カンボジア 〜バッタンバンの風〜

【バッタンバン】カンボジアのライスボウルと呼ばれる大穀倉地帯。内戦が最後まで続いた影響が残り、タイ国境地域は地雷被害が大きかった地域の自然豊かな森と共生して来た伝統的な暮らしの復興と平和の構築。

「ひとり一人に未来をつくる力がある」
認定NPO法人テラ・ルネッサンス

被害者

野菜をつくる力が、未来をつくる力になる。

【 アジアレポート/2017年7月_Topics.01 】
ー 野菜をつくる力が、未来をつくる力になる。ー

8月22日までカンボジアのバッタンバン事務所でインターンをしてくれていた川島さんが、書いたレポート。

オーガニック野菜栽培のトレーニングの記事、動画付きで、とてもわかりやすい。

ぜひ、ご覧ください。

http://terrarenaissance.blog.fc2.com/blog-entry-2830.html

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▼テラ・ルネッサンスの夏季募金にご協力ください

「ほら、こんなモノも作れるようになったんだ」
満面の笑みで見せてくれた元子ども兵。
支援を、もっと力強く各国で実施するために、あなたのチカラが必要です。 

http://www.terra-r.jp/kakibokin2017.html

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< 例えば、あなたのご支援でこんなことができます >

>□ 3,000円の寄付で、
ラオスでクラスター爆弾を撤去している技術者の給料3日分を支援することができます。

 

□ 5,000円の寄付で、
ウガンダで元子ども兵の洋裁や木工大工などの職業訓練2週間分を支援できます

 

□ 10,000円の寄付で、
カンボジアで家庭菜園用の野菜の種や苗木2種類200家族分を支援できます。

□ 30,000円の寄付で、
今後で元子ども兵2名が洋裁のビジネスに必要なミシン等の道具一式を支援できます。

 

▼ 寄付をして、夏季募金に参加する

https://www.terra-r.jp/member/donation-form.html

※寄付は税控除の対象になります。

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やっぱり家族で暮らせるのが一番!

昨年末、嬉しいことがありました。

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プレア・プット村に住む地雷被害者のパン・プンさんの9人いる子どもたちの6番目のクデイ君が、小学校へ通い始めたのです。

昨年10月からの新学年から1年生として、再入学。

他の兄妹たちも一緒に学校に通い始めました。

実はクデイ君が学校へ入学するのはこれが初めてではありません。

お母さんらに学校へ行けと何度か行かされたものの、退学。

なかなか続きませんでした。

昨年はテラ・ルネッサンスの支援で購入した土地にマレーシアに出稼ぎに行っている長女からの仕送りと謝金で建てた家に住むプンさん一家。

でも借金の返済には、かなり頑張らなければなりません。

プンさんだけでなく、奥さんもタイへ毎日出稼ぎにいく日々。

家には子どもたちだけで、小さい子どもたちの面倒も見ます。

そんな中でも学校へ毎日通っているというクデイ君。

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嬉しくなりました。

以前は孤児院に預けられていた兄弟も戻ってきて家族で暮らしています。

本当に貧しい家庭で、家も土地もなかったのですが、家族の中には愛があります。

今まで見てきた家族で、本当に大変だったのは、貧困ではなく、愛がない家族です。

そして、一番かわいそうなのは、そんな中で生きなければいけない子どもたちでした。

でも、愛がある家族では、子どもたちはやっぱり両親と一緒に暮らせるのが一番いいです。

この家族は、子どもたちも協力して、なんとか立ち上がろうとしています。

ぜひ、最貧困の状況を家族で乗り越えてほしいです。

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いつも、そしてこれから、テラ・ルネッサンスを応援してくださるみなさまへ
【冬季募金のお願い】

アフリカ、アジア、そして日本。テラ・ルネッサンスに関わるすべての人の未来をつくる力を信じ、その成長を支えたい。そのために私たちは、この冬 800万円を必要としています。

詳細はこちら→ ■冬季募金に参加する。
[ 冬季募金 実施期間 12月1日 〜 1月31日 ]
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家族の幸せを奪うクラスター爆弾の事故

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ラオス、ノンヘット郡の不発弾被害者の調査をしていて、その事故のことを聞くと、やはり心が痛みます。

威力の強いクラスター爆弾の不発弾の事故は、多くの被害者が一つの爆発で出ることも少なくありません。

ペックさん、24歳は、2001年6月25日に家族で田植えの準備をするために草木を刈っていた時に事故に遭いました。

ペックさんの兄弟の一人が、木の根っこを取り除こうとして木の根元を打ち付けたところ、そこに不発弾があったのです。

破片からBLU-26というアメリカ製のクラスター爆弾の子爆弾だったと推測されます。

この爆発で13歳と8歳の兄弟が亡くなりました。

そして他の3人も怪我を負い、ペックさんも右目を失明、右腕や頭、腹部にも破片が突き刺さりました。

彼のお母さんも右腕を破片が貫通し、首にも破片が刺さりました。

お父さんも目の上に破片を受けました。

その場所は、それ以来お米を栽培していません。

まだ不発弾が撤去されていないからです。

現在は別の畑でとうもろこしを栽培して、その他の仕事のない時には草刈りなどの雇われ仕事をしてなんとか暮らしています。

畑では野菜なども作っているので、食材はわざわざ市場に買いに行く必要はなく、家畜も鶏やアヒルを飼っています。

お米が足りないので、お米を買うお金を確保するのに換金作物のとうもろこしを栽培しているのです。

カンボジアと違うのは換金作物を栽培しながら、きちんと自分たちの食材となる野菜や家畜は自給している点です。

それでもまだ不発弾に汚染されたままの場所で生活していくことの大変さを実感しました。

そして、兄弟や子どもを亡くしたペックさん、お母さんの気持ちが痛いほどわかり、聞くことはできませんでした。

ラオスの不発弾は撤去するのにお金も時間もまだまだかかります。

まだ1%も達成していないと言われる不発弾撤去はもちろん、 こうした不発弾被害者へのサポートもまだまだ必要となっています。

ラオスやカンボジアでの地雷、不発弾被害者への自立を応援するために夏季募金にご協力お願いいたします。

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▼ 期間限定の『夏季募金』にご協力ください!▼
http://www.terra-r.jp/member/kakibokin2015.html

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あと1日。書き損じはがきを送って、地雷被害者を支援するなないろキャンペーン

■動画:カンボジアのオウ・チェット・プラム村で生活するチョーク・チエンさんの家族

書き損じはがきを集めて、カンボジアの地雷被害者チョーク・チエンさんの家族を支援するなないろキャンパーンも残り1日となりました。

1月28日の時点で、集まった書き損じはがきは
3191枚です

1月下旬からどんどん回収枚数が増していき、
一週間で約1000枚のペースで集まっております。

これもひとえに、一枚からでもご協力して下さった
皆様のあたたかいお気持ちのお陰です。

遠く離れたカンボジアで生活する地雷被害者の家族を思う
そのほんの僅かな気持ちが、涙が出るほど嬉しいです。

そして、タイへ出稼ぎに行ったものの、仕事がなく、お金もなくなり、戻って来れなくなっていたチエンさんも、カンボジアへ戻ってきました!

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残り一日、ご家族、ご友人、同僚の方に一言お声をかけて頂き、
一枚からでも構いませんので、下記の宛先に書き損じハガキをお送り下さい 1月31日(土)の消印有効です。

数年前の書き損じハガキでも大歓迎です。

書き損じハガキ送付の宛先
〒600-8191
京都府京都市下京区五条高倉角堺町21-403
認定NPO法人テラ・ルネッサンス
なないろキャンペーン係 宛

ブタと時間との戦い

hog growign hog breeding

自然養豚支援をしているプレア・プット村の地雷被害者、パン・プンさんの家族は、大家さんから借家を返して欲しいと言われているため、ここでの生活も残り限られています。

ただ、土地も家もないプンさんの家族は、出て行けと言われても行く所がないのが現状です。

せっかく大きくなった子豚たちも、住む場所がなければ、売り払わなければならなくなります。

なんとかプンさん家族が、安心して生活できるよう他の居住環境を探しているところです。

基本的に人間に必要なものは、衣、食、住と言われますが、住む場所がないというのは、本当に大きな問題だとプンさんのケースから改めて感じます。

現地スタッフらとも、どうするか頭を悩ませているところです。

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夏期募金へのご協力をお願いします。
支え合うチカラを引き出す夏。そのためにいま、皆さんのチカラが必要です。
http://bit.ly/kifusummer_2011


カンボジア地雷埋設地域村落開発支援へのご寄付はこちらから
http://www.plus-social.com/shiteikifu/shitei_kifu20.html


1クリックではじめる国際協力。今日の一歩をみんなの一歩へ。
ご協力ください(クリックをするだけなので費用のご負担はありません)。
http://heartin.com/donationbox/donation_telecom.html

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少年の地雷被害者モン・トゥン君

Pig Breeding in OchambokLandmine Survivor




カンボジア、バッタンバン州カムリエン郡のオッチョンボック村に住むモン・トゥン君は、13歳の時に地雷事故に遭いました。

彼のお兄さんも地雷事故で脚を無くしています。


トゥン君は隣村で芋を掘っているときに地雷が爆発し、右手を吹き飛ばされました。

現在テラ・ルネッサンスでは、モン・トゥン君の家族に豚飼育支援をしています。
購入した5頭の豚は、すべて元気に成長しています。

このまま順調に大きくなってほしいと思います。

これをただで・・・。

ドラゴンフルーツカンボジア ドラゴンフルーツ






バッタンバン州カムリエン郡プレアプット村。
この村は、家々にドラゴンフルーツが植えてある。

バッタンバンに買って帰ろうと思い、村人たちに聞くと、売ったことがないので、値段がわからない。

いっぱいあるからあげるというので、お金を受け取ることなく、もいで袋に入れてくれます。


田舎の人ほど、本当に親切で、やさしい人が多いです。
1人は、地雷被害者の人。
これから畑に行くところだそうです。

都会ではカンボジアでも、ぎすぎすした関係が多くなってきました。


こういうところでは、本当に気前よくおいしい自然の果物を分けてくれます。

いつまでも親切でいてほしいと願います。

ハンディキャップインターナショナル リハビリテーションセンター

2007地雷事故統計この日からスタディツアーの本格的な行程の始まりです。


まずハンディキャップインターナショナルのベルギーが運営するリハビリテーション・センターを訪問しました。


スタッフから話を聞き、カンボジアの地雷問題や障害者の問題を詳しく聞くことができました。


義肢装具を無料で提供するこの施設がカバーするのは、プレアヴィヒア州、コンポン・トム州、シェムリアップ州の3つの州。

かなり広範囲になります。


何といってもそこに来ている障害者の人達と、自分たちの目の違い。
いったい自分たちを、ここに来ている人達がどのように見ているのか、気になりました。


午後からはカムリエンまで移動。
途中、バッタンバン州トモーコルで4WD、3台に乗り換えて、向かいました。

道が良かったこともあり、シェムリアップを出発したのは、予定より遅かったですが、予定通りの時間にカムリエンへ着くことができました。

道が良くならなければ、できない行程でした。

マルチ能力を持ったスタッフ

Battambang Barbarshop今月から始まった地雷被害者への職業訓練として、バッタンバン州オッチョンボック村で、現地スタッフのニャンが頑張ってくれています。

彼は、バッタンバン事務所のすぐ近くに住んでいますが、さまざまなスキルを持っています。魚の養殖やキノコの栽培、液状せっけんの作り方など、いろいろな資格を持っているのです。

そして家では、実は散髪屋もしているのです。事務所に近いこともあって、僕も髪を切りに行ったことがあります。

まだその時はスタッフではなかったのですが、その後、偶然スタッフとして雇うことになりました。

今、彼は単身赴任をして、タイ国境のオッチョンボック村で地雷被害者への職業訓練として、散髪を教えています。

地雷被害者のチョン・トーンさん(写真右)に教えているのが、後ろの紫色の服を着たニャンです。

地雷被害者から地雷被害者へ。

P3200174プルサットの地雷被害者を訪ねる。
ここは以前、横浜のNGOインターバンドが支援をしていた地雷被害者が住んでいる。

彼は、実はプノンペンやシェムリアップで
売られている商品を製作している生産者の一人。

技術は1週間ほど勉強しただけというから、
よほど手先が器用なのだろう。

さまざまな商品を作り出しています。

彼を先生として同じ地雷被害者で足を失った人々に、
手を使っての技術訓練としての可能性を考えているところです。

本当の地雷畑!

カンボジア語で地雷原というと、
チョムカー・ミーン。

チョムカー=畑。
ミーン=地雷。

地雷畑だ。


スタディツアー4日目。
バッタンバン州タイ国境の街、カムリエンで一泊したあと、
前日と同じ本会がプロジェクトを実施しているオッチョンボック村に
向かう。

この日は、本会の提携する地雷撤去団体MAGが活動する
地雷原を見学する。
地雷畑 カンボジア
ここの地雷原は、カンボジア語の言葉が示すとおり、
本当に地雷畑だ。

つまり、すでに多くの土地が開墾され、
とうもろこしやキャッサバが貧困層の村人によって栽培されているのだ。

MAGがここで撤去活動しているのも、
このトウモロコシ畑に地雷が埋まっているからに他ならない。

実際に収穫の終わったトウモロコシ畑のなかから、いくつもの地雷が見つかった。
ここ栽培していた村人は、本当に運が良かったとしかいいようがない。

また村人たちが日々行き来して、歩いていた道の
わずか1mのところからも地雷が見つかっている。


本当にいつ誰が地雷を踏んでもおかしくなかったといえる。

この撤去する予定の地雷原全体の面積は、167052?。
そのうちこの日までに81008?の土地が撤去された。
この土地からすでに見つかった地雷の数は、なんと115個。
そのうち4個が対戦車地雷で、残りは対人地雷。

それに加えて12個の不発弾と50090個の金属片も撤去されている。

金属片は危険ではないが、人間の手による金属探知機を使った撤去方法では、
金属か地雷かを見分けることができないため、
金属片も取り除いていかなければならない。


大変な作業である。


この日もすでに3つの対人地雷が見つかった。
3つとも旧ソ連製の木製地雷PMD-6だ。

1ヶ月前に訪れたときも同じPMD-6が、3つ見つかっていた。
どうやら一つ見つかるとその近くに固まって埋められていることが多いようだ。

実際の地雷は、近くでも見ても、本当に危ないものなのかというのが分からない。
地雷爆破
しかし、その後の爆破処理によって、
その威力をまざまざと見せ付けられる。


大きな地鳴りとともに、砂煙が一瞬遅れて空へ舞う。

そして、地雷撤去チーム27のスーパーバイザーが、
3個とも爆発したかどうかを確認する。
地雷被害者 カンボジア

彼もまた地雷生存者だ。
地雷によって10年以上まえに片足を失った。


爆破処理が成功したことが確認されると、
その爆破跡を見に行った。
地雷爆破
もし地雷を踏んだら・・・・。



そんな想像をありありと浮かべることのできる爆破威力のすごさ。

今この瞬間3個の地雷が地球から消えた。
3名の被害者を減らすことができたことになる。

地雷のない世界、地雷畑にいると、
どれだけ大切で、安心して生活できるか、
本当実感する。

奨学生の成長

scholarshipカンボジア義肢装具士養成学校。
スタディツアー2日目。ここはテラ・ルネッサンスの奨学生ヒム・カンニャさんが勉強する学校だ。

ここは3年間の教育課程。
今年ヒム・カンニャさんは、3年生。
最終学年だ。

1年生のころに比べたら、本当に大きく成長したことがよく分かる。
とてもシャイな女のだったが、今では英語でしっかり受け答え。

とてもうれしいことだ。

実技の入る最終学年はとても難しいと聞くが、ぜひ9月の最終試験の合格し、卒業して、立派な義肢装具士になってほしいと思う。

散髪屋さんがなかった村

カンボジア 職業訓練
この日、6月1日。
カンボジア北西部の村落開発支援を実施している
オッチョンボック村での1人の地雷被害者への職業訓練を開始しました。

実は、この職業訓練は、
昨年10月よりプロジェクトを開始したこの村では、
同時に様々な村人との話し合いやインタビューを続けてきた中で、
出てきたものでした。

小規模融資制度(マイクロクレジット)や健康保険制度などを
住民組織の中に設立して運営していくなかで、
村人たちに、さまざまな村の様子を聞くことができました。

面白かったのは、
村の地図を村人に描いてもらった時でした。

非常に詳しく地雷原の場所であったり、
川の位置、畑、家などを描いてくれました。

しかし、その中にあらゆるお店というものが、
この村にありませんでした。


数件の雑貨屋や一軒ほどカフェがありましたが、
普通朝食は外食するカンボジアの人が食べる
ヌードルやおかゆなどのお店もなかったのです。


また、散髪屋さんもありませんでした。


本当に何もない村だということが分かってもらえると思います。

こうした普段の生活に必要そうなお店のなかで、
本当に村の中で需要があるのにも関わらず、
村にないものを探していきました。


ヌードルやおかゆなどを出すレストランは、
この村の村人は、皆貧しいので、
ご飯代を節約するために、家で食べることが分かり、
もう少し生活に余裕ができないと難しそうでした。


散髪屋は、村人たちに聞けば、
カムリエンの街まで切りに行っているか、
たまにやってくる移動式のバイクに乗った散髪屋さんを
呼び止めて髪を切ってもらっていたようです。



この村では地雷被害者も何名か生活していましたが、
重労働の農作業は、難しいのが現状でした。

そこで、散髪屋であれば、
義足をはめればできない仕事ではなく、
散髪の技術を持つ現地スタッフを派遣し、
2,3か月の職業訓練を実施することにしました。

散髪に必要な道具や職業訓練にかかる費用を、
NGO地雷ゼロ宮崎様からのご寄付でまかなっています。
散髪

目を負傷した地雷生存者

343e7a70.JPG穂高小学校の完成したサムロン・チェイ村。
この村には、まだ何人かの地雷被害者がいる。

その1人、彼は片目を地雷の爆発で失った。

こうした地雷被害者は、何の社会保障も政府から受けていない。

地雷が原因で離婚に!

ef88ce87.jpg大阪で毎年開催されるゼロ祭り
昨年は、実行委員会の皆さま、森源太さん、平井慶祐さんらがカンボジアの地雷原を訪問し、地雷撤去団体MAGへ直接ご寄付くださいました。


その時の報告をゼロ祭りのホームページでご覧いただけます。

その報告の中で特に印象に残ること。
それは、女性の地雷被害者で現在はMAGで地雷撤去作業員と働く、クーン=ソコーンさん(26)の話です。続きを読む

ラオスの不発弾の被害者は減ったのか?

1cae3e63.JPGラオスの不発弾による被害者の数は、どうなっているのか?

MAGシエンクアン事務所にあるボードに2005年、2006年の死者と負傷者の公式統計がある。

2005年の不発弾による死者、26人、負傷者、128人。
2006年の不発弾による死者、16人、負傷者、33人。

この数字を見る限り、劇的にその数は減少しているようだ。

しかし、まだ不発弾のこうした事故の統計を取るシステムは構築中のようである。

そのため、あくまでもこのラオスでの統計は、推計であるようだ。

ほとんどのケースが、データは病院から報告されている。
多くの被害者は即死するか、病院にたどり着くことができないため、事故は報告されないことになる。

また、不発弾に汚染されたすべての州から統計が集められていないことも同時に書いてある。
続きを読む

ランドマイン・サバイバーとともに・・・

daec64ef.JPG午後からプノンペンのセントラルマーケットへ買い物に。

もうすでに何度も訪れているので、顔なじみの人も多いが、
ここで地雷被害者の方と話をした。

もちろんこちらから声をかけなくても、本を売り歩いているので、
向こうから話しかけてくる。

名前は、ソック・ポーンさん。45歳。

カンポート州の出身。


いろいろ本を薦めてきてくれるが、すでに購入済みのものばかり。

残念ながら買うことができないが、ポストカードはよく使うので、
新しく3セット購入した。

松葉杖をついて、見るからに地雷の被害者だとわかるが、念のため聞いてみた。

するとやはり地雷によって右足を失っている。
バッタンバン州のタイとの国境近くでの戦闘に兵士として参加しているときに地雷を踏んだという。

1988年の出来事だ。

昼間はこのプサー・トゥメイ(セントラルマーケット)で本を売り、
夕方はトンレサップ河畔に移動して本を売る。

なので昼間、セントラルマーケットで会って、夕方河畔に行くと、また会ったりする。

こうして話を聞いていると別の地雷被害者の本売りも集まってくる。
彼らにはほかに仕事を提供できないのか?
それともこの仕事の収入がいいのか?

次回聞いてみようと思う。

それでも歩きたい!

d474cfa3.JPGこの日は、テラ・ルネッサンスの元奨学生で義肢装具士としてハンディキャップインターナショナルというNGOで働くソックンさんに会うために、オフィスを訪問しました。

そこでは、ハンディキャップインターナショナルの活動や、実際に義肢装具を作っているところを見せてもらいました。

表に展示してあった何種類もの義足のなかに、ちょっと変わったものがあったので、とても目に引っかかりました。続きを読む

昨日運ばれてきた地雷の被害者

41ff8584.JPG昨日運ばれてきた地雷被害者がいる。

この日訪れたカンボジア北西部バッタンバン市にある緊急病院、エマージェンシーで聞いた話です。

カンボジアでは、まだ地雷の事故が起こっている・・・そのことを実感する瞬間です。


『2005年まで800人以上の地雷と不発弾の被害者が出ていたが、2006年には440人にまで減少した。

この病院には昨日も地雷の事故にあった人が運ばれてきた。
脚が重症で、すぐに手術で切断しなければならなかった。

牛にえさをやるために地雷原だとは知っていながら、牛のえさとなる草が生えている安全な土地が近くにないために、牛を追っているときに・・・事故にあった。』

そんなリアリティのある話をこのイタリアのNGOエマージェンシーのバッタンバンにある病院のマネージャーのメリアさんはしてくれました。

確かに近年は、圧倒的に交通事故で運ばれている患者が多いとのことですが、
決して地雷の被害者がいなくなったわけではありません。

この病院には、訪れると必ず数人は地雷の事故にあった方が治療を受けています。


2005年から2006年にかけて約半分にまで地雷と不発弾の事故が減った理由を、地雷撤去が進んだことにあると話していました。

しかし、順調に被害が減ってきたわけではありません。

1996年には4320人もの地雷と不発弾の被害者が報告されていたのが、
内戦の終結とともに2000年には1000人を切って、800人台まで順調にその数を減らしてきました。

ところが、2000年以降2005年まで、2003年に一時700人台まで減ったものの800人以上の被害は減ってきませんでした。

そして2006年、急激に半分の400人台まで被害が減った理由は???
続きを読む

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Profile

Tai

NPO法人テラ・ルネッサンスのアジア事業、カンボジア、バッタンバン事務所の駐在スタッフのブログ。カンボジアのバッタンバンとラオスのシエンクアンよりホットな風をお知らせします。

バッタンバンとは?

Tourism MAP Battambang
カンボジア北西部、首都プノンペンより293kmに位置。

Milestone in front of Provincial Office
Battambang Street
バッタンバン州の州都バッタンバン、もしくはバタンバンは、かつてカンボジア第2の都市と言われ、カンボジアの北西部地域で、タイとプノンペンを結ぶ交通の要所。

BattamBang
カンボジア第2の都市と言われた面影は、街の中心を流れるサンカー(サンカエ)川の両側に並ぶフランス様式の落ち着いた美しい街並みに見ることができる。

Battambang Town
French Colonial Building BTB
France Building
French Colonial Houses
その中に、仏教寺院が多くあり、どれもとてもきれいに整備されている。

■ワット・サンカエ
(Wat Sangker)
Wat Sangkae

■ワット・カムペン
(Wat Kampheng)
Wat Kampheng

■ワット・リアプ
(Wat Leap)
Wat Leap

■ワット・スラーカエト
(Wat Slakaet)
Wat Slakaet

■ワット・クドル
(Wat Kdol)
Wat Kdol

■ワット・サウ マノアハ
(Wat Sau Manoaha)
Wat Sau Manoaha

■ワット・アエクプノン
(Wat Ek Phnom)
Wat Ek Phnom

■ワット・クバエン
(Wat Kbaeng)
Wat Khbaeng
Wat Nov Banon
Wat Dambich
Wat Bobil
Wat Banon River

バッタンバン州全体では、『ライスボウル』と呼ばれるカンボジア随一の大穀倉地帯が広がり、肥沃な土地でのお米や野菜、果物が採れる。バッタンバンで採れる『香り米』と呼ばれる独特の香りのするお米は特に美味しく、高値で売られる。

バッタンバンとは、クメール語でBat=失くす、Dombong=こん棒という2つの語からなり、『こん棒を失くした』という意味。その昔、ター・ドンボン・クロニューンという将軍が、この地でお米を美味しくするという魔法のこん棒を失くしたことからついた名前。

■プサー・ナット
Phsar Nath

■プサー・ルー
Lue Market Battambang

また『クローチ・ポーサット』と呼ばれるオレンジも、バナン郡産のものが、一番甘く美味しいことから、最も有名。

■オレンジ(クメール語:クローチ・ポーサット)
Porsat Orange Battambang

■ガヴァ(クメール語:トロバエク)
Trobaek Guava

■シュガーアップル(クメール語:ティアプ)
Sugar Apple

英字旅行ガイドブック『Lonely Planet』には、「カンボジアの中でも最もホスピタリティの高い人々…」とも書かれるほど、親切で思いやりのある人々が多い。
Stung Sankae Battambang
Stung Sankae
Stung Sangkae Banon
Sangkae River Banan District
Sangkae River Banan
Sangkae River
Kompong Pae Sangkae
近年、町中のサンカー川両岸は、公園として整備され、夕方になると多くの人々が、夕涼みに集まる憩いの場所となっている。Battambang もしくは、Bat Dambongなどと表記されることが多い。

■橋
Old Bridge Battambang
Spean Banon
Rainbow Bridge
Bridge Banon
Spean Samaki
New Bridge Thmor
Spean Smau Samaki

■郵便局
Post Office Battambang

■州観光局
Provincial Tourism Department Battambang

■州立博物館
Battambang Museum

■鉄橋
Train Bridge Battambang
Train Bridge BTB

■州役所
Govt Office
Battambang Govt Office

■国立銀行
National Bank

【バッタンバンの観光地】
1.プノン・サンパウ(サンポー山)
  Phnom Samphov
Phnom Sampav

バッタンバン近郊の最も有名で、人気が高い観光地は、プノン・サンパウと言われ、街の中心から車で約15分、バイクで約20分ぐらいのところにある山である。
Reachkol on the Boat Battambang
この山自体は、カンボジアで有名な伝説の舞台になっており、遠くから見ると伝説に登場する船が、ひっくり返った形をしている。

Phnom Samphau Mountain
見どころは、洞窟や山の頂上のお寺、バッタンバン平原を見渡せる絶景、山の裏にあるポル・ポト時代の虐殺跡、キリング・ケイブなど。

2.プノン・バナン(バナン山)
  Phnom Banon Phnom Banan
街の中心から車で、約30分、バイクで約40分。バナン山の頂上には、アンコール時代の遺跡が残る。
View from Banan Mountain
Srey Banan
アンコール時代の遺跡も、戦争での爆撃で、塔の一部が破壊されている。
Prasat Banan
Prasaht Banan
Phnom Banan Prasat
また、このバナンの山の麓も、ポル・ポト時代の虐殺の現場、キリング・フィールドとなった。約5000人の人々が虐殺されたという。
Banan Mountain
現在の山に登る長い階段の手前に出るお店の辺りの下には、遺骨が埋まっているという。現在は土が盛られているというが、以前は土が雨で流れると下から犠牲者の骨や衣服が見えることもあったという。
Banan Windon
Banan Ruins
山の裏には、2つの洞窟があり、それぞれ伝説の舞台ともなっている。
Banan Cave Praying
Banan Cave

3.アエク・プノン
  Aek Phnom
Aek Phnom
街の中心から車で、約40分。お寺とアンコール時代の遺跡が残る。
Ek Phnom Preah Put Ek Phnom
ポル・ポト時代の虐殺の現場のひとつでもあり、今ではその面影は見ることができないが、すぐ手前の小さな橋のあたりの下に多くの遺骨が眠っているという。
Ek Phnom Through window

4.プノン・ニアン・ロムサイ・ソック
  Phnom Neang Romsai Sok
Phnom Neang Romsai Sok Battambang
バナン山の裏に位置する山で、中腹ぐらいに有名な伝説の主人公の一人である長い髪を持つ女の子ロムサイ・ソックの部屋だったといわれる洞窟がある。
Steps at Phnom Neang Rom Say Sok

5.トロン・モアン・トロン・ティア
  Tron Moan Tron Tia
Phnom Moan
プノン・サンパウのすぐ近くの山で、それほど高くない山全体にお寺がある。
Phnom Moan GatePhnom Moan Wat
お寺自体はとてもきれいで、お寺からは、見事な景色が見渡せる。
From Top of Phnom MoanPhnom Moan stupaWat Phnom Moan
また山の下には不思議な洞窟が広がっている。この山も伝説の舞台になった場所のひとつ。
Srey Phnom Moanhanuman nau Phnom Moan

6.プノン・プレア・プット
  Phnom Preah Put
Phnom Preah Put
バッタンバンの街の中心から車で約3時間半。地元の人以外、ほとんど知られていないタイ国境に位置するプレア・プット山。2010年現在道路を整備中で、道が舗装されれば、今後観光地としての潜在性を多く秘めている。

カムリエン郡プレア・プット村にある大きなごつごつした岩の多い山で、以前は山のまわりにおびただしい数の地雷が埋められていた。山の頂上は大きな岩があり、その上からは目と鼻の先のタイからカムリエン郡を見渡せる絶景が広がる。

7.ストゥン・カムリエン
  Stung Kamreang
Stung Kamreang
バッタンバンの街の中心から車で約3時間半。プノン・プレア・プットと同じプレア・プット村にある。パイリンからカムリエンへつながる道の途中の橋の下に隠れ家的にレストランがあり、水浴びやハンモックでのんびりしながら、食事を食べることができる。
Stung Kamreang BTB
クメール正月などには、地元の人でにぎわう。

8.バンブー・トレイン
  Bamboo Train
Bamboo Train
街の中心からトゥクトゥクで15分。シハヌーク時代に整備されたシハヌークビル―プノンペン―バンコクまでつながる鉄道も、内戦で貨物列車が1日一本走るだけ。すでに鉄道整備が開始されており、工事がされるまで、地元の人たちが走らせているトロッコで、地元の人の移動手段であるが、外国人に珍しがられて観光地となっている。

9.コンピン・プオイ
  Komping Puoy
Komping Puoy Battambang
街の中心から車で約40分。ポル・ポト時代に多くの人々を強制労働させ、人力でほとんど作られたという巨大な貯水池+ダム。ダム自体は中国の支援があったといわれるが、多くの人々が建設によって亡くなっている。

10.バナン・ワイン
街の中心から車で約20分。バナン山へ行く途中にあるカンボジア人夫妻が始めたワイナリー。バッタンバンの中でも最も肥沃な土地のバナンで栽培されたグレープから作られたワイン。グレープジュースを試飲、購入できる。 View from Phnom Neang Rom Say Sok

【人口】
合計 1,024,663人(2008)
(General Population Census of Cambodia 2008)

【行政単位】
郡の数 13
区の数 96
村の数 741
(General Population Census of Cambodia 2008)

■District(郡)とCommune(区)
1. Ek Phnom
Koh Chiveang
Peam Ek
Prek Khpob
Prek Luong
Prek Norin
Prey Chas
Samraong Khnong

2. Banan
Bay Damram
Chaeng Meanchey
Chheu Teal
Kantueu Muoy
Kantueu Pi
Phnom Sampov
Snoeng
Ta Kream

3. Battambang
Chamkar Samraong
Kdol Daun Teav
O Char
O Mal
Prek Preah Sdach
Rotanak
Sla Kaet
Svay Paor
Tuol Ta Aek
Voat Kor

4. Bavel
Ampil Pram Doeum
Bavel
Kdol Ta Hen
Khnach Romeas
Lvea
Prey Khpos

5. Kamreang
Boeung Reang
Kamreang
O Da
Ta Krey
Ta Sen
Trang

6. Kaors Kra Lor
Chhnal Maon
Daun Bar
Hob
Kaors Kra Lor
Preah Phos
Thipakdey

7. Mong Russey
Chrey
Kar Koh
Kear
Moung
Prek Chik
Prey Svay
Prey Touch
Prey Tralach
Robas Mongkol
Russey Krang
Ta Loas

8. Phnom Proek
Barang Thleak
Chakrey
O Rumduol
Pech Chenda
Phnom Proek

9. Ratanak Mundol
Andeuk Heb
Phlov Meas
Sdao
Traeng

10. Sam Lot
Kampong Lapov
Meanchey
O Samrel
Sam Lot
Sung Ta Sagn
Ta Toak

11. Sampov Loun
Angkor Ban
Chrey Seima
Sampov Loun
Santepheap
Srey Meanchey
Ta Sda

12. Sangkae
Anlong Vil
Kampong Preah
Kampong Preang
Norea
O Dambang Muoy
O Dambang Pi
Reang Kesey
Roka
Ta Pon
Voat Ta Muem

13. Thmar Kul
Anlong Run
Bansay Treng
Boeng Pring
Chrey
Chroy Sdao
Kok Khmom
O Ta Ki
Roung Chrey
Ta Meun
Ta Poung

【年齢別人口構成】
0 - 14歳 44.4%
15 - 64歳 52.5%
65歳以上 3.2%

【識字率】
全体 65.0%
男性 72.4%
女性 58.0%

■バッタンバンのキャラクターたち
Tevada with people
Tevada
Tao
Ta
Ta Ebisu
Nheang Romsai Sok
Monk Gold
Budha Prayed by people
Budha Nehanbutu
White Ompal

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