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d9a96a26.jpg相変わらずのるキム・ギドク節が炸裂してます。ホントにこの人の頭の中はどうなってるんだか一度覗いてみたい。世界観もここまで徹底してくるとスゴイですヨ。まさにキム・ギドク・ワールドですね。もう面白いとか面白くないとかそういう尺度じゃないんですよね。ダークなものをあえて純粋なフィルターを通して描くことで、全く視点や新たな価値観の存在に気付かせてくれるような気がします。

+++ちょいあらすじ
船の上で暮らす老人と少女。少女は10年前老人がどこからか連れてきて以来、広い海に浮かぶ釣り船の上から一歩も出ることなく過ごし続けやがて17歳になろうとしていた。そして彼女が17歳になる日、老人は少女と結婚すると決めその日が来るのをカレンダーに印をつけながら心待ちにしていた。釣り客の中には少女に手を出そうとする不埒な男も多かったが老人は弓で威嚇して彼女を守り、また楽器として彼女を癒し、そしてまた老人の弓占いが釣り人にとても人気があった。だがある日この釣り船に一人の青年が訪れたことから少女の心の中で何かが変わり始めるのだった・・・
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キム・ギドク監督の第12作目です。最新作とはいっても韓国で公開されたのは2005年の5月ですよ。日本で公開するの遅くない?劇場予告編がだいぶ前から流れてましたしね。たしか「うつせみ」の予告編と連続上映してた時期もありましたよ。それでいて「うつせみ」が最新作という宣伝がちょっと違和感だったんですよね(笑)

ヒロインのハン・ヨルムさんは「サマリア」で援助交際をしていたほうの女の子を演じてました。「ジェニ、ジュノ」ではヒロインのお姉さん役だったそうですが、私コレ観てるのに全然気付きませんでした。TVドラマ「サンドゥ,学校へ行こう」にも出演していたらしいですが、記憶にないや。ちなみにハン・ヨルムは芸名で「サマリア」「ジェニ、ジュノ」では本名のソ・ミンジョンで出演してます。現在23歳の彼女が劇中では数えで16歳の役を演じているのですが、実年齢とのギャップがそのまま少女らしい小悪魔的でややエロティックな魅力となって表現されているように感じます。大人びた少女が放つような魅力とは違って、あくまでも少女的なエロスというんでしょうか。天使と悪魔が同居してるといか、無邪気で純粋なゆえに悪にも簡単に染まれる、彼女のそんな魅力がスケベなオヤジたちを幻惑していきます。

「船の上で暮らす老人と少女。老人は少女が17歳になる日、彼女と結婚しようと心に決めていた。」。「サマリア」のときもそうでしたけど、この設定からして何かを期待させてくれるんですよね。純愛とエロス。愛憎の構図は「悪い男」と近いものがあるかもしれません。監督のコメントによればこれは老人の性と愛を描いた作品なんだそうです。周りは見渡す限り水平線という船上での暮らしは非世俗的で幻想的な世界のようでありながらも、そこで繰り広げられる、老人と少女、そして釣り客たちとの人間模様はとても俗物的なものだったりします。釣り客の多くが少女に惹き付けられ少女に性的な快楽を求めようとしますが、そのたびに老人は弓矢を放ち釣り客を威嚇し少女を守ります。「魚と寝る女」もそうだったけど、韓国では釣りと女はパックだったりするんでしょうか?こんなんばっかりだとしたら釣りが趣味だなんて迂闊に口に出来ませんよ(笑)

少女を守る武器としての弓は、時に楽器に姿を変え少女の心を楽しませます。それが老人の少女に対する愛情表現であったわけだけど、老人にはそれくらいの事しか出来なかったともいえるわけです。固い絆で結ばれていた二人の関係が一人の青年の出現によって大きく揺らぎだします。青年と少女の関係に嫉妬し、少女から青年を遠ざけようとすると少女はこれまでに見せたことのない嫌悪感を老人に向けます。老人は激しく動揺するのだけど、少女の愛をつなぎとめる方法を知らず、力で押さえつけるだけの彼の行動はますます少女の心を遠ざけてしまいます。

結局、この老人はどこかで見つけてきた女の子を船上で軟禁状態にして育ててきたわけで、自分の欲望のためにとんでもないことしてるんですよね。さらに結婚することで少女との関係を完結させようと夢見てきたのかもしれません。しかし老人の少女への思いそのものはとてもプラトニックなものに感じられてしまうのです。それは二人の間に性的な関係が存在せず、ただ少女の身体を洗い、夜寝るときに少女の手を握るというとこで踏みとどまり、結婚するまでは手をださないという信念を貫く姿が、老人の屈折した愛情表現を美しい純愛として描きだしているからに他なりません。

実のところ少女を育ててきたのは善意でも何でもなくたんに男としての欲望でしかないんです。この状況だけ見れば何ともアブノーマルな世界なんですが、二人はとてもピュアな世界で生きています。しかし、少女が老人を拒絶し始めることで老人の少女へ恋愛感情が鮮明になり、さらに老人は少女への執着心を強く増していきます。少女に嫌われだしてからの老人のうろたえぶりは実に見事で圧巻。それまで少女の心を支配してきた老人はまさに失恋状態に陥るわけですが、ココからの老人が少女の心を取り戻そうとする行動がたんなる欲望から徐々にいびつではあるけど純愛の姿へと変貌させていく様子もまたまた見事なんです。そしてクライマックス、老人は自分の愛情を示すためにある大博打ともいえる行動にうってでるのです・・・

今回も主人公の二人はほとんどセリフがありません。それでいて感情は余すことなくしっかりと伝わってくるんですから素晴らしいです。何も伝わってこない抑制されたセリフを芸術だと思いこんでるどっかの監督さんも見習ってほしんですけどね。セリフを発さずとも描くべき物語がしっかりと描かれていき観る者をグイグイと惹き付けていくので、何の不自然さも感じません。まぁキム・ギドク作品に慣れてるというのもあるかもだけど、キム・ギドク作品はいわゆる商業映画とは別の次元にある存在のように思えてきます。

雑誌「CUT」の映画コラムでこの作品にふれ「これは純愛か?変態か?」と書いてたけどたぶんその両方なんじゃないかな?「純愛も極まると人を変態にする」ってことなんじゃないかな。ストーカーだって実は純愛の塊だったりするかもしれないし(笑)

わかるようでわからない。核心のところでファンタジックに昇華されて何かを掴もうとした私の手からスルリと逃げられてしまうというか、独特な手法で観客をグイグイと魅了しておきながらも結末では明確な答えを示さずに逆に何かを問いかけてくることで、観る者の心になんとも言えない感情を刻みつけ長く余韻に浸らせてくれるのです。毎度のことながら意表を突くようなクライマックスの展開に何を感じ取れるかは観る者に委ねられているのかもしれません。私は老人の真っ黒な純愛が昇華した瞬間を観たような気がしました。