カンボジア 〜バッタンバンの風〜

【バッタンバン】カンボジアのライスボウルと呼ばれる大穀倉地帯。内戦が最後まで続いた影響が残り、タイ国境地域は地雷被害が大きかった地域の自然豊かな森と共生して来た伝統的な暮らしの復興と平和の構築。

「ひとり一人に未来をつくる力がある」
認定NPO法人テラ・ルネッサンス

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久しぶりの登場ですが、出産休暇中。

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テラ・ルネッサンスのカンボジア事務所にいる2人の女性地雷被害者のスタッフの一人ヨート・イェトですが、来月出産予定で、出産休暇に入っています。

2012年11月に日本に行って戻って来てから、すぐ3度目の結婚したイェトですが、もうすぐ新しい3人目の子ども(一番上の子は養子)が産まれます。

何とか元気に産まれて来てほしいところです。

夫のヤットは、バイク修理屋をやっていますが、それほど日々の収入がなく、厳しい生活が続いていますが、また皆さん応援宜しくお願いします。

イェトも、持ち前の明るさで乗り越えてくれると思います。

写真は2012年11月に宮崎県で講演した際に西都原古墳群で撮ったもの。

怖すぎる金属探知機に反応しない対戦車地雷 アメリカ製 in ラオス

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不発弾撤去団体UXO-Laoのシエンクアン事務所に、展示してあるアメリカ製の地雷NMM 19。

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これはアメリカ軍によって秘密裏にラオスで敷設された対戦車地雷で、外側はプラスチック製、中も金属は使われておらず、金属探知機には反応しません。

シエンクアン県では、この地雷の事故が数年前に置きました。

不発弾撤去団体のUXO-Laoがここで不発弾撤去をした後、農民がトラクターを運転していて、この地雷を踏み、トラクターを運転していた村人は亡くなったそうです。

200kg以上の圧力がかからないと爆発しないそうですが、金属探知機で探知できないのは、怖すぎます。

この地雷は、まだラオスで埋まっている可能性があるそうです。

8年ぶりに会う地雷被害者

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2005年に3ヶ月バッタンバンでインターンとして、ホームステイをしていました。

そのときに支援していた除隊兵士で地雷被害者のネンさんの家族を久しぶりに訪問しました。

バッタンバン州バヴェル郡に家がありますが、幹線道路はここ1年のうちに舗装され、すっかり景色も変わってしまって、以前の面影がなかなか思い出せませんでした。

家も新しく建て直したそうです。

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でもネンさんも奥さんも顔をはっきり覚えていて、すぐに分かりました。

向こうも覚えてくれていました。

今もお米を作って生活していますが、顔色もよく元気そうで、安心しました。

生活も以前よりもよくなったように見え、とても嬉しいことでした。

まだ小さい男の子に、頑張らないバドミントン研究会の須田さんより提供いただいたバッグを渡しました。

男の子は、まだバッグに何も入れていないのに、すぐに身につけていました。

8年ぶりの嬉しい再会でした。

少しずつの変化が、大きな変化につながる 地雷埋設地域ロカブッス村小学校の事例

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このところ、立て続けにこのブログにも登場しているロカブッス村。

2011年から村落開発支援プロジェクトを始めている村です。

プロジェクトの3つの活動には、基礎教育支援活動があります。

地雷埋設地域の多くの村が、
十分な基礎教育を子どもたちに提供できていません。

それは村によって状況が異なり,理由も異なりますが、
内戦や地雷の影響を受けていることには、違いありません。

当初、プロジェクトを開始したときには、
2001年に日本財団によって建てられた校舎があり、
カムリエン郡の他の村に比べれば、
教育環境としては悪くない感じでした。

しかし、この村の問題は、
派遣される先生たちが村に滞在できる場所がなく、
電気も水もないなか生活していくのは過酷な状況にありました。

そのため先生たちが、まず村に滞在できず、
すぐにやめてしまったり、給料が少なすぎるために、
まず自分の生活していくお金を稼ぐために、
学校に教えにこないこともたびたびありました。

そうした状況を改善するために昨年は、
教員用宿舎を建てたり、
滞在する先生が電気が使えるようにソーラーパネルを設置したり、
小学校にも図書室を設置、
貯水タンクを設置して、
使われていなかったトイレを使えるようにしたり・・・
と活動をしてきました。

そうした先生たちの環境や小学校の環境を変えていくことで、
少しずつ先生たちの意識も変わってきました。

以前は、小学校の前はゴミが散乱していました。

ゴミを散らかしているのは、
もちろん子どもたちなのかもしれませんが、
その散らかっている状況に対して、
先生たちが何も感じない、何もしないというのは、
明らかに学校がうまく運営されていない証拠です。

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何度か、小学校を訪問したときに私がゴミを拾ったこともありましたし、
日本からの訪問した人たちと一緒に、子どもたちとゴミ拾いをしたこともありました。

そうした活動を続けていくうちに先生たちも変わり、
ゴミを拾い、ゴミ捨て場を設置して、
集まったゴミを燃やすところまで、できるようになったのが、今年。

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授業の前には、子どもたちが教室を掃除する光景も見られるようになりました。

これはすごい進歩です。

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訪問した現地スタッフも、
とても綺麗に管理された小学校を見て、
喜んで報告してくれました。

細かなことかもしれませんが、
そういうところまで配慮ができるようになり、
そして、一番肝心の授業も、今までは先生がこなかったりしていましたが、
今は毎日実施されるようになっています。

たとえ、一人の先生が忙しいときでも、
代わりの先生に授業をやってもらうなど、
1つの変化が大きな変化につながってきているのです。

変化は、本当にゆっくり、少しずつかもしれませんが、
確実に良い方向へと変化していってほしいと思います。

良きことは、カタツムリの早さで進む
   by マハトマ・ガンジー

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よくよく見るとこれは、危険性を知らせる看板。。。ということは?

2011年に建設したバヴェル郡のブオ・ソンクリアチ小学校。

この村も地雷原が残る村で、CMACが昨年も活動していました。

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小学校の前には古ぼけた看板が・・・。

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よくよく見ると地雷の事故に遭っている牛車の絵とともに、地雷に気をつけなさいというクメール語の文字。

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そうこの看板が、この村が地雷原だったことをよくよく表しています。

「私も将来勉強するチャンスのない子どもたちを助けることができる仕事につきたと思います。」プレア・プット小学校の子どもたちからの手紙より

プレア・プット村小学校の小学生たちから
長崎の時津小学校の子どもたちへの
手紙からです。

ある小学6年生の手紙から・・・。

「日本の皆さん、
送っていただいた衣服、本、文房具、カステラなどの
贈り物をありがとうございました。」

「私も、将来勉強するチャンスのない子どもたちを
助けることができる仕事につきたいと思います。」

こういう将来誰かのために
役立つ仕事をしたい
と思ってくれたことが、
とても嬉しいことでした。

自分のことばかり考えるのではなく、
他の人達を助ける仕事がしたい

というカンボジアの子どもたちが大きくなったら、
カンボジアの社会ももっと良くなるだろうなぁ
と思います。

その意味で、
時津小学校からの贈り物や手紙の交換
といった交流は、いい影響を
カンボジアの子どもたちに
与えてくれています。

新しい地雷撤去用潅木除去機“タント”チームへの活動資金提供の2012年11月報告書

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カンボジアの地雷撤去資金を
2005年から地雷撤去団体のMAGへと提供してきました。

2012年、新しい取り組みとして、
地雷ゼロ宮崎、宮崎の延岡星雲高校からの資金と合わせて、
MAGへ提供し、MAGが新しく準備している潅木除去機
"タント”チームへの活動資金として使ってもらうことになりました。

そのMAGからの進捗状況の報告書が届きましたので、
日本語に訳して、ホームページに載せています。

カンボジア地雷&不発弾撤去支援プロジェクト
2012年11月MAG”タント”チーム報告書

なかなかこうした機材を購入するのに正式な手続きを踏んで、
信頼出来る機材を購入することは、
カンボジアではまだまだ複雑な手続きが必要なようで、
MAGも苦労しているようです。

ただ、この新しい潅木除去機によって、
この機械は地雷を直接取り除くものではありませんが、
地雷撤去をする前にどうしても必要な
地雷原に生えている草木の除去を、
このチームが実施することで、
地雷撤去チームや地雷探知犬チームが、
その作業をする必要がなくなり、
大幅な時間とコストの削減が期待できるのです。

このことは少ない資金で、
より速く、広い地雷原を撤去できる
ことを意味します。

もうすぐ活動を始める"タント"に期待です。

【お知らせ】2012年度冬期募金ご協力のお願い

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「一人ひとりに未来をつくる能力(チカラ)がある」と信じて、 テラ・ルネッサンスは
カンボジアを皮切りに、ウガンダ、コンゴ民主共和国、ラオス、そして岩手で、 支援してくださる方々とのつながり、支援を受ける人たちとのつながり、
そして、スタッフ同士のつながりを大切にしながら、
一人ひとりに寄り添う支援を続けてきました。

2012年11月10日、17日には、
テラ・ルネッサンスはカンボジア、ウガンダ、コンゴ民主共和国より職員を集めて、
「テラ・ルネッサンス世界会議」を開催しました。

現場の声を日本の皆さん、特にいつもご支援をくださる方々に届けるために。


「すべての生命が安心して生活できる社会の実現(世界平和)」を実現するための
チーム・テラ・ルネッサンスの結束を高めるために。

テラ・ルネッサンスはこの世界会議を経て、スタッフ間そして、
支援を下さる皆様とのつながりを強くしながら、
今後も「世界平和」の実現に向けてよりいっそう努力をして参ります。

バイクに乗るときには、これに注意。

先週、バッタンバンの中央市場、
プサー・ナットに行った時に、
バイクを停めてあった場所から引っ張り出そうとした時に、
後ろに止まっていた他の人のバイクの排気する部分に
脚が少しだけ触れました。

ほんの一瞬だったのですが、
とても熱くなっていたバイクの排気するところで、
火傷をしてしまいました。

家に帰ってからすぐ、
氷で冷やしましたが、
1週間経っても、なかなか完治せず、
傷口の周辺も腫れてきて、熱を持ってきたので、
病院に行くことにしました。

病院では、綺麗に傷口を掃除してもらい、
飲み薬をもらいました。

なんとか治るといいですが、
バイクの熱くなったエンジン部分などで、
火傷をすることは、カンボジアでは、
よくあることのようです。

どうしたんだと聞いてくれる人に訳を話すと、
それだったら自分もここを怪我をしたとか言って、
見せてくれる人が、すでに3−4人。

実は、こうしたバイクの怪我は、
2005年頃に3ヶ月ホームステイする前に、
カンボジアで以前在住されていた方から、
バイクに乗るときは、
火傷をするかもしれないから気をつけなさい
と言われていました。

ずっとバイクは、乗っていませんでしたが、
2年前から乗るようになり、
そしてやはり忘れた頃に怪我をしました。

皆さんもバイクに乗るときには、
ご注意ください。

宮崎公立大学での講演から

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久しぶりに自分の母校の宮崎公立大学へ行きました。

それでもほとんど建物なども変わりがないので、大学に行くと、今もなんか大学生のままのような感じがします。

ちょうどカンボジアに一緒に行ったメンバーが作った国際協力サークルのSOWという団体の後輩たちが、企画してくれた講演会で、講演を聞く前に、なんとカンボジア地雷に関する勉強会をしていました。

自分たちのときよりも、皆さん、勉強熱心ですね。

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講演は、サークルメンバーだけでなく、一般の方たちも参加可能だったので、結構一般の方たちが来てくださったのに驚きました。

イェトも、この日2回目の講演で、疲れているかと思いましたが、午前中に美味しいものをいっぱい食べさせてもらい、話慣れてきたのもあって、通訳をしていても、今までで一番良かったと思いました。

イェトの最後のメッセージは、次のようなものでした。

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私は、世界平和を実現したいと考えています。

カンボジアのことを考えた場合、内戦はすでに終結しましたが、まだ平和になったとは言えません。

それは、地雷がまだたくさん残されているからです。

では、皆さんにお聞きしたいことがあります。

日本は、平和な国だと思いますか?

私は、日本はまだ平和な国だとは、思いません。

それは、なぜかというと日本には、自ら命を絶つ人が多く、また学校では子どもたちの間でいじめの問題があると聞いているからです。

カンボジアでは、自殺する人や学校でのいじめと言う問題はありません。

もしあったとしても学校の先生や近所の人たち、家族が必ず助けます。

私も死にたいと考えているときがありました。

地雷を踏んで、脚を失ってしまったとき、私は本当にもう生きていたいとは思いませんでした。

未来に希望が持てなかったのです。

ただ、おかあさんや家族、病院のお医者さんが、『絶対に死んだらだめだ。少ししたらNGOや誰かがきっと助けてくれるから』
と言ってくれたので、なんとか生きていました。

地雷事故に遭ってから5年後に、初めて義足を受け取ることができました。

義足が受け取り、再び歩けるようになったとき、私は本当に嬉しかったのです。

自分の脚で歩き、そして仕事もできるようになったからです。

2009年にテラ・ルネッサンスと出会い、働き始めてから、自分で仕事をして、家族を養うことができるようになったことは、さらに嬉しいことでした。

私は、自分が死にたいと思っていたときに、そうやって声をかけてくれる人がいなければ、死んでいたと思います。

助けてくれる人がいたから、生き延びることができたのです。

そして、義足をもらい、仕事をできるようになったことで、今はとても幸せです。

だから、日本でももし皆さんのまわりに、誰かつらい思いをしている人がいたら、死にたいと思っている人がいたら、助けてください。

お互いに助け合えば、きっと困難は乗り越えることができると思います。

もしつらい思いをしている人がいたら、誰かに相談してください。

きっと助けてくれる人がいます。

一人で生きていくことはできません。

平和な世界を作るために重要なことは、お互い助け合い、愛し合って生きていくことです。

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このメッセージを聞いた方から宮崎では、次のように話してくれる人がいました。

『わたしは千葉県の出身ですが、震災の影響で、息子を連れて宮崎に移住してきました。

でも地元の千葉の人たちからは、裏切り者呼ばわりされ、ずっと笑顔になることができませんでした。

でも今はようやく笑顔を少しずつ取り戻すことができてきました。

それはなぜか、今お話を聞いて考えたときに、やはり宮崎の人たちがとても温かく迎えてくれて、助けてくれたからだと分かりました。

本当にありがとうございました。』

そして、講演が終わってからも一緒に写真を撮りたい人や、寒いだろうからといってマフラーをイェトにくださる方もいました。

本当に宮崎の人たちは温かいです。

ありがとうございました。

宮崎学園高校での講演

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宮崎の観光地を楽しみ、美味しい食べ物を満喫したあと、宮崎での1回目の講演先である宮崎学園高校へ行きました。

宮崎学園高校のボランティア部の皆さんが30名ほど、イェトの講演を聞いてくれました。

イェトの「カンボジアは、内戦が終わりましたが、まだ地雷が残っていて、本当に平和になったとは言えません。では、日本は皆さん平和な国だと思いますか?」

という問いに、生徒たちも考えてくれました。

多くの生徒たちが、日本は平和だと手を挙げてくれましたが、数人の生徒たちは平和ではないと答えてくれました。

イェとは、「日本は、まだ平和な国だとは思いません。なぜなら日本には、毎年たくさんの人が自ら命を絶ち、そして学校ではいじめの問題もあると聞いているからです。カンボジアにはこうした問題は、ほとんどありません。」

と答えていました。

質問も終わったあと、生徒の代表で女の子が、感想とお礼をイェトに伝えてくれました。

「辛い体験をしてきているのに、イェトさんの笑顔がとても素敵でした。」と話していました。

イェトも、東京で話をしてきているので、少し講演も慣れてきたかなと思います。

青空と青い海と、そして熱帯の植物 どこかで見たような・・・宮崎へ

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鹿児島を8時半すぎに特急で出発し、
宮崎に10時過ぎに着きました。

カンボジアから、東京、そして鹿児島、宮崎と、
そのまま重いスーツケースなどの荷物を
持ってきているので、
ちょっとした駅の構内の移動や階段なども、
かなり疲れます。

ただ、宮崎に着くと、
黒い雲がかかり、
桜島もどんよりと見えていたのとは違い、
懐かしい青空。

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宮崎駅に迎えに来てくださっていた
地雷ゼロ宮崎の上野さんが、
講演は午後からだったので、
日南海岸や青島へと連れて行ってくれました。

日南海岸の堀切峠、道の駅フェニックス、
鬼の洗濯岩、 どこまでも続く碧いオーシャンに、
イェトも今までの疲れも吹き飛ぶぐらい興奮していました。

昭和40年代の新婚旅行ブームで、
青島や日南海岸、堀切峠は一大観光地となりました。

その頃、フェニックスドライブインとして親しまれた施設が、
そのまま現在の道の駅となっています。

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バッタンバンは、海に接していないので、
カンボジアで海に行くには、
かなりの距離を移動しなければなりません。

カンボジアの人たちは、
海にあこがれがあるようです。

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そして、実は4年間も大学時代に
宮崎に住んでいながら、
一度も行ったことがなかった青島へ。

こんなところがあったんだと、
かなり新鮮な発見でした。

青島に行く観光客の駐車するスペースを
提供して儲けている?おばちゃんに非常にうまく誘導されて、
日南の早生みかんを買いました。

とても小さいみかんですが、
すごく甘くて美味しいみかんでした。

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そして、海岸へ行くと、
どこかで見たことのある乗り物が止まっていました。

トゥクトゥク・・・。
一瞬目を疑いましたが、
確かにトゥクトゥクです。

日本でも、トゥクトゥクを走らせたいと
思っていたところなので、これもまた新たな驚きでした。

上野さんによれば、
「一年ほど前から観光で、
青島へ行く人を乗せるために走らせている」
のだそうです。

非常に風が強かったのですが、
平日なので人も少なく、
そして素晴らしく綺麗な景色を満喫しました。

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初めて行く青島と
その中にある青島神社。

この青島も熱帯性の植物が生い茂っていて、
とにかくどこかの国のジャングルと同じ感じが・・・。

願掛け皿も投げましたが、
なかなか狙ったところに飛ばすのが難しい・・・。

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綺麗で豊かな自然と人の少なさ、
開放的な青空と碧いオーシャン。

11月の他の地域では、
曇り空だったりするところが多いのですが、
宮崎だけは常に快晴。

この懐かしい天気を満喫し、
イェトも一番気に入った場所だったようです。

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ヨート・イェト 初来日講演のお知らせ 心の地雷を取り除くために

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2011年3月、
カンボジアスタディツアーに参加してくれたさくちゃん。

さくちゃんは、
テラ・ルネッサンスの女性地雷被害者のスタッフ、
ヨート・イェトに会い、
その明るさに衝撃を受け、
イェトを日本に呼びたいと話してくれていました。

今回その彼女の想いが、
カンボジアに届き、
イェトは初来日することが決まりました。

来日中にさくちゃんが、
東京でイェトの講演会を企画してくれています。

もちろん、イェトは、
日本は初めてどころか飛行機も電車も
乗ったことがありません。

人の前で話すことも初めて、
(それよりも僕が通訳するほうが心配ですが・・・。)

でも、彼女は常に明るく、
いつも前向きに生きています。

「平和」「幸せ」というのは何なのか、
彼女を見ていると価値観が変わります。

イェトの初めての講演会、皆さんぜひお越しください。

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講演会『障害と向き合い、強く美しく生きる〜カンボジアの地雷被害者からの生の声〜』

「自分は、生まれてから、ありのまま。
辛い時も、そのまま。 幸せな時も、そのまま。
お金がたくさんあっても、このまま。 貧しくても、このまま。
いつも、自然のありのままだよ。 ヨート・イェト(訳・江角泰)」

14歳の時に地雷事故で片脚を失くしてから、差別・偏見などの数々の苦難を乗り越え、特定非営利活動法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事務所スタッフとして、同じ地雷被害者の痛みに向き合ってきたヨート・イェト。 絶望を味わった彼女にとって、自然のありのままに生きるとは・・・?

人生の様々な障害にぶつかり、悩んでいる方、 絶望を希望に変え、誰よりもハツラツと美しく生きる彼女の姿は、きっとあなたの希望になります。 落ち着いた雰囲気の喫茶店で、ゆったりお茶を飲みながら、「障害を乗り越え生きること」の意味について考えてみませんか?自由に質問できる時間も設けてあります。

【講演者】
特定非営利活動法人テラ・ルネッサンス カンボジア事務所スタッフ  ヨート・イェト
(通訳:カンボジア事務所駐在代表 江角泰)

■プロフィール
ヨート・イェトは、14歳の時に地雷事故に遭いました。当時のカンボジアは、内戦の真っ只中。数人の兵士とお姉さんたちとともに、田んぼへ向かう途中でした。一緒にいた兵士たちは、地雷の爆発に怯えて、逃げて行きました。助けてくれたのはお姉さんたちだけ・・・。病院などない田舎では、設備も何もない近くの政府のヘルスセンターで、右脚を切断。その後、養子の子を引き取り育てながら、2度の結婚と離婚を経験し、2009年4月からNPO法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事務所で、今も地雷の脅威に怯える人々を助けるために働いています。地雷と内戦の中を生き抜き、明るく、力強く生きるイェトが語る地雷埋設地域でのテラ・ルネッサンスの活動から、日本の皆様へ「平和」と「幸せ」のためのメッセージを贈ります。

【日時】
11月12日(月)18:30〜20:30(東急東横線 日吉駅 集合18:10)

【場所】
喫茶まりも 日吉店(http://tabelog.com/kanagawa/A1402/A140204/14028558/dtlmap/

【参加費用】
無料ですが、喫茶店での開催のため一品以上の注文をお願いします。

【定員】
40名

【お申し込み方法】
〜facebookでのお申し込みの場合〜
本ページの上段右の「参加する」ボタンをクリックしてください。
折り返し企画者(佐久間)より、お申し込みに関するメッセージをお送りします。

〜メールでのお申し込みの場合〜
件名を「講演会申込」とし、
(1)お名前、(2)メールアドレス、(3)お電話番号を明記の上、
11月11日(日)までに(39.saku@a2.keio.jp)へお申し込み下さい。

【お申し込み&お問い合わせ】
慶應義塾理工学研究科 基礎理工学専攻 修士課程1年 佐久間遥
MOBILE : 080-4111-5210
e-mail : 39.saku@a2.keio.jp

2012年7月のカンボジア地雷&戦争残存物被害者数は?

CMVIS MineERW Accident location in July 2012

2012年に入ってからもカンボジアでは、引き続き地雷事故が起きています。

カンボジア政府の地雷問題対策機関であるCMAAの月刊レポートの7月号によれば、 今年7月の地雷および戦争残存物(不発弾)の事故は、以下の通りです。

地雷&戦争残存物の事故:5件

この件数は、昨年2011年の7月の8件と比較して、37.50%の減少になります。

そのうち、3件(60%)が地雷事故、残りの2件(40%)が不発弾の事故です。

不発弾事故が起きた場所は、 村などの居住地域:1件
道:1件
地雷事故は、
田んぼ:1件
作物を栽培する畑:2件
となっています。

Provinces ranked by Total MineERW Casualties for 2011-2012

これらの事故による犠牲者数は、合計で10名。

これは、昨年の7月の9名よりも11.11%増加しています。

このうち、40%にあたる4名が3件の地雷事故による被害者で、60%にあたる6名が2件の不発弾事故による被害者です。

そして、3名(30%)が死亡、1名(10%)が四肢切断を余儀なくされ、6名(60%)が負傷しています。

7名(70%)が男性、3名(30%)が男の子になります。

これらの被害者のうち70%の7名が事故に遭う前に地雷回避教育を受けたことがあると答えています。

MineERW Casualties by Province for 2011-2012

事故が遭った時に、

移動中だった人が2名(地雷事故)、
新しい土地を開拓していた人が1名(地雷事故)
農業をしていた人が1名(地雷事故)
不発弾をいじくるなど触っていた人が4名、
近くにいて事故に巻き込まれた人が2名(不発弾事故)
となっています。

2012年6月のカンボジア地雷&戦争残存物被害者数は?

CMVIS MineERW Accident location in June 2012

2012年に入ってからもカンボジアでは、引き続き地雷事故が起きています。

カンボジア政府の地雷問題対策機関であるCMAAの月刊レポートの6月号によれば、 今年6月の地雷および戦争残存物(不発弾)の事故は、以下の通りです。

地雷&戦争残存物の事故:4件

この件数は、昨年2011年の6月の13件と比較して、69.23%の減少になります。

そのうち、2件が地雷事故、残りの2件が不発弾の事故です。

不発弾事故が起きた場所は、

村などの居住地域:1件

作物を栽培する農場:1件

地雷事故は、カンボジア政府軍の軍施設で2件となっています。

これらの事故による犠牲者数は、合計で4名。

これは、昨年の6月の18名よりも77.78%減少しています。

このうち、50%にあたる2名が地雷事故、50%にあたる2名が不発弾事故による被害者です。

そして、1名(25%)が死亡、1名(25%)が四肢切断を余儀なくされ、2名が負傷しています。

2名(50%)が男性、1名(25%)が女性で、1名(25%)が男の子になります。

これらの被害者のうち50%の2名が事故に遭う前に地雷回避教育を受けたことがあると答えています。

事故が遭った時に、
移動中だった人が1名、
軍事活動をしていた人が1名、
不発弾をいじくるなど触っていた人が1名、
農業をしていた人が1名
となっています。

調査中の子どもたち

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現在現地スタッフたちが、村落開発支援を実施する3つの村を調査で回っています。

そんな調査中の子どもたちの様子。

現在、カンボジアの小学校は、夏休み。

新しい年度が始まるのは9月末から10月です。

授業が実施できるように

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カンボジアの農村では、学校があっても授業が実施されるとは限りません。

村落開発支援を実施しているバッタンバン州カムリエン郡ロカブッス村でも、小学校はあるものの派遣されてくる先生たちが村に滞在できないので、授業が実施されることが少なく、結局多くの子どもたちが隣村の小学校に転向して行きました。

問題は、バッタンバンから派遣されてくる先生たちが、村に滞在する場所や家がなく、授業を実施する以前に村で生活できないことでした。

村長さんや校長先生から、依頼があったのは、教員用宿舎の建設。

この考えは、私達も同じでした。

転校していった子どもたちも、村の中の小学校で授業が実施されれば、またこの小学校に戻ってくるはず。

新年度が始まる10月までに教員用宿舎を建設できればということで、頑張らないチャリティ・バドミントン大会の収益から、この教員用宿舎を建設することになりました。

すでに建設は、順調に進んで、もう少し完成できそうです。

新しく遠隔地に派遣される先生は、大概新任の先生が多く、コムリエン地域に派遣されることが決まっただけでに本当に過酷な生活が待っているので、辞めてしまう先生も多いそうです。

何とか先生たちに来てもらって、滞在して、子どもたちへの授業を実施してもらえるよう、村の人達と協力してサポートできればと思います。

地雷埋設地域での初等教育支援

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今年の6月に大阪のなみはやドームで開催された第6回頑張らないチャリティバドミントン大会からのご寄付で、建設中のロカブッス村小学校の先生たちへの教員用宿舎です。

この村は、非常に貧しい村で、村人のほとんどが最貧困層です。

小学校は、日本財団が2001年に建てた校舎がありますが、
派遣されてくる先生が安い給料で、
村に滞在する場所もないために、
村で生活できず、授業がほとんど実施されていません。

村に家がある地元の先生たちだけが
授業をやってしているという状況でした。

こうした教育の質の悪さから、
多くの子どもたちが隣村の小学校へ転校していきました。

この小学校の校長先生や村長さんら村人たちからも、
派遣されてくる先生たちが滞在できる
教員用宿舎を建設する依頼があったため、
小学校の状況を考慮し、建設することにしました。

今は新学期が始まる10月までの完成を目指して、
建設が進められている所です。

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すでに教育省からは、
新しい先生たちがこの小学校へ派遣されることが
決まっているとの通達がありました。

ロカブッス村のような農村の厳しい環境にある村では、
小学校の校舎や子どもたちへの支援だけではなく、
そこで教える先生たちが生活できる環境を整備することも、
教育の質を向上させるために重要になっています。

ロカブッス村のあるカムリエン郡の小学校でも、
小学校があっても授業が十分に実施されていない村がまだあります。

テラ・ルネッサンスでは、
地雷埋設地域での村落開発支援プロジェクトの3つの活動、
1.収入向上支援活動、
2. 社会保障制度支援活動、
3.基礎教育支援活動
の1つとして、
村での子どもたちの特に小学校での教育の質の向上を
サポートしています。

カンボジアの農村での初等教育の質を向上させることで、
次に中等教育、高等教育とつながり、
ようやく最終的な貧困削減や村での開発につながる人材を
育てることができるのです。

バッタンバンでは、旱魃で19,289ヘクタールがダメージ

カンボジアでは、毎年雨の状況が農業に大きな影響を与えています。

昨年は、大洪水で大きな影響を受けました。

今年は、ここまでのところ雨が十分に降っておらず、旱魃の影響を受けています。

2012年8月22日付けの現地新聞The Cambodia Dailyの記事では、カンボジア全体で、145,000ヘクタールの水田が旱魃の影響を受けていることを報じています。

なかでも、バッタンバンは、カンボジアのライスボウルといわれる水田地帯ですが、19,289ヘクター‐ルが影響を受けており、8,422ヘクタールがすでに壊滅状態になっているとのことです。

先週の木曜日、19日は、バッタンバンを流れるサンカエ川の推移が雨が降っていないので上昇し、橋桁のすぐ下まできていました。

川の上流のサムロート地域やタイでは雨が降っているようです。

この河岸には、恨めしそうに目の前を大量の水が流れていくのを眺めるカンボジアの人々の姿が印象的でした。

川から水をひいて、灌漑用水路はないのかと現地スタッフたちに聞いたところ、数年前まではこうした用水路や水門が川にあったとのこと。

それはポル・ポト時代に作られたもので、次第に利用され無くなってしまったと話していました。

ポル・ポト時代に作られたこうした灌漑施設の多くが、専門的な技術者がいなかったため、簡単に壊れて使えなくなってしまったという話をきいていましたが、農業の発展のために灌漑施設を整備することは間違っていなかったと思います。

ところが、その整備するためにすべて人の手作業でやる必要もなかったはずですし、機械や専門技術を持つ知識人の知恵を利用して、建設すればよかったのです。

ポル・ポト時代のトラウマがあるからなのか、自分たちが生きていくために絶対必要な農業の水の確保をするのに、もう少し労力をかけていってもいいかと思います。

河岸で大量の水が流れていくのを恨めしそうに見るカンボジア人の姿がなんとも印象的でした。

パイリンでの地雷事故

8月20日付けの現地新聞The Cambodia Dailyの記事によれば、19日にパイリンで地雷事故があったようです。

35歳の男性、スレン・モンさんが、家族とともに畑を掘り返している時に、地雷を打ってしまい、爆発。

顔と目に重傷を負い、入院しているそうです。

他の家族からは5m離れたところで、なたを使っていたそうですが、幸い事故の被害にあったのは、彼一人だったそうです。

カンボジアでは、まだ地雷事故はなくなっていません。

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Profile

Tai

NPO法人テラ・ルネッサンスのアジア事業、カンボジア、バッタンバン事務所の駐在スタッフのブログ。カンボジアのバッタンバンとラオスのシエンクアンよりホットな風をお知らせします。

バッタンバンとは?

Tourism MAP Battambang
カンボジア北西部、首都プノンペンより293kmに位置。

Milestone in front of Provincial Office
Battambang Street
バッタンバン州の州都バッタンバン、もしくはバタンバンは、かつてカンボジア第2の都市と言われ、カンボジアの北西部地域で、タイとプノンペンを結ぶ交通の要所。

BattamBang
カンボジア第2の都市と言われた面影は、街の中心を流れるサンカー(サンカエ)川の両側に並ぶフランス様式の落ち着いた美しい街並みに見ることができる。

Battambang Town
French Colonial Building BTB
France Building
French Colonial Houses
その中に、仏教寺院が多くあり、どれもとてもきれいに整備されている。

■ワット・サンカエ
(Wat Sangker)
Wat Sangkae

■ワット・カムペン
(Wat Kampheng)
Wat Kampheng

■ワット・リアプ
(Wat Leap)
Wat Leap

■ワット・スラーカエト
(Wat Slakaet)
Wat Slakaet

■ワット・クドル
(Wat Kdol)
Wat Kdol

■ワット・サウ マノアハ
(Wat Sau Manoaha)
Wat Sau Manoaha

■ワット・アエクプノン
(Wat Ek Phnom)
Wat Ek Phnom

■ワット・クバエン
(Wat Kbaeng)
Wat Khbaeng
Wat Nov Banon
Wat Dambich
Wat Bobil
Wat Banon River

バッタンバン州全体では、『ライスボウル』と呼ばれるカンボジア随一の大穀倉地帯が広がり、肥沃な土地でのお米や野菜、果物が採れる。バッタンバンで採れる『香り米』と呼ばれる独特の香りのするお米は特に美味しく、高値で売られる。

バッタンバンとは、クメール語でBat=失くす、Dombong=こん棒という2つの語からなり、『こん棒を失くした』という意味。その昔、ター・ドンボン・クロニューンという将軍が、この地でお米を美味しくするという魔法のこん棒を失くしたことからついた名前。

■プサー・ナット
Phsar Nath

■プサー・ルー
Lue Market Battambang

また『クローチ・ポーサット』と呼ばれるオレンジも、バナン郡産のものが、一番甘く美味しいことから、最も有名。

■オレンジ(クメール語:クローチ・ポーサット)
Porsat Orange Battambang

■ガヴァ(クメール語:トロバエク)
Trobaek Guava

■シュガーアップル(クメール語:ティアプ)
Sugar Apple

英字旅行ガイドブック『Lonely Planet』には、「カンボジアの中でも最もホスピタリティの高い人々…」とも書かれるほど、親切で思いやりのある人々が多い。
Stung Sankae Battambang
Stung Sankae
Stung Sangkae Banon
Sangkae River Banan District
Sangkae River Banan
Sangkae River
Kompong Pae Sangkae
近年、町中のサンカー川両岸は、公園として整備され、夕方になると多くの人々が、夕涼みに集まる憩いの場所となっている。Battambang もしくは、Bat Dambongなどと表記されることが多い。

■橋
Old Bridge Battambang
Spean Banon
Rainbow Bridge
Bridge Banon
Spean Samaki
New Bridge Thmor
Spean Smau Samaki

■郵便局
Post Office Battambang

■州観光局
Provincial Tourism Department Battambang

■州立博物館
Battambang Museum

■鉄橋
Train Bridge Battambang
Train Bridge BTB

■州役所
Govt Office
Battambang Govt Office

■国立銀行
National Bank

【バッタンバンの観光地】
1.プノン・サンパウ(サンポー山)
  Phnom Samphov
Phnom Sampav

バッタンバン近郊の最も有名で、人気が高い観光地は、プノン・サンパウと言われ、街の中心から車で約15分、バイクで約20分ぐらいのところにある山である。
Reachkol on the Boat Battambang
この山自体は、カンボジアで有名な伝説の舞台になっており、遠くから見ると伝説に登場する船が、ひっくり返った形をしている。

Phnom Samphau Mountain
見どころは、洞窟や山の頂上のお寺、バッタンバン平原を見渡せる絶景、山の裏にあるポル・ポト時代の虐殺跡、キリング・ケイブなど。

2.プノン・バナン(バナン山)
  Phnom Banon Phnom Banan
街の中心から車で、約30分、バイクで約40分。バナン山の頂上には、アンコール時代の遺跡が残る。
View from Banan Mountain
Srey Banan
アンコール時代の遺跡も、戦争での爆撃で、塔の一部が破壊されている。
Prasat Banan
Prasaht Banan
Phnom Banan Prasat
また、このバナンの山の麓も、ポル・ポト時代の虐殺の現場、キリング・フィールドとなった。約5000人の人々が虐殺されたという。
Banan Mountain
現在の山に登る長い階段の手前に出るお店の辺りの下には、遺骨が埋まっているという。現在は土が盛られているというが、以前は土が雨で流れると下から犠牲者の骨や衣服が見えることもあったという。
Banan Windon
Banan Ruins
山の裏には、2つの洞窟があり、それぞれ伝説の舞台ともなっている。
Banan Cave Praying
Banan Cave

3.アエク・プノン
  Aek Phnom
Aek Phnom
街の中心から車で、約40分。お寺とアンコール時代の遺跡が残る。
Ek Phnom Preah Put Ek Phnom
ポル・ポト時代の虐殺の現場のひとつでもあり、今ではその面影は見ることができないが、すぐ手前の小さな橋のあたりの下に多くの遺骨が眠っているという。
Ek Phnom Through window

4.プノン・ニアン・ロムサイ・ソック
  Phnom Neang Romsai Sok
Phnom Neang Romsai Sok Battambang
バナン山の裏に位置する山で、中腹ぐらいに有名な伝説の主人公の一人である長い髪を持つ女の子ロムサイ・ソックの部屋だったといわれる洞窟がある。
Steps at Phnom Neang Rom Say Sok

5.トロン・モアン・トロン・ティア
  Tron Moan Tron Tia
Phnom Moan
プノン・サンパウのすぐ近くの山で、それほど高くない山全体にお寺がある。
Phnom Moan GatePhnom Moan Wat
お寺自体はとてもきれいで、お寺からは、見事な景色が見渡せる。
From Top of Phnom MoanPhnom Moan stupaWat Phnom Moan
また山の下には不思議な洞窟が広がっている。この山も伝説の舞台になった場所のひとつ。
Srey Phnom Moanhanuman nau Phnom Moan

6.プノン・プレア・プット
  Phnom Preah Put
Phnom Preah Put
バッタンバンの街の中心から車で約3時間半。地元の人以外、ほとんど知られていないタイ国境に位置するプレア・プット山。2010年現在道路を整備中で、道が舗装されれば、今後観光地としての潜在性を多く秘めている。

カムリエン郡プレア・プット村にある大きなごつごつした岩の多い山で、以前は山のまわりにおびただしい数の地雷が埋められていた。山の頂上は大きな岩があり、その上からは目と鼻の先のタイからカムリエン郡を見渡せる絶景が広がる。

7.ストゥン・カムリエン
  Stung Kamreang
Stung Kamreang
バッタンバンの街の中心から車で約3時間半。プノン・プレア・プットと同じプレア・プット村にある。パイリンからカムリエンへつながる道の途中の橋の下に隠れ家的にレストランがあり、水浴びやハンモックでのんびりしながら、食事を食べることができる。
Stung Kamreang BTB
クメール正月などには、地元の人でにぎわう。

8.バンブー・トレイン
  Bamboo Train
Bamboo Train
街の中心からトゥクトゥクで15分。シハヌーク時代に整備されたシハヌークビル―プノンペン―バンコクまでつながる鉄道も、内戦で貨物列車が1日一本走るだけ。すでに鉄道整備が開始されており、工事がされるまで、地元の人たちが走らせているトロッコで、地元の人の移動手段であるが、外国人に珍しがられて観光地となっている。

9.コンピン・プオイ
  Komping Puoy
Komping Puoy Battambang
街の中心から車で約40分。ポル・ポト時代に多くの人々を強制労働させ、人力でほとんど作られたという巨大な貯水池+ダム。ダム自体は中国の支援があったといわれるが、多くの人々が建設によって亡くなっている。

10.バナン・ワイン
街の中心から車で約20分。バナン山へ行く途中にあるカンボジア人夫妻が始めたワイナリー。バッタンバンの中でも最も肥沃な土地のバナンで栽培されたグレープから作られたワイン。グレープジュースを試飲、購入できる。 View from Phnom Neang Rom Say Sok

【人口】
合計 1,024,663人(2008)
(General Population Census of Cambodia 2008)

【行政単位】
郡の数 13
区の数 96
村の数 741
(General Population Census of Cambodia 2008)

■District(郡)とCommune(区)
1. Ek Phnom
Koh Chiveang
Peam Ek
Prek Khpob
Prek Luong
Prek Norin
Prey Chas
Samraong Khnong

2. Banan
Bay Damram
Chaeng Meanchey
Chheu Teal
Kantueu Muoy
Kantueu Pi
Phnom Sampov
Snoeng
Ta Kream

3. Battambang
Chamkar Samraong
Kdol Daun Teav
O Char
O Mal
Prek Preah Sdach
Rotanak
Sla Kaet
Svay Paor
Tuol Ta Aek
Voat Kor

4. Bavel
Ampil Pram Doeum
Bavel
Kdol Ta Hen
Khnach Romeas
Lvea
Prey Khpos

5. Kamreang
Boeung Reang
Kamreang
O Da
Ta Krey
Ta Sen
Trang

6. Kaors Kra Lor
Chhnal Maon
Daun Bar
Hob
Kaors Kra Lor
Preah Phos
Thipakdey

7. Mong Russey
Chrey
Kar Koh
Kear
Moung
Prek Chik
Prey Svay
Prey Touch
Prey Tralach
Robas Mongkol
Russey Krang
Ta Loas

8. Phnom Proek
Barang Thleak
Chakrey
O Rumduol
Pech Chenda
Phnom Proek

9. Ratanak Mundol
Andeuk Heb
Phlov Meas
Sdao
Traeng

10. Sam Lot
Kampong Lapov
Meanchey
O Samrel
Sam Lot
Sung Ta Sagn
Ta Toak

11. Sampov Loun
Angkor Ban
Chrey Seima
Sampov Loun
Santepheap
Srey Meanchey
Ta Sda

12. Sangkae
Anlong Vil
Kampong Preah
Kampong Preang
Norea
O Dambang Muoy
O Dambang Pi
Reang Kesey
Roka
Ta Pon
Voat Ta Muem

13. Thmar Kul
Anlong Run
Bansay Treng
Boeng Pring
Chrey
Chroy Sdao
Kok Khmom
O Ta Ki
Roung Chrey
Ta Meun
Ta Poung

【年齢別人口構成】
0 - 14歳 44.4%
15 - 64歳 52.5%
65歳以上 3.2%

【識字率】
全体 65.0%
男性 72.4%
女性 58.0%

■バッタンバンのキャラクターたち
Tevada with people
Tevada
Tao
Ta
Ta Ebisu
Nheang Romsai Sok
Monk Gold
Budha Prayed by people
Budha Nehanbutu
White Ompal

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