『クラシック鑑賞 1』より
(2017年12月17日)




つまり、デンマンさんが小学校の合奏部でコントラバスを担当して音楽コンクールの予選で、同級生と一緒に『美しき青きドナウ』を演奏したということが言いたいのですねぇ〜。。。



そういうことだよ。。。

それで、どうしたのですか?

思い出すと、合奏部で演奏している時には、この曲に対して全く関心がなかった。。。で、記事を読み返した時に、調べてみたわけだよ。。。


美しく青きドナウ

 

『美しく青きドナウ』(An der schonen, blauen Donau)作品314は、ヨハン・シュトラウス2世が1867年に作曲した合唱用のウィンナ・ワルツ。

『ウィーンの森の物語』と『皇帝円舞曲』とともにシュトラウス2世の「三大ワルツ」に数えられ、その中でも最も人気が高い。
作曲者およびウィンナ・ワルツの代名詞ともいわれる作品である。
オーストリアにおいては、正式なものではないが帝政時代から現在に至るまで「第二の国歌」と呼ばれている。

『美しき青きドナウ』とも表記され、また「青」ではなく「碧」という漢字が用いられることもある。
当記事では、『ヨハン・シュトラウス2世作品目録』(日本ヨハン・シュトラウス協会、2006年)の、『美しく青きドナウ』に従う。

なお、オーストリアでは単に『ドナウ・ワルツ』(Donauwalzer、Donau-Walzer)と呼ばれることも多い。

ちなみに、『美しく青きドナウ』という邦題は、原題「An der schonen, blauen Donau」のうちの「An(英語のbyに相当)」を無視したもので、正確に訳すと『美しく青きドナウのほとりに』といった題になる。
原題と異なる邦題が定着しているのは日本だけではなく、たとえば英語圏では『The Blue Danube(青きドナウ)』となっている。

 

ニューイヤーコンサート

 



 

大晦日から新年に代わるとき、公共放送局であるオーストリア放送協会は、シュテファン大聖堂の鐘の音に続いてこのワルツを放映するのが慣例となっている。
それに続いて元日正午から始まるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートでは、3つのアンコール枠のうちの2番目としてこのワルツを演奏するのが通例である。

つまりオーストリアでは毎年元日に少なくとも2回は『美しく青きドナウ』が公共放送から流れてくるのを聴くことができる。
ニューイヤーコンサートでは、序奏部を少しだけ演奏した後、聴衆の拍手によって一旦打ち切り、指揮者や団員の新年の挨拶が続くという習慣となっている。

なお、父シュトラウス1世の『ラデツキー行進曲』も同コンサートを締めくくる定番の曲であるが、こちらも国家的な行事や式典でたびたび演奏される曲である。
これら二つの曲が同コンサートにきまって取り上げられるのは、ただ人気が高いからというだけの理由ではなく、オーストリアを象徴する曲だということも大きな理由なのである。

ちなみに、カラヤンとケンペはステレオ初期にウィーン・フィルを指揮して録音した「シュトラウス・アルバム」に、この曲を含めていない。




出典: 「美しく青きドナウ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




ヨハン・シュトラウス2世が1867年に作曲した合唱用のウィンナ・ワルツだということが解ったのだよ。。。



デンマンさんは作曲者の名前も知らないまま演奏していたのですか?

そうだよ。。。 演奏曲目は指揮者の先生が選んだんで、僕が選んだわけじゃない。。。

でも、常識的に演奏曲目ぐらいは小学生でも解っているんじゃないですか?

合奏部の他の生徒は知っていたかもしれないけれど、僕は当時クラシックに全く興味がなかった。

それなのに、どうして合奏部に加わったのですか?

指揮者の五月女先生が僕のオヤジの従弟だった。。。 部員が少なかったので、五月女先生が僕の実家にやって来たときに、勧誘されたというわけだよ。。。

つまり、好きで合奏部に入ったわけじゃなかったのですねぇ〜。。。

演奏するのが好きなわけじゃなかったけれど、コントラバスを弾くのは面白そうだったから、やってみる気になったわけだよ。

。。。で、ヨハン・シュトラウス2世が『美しく青きドナウ』を作曲したということが判ってデンマンさんはうれしくなったのですか?

別に、うれしくなったわけじゃないけれど、オーストリアにおいては、正式なものではないが帝政時代から現在に至るまで「第二の国歌」と呼ばれているということを知って、これはすごい事だと思ったわけだよ。。。 つまり、オーストリア国民からも愛されているからこそ、オーストリアでは毎年元日に少なくとも2回は『美しく青きドナウ』が公共放送から流れてくるのだよ。。。

だから、どうだというのですか?

そういう曲を作曲した人間は、いったいどういう人間なのだろうか? そう思って調べたわけだよ。。。


ヨハン・シュトラウス2世

(1825年10月25日 - 1899年6月3日)


(strauss21.jpg)

3番目の妻アデーレと共に

 

ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauss II)は、オーストリアのウィーンを中心に活躍した作曲家・指揮者。

ヨハン・シュトラウス1世の長男。
弟にヨーゼフ・シュトラウスとエドゥアルト・シュトラウス1世が、甥にヨハン・シュトラウス3世がいる。

生涯のほとんどをウィンナ・ワルツ、ポルカなどの作曲に捧げ、『美しく青きドナウ』、『ウィーンの森の物語』、『皇帝円舞曲』などのよく知られたワルツを数多く生み出した。
オーストリアのみならずヨーロッパ中で絶大な支持を獲得し、「ワルツ王」、「ウィーンの太陽」、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と対比する形で「ウィーンのもう一人の皇帝」などと呼ばれた。

のちにオペレッタの分野にも進出して、オペレッタの最高傑作といわれる『こうもり』などを生み出し、「オペレッタ王」とも呼ばれるようになった。

毎年元日に行われる「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート」では、彼を中心とするシュトラウス・ファミリーの作品をメインにプログラムが組まれる。

 

死後

ヨハンが死去したという知らせを受けたウィーン市は、ただちにウィーン中央墓地の中に特別墓地を設けることを決定した。
葬式には10万人の市民が参列したとされ、この際ヨハンの「新曲」がいくつも追悼として演奏された。

未亡人となったヨハンの妻アデーレが、夫の未発表作品を世に送り出し、さらには遺された膨大なスケッチを集め、別の作曲家に依頼してそれらをたくみにつなげさせ、新作として発表したのである。
死後数年を経てからも、ヨハンの「新曲」は次々と世に出された。
その後ウィーンでは、『我らがワルツ王の思い出』『シュトラウスの家』などの歌が流行した。

ヨハンの死から5年後の1904年、シュトラウス記念像を建立しようとする動きが高まった。
その名を知らぬ者はいないほどの有名人であったにも関わらず、その銅像は一つもなかったのである。
委員会が設置され、記念像建立のための募金が始められたが、その途上でサラエボ事件が起こり、活動も挫折を余儀なくされる。

第一次世界大戦に敗北して共和制に移行したオーストリアについて、「ヨハン・シュトラウスとともに、ハプスブルク帝国も死んだ」といった評価がされることもある。

1921年、ついに黄金に輝くシュトラウス記念像が建立されたが、贅沢すぎるとの批判を受けて黒色に塗り替えられた。
1991年にあらためて元の金色に塗り直されたヨハン・シュトラウス記念像は現在、ウィーンの代表的な観光名所のひとつとして親しまれている。

 

女性関係

ヨハン・シュトラウス2世は、生涯に3度の結婚を経験している。
3人の妻との間に子女はいない(3人目の妻・アデーレに前亡夫の娘がいたのみ)。

ヨハンは生前さまざまな女性と浮き名を流しており、肉体関係を結んだ相手も数知れず、好色がたたって性病にかかったこともある。
性病のために子供ができなかったという噂や、早世した弟ヨーゼフの未亡人カロリーネに手を出したとの噂もささやかれた。
未亡人となった最後の妻アデーレはこのような噂を必死になって否定し、ヨハンの清潔さを喧伝した。

毎夏パヴロフスクへ演奏旅行していたヨハンは、30歳の頃にオルガ・スミルニツキーというロシア貴族の娘と知りあった。
ふたりは結婚の約束まで交わしたが、彼女の両親の反対によって別れたという。

アデーレはこの件に関して、亡夫の遺したオルガとの手紙を残らず世間に公表した。
この清純な悲恋物語は、アデーレによってかなり誇張されて世に出回った。
アデーレは、世間に知られたくない夫の側面を隠し通そうとしたのである。

オルガの他にも、シュトラウスの自宅付近に住んでいたエリーゼという女性との結婚を考えたこともある。
エリーゼは母アンナが息子の花嫁候補と考えた女性であり、実現はしなかったがヨハンも彼女との結婚に乗り気で、『エリーゼ・ポルカ』(作品151)を作曲している。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典: 「ヨハン・シュトラウス2世」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、デンマンさんは女性関係に注目したのですねぇ〜?



そうだよ。。。 やっぱり音楽を愛する人間は女性も愛するのだよ。。。

そうでしょうか?

そうだよ。。。 オマエも次のように書いていたじゃないか!


恋愛は、年頃の男女が肉体に

触発された心理現象?



(tantra20.jpg)

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。

それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、
そもそも、いったい何であったのだろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、
東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、
可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
 世界のどこにもいるものである。)、

音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。

かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

(中略)

いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の 
“Bolero” を聞き比べたことがあった。

小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、
Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

(中略)

わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。

大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。


芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。




pages 5 & 6 間奏曲集 (主題なき変奏) その2 
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月




『老人の性と太田将宏』より
 (2016年8月20日)




分かるだろう!? 音楽家というのは女性を愛するのだよ。。。 オマエは、本当に女性を愛したことがないから音楽家にはなれないのだよ。。。



ちょっと、そう言い切るには飛躍があるのではありませんか?

いや、飛躍じゃないよ! オマエは奥さんや娘を本当に愛していなかったから、次のようなことになってしまったのだよ。。。




私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。

長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。


私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。

しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。




【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家




56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)




デンマンさん! 何度この箇所を引用すれば気が済むのですかア〜♪〜!



オマエは自分が書いたものを引用されるのがいやなのォ〜?

何度も何度も引用されたら、ムカつきますよう! つまり、この事が言いたかったので、わざわざ『美しき青きドナウ』を取り上げたのですねぇ〜!?

いや。。。 もちろんそうじゃないよ! オマエの夫婦関係を語るために『美しき青きドナウ』を取り上げたんじゃない!

じゃあ、いったい他に何が言いたいのですか?

僕が小学生の頃には知らなかったけれど、『美しき青きドナウ』は世界的の多くの人の心をつかんだんだよ!

つまり、オーストリアでは第二の国家にもなるほどに、国民に親しまれたと言いたいのですか?

いや。。。 オーストリアばかりじゃない! イギリス国民にもマジで親しまれているのだよ。。。

その証拠でもあるのですか?

あるのだよ! 次の演奏を聴けば、イギリス国民が、どれほど『美しき青きドナウ』に親しみを感じているのかがオマエにも分かるよ!

 


(mrmathane.jpg)



 



どうだい。。。 イギリス国民が熱狂的に親しんでいるだろう!?



馬鹿バカしい。。。!



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたは、どう思いますか?

最後のオチで、グッと格調が落ち込みましたよねぇ〜。。。

うふふふふふふ。。。

 

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、そのようにあたしにご命令なさるのですか?

わかりましたわァ。。。

 

デンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

例えば、あの“馬鹿の見本”の「現実主義者」と名乗る悪名高い人物です。

 


(tenan02.jpg)

『現実主義者 馬鹿の見本』

 

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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2018年12月28日

Bach Collegium Japan

 

Bach Collegium Japan

 


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Kato, are you an enthusiastic Bach fan?


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Well... I love music in general, but I'm not much of a Bach fan.

Then how come you jotted down Bach Collegium Japan in the above?

Actually, I read an article in the free news and entertainment weekly of Vancouver.

 


Bach Collegium Japan

brings fresh ears

to Baroque music


by Alexander Varty

December 5th, 2018




In Japan, land of Living National Treasures, artists and artisans can receive formal recognition—and a state stipend—for their work in disciplines as diverse as gagaku, kabuki, doll-making, metalwork, and weaving.

The idea is to preserve what are called Intangible Cultural Properties: the aesthetic traditions that help define Japanese identity and that continue to exert an influence over contemporary Japanese culture.

 

So it’s not surprising that the island nation would be hospitable to current directions in early music: historically informed performance, in which once overlooked but historically accurate devices such as improvisation are employed to bring ancient scores to life, and the use of period instruments or reproductions thereof, which differ in both sound and appearance from later models.

Bach Collegium Japan, which plays an Early Music Vancouver concert this weekend, adheres to both, and has been enthusiastically received at home.

But according to its founder, keyboardist, and conductor, Masaaki Suzuki, that’s not because of its deep respect for the past.

Instead, he explains in a telephone interview from Los Angeles, it’s because, to Japanese ears, the music of Johann Sebastian Bach and his contemporaries sounds intriguing and new.

 

“The compositions of Bach, especially the vocal works, are quite far from the kind of Japanese sense of the language and also the culture,” Suzuki says in careful but heavily accented English.

“So everything that I loved during my student time and also later on was very fresh.…Languagewise, for example, we don’t have anything in common.

But once you learn the German texts, you can understand how important it is to have good pronunciation and the correct accents and intonation and so on.

“Of course, we all are Japanese, so we are very much influenced by our Japanese background and culture,” he continues.

“But still, you know, there is so much difference between Japanese and European culture—and especially German culture. That makes it more fresh.”

Suzuki was introduced to Baroque music as a student at the University of Tokyo; he cites the groundbreaking 1950s recordings of Nikolaus Harnoncourt and Concentus Musicus Wien as particularly influential.

Later on, he moved to Amsterdam, where he studied with early-music royalty in the form of conductor and keyboardist Ton Koopman.

For the past 28 years, he and Bach Collegium Japan have been repaying his mentors with a string of glowingly received recordings of Bach, including a definitive, multidisc edition of the complete cantatas.

The great German will play a part in Bach Collegium Japan’s upcoming EMV show; Suzuki and company will open with his Orchestral Suite No. 2 in B Minor.

 



Orchestral Suite No. 2 in B Minor

 

Marcello’s Oboe Concerto in D Minor, he goes on to say, was quite popular during the early part of the 18th century—and has more recently enjoyed an unexpected rebirth in Japan.

“Bach had arranged this piece for the Habsburg court musicians; there were 17 arrangements by Bach for Habsburg soloists—many of them Italian composers’ concerti—and this one was one of them.

Actually, the first movement of Marcello’s oboe concerto was once used for a Japanese TV commercial quite a long time ago, so this music has been quite popular in Japan.”

Whether we can deduce anything about either the Japanese soul or Baroque music from this, Suzuki doesn’t say.

But it’s a sure thing that the program he’s assembled for Bach Collegium Japan’s North American tour will offer new insights into music that, yes, still does sound fresh 300 years after it was created.

“Bach never travelled, only through the music,” Suzuki points out.

“So it is very interesting to know his sources, and to see his library. I’m always very, very much interested in what he had listened to and what he had experienced—and it’s very much helpful to understand his music, as well.”

Bach Collegium Japan plays the Chan Centre for the Performing Arts at 3 p.m. on Sunday (December 9).

 



Oboe Concerto in D Minor

 




SOURCE: 『Digital Version』




I see... So you're impressed by the fact that the Japanese orchestra play Back's early music: historically informed performance, in which once overlooked but historically accurate devices such as improvisation are employed to bring ancient scores to life, and the use of period instruments or reproductions thereof, which differ in both sound and appearance from later models.



Yes, you're telling me, Diane.

Kato, tell me what Bach Collegium Japan is all about?

Well..., you can read the following article in the Wikipedia:


Bach Collegium Japan


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Bach Collegium Japan (BCJ) is composed of an orchestra and a chorus specializing in Baroque music, playing with period instruments.

It was founded in 1990 by Masaaki Suzuki with the purpose of introducing Japanese audiences to European Baroque music.

Suzuki still remains its music director.

The ensemble has recorded all of Bach’s cantatas, a project that extended from 1995 to 2018 and accounts for over half of its discography.

They have toured Asia, Europe and North America, with many performances as cultural festivals such as Edinburgh Festival, the Hong Kong Arts Festival, the Festival Internacional Cervantino the Bach Festival in Leipzig, the Oregon Bach Festival and the Boston Early Music Festival.

Five years after the Collegium was founded, they began a project to record all the Bach cantatas, finishing in 2013.

Working with Swedish record label BIS, the work was performed at a Christian chapel at Kobe University, one of the few Christian churches in the country large enough to properly perform such works.

These recordings account for over half of the ensemble’s 99-album discography.




SOURCE: "Bach Collegium Japan"
From Wikipedia, the free encyclopedia




I see... It was founded in 1990, and they have toured Asia, Europe and North America, huh?



Yes, they have.

Kato, did you go to the Chan Centre to enjoy the music on December 9?

No, I'm afraid not.

Why not?

'Cause I was quite busy writing many articles for my blogs.

No kidding!  You should've shuffled your schedule somehow to attend the concert.

I thought so, but fortunately I've found the following clip for the world-famous composer... I listened to the following piece so many times.

 


(bach005.jpg)



 



I see... So, Kato, you're particularly interested in the early music: historically informed performance, in which once overlooked but historically accurate devices such as improvisation are employed to bring ancient scores to life, and the use of period instruments or reproductions thereof, which differ in both sound and appearance from later models.



Yes, you're telling me.

But why?

'Cause I love the sounds of harpsichord.


Harpsichord


(harpsi2.jpg)

 

A harpsichord is a musical instrument played by means of a keyboard which activates a row of levers that in turn trigger a mechanism that plucks one or more strings with a small plectrum.

The term denotes the whole family of similar plucked-keyboard instruments, including the smaller virginals, muselar, and spinet.

The harpsichord was widely used in Renaissance and Baroque music.

During the late 18th century, with the rise of the piano, it gradually disappeared from the musical scene.

In the 20th century, it made a resurgence, being used in historically informed performances of older music, in new compositions, and in certain styles of popular music.

 

History

The harpsichord was most likely invented in the late Middle Ages.
By the 16th century, harpsichord makers in Italy were making lightweight instruments with low string tension.
A different approach was taken in the Southern Netherlands starting in the late 16th century, notably by the Ruckers family.
Their harpsichords used a heavier construction and produced a more powerful and distinctive tone.
They included the first harpsichords with two keyboards, used for transposition.

The Flemish instruments served as the model for 18th century harpsichord construction in other nations.
In France, the double keyboards were adapted to control different choirs of strings, making a more musically flexible instrument.
Instruments from the peak of the French tradition, by makers such as the Blanchet family and Pascal Taskin, are among the most widely admired of all harpsichords, and are frequently used as models for the construction of modern instruments.

In England, the Kirkman and Shudi firms produced sophisticated harpsichords of great power and sonority.
German builders extended the sound repertoire of the instrument by adding sixteen foot and two foot choirs; these instruments have recently served as models for modern builders.

In the late 18th century the harpsichord was supplanted by the piano and almost disappeared from view for most of the 19th century: an exception was its continued use in opera for accompanying recitative, but the piano sometimes displaced it even there.
Twentieth century efforts to revive the harpsichord began with instruments that used piano technology, with heavy strings and metal frames.

Starting in the middle of the 20th century, ideas about harpsichord making underwent a major change, when builders such as Frank Hubbard, William Dowd, and Martin Skowroneck sought to re-establish the building traditions of the Baroque period.
Harpsichords of this type of historically informed building practice dominate the current scene.




SOURCE: "Harpsichord"
From Wikipedia, the free encyclopedia




Have you ever played the harpsichord?



No, I have not... I wish I could.

Why not?

I've never touched the instrument in my life.

You should buy one, Kato.

You gotta be kidding... It would cost a fortune... In any case, I'm happy as long as I can listen to the above clip.

Are you crazy about "Air on the G String"?

Yes, I am... As a matter of fact, I know and love only "Air on the G String" among all music pieces Bach had ever composed.


Air on the G String

 

"Air on the G String" is August Wilhelmj's arrangement of the second movement in Johann Sebastian Bach's Orchestral Suite No. 3 in D major, BWV 1068.

The arrangement differs from the original in that the part of the first violins is transposed down so that it can be played entirely on a violin's lowest string, i.e., the G string.

It is played by a single violin (instead of by the first violins as a group).

 

Bach's original



 

Bach's third Orchestral Suite in D major, composed in the first half of the 18th century, has an "Air" as second movement, following its French overture opening movement.
The suite is composed for three trumpets, timpani, two oboes, strings (two violin parts and a viola part), and basso continuo.
In the second movement of the suite however only the strings and the continuo play.
This is the only movement of the suite where all other instruments are silent.

The music of the "Air" is written on four staves, for first violins, second violins, violas, and continuo.
The interweaving melody lines of the high strings contrasts with the pronounced rhythmic drive in the bass.

 

Wilhelmj's arrangement



 

In the late 19th century, violinist August Wilhelmj arranged the second movement of Bach's third Orchestral Suite for violin and an accompaniment of strings, piano or organ (harmonium).
On the score he had printed auf der G-Saite (on the G string) above the stave for the solo violin, which gave the arrangement its nickname.

In Wilhelmj's version the piece is transposed down from its original key (D major) to C major.
Then the part of the first violins is transposed down a further octave and given to a solo violin that can play the entire melody on its lowest string, the G string.
The dynamic markings added by Wilhelmj are more in line with a romantic interpretation than with the baroque original.

As a violin can't play very loudly in its lowest register, all the other parts of Bach's music were firmly reduced in Wilhelmj's version: the keyboard part is to be played staccato and pianissimo, causing the effects of interweaving melodies and of drive in the bass part to go lost.
In the strings accompaniment version the violins and violas play muted (con sordino), and the bass part for cellos and double basses is to be played pizzicato and sempre pianissimo, with the same change in effect compared to Bach's original.

Later, a spurious story was put about that the melody was always intended to be played on the G string alone.
The violin solo part of Wilhelmj's arrangement is sometimes played on the counter-tenor violoncello.
As a result of the popularity of the piece, on the G string remained in the name of various arrangements whether or not a string instrument playing on its G string was involved.

Most of these versions have in common that the original melody of the first violins is played in the low register of a solo instrument, accompanied by a reduction of the material of the other parts of Bach's piece, although occasionally versions that stay more in line with Bach's original can go by the same name.




SOURCE: "Air on the G String"
From Wikipedia, the free encyclopedia




How about you, Diane?  Do you like the above tune?



I like it... It's quite popular among classic pieces... I seem to listen to the modern version.

 


(bach007.jpg)



 



Yes, that is the piece arranged by August Wilhelmj, isn't it?



I guess so... Of course, Jacques Loussier re-arranged it like jazz.

Actually, Diane, this piece is played by different kinds of instruments.

Oh...? For example?

Well..., the following is the performance by the Mandolin Music Club of Hamamatsu High School in Japan.

 


(mandor3.jpg)



 



Fantastic, isn't it?



Do you like it?

Oh, I love it so much.

Then you might as well like the following performance.





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How come June shows up in her bikini?... It has nothing to do with "Air on the G String", has it?



Well..., actually she stands in the background of the sheet music of "Air on the G String".

Does June play it by herself.

Unfortunately, June does NOT play, but somebody else plays it on her behalf.

 


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Amazing and amusing!... I've never imagined that anybody could play it with G-string.



You should be able to play it with your own G-string.


G-string


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A G-string is a type of thong, a narrow piece of fabric, leather, or satin that covers or holds the genitals, passes between the buttocks, and is attached to a waistband around the hips.

A G-string can be both worn by men and women.

It may also be worn in swimwear, where it may serve as a bikini bottom, but may be worn alone as a monokini or topless swimsuit.

G-strings may also be worn by exotic or go-go dancers.

As underwear, a G-string may be worn in preference to panties to avoid creation of a visible panty line, or to briefs in order to enhance sex-appeal.

The two terms G-string and thong are sometimes used interchangeably; however, technically they refer to different pieces of clothing.




SOURCE: "G-string"
From Wikipedia, the free encyclopedia




Do you wear a G-string?



Oh no, I don't... I'm too mosdest to wear such a novelty.

Well, actually, a G-string isn't quite new at all... It became quite popular in the 1930s.

Oh...? Why is that?

In Chicago, a stripper named Margie Hart became famous while she danced wearing a G-string.

 


(hart001.jpg)

 



I see, but why in Chicago?



In those days, they produced G-strings more by mass production in Chicago than any other cities in the world.

I see... So, Margie Hart became "Margie with a G-string" rather than "Air on the G-string", didn't she?

Yes, you're telling me, Diane.



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【Himiko's Monologue】


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So much for G-string.

Now talking about musical instruments, I'll show here an unusual instrument.

Gess what?

You also have this particular instrument.

You might as well play it by yourself.

Now see the performance by this particular musical instrument.

 


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  Mr. Mathane



 

In any road, I expect Kato will write another interesting article soon.

So please come back to see me.

Have a nice day!

Bye bye ...


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If you've got some time,

Please read one of the following artciles:





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"JAGEL"

"JAGEL Again"

"Say NO!"

Happy Gal in Canada

Roof of Vancouver

Aftershock

Whiplash

Sex Appeal

Better Off Without Senate

Fire Festival

Sweets@Paris

Scary Quake

MH370 Mystery

Putin's Way

Trump @ Vancouver

Otter & Trump


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Changeling

Fiddler on the Roof

Flesh and Bone

Maiden's Prayer

Romeo & Juliet

Trump @ Joke

Halloween in Shibuya

Trump Shock

Happy New Year!


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Life or Death

Way to Millionaire

Adele Hugo

Middle Sexes

Romance@Madison

Hacksaw Ridge

Eight the Dog

Halloween@Shibuya

Chef Babette


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Ramen Boom

from Korea

Omakase@Sushi

Crocodile Meat

Killer Floods

Climate of Doubt

Glory of Death

Big Mystery

Hitler and Trump

Hot October

2018 BC Ballot



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Hi, I'm June Adams.

Kato is a real movie lover, who tries to watch 1001 movies.

As a matter of fact, he has already accomplished his goal.


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『Actual List』


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Kato watched "The Arabian Nights" or "One Thousand and One Nights" as his 1001th movie.

You might just as well want to view it.


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The stories in "the Arabian Nights" were collected over many centuries by various authors, translators, and scholars across West, Central, and South Asia and North Africa.

The tales themselves trace their roots back to ancient and medieval Arabic, Persian, Indian, Egyptian and Mesopotamian folklore and literature.

In particular, many tales were originally folk stories from the Caliphate era, while others, especially the frame story, are most probably drawn from the Pahlavi Persian work Hazār Afsān which in turn relied partly on Indian elements.

What is common throughout all the editions of the Nights is the initial frame story of the ruler Shahryār and his wife Scheherazade and the framing device incorporated throughout the tales themselves.

The stories proceed from this original tale.

Some are framed within other tales, while others begin and end of their own accord.

Some editions contain only a few hundred nights, while others include 1,001 or more.


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ところで、愛とロマンに満ちた

レンゲさんのお話をまとめて

『レンゲ物語』を作りました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

『愛とロマンのレンゲ物語』


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『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



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Posted by barclay1720 at 05:30Comments(0)

2018年12月17日

中村紘子とワンワン


 

中村紘子とワンワン

 


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デンマンさんはピアニストの中村紘子さんのファンなのですか?


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いや。。。 別にファンというほど中村紘子さんをアイドル視しているわけじゃないのだよ。。。

それなのに、どういうわけで中村さんを取り上げたのですか?

バンクーバー市立図書館で本を借りて読んでいたら、たまたま次の箇所に出くわしたのだよ。。。



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さて話は変わって、あれはちょうど2000年の早春だったと思う。
我が家に皇太子ご夫妻が忍のびでお食事に見えることになった。(略)

その頃、妃殿下のご病状は、私も含めてまだ今日ほど一般的に知られていなかった。
だから私はその前夜、皇太子さま自らが電話をかけてこられ、「雅子は昨夜ちょっと熱を出しましたので、私が一人でうかがってもよろしいですか」と仰ったときにはびっくりした。

そのご病気の妃殿下より、と皇太子さまは可愛らしい花に囲まれたダックスフンドの置物を自ら抱えてお持ちくださった。 (略)
夕食のあと客間でコーヒーとなったが、私はそれまでずっと我家のミニ・ダックスフンドのウルちゃんを別室に閉じ込めていた。
(ご相伴していただいた)團伊玖磨さんが幼児体験のトラウマから犬が大嫌い、ということを知っていたからだ。

でも皇太子さまはご自分でもピピという名の雑種を飼っていらっしゃる。
ピピというのは何処からともなく東宮御所に入ってきて、その縁の下で子犬を生んだのだという。

「子犬はみなで手分けして引き取り、ピピが一緒に暮らしています」と皇太子さまは、愛情こめて仰った。

 


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それに、ウルちゃんそっくりの置物まで持ってきて下さったではないか。

お帰りの時間が近づいた頃、私は思い切ってウルちゃんをご挨拶させることにした。

 


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すると、部屋の入り口で放たれたウルちゃんは犬嫌いの團さんには目もくれず、それこそまっしぐらに殿下のところに駆けていき、一気に畏れ多くもそのお膝に飛び乗ったかと思うと、夢中になって殿下のお顔をなめ始めたのである。

と、それまで背筋をしゃんとされ、端然としていらした殿下がそれこそ全身をぐにゃぐにゃに崩され、おお、と声まで発せられたかと思うと、我がウルちゃんを嬉しそうに抱きしめてくださった。
一生忘れられない思い出である。

それから僅か1週間ぐらいのことだったと思う。
或る朝、まだ8時まえというのに珍しく電話がなった。
出てみると、團さんだった。

「和子が今朝亡くなりました。 明け方、ふと気づいたら、隣で亡くなっていたのです」
(私は和子夫人が心臓にペースメーカーを入れていたのを知っていた。 それが突然止まってしまったのだろうか)

そして團さんは悲痛な沈んだ声で仰った。
「でも亡くなる前、皇太子さまとあれほど楽しい語らいをさせていただいたことは、今生何よりの思い出となったに違いありません。 本当にありがとう。 本人に代わって心から御礼を申します」

それからほぼ1年後、團さんも突如この世を去られた。
夫婦で愛でてやまなかったあの蘇州で。
77歳だった。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




271-273ページ 『ピアニストだって冒険する』
著者: 中村紘子
2017年8月5日 第2刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




なるほどォ〜。。。 現在の天皇ご一家は家族で音楽会を開くというようなことを聞いたことがあるけれど、その関係で皇室は中村さんや團さんと交際があるのでしょうねぇ〜。。。



日本で暮らしていた頃、僕もテレビで天皇ご一家が家庭コンサートを楽しんでいるのを見たことがあるよ。。。

 


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(kougo01.jpg)



 



ところで、デンマンさんは中村さんのリサイタルを見に行ったことがあるのですか?



あるのだよ!

マジで。。。? だったら、デンマンさんは中村さんのファンではありませんか?

ところが、見に行くまで僕は彼女の名前を知らなかった。

それなのに、どういうわけでチケットを持っていたのですか?

それには、長い説明をしなければならないのだよ。。。 オマエ、聞きたい?

こうしてデンマンさんに呼び出されたのだから、聞かないわけにはゆかないでしょう!?

それには、まずオマエが聞いて白けた、あの≪乙女の祈り≫のエピソードを話さなければならないのだよ!

 


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『ん? クラシックで片思い?』

 



デンマンさんの≪乙女の祈り≫の演奏を聞かされた恵美子さんという人は、えらい迷惑だったと思うのですよ。。。



確かに、そうかもしれないけれど、この≪乙女の祈り≫を行田市に帰省しないで仙台の下宿で独学で練習したのがきっかけで、中村紘子さんのリサイタルのチケットを手に入れたのだよ。。。

それは、どういうわけですか?

その次の年も、帰省しないで下宿でピアノを弾くのかもしれないと思ったオヤジが、自分もピアノが弾きたいので、ついにアップライトピアノを買ったのだよ。。。

デンマンさんのお父さんはピアノが弾けるのですか?

弾けるのだよ。。。 小学校の音楽の先生だったのだよ。。。 家が貧乏で尋常高等小学校しか卒業してなかった。 それで、母校の忍(行田)尋常高等小学校の給仕をしながら独学で先生になるための試験を受けて18歳で教壇に立ったというのだよ。。。 当時、音楽の先生になり手が少なかったので、音楽の先生になるために、小学校の講堂にあるピアノで、当時の音楽の先生にピアノを習ったというのだよ。。。

ずいぶんと苦学したのですねぇ〜。。。

そうらしい。。。 とにかく、そういうわけで実家にアップライトピアノが搬入されたので、僕は帰省してピアノを弾くことになった。。。 それからは、大学の休みのたびに実家に帰省してピアノを弾くようになったのだよ。。。 そんなある日、オヤジが中村紘子さんのリサイタルのチケットをくれた。

どういうわけで。。。?

どうやら、リサイタルのプロモーションの一環で、埼玉県の音楽関係の教員に無料のチケットを配ったらしい。。。 その一枚をオヤジが手にしたというわけだよ。。。 それも、行田市産業文化会館の、ものすごくいい席で前から5列面の中央の席なんだよ。。。

 


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。。。で、その時の演奏曲目は何だったのですか?



それが、全く覚えてない! だいたい、僕はクラシックでも、誰もが知っているようなポピュラーな曲しか知らないし、ピアノ協奏曲とかいうような堅苦しいものには全く関心がない。

それなのに、どうしてリサイタルを聴きに行ったのですか?

それまでリサイタルなど見に行ったことがない。。。 だから、初体験だということで、興味があったわけだよ。。。

でも、演奏曲目を覚えていないというのは、どういうわけなんですか?

あのなァ〜、隣に座ったおっさんがキザで嫌な感じな奴だったのだよ。。。 蝶ネクタイをして、まるで指揮者が観客席にやって来たような感じの男なんだよ。。。 それで僕はピンと来た。。。 オヤジはこの男が無料のチケットをもらった事を知っていたに違いないと。。。

つまり、デンマンさんのお父さんも このキザな男と隣り合わせの席でリサイタルを聴くのが嫌だったので、チケットをデンマンさんにあげたわけなのですねぇ〜。。。

もちろん、その事をオヤジに確かめたわけじゃないけれど、とにかく、この男はキザというか? 大根役者並みの演技をするのだよ。。。

どういうことですか?

中村紘子さんが登場して観客に向かってお辞儀をしたら、このキザな男は、まるで自分だけに中村さんがお辞儀をしたと信じているように、深々とお返しのお辞儀をしているのだよ! 僕は、内心、「こいつは馬鹿か!」と呆れてしまったよ。。。

でも、その男は中村さんと知り合いかもしれないじゃありませんかァ!

そんあわけないよ。。。 知り合いならば、そんな事するはずないんだよ! 逆に恥ずかしいから、絶対に知らん振りして、じっとしているはずなんだよ。。。 僕が中村さんと知り合いだったら、絶対そうするからねぇ〜。。。。

そういうものですか?

もし、オマエが中村さんと知り合いだったら、深々とお辞儀を返すわけぇ〜?

そうです。。。 カッコをつけて、中村さんとオイラが知り合いであることを回りの観客に知ってもらいたいという衝動に駆られると思うのですよ! うへへへへへへ。。。

オマエは、やっぱり馬鹿な事をする性格なんだねぇ〜。。。?

。。。で、そのキザな男に対して、デンマンさんは あの“馬鹿の見本”の「現実主義者」に向かうように“馬鹿なことを止めろ!”と喚(わめ)いたのですか?

 

現実主義者 学歴社会 ネットの嫌われ者 偏差値 イジメ自殺
(fool911d.jpg)

『現実主義者 馬鹿の見本』

 



そんな事、言えるはずないだろう! そのキザな男はオヤジと同じ世代の男なんだよ。。。 つまり、戦争に従軍した世代だよ!。。。 もしかしたら、中尉か大尉ぐらいの怖い将校だったかもしれないのだよ。。。



要するに、怖い感じでもあったので、一応敬意を表して黙っていたのですか?

そうだよ。。。 心の中では呆れて馬鹿にしていたけれど、じっと黙っていたのだよ。。。 とにかく、ピアノの演奏をしんみりと聴くどころではなかった。。。

つまり、この事を言うために、わざわざ中村紘子さんを取り上げたのですか?

いや。。。 そればかりじゃないのだよ。。。 さっきも言った通り、天皇ご一家は家庭コンサートを楽しむほどに、どなたも音楽に関心がある。。。 だから、皇太子さんも中村さんの自宅を訪問されたわけだよ。。。 実は、うちのオヤジは鴻巣市の常光小学校の校長先生を最後に退職したのだけれど、1970年代の現役の頃に、当時、皇太子妃殿下の美智子さんが書いた詩を元に、作曲して曲をつけ、自分の小学校の生徒に歌わせて、テープにとって美智子さんに送ったのだよ。。。

 


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美智子妃殿下にマジでテープを送ったのですか。。。? 



それに対して、秘書の方から礼状が届いて、オヤジは、それを家宝にするのだと床の間に飾っておいたほどなんだよ。

やっぱり、血筋は争えないものですねぇ〜。。。 デンマンさんが≪乙女の祈り≫を演奏して初対面の恵美子さんに演奏を聞かせたという破廉恥な行為は、お父さんが美智子妃の詩に曲を付けて、生徒に歌わせて、その録音テープを送るというような破廉恥な行為と同じではありませんか!

あのさァ〜、そういう言い方はないと思うのだよ。。。

でも。。。、でも。。。、この話を初めて聞かされたら、おそらくネット市民の誰もが、そう思いますよ。。。

そうかなァ〜。。。?

そうですよ。。。 オイラの言う事を信じた方がいいですよ。。。 で、この事を言うために、中村紘子さんを取り上げたのですか?

いや。。。 そればかりじゃないよ! 團伊玖磨さんは次のように言ったと書いてある。

 




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「でも亡くなる前、皇太子さまと

あれほど楽しい語らいをさせて

いただいたことは、

今生何よりの思い出となったに

違いありません。

本当にありがとう。

本人に代わって心から御礼を申します」


 



この團さんの言葉が、どうだと言うのですか?



オマエは、うちのオヤジが破廉恥な事をしたと言うけれど、尋常高等小学校しか出てないオヤジが教員資格試験を独学で突破して、18歳で教壇に立ち、その後、自分なりにピアノを独習し、作曲を学び、美智子妃殿下の詩に曲を付けて、教え子の小学生に歌わせて、録音テープを送ったということは、一つの男のロマンだと思うのだよ。

そうでしょうか?

そうだよ。。。 僕も、ひょんな偶然からオヤジにもらったチケットで中村さんのリサイタルを聴いて、ひょんな偶然からバンクーバー市立図書館で中村さんの本を手に取り、その本の中で團さんの言葉を読むと、これまで考えても見なかったオヤジの“男のロマン”が見えてきたような気がしたわけだよ。。。

デンマンさんのお父さんの“男のロマン”ですか?

そうだよ。。。 だから、團さんの言葉を思い起こして

 


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当時の美智子妃殿下にとっては、

あまり感動的な曲ではなかったろうけれど、

秘書の方に礼状を書かせたことで、

オヤジはその手紙を読んで感動し

冥土(めいど)の土産(みやげ)に持ってゆき、

あの世で喜んでいるでしょう!

本人に代わって心からお礼申し上げます。




僕は、こういう気持ちになったわけだよ。。。



それは、デンマンさんの自己満足ですよ。。。

オマエは、あくまでも僕に逆らうのだねぇ〜。。。 

デンマンさんが、そうさせているだけですよ!



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【レンゲの独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたは、どう思いますか?

中村紘子さんは2014年、腸閉塞の腹腔鏡手術を受けた際に、大腸がんが見つかりました。

一時活動を休止していましたが、2016年4月30日ミューザ川崎シンフォニーホールおよび同年5月4日オリンパスホール八王子で開催されたコンサートで復帰しました。

この最後のライブ録音はCD「中村紘子 フォーエバー」となって発売されました。

でも、2016年7月26日、大腸がんのため永眠しました。

72歳の誕生日を、作家で夫の庄司薫さんと自宅で祝った翌日でした。

ご冥福をお祈りいたします。

 

ところで、デンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク



■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』

■ 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

■ 『ちょっと心にぐっと来る動物物語』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Godiva Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』


(yuri03.jpg)

■ 『クラシックを愛すれど』

■ 『女性を愛せない老人ボケ』

■ 『ボダとキレた老人』

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■ 『日本人は嘘つき』

■ 『マジでピッタリ!』

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■ 『だまそうとする老人』

■ 『バカの壁の増設』

■ 『ウソの雪ダルマ』


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■ 『ネット恋愛と太田将宏』

■ 『日本語と太田将宏』

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■ 『女の性的飢餓感』

■ 『敵に塩を送る』

■ 『虚構とウソ』

■ 『手紙と絶交』

■ 『短気は損気』

■ 『不思議な日本語』

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■ 『嘘を書く日記』

■ 『増長慢』

■ 『自然に耳を傾ける』

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■ 『伯母と叔母』

■ 『民主主義とロックンロール』

■ 『後奏曲集@危険』


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■ 『女3人で姦しい』

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■ 『クラシック鑑賞 2』

■ 『クラシック鑑賞 3』

■ 『クラシック鑑賞 4』

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■ 『クラシック鑑賞 6』

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■ 『クラシック鑑賞 10』

■ 『クラシック鑑賞 11』

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■ 『クラシック鑑賞 14』


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■ 『クラシック鑑賞 21』

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■ 『テルミン』

■ 『ヘンデルと自殺』

■ 『バッハとビートルズ』

■ 『人生と偏差値』

■ 『サルトルと現実主義者』

■ 『政治について』

■ 『クラシック馬鹿とエロ松永』

■ 『ティンパニストの本』

■ 『男の美学』

■ 『バッハ・コレギウム・ジャパン』



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『センスあるランジェリー』



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2018年12月15日

バッハ・コレギウム・ジャパン


 

バッハ・コレギウム・ジャパン

 


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デンマンさん、どういうわけでバッハ・コレギウム・ジャパンを取り上げたのですか?


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あのさァ〜、たまたま日曜日にバンクーバーの無料エンタメ情報紙 ジョージア・ストレイト(Georgia Straight)を見ていたら次の記事に出くわしたのだよ。。。


Bach Collegium Japan

brings fresh ears

to Baroque music

バッハ・コレギウム・ジャパン、

バロック音楽に

新鮮な味わいをもたらす


by Alexander Varty

December 5th, 2018




In Japan, land of Living National Treasures, artists and artisans can receive formal recognition—and a state stipend—for their work in disciplines as diverse as gagaku, kabuki, doll-making, metalwork, and weaving.

The idea is to preserve what are called Intangible Cultural Properties: the aesthetic traditions that help define Japanese identity and that continue to exert an influence over contemporary Japanese culture.

 

So it’s not surprising that the island nation would be hospitable to current directions in early music: historically informed performance, in which once overlooked but historically accurate devices such as improvisation are employed to bring ancient scores to life, and the use of period instruments or reproductions thereof, which differ in both sound and appearance from later models.

Bach Collegium Japan, which plays an Early Music Vancouver concert this weekend, adheres to both, and has been enthusiastically received at home.

But according to its founder, keyboardist, and conductor, Masaaki Suzuki, that’s not because of its deep respect for the past.

Instead, he explains in a telephone interview from Los Angeles, it’s because, to Japanese ears, the music of Johann Sebastian Bach and his contemporaries sounds intriguing and new.

 

“国宝”が生きている日本では、芸術家や職人は、雅楽、歌舞伎、人形作り、金属工芸、織物業といった様々な分野の優れた仕事に対して、正式な認知と国家奨励金を受け取ることができます。

それは、無形文化財と呼ばれるものを保全するためです。 つまり、日本のアイデンティティを定義し、現代日本の文化に影響を与え続ける美的伝統を守るためです。

 

そういうわけで、日本が早期音楽を大切にしていることは驚くほどのことではありません。

その早期音楽とは、かつて見過ごさていたけれど歴史的に正確な手法で古代の楽譜を生き生きと再現する即興法とか、現在のモデルとは異なる音や形態の中世や古代の楽器や複製品を使用するというような、歴史的に裏づけされた演奏です。

今週末に早期音楽をバンクーバーで演奏するバッハ・コレージウム・ジャパンは、日本の国内では熱狂的に受け入れられている、歴史的に裏付けられた演奏を聴かせます。

しかし、楽団の創設者で、キーボード奏者でもあり指揮者でもある鈴木雅明氏によると、それは過去に対する深い敬意のためではないそうです。

ロサンゼルスから電話インタビューで説明していただいたのですが、日本人の耳には、ヨハン・セバスチャン・バッハと彼の同時代の音楽は興味をそそられ、新鮮に聞こえるからだそうです。

 

“The compositions of Bach, especially the vocal works, are quite far from the kind of Japanese sense of the language and also the culture,” Suzuki says in careful but heavily accented English.

“So everything that I loved during my student time and also later on was very fresh.…Languagewise, for example, we don’t have anything in common.

But once you learn the German texts, you can understand how important it is to have good pronunciation and the correct accents and intonation and so on.

“Of course, we all are Japanese, so we are very much influenced by our Japanese background and culture,” he continues.

“But still, you know, there is so much difference between Japanese and European culture—and especially German culture. That makes it more fresh.”

Suzuki was introduced to Baroque music as a student at the University of Tokyo; he cites the groundbreaking 1950s recordings of Nikolaus Harnoncourt and Concentus Musicus Wien as particularly influential.

Later on, he moved to Amsterdam, where he studied with early-music royalty in the form of conductor and keyboardist Ton Koopman.

For the past 28 years, he and Bach Collegium Japan have been repaying his mentors with a string of glowingly received recordings of Bach, including a definitive, multidisc edition of the complete cantatas.

The great German will play a part in Bach Collegium Japan’s upcoming EMV show; Suzuki and company will open with his Orchestral Suite No. 2 in B Minor.

But the organizing principle behind the program is to take an intimate look at the milieu that produced Bach, using scores by other composers that he personally owned, studied, performed, and in some cases reworked for the musicians at his disposal.

Bach’s famous contemporaries Antonio Vivaldi, Georg Philipp Telemann, and George Frederick Handel will be represented, but so will two Italian composers of comparable skill but lesser renown, Francesco Conti and Alessandro Marcello.

 

「バッハの作曲、特にボーカル作品は、日本人の言語感覚や文化からはかなり離れている」と、鈴木氏は丁寧に話すけれどアクセントの強い英語で語ります。

「私が学生時代に、またその後も愛してやまなかったバッハのすべては、とても新鮮でした。 例えば、言語的には、共通するものは感じられません。

しかし、ドイツ語のテキストを学ぶと、良い発音と正確なアクセントとイントネーションなどが重要なことを理解することができます」

「もちろん、楽団の私たちは皆、日本人ですから、私たちは日本の背景と文化に非常に大きな影響を受けています。 しかし、日本文化と特にドイツ文化の間には大きな違いがあります。 だからこそ、より新鮮に感じます」

鈴木氏は東京大学在学中にバロック音楽を知りました。

彼は画期的な1950年代のニコラウス・ハーモンクールとコンセントムーカス・ウィーンの録音を特に影響力のあるものとして挙げています。

その後、鈴木氏はアムステルダムに移り、指揮者、鍵盤奏者のトーン・クープマンを通じて早期音楽の素晴らしさを学んだのです。

過去28年の間、彼とバッハ・コレージウム・ジャパンは、完全なカンタータの決定版マルチディスク版を含む、バッハの熱狂的なレコーディングをすることにより彼の恩師に報(むく)いてきました。

バッハという偉大なドイツ人は、バッハ・コレージウム・ジャパンの今後のバンクーバーのコンサートに一役演じます。 というのも、バッハの≪管弦楽組曲2番ロ短調≫でコンサートを開演するからです。

 



≪管弦楽組曲2番ロ短調≫

 

しかし、今回のコンサートの演目の意義は、鈴木氏が個人的に所有し、勉強し、演奏し、場合によってはミュージシャンのために手直しした他の作曲家のスコアを用いて、バッハを生み出した環境を親密に見極めることです。

バッハと同時代に生きた有名な3人の作曲家(アントニオ・ヴィヴァルディ、ゲオルク・フィリップ・テレマン、ジョージ・フレデリック・ヘンデル)の作品も演じられますが、同じように才能があっても、あまり知られていないイタリアの作曲家2人(フランチェスコ・コンティとアレッサンドロ・マルセロ)の作品も演奏されます。

 

“Bach was interested in composers of vocal works, and he had made a copy [of Conti’s Languet anima mea],” Suzuki says of a piece that will be sung here by guest soprano Joanne Lunn.

“Also, he has added two oboes and a bassoon to his vocal works.

This piece also has kind of a halfway-sacred text, and that is a very interesting thing.

We have actually recorded this already, but that recording is not released yet—but I’m very happy to perform it.”

Marcello’s Oboe Concerto in D Minor, he goes on to say, was quite popular during the early part of the 18th century—and has more recently enjoyed an unexpected rebirth in Japan.

“Bach had arranged this piece for the Habsburg court musicians; there were 17 arrangements by Bach for Habsburg soloists—many of them Italian composers’ concerti—and this one was one of them.

Actually, the first movement of Marcello’s oboe concerto was once used for a Japanese TV commercial quite a long time ago, so this music has been quite popular in Japan.”

Whether we can deduce anything about either the Japanese soul or Baroque music from this, Suzuki doesn’t say.

But it’s a sure thing that the program he’s assembled for Bach Collegium Japan’s North American tour will offer new insights into music that, yes, still does sound fresh 300 years after it was created.

“Bach never travelled, only through the music,” Suzuki points out.

“So it is very interesting to know his sources, and to see his library. I’m always very, very much interested in what he had listened to and what he had experienced—and it’s very much helpful to understand his music, as well.”

Bach Collegium Japan plays the Chan Centre for the Performing Arts at 3 p.m. on Sunday (December 9).

 

「バッハは作詞家に興味があり、コンティのラング・アニマ・メアの歌詞を記録していました」とゲストのソプラノ・ジョアン・ルンが歌い上げる曲の歌詞について鈴木氏は述べています。

「また、バッハは2つのオーボと1つのバスーンをボーカル作品に加えました。 

この作品には、途中で神聖な文章も表れますが、それはとても面白いことです。

私たちは実際、これを既にレコーディングしていますが、そのレコーディングはまだリリースされていません。 でも、その作品を演奏できたらうれしいです」

マルセルの≪オーボエ協奏曲ニ短調≫は、18世紀初頭にかなり人気があり、最近では日本で予期せぬ復活を遂げています。

 



≪オーボエ協奏曲ニ短調≫

 

「バッハはハプスブルクの宮廷音楽家のためにこの作品をアレンジしました。 ハプスブルクのソリストのためにバッハが手がけた17の変奏曲がありました。 その多くはイタリアの作曲家の協奏曲であり、これもその一つでした。

実際に、マルセロのオーボエ協奏曲の最初の出だしは、かつては日本のテレビCMに使われていたので、日本では非常に人気があります」

以上のことから日本人の心の音楽あるいはバロック音楽について意味のある事実を引き出すことができるかどうかについては鈴木氏は言及しませんでした。

しかし、彼がバッハ・コレギウム・ジャパンの北米ツアーのために集めたプログラムが、バッハの音楽が作り出されてから300年たっても、まだ新鮮であるという新しい洞察を提供することは確かです。

「バッハは音楽を通してしか旅しなかった」と鈴木氏は指摘します。

「バッハが作品を作るための出所を知り、彼の作品全体を見ることはとても興味深いです。 私はいつも、彼が聞いた曲や、彼が経験した事柄に大変 興味を持っています。 そして、そうしたことは、彼の音楽を理解するために非常に役立ちます」

バッハ・コレギウム・ジャパンは12月9日の日曜日、午後3時に「舞台芸術チャンセンター」で開演します。

(デンマン訳)




出典: 『ジョージア・ストレイト電子版』




なるほどォ〜。。。 デンマンさんの訳し方も、なかなかサマになってますねぇ〜。。。



オマエは、珍しくほめてくれるわけぇ〜。。。?

素晴らしいとは言えないまでも、書いてある事は分かりますよ。。。 で、デンマンさんはバッハにハマッているのですか?

いや。。。 別にハマッてるわけじゃないけれど、これまでにバッハの事は記事に書いてきたのだよ。。。

デンマンさんが書いたというよりも、オイラが書いた記事をデンマンさんが取り上げただけじゃないですか!

確かに、その通りだよ。。。 とにかく、これまでに少なくとも次の3つの記事でバッハを取り上げたのだよ。。。


(bach002.jpg)


1) 『グールドとバッハ』

2) 『バッハとビートルズ』

3) 『クラシック鑑賞 10』




。。。で、今日は、さらにバッハのことで余計な事をデンマンさんはしゃべるのですか?



いや。。。 クラシック馬鹿のオマエを前にして、バッハの講釈をするつもりはないのだよ。。。

それなのに、どうしてバッハを取り上げたのですか?

僕は、バッハ・コレギウム・ジャパンってぇ、これまでに聞いたこともなかったのだよ。。。


バッハ・コレギウム・ジャパン


(bach003.jpg)

 

バッハ・コレギウム・ジャパン(Bach Collegium Japan, BCJ)は、バロック音楽を専門とする日本のオーケストラおよび合唱団である。
1990年に鈴木雅明によって設立され、1995年以来ヨハン・ゼバスティアン・バッハのカンタータのシリーズをBISレーベルより発売しており、リリースは数十枚にのぼる。

BCJは毎年バッハのカンタータと器楽曲のプログラムを演奏している。
2000年のバッハ没後記念250年には、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、テルアビブ、ライプツィヒ、メルボルンといった都市のフェスティバルに参加し、国際的に活動の幅を広げている。
最近では、イタリア、スペイン、アメリカ合衆国、韓国、ドイツでバッハのカンタータ、マニフィカト、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲を含んだ演奏会を行っている。

1999年、モービル音楽賞受賞。
2014年、サントリー音楽賞受賞。




出典: 「バッハ・コレギウム・ジャパン」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




それで、僕はバッハ・コレージウム・ジャパンの事をネットで調べたわけ。。。



それで、何か素晴らしい発見があったのですか?

いや。。。 別に素晴らしいと言うほどの事じゃないけれど、ネットをサーフィンしていたら、たまたま次のクリップに出くわしたのだよ。。。

 


(bach005.jpg)



 



あれっ。。。 これは、あの有名な≪G線上のアリア≫ではありませんかァ!



そうなのだよ。。。 バッハ・コレージウム・ジャパンが演奏しているのだよ。。。

つまり、この曲を聴いたので、またバッハを取り上げる気になったのですか?

そういうことだよ。。。 上のジョージア・ストレイトの記事の中に次のように書いてある。

 

その早期音楽とは、

かつて見過ごさていたけれど

歴史的に正確な手法で古代の楽譜を

生き生きと再現する即興法とか、

現在のモデルとは異なる音や形態の

中世や古代の楽器や複製品を

使用するというような、

歴史的に裏づけされた演奏です。


 

確かに、上の≪G線上のアリア≫を聞くと、ピアノの代わりにハープシコード(harpsichord)が使われているのだよ。。。


チェンバロ


(harpsi2.jpg)

 

チェンバロ(独: Cembalo, 伊: clavicembalo)は、鍵盤を用いて弦をプレクトラムで弾いて発音する鍵盤楽器である。

英語ではハープシコード (harpsichord)。

フランス語ではクラヴサン (clavecin) という。

狭義にはグランド・ピアノのような翼形の楽器を指すが、広義には同様の発音機構を持つヴァージナルやスピネット等を含めた撥弦鍵盤楽器を広く指す。

チェンバロはルネサンス音楽やバロック音楽で広く使用されたが、18世紀後半からピアノの興隆と共に徐々に音楽演奏の場から姿を消した。

しかし20世紀には古楽の歴史考証的な演奏のために復興され、現代音楽やポピュラー音楽でも用いられている。




出典: 「チェンバロ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、ハープシコードはルネサンス音楽やバロック音楽で広く使用されたが、18世紀後半からピアノの興隆と共に徐々に音楽演奏の場から姿を消したのだよ。。。



要するに、 バッハ・コレージウム・ジャパンは、バッハが生きていた頃の楽器を使って、当時の≪G線上のアリア≫の演奏を再現している、とデンマンさんは言いたいのですか?

そうだよ。。。 そうじゃないの?

楽器のすべてが、バッハが生きてい頃のものだとは限りませんよ。。。 明らかに複製したものだから、当時の音の響きとは違っていると思います。。。

オマエは、かなり厳しいことを言うのだねぇ〜。。。

だってぇ、オイラはクラシックにハマッていますから、この程度のことは言わせてください。。。 要するに、バッハ・コレージウム・ジャパンが当時の≪G線上のアリア≫の演奏を再現していることにデンマンさんは感動したのですか?

いや。。。 それもあるけれど、音楽というのは同じ曲でも時代と共に変わってゆくものだと実感したわけだよ。。。

例えば。。。?

ジューンさんがビキニ姿で登場するとする。。。



(bikini08.gif)

(gsen02.jpg+bikini08.gif)

 



何で、ジューンさんがビキニ姿で登場しなければならないのですか?


(kato3.gif)

だから、同じ曲でも時代と共に変わってゆくということを示すためだよ。。。

でも、ビキニ姿のジューンさんと≪G線上のアリア≫が関係あるのですか?

あるだろう! ジューンさんは≪G線上のアリア≫の楽譜をバックに登場しているのだよ。。。

でも、こういう破廉恥な事をすると、オイラを含めて多くのクラシックの愛好家がムカつくと思うのですよ。。。

オマエもムカつくわけぇ〜。。。?

当然ですよ!

そうじゃないだろう! オマエはジューンさんのビキニ姿をじっくりと眺めながら、鼻の下を伸ばしてヨダレをたらしているじゃないか! 鏡を見てみろよ! んもおおおォ〜!

デンマンさん!。。。 デンマンさんが、何も言わなけらば、これを読んでいるネット市民の皆様は、何も分からないのですよ。。。 余計な事は言わないでください。。。 で、ジューンさんがビキニ姿で出てくると≪G線上のアリア≫は どうなるのですか?

次のような≪G線上のアリア≫になるわけ。。。

 


(gsen04.jpg)



 



あれっ。。。 ヒモパンで演奏しているのですねぇ〜。。。 うししししししい。。。



オマエ、いやらしい笑いを浮かべるなよう!

。。。で、この人物は何者なのですか?

黒いTバックや白いレースのゴージャスな下着などいくつかのパンティを組み合わせて美しいメロディを奏でる変態さんはアンドリュー・ファンというカナダ人なのだよ。

若い頃のデンマンさんかと思いましたよ。 (微笑)

いや。。。 僕は それほどの才能はないよ。。。 「G線」に掛けて「Gストリング」で演奏するというアホな目論見なのだよ。。。 でもねぇ〜、Gストリングで4オクターブの音域が出たのを発見したそうだよ。。。 やはり、Gストリングが出てくると、"GストリングでG線上のアリア"を演奏する人物が出てくるのだよ。。。


Gストリング


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Gストリング(G-string)とは下着や水着の一種。

日本ではフロントがV字型にカットされてバックとサイドが細いひも状にデザインされた、Tバックの一種を指す。

俗に言う「ひもパン」。

 

一般的に生地が薄くて肌に密着した下着であるため、パンツの下でもラインがアウターに響きにくい。

諸外国では、GストリングはフロントがV字型でバックの布地が極端に少ないものを指し(バックが臀部の上半分を覆っているものはチーキー cheeky と呼ばれる)、日本での定義によるものは T-back と呼ばれる。

 

また、Gストリングはそうしたボトム類の総称である ソング や タンガ の同義語としてしばしば用いられる。




出典: 「Gストリング」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




ヒモパンで演奏している本人はクラシックの演奏に貢献していると信じているのだよ。。。



かなりの変態ですねぇ〜。。。

とにかく、破天荒な音楽ネタを地道にアップし続けてきたらしい。。。 今回の"GストリングでG線上のアリア"は凄まじい視聴数を記録しているのだよ。。。 つまり、多くのネット市民の共感を得ているというわけだよ。。。

でも、もともと“Gストリング”というのはヴァイオリンの一番太い線のことを言ったわけですよ。。。 それが どういうわけで“ヒモパン”を意味するようになったのですか?

あのねぇ〜、1930年代のシカゴで“Gストリング”が一躍有名になったのだよ。

どうして。。。?

マーギー・ハート(Margie Hart)というストリッパーが“Gストリング”を身に着けてショーを盛り上げたのがそのきっかけだったらしい。

 


(hart001.jpg)

 



でも、どうしてシカゴなのですかァ〜?



当時、シカゴが世界で最も多くの“Gストリング”を製造していたのだよ。

つまり、マーギー・ハートのようなストリッパーがそれに目をつけて“ヒモパン”を作ったというわけですか?

どうやら、そうらしい。

つまり、マーギー・ハートは“G線上のアリア”ならぬ、“Gストリングのマリア”なのですねぇ〜?

たまには、オマエもしゃれたことを言うのだねぇ〜。。。

うへへへへへへ。。。 デンマンさんとも長い付き合いになりましたから。。。



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あなたは、音楽の演奏は時代と共に変わってゆくと思いますか?

ところでGストリングとVストリングの違いが判りますか?

では、何も知らないあなたのためにYouTubeクリップを貼り出しますわねぇ〜。。。

 


(gstring2.jpg)



 

あたしも知らなかったのですけれど、Cストリングというのもあるのですわよう。

これがまた、すごく露出オーバーで、身に着けるのには かなりの勇気が要りますわァ。

あなたが女性なら、かなり考えさせられると思うのですわァ。

 


(cstring2.jpg)



 

いかがですか?

来年の夏に試してみようと思いますか?

 

ところで、デンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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2018年11月19日

ティンパニストの本


 

ティンパニストの本

 


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デンマンさん。。。、どういうわけでティンパニストの本というタイトルでオイラをお呼びになったのですか?


(kato3.gif)

オマエは不満なのォ〜?

だってぇ〜、ティンパニストの本なんて つまらなさそうじゃありませんかァ!

あれっ。。。 オマエはクラシックに関心があるんじゃないのォ〜?

もちろん、クラシックには人一倍の興味を抱いています。。。 でも、ティンパニは、オイラにとって それほど興味深い話題じゃありませんよ!

あれっ。。。 オマエは楽団でティンパニを叩いている人に対して侮辱と思えるような言葉を並べるんだねぇ〜。。。

オイラは別に、ティンパニストを侮辱しているわけではありません。。。 ただ、オイラの個人的な趣味として、ティンパニストを取り上げるのなら、クラシックの作曲家を取り上げてデンマンさんと語り合いたいのですよ。

つまり、作曲家と比べたらティンパニストは取るに足りない存在だとオマエは信じているんだねぇ〜?

別に、それほどティンパニストを見下げているわけではありません。。。 そんなことより、デンマンさんはどういうわけでティンパニストの本を取り上げたのですか?

たまたまバンクーバー市立図書館でティンパニストが書いた本があったので、ちょっとばかり興味を持って読んでみたのだよ。。。

デンマンさんはティンパニストになりたかったのですか?

いや、別にティンパニストになりたかったわけじゃないけれど、世の中にはティンパニストになりたかった人がいるんだと思って、ちょっとばかり興味を引かれて本を借りたわけだよ。。。

。。。で、本を読んで感動して、第2の人生はティンパニストとして余生を送ることに決めたのですか?

まさかァ〜。。。 オマエは僕の言葉を受けて、急に飛躍して解釈しすぎるのだよ。。。 僕も多少はクラシックをかじったことがあったので、本を読みながらティンパニも意外に面白い楽器なのだと思ったのだよ。。。 オマエもきっと面白いと思うはずだよ。。。 ちょっと読んでごらんよ。


R.シュトラウスの半音階と

バルトークのグリッサンド



(timpani2.jpg)

 

ティンパニの技術的な改良は、作曲家たちを“ティンパニの音換えの制約”から一気に解き放って、より音楽的で幅広い音換えができるようになった。

“ペダル機能”を大いに活用したR.シュトラウスは、多彩な転調場面で半音階的でメロディックな旋律も書いている。

そのみごとな効果は彼の代表作、《サロメ》や《ばらの騎士》、《影のない女》など随所に見られる。

 



     《サロメ》



   《ばらの騎士》



   《影のない女》

 

ペダル・ティンパニの前にマシーン・ティンパニが開発されていたことに触れたが、シュトラウスの比較的初期の作品《家庭交響曲》の終わり近くに、とても興味深い場面がある。 (略)

そして、その音列の下には「これらの音は後日作曲家自身によって書き加えられた」と記されていた。

私はつい先日までシュトラウスがこの《家庭交響曲》を作曲したあとにペダル機能が確立されて、「そのようなことができるのならティンパニにこのメロディをやらせよう」ということになったのだろうと勝手に思い込んでいた。

 



   《家庭交響曲》

 

ところが「事実はこうなんだ」とトーマスとミヒャエル(ウィーン交響楽団のティンパニスト)からふたつの説を聞いた。
ひとつは、ウィーン・フィルの往年のティンパニスト、ハンス・シュネラー(1865−1945)がシュトラウスの60歳の誕生日記念の演奏会で、彼自身が考案(1920年にパテントを取得)した“シュネラー・システム”のティンパニで、メロディックな演奏が可能であることの“デモンストレーション”として、巧みなハンドルさばきでこのメロディを演奏して見せた、という説。

もうひとつは「シュトラウスの誕生日のお祝いに」と、ただ単なる遊びとしてやって見せたという説。

どちらが真実なのか分からないが、それ以降は、新たに加えられた部分も演奏するのが当たり前になった。
知らなかったこととはいえ、思い込みとは本当に怖い。 (略)

そして次なる新しいアイディアを発案したのがバルトークだった。
彼はペダルを一定方向、もしくは上下に続けて動かすことで生み出される“グリッサンド奏法”を考え出した。

代表作として有名な《管弦楽のための協奏曲》や《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》に登場する数々の“グリッサンド奏法”は、バルトークの民族色豊かな音楽と相まって“エキゾチックな世界”をつくり出している。

 



《バルトーク 管弦楽のための協奏曲》



《バルトーク 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》

 

シュネラー・システムにこだわるウィーン・フィルがバルトークを演奏する際には、トレモロをしながらグリッサンドすることが無理なため、音程を変えるだけの「もうひとりの奏者」が必要になる。

ここまで来ると楽器へのこだわりも半端ではない!

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより
YouTube クリップはデンマンが貼り付けました)




233-236ページ 『ティンパニストかく語りき』
著者: 近藤高顯
2017年9月12日 第1刷発行
発行所: 株式会社 学研プラス




オマエ、読んでみて、けっこう面白いと思わなかったァ〜?



特に面白いとは思えません。。。 常識的なことばかりですよ。。。

あのさァ〜、そう言ってしまっては身も蓋もないだろう! 僕がせっかくティンパニを取り上げてオマエを呼び出したのだから「意外に面白いですねぇ〜」とか何とか言って欲しいのだよ!

オイラは、忖度(そんたく)したり、迎合するのは性格的に合わないのです。。。

オマエは付き合いにくいんだねぇ〜。。。 あのさァ〜、普通の人には上に書いてあることは決して常識ではないんだよ。。。 実際、僕は音楽的には普通の人だけれど、これでも小学生の頃には器楽クラブに所属しており、コントラバスを受け持って「美しき青きドナウ」だとか「ハンガリア舞曲第5番」だとかを演奏したこともあるのだよ。。。 学校対抗のNHKの器楽コンクールでも、関東甲信越地区で優勝賞をもらったこともあるのだよ。。。

だから。。。?

そのときに、器楽の演奏にティンパニも使われていた。。。 ところが、僕が見たティンパニは新品だったけど、かなり旧式なものだったらしく、マシーン・ティンパニでもなければ、ペダルもついてなかった。。。 手締め方式でティンパニの表面の回りに6個のネジが付いていて 手で締めたり緩めたりして音程を変える原始的な方法だった。。。 たぶん、クラブに十分な予算がなくて一番安いティンパニを買ったらしい。。。

つまり、デンマンさんはペダル・ティンパニも マシーン・ティンパニも見たことがないのですか?

そうなのだよ! だから、上の本を読みながら興味しんしんだった。。。 ティンパニの歴史も書いてあったけれど、なかなか面白いと思った。


ティンパニ

 


(timpani3.jpg)

 

ティンパニは、打楽器の一種。主に銅製であり、半球形の胴体に脚がついた大型の太鼓で、皮が張られた上面(鼓面、打面)を、通常2本のマレット(ばち)で叩く。

太鼓の一種であるが、通常の太鼓は非整数倍音成分が多く特定の音程を聴き取ることは困難であるのに対し、ティンパニでははっきり音程を聴き取れる点が通常の太鼓と異なる

 

歴史

中世のアラブの「ナッカーラNaqqara」または英語で「ネーカーNaker(s)」と呼ばれる鍋底状の軍楽太鼓を先祖とする。
馬の胴の両脇に取り付ける楽器として発達し、15世紀のヨーロッパでは、トランペットと共に騎馬軍楽隊の楽器編成の中心に位置づけられた。
やがて17世紀半ばにはオーケストラに取り入れられた。

古典派までは2台一組で、多くの作曲家は主音と属音を補強するのに用いられた。
パーセルは歌劇「妖精の女王」第4幕冒頭にティンパニでメロディを書いているが、これは例外中の例外である。

ベルリオーズ以降さらに多くのティンパニが用いられるようになり、現代では4台一組で用いられることが多い。

ティンパニは19世紀まで、オーケストラや吹奏楽の中で補助的に活躍することが中心的であったが、20世紀になると協奏曲の主役(ティンパニ協奏曲)として、あるいは室内楽やソロで活躍するようになった。




出典: 「ティンパニ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




。。。で、面白そうなので、デンマンさんは最新のペダル・ティンパニを買って叩いてみたのですかァ〜?



あのさァ〜、さっきも言ったけれど、僕はティンパニストになって交響楽団で演奏したいわけじゃないのだよ。。。

要するに、本を読んだだけなのですねぇ〜。。。

早い話が そういうことなのだよ。。。 でも、興味を引かれてネットでティンパニの面白い演奏を探してみたのだよ。。。 面白いからオマエも次のクリップを見てごらんよ。。。

 



E.カーター:4つのティンパニのための

8つの小品より


 



7つのティンパニ

 



雨の中、ティンパニーの打ち方がスゴイ!

じっと見てしまう


 



なるほどォ〜。。。 すぐ上の雨の中でティンパニの表面を拭きながら、しかもべダルを動かしながらティンパニーを叩いている姿は、確かにじっと見とれてしまいますねぇ〜。。。



そうだろう?! オマエもティンパニーを叩いてみたくなっただろう?

叩いてみたくなりません。。。 雨の中でティンパニーを叩くなんてウザったいですよ。。。



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

あたしも ネットで打楽器の面白い演奏を探してみました。

あなたも 楽しみながら見れると思います。

どうぞ、ご覧ください。

 



愛知県警察音楽隊

「シング・シング・シング」


 



ウクライナのクレージー ドラム対戦

 



太鼓デュッセルドルフ日本デー

 



秩父屋台ばやし

瀬戸市和太鼓連盟ミラノ遠征隊


 



【集団行動】 日本体育大学

 

ところで、デンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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2018年10月12日

サルトルと現実主義者


 

サルトルと現実主義者

 


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『現実主義者 馬鹿の見本』

 


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(laugh16.gif)




(ohta03.png)

デンマンさん。。。、どういうわけでサルトルと現実主義者というタイトルでオイラを呼び出したのですかァ〜?


(kato3.gif)

オマエは不満なのォ〜?

だってぇ〜、オイラは「生きる価値のないクズの廃人」だと自分で認めているような「現実主義者」と自称する この馬鹿と一緒に登場したくないのですよ。。。

あのさァ〜、オマエは、そう言うけれど オマエだって、この愚か者と同じぐらいにネットでは有名なのだよ。。。

マジで。。。?

ちょっと次の検索結果を見てごらんよ

 


(gog81003b.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



「太田将宏」と入れて検索すると 1,320,000件もヒットするのだよ!



デンマンさんがオイラのことで記事を書いてネットで広めているのですよ。。。 でも。。。、でも。。。、オイラはバカじゃありません!

いや。。。 ネットでも、オマエがバカなことは広まっているのだよ! ウソだと思うなら次の検索結果を見てごらんよ!

 


(gog81003c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



「太田将宏はバカだ」と入れて検索すると、199,000件もヒットするのだよ!



だから、デンマンさんが「太田将宏はバカだ」という下らない誹謗・中傷の記事を書いてネットで広めているのですってばああああああああああああ〜♪〜!

ムカついて大声を張り上げなくても聞こえるのだよ! 落ち着けよう!

オイラは、とにかく、この現実主義者と名乗る男と一緒にされたくないのですよ。。。 この男はオイラとは比べ物にならないほどの愚か者なのですよ! ちょっと、次の検索結果を見てくださいよ!

 


(gog81003d.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



「現実主義者 馬鹿」を入れて検索すると、 15,200,000件もヒットするのですよ! オイラがいくら馬鹿だとしても、現実主義者の愚かさには足元にも及ばないですよ!



つまり、オマエは何が何でも現実主義者と同じ場所には出たくないのだなァ〜?

当たり前でしょう! この愚か者と一緒にして欲しくないのですよ。。。 第一、サルトルと現実主義者とオイラが いったいどのような関係があるのですかァ〜?

あのさァ〜、僕がどうしてオマエを呼び出したかというと、オマエはかつて次の記事を書いたからだよ!


A.10 Georges Bizet (1838 – 1875)

H. Berlioz以来の国籍不明な音楽を書いたG. Bizet(草紙地:Georges Bizetの本名は、Alexandre-César-Leopold Bizet、という怖ろしく立派な名前であるとのことである。)の<<Carmen>>は、私としては、始めから終りまでlibretto無しに聴いても退屈しない唯一のオペラであった。
吉田秀和は、――私は、このオペラが嫌いであった、ことに気がついた。―― と書いている。自戒の念をも込めて書くのであるが、こういう言い方は、卑劣でなければ愚劣であろう。英語では、これをSillyと言う。何せ、吉田は、理由になるようなことは書いていないので、私は、これが理由であるかどうかは、しかとは知らないが、<ハバネラ>にしろ、<花の唄>にしろ、劣情を催させる、といったのなら言い過ぎであるのなら、少なくとも扇情的なものがあるのは確かであろう。それが健全であるかどうかは、むしろ、聴き手の側に要因があるのではないか。吉田は、ただ単に、自分がその扇情的なものに飽和したのに過ぎないのではないか。私は、正直に言おう。私は、これらの曲から劣情を催されるのが好きであった、と。更に言えば、この作品から、ある宿命的な情念のようなものを聴き取るのは、私だけではないことも私は知っている。扇情的な場面の為に扇情的な音楽を書いて何が悪い。それは、文書を読む際にも文脈を考慮することなく言葉尻をあげつらうのに似てはいないか。
初演の当時、―― 卑しい女工や娼婦、あるいは脱走兵、といった反社会的な登場人物たち、―― と、途惑った評論があったそうな。女工が反社会的、とは畏れ入った話であるが、今日の評論も本質的には大差がない、と私には思われる。
ところで、ある一人の女があばずれである、ということは、その女の資質によるものなのか、はたまた、その女に与えられた環境、条件によるものなのか、二人の娘の父親である私としては気になるところである。なにせ、国籍不明で、なおかつ、世界で最も上演回数の多いオペラの一つにある<<Carmen>>である。女性そのものにある共通した実態がそこにあるのではないか。それが資質である故だとすると、それは全ての女に、程度の差こそあれ潜在しているのではないか、とでも考えなければ<<Carmen>>の初演当時の偏見に満ちた反応を超えられないことになろう。そうであるとしたならば、その資質が或る条件(草子地:単数または複数である。)のもとに顕在化する、と推察するのが自然ではないか。その情念は、確かに、F. Nietzscheのいったように、高貴な処女の愛ではなく、運命としての無邪気で残酷な愛、であろう。いや、まった。そもそも、高貴な処女の愛など、存在するのであろうか。不肖な私は、そんなものは、未だかつて、この世界の何処に於いても、経験したことがなかった。いや、経験したくもないのである。もっと実存的な人間関係の方が現実であろう、と確信している。
吉田秀和は、また、Luluの方が椿姫よりも実存的だ、と書いていた。例によって理由はなし。それだけでは、<実存>とは、たんなる気まぐれのことではないか。何か、予想もつかない動きをする女、人間が<実存的>である、といった程度か。私も<<Lulu>>は、実存的だ、と考えているが、結論が同じであるのが却って困る、というのによい例である。ここで、私は、言換えよう。作品としてのA. Bergの<<Lulu>>は、その時代性もあって、必ずしも、創作者の意識の程度にはかかわらずに、実存主義的であった、と。
F.M. Dostoyevskyの<カラマーゾフの兄弟にて>、グルーシェンカが、ドミトリに言って頂戴、私は一度は貴方を愛した、と叫んだが、学生の頃の私も、これは実存的だ、とうっかり思った。実存的であることと実存主義的であることとは区別した方が良いのであろうか。いや、実存主義的であることは、人の選択によるが、勘違いしないで欲しい、人は実存(的)でしか在りえないのである。それに責任を負うという意味で、人は実存主義的でなければならない、と、今は流行らない主義に私は未だ固執しているのである。吉田は、多分、せいぜい、何か、人格の不連続性みたいなものを実存的、との程度で言ったのであろう。それだけならば、次のようにも反論できる:
Luluは、一度でも、誰かを愛したことがあったであろうか。より実存的と言うよりは、ただ単に生理的に不感症だったのではなかったか。MarthのLuluに対する言葉にはlesbishな暗示もある。
それだけのことにも解釈できる。繰返すが、この作品はLuluが実存的であったのでは無い。作品としての<<Lulu>>の創り方が実存主義的であったのである。Luluは情婦であるとか、Luluは娼婦である、とか彼女の本質を規定できない劇の創り方になっているからである。何?、吉田も同じことを言ったのかも知れない? では、彼がそのように記述するべきであった。
多分(草子地:どうして、こうも、何度も、多分、と書かねばならないのだろう。)、吉田によれば<<Carmen>>も<<Luku>>程には<実存的>ではなかったのであろう。私も、今では、<<Carmen>>のなかでは、先にあげた<ハバネラ>と<花の唄>ぐらいしか好きな曲は無くなってしまった。両方ともに官能的であり頽廃的でもあろう。特に、後者の終りの方で、遠く聴こえる軍隊のラッパの音との重なりが、何とも、演劇的にも、音楽的にも効果的であり、耳をそばだたせるのである。音の重なり方やrythmeの重なり方が、いまだ、新鮮に聴こえるのである。

蛇足(コーダ):
あばずれ、という言葉は男に対しては言わない。男には、あばずれは存在しないからだ、とある女に言ったとき、それは、私が女を知らないからだ、と言い返された。こういう口答えを、英語では、personalizationという。一般論で言っていることを、無思慮に個人に転化しているからである。私が首を傾げるのは、こういう卑劣でなければ愚劣としか言いようのない反応をする女は、東洋系、特に日本人の女に多い。二人の娘の父親としては残念ではあるが、やはり男と女は違う。こうした、知的あばずれにならないように、気をつけて育てよう。

125-126ページ
『後奏曲集―後書きばかり−作品 3』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




あのさァ〜、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やフランス語やラテン語が入り混じっている。。。



デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。


A.10 ジョルジュ・ビゼー

    (1838 – 1875)



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エクトル・ベルリオーズ以来の国籍不明な音楽を書いたビゼーの<<カルメン>>は、私としては、始めから終りまで歌劇の台本無しに聴いても退屈しない唯一のオペラであった。

(草紙地:ジョルジュ・ビゼーの本名は、アレクサンドル=セザール=レオポール・ビゼーという怖ろしく立派な名前であるとのことである。)

 


(carmen01.jpg)



 

吉田秀和は、「私は、このオペラが嫌いであった、ことに気がついた」と書いている。
自戒の念をも込めて書くのであるが、こういう言い方は、卑劣でなければ愚劣であろう。
英語では、これをSillyと言う。

何せ、吉田は、理由になるようなことは書いていないので、私は、これが理由であるかどうかは、しかとは知らないが、<ハバネラ>にしろ、<花の唄>にしろ、劣情を催させる、といったのなら言い過ぎであるのなら、少なくとも扇情的なものがあるのは確かであろう。
それが健全であるかどうかは、むしろ、聴き手の側に要因があるのではないか。

吉田は、ただ単に、自分がその扇情的なものに飽和したのに過ぎないのではないか。
私は、正直に言おう。
私は、これらの曲から劣情を催されるのが好きであった、と。

更に言えば、この作品から、ある宿命的な情念のようなものを聴き取るのは、私だけではないことも私は知っている。
扇情的な場面の為に扇情的な音楽を書いて何が悪い。
それは、文書を読む際にも文脈を考慮することなく言葉尻をあげつらうのに似てはいないか。

初演の当時、「卑しい女工や娼婦、あるいは脱走兵、といった反社会的な登場人物たち」と、途惑った評論があったそうな。
女工が反社会的、とは畏れ入った話であるが、今日の評論も本質的には大差がない、と私には思われる。

ところで、ある一人の女があばずれである、ということは、その女の資質によるものなのか、はたまた、その女に与えられた環境、条件によるものなのか、二人の娘の父親である私としては気になるところである。
なにせ、国籍不明で、なおかつ、世界で最も上演回数の多いオペラの一つにある<<カルメン>>である。

女性そのものにある共通した実態がそこにあるのではないか。
それが資質である故だとすると、それは全ての女に、程度の差こそあれ潜在しているのではないか、とでも考えなければ<<カルメン>>の初演当時の偏見に満ちた反応を超えられないことになろう。
そうであるとしたならば、その資質が或る条件(草子地:単数または複数である。)のもとに顕在化する、と推察するのが自然ではないか。

その情念は、確かに、ニーチェのいったように、高貴な処女の愛ではなく、運命としての無邪気で残酷な愛、であろう。
いや、まった。
そもそも、高貴な処女の愛など、存在するのであろうか。

不肖な私は、そんなものは、未だかつて、この世界の何処に於いても、経験したことがなかった。
いや、経験したくもないのである。
もっと実存的な人間関係の方が現実であろう、と確信している。

吉田秀和は、また、ルルの方が椿姫よりも実存的だ、と書いていた。
例によって理由はなし。

それだけでは、<実存>とは、たんなる気まぐれのことではないか。
何か、予想もつかない動きをする女、人間が<実存的>である、といった程度か。
私も<<ルル>>は、実存的だ、と考えているが、結論が同じであるのが却って困る、というのによい例である。

ここで、私は、言換えよう。
作品としてのアルバン・ベルクの<<ルル>>は、その時代性もあって、必ずしも、創作者の意識の程度にはかかわらずに、実存主義的であった、と。

 


(lulu001.jpg)



 

ドストエフスキーの<カラマーゾフの兄弟にて>、グルーシェンカが、ドミトリに言って頂戴、私は一度は貴方を愛した、と叫んだが、学生の頃の私も、これは実存的だ、とうっかり思った。
実存的であることと実存主義的であることとは区別した方が良いのであろうか。

いや、実存主義的であることは、人の選択によるが、勘違いしないで欲しい、人は実存(的)でしか在りえないのである。
それに責任を負うという意味で、人は実存主義的でなければならない、と、今は流行らない主義に私は未だ固執しているのである。

吉田は、多分、せいぜい、何か、人格の不連続性みたいなものを実存的、との程度で言ったのであろう。
それだけならば、次のようにも反論できる:
ルルは、一度でも、誰かを愛したことがあったであろうか。

より実存的と言うよりは、ただ単に生理的に不感症だったのではなかったか。
ゲシュヴィッツ伯爵令嬢のルルに対する言葉にはレスビアン的な暗示もある。
それだけのことにも解釈できる。

繰返すが、この作品はルルが実存的であったのでは無い。
作品としての<<ルル>>の創り方が実存主義的であったのである。

ルルは情婦であるとか、ルルは娼婦である、とか彼女の本質を規定できない劇の創り方になっているからである。

何?、吉田も同じことを言ったのかも知れない?
では、彼がそのように記述するべきであった。
多分(草子地:どうして、こうも、何度も、多分、と書かねばならないのだろう。)、吉田によれば<<カルメン>>も<<ルル>>程には<実存的>ではなかったのであろう。

私も、今では、<<カルメン>>のなかでは、先にあげた<ハバネラ>と<花の唄>ぐらいしか好きな曲は無くなってしまった。
両方ともに官能的であり頽廃的でもあろう。

特に、後者の終りの方で、遠く聴こえる軍隊のラッパの音との重なりが、何とも、演劇的にも、音楽的にも効果的であり、耳をそばだたせるのである。
音の重なり方やリズムの重なり方が、いまだ、新鮮に聴こえるのである。

 



追記(コーダ):

 

あばずれ、という言葉は男に対しては言わない。
男には、あばずれは存在しないからだ、とある女に言ったとき、それは、私が女を知らないからだ、と言い返された。
こういう口答えを、英語では、personalizationという。

一般論で言っていることを、無思慮に個人に転化しているからである。
私が首を傾げるのは、こういう卑劣でなければ愚劣としか言いようのない反応をする女は、東洋系、特に日本人の女に多い。
二人の娘の父親としては残念ではあるが、やはり男と女は違う。

こうした、知的あばずれにならないように、気をつけて育てよう。




赤字はデンマンが強調)

125-126ページ
『後奏曲集―後書きばかり−作品 3』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




つまり、たまたまオイラが上の記事で「実存主義」に言及したのでサルトルと現実主義者というタイトルを付けてオイラを」呼び出したというわけですか?



その通りだよ!

でも。。。、でも。。。、オイラは、あの馬鹿のことには触れてませんよ。

確かに、上の記事には「現実主義者」と呼ばれている“馬鹿の見本”は登場してない。。。

当たり前でしょう! オイラは、“馬鹿の見本”と呼ばれるような愚か者とは関わりたくないのです。。。

あのさァ〜、オマエの気持ちは僕にもよ〜♪〜く分かるのだよ!

だったら、こういう話題の記事にオイラを呼び出さないでくださいよ。。。

でも、オマエは「実存主義」を理解しているのだろう?

もちろんですよう。。。 でも、オイラは、あの愚か者が言う「現実主義者」ではありません!

その事については僕も十分に理解している!

それなのに、どういうわけでオイラを呼び出したのですか?

なぜなら、オマエが「実存主義」に言及したので、「現実主義者」と名乗るネットで有名になりつつある この“バカの見本”が実存的であるかどうか? 僕はオマエに尋ねたかったからだよ。。。

分かりました。。。 オイラにも この愚か者について言いたいことがあります。。。 でも、デンマンさん自身は、どう思っているのですか? この“バカの見本”は実存的ですか?

実は、僕が学生時代に日本で買った本がたまたま実家にあったので読んでみたら次の個所に出くわしたのだよ。。。



(sartre80.jpg)

 

サルトルが、釘にとって時間は永遠の現在しかないが、人間の時間にはつねに未来がある、といっているのは(『ドス=パソス論』を参照)、人間がたえず未来に向かって現在を乗り越えてゆき、自己自身の外に自己を投げかけてゆく、つまり投企してゆくからです。

実存ということばが、ラテン語の「外に歩みでる」という意味の動詞ex-sistoの名詞化であるのはそのためです。

そしてそのような人間存在が実存と呼ばれるのです。

 (84ページ)

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『「サルトル」入門』
著者: 白井浩司
1968(昭和43)年12月10日 第9刷発行
発行所: 株式会社 講談社




つまり、このサルトル入門の書によれば、人間がたえず未来に向かって現在を乗り越えてゆき、自己自身の外に自己を投げかけてゆくような人間存在が実存と呼ばれるのだよ。。。



「現実主義者」と自称している あの“馬鹿の見本”は未来に向かって現在を乗り越え、自己自身の外に自己を投げかけていますか?

いや。。。 アイツは勉強しない、努力しない、失敗しても反省しない。。。 だから、偏差値30台のクソ大学しか卒業できなかった。。。 卒業したと言うよりも、留年すると他の学生に迷惑をかけるし、大学の評判もさらに悪くなるので、追い出されたのだよ!

要するに、そもそも大学で勉強するような人間ではないのですね。

その通りだよ。。。 しかも、そろそろ50歳になろうというのに、今だに偏差値30台であった事実がトラウマになっていて、「学歴社会」、「イジメ自殺社会」という極めて自己中心的な考え方に縛られて、現実を見ようとしない。。。 「井の中の蛙(かわず)」になっている! 自分の将来について考えようともしないで、10年前からイジメ自殺被害者に向かって「オマエもオイラと同様に生きる価値のないクズの廃人だ!」と嫌がらせのコメントを書いている。

つまり、ネットでは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われ、憎まれ、恨まれ、シカトされるか馬鹿にされているのですね。。。

そういうことだよ! 要するに、この「現実主義者」にはサルトルが言ったように「永遠の現実」しかない! たいていの人間には未来がある。。。 でも、この「井の中の蛙(かわず)」には未来がない!

つまり、“馬鹿の見本”のこの男は、サルトルの目に“釘”と同じように映ってしまうのですね!?

そういうことだよ。。。 で、オマエは、この“馬鹿の見本”について、どう思うの?

 


(fool911.jpg)

『現実主義者 馬鹿の見本』

 



デンマンさん! この“馬鹿の見本”が今日の記事を読めば、言うことは決まってますよ!



「現実主義者」は何と言うの?

また、次のようなコメントを書きますよ。。。


引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

2 無題

 

一般社会は貴様らネトウヨの戯言に呆れかえってんだよ、ボケッ!!

現実主義者 2018-09-29 04:48:43




8 無題

 

うるせぇな、学歴社会不感症のクソドネトウヨの逆恨みは見苦しいぞ。

現実主義者 2018-09-30 18:19:41




19 無題

 

アタマに来るんなら、ネトウヨ節やめちまえ。

現実主義者 2018-10-07 12:26:22




24 無題

アタマに来るのは、貴様がネトウヨだからだろ、ボケが!!

現実主義者 2018-10-11 13:15:04




『アタマにくる一言@現実主義者』のコメント欄より
(2018年9月29日)




この“馬鹿の見本”は馬鹿の一つ覚えで“ネトウヨ!”しか言えないのですよ! この男には「永遠の愚かな現在」しかなく、人間存在としての未来はありません!



マジで。。。?

この男は実存とは程遠い男ですよ! 要するに「井の中の蛙」ですよ。。。 この男が自分で認めているように「生きる価値のないクズの廃人」ですよ。。。 こんな下らない男をデンマンさんは、いつまで相手にするつもりなのですか?

でも。。。、でも。。。、この“馬鹿の見本”にもちゃんと生きるだけの価値がある!

まさかァ〜? デンマンさんはマジでそう思っているのですかァ〜。。。? それは綺麗事でしょう!?

いや。。。 オマエや僕に生きる価値があるように、この愚か者にも生きる価値がある。。。

信じられません! いったい、どのような生きる価値がある、とデンマンさんは言うのですか?

反面教師として生きる価値があるのだよ!



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

今日は、太田さんを貶(けな)すと言うよりも

集中的に「現実主義者」と名乗る、あの“馬鹿の見本”を貶(けな)していますわァ〜。。。

これまでは、太田さんに対して デンマンさんは かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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Posted by barclay1720 at 05:18Comments(0)

2018年09月26日

人生と偏差値


 

人生と偏差値

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで人生と偏差値というタイトルでオイラを呼び出したのですかァ〜?


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オマエは不満なのォ〜?

だってぇ〜、オイラは偏差値などに全く関心がありません。。。

でも、オマエは人生については言いたい事があるだろう?

もちろん、人生についてなら、いろいろと言いたい事がありますよ。。。 でも、今日はクラシックの話をするだろうと思ったからノコノコとやって来たのですよ。。。

もちろん、クラシックの話をするのだよ。。。

でも、タイトルを見るとクラシックとは関係なさそうじゃありませんかァ!

でも、関係あるのだよ。。。 なぜなら、オマエはかつて次のような記事を書いていたのだよ。。。


1.1 Claudio Monteverdi (1567 – 1643)

これはどうしたことか。どの時代の、どの作曲家の音楽を聴いても、私は、近頃ambivalentな反応をしている自分を感じるのだ。
Claudio Monteverdiの<<Lamento d’ Ariana>>を聴き始めたとき、そのLasciatemi morire、のところで、何か間の抜けた、あるいは、虚ろな響きを聴いて、私は疲れているのか、と途惑った。実は、morire、と唱われる処に平行五度があったのである。Monteverdiのことであるので、これは、彼が意識してのことである、と私は信じる。つまり、これは、見捨てられたAriannaの内面の空虚としての意味がある、いや、生半可なsentimentalisme以上に効果があるとすら思えるのではあるが、私には、何か、かなわないなあ、といった印象を拭いきれない。J.S. Bachも言ったように、やはり、平行五度や平行八度は聴き苦しいのであろう。私は、無論、ここで、Monteverdiに苦情をいっているのではない。このlamentoは、オペラのAriaとしては、超一級である、と私も思う。こうした効果は、所謂絶対音楽では出番が無いであろう。
次なる問題は、私がTeseoに捨てられたAriannaに何処まで切実に同情しなければならないかにあろう。それは、私には荷がかちすぎる。東洋人の男性である私の心が動くなどというのは、もともと無理だったのではなかったか。かといって、好奇心を満たすだけにしても、感覚的には耳障りという障害がある。平衡五度に感動するわけにはいかないのでる。しかし、彼女への同情が無ければ感動も無いであろう。さらに言えば、これは、現代のヨーロッパ人にとっても、いや、baroque初期のイタリア人ですら、程度の差こそあれ同様なのではないか。
作品が立派である、という認識と、それが私(たち)に感動をもたらす可能性は、不幸にして乖離している。このことは、一つの作品の水準は、好きとか嫌いとか、あるいは、その作品の有用性(草子地:つまり、感動を求めてそれを聴こうとする人にとっては、感動そのもの)とは別の平面にある、ということの例証にもなるであろう。
音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。異なる時代にも亘る言語ですらなかった。それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、そもそも、いったい何であったのであろうか。
小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、可能性について問われたとき(草子地:そういうことを聞く田舎者は世界のどこにでもいるものである。)、音楽は、世界の共通の言語であるからと、(草子地:当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。
壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。それにしても、ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、一般的に言って、非現実的であり、できない相談である。バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。
とはいえ、短二度の導音などの無い音楽に、何か、或る懐かしさを感じるのは何故であろう。平行五度の空虚を東洋人でも感知されるのと同様に、その懐かしさを感じとるのには西洋人であっても変りはないであろう。音楽が世界共通の言語などではないとしても、双方がcommuniquerできないほど異質なものを基礎にしているわけではない、といったとしたら、結論としては平凡すぎるのか。
それにしても、不思議なことではある。私自身、長二度や増二度の導音のある音階による音楽など、何時、何処で、聴いたことがあったか、まったく記憶に無いからである。少なくとも、今までに、長、短調の音楽を聴いた回数や時の長さは、旋法や五音音階のそれに較べては比較にならないほど多く、長かったはずである。何故か、調性音楽には、そのような懐かしさは感じさせない風がある。
いつだったか、小澤征爾とH.v. Karajanの指揮するM. Ravelの<<Boléro>>を聴き較べたことがあった。小澤の演奏は、英語で言うtoo squareであったが、Karajanのそれは、フランス人でもないのに、何とも、sexyで妖艶ですらあった。やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。
一方、まだP. Oundjianが第一ヴァイオリンを奏いていたころの東京クオルテットがトロントに来たときのRavelの演奏は、未だかつて聴かれたことのない程の名演であった。ただ、その時の解説者による、何故かOundjianだけに対するインタヴュでの質問で、最後に聞くが、ただひとりで日本人に交じって演奏するのをどのように感じているか、というのがあった。想像力の欠如した、この程度のmentalitéの人間もここでは多いのである。Oundjianが如何に答えるかを期待していたのであろうか。答えようが無いではないか。彼らの演奏以外には。それ以外の、どうでもいいことを聴きたがるのは、下賎な野次馬根性であろう。
そういえば、J.S. Bachは、BWV 855のFugeに於いて、二箇所にわたって壮大に平行八度を用いている(草子地:第19-20小節と第38小節)。これほどあからさまにやられると、良いも悪いもない。ただ、ぎくりとして、あいた口が塞がらない、といった効果がある。このFugeは、この曲集の中で、唯一の二声のFugeである故に、よけいにめだつ。

蛇足(コーダ):
私は、何々至上主義、といったものが嫌いである。例えば、恋愛至上主義。だいたい、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女の肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualitéを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。J.S. Bachは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが。
芸術至上主義も同じ。人生は芸術を演出する時空ではない。

6-7ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




あのさァ〜、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やフランス語やラテン語が入り混じっている。。。



デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。


1.1 クラウディオ・モンテヴェルディ

    (1567 – 1643)



(monte03.jpg)

 

これはどうしたことか。
どの時代の、どの作曲家の音楽を聴いても、私は、近頃 好意と嫌悪を同時に持つような反応をしている自分を感じるのだ。

クラウディオ・モンテヴェルディの<<アリアンナの嘆き>>を聴き始めたとき、そのLasciatemi morire(Let me die;死なせて)、のところで、何か間の抜けた、あるいは、虚ろな響きを聴いて、私は疲れているのか、と途惑った。


(monte04.jpg)



実は、morire(死ぬ)、と唱われる処に平行五度があったのである。
モンテヴェルディのことであるので、これは、彼が意識してのことである、と私は信じる。

つまり、これは、見捨てられたアリアンナの内面の空虚としての意味がある、いや、生半可な感情主義以上に効果があるとすら思えるのではあるが、私には、何か、かなわないなあ、といった印象を拭いきれない。
バッハも言ったように、やはり、平行五度や平行八度は聴き苦しいのであろう。
私は、無論、ここで、モンテヴェルディに苦情をいっているのではない。

この嘆きは、オペラのアリアとしては、超一級である、と私も思う。
こうした効果は、所謂絶対音楽では出番が無いであろう。

次なる問題は、私がオデュッセウスに捨てられたアリアンナに何処まで切実に同情しなければならないかにあろう。
それは、私には荷がかちすぎる。
東洋人の男性である私の心が動くなどというのは、もともと無理だったのではなかったか。

かといって、好奇心を満たすだけにしても、感覚的には耳障りという障害がある。
平衡五度に感動するわけにはいかないのでる。

しかし、彼女への同情が無ければ感動も無いであろう。
さらに言えば、これは、現代のヨーロッパ人にとっても、いや、バロック初期のイタリア人ですら、程度の差こそあれ同様なのではないか。
作品が立派である、という認識と、それが私(たち)に感動をもたらす可能性は、不幸にして乖離している。

このことは、一つの作品の水準は、好きとか嫌いとか、あるいは、その作品の有用性(草子地:つまり、感動を求めてそれを聴こうとする人にとっては、感動そのもの)とは別の平面にある、ということの例証にもなるであろう。

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、そもそも、いったい何であったのであろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、可能性について問われたとき(草子地:そういうことを聞く田舎者は世界のどこにでもいるものである。)、音楽は、世界の共通の言語であるからと、(草子地:当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
それにしても、ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。

かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、一般的に言って、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

とはいえ、短二度の導音などの無い音楽に、何か、或る懐かしさを感じるのは何故であろう。
平行五度の空虚を東洋人でも感知されるのと同様に、その懐かしさを感じとるのには西洋人であっても変りはないであろう。
音楽が世界共通の言語などではないとしても、双方がコミュニケーションが取れないほど異質なものを基礎にしているわけではない、といったとしたら、結論としては平凡すぎるのか。

それにしても、不思議なことではある。
私自身、長二度や増二度の導音のある音階による音楽など、何時、何処で、聴いたことがあったか、まったく記憶に無いからである。

少なくとも、今までに、長、短調の音楽を聴いた回数や時の長さは、旋法や五音音階のそれに較べては比較にならないほど多く、長かったはずである。
何故か、調性音楽には、そのような懐かしさは感じさせない風がある。

いつだったか、小澤征爾とカラヤンの指揮するモーリス・ラヴェルの<<ボレロ>>を聴き較べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言うtoo square(単純で直線的で堅苦しい演奏)であったが、カラヤンのそれは、フランス人でもないのに、何とも、セクシーで妖艶ですらあった。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

 


(ravel001.jpg)



    小澤征爾・指揮

モーリス・ラヴェル ≪ボレロ≫







    カラヤン・指揮

モーリス・ラヴェル ≪ボレロ≫


 

一方、まだピーター・ウンジャンが第一ヴァイオリンを奏いていたころの東京クオルテットがトロントに来たときのラヴェルの演奏は、未だかつて聴かれたことのない程の名演であった。
ただ、その時の解説者による、何故かピーター・ウンジャンだけに対するインタヴュでの質問で、最後に聞くが、ただひとりで日本人に交じって演奏するのをどのように感じているか、というのがあった。
想像力の欠如した、この程度の思考様式の人間もここでは多いのである。

ピーター・ウンジャンが如何に答えるかを期待していたのであろうか。
答えようが無いではないか。彼らの演奏以外には。
それ以外の、どうでもいいことを聴きたがるのは、下賎な野次馬根性であろう。

そういえば、バッハは、作品855のフーガに於いて、二箇所にわたって壮大に平行八度を用いている(草子地:第19-20小節と第38小節)。


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これほどあからさまにやられると、良いも悪いもない。
ただ、ぎくりとして、あいた口が塞がらない、といった効果がある。
このフーガは、この曲集の中で、唯一の二声のフーガである故に、よけいにめだつ。

 



追記(コーダ):

 

私は、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。だいたい、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女の肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。

そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いに性的感情を持ったとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

 


(mariabach.jpg)

マリア & ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

 

バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが。

芸術至上主義も同じ。

人生は芸術を演出する時空ではない。





赤字はデンマンが強調)

6-7ページ
『間奏曲集―主題なき変奏−作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




デンマンさん。。。 オイラは確かに「芸術至上主義も同じ。 人生は芸術を演出する時空ではない」と書きましたが、偏差値については書いてません。。。



もちろん、オマエが偏差値について書いてないことは了解済みだよ。。。

それなのに、どういうわけで人生と偏差値というタイトルにしたのですか?

あのさァ〜、オマエが書いた人生と芸術についての趣旨は僕にも解るような気がするのだよ。。。 でも、もし「芸術」を「偏差値」で置き換えてみると、まるで魔法をかけたように、すぐに納得がゆくのだよ。。。

要するに、デンマンさんは「偏差値至上主義も同じ。 人生は偏差値を演出する時空ではない」と言いたいのですか?

その通りだよ。。。

でも、どういうわけで偏差値を持ち出す必要があるのですか?

あのさァ〜、これまでにも「現実主義者」と自称する愚か者のことを取り上げたことがあるけれど、この男が偏差値至上主義の呪縛によって 哀れな人生を送っているのだよ。。。

 


(fool911.jpg)

『現実主義者 馬鹿の見本』

 



デンマンさん! オイラはこの“馬鹿の見本”の「現実主義者」と関わりたくないのですよ。。。



オマエのその気持ちは良〜♪〜く解るよ。。。

せっかく、クラウディオ・モンテヴェルディという作曲家のことをデンマンさんが持ち出してきたのですよ。。。 これから格調高くクラシックのことを語り合おうというのに、この偏差値30台のお馬鹿を持ち出したら、オイラたちの対談が台無しになるじゃありませんかア!

あのさァ〜、確かに、その通りなのだけれど、オマエが「芸術至上主義も同じ。 人生は芸術を演出する時空ではない」と書いていたので、それを見た時に、むしろ「芸術」を「偏差値」で置き換えた方が、すっきり理解できるじゃないかァ!。。。と思ったわけだよ。。。

それで、あの“馬鹿の見本”を取り上げることにしたのですか?

その通りだよ。。。 この「現実主義者」と名乗る男は、偏差値至上主義を神のごとくに信じているために、日本は「学歴社会」だと100%文句無しに思い込んでいる。

 


(gakureki01.jpg)

『現実主義者と学歴社会』

 



オイラが大学生の頃には「偏差値」なんて話題にもなりませんでしたよ。



そうなのだよ。。。 ところが、学力検査の結果を表す学力偏差値を導入し、これを入学試験の合格率の判定などに広く使うようになってから、日本の教育が乱れ始めたのだよ。。。

その犠牲者が「現実主義者」と自称する上の“馬鹿の見本”なのですか?

その通りだよ!

 


(hensa01.gif)

 



この哀れな男は偏差値30台のクソ大学をやっと卒業することができた。。。



つまり、偏差値30台ということは、例えば、全受験生が100万人いた学力試験で、偏差値30台となる者は、100万人 X 13.6%(0.136) = 136,000人ということですねぇ〜。。。

さすがは早稲田大学・理工学部・数学科を卒業しただけあって、オマエは筆算がすごいねぇ〜。。。 (モナリザの微笑)

この程度ならば、小学生でもできますよゥ。。。

だけど、この“馬鹿の見本”には、この筆算もできないらしいよう。。。 それに、この数式の意味するところも理解できない。。。

マジで。。。?

だから、偏差値30台なんだよ! (笑)

。。。で、何が問題なのですか?

だから、この男は偏差値が30台の 136,000人中でも、136,000番目ぐらいにアタマが悪いわけ。。。

要するに馬鹿なんですねぇ〜。。。 うへへへへへへへ。。。

そうなんだよ。。。 しかも、一回りも二回りも馬鹿なのは、伊藤先生のブログにコメントを書いて「オイラは偏差値が30台で 生きる価値のないクズの廃人」です、とまるで自慢するかのように宣言したのだよ!

つまり、この男は偏差値至上主義を神のごとくに信じて、人間の価値は偏差値で決まると思い込んでしまったのですねぇ〜。。。

そうなのだよ! 「強迫観念」にちかい、この思い込みにがんじがらめになって、いわば自分で自分の首を絞めているような状態になっているのだよ。

。。。で、デンマンさんは、「人間の価値は偏差値で決まるのじゃないよ。。。 素直な性格だとか、共感する心だとか、クラシックを味わうだけの音楽的感性だとか、愛情こまらかな性質だとか、家族や友人を愛する人間性だとか、学力偏差値では表すことができないモノにこそ、人間の価値が含まれているのだよ!」と、馬鹿でも解るように、この男に語りかけたのですか?

その通りだよ。。。

。。。で、この馬鹿は、デンマンさんが語りかけた事が理解できないのですか?

全く理解できない!

なぜ。。。?

この男は中学生時代の反抗期に精神の発育がすっかり停滞してしまったのだよ!

つまり、家族や他人の言うことにたいして、反抗的な態度をとり続けたのですねぇ〜?

そういうことだよ。。。 だから、いまだに反抗的な態度をとり続けている! 止せばいいのに次のような馬鹿な事を伊藤先生のブログに書いている!



引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

5 無題

 

桜井誠は俺のオジンそっくりです。

自分の考えを「それは違うだろ!」って言われたら、すぐムキになって
ムチャクチャなこと喚き散らして、
自分の考えを無理矢理に押し付けようとする。

 

現実主義者 2017-11-12 21:03:31




『伊藤先生のブログ』より




オマエの元校長先生のおじいさんが正しのだよ!
貴重な助言をしたのだよ!

オマエは、中学生の反抗期のまま、偏差値が30台のままに止まってしまったのだ!
当然、精神年齢もそのときのまま!
相変わらず中学生の悪ガキのコメントしか書けないのだよ!

伊藤先生も、愚かなオマエに呆れて、事なかれ主義の どうでもいい返信を書いている!

オマエ!、いい加減気づけよ!
伊藤先生は、オマエをやり過ごしているのだよ!
選挙に出馬することを考えて、できるだけ敵を作らないように。。。

世間に対して、好感を与えるように
どうしようもない、手もつけようもない、助言しても、まったく効き目の無いオマエをやり過ごしているだよ!

オマエは、もう伊藤先生から“よちよちされないのだ!”
“ちゅいちゅいされる”のがせきのやまなのだよ! 気づけ! ボケッ!
(モナリザの爆笑)


(monalaugh.jpg)
 



『アタマにくる一言』のコメント欄より
(2018年9月17日)




つまり、この“馬鹿の見本”にデンマンさんは“アタマにくる一言”を言われたので、ムカついてこの記事を書く気になったのですねぇ〜?



いや。。。 その程度のことで僕はムカつかないよ!

じゃあ、どういうわけで、この“馬鹿の見本”のことを取り上げて記事を書く気になったのですか?

あのさァ〜、人間は神じゃないのだから一人として完璧な人間は居ないのだよ!

その通りです。。。

つうことわァ〜、オマエも僕も欠陥のある人間だよ!

でも、オイラもデンマンさんも この“馬鹿の見本”よりはましな人間ですよ。。。

そうかもしれない。。。 ただ、僕が言いたいのは、この“馬鹿の見本”は自分で「偏差値が30台で、生きる価値のないクズの廃人」だと認めているのだよ!

だって、その通りじゃありませんかァ! (笑)

でも、それが違うのだよ! この“馬鹿の見本”にもちゃんと生きるだけの価値がある!

まさかァ〜? マジで。。。? それは綺麗事でしょう!?

いや。。。 オマエや僕に生きる価値があるように、この愚か者にも生きる価値がある。。。

信じられません! いったい、どのような生きる価値がある、とデンマンさんは言うのですか?

反面教師として生きる価値があるのだよ!



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ〜。。。

今日は、太田さんを貶(けな)すと言うよりも

集中的に「現実主義者」と名乗る、あの“馬鹿の見本”を貶(けな)していますわァ〜。。。

これまでは、太田さんに対して デンマンさんは かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ〜、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)


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Posted by barclay1720 at 04:35Comments(0)

2018年09月22日

バッハとビートルズ

 

バッハとビートルズ

 


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(ohta03.png)

デンマンさん。。。、バッハとビートルズが関係あるのですか?


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もちろんだよ。。。 どちらも音楽と関係あるだろう!

そんなことは、誰でも知ってますよ。。。 どういう関係があるか訊いているんですよ。。。

オマエは、マジで知りたいのォ〜?

もちろんです。。。 そうでないなら、いったい何のためにオイラを呼び出したのですか?

オマエが かつて次のような記事を書いていたからだよ。。。


3.2 Johann Sebastian Bach

このところ、しばらく、J.S. Bachの<<Partita VI>>(in e-moll, BWV 830)を弾いている。この作品の第一楽章は、<Toccata>である。Toccataの語源は、ともかくとして、Bachがこの言葉を使ったときには、大概、toccataがfugaを内包している、と見受けられる。所謂フランス式序曲と違うところは、そのfugaの終わり方であろう。この曲では、fugaは、属調のh-mollで冒頭のtoccataの音形に回帰している。私は、このfugaが大好きである。Toccataの一部がfugaの中で効果的に展開されているからである。
私の楽譜(井口版)では、このtoccataは8ページにわたって印刷されている。暗譜をしない限り、譜面めくりを練習しなければならないが、三回ともに八分音符一つの余裕しかない。いや、あるというべきか。一般的に言って、他のfugaの場合には、もっと条件がわるい。それ故に、私は、私自身だけが私のピアノを聴いている限り、ページの終りで音楽が一瞬、途絶えるのを頓着するのが、いつしか少なくなってしまった。が、今日は、試してみよう、と思ったりしたのであるから無視してきたわけではない。切れ目なく続けることは、案外に、簡単であったのみならず、まず美しかった。その瞬間には、このfugaの全貌が、分水嶺に立った様に見渡せられた、と錯覚したほどである。ある意味では、この感覚は不思議でもある。もし、私が全曲を暗譜していたとしたら、私は、これ程の新鮮な瞬間を逃していたであろうからである。
さて、白状しよう。私は、暗譜、暗記が苦手なのである。誰でもそうか。では言おう。私は、暗譜などという、さして音楽の本質に関係のないところで苦労する意欲がもてないのである(草子地:S. Richterだって彼の演奏会に楽譜を持込んでいたではないか)。いや、こういう言い方は良くはない。与えられた条件の中で、少しでも淀みのない音の流れを求める努力は大切である。それに、あれこれ試してみることは、良いことである。現に、A. Schiffも、楽譜を見ながら弾いているのと、暗譜して弾いているのとでは、結果に影響を及ぼすほどに感じが違う、と言っていた。音楽は楽譜の中にも、鍵盤の上にも存在するわけではない、ということは確かにしろ、これは、演奏家の研ぎ澄まされた感覚から来る発言だと思う。これに限らずに、音楽に限らずに、こうしたこと無しに、本質の現実化などはあり得ない、ということではないか。
何かを考えるにしても、座ったまま考えるよりは、歩きながら考える方がよい、という例がある。歩くことは、考えることには本質的な関係はないにしても、歩かないで考えることが成し難いよりも、歩いてでも、その何かを考え出した方がよいということは明白であろう。まして、演奏とは楽器を操ることである。その楽器特有のideomに従うにしろ、反することをするにしろ、それに必要な動作、行動に適った姿勢をとるのが演奏家の本能ではないか。その動作、行動と、今まさに出現している音と相互作用(feedback)の連続が、実際の演奏を形作っているのであって、聴き手も、実は、それを聴いているのである。
ある傾向の、現代音楽の作曲家は、それを無視しすぎる。楽器の為、というよりは、発振装置の為に書いた方がよい、といった傾向もある。私が発振装置を使
った音楽が嫌いな理由は、楽器のような活きた音の立ち上り、音の身振りがないからである。
私は、弦楽器の指板上の何処にどの音があるのか、とっさに感知できる。音は弦に対して連続している(analogueである)からである。しかし、鍵盤上では、そうはいかない。あれは、たまたま選ばれたC-durの白鍵の配列の上に黒鍵を配置した不連続な(digitalな)、一種の数列の様な代物である。それでも、訓練によっては、求める各音を、とっさに、推察することもできよう。
しかし、私にとってのそれは、本能的な直感からは、ほど遠い。眼が、耳がちらちらする感じである。私は、amateurである。
或いは、練習に練習を重ねれば、指が音を覚えて,自然に、求める音が、連続的に鳴らされる、などと言う没知性の俗言をいう人もあろう。ある程度は、それも経験的に確かではあるが、私は、自分の意識が追えない事象というのが、何か辛いのである。
それに、それでは何故、弦楽四重奏の演奏家たちは譜面台を置き、ピアノ ソナタを弾く演奏家は暗譜で弾く傾向にあるのかが説明し難い。ついでに言えば、何々とピアノの為のソナタで、その何々の演奏家は、多くの場合に暗譜で奏くのに、ピアニストは譜面を置くのが不思議でもある。昔と違い、せっかく、ヴァイオリン ソナタとか、フルート ソナタという様な言い方を避けるようになった昨今にもかかわらずに。また、ついでに言えば、オーケストラの団員は、忙しくて暗譜する余裕がないのであろうか。結論は、平凡にも、暗譜は手段であって、それ自体が目的ではない、ということか。
私にとっては、fugaを暗譜するのがとりわけ苦手である。聴き手としての私も同様である。音楽に於ける記憶力、それを支える為に楽譜にマークをいれる、或いは解説を参照する、そうでもしないと、細部を理解できない、部分と全体の関係を理解した気持ちになれない、といった音楽は、多分、Renaissance以前にまで遡るであろう。こと音楽に関しては、ヨーロッパは過激であった。

蛇足(コーダ):
数学は、理解力の対象であって、記憶力のそれではない、というのは、誤りである。記憶力の無い処に推論は成立しないからである。
それで、私は、学生時代に、数学の単位をおとした。

17-18ページ
『前奏曲集―私はアマチュアである−作品 1の2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




あのさァ〜、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やフランス語やイタリア語やラテン語が入り混じっている。。。



デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの極めて個人的な見解だと思うのだよ! むしろ独断と偏見だと言っていい。。。 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。


3.2 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

     (1685 – 1750)



(bach002.jpg)

 

このところ、しばらく、バッハの<<パルティータ VI>>(ホ短調, 作品番号830)を弾いている。
この作品の第一楽章は、<トッカータ>である。
トッカータの語源は、ともかくとして、バッハがこの言葉を使ったときには、大概、トッカータがフーガを内包している、と見受けられる。

 



 

所謂フランス式序曲と違うところは、そのフーガの終わり方であろう。
この曲では、フーガは、属調のロ短調で冒頭のトッカータの音形に回帰している。

私は、このフーガが大好きである。
トッカータの一部がフーガの中で効果的に展開されているからである。

私の楽譜(井口版)では、このトッカータは8ページにわたって印刷されている。
暗譜をしない限り、譜面めくりを練習しなければならないが、三回ともに八分音符一つの余裕しかない。
いや、あるというべきか。

一般的に言って、他のフーガの場合には、もっと条件がわるい。
それ故に、私は、私自身だけが私のピアノを聴いている限り、ページの終りで音楽が一瞬、途絶えるのを頓着するのが、いつしか少なくなってしまった。

が、今日は、試してみよう、と思ったりしたのであるから無視してきたわけではない。
切れ目なく続けることは、案外に、簡単であったのみならず、まず美しかった。
その瞬間には、このフーガの全貌が、分水嶺に立った様に見渡せられた、と錯覚したほどである。

ある意味では、この感覚は不思議でもある。
もし、私が全曲を暗譜していたとしたら、私は、これ程の新鮮な瞬間を逃していたであろうからである。

さて、白状しよう。
私は、暗譜、暗記が苦手なのである。
誰でもそうか。

では言おう。
私は、暗譜などという、さして音楽の本質に関係のないところで苦労する意欲がもてないのである。
(草子地:スヴャトスラフ・リヒテルだって彼の演奏会に楽譜を持込んでいたではないか。)

いや、こういう言い方は良くはない。
与えられた条件の中で、少しでも淀みのない音の流れを求める努力は大切である。
それに、あれこれ試してみることは、良いことである。

現に、シフ・アンドラーシュも、楽譜を見ながら弾いているのと、暗譜して弾いているのとでは、結果に影響を及ぼすほどに感じが違う、と言っていた。
音楽は楽譜の中にも、鍵盤の上にも存在するわけではない、ということは確かにしろ、これは、演奏家の研ぎ澄まされた感覚から来る発言だと思う。

これに限らずに、音楽に限らずに、こうしたこと無しに、本質の現実化などはあり得ない、ということではないか。
何かを考えるにしても、座ったまま考えるよりは、歩きながら考える方がよい、という例がある。
歩くことは、考えることには本質的な関係はないにしても、歩かないで考えることが成し難いよりも、歩いてでも、その何かを考え出した方がよいということは明白であろう。

まして、演奏とは楽器を操ることである。
その楽器特有のイディオムに従うにしろ、反することをするにしろ、それに必要な動作、行動に適った姿勢をとるのが演奏家の本能ではないか。
その動作、行動と、今まさに出現している音と相互作用(フィードバック)の連続が、実際の演奏を形作っているのであって、聴き手も、実は、それを聴いているのである。

ある傾向の、現代音楽の作曲家は、それを無視しすぎる。
楽器の為、というよりは、発振装置の為に書いた方がよい、といった傾向もある。
私が発振装置を使った音楽が嫌いな理由は、楽器のような活きた音の立ち上り、音の身振りがないからである。

私は、弦楽器の指板上の何処にどの音があるのか、とっさに感知できる。
音は弦に対して連続している(アナログである)からである。

しかし、鍵盤上では、そうはいかない。
あれは、たまたま選ばれたハ長調の白鍵の配列の上に黒鍵を配置した不連続な(デジタルな)、一種の数列の様な代物である。
それでも、訓練によっては、求める各音を、とっさに、推察することもできよう。

しかし、私にとってのそれは、本能的な直感からは、ほど遠い。眼が、耳がちらちらする感じである。私は、アマチュアである。
或いは、練習に練習を重ねれば、指が音を覚えて、自然に、求める音が、連続的に鳴らされる、などと言う没知性の俗言をいう人もあろう。
ある程度は、それも経験的に確かではあるが、私は、自分の意識が追えない事象というのが、何か辛いのである。

それに、それでは何故、弦楽四重奏の演奏家たちは譜面台を置き、ピアノ ソナタを弾く演奏家は暗譜で弾く傾向にあるのかが説明し難い。
ついでに言えば、何々とピアノの為のソナタで、その何々の演奏家は、多くの場合に暗譜で奏くのに、ピアニストは譜面を置くのが不思議でもある。
昔と違い、せっかく、ヴァイオリン ソナタとか、フルート ソナタという様な言い方を避けるようになった昨今にもかかわらずに。

また、ついでに言えば、オーケストラの団員は、忙しくて暗譜する余裕がないのであろうか。
結論は、平凡にも、暗譜は手段であって、それ自体が目的ではない、ということか。

私にとっては、フーガを暗譜するのがとりわけ苦手である。
聴き手としての私も同様である。

音楽に於ける記憶力、それを支える為に楽譜にマークをいれる、或いは解説を参照する、そうでもしないと、細部を理解できない、部分と全体の関係を理解した気持ちになれない、といった音楽は、多分、ルネサンス以前にまで遡るであろう。
こと音楽に関しては、ヨーロッパは過激であった。

 



蛇足 (コーダ):

 

数学は、理解力の対象であって、記憶力のそれではない、というのは、誤りである。

記憶力の無い処に推論は成立しないからである。

それで、私は、学生時代に、数学の単位をおとした。




赤字はデンマンが強調)

17-18ページ
『前奏曲集―私はアマチュアである−作品 1の2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




つまり、オイラが学生時代に、数学の単位をおとしたということを告白したので、上の記事をわざわざ引用したのですか?



そうだよ。。。 だいたい、オマエは受験戦争をくぐらないで、早稲田大学高等学院・中学部に入ってトコロテン式に大学を卒業したのだよ。。。 そうだろう?

よく知ってますねぇ〜?

かつて、オマエ自身が僕にそう話したのだよ。。。

そうでしたか?

もう忘れてしまったのかァ〜? 確か、オマエは理工学部の数学科を卒業したはずなんだよ。。。

よく知ってますねぇ〜?

オマエが僕にそう言ったのだよ! その数学科を卒業したオマエが学生時代に、数学の単位をおとしたというのは、どういうわけぇ〜?

デンマンさんが よく言うように、人間は完璧ではありません。。。 だから、オイラだってぇ〜、科目の一つや二つ落とすことがありますよう。。。

でも。。。、でも。。。、オマエの場合は数学科を専攻していたんだろう?

そうです。。。 いけませんか?

数学の単位をおとすような学生だったのに、どういうわけで数学科を選んだわけぇ〜?

他の学科は100点ばかり取っていたので、数学を重点的に勉強して完璧な人間に成ることを目指したわけです。。。 うへへへへへへへ。。。

そうじゃないだろう!。。。 クラシックばかり聴いていたので、軒並み学科は落第点すれすれの50点台。。。 数学は50点未満だった。。。 それで単位を落とした。。。 全教科の平均点が60点以下だと卒業できないので、なんとか追試で頑張って、60点以上に持ち込んでスレスレでオマエは卒業したのだよ!

デンマンさん!。。。 んもおおおォ〜! そういうヤバイことをネットでバラさないでくださいよう!。。。で、いったい学生時代に、数学の単位をおとしたオイラをどうして呼び出したのですか?

実は、バンクーバーの無料タウン情報紙を見ていたら次のような記事に出くわしたのだよ。。。


Magical mystery song:

Math solves Beatles songwriting puzzle


 

Even John Lennon and Paul McCartney couldn't remember who wrote the music for In My Life. Stats to the rescue!

 



 

The Beatles' famous songwriting credit, Lennon-McCartney, doesn't distinguish between whether John Lennon or Paul McCartney wrote most, all, or some of a particular tune.

And to many fans, it doesn't matter.

But three researchers recently utilized statistics and mathematics to determine whether John or Paul was the composer of 1965's In My Life.

The researchers analyzed dozens of songs by the duo, and discovered 149 distinct transitions between notes and chords that are present in almost all Beatles songs, and which were unique to either Lennon or McCartney's compositions.

In My Life was released on the Beatles album Rubber Soul.

The lyrics, a personal meditation about one's life and loves, are inarguably Lennon's.

But Lennon and McCartney disagreed about who came up with the melody.

In a