このブログのカテゴリーは、読書記録の【手当たり読書録】、演劇・映画・美術等の【なんでも鑑賞団】、文字通りの【雑感雑記】、ブリスベン暮らしの思い出【ブリスベン河畔の優雅でトホホな生活】、ちょっとだけ本業がらみの【研究日誌】、旅先での風景を綴った【Journey Log】、以上の6つです。

久しぶりの更新です

昨年12月から、なんと4か月ぶりの更新です。年末年始のせわしなさがそのまま年度末までずっと尾を引いた感じで、いかに余裕のない毎日を送っているのか、改めて反省しきりです。
とりあえずは、自分自身の備忘の意味も含めて、昨年12月からの主だった出来事を記録しておきます(いろいろ面白いエピソードや写真もたくさんあるのですが、それをいちいち挙げているとなかなか終わらないので、とにかく出来事を箇条書きで並べていくだけにします)。

昨年12月17日に、大恩人である武蔵小金井の藤井歯科に3か月検診に。ついに自分も入歯になるのか、と覚悟した昨年1月、すがる思いで2nd Opinionを受けにいった藤井先生がもの凄い名医で、なんと1本だけ残っていた私の親不知を別の場所へ移植し、抜歯した部分のブリッジを可能にしてくださったのです。1月から始まった治療が9月に終わり、予後を確認するための検診でした。レントゲン写真を見せてもらいましたが、移植したと言わなければ、もとから生えていたとしか思えないほど完璧に定着していました。名医は探せば、どこかに必ずいるものなのですね。

12月22日(土)は教父研究会例会。偽ディオニュシオスに関するミニ・シンポジウムということで、谷隆一郎先生と山本芳久先生の内容の濃い発表と質疑、その後、渋谷に出て打ち上げ。

12月27日~28日は、科研の共同研究の仲間たちと江の島で打ち上げ合宿。真面目なグループなので、忘年会合宿にもかかわらず、27日はきちんと研究会。昨年のオクスフォードでの日英シンポジウムの立役者である佐野先生のオクスフォード留学土産ともいえるご発表は、実に刺激的で興味深いものでした。

宿は、江の島の老舗旅館・岩本楼。ご自慢の洞窟風呂やローマ風呂を楽しんだ後、近年の江の島名物のイルミネーション見物に出かける。翌日は、長谷寺から長谷の大仏見物へ。偶然、立正大の板橋さんご家族と出会ったりして、楽しい一日でした。

12月29日は、相方が通っているジャズピアノ教室の発表会。ベースとドラムを超一流のプロにお願いしたので、素人のピアノ演奏でもちゃんとスイングできて、気がつけばかなりエキサイトしてしまいました。相方のピアノにベース伴奏する、という約束をなんとか果たさねばと肝に銘じた次第です。

年が明けて、毎年恒例の両方の母親それぞれにお年始代わりの食事会。双方の父親が亡くなって結構たちますが、母親たちが元気な姿を見せてくれているので助かります。

1月6日、いつもは年末にやっていた大学時代の同期会を今年は新年に行いました。相変わらずの顔ぶれにホッとします。

学期末の成績を付けたりしているうちに、卒業論文の口述試問が25日と28日。どうなるかと気をもんだ指導学生が、それぞれ自分らしい卒論を書きあげてくれて、実に感慨深い2日間でした(なんてこと言うようになって、私も歳をとったのかなぁ)。

その間の27日、新宿で相方の合唱コンサート、通称モツレクと呼ばれるモーツァルトのレクイエム、なかなかの出来栄えでした。

月末から2月頭にかけて大学院の入試や修士論文の審査があって、大学関係の業務がほぼ終了した2月9日(土)、慶應義塾大・日吉キャンパスで中畑正志著『魂の変容』の書評会。私も特定質問を担当しましたが、この日の書評会全体を通して、非常に濃密で刺激的な時間を過ごすことができました。打ち上げも1次会、2次会、さらに3次会と非常に過激で楽しかったです。

13日には、本務校の若い友人(同僚)と私のかつての教え子ご夫妻のお宅を訪問し、生後1年数か月の可愛い御嬢さんの(遅ればせの)お誕生祝いに夫婦でお邪魔する。趣味のいいクラシック音楽がずっと流れる落ち着いた雰囲気の中、ゆったりと子育てに励んでおられる若いお二人の落ち着いた生活のリズムにすっかり感心しました。学生時代のあの跳ねっ返り娘が、すっかり品が良くて落ち着いた母親になっていて、相方ともども、実に感慨深い一日でした。

その後、学外公務が2月下旬から3月初旬にダラダラと続く合間に、娘や家族との食事会ということで、豊田のうまいウナギ屋や武蔵小金井のフランス料理店TERAKOYAに出かける。

3月8日~9日は、あるプロジェクトの打ち上げということで伊豆高原に20人近くの仲間たちと大酒盛り温泉旅行に。翌10日は一転して大雪で空港閉鎖が危ぶまれた札幌・千歳空港に飛んで、北大で開催された納富信留著『プラトン 理想国の現在』に出席。雪深い札幌の街を夜更けまでお酒と議論で過ごしました。

翌11日午前に某科研の研究会の後、東京に戻り、14日は名古屋の南山大学で某学会の理事会、16日は教父研究会の理事会の後、3月例会は力のこもったアウグスティヌスの発表お二人。

3月20日~21日は、家族5人全員そろって九州旅行。別府温泉に一泊し、翌日はレンタカーを借りて阿蘇山頂まで快適なドライブを楽しみました。子供たちは3人とも社会人として忙しい毎日を送っているので、なかなか家族全員で旅行するというわけにいきませんが、たまに皆が顔を合わせると、やはり気の置けない愉快な家族です。

23日は、今秋に予定されている某学会のシンポジウムの打ち合わせに早稲田大に出かける。私は司会を担当するだけなのですが、それなりにしっかり勉強せよ、ということで大変です。

25日は大学の卒業式。私のようなものでも、やはり一人一人が名前を呼ばれて卒業証書を受け渡される場面では、厳粛な気持ちになってしまいます。

翌26日早朝からイタリア旅行へ。4月2日の昼前に成田に戻ってきて、その日の午後、大学の入学式後の新入生との顔合わせにどうにか間に合いました。

こんな調子で気がつくと、新年度に突入していたわけです。今年は、前期に駒場の某国立大、後期に広尾の某女子大に非常勤があり、その上、4月から5月にかけて三つの公開講座での講義を各々一つずつ担当せねばならず、その準備にも取り掛からねばなりません。にもかかわらず、イタリア・ワインに開眼し、あれこれ飲み比べる毎日で、なかなか仕事がはかどりません。困ったものです(イタリア旅行記は、いずれ暇になりましたら、数多くの写真などと共にアップしたいと思っています)。

というわけで、いろいろ盛りだくさんの4か月間をざっと振り返ってみました。

わが観劇記の一覧

振り返ってみると、私もずいぶんといろいろな芝居を観てきました。自分の観た芝居を全部記録してきたわけではないので、その一部に過ぎないけれど、一時期、観劇記をネット上に盛んにアップしていた時期がありました(1999年から2004年ぐらいまで)。

今回、それらをこのブログに再録したので、その一覧を以下に挙げてみます。

2004年
喪服の似合うエレクトラ(オニール作)
楡の木陰の欲望(ユージン・オニール作)
赤鬼(野田秀樹)
かもめ(マールイ劇場)
オセロー(ロイヤル・シェークスピア・カンパニー)
タイタス・アンドロニカス(蜷川演出)


2003年
エレクトラ(蜷川幸雄演出)
泥人形(唐十郎)
夏の夜の夢(ユーゴザーパド劇場)
ペリクリーズ(蜷川幸雄演出)
アンティゴネ(ギリシア国立劇場)


2002年
ハムレット
リチャード2世

フローズン・ビーチ(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)
櫻の園(栗山民也演出)
コンタクト(劇団四季)
オイディプス王(蜷川幸雄演出)
ワーニャおじさん(栗山民也演出)
欲望という名の電車(蜷川幸雄演出)
『三人姉妹』を追放されしトゥーゼンバフの物語
(岩松了 作・演出)
くしゃみ(チェーホフ 熊倉一雄演出)

2001年
かもめ(マキノノゾミ演出)
コペンハーゲン(マイケル・フレイン作、鵜山仁 演出)
セツアンの善人
(串田和美 演出)
ハムレット(蜷川幸雄 演出)
ハムレット(ピーター・ブルック演出)
マクベス
(蜷川幸雄 演出)

2000年
グリークス(蜷川幸雄 演出)
テンペスト(蜷川幸雄 演出)
夏の夜の夢(蜷川幸雄 演出)
三人姉妹(蜷川幸雄 演出)

1999年
リア王(蜷川幸雄 演出)
メデイア(ギリシャ国立劇場)
リチャード三世(蜷川幸雄 演出)

こうやって見ると、やっぱり蜷川演出作をずっとフォローしている感じですね。それにしても蜷川幸雄という演出家の尽きることのない表現意欲とエネルギーには、ただただ感嘆する以外にありません。凄い!

蜷川演出「トロイアの女たち」を観てきました

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池袋の東京芸術劇場で、エウリピデス作、蜷川幸雄演出「トロイアの女たち」を観てきました(スタッフなど詳細はこちらのポスターを参照してください)。

今回も「世界のニナガワ」らしい企画で、日本語とヘブライ語とアラビア語が飛び交う、まさに多言語、多文化的な演劇世界を舞台上に出現させてしまったのです。われわれ観客は舞台両脇の字幕を読んだり、耳を澄ましたりしてセリフを聞き取り(読み取り)ながら、コロスのセリフは、すべて日・ヘブライ・亜の3か国語で律儀に繰り替えすという演出に耐えなければなりませんでした(つまり、上演時間は当然3倍必要になるわけです。実際には、15分の休憩も含めて、2時間50分ほどでした)。

この蜷川版「トロイアの女たち」を理解するためには、二つの背景を知っておく必要があるでしょう。一つはエウリピデス原作のこの悲劇に登場する女たちに課せられた過酷な運命について。もう一つは、この劇を実際に演じている女性たちについて。

まず、「トロイア」とは、あの「トロイの木馬」で有名なトロイのことで、そのトロイをギリシア軍が攻め落としたトロイ戦争の一部始終がホメロスの『イリアス』という叙事詩に記されています。そのトロイアの王妃ヘカベがこの劇の主人公。演じるのは早稲田小劇場から出て世界にその名を知られた白石加代子(今回も多国籍スタッフの軸として見事な演技を見せてくれました)。

敗軍の男たちは皆殺し、残された女たちは戦勝の将たちの妾や奴隷として連れ去られていくのが当時のならい。夫プリアモス、息子ヘクトルとパリスを失ったヘカベも策略の士オデュッセウスの奴隷に身を落とし空しく生きながらえるしかありません。その上、娘カッサンドラは、敵将アガメムノンにみそめられて愛妾となるその身に、やがて訪れる悲惨な末路(凱旋帰国したその夜に妻クリュタイムネストラに暗殺されたアガメムノンと共に殺される運命)を予言し、末娘ポリュクセネはヘカベの知らぬ間に生贄として殺され、さらにヘクトルの妻アンドロマケの幼い息子は、母の必死の命乞いもならず、城壁から落とされ無残な姿で命を落とします。

そうした悲惨な、これでもかとばかりに続く悲劇に打ちのめされ、絶望に沈むトロイアの女たちの姿を等身大の群像として表現するのがコロス(歌舞団)役の女たちです。彼女たちは、「トロイアの女たち」という劇において、主人公ヘカベに劣らず重要な位置を占めています。特に今回の蜷川演出においては、このコロスを日本人、イスラエル在住のユダヤ人、さらにアラブ系イスラエル人(パレスチナ人ではなく、イスラエル国籍をもつアラブ人を指す)の三つのグループが演じるという点が最大の特徴と言えます。

いまだ緊張の続くイスラエルとパレスチナの関係を考えたとき、一般に反戦劇と受け取られているこの悲劇のコロス役にユダヤ系とアラブ系、それに日本人の役者を配し、戦争被害の悲惨さを群集の声として発する彼女たちのセリフを、その都度、たとえ劇の進行を滞らせるリスクを負ってでも日本語、ヘブライ語、アラビア語で繰り返し、繰り返し、演じさせる蜷川の演出は、演劇のもつ力がどこまで国際紛争の現実に立ち向かえるかという果敢な挑戦とも言えるでしょう。

事は言語の問題だけではありません。日本、ユダヤ、アラブ、それぞれに固有の文化の深いところに根差したほとんど無意識になされる怒りや悲しみの所作、それらはまったく異質です。肉体からにじみ出るような文化間の差異、理性ではなく感情が露わにしてくれる他者性。そういった差異性や他者性を、私たちの肉体や感情がなにげなく受容できるようになるまでには、確かに気の遠くなるような時間と忍耐と寛容が必要なのかもしれません。しかし、蜷川が言うように、「他者を受容する演劇という装置」によって、私たちは、この劇場で役者と観客がなんとか成し遂げようとしていた「他者の受容」が、ひょっとすれば現実にも可能になるんじゃないかという幻を垣間見たような気がします。その幻を希望と呼べるほど、現実は甘くはありませんが……。

蜷川の悲願は、この劇をイスラエルとパレスチナの両方で演じることだそうですが、その夢が実現する日を私たちも望まずにはいられません。
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